記憶が消えた救国の勇者
初の短編です。
暖かい目でご覧ください。
魔王を討ちし勇者一行。
彼らの素晴らしい活躍により、人々は魔王たちによって虐げられていた日々から解放された。
しかし。
討ち取った魔王の腹心が生きていたのだ。
腹心は勇者を刺し、倒れる勇者に涙を流しながらも、一行はなんとか腹心を討ちとった。
友である賢者の腕に抱えられた勇者は死ぬ間際に、独自が編み出した魔法を発動させた。
“超時間的大治癒魔法“
多大なる魔力と時間を要する魔法。
膨大な魔力を持つ勇者であるからこそ、使える魔法だった。
生死に関わるとなれば、掛かる時間は計り知れない。
今生の別れを悟った友らは勇者が何かを伝えようと口を開いたのに気づき、最後の言葉を胸に刻み込む。
「数年、数十年、かかったとしても、私は、私は…」
55年後ー
勇者一行が魔王率いる魔族の大群を退け、平和な世の中になってから55年の月日が流れた。
世は目まぐるしく変わり、今まで魔族により進化出来なかった文明は著しく発展した。
発展の中心には魔法がある。
生き物全てが体内に所有する魔力。
魔力を素として外部へと影響を与えるのが、魔法。
魔法を用いて、より暮らしやすい生活を送っていた。
魔法学園。
世界中の人間が集い、魔法を学ぶことができる場。
かつて勇者一行の1人である賢者が創立した、身分も歳も問わず、皆が等しく魔法を学ぶことができる。
空に浮かぶ学園はどこの国にも所属せずに独立し、既存の魔法を学ぶ者、教える者、まだ見ぬ魔法を探し求める者と多くの人を受け入れることで、誰もが喉から手を出して欲しがるほどの知恵・技術を持ちながら、どこの国も手出しが出来ない鉄壁の場所であった。
学園の中心に浮かぶのは、一つの塔。
限られた人間しか立ち入ることの出来ない塔には様々な考えが飛び交う。
図書館にさえ保管できない禁書が封印されている、とか。
夜な夜な魔法を追い求める学者の霊が徘徊している、とか。
または、過去何かしらの禁忌を犯した罪人が、幽閉されている、とか。
塔の真下。
人の立ち入りが禁じられている場所に、人影が。
慣れた手つきで塔へ繋がる魔法陣を見つけ、呪文を唱える。
淡い光に包まれれば、影は始めからなかったかのように、消えてなくなる。
コツコツコツ
塔の中は立ち入りが禁じられているが、掃除の魔法が常時発動している。
埃一つ落ちていない塔内部は綺麗だ。
螺旋状の長い階段を登る足音が一定のリズムで響く。
時折壁に開けられた窓から見える景色は学園の全貌ではないものの、絶景である。
しかし見慣れたものだと一才の興味も示さず、ただ長い階段を登っていく。
階段を上り切り、塔の最上階。
足音が止まったのは棟内に一つしかない扉の前だ。
シンプルな鉄製の扉は、しかし簡単に開けることは出来ない。
何十にもかけられた魔法を解き、決められた人間でしか開かないように作られている。
カチャリと鍵が開いた音がし、力を込めて扉を開く。
そこにあるのは、清潔さを保たれた部屋。
読むのを禁じられた禁書も。魔法に取り憑かれて徘徊する学者の霊も、ない。
窓に掛かるカーテンを退け、室内に光を取り込めば、より鮮明に室内の様子が分かる。
窓からほど近いところに設置された天蓋付きのベッド。
日光が差し込み、姿を指し示す。
朝日が目覚めの合図となり、ベッドに眠っていた者がゆっくりと体を起こした。
差し込む光よりも、何よりも、キラキラと輝く銀の髪。
開かれた眼は静かに、だが見るもの全てを包み込み、跪かせる厳かな群青色。
この世の力を集結して作られた宝石よりも目を奪われる、とても、とても美しい少女。
寝起きのためぼんやりとした彼女の前に、自然と跪く。
下げた頭に視線を感じながら口を開いた。
「55年という長い長い時を経て、無事に尊き御命が生還されましたこと。そして、独自に編み出した伝説級特大治癒魔法を、ご自分の身を持ってして完成させたこと。心よりお祝い申し上げます。貴方様の尽力により、魔族に怯え、明日の食事に困ることも、命を断つことでしか家族を守れない民もなく、世界は平和を手に入れることが出来ました。この世に生まれた命全てを代表して、恐れながらもお礼申し上げます。救国の勇者様。」
滑らかに述べられた言葉は魔法の呪文のようだ。
「…救国の、ゆうしゃ…。」
零れ落ちる言葉も可憐な花を連想させる。
少女は静かに瞬きをし、自分の手を見て、部屋を見、最後にまた自分の前に跪く人間を見た。
空だった眼に光が灯る。
灯った光により、一層人を惹きつける群青の瞳を瞬かせ、彼女は息を肺いっぱいに吸い込んだ。
「っ〜〜〜〜〜、私の、部屋で、一体何やってんのよこんのばか賢者ーーー!!!!」
杖もなく、詠唱もない。
しかし叫んだ少女に向けられた手の平に押されるかのように、跪いていたはずの体は気づけば反対方向の壁にめり込んでいた。
「全くっ!」
