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元ねこ、大学へ行く  作者: 在江
第二章
9/16

元ねこ、新幹線に乗る

 夏休みに入った。

 よくわからないが、宿題はたくさん出ているらしい。結局のところ、心霊学は総合人間学と実技なので、その中でも自分の専門を極めるとすれば、やはり実技を(みが)くだけでなく、一般的な勉強も必要とされる、と日置純一郎が言っていた。


 純一郎は、お盆が明けるまで、京都へ帰っている。純一郎は、居れば何かと俺と理加の世話を焼いて(うるさ)いが、いないと成瀬を喜ばせることになるので、痛し(かゆ)しとはこのことである。


 現に、純一郎が帰省したと知るや、弁護士成瀬の訪問回数は、格段に増えている。

 理加も追い返せばいいのに、嫌な顔もせずに招き入れるから、尚更(なおさら)つけあがるのである。


 今日も、手土産持参で、夕食を一緒にとっている。手土産はお得意様からもらった、という干物セットである。俺の好きな干物を持ってくる辺りが、(あなど)(がた)い。


 「え、那須高原(なすこうげん)へ行くのですか。明日から?」


 成瀬が()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

 俺は危うく魚の骨が喉につかえるところだった。理加は平然として魚の身をきれいに剥がし、俺の皿に分ける。


 「ええ。1週間ぐらい留守にするけど、絹子叔母さんがいるから、急な用事があれば叔母さんに言ってね」

 「言ってねって……」


 成瀬の不安げな視線が、俺に向かう。にやりと笑ってからかってやってもいいのだが、事をややこしくすると後で理加に叱られるので、(こら)えて無視した。


 理加は話が終わったものと思って食事を続けている。

 沈黙、或いは自らの疑念に耐えきれなくなった成瀬は、おそるおそる質問した。


 「誰と行くんです?」

 「理斗」

 「2人で?」

 「そう。他に誰と行くのよ。レポートを出さなくちゃならないの」


 夏休みの宿題の一つに、地方の伝説と心霊現象の関わりを調べよ、というのがあるのだ。

 理加は東京生まれ東京育ちで、両親とは既に死別していて絹子叔母も東京に住んでいるから、帰省という手段が使えないのである。


 どうせ行くなら涼しい方へ、ということで、伝説も多そうな那須高原を選んだのであった。理加の心霊能力は全て俺がもらっている。俺が付いて行かなくては、始まらないのである。


 那須に行く、と純一郎に言ったら

 「あんまり大物には手をつけるな。理斗の手に負えないぞ」

 と忠告された。


 もう3年目になるというのに、成瀬には、未だに俺が理加の飼い猫だった、ということが理解できないらしい。


 一応、親戚筋の子ということで収まっているものの、惚れた女とよく知らない男が泊りがけで出掛けることに、相当な危機感を抱いている。


 俺も近頃人間の事情に通じてきた。

 那須高原は有名な避暑地で、貸別荘やらペンションとかいう宿が多い。若い男女が恋を実らせる手段として、そうした建物を利用する、ということぐらいは知っていた。

 成瀬の気持ちは察するが、猫と飼い主が出掛けるだけなのだから、理解しない成瀬が悪い。


 「1週間か……」


 食事の途中だというのに箸を置いて席を立ち、壁に掛けてあった背広の内ポケットから手帳を取り出して、スケジュールを確認し始めた。


 理加は成瀬の行動を気にも留めず、箸を動かし続ける。理加の無頓着さにも時々呆れるが、これも俺が理加の能力を奪ったせいなのだろうか。ますます責任重大である。


 「ううむ。ああ、そうだ。念の為に、宿泊先の電話番号を教えてもらえませんか」

 「食事が終わったらね」

 「そうでしたね。終わったら、ですね」


 食事中ということをすっかり忘れていたらしい。慌てて飯を掻き込む成瀬は、理加が食事を終えないと教えてもらえない、という事まで考えが至らないようであった。

 弁護士は優秀な人間がなるものと聞いていたのだが、成瀬は例外なのだろうか。俺の方が余程頭がよいと思う。



 新幹線、というものに初めて乗った。電車や地下鉄に比べて速い。飛び降りたら確実に死にそうである。


 間違って飛び降りないように、窓も開かない。びゅんびゅんと通りすぎる電柱を見ていたら目が回ってきたので、椅子に寄りかかった。ボタンを押すと背凭(せもた)れが倒れるのが面白くて、倒したり戻したりしていたら、後ろの客に注意された。理加が俺の代わりに謝る。


 「大人しく、じっとしていなさい。チーズちくわでも食べる?」

 「うん」


 俺の好きなちくわとチーズが一緒になっている。駅の売店で理加が買ってくれたのだ。あっという間に食い終わり、理加に手を拭いてもらって目を閉じた。そのまま、目的地まで俺は眠り続けていた。


