多忙な俺の異世界生活
師匠と会って数週間が経った。俺の異世界生活って奴はかなり充実している。
まず最近、朝は日が出るより先に目が覚める。
日本にいた頃では有り得なかったことだ。毎日五分おきにスマホのアラームを鳴らし、全てを無意識のうちに止め、その後母に声を掛けられるまで頑なに起きることなかった俺が、こうして自ら目覚めているのは快挙と言っていい。
お母さんに言ったら泣いて喜ぶことだろう。
「おはようございます。今日は何か手伝うことありますか?」
「おはようございます。いいえ、今日は……すいません、水を注いで来てもらえるとありがたいです」
「分かりました」
これは朝の日課の一つだ。なるべく城の人達とコミュニケーションをとる様にしている。後回しにしていた居場所作りだ。でもそれ以上に日頃俺達のために働いてくれるメイドさん達に少しでも恩返しがしたいのだ。
そう言えば来たばかりの時は余り考えなかったが日本と異世界で朝の挨拶が一緒なのは改めて考えると不思議なものだ。地球でも日本とアメリカでも『おはよう』と『Good Morning』では全く違う。
「いや、そもそも自動翻訳されているだけだから本来の発音ではないのかもな」
なんてこんなことに思考を割ける様になったのは単に心の余裕が出来ただけではない。お気づきだろうか、メイドさん達との会話に気持ち悪さが一切ないのだ。
「ふふふ……人は成長するということだな」
手伝いが終わった後は、ジョギングに出る。今の時間から走っている人は少ない。と思っていたが、最近人数が増えているように思う。騎士団だけでなく、クラス連中もだ。
中には誰かが起こさないと一切起きようとしなかった以前の俺の様なクラスメイトまでもこんな朝早くから走っている。
負けてられない。
ジョギングが終わると、素振りだ。
素振りは余りしている人はいない。流石にジョギングで体力を使い切ったのだろう。早々に城内に戻る人が多い。
俺の素振りは他の人より時間が掛かる。その理由は両手利きの維持のため右左の構えで剣を振るからだ。右手ばかり、左手ばかりを使っているといざって時に使い物に為らない可能性もある。だからこうして毎日同じように鍛えている。
朝練が終わると朝食だ。ここでも基本一人なのだが、その日は珍しく相席することになった。それも意外過ぎる人物と
「ここ、いい?」
「あ、はいどうぞ」
完璧な受け答え。やはり俺は成長している。
目の間に座ったのはティリナだった。彼女も基本食事は一人だったはずだ。席が空いてないのかと周りを見渡してみるが、確かにそこそこ埋まってはいるとは言え、満席という訳でない。
相変わらず何を考えているか分からない人だ。
「それ」
「はい?」
「君が使っている二つの棒のこと」
「箸の事ですか?」
「箸って言うんだ。それ」
何やら箸に興味があるようだ。
俺は彼女に箸を渡した。もちろん汚くない様に先端は拭いて。真似をし、食事を掴もうとするが、転げ落ちてしまう。それでも如何にかして掴もうと必死になっている姿は微笑ましい。
「あははははは」
「何か変?」
「いいえ、そういう訳じゃ。ただ可愛いなって思って」
つい無意識に思ってことを言ってしまい。俺達の周りだけでなく、食堂中が凍り付く。
やべぇ! ついポロッと。こういうのはイケメンが言うのがいいのであって、ブサメンの俺が言ってもただキモいだけだ!
「あ、いや……その……」
「ありがとう」
ティリナは箸を俺に返し、席を立ち、そのまま食堂を出て行ってしまった。
失敗した。これは確実に嫌われたな。
俺は返してもらった箸を握る。それはまだ少し温かかった。
朝食を済ませると、地獄の座学が始まる。と言っても以前ほど辛くはない。何故ならつい一週間前、全ての補講を終了させ、晴れて自由の身となったからだ。あの時のシャバの空気程上手いと感じたことはない。
教師陣との無料ワンツーマン補講を生き残った俺にとってただの座学など敵ではない。だが大勢の人に紛れることが出来たからと言って安心はできない。何故なら
「それではこの問題を……レンジョウ君。答えて見なさい」
補講のおかげで前教師陣に俺の名前を憶えられてしまった。こうなると『迷ったときはこいつに当てとけばいいか』なんて非常に迷惑な思考に陥るのだ。
そしてこれで今日通算六回目。これだけ人がいるのに俺だけ六回。控えめに言ってもう少し自重して欲しい。
軽く昼食を済ませると、いよいよ訓練が始まる。
日本にいた時の俺達の本分は勉学だったが、異世界では世界を守るために力を付けることだ。否応にも気合いが入る。
まー俺は世界を守るだなんて大それたことは出来ないのでせめて見える範囲を守れるだけの力を付けようと思う。
訓練内容は以前と変わらない。素振り組、模擬戦組、実践組に分かれて、それぞれ訓練する。最近では素振り組も随分と減り、俺のいる模擬戦組は大所帯になった。
人が増えたのはいい事なのだが、ペアーを作るとなった途端、誰も目を合わせてくれなくなる。それはまさかの上野もだった。
兵士達も同じだ。あの日の勢いはどこへやら、逃げるように他ペアーへの指導をしている。
「あの日、思いっきりしすぎたかな? 怖がられてしまった」
「なら、私としようよ」
救世主現る。声の主は食堂で逃げられてしまったティリナだった。一瞬彼女の蒼い瞳と目が合う。お互い無意識に目を逸らす。
いや、俺が逸らすのは分かるが、ティリナまでどうして逸らすんだ?
