第1巻 第6節
朝、千代子さんのアパートの朝食テーブルで。
私はそわそわしながら持っていたベーグルを噛んでいた。向かいにはさっきから一言も発しない杏子が座っている。彼女の表情はどう見ても不機嫌そうで、まだ怒っているのだろう……
最後の一口を口に運んだ後、私は恐る恐る彼女の名前を呼んだ。
「そ、その……杏子さん?」
緊張しすぎて、つい敬称を使ってしまった。
私の呼び声を聞いて、杏子がこちらの方を見た。その目には不満が満ちていた。
「そんな他人行儀な呼び方、すごく嫌なんだよね……」
うう…杏子の口調が初めて会った時のように戻ってしまった。
「ご、ごめんなさい……」
私はすぐに頭を下げ、申し訳なさそうな様子を見せた。
「もう、光ちゃん、本当に反省してるの?」杏子が軽くテーブルをトントンと叩いた。「昨日、あんな危ないことしちゃって、もし何かあったらどうするつもりだったの?」
「おっしゃる通りです……」
私はこっそりとため息をついた。思考が一瞬、昨夜の出来事に戻った。森村医師から大河銭三郎が死んだと聞かされた直後のことだった……
♢
「えっ!?その男が死んだって?!」
森村医師の言葉を聞いて、私は自分の耳を疑った。
「間違いない」
森村医師は深刻な面持ちでうなずいた。
「ま、まさか……」
私は思わず息を呑み、数歩後ずさった。
「ま、まさか……俺があの男を……」
そんな可能性を考えただけで、胃がひっくり返りそうになった。
森村医師は私の心配を見抜いたようで、説明を加えた。「心配しなくていい。これは君のせいじゃない。あの男は…」
彼は乾いた唇を舐めた。
「あの男の腕にはびっしりと注射の跡があった。どうやら長期間の薬物乱用で、体がとうとう持たなくなったようだ」
「そ、そうだったんですか…」
道理で彼の束縛をあんなに簡単に振り切れたわけだ。彼の体はとっくにボロボロだったのだ。
しかし、森村医師がそう言っても、私の心はなかなか落ち着かなかった。
「これは困ったな…」
冬坂刑事は眉をひそめた。
「事件について、まだ彼に聞きたいことがたくさんあったのに…」
「どうやら手遅れのようですね」
森村医師は残念そうにため息をついた。
「まあ、今の証拠だけでも立件は十分でしょう?結局、この子たちの証言によれば、犯人は自ら罪を認めたんですから」
「だが、この事件にはまだ謎が多くてな。俺はそれをはっきりさせたいだけだ」
冬坂刑事は大河の遺体の方向を見た。その表情は何かを考えているようだった。
「相変わらず真面目ですね、冬坂刑事」
森村医師は肩をすくめた。
「さて、これからどうしましょう?」
「とにかく——」
冬坂刑事はすっかり暗くなった空を見上げ、それから私たちに目を向けた。
「まずはこのガキどもを家に送るぞ。こんな時間にまだ帰ってないなんて、家族が心配する」
気のせいか?冬坂刑事の目が一瞬、優しくなったような気がした。
「そうですね」
森村医師も同意し、私たちを見た。
「さあ、お巡りさんの言うことも聞いたし、それじゃ——」
森村医師の声が突然途切れた。彼は目を細め、遠くの何かを見ているようだった。
好奇心から、私も森村医師が見ている方向を見た。すると、角の向こうに黒い影が、こちらの様子を虎視眈々とうかがっているのが見えた…
このシルエットは見覚えがある。川島先輩と私が最初に見た黒い影だ。
「危ない!」
私はほとんど無意識に叫んだが、その前にその影は飛び出して、川島先輩に襲いかかった…
「ガウッ——!」
その黒い塊が飛びかかってきた時、川島先輩は素早くかわしたが、彼の後ろにいた森村医師は不幸にも押し倒されてしまった。
「ちょ、ちょっと待て!こんなところに犬がいるなんて!」
森村医師は慌てふためき、自分の体にまとわりつく動物を追い払おうとした。
その時、私は初めてこの黒い影の正体が大きな黒い犬だと気づいた。
その大きな黒犬は、自分が押し倒したのが森村医師だと分かると、すぐに彼の体から離れ、次に威嚇するような低いうなり声をあげ、目を川島先輩にしっかりと向けた。
「こいつはいったいどうしたんだ?」
森村医師は地面から立ち上がり、服についた埃をはらった。
「ああ…それはですね…」
川島先輩は突然気まずそうな表情を浮かべ、頭をかいた。
「さっき、こいつの姿を犯人と勘違いして、必死に追いかけたんです…間違いに気づいた時にはもう止まれなくて…それで…」
だからこそ、こいつは川島先輩にそんなに強い敵意を示したのか…
「ん?」
私はふと、犬の口に何かを咥えていることに気づいた。
「あっ、逃げた…」
ちょうどその犬の口の中に何があるのか確かめようとした時、犬はさっと逃げ出した。
「まったくついてないな…」
森村医師はぼやいた。
「まあいい、あの犬は放っておこう…」
彼は振り返って私たちを見た。
「お前たち、さっさと帰れ」
♢
昨夜は冬坂刑事が部下の警官に、私たち一人一人を家まで送らせてくれた。
杏子は私の後ろに警官がついているのを見て、びっくり仰天し、何があったのかとしつこく尋ねてきた。やむを得ず、私はこの数日間に起こったすべてを杏子に包み隠さず話した。
案の定、杏子は事情を知ると、長い長い説教を始めた。ついさっきも味わったばかりだったが、今回はもっとひどく、今朝になっても彼女の怒りは収まる気配がなかった。
「光ちゃん?聞いてるの?」
杏子の不機嫌な声が私の思考を現在に引き戻した。
「聞、聞いてます!」
「ええ~」
杏子はこっちに疑わしそうな視線を投げかけてきた。
「おはよ~」
千代子さんが自分の寝室からあくびをしながら出てきた。
「遅いわね、千代子」
「仕方ないわよ、昨日は全然寝られなかったんだから」。千代子さんは眠そうな目をこすった。「だって昨日、小杏が光ちゃんに長々と説教してたから、隣の部屋の私も寝られなかったんだよ」
千代子さんはふらふらと歩いてテーブルに来て、適当にジャムを塗ったパンを一つつまんで口に放り込んだ。