怒りながら腕を組んだ少女は、しかし自分の体に異常を感じて首を傾げた。
想像していた体よりもやけにコンパクトだな、と。
腕組みをやめて自分に手のひらを開いて見る。
「な、ナニコレ?!」
慌てて体にかかる毛布を取り払ってみれば、全てが可笑しいことに気づく。
まだ認められないとベッドから転げ降り、キョロキョロと辺りを見る。
「姿見ならこちらに。」
「あ、ありがとう!」
良いところに探し物があったと振り返ればもう逃れることなどできない。
繊細な細工が施された姿見に映るのは、光り輝く銀髪、惹きつけられる群青の眼、宝石よりも美しい見目。
だが重要なのはそこではない。
ふらふらと姿見に近づけば、同じように鏡の中の人物も動く。
表情は自分の今の気持ちをまるで鏡写のように。
絶望に、染まっている。
ガシッと短い手で姿見に縋りついた。
映るのは、確かに光り輝く銀髪と誰の目も惹きつけて離さない瞳を持つ、極上の美しさの人間だ。
ただ、
「なんかすっごい小さくなってんだけど?!」
短い手足、ぷくぷくのほっぺをもつ、大変可愛らしい幼子というだけ。
少女の前から姿見が退けられるが、現実を受け入れられずに頭を抱える彼女はそれに気づかない。
そういえば人がいたと気づいた彼女が近くの存在を辿れば、それは先ほど壁にのめり込ませた人物。
しかしデカい。
下から見れば頭部と思わしき部分が影になって見えないくらいデカい。
相手は知っている人間だと、少女はデカさを気にせず食ってかかった。
「ちょっと賢者!この状況はどういうことなの?!なんで私小さくなってるのよ!てかここどこ?!はっ、まさかあなた、厨二病拗らせしすぎて変な性癖に目覚めたの…?!だからってなんで私を巻き込むのよー!ロリが好きでも引かないから他の可愛い子にしなさいよー!私は何がなんでも魔王を討伐しなきゃなんないって、あなた知ってるでしょー!てか僧侶たちは?まさかあなたの性癖を受け入れて、私を売ったんじゃないよね…?え、いやー!やめてー!助けてー!全員で企まれたら私どう頑張っても逃げられないじゃないのー!恨むから…。恨むから…!何かあったら、というか王子と結婚させられたら、恨むからー!」
ドスドスと中々の強さで太ももを殴る。
騒ぎまくっている中、こんなにズタボロに言っているにも関わらず、賢者から何も言われないのは可笑しいと言葉をとめて、仰ぎ見た。
ゆっくりと巨体を動かし、足元の少女に細心の注意を払いながら再度跪く。
目線を合わせられ、少女は違和感を覚えた。
彼は静かに頭を下げる。
「勇者様。貴方様の御言葉を否定すること、大変心苦しくはあるのですが、どうかお聞き入れいただきたい。私はかつて魔王を討ちし勇者一行の1人、賢者ではありません。」
記憶の中の賢者よりも、真摯な黄色の眼。
「私は賢者であるユージーンの孫。魔法により眠りについた勇者様の身の回りを整える役目を賜っている者でございます。」
言葉も、態度も。
少女の記憶の中にいる賢者とは違う。
振り幅の大きい差異が、より彼女の脳を混乱させた。
「…ま、ご…。」
「はい。今年で17になります。」
17の身長ではないのでは。
少女の記憶にある賢者は、知能派でありながら一見格闘家に見える恰幅のよさであったので、血は確実であるが。
現状を把握するために、少女となってしまったかつて世界を救った勇者は、一先ずベッドに戻ることにした。
しかし身長が足りずかかえてもらうことになる。
腰を据えた勇者はベッドに腰掛け、立ったままのかつての仲間、賢者の孫から説明を受ける。
魔王の腹心により致命傷を負った勇者が、独自に編み出した治癒魔法により、ずっと眠りについていたこと。
この塔はかつての勇者一行が力を合わせて作った寝床だということ。
勇者の体が縮んでしまったのは、魔力を使いすぎてしまったからではないかということ。
勇者が眠りについてから、55年の月日が流れているということ。
賢者の孫の情報に加えて衝撃事実ばかり告げられて、勇者の頭はすでにパンクしそうであった。
「65年前に国を出て、魔族をバッサバッサと倒しながら旅を続けて、10年かけて魔王を討って、世界は平和……て、待って!私たち魔王はもう討伐したの?!」
「はい。」
魔王はもうこの世にいない。
魔王は、もう。
自分が目指していた目的が、討伐したのは自分であるのに、いつの間にか誰かに横取りされたような感覚。
手が、体が、震える。
我慢ならないと立ち上がり、勇者は拳を天井に突きつけた。
「ナイス私!!」
いやっほーとベッドの上ではしゃぎまくる勇者。
「…悔しくは、虚しくは、ないのですか。己が使命が、いつの間にか消えてしまって。」
「全然?最高だよー!みんな幸せなんでしょ?いいじゃん!いいじゃん!寝てる間に世界滅んでましたーとかよりもずっと良いよー!記憶ないのがあれだけど、世界救えたなら問題無し!」
よくやったぞ、私たち!
