8. 神の檻
一睡も出来なかった。
夜が明けて、朝日が差し込んできて、しばらくしてから荷車は止まった。
「神の使いが帰ったぞ!門を開けよ!」
ガコン、ガコンと重厚な扉の音が聞こえる。
荷車はまた動き出した。
辺りからは大人の男の人の声が沢山する。やっぱり逃げることは難しそうだ。
「おい、着いたぞ。寝ている奴は起こせ。さっさと降りるんだ。」
泣き疲れてようやく眠れた人に、酷い仕打ちだと思った。
ううん、人攫いに道徳を説いても仕方ない。
私達はなるべく身を寄せ合い、荷車を降りた。
そこには大きな石の建物があった。
建物の中に入ると、立派な石造りの柱が沢山あって驚いた。こんな立派な建物を見たのも、その中に入ったのも初めてだ。
草木や花の形が彫られているようにも見える。これも全部石なのかな?
「さっさと進め。ぼーっとするな。」
見たことのないものばかりに気をとられていると、責っ付かれてしまった。
いくつか階段を上り、絨毯の敷かれた長い廊下を進む。
しばらく進んだ後、どう見ても檻と思われる部屋の前で止まった。
「さぁここだ。お前達にはここで生活をしてもらう。そのうち神からお呼びがかかる。その時はくれぐれも粗相のないようにするんだぞ?」
私達は檻の中に入れられた。
檻の中は、そこが檻には似つかわしくないほど生活感が漂っていた。
必要最低限の家具もある。私達は私を含めて4人。皆が過ごすには狭すぎることはない空間だった。
「私たち、もう家に帰れないのかな……?」
「ここはどこなの?どこに連れてこられたんだろう。」
みんなが不安がっていた。私も不安と恐怖でいっぱいだった。
でもーーー
「大丈夫、絶対みんなで家に帰ろう。力を合わせれば、いつかきっと帰れるから!」
精一杯笑顔を振り絞った。
みんなも顔を見合わせ、ゆっくり、大きく頷いて少しの笑顔を返してくれた。
きっと帰れる。みんな無事で。だから頑張ってここで耐えよう。そう思った。
一人目が神様に呼ばれてから帰ってきた。その目からは生気が抜けていた。
その子は何があったのかを語ろうとしなかった。
虚空を見つめたまま、大きく瞳を見開いて、大粒の涙を流しながらかぶりを振った。
体はボロボロだった。
マナで治療をしようと試みたけどだめだった。マナの流れが止まっている。まるで生きることを拒否するかのように……。
みんな何も言えないままだった。
助けてあげようにも、何もしてあげられない無力さ。
そして、明日は我が身。
次第にみんな無口になっていき、檻の中は静寂に包まれた。
「おぉい、次の奴。神がお呼びだ。早く来い。」
小さく悲鳴があがった。
男が檻の中に入ってきて、一番小柄な子の腕を掴む。
「い、嫌!嫌だ!離して!」
「うるさい!神の仰ることだ!ありがたく言うことを聞け!」
華奢な腕は可哀想に、恐怖でガタガタと震え、思い切り捕まれて真っ白くなっている。
私は勇気を振り絞って立ち上がった。
「あの、私を代わりに連れて行って下さい!」
「なんだと?」
「私は以前から神様に一目お目にかかりたいと思っていました!戦火をなくされた偉大なる神様に、感謝の言葉が直接伝えられるなんて、光栄です。是非、私を神様の元へ連れて行っては下さいませんか?」
男は「ふぅむ」と言って顎をぽりぽりとかいた。
「いや、駄目だ。神は次の娘を指定された。神の意見を俺が勝手に変えちゃいけねぇ。」
「なんとか!神様にお願いして下さいませんか?私は神様をお慕いしているんです!」
「また次に選ばれたらいいな。そら、行くぞ。」
「いいじゃないか、そこまで言ってくれるなら。その子をこっちに通せ。」
いつの間にか男の背後には、影が立っていた。
あの日に見た、見たことのないような黒髪。一枚布で出来たような不思議な服。若い出で立ち。
「神!これはこれは、このような場所にわざわざおいで下さらずとも。御用があればなんなりと我らが拝命しましょうぞ。さぁ、神の間にお帰りなさってーーー」
「僕に指図をするな。」
カンッと杯が男の腹に当たった。それだけなのに。
ドガッ!!!
杯から鋭いマナの光が走り、男の体に衝撃が加えられた。
男は壁にたたきつけられ、苦しそうに呻いている。
「どいつもこいつも、僕を閉じ込めて崇め奉って何が楽しいんだか。ほら君。出てこいよ。僕に会いたかったんだろう?」
神様が私を見ている。
ぞっとするくらい、昏くて鋭く冷たい。その目は底の知れないくらい黒かった。
「あっ……私……」
「何?早くおいでよ。君もそこの奴みたいになりたいの?」
恐る恐る、神様の元へ歩み寄る。
そのまま神様は私を先導し、さらに階段を上って豪奢な部屋へと案内した。
私の家より何倍もあるかのような広さ。
中に入るのが恐れ多くて入り口付近で立ち止まっていたら、神様は大きな椅子に腰掛けてゆったり足を組んだ。
「脱げ。」
「え?」
言ってるいる意味が分からなくて固まってしまう。
急に何を言われたんだろう。
まさか、この服を男性の前で脱ぐなんてことは……
「一度言われて分からなかったのかなぁ?なんで君らが集められたのか知ってた?僕を身体で満足させるためだよ。僕に感謝?慕う?随分と面白いことを言うね。僕に会ったこともないくせに。僕のことを何も知らないくせに。」
その眼光はどんどん鋭くなっていく。
言葉の意味を理解するのに少し時間がかかって、血の気が引いた。
身体で満足って……生々しい表現に、全身が硬直して怖じ気づいた。
どうしよう、動けない。何も出来ないでいると、神様は椅子から立ち、ゆっくりと近付いてきた。
「脱ぐかしゃべるか、何かしてみろよ。さっきの勢いはどうしたんだ。少しは僕を楽しませてみろ。」
頬を掴まれ、ぐっと視線を固定される。
「あっ……」
「それとも全部その場限りの出任せだったのか?僕を慕っていることも全て。」
にやりと笑っている。でも、その目はずっと笑っていないままで。
思わず考えていたことが口から出てしまった。
「どうして、そんなに、追い詰められているんですか?」
私の頬を掴んでいた手がほどかれて、私はその場で咳き込んだ。
神様を見ると、目を大きく見開いていた。
「僕を馬鹿にしたいのか?」
「違います。」
「どうして……分かった……」
「見たら分かります。ーーー人の目は嘘をつけませんから。」
彼の目には、暴力的なまでの怒りと、果てのない悲しみが渦巻いていた。
そんな彼を、とても人間的だと思った。
このようなことをしているのも、何か裏があるのだろうと。
彼は長椅子に腰掛け、私に横に座るように促した。
少し躊躇したけど、彼を信用して横に座ることにした。
「さっきあんなことがあったのに、あまりにも無防備だ。」
「あ、はい。すいません。」
「はっ……なんだ、それ。」
ようやく彼は仮面を捨てて、ふっと力を抜いて笑った。
「イサム。」
「え?」
「勇。僕の名前だ。この世界に来て初めて教えた。この世界の人間は、誰も僕に興味はないみたいだったから。」
そう悲しげに彼は笑った。
そして、神としてこの世界に呼び出された後のことを語り出した。
それは私には想像もついていないことだった。