「むぐむぐ…」
「もう、千代子は食べながらしゃべるんじゃないの」
千代子さんは口の中のパンを飲み込んだ。
「光ちゃん、今回は本当に心配かけたんだから、ちゃんと反省しなきゃね」
「ご、ごめんなさい…」
うーん…千代子さんに説教される日が来るなんて、これは本当に屈辱だ…
「千代子だってよく夜遅くまで帰ってこないじゃない」
「え?あらあら…」
千代子さんは外に舌を出し、そっと視線をそらした。
「まったく、二人とも本当に手がかかるんだから…」
杏子はまるで幼稚園でやんちゃな子どもに手を焼いている先生のようだった。本来ならこの役割は大人である千代子さんが担うべきだろうが、千代子さんはと言えば…
私はちらりと千代子さんを見た。彼女の顔には間抜けな笑みが浮かんでいた。
大人というより、やはりガキ大将の方が似合っている。
「そろそろ行く時間よ、行こう、光ちゃん」
杏子がカバンを持って立ち上がろうとした時、千代子さんが慌てて彼女を遮った。「ちょっと待って!私まだ準備できてないよ!せめてお化粧直す時間ちょうだい?」
「千代子が起きるのが遅かったんだから、私と光ちゃんは先に行くわ」
「そんなぁ…」。千代子さんは哀れっぽく私を見た。「光ちゃんは待ってくれるよね?」
「行ってきます、千代子さん」
「ええ~?!」
外出の準備ができていない千代子さんを残して、私は杏子と一緒に学校に向かって出発した。
♢
この道中、私と杏子はほとんど無言だった。たまに一方が話題を振っても、もう一方は簡単に応えるだけだった。過剰な会話はなかったが、それでも杏子の態度が幾分和らいでいるのは感じられた。
「あっ!スカートはいてるお兄ちゃんだ!」
幼い声が突然私たちの後ろから聞こえた。振り返ると、呼び止めたのは数日前に小さな公園で会った子どもたちの一人だった。
杏子が私のそばに寄ってきて、小声で聞いた。「光ちゃん、この子知ってるの?」
「ああ…それは長い話で、後で説明するね…」
ところで、スカートをはいたお兄ちゃんって私のこと?
「違うよ!恭介!」
少し離れたところから女の子の声がした。声の主は前に会ったあの女の子で、どうやら二人の仲は親しくなったようだ。
「お姉ちゃんだよ!男の子がスカートはくわけないでしょ!」
「はあ?こいつどう見ても男だろ!」
…本当に失礼なガキだ。
私は恭介という名の男の子に無理に笑顔を作り、できるだけ優しい口調で挨拶した。「おはよう、見知らぬお姉ちゃんに捕まった最初の子」
「うぎゃあ——!」
その子は奇妙な叫び声をあげ、南先輩に子猫のように持ち上げられた記憶を思い出したようだ。
「そ、それはただのハプニングだ!本気を出せば…絶対に捕まらなかったんだ!」
少年は顔を真っ赤にして言い張った。
「ええ~」
私は疑わしい目で彼をじろじろ見た。
「本当だってば!」
彼は泣きそうな表情だった。
「光ちゃんったら、子どもをいじめちゃだめよ」
杏子が少年の前に歩み出て、しゃがみ込み、優しい口調で言った。「ごめんね、私の友達は人との付き合い方があまりわかってないの。でもあなたにも悪いところがあるよ。女の子を男の子だと思われると、すごく傷つくんだからね」
杏子の目は穏やかで、どうやら相手が男の子でも、まだ子どもなら杏子も優しくできるらしい。
「私は白石杏子、こちらは望月光。あなたの名前は?」
「渡、渡辺恭介…」
…渡辺?まさか私が思ってるあの渡辺じゃないだろうな…
私はそっと首を振った。
渡辺という名字は結構多い。これがまさかあんな偶然…そんな偶然あるわけない…あるはずないよね?
「恭介くん、ね?素敵な名前だね」
杏子は私の異変に気づかず、優しい口調でその子と話し続けた。
「さあ、そんな顔しないで。男の子は女の子の前で泣いちゃだめだよ」
「う、うん!わかった!」
恭介は目尻をぬぐい、強情に顔を上げた。
「泣くなんてしないもん!」
「うんうん。恭介くん、強いね!」
杏子は微笑みながら彼の頭を撫でた。杏子に頭を撫でられた瞬間、少年の顔はますます赤くなった。
どうやらこの少年の心は杏子に奪われてしまったようだ。
もし杏子が同年代の男子にもこんなに優しくしたら、学校での人気はもっと上がるだろうか?どうだろう…だってクールなのも杏子の魅力の一つだからなあ。
「そうだ、そっちの子はあなたのお友達?」
杏子はそばにいる女の子に注意を向けた。
「わ、私は雪村桜…」
桜という名の少女は慌ててお辞儀をした。
「よろしくね」
杏子は微笑んで応えた。
「あ、あの!」桜が突然私を呼び止めた。「この前の足の速いお姉ちゃんは?また一緒に遊んでくれるって言ってたのに…」
南先輩のことだな。
「ああ…彼女、ちょっと忙しくて…」
「そうなんだ…」
桜はがっくりと首を垂れた。
「だ、でももう忙しいのは終わったから!すぐに約束を果たせるよ!」
「本当?!」
桜の目がぱっと輝いた。
「あ、でも今日はダメ、今日は用事があるから、明日!明日は絶対に彼女を呼んで行かせるよ!」
私は桜に小指を差し出した。桜も嬉しそうに小指を伸ばし、私の指に絡めた。
「嘘ついたら針千本飲むんだよ!」
「うんうん!」
私は真剣に彼女と指切りをした。
「じゃあ、お姉ちゃん今日も公園に来る?」
「え?」私は少し驚いた。「今日も私、ちょっと用事があるんだ。ごめんね」
「え?光ちゃん、今日まだ何かあるの?」
杏子は不思議そうに私を見た。
「う、うん。」私はうなずいた。「放課後、警察署で事情聴取を受けなきゃいけないんだ」
「あ!お姉ちゃん、警察に行くの?」
なぜか、これに一番反応したのは桜だった。
「う、うん。どうしたの?」
私はしゃがみ込んで彼女と同じ目線になった。
「それじゃあ、これを警察のおじさんに渡してもらえる?」そう言いながら、桜は何かを私の手に押し込んだ。よく見ると、それは小さな注射器だった。
なぜこの子がこんなものを持っているんだ?