上手く褒められないが、それでも自分を目一杯褒めてやる。
「…流石、というのか…」
ベッドの上ではしゃいでいた勇者は何かに気づき動きを止める。
「え待って。ってことは、王族と無理やり結婚させられることも、魔族を沈めるための生贄にされることもないってことだよね?え、待って!」
孫に向かって走り出し、しかしベッドと床の差を考慮してないが故に勇者の体は地面に向かう。
落ちる前に、孫が抱えているが、抱えられたまま、勇者は興奮冷めぬ様子だ。
「私、自由ってことだよね!ね!」
「は、い。悪はもういないですし、この場所は、国に所属していません、ので、」
「じゃ、じゃぁ、私、やりたいことがあるの!」
ぎゅっと小さい手で孫の服を握りしめる。
そうだ。
小さい体になったのも、必要なことだったのかもしれない。
自分の夢を、叶えるために。
「私、学校に行きたい!」
魔王討伐という使命を押し付けられたあの日から、ずっと夢見ていた学校生活を送るために。
キラキラと輝く瞳はあまりに眩しく、孫は目を細めた。
「…もちろん。貴方様の願いは叶って然るべきであり、この場所は貴方様の願いを叶えるためにあります。ご案内いたします。世界最大の魔法が詰め込まれた、魔法学園を。」
「っ〜〜〜〜〜、うん!ありがとう!ぁ、聞いてなかった、あなた名前は?」
「…私のような道草に興味を示していただけるとは。恐悦至極にございます。私の名前は、ヒルガルデットシューデルキラビッド。」
「なが。」
「祖父に付けて頂きました。」
やっぱり賢者は厨二病拗らせ野郎だと心の中で罵る。
「なんて呼べば良い?」
「…そう、ですね。…厚顔ながら、ぜひ、勇者様の好きなように、呼んで頂きたいと、思います。」
「好きに…。」
意外に難しいことを注文され、勇者は悩むも答えはすぐにでた。
「じゃ、ヒデキって呼ぶね!」
「ヒデキ…。なんと新しく、しかし力強さと知能を兼ね備えた響きでしょうか…。家宝にいたします。」
「いやただのあだ名だから。」
ぴくりとも動かない真顔で言われるので、冗談か本気かわからない。
賢者とは別の意味で扱いにくい男である。
学園を案内すると言われて塔を出ることになったのだが、勇者は体が全回復していないようで歩くことがままならず、ヒデキに抱えられることとなった。
「ごめんね…。」
「いえ。至福でございます。」
長い螺旋状の階段はいつ終わるのか分からない恐怖がある。
ヒデキは毎日これを繰り返していたらしいから恐怖など感じないが、1日も欠かすことなくこの階段を上り下りするのは尊敬に値する。
勇者はふとヒデキの言葉を思い出す。
勇者の身の回りの世話をしていた、と。
「私の役目は身の回りを整えること。貴方様は勇者一行が発明した魔法により、塵一つ触れられず、清潔が保たれておりました。決して、私が御身に触れるようなことはありませんでしたので、ご安心ください。」
考えを読まれたと体が驚きに揺れる。
真摯な態度に、ヒデキが勇者に不埒なことをしたとは考えにくい。
「ただ、賢者がね…。」
やつは勇者の異常な身体能力と魔力量を解明するため、日々魔法使いと共に「体を解剖させろ!もしくは血をよこせぇ!」と追いかけてきた人物だった。
警戒してしまうのは仕方がないことである。
階段が終わりを迎え、塔の最下。
扉も何もない場所を不思議に思いキョロキョロする勇者をそのままに、ヒデキは詠唱を唱える。
移動式魔法陣が展開されたと勇者が認識した時には、すでに対となる魔法陣の上に立っていた。
「早い!」
「移動を滑らかにするため、詠唱の簡略化と発動にかかる時間及び移動時間を大幅に短くすることに成功したのです。」
肩に乗せられた勇者は何が始まるのかと首を捻る。
ヒデキは相変わらず無表情だ。
「失礼致します。」
知らない詠唱を唱えたヒデキ。
驚くことに、詠唱が終わると勇者の目の前を白が覆う。
白は羽だった。ヒデキの背から、彼の体に合う翼が、生えていた。
「?!?!?!?」
世界が一瞬にして変わったのは、ヒデキが羽ばたいたからだ。
重力を感じないようにしてくれているようだが、強い風は感じる。
目を瞑っていた勇者は風が止んだと同時に目を開き、感動に声を上げた。
雲の上に浮かぶは緑豊かな楽園。
ただ一つの天空都市である魔法学園は土地の争いがないためか広大な敷地を持つ。
高さのある建物は学舎か研究所か。
離れたところに制服を身に纏った学生や教員、研究員の姿が見える。
「貴方様の願いを叶えるために、勇者一行の皆様は魔王討伐から帰還された後も多くの偉業を残されました。ある方は、勇者様がもう二度と権力に縛られないように、人間の所有権はそれぞれにあると独立権を勝ち取り。ある方は全ての生き物が所有する魔力を一時的ではありますが歴代の勇者並に高める方法を見つけ出し。ある方は魔族進軍によって傷ついた人々が皆等しく安心安全に暮らせるように、生活水準を向上させる画期的な知識を全世界に広め。そして、ある方…といっても私の祖父ですが。誰もが何にも縛られずに魔法を学ぶことができるようにと作られたのが、この魔法学園です。」
「みんな、が…。」
感動に胸を打ちながら目下に広がる学園へと目をやる。
ふと目に入ったのは、突如脱ぎ出した生徒たち。
「ん?」
互いに筋肉の自慢を始める。
次に目に入ったのは白衣を着た研究者。
「は?」
死に物狂いで逃げる学生を追いかけまわしている。
近くにいたのは教師。
「ちょ、」
止めることもなく笑って見ている。