 那須は上天気で、東京よりは少し涼しいような気もしたが、暑いことには変わりなかった。

 駅には、石で出来た蛙や大きな鍋やら、おかしなものがいくつかあった。

 理加はそれらの写真を撮っていた。それから車を1週間借りる手続きをして、俺と荷物を車に載せた。


 「理加は車を運転できるの?」

 「大学へ入る前に免許取ったから。教官乗せないで運転するのは初めてだけど」


 全部の意味はわからなかったが、とても不安な状況だ、という気がした。理加は道路地図を開いて、俺に持っているように、と渡した。


 「まずホテルに行くわよ。途中でよさそうな店があったら、そこでお昼ご飯を食べよう」


 お昼ご飯、と聞いて俺の心に希望が湧いた。車はそろそろと動き出した。

 タクシーには乗ったことがあるから、理加の運転がお世辞にも上手くないのは、よくわかった。


 それに、乗っているのが正直怖かった。幸い、東京に比べて、車も人も信号も格段に少なかったので、クラクションの洗礼も受けず、駅前から脱出して大きな道まで進むことができた。


 しかも、ホテルへ続く道は渋滞で、スピードを出せない状態だった。


 「観光シーズンだからねえ」


 理加は自分のレベルで運転できるとあって、余裕が出てきたらしかった。


 最初のうちはウインカーを出し忘れたり、ブレーキとアクセルが一瞬どっちだかわからなくなっていたりしていたようだが、少しずつ慣れてきて、動きがスムーズになってきた。


 俺も安心して外の景色を眺める気持ちになった。


 幹の赤い、松の木が両側にたくさん生えていた。手前には青い花が茶色くなりかかりながらも、頑張って咲いている。猫の体で走り回ったら楽しそうな景色だった。木登りしまくって、鳥や蛇を掴まえたりしたら面白いだろう。


 「昭和天皇がこの松林を愛されて、保存するようにおっしゃったのですって」


 その人のことは知らない。こういう場所を残した点には、親近感を覚えた。やがて松林は消えて、色んな木の間に食べ物屋がぞくぞく登場してきた。


 看板もたくさんありすぎて、何が書いてあるのか、全部読めないうちに車は移動していく。

 信号が少ない分、食べ物屋から出てくる車は、なかなか車列に入れて(もら)えず苦労しているようだった。


 「一旦入ると出にくいのかあ。駐車場が一杯でも困るし、一種の賭けだよねえ。どうする、理斗? お腹空いたよねえ。ホテルまで当分あるけど、我慢できるかなあ」


 「できない」


 だよねえ、と理加はため息をついた。昼には少々間があるものの、沿道の店で食べている人々は多く、食べ終わって出ようとしている車も多かった。そのうち俺は、うまそうな店を見つけた。


 「理加、あの店がいい。肉、肉」


 駐車場にも余裕がありそうと見たか、理加は俺の要望を受け入れて、車を停めた。観光地らしい煉瓦風(れんがふう)の建物。メニューには極上の黒毛和牛、とある。


 席は満席で少し待っている人もいたが、俺の鼻に届いた旨そうな匂いは、俺を捉えて離さなかった。大して待たずに俺と理加は昼食にありついた。


 脂ののった柔らかい肉を、食べる前に理加に小さく切ってもらって、俺はむしゃむしゃ食べた。旨かった。そして食い終わると俺は眠くなる。


 気が付いた時は、ホテルに着いていた。チェックインして部屋へ行く。ベッドが2つ並んでいる部屋で、窓から見える風景が広々として、俺の気に入った。


 「ちょっとひと眠りするから、邪魔しないで」


 理加は慣れない運転で疲れたようで、着の身着のままでベッドの上に転がり、寝入ってしまった。俺はたっぷり睡眠を取ったので、退屈である。


 部屋の外へ出た。同じようなドアが並んでいて、何処から出たのか分からなくなりそうである。部屋へ戻ろうとしたが、ドアは開かない。鍵がかかっているようだ。


 仕方なく廊下をうろうろすると、エレベータにぶつかった。下へ行けば何かあるだろう。俺にだって、そのくらいはわかる。1階のボタンを押して箱の中で待っていると、扉が開いたときには入口に着いていた。


 さっきはゆっくり見る暇もなかったお土産屋さんがある。ガラス細工のほかにも漬物やらワインやら、食べるものはいっぱいあるものの、俺の食欲をそそるものはない。


 どれも箱に入っていたり真空パックになっていて、匂いもよくわからない。

 牛タン燻製(くんせい)なんかはおいしいかも、と思った。字が読めなかったら、土産も選べない。

 ハーブを使ったポプリなんていうのも売っていて、鼻も近付けぬ先から強烈な匂いに頭がくらくらした。暇つぶしに一通り見て、玄関から外へ出てみると、ちょうどバスが到着したところだった。俺は嫌な気配を感じた。

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