私が困惑している様子を見て、桜はすぐに説明した。「これ、昨日の夜、ロビンから見つけたんだ」
「ロビン?」
私は首をかしげながらその奇妙な名前を繰り返した。
「あ、ロビンは大きな黒い犬なの。見た目は怖そうだけど、本当はすごくいい子なんだよ」
「そ、そうなんだ…」
じゃあ、なぜ犬がこんなものを持っているんだ…
桜は続けた。「でもロビンには悪い癖があるんだ」
「悪い癖?」
「うん。」桜はうなずいた。「人のものを盗むのが好きなの。何でもロビンは盗んじゃうから、みんなずっとあの子に困ってるんだ」
「これはきっと誰かから盗んだもので、その人はきっとすごく困ってると思うの。だから、警察のおじさんにこれを届けて、落とし主に返してほしいの」
「そうなんだ…わかった。警察の人に会ったら、これを渡すよ」
桜の頼みを引き受けて、私は注射器をカバンにしまった。
「やった!ありがとう、お姉ちゃん!」
桜は嬉しそうに手を叩いて飛び跳ね、顔に明るい笑みを浮かべた。
杏子が時計を見て、そっと促した。「光ちゃん、急がないと遅刻しちゃうよ。行こう」
「あ、そうだった。」私は立ち上がり、二人の子どもに手を振った。「じゃあ行くね、二人とも登校中気をつけてね」
「お姉ちゃん、バイバイ!」
桜は力いっぱい手を振った。恭介は顔を赤らめながら、「バイバイ」と小さくつぶやいたが、目は杏子から離さなかった。
二人の子どもと別れた後、私と杏子は足を速めた。
♢
「よお!ヒカルン!」
教室のドアを開けた途端、今日二度目の渡辺に遭遇した。
はあ…もう「ヒカルン」という奇妙な呼び方にも慣れてしまいそうだ…
「おはよう、渡辺くん」
私は微笑みながら、そっと左手を上げた。
「あっ、冬坂さんもおはよう、この間は本当にありがとう」
「…」
冬坂は私に返事をせず、なぜか彼女は何か思い悩んでいる様子だった。
「冬坂さん?」
「…あっ!」
冬坂は突然目が覚めたように、顔を上げた。
「お、おはよう!」
「…う、うん…」
気のせいか?冬坂の笑顔がどこか硬く見えた。
その時、渡辺が横からからかってきた。「珍しいなあ。美穂がボーっとしてるなんて」
「別に珍しくないでしょ」
冬坂は彼を白い目で見た。
「そうだ、望月さん。」彼女は突然私に視線を向けた。「昨日、パパが事件が解決したって教えてくれたんだけど、それについて何か知ってる?」
「え、え?どうしてそんなこと…」
私は少し後ろめたい気持ちで、冬坂と目を合わせないようにそっぽを見た。
「うーん…だって昨日、彼が突然、私がこっそり彼のパソコン見たのかって聞いてきて…それに事件の情報を誰かに漏らしたかどうかも…」
冬坂はまっすぐに私を見つめ、その目は怨念に満ちていた。
「ご、ごめんなさい!」
私はすぐに謝った。
「怒ってるわけじゃないよ…」
冬坂は苦笑いを漏らした。
「でもちょっと悲しい…だって望月さん、絶対に誰にも言わないって約束したのに…結局パパに知られちゃったんだから…」
「ごめん…つい調子に乗っちゃって…」
昨日、冬坂刑事に状況を説明する時、捜査報告書が警察の内部資料だなんて全く考えていなかった。
冬坂刑事が「なぜ現場のことをそんなに詳しく知っているんだ?」と言った瞬間、心臓が止まりそうになった。適当に言い訳をでっち上げ、相手もそれ以上追及しなかったが、彼の当時の表情は全く騙されたようには見えなかった。
「ああ、もういいよ」
冬坂はそっとため息をついた。
「それで、望月さんはやっぱり事件の解決に関わってたんだね?」
今さら隠すこともないだろう、私は事の次第をありのままに話した。
「そうだったのか…事件を解決するためなら、仕方ないよね…」
冬坂は納得したようで、私に微笑みかけた。
「ところで、望月さんすごいね。犯人を見つけ出すなんて」
「い、いや…みんなのおかげだよ」
やっぱり褒められるのは照れくさいなあ…
「でもすごく変だね。」冬坂は考え込むように顎に手を当てた。「犯人も見つかったのに、パパはまだこんな形で事件を終わらせるのは納得できないって言ってるんだ」
うーん…確かに当時、この事件にはまだ多くの疑問点があると言っていた。
「でも…議論すべきことは全部議論したはずだし…まだ何か疑問点があるんだろうか?」
私の独り言を冬坂が聞いたようで、彼女はまばたきし、近づいて小声で言った。「実は…昨夜、パパが帰宅してからずっと事件の資料をめくってて、『どうしてあの人の着信記録がないんだ』とかブツブツ言ってたんだ」
「…着信記録?」
石原莉子先生の携帯の着信記録のこと?連絡先も通話記録も全部誰かに消されたんじゃなかったっけ?
