元ねこ、男女関係に混乱する
家に割と近い場所にあるチェーンの居酒屋で、幸運にも個室を確保できた俺達は、メンチカツを食べたばかりなので酒ばかり注文した。
と言っても酒を飲めない俺はウーロン茶、理加はチューハイ、純一郎は生ビール、という選択である。
体裁を整えるために、おつまみも多少テーブルの上に乗っている。
刺身だ。俺は満腹なのを忘れて、思わず手を伸ばしてしまった。刺身大好き。
「話したいことは、ぎょうさんある」
ビールジョッキを半分ぐらい一気に空にした勢いで、純一郎は口火を切った。
「思いついたことから話せば」
俺につられてサラダをつつきながら、理加が応じる。勢いをつけた純一郎の気力が、折れそうな脱力感である。
現に純一郎は、次の言葉が出てこない。口の中でもごもご言ってから、またビールを一口飲んだ。
「男と女の間に、友情は成立するか」
ようやく言った。理加が目を上げる。純一郎と見つめ合う形になったが、2人の間には、何も流れない。
「それは、私とあなたのこと?」
「う。多分、そうや」
「日置くんには付き合っている人がいるのだから、私とあなたの間に友情が成立しなかったら、大変なことになるじゃない」
「そうやね」
純一郎はまたビールを呷った。ジョッキはほとんど空になった。理加がメニューを渡して、次に飲むものを注文させた。
「栗栖さんとの間に何かあったの」
チューハイにはほとんど口をつけていないのに、理加の顔はほんのり赤くなっている。体の状態としては、酔っている。
もっとも、理加は酔っても態度が変わらない。ただし、飲み過ぎると美宇が出てくる。
「クリスには、俺達と同じ能力がある。少しだけやねんけどな」
「知っているわ。学部で気付かないのは、理斗ぐらいよ」
悔しいが反論できない。俺は自棄になって刺身をまとめ食いした。旨い。
そこへ店員がウーロンハイを持ってきて、空になったジョッキを下げていった。手を伸ばしたのは、純一郎である。顔が紅潮している。
珍しく口の重い純一郎から聞き出した話は、こうである。
栗栖舞子が純一郎に興味を持ったのは、自分と同じ能力を持っているからであった。舞子は浪人したくなかったので心霊学部を避けたのだが、本当は行きたかった。
テニスの同好会に心霊学部に知り合いを持つ先輩がいて、その辺りから距離を縮めて話すうちに、純一郎に惹かれたのである。
夏期合同合宿で告白して、付き合い始めたうちは有頂天だったが、そのうちに文学部の友人が気になる噂を仕入れてきた。
純一郎が女性の家へしばしば出入りしているというのである。しかもいつも買い物袋を提げて。
その女性の家というのは、言うまでもない。俺と理加のマンションである。
近頃では、家に来ることなんて、全然なかったのに、噂の方は時間差で伝わったようだ。
問い詰められた純一郎は、無論正直に説明したが、舞子の納得できるものではなかった。俺と理加はいつも連れ立っているのに、何故か恋人同士には見られない。心霊学部以外の人間からも含めて、である。
うーん。何故だろう。同年代に見える筈なんだけど。
互いに恋人を連れて一緒に食事するならともかく、女性の家へ手料理を作りに行くのはおかしい、というのである。そこで喧嘩になった。しかも後期試験に突入したので、しばらく会わない、と宣言されてしまった。
「阿呆じゃないの」
話を聞き終わった理加の最初の一声だった。グラスには酒が半分ほど残っているように見えるが、氷が溶けていてほとんど水である。理加は酔っ払っていて、目が潤んでいた。それともこれは、目が据わっている、と言った方がいいだろうか。
「そこでバカ正直に連絡もしないで、しかも私と飲むなんて。ああ、何て間抜けな。ねえ、理斗」
「でも、飲んじゃったから、しょうがないじゃん」
「そうよねえ」
理加は薄められたグラスを呷った。
純一郎は悄気て二杯目のウーロンハイを飲み干した。店員が素早く空いたグラスを回収していった。
店は徐々に混雑してきていた。理加は、店員を呼んで会計を頼んだ。
「そないなら、どうしたらええの」
「栗栖さんに電話して謝りなさい。もう、私達の家に来て料理を作らなくて大丈夫。これからは、栗栖さんを日置の家に呼んで料理を作ってあげなさい」
「家に来てくれるかなあ」
「あんたに下心がなければ、来るわよ」
「シタゴコロって何」
俺が尋ねると、理加は渋い顔をした。純一郎も答えあぐねている様子だ。俺は大分眠くなってきていたので、しつこく問い質すのは止めにした。