またそこかしこに置かれているのは不気味な動物らしきものを模した彫刻。
「…………。」
誰かさんたちの性質があまりにも反映されすぎている様に、堪えられず体が怒りに震える。
「あいつら…。今すぐ会いに行ってその性根叩き直してやる…。」
だが勇者が眠りについてから55年。
ヒデキが言うように魔王を討伐したのなら、討伐時点で最年長になる者の歳は51だ。
どう考えても、生きているはずがない。
「ヒデキ、その、みんなは…。」
乗せられたままの状態で、ヒデキの襟をギュッと握る。
彼らは勇者一行。
化け物じみた回復力だったし、魔王討伐後に神様みたいな人から寿命を伸ばしてもらえたとかで、もしかしたら。
「………みなさん、は、………」
しかしヒデキの言葉の詰まりようから、分かってしまった。
もうこの世にはいないのだと。
もう彼らと話すことも、喧嘩をすることも、何もできないのだと。
あまりにも悲しくて顔を背けた勇者。
涙は流したくない。
涙を流すのは、いつも彼らのそばだけだと決めていたから。
グッと溢れ出てくるものを堪え、顔を上げた勇者は視線の先に何かを見つける。
はじめは小粒程度の。
それは徐々に大きくなり、姿が現れる。
「ヨォ、勇者。久しいなぁ!」
ヒデキが気づいてすぐさま距離を取ろうとするが、退路を断つために囲まれていた。
無表情のまま現状をなんとかしようとするヒデキの頭をポンと撫で、勇者は大丈夫だと頷いた。
じーっと目の前の人物を見る。
首を数度捻り、顎を上げた勇者は綺麗な笑顔を浮かべた。
「んー?ごめん、誰だっけ。覚えてないや。」
「お前を死の一歩手前まで追い込んだ魔王様の腹心ダァ!!!!」
黒い翼に角、牙。
しかし唯一瞳だけは、彼らが物のように弄び、そして殺す人間の血のように赤い。
2人の前にいるのは、かつて勇者一行が滅ぼした魔族であった。
額に筋を浮かべてキレ散らかす魔王の腹心とやら。
しかし勇者は全く見覚えがないのだからどうしようもない。
「あはは。私、自分よりも格下以下の魔族とか覚えられないんだよね。」
てへ、と自分の頭に手を置く。
沸騰間近の腹心を、周りにいた魔族たちが止めていた。
落ち着くために息を整えた腹心は、しかし勇者の姿を見て面白いと笑う。
「はははぁ!格下以下だなんだと言っておきながら、我が攻撃によって死にかけ、そして今!そんな無様な姿になっているではないかぁ!だがさすが勇者というべきかぁ。お前を刺した魔剣には猛毒を染み込ませていたぁ。一度体に触れれば腐敗が始まり、じわじわと体を侵食したやがて死に追いやる、そんな猛毒がなぁ。」
腹心の言葉を聞いて、勇者は驚いた。
「え、何それ。魔剣…は多分大丈夫だろうから、問題は毒の方だよね?私が死にかけた原因。えっ、私に毒が聞いたの?なんの毒?」
勇者には毒が効かない。
これは有名な話であった。だから勇者は、自分を死に追いやった毒の存在が気になる。
ふんと息を吐いた腹心は、嬉しそうに胸を張る。
「お前が殺した、我が主人!魔王様の血だ!!」
「うげぇ!まじ?めちゃくちゃ汚いじゃん。」
途端魔族の目の色が変わる。
「汚いとはなんだぁああ!!」
「いや事実!他人の血液とか汚いよ?!細菌とかさ!」
魔族の耳に、勇者の声は届かない。
内容は聞こえず、しかし憎き相手の声というだけで怒りはさらに燃え上がる。
「忌々しい…。貴様ら勇者一行がいなければ、この世界は正しく魔王様に統治されていたというのにぃ!目が覚めれば世界には人・人・人ぉ!人で溢れかえっているではないか!腑抜けた奴らの顔を見ていると腹が立って仕方がない!ぐちゃぐちゃにしてやろうと、腹の底から力が湧き上がるのだ!」
突然腹心の動きが止まり、ゆらゆらと体が揺れる。
勇者は何をするのかわからず、警戒を強めた。
腹心の動きに合わせて、周囲の魔族たちの姿も揺れ始める。
小さな声で、ヒデキが勇者に耳打ちする。
「魔王の腹心、“幻のターゲ・ルドワム“は幻術の魔法を使うことで知られています。自分よりも能力の低いモノは全てやつの幻術に引き込まれ、意識がないところをなぶり殺される、と。」
「こわぁ。」
彼らを倒せたというのなら、勇者一行は腹心よりも能力が上だったということだ。
しかし今の勇者は記憶もなく、姿も幼い。
危機感を抱いているのかと言われれば、そうでもない。
ふと65年前とされる今の自分と、魔王を討った後の自分。
そこの違いに気づいた。
気持ちが凪いでいる。
目の前の警戒すべき敵に相対しても、警戒こそすれ、脅威と感じていない。
何も、感じない。
揺れていた腹心含む魔族たち。
次第に彼らを軸として風が吹き荒れ、透き通る青空は黒ずみ、下からは悲鳴が聞こえる。
どうやら頭上の騒ぎに気づいて、学園の生徒や教師、研究員たちが集まっていたらしい。
数は中々に多く、今も人伝いに騒ぎを聞きつけ、人はどんどん増えていく。
「なはははは!ここを魔王様の復活と、世界征服の始まりの地としようではないかぁ!」
広いグラウンド。
そこに現れた魔法陣。
復活の魔法陣は多大な魔力を凝縮させ禍々しく赤く光り、グラウンドを覆うほどの大きさだ。
「む!魔力が僅かばかり足りないか。」
ちら、と腹心の視線が眼下の人々へ向けられる。
ニヤリと笑う腹心を見て、勇者はまずいと思った。
「ちょうどいい。」
逃げろ、と叫ぶよりも早く、魔族たちは人々へと襲いかかる。
しかし魔法学園に通っている者たちだ。
教師たちが先んじて防御壁を展開させ、生徒たちも邪魔にならないようにいくつかのグループに固まっている。