今思えば、大河銭三郎が自分と石原先生の関係がバレるのを避けるために、石原先生と自分の連絡記録を消したくて急いでいたんだろう。でも、どれが自分からかけたものか一つ一つ見極める時間がなかったから、全ての記録を消してしまったんだ。
冬坂刑事もその点は考えられるはずだ。
でも、彼の言う「あの人」が誰なのか気になった。
「よしよし」
渡辺が突然割り込んできて、冬坂の肩をポンポンと叩いた。
「隆之のおじさんって、いつもそんな感じじゃん?仕事熱心すぎるんだよ」
「そうだね…仕事のせいで私の誕生日も忘れるくらいだし…」
冬坂の顔に寂しげな表情が浮かんだ。
「あっ!ごめん!こんなこと言うんじゃなかった——」
渡辺は言い間違えたことに気づき、慌てて手を振り謝った。
「そうだそうだ!放課後クレープおごるよ?新しくできた店、超——美味しいんだ!ヒカルンも一緒に来いよ?」
どうやら、この男の話題転換の技術はかなり下手くそらしい。
「ああ、ごめん。今日放課後は用事があるんだ。冬坂さんと二人で行ってよ」
「ええ~残念!」
渡辺は大げさにがっくり来たが、すぐにまた元気を取り戻した。
「じゃあ今度は絶対一緒に行こうな!約束だぞ!」
「わ、わかった…」
こういう熱心な人には本当に弱いんだよなあ…
ちょうどその時、チャイムが鳴った。私たちは急いでそれぞれの席に戻った。
♢
放課後、私はカバンを片付けて、警察署で事情聴取を受ける準備をした。杏子は最初一緒に行くと言ったが、私は遠慮した——だって昨日のことで彼女はもう十分心配しているし、これ以上迷惑をかけたくなかったから。
「じゃあ、気をつけてね。事情聴取が終わったら早く帰ってきて」杏子は校門のところで心配そうに念を押した。
「うん、わかったよ」
私は手を振り、警察署の方へまっすぐ歩いていった。
警察署に着き、受付で用件を伝えると、若い警官に取調室前の廊下へ案内された。川島武先輩と黒田哲人先輩はもうそこにいた。
「おっ、来た来た」
川島先輩は私を見ると、すぐに手を振って合図した。黒田先輩は軽くうなずき、挨拶を返した。
「遅れてごめん」私は早足で近づき、少し申し訳なさそうに言った。
「大丈夫、僕たちもついさっき来たところだから」
川島先輩は笑いながら頭をかいた。
「でもまさか警察署で事情聴取を受けることになるなんて、ちょっと緊張するなあ」
「そういえば、南先輩はまだ来てないの?」
私は周りを見渡したが、南美奈子先輩の姿は見当たらなかった。
「南はもう中に入ってるよ」
黒田先輩が眼鏡を押し上げた。
「え?南先輩はもう先に事情聴取を始めてるんですか?」私は少し驚いて尋ねた。
黒田先輩はうなずいた。「僕たちより30分早く着いたらしい。どうやら最後の授業をサボったとか」
…どう言うか…南先輩がやりそうなことだなあ…
「おっ、出てきた出てきた」
川島先輩が突然取調室の方を指さした。南先輩はとてもリラックスした様子で中から出てきて、後ろには冬坂刑事がいた。
「よお、来たね!」
南先輩は私たちに手を振った。
「事情聴取、超——簡単だったよ。昨日の状況を聞かれるだけだから、ありのまま話せばいいんだ」
冬坂刑事は呆れたように首を振った。「南さん、次からは勝手に授業をサボって警察に来ないでくれ。困るんだ」
「はーい、わかった~」
南先輩は舌を出したが、全く反省しているようには見えなかった。
「じゃあ、次は俺が行くよ」
黒田先輩が自ら立ち上がり、冬坂刑事について取調室に入っていった。
南先輩は私の隣にどさっと座り、大きく伸びをした。「あー疲れた!」
さっきまで事情聴取は超簡単だなんて言ってたのに?
「俺、てっきり事情聴取してくれるのはあの刑事だけかと思ったら、医者もいたんだよ」
「森村医師のことですか?」
南先輩はうなずいた。「そうそう」
まあ、森村医師も警察の捜査に協力している関係者だから、取調室にいてもおかしくはないか。
「そういえばな、南」川島先輩が突然口を開いた。「あの刑事、具体的に何を聞かれたんだ?」
「うーん…昨日、大河銭三郎に会った時の詳しい状況とかかな」
南先輩は首をかしげて思い出しながら言った。「例えば、あの時彼が何て言ったか、変な行動はなかったかとか」
「へえ?それだけ?」
川島先輩は少し意外そうだった。「もっと複雑なこと聞かれるかと思ったよ…」
「そうそう!」
南先輩は突然何かを思い出したように言った。
「電話のことも聞かれたよ」
「電話?」
川島先輩は少し困惑した様子だった。
「うん」南先輩はうなずいた。「事件の当日、本当に石原先生に電話をかけたのかって聞かれて、『かけた』って答えたら、具体的な時間も聞かれたんだ」
「具体的な時間?」
「ちょっと待ってて…」
南先輩はそう言いながら、携帯を取り出し、通話記録を川島先輩に見せた。彼女は確かに事件当日の19:30に石原先生に電話をかけていた。
「もうさ、確かあの時刑事に携帯見せたはずなのに…」
南先輩の口調は愚痴のように聞こえた。
「まあまあ、もう一度確認したかっただけかもしれないよ」
「そうだ、南先輩」
私はふと、昼間の二人の子どものことを思い出した。
「今日、学校に行く途中に前に小さな公園で会ったあの子たちに会ったんだ」
「え?本当?」
南先輩は身を乗り出した。
「みんな元気だった?」
「そうだな…私が会ったのはその中の二人だけだけど…」私は顔をかいた。「彼ら、南先輩のことを聞いてて、また先輩と遊びたいみたいだよ」
「そ、そうだったんだ!」
南先輩はとても嬉しそうで、どうやら本当に子どもが好きなようだ。
「そうだ!望月くんも一緒に来ない?」
「ええ~」
…なぜ私の分まで…
「望月くん、その表情は何よ…」
南先輩は口をとがらせて、私の顔に近づいてきた。
今は自分の顔は見えないが、きっともうこれ以上ないほど不本意な表情をしているに違いない。
「それは…」
南先輩が近づきすぎていたので、私は無意識に後ろにのけぞり、すると——
カチッ!
