3. 遅かった、ただいま
風が冷たく吹き抜ける。
それは季節のせいだけじゃない。
足下に広がる瓦礫の山が、否応なく心を冷やす。
「……間違いない。私には分かる。この土地のマナ……。私が育った村……だった場所。」
誰にともなく呟いたその言葉は、空へと溶けていった。
立っていられなくなるほどの感情が、胸の奥からこみ上げてくる。
記憶は断片的だった。
だけど、石畳の感触。木製の柵の形。家の前に裂いていた白い花。
そして辺りを取り巻くマナ。常に私と一緒にいた形。忘れない。
そのひとつひとつが、目の前にある廃墟の影と、どこか重なる気がした。
助けを求める声が遠くで上がる。
私は我に返り、そちらに駆けだした。
小さな子どもを抱えて泣いている母親。
潰れた家屋の下敷きになっている家族。
ーーー今は、探すよりも助ける方が先!
私は自分にそう言い聞かせて、泥に膝をついて動き続けた。
「おい、ティナ。大丈夫か?」
無我夢中で働いてると、ヴァルディが声をかけてきた。
「うん、休んでる暇なんてないの。困ってる人が沢山……」
「そうじゃなくて。」
ヴァルディに手を掴まれた。
「この辺だって言ってたよな、ティナの村。さっきから無茶してるようにしか見えないぞ。救助活動はしばらく俺とサティでやっておくから、気になるものを探して来いよ。」
そう言われ、手を離された。
心配をかけてしまった。少し落ち着こう。
感謝の言葉をかけて一人、瓦礫をかき分けて奥へ入った。
日が傾き始めた頃。
ふと、視界の隅に、半ば埋もれた灰色の石柱が見えた。
何かに引き寄せられるように近付く。
それは、墓碑だった。
装飾もない、ただの丸い石。
けれど、そこに刻まれていた文字を見た瞬間、全身が硬直した。
「……リサ・ヒルダン」
「エルド・ヒルダン」
懐かしい名前。
私にとって、かけがえのない名前。
どうしてこんなところに彫られているの?ーーーそんなの分かってる。100年経ってる。生きてるはずなんかない。私の、両親が!!
「……お母さん……お父さん……」
崩れるように、その場に座り込んだ。
冷たい石の前で、ただただ泣きじゃくった。
私が消えてからどうしてた?二人は何をしてた?ねぇ、帰ってきたよ。ただいま。ごめんね、おそくなったね。ラファティナだよ……。
心の奥にあった者が、堰を切ったように流れ出してきた。
私が泣いている時間がどれだけ経ったか分からない。
サティが声をかけてくるまで、まるで一人きりの世界で閉じこもっていたらしい。
ヴァルディは何も声をかけてこない。
ひとつ、スープの入ったお皿を分けてくれた。
つぅと口に運んでみるけれど、味がしない。食欲が、全くわかない。
食べ物に申し訳なくて、その場で固まってしまう。
「そんなときもあるだろ。食えるときに食えばいい。明日はもっとうまいスープを作ってやる。」
ぶっきらぼうに言うと、ヴァルディは残りのスープを平らげた。
私の心にはぽっかりと風穴があいたようだった。
その夜。
私は焚き火から少し離れた場所で、一人でぼんやりと座っていた。
月も出ていない曇り空。風が木々をざわつかせる音だけが、世界を満たしていた。
胸の奥に開いた穴。
埋めよう、埋めようとしても、風が吹くたびに広がっていく、穴。
「……散歩でもしてこい。」
そう言ったのはヴァルディだった。
それもいいかもしれない。どこに行くあてもないけど、じっとしていると、涙が出そうになるから。
私はヴァルディに借りたマントを羽織り、夜の村を歩き出した。
泥が落とされた石畳の上に、私の足音が反響する気がする。
道は静寂に包まれていた。
私の心も静寂になるような気がして、ほっとした。そんなときふいに、風の中に違和感を感じた。
誰かがこちらを見ている気がする。
懐かしいような、でも初めてのようなーーーううん、これはどこかで。心がざわついた。
そして目が合う。
目線の先には、倒木に腰掛けた黒髪の一人の少年がいた。
年は10歳くらいの子……
あの少年は!!
柊菜乃花として過ごしていたとき、鏡の中で出会った少年。
私が鏡の前で短剣を手にしたとき、鏡の中で杯を持っていた少年。
冷たい、深い、闇夜のような昏い瞳。
「こんばんは。こんな夜中で一人で歩くとか、危ないよ、お姉さん。」
にっこりと笑いかけてくるけれど、瞳は笑っていない。
私はこの瞳を知っている。
「だいじょーぶ?僕が送ってあげようか?」
少年は倒木から身軽に降りて、近付いてくる。
「僕がこの世界に君を連れてきたんだもの。君たちと違って、僕はちゃんと責任をとるよ。」
驚きで、立ちすくんでしまう。
ぺたり、ぺたりと少年は歩みを進める。
「ね、ラファティナ。」
私は膝から崩れ落ちた。
まさか、まさか、この少年は……
「イサム……?」
「あははっ、覚えててくれたんだ。嬉しいなぁラファティナ。」
無邪気に笑う、その表情は幼くあどけないはずなのに、その奥に感じるのは果てしない黒、黒、黒。
「僕、こんなに小さくなったのに、それでもちゃーんとラファティナは分かってくれたんだね!愛の力だねぇ。」
おどけるように私の目の前に立ちはだかる。
何も言わない私に一瞬の沈黙の後、顔の表情の一切を無にして、イサムは言った。
「僕君に言ったよね。【許さない】って。」
突然激しい風が駆け抜けた。
月の光は雲に隠れ、イサムの顔を照らさなかった。