少し甘ったるい空気二人の間に流れたが、模擬戦が始まればそんな空気は一瞬で吹き飛ぶ。
「どうしたの? もっと攻めないと」
「分かってますよ!」
と言いつつ一切反撃させる余裕を与えてくれない。模擬戦が始まって、終始彼女のペースだ。俺が使える武器を総動員しても糸口すら見つけることが出来ない。
両手利きも時間が経てば相手は慣れて来る。物真似に至っては本人に敵う訳がない。眼を駆使し、動きを先読みしてもそれ以上の情報量と速度で対処してくる。全く歯が立たなかった。
調子に乗っていたわけではないが、こうして負けるとまだ自分には伸び代があると再認識できる。足りないことがたくさんだ。
訓練が終わると、夕食前に師匠の所に行く。
今度は魔力の訓練だ。
そう言えば魔力に関して使用からこんなことを聞かれたことがあった。
「ヒサノの魔力は誰に覚醒して貰ったの?」
「自分で覚醒しましたけど」
「今なんて言った? 自分で覚醒した? そんなこと出来たったけ?」
俺は覚醒までの経緯を一からすべて話した。
「あはははーーーそれ本当? お腹痛い。お湯に潜って精神統一、魔法を食らう……そんなんで覚醒する訳ないじゃん!」
やはりか……あの本、本当にインチキ本だったんだな。地味に当たっていることがあったから実は知られてないだけで本来あれが正しいやり方なのかと思ってたよ。
「だけど、君のその揺らぎのない魔力にもこれで納得がいったよ」
師匠によると魔力の覚醒には外部からの刺激が必要だったのは正解だったようだ。他者の魔力の波により刺激し、魔力に波を付けるのが正しい手順のようだ。一方俺が覚醒に使ったのが魔石という点だ。魔石にはほとんど波が無い。だから刺激が小さく覚醒しても俺自身の魔力にも波が少ないそうだ。
「それならどうして今まで魔石でやらなかったんですか?」
「簡単だよ。そんな小さな波を感じ取れないからだ。ヒサノは覚醒する前から魔力に敏感だったって事だね」
こうして師匠の弟子といると毎日新たな発見ばかりだ。
ただ当たり前だが雑談ばかりをしているわけではない。正しい魔力の使い方を教えてもらい、初日は覚束なかった体外への魔力の放出も随分とスムーズに出来るようになった。
こうなると考えてしまうのが、この魔力の塊を遠距離攻撃として使えないかだ。現状俺には数えきれないほどの課題があるが、遠距離攻撃への対処もその一つだ。今身に着けている武器はどれも近距離戦のみその効力を発揮する。つまり距離を取られ遠距離からチクチク魔法戦に持ち込まれるとめっぽう弱いのだ。
そのため遠距離攻撃の取得は急務だった。
その事を師匠に伝えると
「止めておいた方がいいね」
「どうしてですか?」
「まずその魔力の塊は今ヒサノが制御しているから球状を保っている。つまり制御から離れてしまえば、魔力は形状を維持できず、空気中に霧散する。だから魔法として変換する必要があるんだよ。それに魔力単体の威力はほとんどない。蚊に刺された程度の痛みしかないと思うよ」
オススメしない所かただの無駄遣いになるだけか。暫く遠距離攻撃問題は解決することは無いかな。
訓練を終えると誰もいない温いお湯に浸かり、夕食を食べる。
それを済ませば、漸く自由な時間かと思うが、そうはいかない。この後は師匠との座学の時間だ。そう魔術の授業なのだ。
魔術について習い始めて数週間。今は基礎の基礎を習っている真っ最中だ。魔法陣も魔法式も言わば文字の集合体。まずはそれを書くための文字を会得しないことには話が先に進まない。
ただ幸いなことにあまり数は多くない。記号も含め三十個程度だ。ただその組み合わせで意味合いが全く違って来る。強いて礼を上げるなら英語に似ている。立った一文字違うだけで全く意味が変わってくる。リスニングやスピーキングは苦手だったが、ライティングは得意だった。
あっという間に文字を覚え、今はその式について教えてもらっている。
最近教えてもらったものだと『放出』、『吸収』、『強度強化』と言ったところだ。
「師匠、火とか水とかの属性が無いんですけど」
「ん? あー言い忘れていたけど、属性を与えるためには魔法陣が必要なんだよ。式単体では属性は出せない。たまに式を習わずいきなり魔法陣描きに飛ぶ馬鹿がいるけど、本来は式を学んでから魔法陣からさ。まー少し時間はかかるけど心配しなくてもそのうち教えるから」
師匠との座学が終わり、漸く自由な時間になる。と言っても外は既に真っ暗。寮も明かりが付いている部屋の方が少ない。
それでも俺はこの時間が嫌いじゃない。
星と月を眺め、眠りに就く。こうして俺の多忙な異世界生活はまた一日終わる。