カバンの中から小さな音がした。
そうだ、今朝桜から預かったものがまだ中に入っていた。
「どうしたの?」
南先輩が興味津々で首をかしげた。
「何、何でもない…」
私は南先輩にそっと手を振った。
南先輩はまだ好奇心旺盛な様子だったが、結局はこれ以上詮索しなかった。
その後、私たちは特に会話をしなかった。
黒田先輩の事情聴取が終わった後は川島先輩、そして次に私の番だった。
♢
取調室に入ると、私は少し緊張しながら椅子に座った。冬坂刑事は私の向かいに座り、森村医師は傍らに立って、手に記録ノートを持っていた。
「リラックスして、ただの定例の聞き取りだ」冬坂刑事の口調は想像以上に穏やかだった。「昨日起きたことを詳しく話してくれればいい」
私はうなずき、できるだけ筋道立てて出来事を説明した。冬坂刑事は時々うなずき、森村医師は素早く重要な情報を書き留めていた。
「つまり、その時、大河銭三郎は自分が石原先生を殺害した事実を自ら認めたというわけか?」冬坂刑事が確認した。
「はい」
私はうなずいた。
冬坂刑事の表情が険しくなった。どれくらい経ったか、彼は口を開いた。「結構だ。協力ありがとう」
彼は少し失望したようにファイルを閉じた。どうやら自分が満足する結果は得られなかったようだ。
この時点で私は出るべきだったが、そうしなかった。
「もし石原先生が自分の夫を殺していなければ、こんなことは起こらなかったんでしょう?」
「…今さらそんなことを言っても仕方がない」
冬坂刑事は残念そうにため息をつき、少し疲れた目をした。
「でも、もし大河銭三郎が石原先生の罪を見つけていなければ、こんなことは起こらなかったんじゃないですか?」
「そうかもしれんな」
冬坂刑事は眉をひそめ、私の質問に少し当惑しているようだった。
「でもちょっと変ですね。石原健一さんは妻に殺されたのに、最終的には病死と思われていた。石原先生はどうやって人目を欺いたんでしょう?」
私はちらりと冬坂刑事を見た。彼の顔の表情が一瞬、険しくなった。
それで私は話を続けることができた。「私は、誰かが彼女の代わりに石原先生の本当の死因を歪めたんだと思います。その人物は石原健一さんの死亡の真実を知っているに違いありません。このことを知っているのは石原先生本人と、そして大河銭三郎です」
私は指をくるっと回した。
「それが大河銭三郎だったのでしょうか?彼が石原先生の殺人を隠し、それで脅していた、というのは理にかなっているように聞こえます——でも大河銭三郎はなぜ石原健一さん死亡の真実を知っていたのでしょう?それに、彼には石原先生の罪を隠す力もなかったはずですよね?」
冬坂刑事は何も言わず、ただ顎に手を当てて、私の言葉を考えているようだった。
「でも、大河銭三郎って本当に悪いことばかりしてますね」
私は大河銭三郎の罪を一つ一つ挙げていった。
「脅迫、住居侵入、殺人…うーん…彼は麻薬もやってたんですよね?」
「彼の腕にびっしりあった針痕から判断すると、そうだろうな」
そばにいた森村医師がうなずいた。
「怖いですね…でも幸い、麻薬で体を壊していたおかげで、私のような小柄な女性でも大人の男の束縛を振り切れたんです——ああ、私は本当に運が良かったんです」
私はわざと間を置いた。
「石原先生はどうしてそんなに運が悪かったんでしょう?」
冬坂刑事の眉間に深いしわが寄り、唇がわずかに開いて、何か言おうとしたが、彼が口を開く前に、私は話を続けた。
「大河銭三郎ってやつは本当に憎らしいです。石原先生を殺しただけでなく、彼女の携帯の中の連絡先やチャット記録まで全部消してしまった——」
「…その点についてだが——」
冬坂刑事が突然私を遮った。
「容疑者が被害者のアパートにいた時間は事件当日の19:15から19:30の間だ。そして君の友人が被害者に電話をかけたのは19:30…」
「おお!つまり大河銭三郎は19:15から19:30の間に犯行に及んだんですね?じゃあ通話記録を消したのもこの時間帯でしょうか?」
私は手を叩いた。
「あら?それっておかしいですね…もしそうなら、19:30に誰かから電話がかかってきたら、記録は残るはずじゃないですか?」
「そうなるな」
冬坂刑事はうなずいた。
「じゃあ、こう考えられませんか?大河銭三郎は19:30に去り、その後もう一人の人物が現場に現れ、何らかの目的で通話記録を消したと」
「では、その二人目の人物が誰だと思う?」
冬坂刑事は腕を組み、興味深そうに私を見つめた。
「それは——」
私はわざと口調を長引かせた。
「本当に石原先生の真実を隠していた人物でしょう?」
「真実を隠していた人物?」
冬坂刑事は私の言葉を繰り返し、目つきが鋭くなった。
「はい。」私は彼の目をまっすぐ見た。「その人物は石原健一さん死亡の真実を知る機会があっただけでなく、それを改ざんする能力も持っています」
冬坂刑事は突然沈黙した。
