7. 大嵐-3-
黒い影の瞳は、暗闇の中で異様に澄んで目立っていた。
雷光に照らされた一瞬、その瞳孔が細くなり、まるで私をはかるようにじっと見つめてくる。
息が詰まる。心臓が跳ね、胸の奥が焼けるように熱くなった。
ーーー次の瞬間、祈祷の光がぷつりと途切れた。
広場を覆っていた柔らかな幕が消え、嵐が一気に牙を剥く。
風が叫び声のように唸り、雨が弾丸のように叩きつけてくる。
大樹が悲鳴を上げて裂け、根元から倒れ込む音が村を震わせた。
「ティナ!危ない、下がれ!!」
ヴァルディの声が聞こえたはずなのに、体が動かない。
視界の奥で、見える。
嵐の、流れが。
黒い影が動くたびに、空気の筋が歪み、雨粒の起動すら変わっていく。
私は、その筋を手でつかめるような錯覚に襲われた。
耳の奥で鼓動がドクドクと響き、体中の血が指先まで燃えるように熱い。
嵐の唸りが、ゆっくりと遅くなった。
いや、それは違う。ーーー私が嵐の流れを【掴んで】いた。
「止まりなさいっ!」
そう叫んだ瞬間、今まで激しく唸っていた風がぴたっと止んだ。
この感覚。あぁ、懐かしい!
私は両腕を広げた。
胸の奥からあふれ出した熱が腕を通り、掌から光が放たれていく。
光るマナの道。見えない糸のような風の道。一本、また一本と掴み、紡ぐ、揃えていく。
それは徐々に緩やかな光の渦となって村を囲み、嵐の進行を押し返していった。
「……嵐を防いだのか……?」
誰かが呟く。
歓声が上がりかけ……しかしそれはまた、嵐の轟音にかき消された。
黒い影が、嵐の向こうで足を止めている。
その瞳は先ほどよりも鋭く、私を敵と認定しているかのように睨みつけていた。
「この村は通さないから!!」
黒い影が咆哮を上げ、風の砲撃が飛んでくる。
けれど、何も怖くはなかった。
村を守る分厚いマナの障壁が、衝撃を鈍く弾き返す。
砲撃の余韻が消えると、影は距離を詰めずにじっと私を見据えた。
雨粒がその輪郭を滑り落ち、足元には濁流が渦を巻く。
互いに動かず、ただ視線だけが絡み合う。
嵐の轟きさえ遠くに退き、ここにあるのは張り詰めた空気だけだった。
――探っている。
影は一歩、二歩と円を描くように動き、周囲の風を乱して視界を覆った。
渦が幾重にも重なり、核の位置を隠そうとしている。
けれど今の私には、その乱れの奥にある一本の“真っ直ぐな流れ”がはっきり見えた。
あれだ。
あれが……核だ。
失敗すれば、この村は終わる。
だけど――負けない。
もう二度と、大切な場所を失いたくないから。
「はぁぁぁああっ……!!」
黒い影の中にいくつもの細い光の管を通し、それらを核を囲むように滑り込ませていく。
影の細い金切り声があがった。もう少しだ。
とどめとばかりに、光の束で核を圧縮した。
パリンーーー
核が割れた。
と、同時に、辺りの風が吹き止んだ。
雨が止み、雲の端々からは祝福されたように光の線が降り注ぐ。
「おわっ……た……」
誰かがぽつり、呟いた。
瞬間、どっと歓声が沸いた。
「終わった、嵐が終わった!」
「良かった。あぁ、もう駄目かと思った!」
周りの人々が泣いて騒いで喜んでいる。
良かった。私はほっとしてーーー全身の力が抜けてしまった。膝をついてしまう、その時に、
「お疲れ。」
私の体を抱き留めてくれた人がいた。
ヴァルディだ。
私は微笑んだ。嬉しい。私は、力になれたんだ。
まさかまだマナが使えるとは思ってなかったけど。こんな風に人々の役に立てたなんて、なんだか誇らしい。
「あんた、すげぇな!」
「余所者だなんて扱いしてて悪かったよ!」
「あんたこそ、村の英雄じゃないか!」
一斉に囲まれて、わいわいと色んな人に話しかけられる。
恥ずかしすぎておろおろ困っていると、ヴァルディが私を両手抱きに抱え直しておかしそうに笑っていた。
しばらくして、数人に付き添われてよたよたとグマト長老がやってきた。
「ふぉふぉ……よくやったぞ、ティナよ。そなたこそ、【風の調律者】だったんじゃのう……。」
「風の……調律者?」
不思議な響きに耳をかすと、長老は続けて言った。
「大地の乱れ、川の乱れ、そして風の乱れ。今回の乱れの起因は、明確なる【悪意】のもと発生したものと確信しておる……。本来であったら、わしの力が尽きたとき、もう村はおしまいになるはずじゃった……。」
長老は垂れ下がった大きな耳を、ぞうきんのようにしてジャーと絞った。
「ふぉふぉ。それがじゃ。それ以上の【風の力】でこの地を安定させおった。いや、見事なり。見事なり。ティナよ。我ら一同、そなたに御礼申し上げる。」
「「「御礼申し上げる!!」」」
ズォン族の皆が私に向かって頭と耳を伏せる。
「そ、そんな、皆さんが頑張って下さったからです!嵐の中大変なときに私を受け入れてくれて……私こそ、ありがとうございます!」
「よい子じゃ、よい子じゃのう。ふぉっふぉっ!」
長老は機嫌が良さそうに、高らかに笑った。
「さぁさぁ皆の衆。子供達を早く出してあげなさい。ある程度片付けが終わったら、宴をはじめるぞい。」
おーーー!!と、皆が一斉にかけ声を行った。
向こうからサティが駆け足で跳んできた。
「ティナ!」
「サティ、無事だった?」
「うん!……ねぇ、ティナ。」
サティは側に寄ってきて、きょとんとした目で立ち止まっていた。
「どうして、お兄ちゃんに、だっこして、もらってるの?」
顔が真っ赤になり、急いでその場でヴァルディに下ろしてもらった。