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元ねこ、大学へ行く  作者: 在江
プロローグ
2/16

元ねこ、捕まる

 首に柔らかい物が巻きついた。と思う間もなく、そいつは俺の首を引きにかかった。


 く、苦しい。俺は立ち止まった。すると、ぴたりと苦痛が治まった。

 次いで、首から引き剥がそうとしてみたが、それはだめだった。首輪をはめられた気分である。


 俺は、先刻の男の追い討ちがないのを幸い、振りかえって新たな登場人物を観察することにした。首輪の持ち主には、殺意が感じられなかったからである。


 一番近くにある建物から、その男は出てきたらしい。大きな格子縞のスーツを上品に着こなしていながら、見事な銀髪を駄々っ子のようにあちこち反らせていた。


 男は、眼鏡を光らせながら、大股にのっしのっしと俺のところへやってきた。近くで見ると、品があるくせに岩みたいに頑丈そうであった。


 「ほ、ほう。こいつは珍しい」


 男は、上から下まで俺をじろじろ眺めまわした。俺は圧倒されて、逃げるのも忘れていた。逃げた方が却って危険だということを、本能的に感じさせる男であった。


 「しかし、そんな成り立ての不安定な身で、あちらこちら出歩いてはいけない。環境にも悪影響を及ぼすし、お前の身体がばらばらになってしまうかもしれない」


 そこまで喋って、岩みたいな銀髪男は、もう一人の存在に気付いたようであった。さっき、俺を足下に敷いた男である。


 こちらは、腕組みをして成り行きを見守っていた。


 こうして改めて見ると、そいつは俺よりも幾分背が低かった。自分よりも小さい人間を目の前にして、俺は何となく優越感を抱いた。銀髪爺も俺の味方らしいし。


 だが、俺の期待は、一瞬で裏切られた。


 「ん……? 君は、日置(ひおき)教授の御子息ではないかね」


 足蹴男は、組んでいた腕をほどいて、怪訝な顔、しかし丁重に答えた。


 「ええ、確かに父は、大学で教授をしておりますが」


 銀髪爺が、笑顔を見せた。


 「じゃ、純一郎くんだね。大きくなったなあ。お父さんによく似ているよ」

 「あ、竹野(たかの)教授でいらっしゃいましたか」


 純一郎と呼ばれた男は、気をつけの姿勢をとった。そのまま、2人は、やれお父さんは元気かだの、構内を見物しているから、もうすぐ来るでしょうだの、と俺を忘れたように、どうでもいい話を始めた。


 俺は竹野とかいう銀髪爺の注意が逸れたので、気が楽になって、そろそろと逃げ出しにかかった。

 が、一歩も踏み出せない。例の首の物が俺を固定しているのだ。前にも後ろにも動かない。


 網にかかったねずみみたいに、じたばたしていると、竹野の注意を引いてしまった。俺は、また大人しくなった。

 竹野が俺を指差す。


 「これは、君が飼い主じゃ、ないよね」

 「違います」


 純一郎は、好奇の眼差しを俺に向けた。


 「猫だか人間だか曖昧な男が、スカートはいて裸足で出歩いていたので、怪しく思って捕らえただけです」

 「なるほど」


 竹野は、俺の眼を覗き込んだ。


 「お前の飼い主は、何処へいったのかね」


 畳に伏した理加の姿が浮かんだ。俺の目から大量の涙が溢れ出した。俺はびっくりした。鼻の奥が痛くなって、鼻水も出てきた。俺は本能的に(はな)(すす)った。しゃっくりが出た。


 「死んだみたいですよ」

 「まさか。死ぬもんか」


 ぴたっ、と涙が止まった。洟は垂れたままになった。純一郎がちり紙で鼻の下を拭いてくれた。鼻がすっとした。竹野が言った。


 「飼い主のところまで、一緒に行ってあげよう。急に君がいなくなって、きっ心配しているぞ」


 俺は感謝の気持ちを込めて、竹野を見た。この銀髪爺は偉い人間に違いなかった。

 銀髪爺は、俺の首輪を動かして移動するよう合図しながら、純一郎に視線を転じた。純一郎は、残念そうに首を振った。


 「わたしは、ここで両親を待ちます。そうでなくても、そろそろ行く時間ですし」

 「ああ、今日は入学式だったね」


 竹野は頷いた。どうもこの2人は、俺に聞こえないところで色々話しているような印象を受ける。気のせいだろうか。


 俺は、来た道を逆にたどり始めた。竹野は少し後ろからついてくる。俺が逃げることなど、念頭にないようだ。油断ではなく、余裕が感じ取れた。変な物を首に巻かれるし、敵にしたくない爺である。