「確か、石原健一さんは最期の瞬間、地元の医師の救命処置を受けたんですよね?その医師は石原健一さんの本当の死因を知らないはずがないですよね?でも彼は口を閉ざしたまま、なぜそうしたのかは分かりません。その医師が見つかればいいのですが」
私の口調が突然軽快になった。
「でも、今は大河銭三郎も死んだし、石原先生も亡くなったし、あの医師を見つけるのはもう難しいでしょうね?」
「…地元の医師は一人しかいない…」
冬坂刑事はゆっくりと口を開き、目を取調室内の誰かに向けた。
「森村医師…君だけだ…」
「…」
森村医師は指で記録ノートを軽く叩き、顔には無表情だったが、その目は異常に冷たかった。
取調室内の空気はその瞬間に凍りついたように感じられ、息づかいさえもはっきりと聞こえた。
この息苦しい空気がどれほど続いただろうか。森村医師はゆっくりと口を開いた。「仮に君の推論が正しいとしよう、小娘」
彼の声は低く落ち着いていて、感情が込められているようには全く聞こえなかったが、危険な匂いを感じさせた。
「もし僕が知る者だとしたら、大河銭三郎はどうやってそのことを知ったんだ?」
「もちろん、あなたが教えたんです」
「おや?」森村医師は目を細めた。「じゃあ、なぜ僕がそんなことをしたと思う?」
「あなたには目的があったのでしょうが、私は知りません」
「はっ」
森村医師は冷ややかに笑った。
「実に面白い物語だ。しかし、これらの議論は石原莉子女士の死とは関係ない。君はもう帰るべきだと思う」
「待ってくれ、医師」
冬坂刑事が片手を上げて彼を遮った。
「冬坂刑事、僕たちはもう十分時間を浪費しました」
森村医師は彼を一瞥した。
「この子の証言通り、大河銭三郎は自らの罪を認めました。本件には何の疑問点もありません。あなたも仕事を終えて、家族の元に帰るべきです」
冬坂刑事は森村医師の発言を無視し、まっすぐに私を見つめた。
「…小僧——いや、望月さん」
冬坂刑事の声は異様に厳しかった。彼はわずかに前のめりになり、両手を組んで机の上に置いた。
「君は森村医師がこの事件に関係していると証明できるか?」
「できなければ、最初からそんなに多くは語らなかったでしょう」
私は冬坂刑事に微笑みかけた。そばにいた森村医師の表情は少し動揺しているようだったが、全体的には平静を装い続けていた。
「それでは——」
私は深く息を吸った。
「私が最初に言った通り、大河銭三郎は確かに自らの罪を認めました。しかし、長期間の薬物乱用で体が弱っていた彼には、たとえ相手が女性でも一人を絞め殺す力はありませんでした。彼は自分が人を殺したと思い込んでいただけです」
「それはどういう意味だ?」冬坂刑事が詰め寄った。
「つまり石原先生は確かに玄関で大河銭三郎と出くわし、喉を絞められたが、死因は絞殺ではなかったということです」
「では死因は一体——」
「あんな状況で命を奪われた方法として、私が思いつくのは毒だけです」
「馬鹿げている」森村医師は冷たく私を見つめた。「毒だと?司法解剖の報告書には中毒の兆候は一言も書かれていないぞ」
私は森村医師の目をまっすぐ見つめ、人差し指を振った。「それは当然です。なぜなら司法解剖を担当したのはあなたであり、報告書に手を加えることなど簡単だったからです。石原健一さんの時と同じように」
「それは君の根拠のない推測に過ぎない」
「では、根拠のあることを話しましょう」
私の言葉を聞いて、森村医師の表情がわずかに硬くなったが、すぐにまた平静を取り戻した。
彼は「どうぞ」という仕草をしたが、目はすでに鋭くなっていた。
「ではお言葉に甘えて」
私は大げさな動きで森村医師にお辞儀をした。
「事件当日、サンシャインの社員が石原先生に荷物を届けに来ました。荷物の中に入っていたのはチョコレートの箱でしたが、それは石原先生が購入したものではなく、誰かがプレゼントとして石原先生に贈ったものでした」
「サンシャインの社員によると、その贈り主の名前は山田太郎。明らかに偽名で、本当の贈り主はあなたです、森村医師」
私は推理小説の探偵のように指を森村医師に向けた。
「あの日、あなたを対応した社員にあなたの写真を見せれば、きっと思い出すでしょう。『石原莉子』という女性に手元のチョコレートを届けるためだけに追加料金を払った人物がいた、と」
森村医師は私を睨みつけたが、一言も反論できなかった。
「では、いきさつを再現しましょう」
私は再び深く息を吸った。
「半年前、石原先生は長期間の家庭内暴力に耐えかね、夫を殺そうとしましたが、最終的に夫が自分の目の前で倒れる姿を見て後悔し、あなたに救命処置を依頼しました。しかし、時すでに遅しでした」
「そしてあなたはもちろん、石原先生が夫を殺害したことを知っていましたが、その嘘を暴かず、知らないふりをして、石原健一さんは病死だと公表しました」
「おそらく取引として、あなたはこの情報を大河銭三郎に漏らし、石原先生があの男に半年近く弄ばれる結果を招きました」
