元ねこ、初実習を見る
図書室で先輩と話しているうちに、時間が思ったより経ってしまった。
チャイムが聞こえてから慌てて集合教室へ向かうと、着いたのは、チャイムが鳴り終わった瞬間であった。
心霊学部の3年生が全員集合しても、20人足らずである。遅れれば目立つ。しかも、竹野の爺は、時間通りに来ていた。大貫先輩曰く「期待の3人組」が駆け込んでくると、銀髪爺は、にやりと笑って言い放った。
「さて、留年予定組がきたから、出発しようか」
竹野教授は、明るいグレイの格子縞のスーツを着て、若草色のネクタイを締めている。
先頭に立って階段を降りて行く後を、皆でぞろぞろついて行った。バス通りを抜けて、南大門を出て左へ折れて行く。
いい年をした兄ちゃん姉ちゃんが、金魚の糞みたいに格子縞の竹野教授の後を付いていくものだから、道を行くビジネスマンや、病院へ通うらしい婆さんたちが、遠慮仮借ない視線を向けてくる。ちなみに、心霊学部は、ポン大としては女子の比率が高く、4割を占めている。
小さな店が建ち並ぶ急坂を下って行くと、白い大きなホテルの手前に、低い鉄柵があった。
「××××××所 碰上庁舎」
誰かがプレートを読んだ。竹野教授が門前に立つと、門脇の警備室から、警備服に身を固めた男が出てきた。
「そろそろ来ていただける頃かと、お待ち申し上げておりました」
「ほう。連中が騒ぎ始めたのかね」
「そうなんです。まあ、あいつらの目に見えるのは、多分自業自得なんでしょう」
「そうとも限らないから、厄介なのだよ」
竹野爺と警備のおじさんは、並んで意味の取れない話をしつつ、俺達を奥へ導いた。
立派な前庭の向こうには、白亜の建物があった。俺たちが案内される先は、建物の脇である。
どうも薄暗くて嫌な感じがする。ほかの学部生たちも、同じ嫌な雰囲気を感じ取っているらしく、落ち着かない。
落ち着いているのは、教授を除くと、理加と純一郎だけであった。理加は、そういう能力を持たないから、反応がないのはわかるが、純一郎が落ち着いているのは、不可解だ。
白亜の建物の脇を通りぬけて奥まで来ると、いきなり手の込んだ庭園風の景色が広がっていた。
周囲を大きな木が取り巻き、外と隔てているため、余計に別世界に見えるのである。敷地は、外から見るよりもずっと広かった。
「こっちだぞ」
竹野教授が先頭に立ち、学生を導く。勝手知ったるなんとか、である。植え込みの間を通りながら、俺達はだんだん核心へ近付きつつあった。
俺は、できれば逃げ出したかった。だが、理加が教授のすぐ後を譲らないので、頑張って一緒に前へ出ていた。日置が何時の間にか、理加の側を離れ、一行の一番後ろについていた。こわいのだろうか。
岩が見えた。低木が上手く配置された陰に、ひっそりと一つ。直前まで目に見えず、それまではわからなかったが、こいつが嫌な気分の元凶であった。
天然の岩ではない。コンクリートだ。均質で無表情な灰色の面が、5つあり、残る1面は地面と接している。そして、その周りに。
「何が見える?」
ご覧ください、とばかりに左腕を無駄に美しく伸ばした竹野の爺は、にやにやしていた。
心霊学部3年生の反応は、様々であった。顔色を変える奴、へたり込む奴、感心して近寄りたそうな様子を見せる奴、目と口を丸く開いて硬直する奴。
しかし、どいつも、コンクリートの周囲にいるもののことは、見えている様子であった。理加以外は。
「見えません」
理加は、無表情で言いきった。竹野は、別に怒るでもなく、俺を指差した。
「こら。お前が綾部の目なのだから、すぐに教えなくては、いかんじゃないか」
俺は、竹野が何をいっているのか、理解できなかった。純一郎が何時の間にか隣に来ていて、教えてくれた。
「その井戸の上にいる、殆ど人間の形をなくした恨めしそうな女の顔と、左にいる、あどけなく頭と鼻から出血している男の子と、右に座っている爺さん、下にうろうろしとる大量の犬猫のことや。よう、見てみ。門で見かける三毛猫たちとは、ちょい違っとるやろ」
俺が相槌を打つ前に、他の男子学生が付け加えた。
「もしくは、濃いブルーの不定形と、オレンジ色の円形発光体と、灰色っぽい、ぼやけたもやもやだな」
「と、すると、多分井戸に居座っている女が元凶で、それが子供やお年寄り、犬猫の雑霊を引き寄せているのね。違いますか」
理加が、急に能弁になって、竹野に同意を求めた。竹野教授は、手を叩いて、「その通り」と答えた。俺が一言も言わないうちに、色々なことが片付いてしまった。俺は、つまらなかった。
竹野は、続けて、学生の一人一人に、各々の霊の見え方を説明させた。純一郎が下から俺の耳に息を吹きかけた。
「今の話は、わかったか」
「わからん」
俺はぶすっとして答えた。相手が理加ではないから、遠慮はいらない。純一郎は小声で解説してくれた。
「お前は、綾部から指示を受けた場所に、今みたいに生き物とちゃう奴を見つけたら、それがどんな奴でどこにいるのか、綾部におせるんや。そうすれば、綾部は危険から身を守ることもでけるし、お前は飼い主に恩を返せるって訳」
「ふ、うーん」