 大きな公孫樹(いちょう)の下を通って、山桜に隠れた焼却炉の角を曲がった。

 緩やかな坂道の終わりに、分厚い門扉が見える。


 その前を、女をおぶった背広の男が、えっちらおっちら、登りつつあった。男の後ろからは、着物を着た女がついてくる。絹子叔母である。と、いうことは、男は成瀬である。


 俺と成瀬は同時に相手に気付いた。成瀬は、背中の女に語り掛けた。ぐったりと眼を閉じていた女は、少し首を持ち上げた。


 「あれが、飼い主かな」


 竹野が俺の隣にきた。俺は、うんうんと頷いた。逃げ出したい気持ちと、駆け寄りたい気持ちとを同時に感じた。首輪のせいで、どちらもできなかった。俺がその場に固定されている間に、理加を背負った成瀬は、坂を登りきった。


 「降ろしてくださる?」


 理加は成瀬に(もた)れて、俺の前に立った。俺が支えてあげたい。でも、そうすると、理加の顔が見られない。


 成瀬は、俺と理加を比べて、薄気味悪そうな表情をした。理加が凭れていなかったら、後じさりしていたかもしれない。

 何の脈絡(みゃくらく)もなく、双子の片割れが出現したら、誰だって驚くだろう。あるいは、男が女の着物を着て、裸足でいることを不気味に思ったのかもしれない。


 絹子叔母は、理加と成瀬の後ろから、心配そうに俺と理加を見守っている。こちらは驚いた感じではない。それに、さっき会った時、俺の名前を呼んだ気がする。


 理加は、遥かに冷静だった。切れ長の眼が、細心の注意を以って俺の全身を観察し、最後に俺の目を覗き込んだ。怒っていた。


 「竹野教授。私のものがお手をわずらわせたようです。連れ帰りたいと存じますが、よろしいでしょうか」

 「君は、新入生だね」

 「はい」


 竹野は、理加の機嫌には、まるで頓着(とんちゃく)しなかった。


 「君の能力は、全てこれに移されたが、これは君から完全に独立した存在でありうる。君は、彼の上にどんな権利を行使するつもりかな」


 理加のもともと青みがかった顔が、蒼白になった。とても、重大なことを言われたらしい。俺には見当もつかない。もっとも、成瀬にも絹子叔母にもわかっていないようではあるが。


 めまいがしたように、理加は額に手を当て、目を閉じた。しばらくじっとした後、再び眼を開いた理加は、もう怒ってもいなかったし、顔色も戻っていた。


 「竹野教授のおっしゃる通りであったとしても」


 やや低い、澄んだ声は落ち着いていた。


 「私の目指す学問を修めるのに、支障があるとは考えません。また、彼が私の物であり、私の物を身につけており、彼も恐らく私と同じ考えであることを以って、彼は私に属するものである、と考えます。よって、私のものとしての権利を行使します」


 理加は、細い指を俺に向けて言った。


 「いらっしゃい」


 それは、長年聞きなれた命令の声だった。俺は、喜んで銀髪爺の側を離れた。何故か、首輪は邪魔をしなかった。


 理加の近くまで来て、俺の歩みはゆっくりになった。以前だったら、頭を脚に擦り付ければよかったのだが、俺の形が変わってしまったために、どうしたらよいの、かわからなくなってしまった。


 俺は、考えた挙句、理加のスーツに頭を擦り擦りした。


 ぺちっ、と頭を叩かれた。顔を上げると、理加が


莫迦(ばか)


 と言った。隣で成瀬が睨んでいる。羨ましいのだ。ふはは。勝った。


 竹野が腕時計を見た。


 「ああ、時間だ。君達も、入学式へ出かけないといかんよ」


 去りかけた銀髪爺に、俺は慌てて首輪を引っ張って見せた。


 「おう、バンダナか。お前にやる。いつか、役に立つだろう」


 爺は去った。俺は、理加に目顔で尋ねた。これからどうするの?

 理加は、成瀬から離れて、独力で立った。


 「もう、いいんですか」


 残念そうに成瀬が尋ねる。結構不届きな男である。


 「大丈夫。それより、理斗を着替えさせないといけないわ。入学式に遅れてしまう」

 「え、こいつを連れていくんですか」

 「置いて行くわけにはいかないでしょう」


 毅然(きぜん)とした理加の態度に気圧されながらも、成瀬は抵抗を試みた。


 「服はどうするんですか」

 「……」


 そのとき、絹子叔母がぽろっと言った。


 「着物を着せたらいいんじゃないかしら」


 かくして俺は、人間になった記念すべき日に、女物の着物で武道館へ出かけた。着付けは、理加と絹子叔母とに手伝ってもらった。成瀬はぶつぶつ言いながら、俺達を見送った。付き添いは2人までだ。


 「帰りに、お前の服を買ってあげるから、しばらく大人しくしていなさい」


 理加が言った。


 「ぬああ」

 「返事は、はい」

 「ふぁい」


 理加が、切れ長の眼で、にっこり笑った。

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