ここまで来て、私はこの見せかけの偽善者に心底嫌悪感を抱いた。
「事件当日の朝、石原先生はあなたの診察を受けた際、自首する傾向を見せました。もし警察が石原健一さんの死を手がかりにあなたを見つければ、すべてが台無しになります。その瞬間から、あなたは石原先生を殺そうと考えました」
「そこで、あなたは毒入りのチョコレートを宅配便で石原先生に送りました。差出人が書かれていない荷物は、石原先生も簡単には受け取れません。そこで、あなたは石原先生に電話をかけ、このプレゼントがあなたからのものだと伝え、おそらく医師としての立場でいくつかの『医学的アドバイス』を与え、毒入りのチョコレートを食べるよう彼女を騙しました」
「その後、石原先生が自首に出かけようとした時、彼女は大河銭三郎に出くわし、二人は言い争いになりました。大河銭三郎が石原先生の首を絞め、石原先生は束縛を振り切れるはずでしたが、不幸にもその時、薬の毒性が発現し、結局石原先生は大河銭三郎の目の前で倒れました。自分が人を殺したと誤解した大河銭三郎は現場を偽装し、石原先生が首を吊って自殺したように見せかけました」
「近所の人が石原先生の遺体を発見して警察に通報した後、あなたは警察の捜査に協力する医師として現場に来ました。そして、誤った司法解剖報告書を提出しただけでなく、皆が気づかない間に、石原先生の携帯に残っていた連絡先と通話記録をこっそり削除しました。だから携帯には19:30の私の友人の着信記録が残っていなかったのです」
ここで終わるべきだったが、結末としてはあまりにもあっさりしすぎているので、私は付け加えた。
「これが事件の全容です」
「…」
私は静かに森村医師の表情の変化を見つめた。彼の顔色は最初の無表情から次第に陰鬱に変わり、最後には奇妙な笑みさえ浮かべた。
「見事だ、実に見事だ」
森村医師はそっと拍手した。
「君の言う通りだ。僕は確かに情報を大河銭三郎に漏らした。また、事が露見するのを恐れて毒入りのチョコレートを石原さんに送った」
「そして、石原さんの携帯に残っていた連絡先と通話記録も消した。理由は単純だ。警察がこれらを通じて大河銭三郎を見つければ、保身のために僕を売り渡すかもしれないからだ。ただ、君の友人のあの電話は予想外だったな、本当に失策だった」
森村医師は大げさにため息をついた。
「認めたんですね」
森村医師は淡々とうなずいた。「ああ、君があそこまではっきり言うんだから。それに、僕が送ったチョコレートに本当に毒が入っていたかどうかは、検査に出せばすぐにわかる。弁解の余地は全くないな」
…どういうこと?彼のこの平然とした様子は…
「ただしな——」森村医師は突然口調を変えた。「僕のチョコレートは石原さんを殺してはいない」
「な、なんですって?!」
私は目を見開き、信じられないというように森村医師を見つめた。
「君の話した内容の大部分は正しいかもしれないが、僕が石原さんにいわゆる『医学的アドバイス』をしたというのはまったくの誤りだ。僕はただ、彼女が自首する前にそのチョコレートを食べてくれることを祈っていただけだ」
「それはどういう意味ですか…」
私は思わず唾を飲み込んだ。
「意味は簡単だ」森村医師は両手を広げた。「石原さんは僕が送ったチョコレートを全く食べていない」
「なっ——」
私は言葉に詰まった。
「僕はチョコレートを適当に箱に詰めた。特定の並べ方などはしていない。最初に何個入っていたかは僕だけが知っている…」
森村医師は目を細めた。
「そして僕は断言する。チョコレートの数は変わっていない」
くそっ…最初に何個入っていたか誰も知らないからって、好き勝手なことを言いやがる!
「大河銭三郎には石原先生を殺す体力はない!だから石原先生を殺したのは毒に違いない!」
「それはどうかな?」森村医師は呆れたように肩をすくめた。「大河銭三郎の体は確かに麻薬で壊れていたが、石原さんの体も非常に弱っていた。それは君も知っているはずだろ?」
「うっ…」
…彼の言う通りだ。初めて石原先生に会った時、彼女が私に与えた印象は憔悴していた…
「だから大河銭三郎が石原さんを殺すのは十分可能だ、違うか?」
森村医師は狡猾な笑みを浮かべた。
「だ、だったら石原先生の遺体を改めて司法解剖すれば、毒殺かどうか確認でき——」
私の言葉が終わらないうちに、森村医師に冷水を浴びせられた。
「できないよ」
「え?」
「石原さんの遺体はとっくに火葬されてしまった」
くそっ…この男はこういう事態になることを予想していたんだ…だからこそ、急いで石原先生の遺体を処理したんだ!
「ただし、未遂に終わったとはいえ、僕は確かに殺人計画を実行した」森村医師は冬坂刑事を見た。「殺人未遂として扱われるはずだ、そうだろ?」
「うむ…もし君の言うことが全部本当なら、確かにそうなる…」
冬坂刑事は不本意そうにうなずいた。
「それじゃあいい、罰は甘んじて受けるよ」
この男は重い罪を軽く見せようとしている。絶対に許せない!