言い方は多少気に食わんが、言わんとするところは、わかった。その時、理加が口を開いた。
「それだけじゃない。私が、そこの化け物を倒せ、と言ったら、理斗は何とかしてそいつを消さなくてはならない」
「どうやって」
「それを、これから勉強するの」
理加のいう通りであった。竹野教授は、学生の答えが一巡すると、腕を組んだ。
「さて、手始めに、こいつらを消してもらおうか。あ、小さい奴からでいいよ」
学生達の間に、ざわめきが広がった。教養過程の2年間にも、学部授業と称して、霊体出現理論だの、気合の入れ方とか、まあ、基礎の基礎らしきものは教えてもらっていたらしいが(俺は寝ていた)、いきなり初対面の霊を消せ、といわれても、できる訳ないのが普通であった。
霊の方は霊の方で、自分たちの存在の危機を感じ取ったか、怪しげな動きを見せ始めた。襲い掛かってくるかもしれない。その不安が、学生達の緊張感を高め、辺りの空気も変化させつつあった。
「理斗。お前、あの犬猫の雑霊に触っておいで」
理加が言った。俺は、今はなき尻尾の毛を逆立てた。
「やだ。こわいもん」
思わず知らず、後じさりする。理加が眼光鋭く睨みつけた。こっちも、相当こわい。
ピンチを救ってくれたのは、以外にも竹野の爺だった。教授は、どさくさに紛れて俺と理加の間に入り込んでいた、純一郎に呼びかけた。
「日置くん。どれか、一つ、消して見せたまえ」
「はい」
純一郎は、すっ、と前へ出た。すると、気のせいか、霊達が不安に慄いて、少し後ろへ引いたように見えた。日置もそう見えたのだろう。ふうっ、と力を抜いた。霊達は、安心した。
”Requiem aeternam dona eis、 Domine、 et lux perpetua luceat is……" ※
突然、純一郎が訳のわからん言葉を喋り出した。同時に、その身体から、淡い光が発せられた。
霊達は慌てて散ろうとしたが、その時、純一郎が腕を振った。
掌から明るい光束がほとばしって、男の子と老人と犬猫の群れを引き裂いた。一瞬にして、霊は消えた。霧が爆発したら、こんな感じだろうといった、消え方であった。
あとに残ったのは、浮かんでいる女の霊のみ。相変わらず、恨めし気な崩れ顔をしている。
とりあえず自分が指名されずほっとした他の学部生たちは、同期の中に、早くも抜きん出た能力を示す者を見せ付けられ、驚愕していた。
平気な顔をしていたのは、理加だけである。あ、俺もである。
俺だってすごいんだぞ。竹野教授が言うには、人間の形をした猫なんて、まずその辺にはいないんだとか。それに、純一郎が強いってことは、最初に会ったときに知っている。
「あー。他の人の分も消しちゃった」
竹野が呟いた。
「すみません」
「その女の人は、どうするのですか」
と、男の学生。どうするって、お前、撫でてやる訳にはいかないだろう。
竹野は、にやりと笑った。
「じゃ、早川君、やってみるかね」
「え、あ。いいです。無理です。できません。すみません」
余計な口を利いたのを、後悔している。竹野は、銀髪をひょいっと手で梳いた。緊張した気配が漂い出した。もとより、黙ってみている幽霊ではない。崩れた顔に、憎悪が湧き出してきた。攻撃すべく、霊は動こうとしたとき。
「はっ!」
気合で金縛りにしてしまった。もがく、霊。
「臨兵闘者、皆陣列在前!」
わからん言葉を早口で唱えながら、両手を組んだりほぐしたりした。終わった途端に、竹野の身体が金色の光に包まれた。あまりのまぶしさに、俺は目をつぶった。きっと、大抵の者はそうしただろう。理加以外は。
「あ、攻撃する前に、消えた」
竹野教授の声に、俺達はおそるおそる目を開けた。光は薄れて、辺りに金色のもやとなって流れていた。コンクリートの辺りは、今は何もなかった。ただ、ちょっと嫌な感じが残っているだけだ。
「うむ。今年のは、少々弱かったな」
顎をなでながら、竹野爺が呟く。
「ひょっとして、毎年こんなことをしているのですか」
おずおずと尋ねる女子学生に、彼は答えた。
「当然。そうしなきゃ、授業にならないだろう」
「つまり、講義の為に、霊の集まりやすい場所を近所に確保しているのですね」
理加の言うとおりであるらしい。
「国の施設じゃなきゃ、難しいだろう。あと、お金があるところとかも」
純一郎が駄目押しをした。
「皆、今の話は、秘密だぞ。相手がお役人だからと言って油断するな。霊を扱う者に要求される能力の一つは、秘密を守れることだからな。何故だかわかるか、早川君」
「霊の出現には、個人の秘密が関わっていることが多いからです」
早川くんは、今度は教授の要求に応えられて満足そうであった。
「そう。この授業は、諸君が理論で学んだことを実践する場である。進む方向が違う者もあるだろうが、最低限知っておいた方がいいこと、というのはどの学問にも存在する。だから、面倒でも将来のためと思ってなるべく出席しなさい。今日は、これで終わりにする。内部の見学をしたい人は、残りなさい」
ほとんどの学部生が残った。
※ ラテン語。主よ、永遠の安息を彼らに与えてください、そして、彼らを永久の光で照らし