6. 大嵐-2-
黒い壁のような雲が、村を飲み込んだ。
次の瞬間、轟音と共に風が唸りを上げる。
雨粒は容赦なく屋根や地面をたたき、視界を白く塗りつぶした。
木々が悲鳴を上げるようにしなり、枝が折れる音があちこちで響く。
屋根の補強を終えたヴァルディが息を切らせて戻ってきた。
「子供達は避難させた!大人は全員集会所だ!」
その声も、嵐の唸りにかき消されそうになる。
集会所の中は、点された松明の光が頼りない。
壁際では女性達が水樽や食料を守り、男性達は入り口付近で扉を押さえていた。
時折突風が扉をたたいて、皆の体が揺れる。
「……こりゃいつまで続くんだよ。」
ヴァルディの顔は濡れ、耳の毛並みも水を含んでぐっしょり重たそうだった。
その夜、祈祷の光は辛うじて保たれていたけど、明らかに弱まっていた。
村の大樹が揺れるたび、光の幕がゆらりと薄くなるのが見えて、不安になった。
二日目。
嵐は弱まるどころか、さらに勢いを増していた。
雨脚は太鼓を打ち鳴らすように激しくなり、突風が広場の樽を転がしていく。
梁の縄は軋み、補強したはずの屋根が激しく音を鳴らすのが不気味だった。
避難所に閉じ込められた子供達の鳴き声が、時折微かに聞こえる。
大人達も披露と不安で顔が強ばっていた。
三日目。
大樹の葉はほとんど吹き飛び、枝は裂けて剥き出しの幹が痛々しい。
祈祷を続ける長老の額には汗と雨が混ざり合って流れ、その背は小さく呼吸と共に揺れていた。
「……長老。もう休んで下さい。」
「いや、……この手を離せば、村が……」
四日目。
雨水が地面を覆い、小川のように村を流れ始める。
流木や折れた枝が泥水に乗り、足下をすり抜けていく。
避難所の入り口にも水が迫り、男達は必死に土嚢を積み上げた。
五日目。
祈祷による光はほとんど残っていない。
人々の顔に諦めの色がにじみ始めた。
「……せめてもう少し、もたせられたら……俺が、引き継ぐことが、出来てたら……」
ヴァルディは、悔しそうに歯を食いしばった。
誰も誰かを責めることなんて出来ない。皆が出来る、精一杯のことを行っている。
でも、私も今自分の無力さがーーー悔しい。
その時だった。
雨の幕の向こうで何かが動いた。
風の流れに逆らうように、黒い影が広場の端を駆け抜けたのが見えた。
「……何?」
その影を目で追った瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。
黒い影はすぐに嵐の帳に紛れて消えた。
一瞬の出来事で、形も大きさもはっきりとは分からない。
けれど、あれは風や雨の動きとは違う。生き物の意思を持った、確かな動き方だった。
「ヴァルディ、今の見た?」
「え、何かいたか?」
ヴァルディは耳をすませ、空気を嗅いだ。
「俺には何も見えなかったが……どうした、何かあったのか?」
「ううん、見間違いかもしれないけど……何か黒い影がいたような……」
あれを見た瞬間、この異変の原因が【嵐】だけじゃない気がした。
その夜、集会所の中は妙な緊張に包まれていた。
嵐の音に混じって、時折、地面をたたくような低い衝撃音が響く。
外に何かがいる。
そんな気味の悪い想像が、じわじわと心を蝕んでいった。
六日目の明け方。
嵐は勢いを弱めるどころか、風が鋭さを増していた。
雨は斜めにたたきつけ、視界は常に白くかすんでいる。
避難所の土嚢は二度崩れて、何人かが水をかぶって運び出された。
ズオオオオオオオオオオオオオオオッッーーー
雨の幕の向こうで、一際大きな轟音がした。
そちらを見ると、また、黒い影。
四つ足のようにも見えるけれど、雨に隠れて判別がつかない。かなり大きなオオカミのようにも見える。
それは風を切るのではなく、風のながれそのものに潜るようにして動いていた。
「何……あれ……」
私の声は震えていた。
「どうした、ティナ。何かあるのか?」
「ヴァルディ、見えないの?あそこに黒いものが。」
ヴァルディは私の指の方を向くと、すっと目を細めて言った。
「いや、何も見えない。」
あれは私にだけ見えるの?なんだろう。あれが、とてもいけないもののような気がするのに。はっきりと言葉にしてつたえることが出来ない。
七日目。
祈祷の光はまるで糸のように細く、今にも千切れそうなほどになってしまった。
広場の大樹は根元から軋み、長くはもたないと誰もが悟っている。
外の雨が一瞬だけ弱まり、雲間から灰色の光が差し込んだ。
その中に、黒い影が立っていた。まるで嵐の中心にいるかのように、揺れもしない。そして、その瞳が私を射抜いた。
目が……あった……!!!