「ちょっと待ってください、まだ言いたいことが——」
森村医師が私を遮った。「ダメだよ、小娘。君はさっき『これが事件の全容です』と言っただろう?つまり、もう言うことはないんだ」
「私は石原先生が殺害された経緯について言っただけです」私は首を振った。「大河銭三郎の死についてはまだ触れていません」
森村医師の表情が突然固まった。
「大河銭三郎の死因は薬物の過剰摂取、これは森村医師が出した結果です。しかし、事実はそうではありません——」
私は間を置いた。
「森村医師、あなたは大河銭三郎が逮捕されれば、保身のために自分を売るだろうと心配していたと言っていましたね?そして彼はその後確かに捕まりました。自分が最も恐れていたことが起こらないようにするために、あなたは彼を殺したのです!」
「ふん。何を馬鹿なことを?じゃあ、僕がどうやって彼を殺したと言うんだ?」
森村医師は表面上は平静を装っていたが、額ににじむ汗が彼の動揺を露呈していた。
「大河銭三郎は長期間自分に麻薬を注射し、腕はもう穴だらけでした。言い換えれば、この腕に注射針の跡がもう一つ増えても誰も気づかないでしょう」
私の頭に当時の光景が浮かんだ。
「森村医師、あなたは気絶した大河銭三郎を助けているふりをしましたが、実際には毒薬を彼の体内に注射していたのです!」
「き、きみにその証拠があるのか?」
どんなに平静を装っても、森村医師の声の震えは隠せなかった。
「証拠ならあります」
私はカバンから今朝、桜から預かった注射器を取り出し、そっと机の上に置いた。
「これはロビンという大きな黒い犬からもらったものです。その犬には悪い癖があって、人のものを盗むのが好きなんです。おそらく誰かからこれを盗んだのでしょう」
森村医師の瞳がわずかに縮んだ。
「大河銭三郎が死亡したその日、森村医師は大きな黒い犬に飛びかかられたそうですね?」
「ま、まさか——!」
森村医師の顔色が一瞬で青ざめ、目は机の上の注射器に釘付けになった。
「あの時の黒い犬がロビンで、あなたに飛びかかった後、あなたの体からこの注射器を盗んだのです——あるいは大河銭三郎を殺した凶器を!」
「い、いや…違う…」
森村医師は唇を震わせて、一言もまともな言葉が出てこなかった。
冬坂刑事は机の上の注射器をハンカチで慎重に包みながら、森村医師に言った。「指紋鑑定をすれば、これにあなたの指紋がついているかどうかはすぐにわかる」
この言葉が森村医師の最後の理性を完全に打ち砕いた。彼は喉を張り上げ、絶叫した——
「やめてくれええええええ——!」
♢
「ど、どうしたんだ!」
取調室からの悲鳴を聞いて、川島先輩と南先輩はすぐに飛び込んできた。黒田先輩もすぐ後に続き、眼鏡を押し上げて入り口に立った。
数人が目の前の光景を見て唖然とした——森村医師が取調室の床にひざまずき、かすれた声をあげていて、まるで十歳も老けたようだった。
「これは一体…」
南先輩は首をかしげて疑問に思った。
私は森村医師のそばに歩み寄り、しゃがみ込み、優しい声で言った。「今となってはどうあれ、あなたは殺人罪で起訴されるでしょう。せめて最後に、真実を話してください」
森村医師はゆっくりと顔を上げ、私を一瞥すると、ささやくような口調で言った。
「半年前、あの女に呼ばれて彼女の夫の救命処置に向かった。その男を一目見た瞬間、僕は彼が誰かに毒を盛られたとわかった。そして犯人とは、そばで慌てているあの女だった」
彼は自嘲気味に軽く笑った。
「僕はそのことを公にせず、その情報を高値で大河銭三郎に売りつけた。当時の彼はたまたま多額の賠償金を手にしていて、僕が満足できる条件を提示できた」
「つまり、あなたは金のために情報を大河銭三郎に漏らしたんですね?」
森村医師はうなずいた。
「その後は君の言う通りだ。石原莉子に自首させないために、電話で毒入りのチョコレートを食べるよう騙し…大河銭三郎に僕を売られるのを防ぐために、毒を彼の体に注射した…」
「え、え?これって…どういう意味?」
南先輩は茫然として森村医師を見た。
「森村医師…が本当の犯人なの?」
「どうやらそうらしいな…」
黒田先輩はすぐに状況を理解した。
「な、なんでよ?!なぜそんなことしたの?!」南先輩は興奮して飛び出そうとした。「なんで町の人を助けるために大病院の仕事を捨てたんじゃなかったの?!」
「南!落ち着け!」
黒田先輩は南先輩を止めた。
「ふふ、君は本当に何もわかっていないな…」
森村医師は冷たく笑った。
「『町の人を助けるために大病院の仕事を捨てた』?僕がそんなことをするわけがない…あの忌まわしい事故さえなければ、こんな田舎町には来なかったのに…」
「事故?」
私は森村医師の口にしたその言葉が気になった。
「明らかに僕の責任じゃないのに…全部僕のせいにされた…医師免許は剥奪されなかったが…どこの病院も雇ってくれなくなった…」
森村医師の口調には恨みと悲しみが混ざっていた。
「この世界で生きていくには金持ちにならなければならない…そのためなら手段は選ばない…」
「そんな理由で…」南先輩の声は震え、怒りに満ちた涙が目に光っていた。「金のために、石原先生を殺したのか?!」
森村医師は顔を上げ、ほとんど無感情な目で南先輩を見た。「石原莉子?彼女の死について、僕はまったく遺憾に思っていない…」
「なんて言うの?!」
「もし彼女が自分の夫を殺さなければ、今日のような事態にはならなかっただろう…」
冬坂刑事はしばらく黙っていたが、森村医師に言った。「今となっては、俺も言うことはない。事態がこうなるとは思わなかった」
「…」
森村医師は何も言わなかった。
冬坂刑事が彼を起こそうとした時、森村医師の口から血が流れ出ているのに気づいた。
「こ、これは——!」
小さな紙包みが森村医師の手から落ちた。その上にはまだ白い粒が少し残っていた。
「僕…法の裁きを受けるつもりは…なかった…」
森村医師は荒い息をしながら、顔の筋肉が苦痛で歪んだが、それでも嘲笑的な笑みを保っていた。
「どうせ最後は…死ぬだけだ…」
「早く——!助けを呼んでくれ——!」
「むしろ…」
森村医師はゆっくりと目を閉じ、もう動かなくなった…