小賢しいと呟いた腹心は、幻術の魔法を放った。
がくり、と何名かの教師が地に伏す。
それ以外の教師たちも意識が朦朧としているのか、防御壁が上手く保てていない。
その隙を狙って魔族が魔力の多い生徒に狙いを定める。
生徒も応戦するが、腹心の魔法がを躱しながら魔族を相手にするには、荷が重い。
押される学園の人々の元へ駆けつけようとする勇者の前に、腹心が立ち塞がる。
「気の毒になぁ、勇者。世界を背負い戦い疲れたお前は、また我々と戦いに明け暮れる日々を送らなければならないんだからぁな。しかも!そんな体でなぁ!生き物の中でも特に弱い幼子の体で、一体どうやって我々を殺すんだ?気の毒だぁ。かわいそうだぁ。もう戦いたくないよなぁ。かつての仲間もいない、独りぼっちの勇者様ぁヨォ。」
話しながら腹心から放たれる魔法。
ヒデキが勇者を抱えながら避ける。
徐々に精度が上がってきて、ヒデキの体をかする。
「ヒデキ!」
「大丈夫です。勇者様をお守りできるのなら、この程度の傷、なんてことはありません。」
だが長期戦になれば圧倒的に人間側が不利であることは分かっている。
「ヒデキ、私を守らなくていいから!あっちの人たちを助けて!」
抱きしめられた状態で、勇者はヒデキを見上げる。
ヒデキは首を振って勇者の願いを拒否した。
「貴方様の願いを聞き届けなければならないことは重々承知しております。しかし。私は、祖父と約束したのです。貴方様が戦えないのなら、私が盾となり、お守りすると。」
なんだそれは。
あの、賢者が。
憎たらしいほど上から目線で、狂った目で追いかけまわしてきた賢者が、自分の身を案じたとは。
笑えてくるじゃないか。
当たらないことにイラついた腹心。
「賢者の孫ぉ。賢者と同じく鬱陶しい人間だぁ!あぁ、そうだ、思い出したぁ。勇者一行。奴らは本当に、本当に鬱陶しいことこの上ない奴らだったんだぁ。力がないくせにぃ。弱い弱いただの人間のくせにぃ。勇者の力を享受することでしか戦えない木偶の坊のくせにぃなぁ。足が折れ、腕が吹き飛んでも、しぶとく、しぶとく。死にかけの勇者を守って自分たちが死にかけるなんて、なんて無様だろうかなぁ!」
思い出して笑いだす腹心。
その腕が、消えた。
「はぇ?」
否、消えたのではない。
吹き飛ばされたのだ。
ヒデキは自分の腕の中の存在がいなくなっていたことに気づく。
彼女はヒデキと腹心の間に浮いていた。
凄まじい存在感を放って。
強い存在感は、彼女の所有する魔力と同じ。
魔王よりも強大な魔力量をもつ彼女の威圧感を前に、腹心は無意識に体が震える。
自然と思い出した。
初めて、勇者と対峙した時のことを。
魔王よりも存在感のある生き物に出会った時のことを。
彼女は怒っていた。
かつての仲間を侮辱されて。腹が立って仕方がなかった。
その怒りが爆発的に魔力を引き起こし、彼女の姿をかつての、55年前の姿へと戻していた。
幼さのある姿でも美しかったが、大人へと変化した彼女は生き物全てを圧倒するほどの輝きに満ち、魔族であろうと人間だろうと関係なく、意識を奪われる。
ゆっくりとした動作で自分の手を見ては握る。
目の前で震える腹心を見て、あぁ、と笑った。
「久しぶりだね。あれ、すごく痛かったよ。初めての痛みだった。なんの毒使ったの?」
とん、と自分の胸を指しながら、自分を刺した相手に微笑みかける。
呆けた腹心が唾を飲み込んで口を開く。
しかし開き切る前に、腹心の頭と体は離れて塵と化した。
「まぁ、解毒できたなら興味もないや。」
ヒデキには何をしたのかさえ見えなかった。
勇者は視線を下へ、魔族と、攻撃されている人々に向ける。
一瞬で下へ移動した彼女は、人々の前に立ち、手を横に振った。
瞬時に塵となる魔族たち。
へたり込む人々へ治癒魔法をかけ、グラウンドへ向かう。
先ほどよりも赤黒くなった、魔王召喚の魔法陣。
ドクン。
ドクン。
心臓のよう音が響く。
魔力が足りないと言っていたから、召喚は失敗するのではないのか。
しかし、魔法陣周辺にドンっと重い魔力が降り注ぎ、魔法陣と同じ赤黒い光の柱が立つ。
皆が理解した。
魔王が召喚されてしまう、と。
恐れ慄く人々とは逆に、静かな勇者は気にせず魔法陣へと歩いた。
魔法陣の中心。
最も魔力が凝縮された場所から、角を始めとして人外級に美しい男が現れる。
彼こそが、世界を滅ぼし我が物にしようとする存在。
魔王である。
「ははは!ははは!ハハハハハハハハハハハハハハ!!復活したぞ!!やはり!余は世界を征服する運命にあるのだぁ!!!勇者がなんだ!!全て滅ぼしてや、」
「ふんっ。」
魔王が復活に立ち上がったところを、勇者が抑える。
「え?」
魔王の角を両手で持ち、グググと押し込む勇者。
「は、何この状況。何この状況?!誰だ余の角を触ってるのは、って勇者?!は、え、なんで?!なんでこの世界にいるんだ?!」
押し込んでくる勇者の力に対して、外に出ようとなんとか踏ん張る魔王。
「なんでって、お呼ばれしたからだって説明したでしょ?忘れたの?破壊したから記憶まで持ってかれちゃったのかな。」
「違う!それは知っている!貴様は余を殺した!定はその時に終わったはずだろう?この世界に留まる必要性はない!それなのに、なぜ、戻らなかったのかと聞いているのだ!」
「あぁ。女神が魔族討伐の凱旋に参加しろってうるさくてさぁ。それ終わったらあっちに帰るつもりだったんだよ。でも君のところの腹心君が私のこと殺すからさぁ。」
互いに一切の力を緩めることなく。
かつての決戦の時と同様に、全力でぶつかる2人。
