7. アスヘル
その日は久しぶりに取れた休暇だった。
私は王都の市場へ出かけて、その賑わいに心を和ませていた。
お忍びなので、髪の色が分からないように深くフードを被って、人の間を縫って歩く。
焼き菓子の匂い、子ども達のはしゃぐ声。
それらが嬉しくて、夢中になった。
「みんなにもお土産を買って帰りたいな。」
ヴァルディは何が喜ぶかな?珍しい食べ物がいいかなぁ。サティは可愛いぬいぐるみでしょ?クオルは前に綺麗な陶芸品を見てたから、同じようなものを。ネロは……何が喜ぶんだろう?使ってたペンが折れてたみたいだから、代わりになるものを買おうかな。
ガランさんにはせっかくだからマナの強そうなものをあげたいな。そして、私を気遣ってくれたアルマさん。綺麗な飾りを贈りたいけど……喜んでくれるかな?
浮かれ気分で、気に入ったものを一つ一つ購入した。
仕事のお給金をもらったのは初めて。それはやっぱりお世話になった人に返したい。
楽しく市場をまわっていると、一通り購入することが出来た。
人混みをかき分けて、空き地の端でふぅ、と腰をかける。
紙袋の中にはいっぱいのお土産。
大切に抱きしめると、頭上から声がかかってきた。
「沢山荷物があるんだね。お嬢さん、持ってあげようか?」
ばっと頭を上げると、細く背の高いシルエット。
白い顔、白い指先、ウエーブのかかった長い前髪。細く妖しい瞳と目が合った瞬間、空気が歪み、粘つくような圧力が押し寄せてきた。
……この人は危険だ。
直感が警笛を鳴らし、後ずさりながら立ち上がった。
「いえ、結構です。知人を待たせているので、また。」
その場を去ろうとして、来た道を引き返そうとしたら、見えない壁にはじかれた。
いや、違う、淡いマナだ。マナで壁が作られて、私の歩みを隔てられた。
「何、これ……。」
次の瞬間、透明な糸のようなマナが私の体に絡みつく。それはまるで蜘蛛の糸のように粘着性があった。
「触らないで!」
糸がマナであれば私に恐れるものはない。
絡みつく糸を私のマナで上書きし、バラバラに引き裂いた。マナの糸は私に声をかけてきた人の手元から出ていた。
「あぁ。何て強いマナだろうか。ゾクゾクしてしまう。フードなんか被らないでおくれよ。もっとゆっくり話がしたいなぁ、ねぇ?」
目の前の青年は、妖艶に微笑んだ。
この青年は、私が誰かを知っている。そして、敵ーーー!
「あなたは誰?マナが使えるの?マナが使えるのはエルヴァンだけのはずよ。あなたはエルヴァンには見えないけど。」
「そうさ、僕はノーヴァだからね。ノーヴァのアスヘルって言うんだ。よろしくね。」
さっと顔が青くなった。
ルフと同じノーヴァ。ノーヴァが敵に回っている?どうして……
「まぁ色々あって、今はイサム君が主人なんだけどね。ご命令で君を観察に来たんだけど……イサム君が執着する君はさぞかし魅力的なんだろうねぇ。」
アスヘルが素早く動いて目を丸くしていると、私のフードをがばりと取られた。
「あぁ、なんて美しい黒髪!天使の輪が何重にもできてるじゃないか。」
ぬらり。私の頭にアスヘルの手が触ってきて、生理的嫌悪が止まらなかった。
思わずマナを凝縮してその手をはじき返した。
「やめて!」
「怒らせてしまったねぇ。ごめんね。」
「イサムが主人……?イサムは今どこで何してるの?」
「知らないのかい?イサム君は【聖アグノス帝国】で、現世に現れた【神】として祭り上げられているよ。」
ショックで言葉が出なかった。
嫌がっていたはずの【神】の立場を、また望んでイサムは……。
「【神】となった彼は最高だよぉ。冷徹、冷酷なのに時に子どものように無邪気で。そして二言目、三言目には、ラファティナ、ラファティナって君の名前を呼ぶんだ。まるで呪いのようにね。」
にんまりとアスヘルが不気味な笑顔で言ってきた。
「僕はね、強ぉい人の心が大好きなのさ。イサムはとっても面白い。彼についていたら、退屈はしないだろうな。それに……」
アスヘルがこちらを向いて口を開いた。
「彼が執着する君。実際に見てみたら想像以上に魅力的だった。類い希なマナの力、美しい容姿と瞳、何より、純粋で【美しい(おいしそうな)】心。ーーー僕が直々に壊したくなったよ。」
笑い声を耳元で囁かれ、思わず力の限り振り払った。
が、すでに素早く躱されていた。
空き地はおそらくマナの結界のようなものが張られ、人目からは感づかれないようになっているのだろう。
逆にいい気がしてきた。
多分このアスヘルって人には加減はいらない。というか、色々腹が立つ。
「アスヘル、だよね。イサムが主人って言う割には、イサムのことを全然尊敬してるようには見えないね。」
「そんなことないさ!あれ?でも、それでラファティナは怒ってるの?」
「主人というなら、他人の前でも主人のことは立てなさいよ。失礼だから。」
「……ラファティナ、君はいい子だね。本当に可愛いね。」
ばちり、と、アスヘルの両手の間でマナが弾けた。
あれは風のマナ。私が同じく風で揺らせば攻撃が来たときに大事故になりかねない。
私は手に大気中の水を溜めた。大気には水蒸気がある。それを集める……できる限り。
「何それ……そんなことも出来るの?」
アスヘルの声が聞こえるけど、関係ない。
攻撃が来る前に、空中に水の玉を飛ばした。
「風を覆え。」
私が命令すると、アスヘルの両手の間にあった風のマナの塊は、私の水のマナにすっぽりと包まれた。
アスヘルはマナを動かそうと四苦八苦しているみたいだけれど、上手くいかない。
私はアスヘルの元へ歩んだ。
そして、彼の頬に思い切り平手打ちをした。
「!!?」
「私、初対面の人にそこまで不快感を感じることはないんだけど……なぜか、あなたにはこのくらいしても大丈夫な気がした。」
叩かれた頬を呆然として手を当てていたアスヘルだったけど、周囲のマナの結界を解いて、すっと距離を取った。
「あははは!ラファティナ、最高!君、最高だよ!!また会いに来るよ。その時はデートして欲しいな。次はもっと……深く触れさせてね?」
軽く手をひらひらとさせ、アスヘルは人混みに消えた。
後に残されたのは紙袋。胸のもやもやをはらすために、紙袋を両手にしっかりと抱え直した。でも、その手は微かに震えていた。




