5. 噂は噂を呼び
翌朝、宿屋の前。
空気はひんやりとしていて、吐く息が白く揺れる。荷を整え、私たちは街道へと出る準備をしていた。
「ネロ、あんたは俺の前を歩け。」
「はいはい、俺はどこでもいいですよ。」
少しおどけてネロは応じる。
軽い口調にヴァルディは表情を崩さなかったが、鞍袋の中からネロに水筒を投げた。
「……何だ、これ?」
「お前の分だ。飲め。」
「ん?……まぁ、ありがたく。」
ネロは受け取りながら、口元だけで小さく笑った。
昼過ぎ、山間の道を進んでいたときだった。
前方で馬車が横転しているのが見えた。木箱や麻袋が散乱し、年配の商人らしき男性が必死に荷を拾い集めている。
近くには小さな女の子が立ちすくみ、今にも泣きそうな顔で商人を見つめていた。
「あれは危ねぇな、すぐそこが崖だ。」
ヴァルディが低く言った。
確かに馬車の後輪は道の端に傾き、下はかなり深い谷だ。下手に動かせば落ちかねないような位置にある。
「やあ、こんなところで災難だったな。早めにどうにかしないと。」
ネロが商人に向かって進んで歩み出た。
「あんたは……」
商人が警戒の目を向けるが、ネロは無視して崖側、後輪へ回り込む。
「ヴァルディ、前輪の方から道に向かって押せ。ティナ、サティ、こっちの荷物、先に下ろせ。」
「おい、お前が落ちるぞ。」
「そんなにやわじゃないさ。ほら、早くしないと全部落ちるよ。」
私とサティで荷物をどけて、ヴァルディとネロが崖側から力を込める。
その動きはなんだか息が合っていて。念のためネロが落ちないように崖側の地面のマナを補強して、馬車はゆっくりと安定した位置に戻った。
「助かったよ……本当に。」
商人が深く頭を下げる。
女の子が駆け寄り、ネロの手をぎゅっと握った。
「ありがとう……お兄ちゃん!」
その頬は真っ赤に染まっていて、目はキラキラと輝いていた。
あっ、この子、ネロに惚れちゃったんだな。
「いいよ、このくらい。」
「お礼にこれを持って行ってくれ。小さい石だが、売ればいくらかになるはずだ。」
そう言って商人が取り出したのは、薄紅色の丸い石が3つ。
確かに小さいけれど、中心に微弱なマナがあるのが見える。不思議な石だった。
「それは【桜真珠】。古い木の中心で、稀に採れる石だ。家内安全、無病息災なんかの縁起物でもあるんだが、ワシらには分からん力を秘めているって話も聞く。」
「あっ……それ、【ピンクアンバー】じゃないですか!」
クオルが身を乗り出していった。
「エルヴァン族が杖を作成するときに用いる材料の一つなんです。貴重なのであまり僕もお目にかかったことはないですが。」
「そんな貴重なもの、いいんですか?」
「ああ、あんた方のおかげで命拾いをしたんだ。本当にありがとう。」
深く商人がお辞儀をすると、それに習って隣の少女も「ありがとう!」と元気にお辞儀をした。
上げた顔には先ほどまでの警戒心はなく、安堵と感謝が浮かんでいる。
「お嬢さん、お兄さん方。もしかしてあんたらは【黒髪の乙女】ご一行様かい?」
「ほらね、ティナ。有名になってるでしょ。」
ネロが流し目でこちらに言ってくる。
やめて。もう噂はこりごりなんだから……。
「ワシは王都の方からやってきたんだがな、王様が【黒髪の乙女達】を見かけたら、支援をしてやってほしいって呼びかけを行っていたらしいんだ。見返り無しに人助けを率先して行ってくれる。話は本当だったんだな。」
驚いた。王が直々にそんなことを言うなんて。
やっぱり恥ずかしくはあるけど……認められたみたいで、少し嬉しい。
女の子が小さく手を振る。
「また会える?」
「さぁ、どうかな。でも、元気でね。」
その姿を、商人は深く目に刻むように見つめていた。
馬車が見えなくなるまで見送った後、クオルが言った。
「多少はいいところがあるみたいですが、僕は騙されませんよ……。」
「あははっ、そうだよね。普通はそうだと思うよ。」
「大体、高身長で、顔が良くて、そういうところがまず怪しいって言ってるんです!」
「それは褒めてくれてるのかな?」
ネロがクオルの頭を撫でると、クオルはますます「むきー!」と言って顔を真っ赤にさせた。
「クオルは、可愛い、よ?」
「男は可愛いじゃ駄目なんです!あ、身長ですか?エルヴァンの皆は身長が低いから、仕方ないんですよ!」
サティとクオルは昔なじみのように仲良くなっていて、旅はすっかり賑やかだ。
異世界に飛ばされてきたときは不安ばかりだったけど、今はこの賑やかさが心強い。
それから3日後。
街道を歩いていると、道ばたの茶屋から慌ただしく人影が飛び出してきた。
「もしかして……【黒髪の乙女】様ですか!?」
息を切らせた若い男が、勢いよく私の手を掴んだ。
「はー、またかよ。」
ヴァルディがうんざりとしながら言った。
私は掴まれた手を振りほどくことも出来ず、ただ戸惑う。
「えっ……」
「お話は聞いていますよ!様々な場所で自らを省みず救援活動をする、神聖なる力をお持ちのご一行様!困った人を決して裏切らない、正義の魂をお持ちの方々だと!」
「ええええっ……?」
「話に尾ひれがつきまくりですね。」
「俺、目立っちゃまずいんだけどなー……。」
頭をかきながら困ったように言うネロ。
少なくともネロも原因の一つなんだからねーーー!
「実はお願いがあるんです!商人組合の倉庫が盗賊に狙われていて……警備団に連絡したんですが、嵐の影響で今は動けないって言われてしまって困っていて!どうか力を貸して下さいませんか?」
男は必死な様子で頭を下げた。
サティが私の袖をくいくいと引っ張る。
「ティナ。助ける?」
「まぁ、放っておけないよね。」
私はため息をついた。
「やった!ありがとうございます。やっぱり【黒髪の乙女】様は噂通りの方だ!」
その言葉に、ヴァルディは眉をひそめながらも、持っている腰の剣に手を置く。
「……こうなったら、つきあうしかないか。」
クオルはブツブツと文句を言いながらも、地図を広げていた。
ネロはどこからか鋭い小刀を取り出して、指先でくるくるとそれを回す。
「盗賊退治、ね。まぁそれくらいならいいんじゃないかな?」
こうして、予想外の依頼を抱えて私たちは再び足を早めた。
ーーー噂というのは、厄介ごとを度々持ってくるものだ。