しかし会話ややり取りから気安さが滲み、まるで従来の知であるかのような雰囲気。
「はぁ?!あやつは死んだはずだ!!…まさか、女神か!」
「御名答!」
「死んだということは、体の組織がこちらの原子を取り込み蘇生した…つまり、こちらの人間となってしまったのか。」
「ま、そういうことだね。」
「〜〜くそっ!お前は、お前だけは、戻らなきゃだったろうが!」
「仕方ないよ。女神の方が一枚上手だったってだけ。」
ガチィッ
鋭い音が周囲に響く。
勇者と魔王が額をぶつけた衝撃だった。
強靭な肉体をもつ2人のぶつかり合いは衝撃波を生み出して、突風を巻き起こす。
「でも諦める気はないんだ。必ず、あの女神に一泡吹かせてやる。」
「……繰り返す気か。」
「うん。私は記憶を。君は仲間を。また蓄えて、あの場所で会おうよ。」
「……次は俺が勝つからな。」
「ふふふ。やってみなよ。次も私が勝つからさ。」
拮抗する力。
しかし魔力量の多い勇者が押し始める。
魔法陣へと戻される魔王はニヤリと笑った。
「また合間見えようぞ、勇者!そして次こそは、余がこの世界を征服し、天も地も、命さえも!全てを手中に収めるのだ!それまで精々恐怖に震えて過ごすといい、人間ども!ははは!ははは!ははははははははははは!!!!!」
ぐっ、と最後まで押し込んだ勇者はすぐに距離を取り、禍々しい魔法陣へ掌を向ける。
魔王を押し込んだばかりの魔法陣が震え始め、やがて魔法陣を突き破って巨大な化け物が姿を現した。
不完全な状態で無理やり膨大な魔力によって魔法陣を起動させ、召喚に失敗した場合。
術者を殺そうと魔法陣の化け物が出てきてしまう。
この場だけだはなく、この世にさえ、魔法陣を描いて起動させた術者の腹心はもういない。
化け物はそれでも対象をその手で殺すまで、全てを壊し尽くす。
魔法陣の化け物を目の当たりにし、騒ぎになる学園関係者を横目に見る勇者は視界を化け物に定めた。
「[【『天に座すは御身のみ。天地全命全てにおきて御身の手打ちに収めたり。一日と過ごすに忘れることなく御身をそばにと望み給う。勇者の称号を賜りた我が願いを聞き届けたまえ。』】]」
聞き慣れない言葉。
だがなぜか懐かしい。
暗い空から一筋に光が勇者に降り注ぐ。
「キレイ…」
誰かがポツリと呟いた。
スポットライトを浴びる勇者は鼻で笑う。
「相変わらず、私たちはあなたの話の登場人物にしか過ぎないんだね。」
勇者が化け物に向ける目には、同情が含まれている。
せめて、安らかに。
「希望の光」
勇者の掌から放たれたのは金色の光。
それは輝き星の矢となって化け物に突き刺さり、化け物は塵となって消える。
悲鳴か呻き声が悲しい泣き声で、聞いている者の同情を誘う。
だからと言って同情してはいけない。
奴は人の同情を誘い、隙を狙って殺すのだから。
勇者もそれを知っているはずなのに、彼女の顔は酷く辛そうだ。
魔法学園関係者たちは目の前のことを理解した途端、発狂した。
勇者しか使えない伝説級の魔法を、その目で見ることができたからだ。
生きている間に実物を見る事が出来たと勇者を拝むものや、興奮したまま両親へ急いで報告しようとするもの、やはり魔力量が膨大でないと使えないのか!と分析するものと、場は興奮に包まれている。
化け物がいた場所を静かに見る勇者。
ヒデキがその後ろ姿を見ていると、彼女の姿がぼやけて、縮んでいく。
目覚めた時と同様、幼子の姿に戻った勇者は、体が傾いたかと思えば地面へ垂直に落ち始めた。
悲鳴を上げる間もなく、ヒデキがその体を受け止めることで事なきを得た。
ほっと息を吐くヒデキは、すやすやと気持ち良さそうな顔で眠る勇者を腕に抱え直した。
治療室へと連れて行かれた勇者は、今、学園の廊下を全力疾走していた。
廊下では通り過ぎる生徒、教師、研究者が「あれが目覚めた勇者か」と様々な思いが込められた目で見てくるが、気にしている余裕はない。
必死の形相で走る勇者の、後ろを走るのは2人。
「待つのだ、勇者よ!我が妻として王国に戻り、再び王国を世界の頂点へと導こうではないか!」
長い手足を魔法で強化してキラキラと背後に薔薇を背負う人物。
整った見た目ながら、周囲の微妙な反応からして、見た目を上回るほどに性格に難がある。
かつての勇者一行を送り出した王国の第二王子である。
「お祖父様が常日頃、「勇者を手にしていれば、今頃王国は世界の覇者であっただろう」という言葉!我が時代に叶えるべく、妻となれ!」
「なんで王国の、しかも王族がいるの?!」
魔法学園は性別も年齢も、身分さえ問わずに魔法が学べる場所。
王族も平民も関係なく、等しく授業を受けることができる。
賢者の作った学園を素晴らしいと思いつつ、王国の王族は受け入れて欲しくなかったっ…と思わずにはいられない勇者。
王子の後ろからは、ヒデキが。
「勇者様、お待ちください。まだ心身ともに万全な状態ではありません。治癒室へ戻るか、もしくは私が抱えて走りますので、お待ちください。」
「この状況で止まったら捕まるよ?!」
真顔でなんてことを言うのか。
もしや自分の動きを止めて、この王子に自分を売ろうと言う魂胆か。
ヒデキが敵に見えて、さらに速度を上げる勇者。
角を曲がった時、すぐそこに人がいた。
驚く勇者は距離を取ろうとするが上手く避けられずにそのまま衝突。
衝撃をあまり感じなかったのは、そこにいた人が受け止めてくれたからだろう。
ふと、体から触れる魔力に懐かしさを感じ、勇者は思考を巡らせる。
この魔力は誰だ?
