2. マナに寄り添う者
翌朝、私は村の中央にある滝の前に立たされていた。
仲間達は後ろにいて、成り行きを見守っている。
冷たい朝霧が肌を撫で、苔むした岩から滴る水の音が耳に響く。
村の巫女リュカ様は、静かに両手を差し出していた。その掌に乗っているのは透き通るように薄い布。
「これが【マナ織りの薄衣】です。他の衣は不要です。全て脱いで、この衣だけを纏いなさい。」
差し出された布は羽衣のように軽く、陽に透かせば淡い光を帯びる。まるで大気そのものを紡いだような、不思議な質感だった。
「え……ぜ、全部ですか?」
「はい、全部です。修行中はマナを隔てるものがあってはなりません。肌も心も、虚飾を剥がして大気にさらさねばならぬ。己の弱さを覆い隠したままでは、マナは決して応じません。」
ちら、と後ろを見る。
ヴァルディ、ネロ、クオルは目を合わせない……!!
「ちょっと、男の人達は、絶対修行中見ちゃ駄目だからね。」
「べっ、別に変なこと考えてなんかねぇし……!」
「そうそう、お姫さんの裸なんかどうってことないよねぇ、ヴァルディ。」
「殺す!ネロお前殺す!」
「僕は少ししか下心がありませんから!」
がやがやと騒がしくなってきたところで、リュカ様が大気のマナをパン!と叩いた。
凄まじい威圧だ。皆が黙り込んだ後で、リュカ様が私の方を見て言った。
「さて、ここで着替えますか?あちらで着替えますか?」
「……あっちで着替えます。」
この巫女様は、茶目っ気があるんだろうか。
村の外れの森の木陰で。
震える手で旅装を解き、慎重に薄衣を肩にかけた。冷たい布が肌に触れた瞬間、空気の流れが冷たく胸を突き抜ける。
まるで世界そのものが、直接肌に触れてきたように感じた。
「そう、それが【マナ織りの薄衣】。虚飾を捨てた今、ようやくお前は世界と繋がった。
リュカ様の瞳が、私を射貫いた。
暖かさを含んでいるはずなのに、ひかりとした鋭さを秘めたまま。
息をするだけで、無数の光の糸が体をすり抜けていく感覚が広がっていった。
更に奥に進むと、村にあったものより大きな滝が現れた。
これ、まさか、滝行……!?
リュカ様をちらりと見ると、目で「行け」と合図をされる。そうですよね……。
跳ね返る水の冷たさに凍えながら、歩いて行く。
「何をしているのですか。あなたは滝を頭に被ることなく、跳ね返せるはずです。それを行いなさい。」
リュカ様に言われてはっと思い出す。
雨から守ってくれたルフのことを。
あの時ルフがやってくれたことをしたらいいんだ。でも、どうやって?
「さぁ、早く入りなさい。」
苔むした岩からしたたり落ちる滴が、規則正しく水面を叩く。
深い緑と清流の匂いが鼻を抜け、冷たい風が頬を撫でる。
えぇいーーーままよ!
「ぶぶぶぶっっ!!」
私は滝に頭を突っ込んだ。冷たい、痛い!散々だ。
「心を静めなさい、波立てば、マナも荒れる。雑念一つで世界は乱れるのです。」
びちゃびちゃになった顔を拭って深呼吸を行った。
頭上に傘をかけるように……。あの時、ルフが優しくかけてくれた傘。
力任せじゃいけない。守るように。そう、守るための……
もう一度、滝に足を踏み入れてみる。
大丈夫。守るための力だから。
滝は私の頭上から2つに割れて、両側へ落ちていった。
私は笑ってリュカ様に言った。
「出来ました、リュカ様。」
「えぇ、そのようですね。それを後2時間継続しましょうか。」
「えっ……えぇぇぇ!!」
ばしゃっと滝が私の頭にしぶきを上げて落ちてきた。
そして自給自足の修行。
「食べ物を探しなさい。ただし、見た目で判断をし、手でちぎって口に入れるのではなく、マナに問いなさい。」
リュカ様に導かれて森の中に入る。木々の間に転々と伸びる草や木の実。
私は息を整え、手を翳した。
草の表面から淡い光が立ち上る。……だけど、何が食べられるのか判別が出来ない。
口に入れてみると、苦くて胃がきしむような痛みが走った。
「うっ……!」
「愚かですね。愚かさは死に直結します。マナは導き手。マナの導きを無視すれば、牙となります。」
リュカ様は手に持っている水筒を私の口に突っ込み、水と一緒に木の実を吐かせた。
一気に楽になる。
マナ……マナが導くってなんだろう。
次は川での修行だった。
「魚を捕りなさい、ただし網も槍も使わず、マナを通じて導きなさい。」
川面に手を翳す。きらめく魚影が光の筋のように見えた。
みつけたーーー!焦った私は力任せに光の矢のようにマナをぶつける。
ばしゃん、と水しぶきが上がり、魚は散り、川底が濁った。
「……乱暴な力は破壊しか生みません。導くとは、流れを掴み寄せること。押しつぶすことではありません。」
肩が重く沈む。失敗ばかりだ。
けれど、もう一度、今度は恐れずに川の流れを感じてみる。
光の糸の一つに意識をあわせると、ふわりと魚が水面へ近付き、指先へ吸い寄せられてきた。私は震える手でそれをそっと掬った。
「……出来た。」
「ようやく、ですね。」
次は火をおこす試練。
「炎は命そのもの。乱せば暴れ、軽んじれば消える。お前の心も同じです。」
私は両手を合わせ、マナを練り上げる。
最初は小さな火花しか出ない。
焦って力をこめすぎると、ぱっと燃え広がりかけた炎。それを慌てて消す。
リュカ様は冷淡に言う。
「灯火は一度消えれば戻らない。お前の命も同じだ。」
胸が痛む言葉だった。
けれど深呼吸して、もう一度、丁寧に火花を抱きしめるように意識を注ぐ。
やがて小さな火が焚き火に広がり、ぱちぱちと木を舐める音が響いた。
その温もりを手で覆いながら、私は初めて心から安堵した。
リュカ様はわずかに口元を動かし、しかし厳しい声を崩さなかった。
「覚えておきなさい。マナは従わせるものではなく、寄り添い導くものです。」
炎で揺れるリュカ様の横顔を見据えながら、私は深く頷いて返した。