追いついた王子とヒデキ。
倒れ込む2人を見て、ヒデキは声を上げた。
「祖父様!」
「?!」
体を起こしてみれば、下敷きになっている人間の顔は確かに、見覚えのある、ヒデキによく似た人物。
ただ勇者が覚えているよりもずっとシワが刻まれており、無くした記憶を初めて実感してしまう。
「い、きてたの…」
「死ぬわけがないだろう。君が起きて、僕の偉業を全部聞かせるまでは、死んでも死にきれない。」
この言い草。言葉選び。目線。呼吸。
確かに勇者一行に選ばれた、賢者である。
ガバッと、その胸にしがみつく。
「おや。55年も眠っている間に、随分と可愛らしいことをするようになったものだ。」
恥ずかしさよりも、何よりも、生きていたことが嬉しすぎる。
自分を知っていた人。自分が知っていた人。
この世界で数少ない知り合いに会えたことが、何者にも変え難いことに思える。
熱を持つ目尻を隠し、賢者にしがみつく。
「うるさい、ばか…」
軽く笑いながら、賢者も勇者を抱きしめ返す。
強い締めつけに賢者の思いの強さを感じたのだが、賢者の体が不自然に揺れている。
なんだ?と首を傾げれば、賢者は笑っていた。
「……僕の腕の中に自ら入ってきたってことは、自分で自分を差し出したって、捉えていいんだよ、ね?」
「え。」
「くくく、ははは、くははははは!!遂に君の体を調べられるとは!これで魔法学は一歩、いや、神話級の勇者を調べるんだ、一歩どころじゃない、百歩は進むことだろう!血液検査から筋力検査まで、隅から隅まで、一雫の血液さえ零さず、完っぺきに調べさせてもらうよ!!!」
「いぎゃーーーーーーー!!放せこの変態眼鏡ーーーーーー!!!」
逃れようと動き回る勇者。
しかし不完全なままの勇者と老いてはいるが魔王まで討伐した賢者。
双方の知識の差は明らかだ。
勇者が逃れられない速さで魔王さえ縛り付ける魔法を展開し、彼女を縛り付ける。
勇者と賢者が出会ったのは、それぞれが14歳のとき。
つまり、66年の時間をかけて、賢者が勇者との鬼ごっこに勝った瞬間であった。
陸に上げられた魚のように動き回る勇者を満面の笑みで抱える賢者。
その黄色い瞳は、こちらを見ていた王子に向けられる。
「やぁ王子。どうしてこの二学年の校舎に?君の学年は確か一学年だったはずだが。」
「もちろん、救国の勇者と婚姻を結ぶためだ!勇者は王国の、引いては王族の所有物!であれば、勇者の身柄は王族である我が預かり、無事に王国へと送り届けるのが正しいことであろう!そして勇者を使い、いずれ王国は再び世界の頂点に、」
「孫。」
「御意。」
賢者からの短い命令に、ヒデキは短く答える。
鈍い音に続いたのは土埃。
地面に伏す王子はなんとか息を吐いた。
状況が掴めずに目を白黒させている。
「教師として、生徒である君の過ちは正さなければならない。故に言わせていただく。一つ、40年前に勇者一行の1人である戦士が提示した人権問題について、各国から多数の同意を得たことにより、個々の権利は国ではなく個人にあり、独立したものとすることが定められた。よって、勇者は王国でも、ましてや王族の所有物でもない。もう一つ。勇者一行の活躍で無事魔族が消滅したことにより、現在世界は平和を保っている。もちろん諸外国での戦争がちらほら見られるが、学びも、喜びも、ましてやその日の糧さえもなく、家族を奪われ絶望に伏すことはない。で、あるにも関わらず、勇者を自国に縛り付け、その戦力を持って世界を支配する?君、世界を混沌に追いやるつもり?」
優しい口調で、優しい顔で。
告げられる言葉にはしかし重みがある。
笑顔で凄む賢者を前に、王子は唾を飲みこんだ。
「ち、違う!我は別に、世界をどうとかではなく、王国が、世界各国をまとめれば、もっと平和になると、」
「馬鹿め。勇者は使い方によっては、世界さえ滅ぼす兵器だ。それを一つの国が所有することで、何が起こるか考えることも出来ないのか?そうなれば保たれているパワーバランスが崩れる。結果、出来上がるのは、55年前と同様、勇者の権威を傘にきた王国が周辺諸国から全てを搾取する未来だけだ。」
「そんな…だ、だって、お祖父様は、王国が世界の頂点に立ってたから、だから、世界は平和だったのだと…」
項垂れる王子に賢者が向ける目は冷めたものだ。
「情報操作か。偏った知識だけを植え付けられたとは、可哀想に。」
何かが割れる音が賢者の耳に入る。
勇者が賢者の拘束魔法を解いた音だった。
彼女の攻撃の流れなどは分かっていたためすぐに距離をとる賢者。
避けていなければ綺麗な蹴りが入ったのに、と悔しそうな勇者の顔を見て優越感に浸る。
「話を聞いてたけど、相変わらず王国はクソだね。でも、君はまだ大丈夫だ。」
伏す王子の前に、膝を曲げて屈んだ勇者は笑う。
「本当の話を知って、絶望したなら、まだ救いはあるよ。この学園で、偏ってない知識、いろんな国の人との触れ合い、体験、そういったものを通して、何が本当で何が嘘かを知っていけばいい。最終的にそれをどう受け止めるかは、君次第だけどね。多分君のおじいちゃんに当たる人、私の知ってる人だと思うけど、あいつはだめ!何言っても聞く耳持たないからさ、その内何も言う気が起きなくなっちゃったよ。」
「あ、ちなみに、君が無理やり結婚させられかけた人、この王子の祖父にあたる人だけど、まだ生きてるよー。」
「おげぇ!まじ?!うわぁやだぁー。会いたくなーい。」
「いやぁ〜、王族と結婚させられかけた君が、「魔王討伐してくるから王族との結婚なしにしてくれ」って土下座したの、本当に面白かったなぁ。」
「ほんっとに嫌だったもの。あれまじ切実な願いだった。」
2人のやり取りを聞いていた王子は、祖父からの話との大きすぎる違いに何がなんだか混乱を極めていた。
だが勇者の目にも動きにも、私利私欲など欠片もない。
多くの人の目に晒され、欲まみれな世界が当たり前であった場所で育ったからこそ、王子が身につけた力。
スッと入ってきた言葉は飾らず驕らずありのまま。
誰を気遣ったわけでもない、王子を気にかけたわけでもない、ただ自分の考えを言っただけ。
だからこそ、心に響く。
胸がポカポカする理由が分からず、しかしその暖かさは嫌なものではなかった。
「話はヒデキに聞いたよ。なんか魔王討伐後に皆色々してくれたんだってねー!」
「ヒデキ?誰だそれは。」
「お前の孫だわ。」
「なんだその変な名前は。」
「いいじゃん。元の変な名前よりずっといいし。」
「ふん。相変わらずのセンスに何も言えないな。」
「いや相変わらずはそっちでしょ。学園の至る所にあった変な像、あれなにさ。厨二病全開で趣味に走りまくったやつ。」
「なっ、最高の芸術品が分からんとは!やはり君とは相容れない。研究材料となることが一番の君の有効活用だな。」
「こっちのセリフなんですけど。」
言い合いを繰り出す2人だったが、賢者がピタリと動きを止める。
勇者もつられて動きを止めた。
「…魔王討伐後、僕たちは世界がよりよくなるように動き回った。それは別に、旅の道中に君から聞かされた理想を形にしようとしたわけでもない。出来たからやっただけ、形にした方が世界のためになるからやっただけ。まぁ、ただ、君の話がひどく滑稽な話だったとしても、それをさも実現できるかのように語る様に、不思議と勇気をもらったことは認めよう。」
「ツンデレか。」
記憶がない勇者としては、旅の道中にどんな話をしたのかは分からない。
しかし、今、1人でも多くの人が幸せだと笑えているのなら、よくやった自分と褒めたくなった。
「あーそういや言ってなかったけど、私今記憶がなくて…。」
記憶がある前提で語られる話に仲間はずれといった疎外感を感じるよりも、嘘をついていることの罪悪感が強く、勇者は罪を告白する人のような気持ちになり、頭をかく。
「そうなのか。…君が腹心によって刺され、魔法によって眠りにつく直前、願いを口にしたのだが、それさえも忘れたということか。ふむ…。忘れてしまっているのなら、せっかく叶えたというのに意味がなくなってしまうな。」
命の危機に瀕している中、それでも叶えたいと信頼できる仲間に伝えた願い。
よほど強い気持ちが込められていることが分かる。
しかし記憶が消えている勇者には、それを自分で知ることは不可能だ。
「願い、って…」
魔王を討ちし勇者が願ったこと。
騒ぎに駆けつけた野次馬が耳を澄まし、どのような願いなのかと唾をのむ。
世界のどこかに眠っているとされる禁じられた魔法書の入手か。
大海を割り、海の底にあるとされている不老長寿の薬を手に入れることか。
はたまた各国の戦争が二度と起きないよう、各々が所持している兵器の破壊か。
ニヤリと笑った賢者。
「ーーー……食堂……ーーー」
発せられた言葉を聞いた周囲の頭の中は疑問符のみ。
食堂がどうかしたのか。
しかし勇者だけは分かったのだろう。
驚きに目を見開いている。
「ま、まさか、でしょ…うそ、そんな…!」
賢者は後ろを指差した。
「真っ直ぐ行って、突き当たりを右。」
言葉が終わると同時に、目にも止まらぬ速さで走り出した勇者。
賢者の横を通り過ぎる際、必要なものを受け取る。
記憶がなくても分かってしまう。
勇者がずっと叶えたいこと。
食堂に到着した彼女の目に入ったのは、食堂の端に出来た人集り。
「売店」の文字に、音もなく飛びついた。
誰も彼もが自分の昼食を手にしようとするそこは戦場だ。
押しのけ押しのけの繰り返し。
そうして戦場を潜り抜け、手にするのは勝利。
「とったーーー!!!」
振り上げた彼女の手。
売店にいる女型のゴーレムがニコッと笑った。
「焼きそばパン一つ、毎度アリ〜」
呆然とする人々をそのままに、ヒデキは祖父である賢者に近づいた。
滅多に笑わない祖父は今日よく笑っている。
「クックックッ…。やはり記憶がなくても変わらず勇者だね。」
55年前ー
“超時間的大治癒魔法“
息も切れ切れな勇者を囲む一行は、彼女がその魔法を発動するのをその目で見ていた。
今生の別れを悟った友らは勇者が何かを伝えようと口を開いたのに気づき、最後の言葉を胸に刻み込む。
「数年、数十年、かかったとしても、私は、私は…」
皆が耳を澄ませる。
「焼きそばパンを、食べ、る…。」
その後に付け加えるように、「可能、なら、売店で、パンの取り合い、が、したい…。」と続けられて。
長年連れ添ってきた、仲間が、友が、発する最後の言葉を聞き逃さぬようにと神経を研ぎ澄ませていたところ。
落とされた言葉は爆弾なみの威力を持って、勇者一行を爆笑させた。
歪な呼吸音、血の気が抜けた顔。
だというのに告げられた言葉のなんと間抜けなことか。
自分が生きることを疑わず。死ぬことなど一切考えない。
笑いすぎて涙が出てくる。
「はー…。もー、分かったよ。その願い、必ず叶えよう。」
かつての出来事を思い出し、また笑いが込み上げてくる。
55年前とは思えない。
昨日のことのように覚えている。
「ありがとう!賢者!」
「これくらいどうってことはない。魔王を討伐することに比べたらね。」
「確かに!」
勇者はキラキラと目を輝かせて焼きそばパンを見る。
元の世界では、お昼は給食かお弁当。
不満があったわけではない。
しかし、マンガで見たワンシーン。
売店で焼きそばパン巡った争いを繰り広げるシーンに、とても憧れていたのだ。
念願叶った幸せを噛み締める。
さっさと食べろ、と目線で脅してくる賢者に促され、勇者は覚悟を決めて焼きそばパンに噛みついた。
パンの柔らかくそれでいてしっかりとした弾力性は失われず。
焼きそばは、パンと合うようにしっかりと味付けがされている。
上に乗っけられている紅生姜が良いアクセントだ。
至福。
うっとりと顔を緩めた勇者。
目が覚めたら、突如魔王は討伐し終えた55年後であると言われ。
記憶が消えていることがわかり。
世界は平和に包まれている、かと思えば魔族が復活して、魔王も復活を果たした。
勇者の中にある目標は、いつだって変わらない。
ただそれだけを目指して進むだけ。
だが今だけは。
この幸せな時間だけは、堪能しなければならないと、勇者はもう一度齧り付く。
「最高〜〜〜」
これは、記憶が消えた勇者と、そばで勇者を見守る賢者の孫、勇者を取り巻く人々の物語である。
いずれ孫視点とかも書いてみたいなぁと考えているところです。
その時はまたよろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!