「栗栖さんが落ち着いたら、一緒に家へ来てご飯を食べてもいいわよ。その時は秀章さんも呼ぶから」
純一郎が、ふっと真顔になった。
「好きなん?」
ふふ、と理加は笑って答えなかった。俺もそれを聞きたかったのに。何となく、いつもの理加と違う感じだった。
その晩、俺の眠っているところへ美宇が来た。
叩き起こされ、寝惚け眼で理加の顔が見えたので、びっくりしてベッドから飛び降りた。本人が隠そうとしなければ、理加か美宇かは一目でわかる。
竹野教授に説得されて奥に引っ込んでからも、美宇は時々こっそり表に出てくることがあった。こっそりというからには、理加が寝ついてからである。いつも、目の前に来るまで気配がわからない。毎回びっくりする。
「理加は明日もテストなんだから、身体こき使うなよ」
「今日は、お前と話をしに来た」
美宇はベッドの端に腰掛けた。俺は半纏を羽織って向かいの床に座り、背中を壁につけた。忘れっぽい、という理由で、俺の部屋には暖房器具がない。
「で、何?」
「理加は、誰とも結婚する気がない」
やっぱりそうか。とは口に出さず、美宇の言葉を待つ。
「お前のせいだ」
「どうしろって言うの。俺、理加から離れるのは嫌だ」
「安心しろ。理加もお前を手放すことは考えていない」
俺は嬉しくなって顔が弛んだ。美宇の顔付きは変わっていない。
「理加が、今まで男と付き合ったことがないのは、知っているな」
うん、と俺は頷いた。理加は奥手で、いつも1人でいるような子どもだった。男と付き合ったことがないのはもちろん、友人も少ない。だから俺が、と思ったのだが。
「私としては、理加とお前が結婚してくれれば、竹野教授は以前あのようにおっしゃったが、万が一自分の身体を手に入れられるかもしれないので都合がよい。しかし、お前にその気がないのに無理強いはできない。そこで私が見たところ、理加に思いを懸けている成瀬弁護士に告白させようかと思う」
「ちょっと待てよ」
話を聞いているうちに次から次へと考えが噴き出してきて、俺は口を挟んだ。
「理加が男と付き合ったことがないからって、どうして今急いで成瀬と結婚させる必要があるんだ? 理加はまだ大学生で、世間では職場結婚という方法もあるし、黙っていたって、この先誰かが理加に結婚を申し込むかもしれないじゃないか。第一、理加の気持ちはどうなんだよ。大体、何で美宇が理加の世話を焼くわけ?」
「思いつくまま、いっぺんに色々言うな」
美宇は疲れた顔になった。純一郎に付き合って遅くまで酒を飲んだりしていたから、理加の身体も疲れている筈だ。
話を長引かせないようにしなくてはなるまい。でも、美宇の言いなりになって、理加の気持ちを逆撫でしたくもなかった。
「この娘は奥手でしかも頑固だから、このままでは一生独身で過ごしかねない。私と理加の身体は一緒でも、心は別物だ。どうせなら、人生面白い方がよいではないか、越後屋」
「越後屋?」
何でもない、と美宇は空咳をした。理加の時代劇好きが伝染したに違いない。
それとも、理加の身体だから口が勝手に動いてしまうのかもしれない。理加が起きていれば、『お代官様もお人が悪い』、とかなんとか、言わされるところである。
「ともかく、理加の気持ちまでは私にはわからない。見えるのは、お前と同じ程度だと考えればよい。私の見たところ、成瀬弁護士と結婚するのは嫌がらないと思う。今すぐ結婚させる訳ではない。取り敢えずお付き合いというものを経験させたいのだ」
何となくわかったような気になったが、今一つ納得できない部分もあった。
「何か、隠していない?」
「協力してもらうのに隠し事をしてどうする。考えてもみろ。理加は両親を亡くしている。只でさえ、愛情薄く育ったのに、これから先、一生誰からも愛されることを知らずに死んで行かなければならない、などということになったら、お前は自分の主人に、そんな不幸な人生を送らせても、いいのか」
「いやだ」
「そうだろう。だから私に協力するのだ。具体的な方法については、また今度話し合おう。今日はもう疲れたから、部屋へ戻る」
美宇は出て行った。寒さを我慢していた俺は、早速ベッドへ潜り込んだ。一旦目が覚めると、布団が冷えてしまっていることもあって、なかなか寝つけない。
どこかしっくりしない部分がある。
ちょうど、毛繕いを忘れた場所が一つだけあるのだが、思い出せない感じである。
理加に恋人がいないのは今に始まったことではないのに、そして成瀬は、放っておいても、いつかの時点で必ず理加に結婚を申し込むだろうに、どうして美宇は、今そんなことを言ってきたのか、わからなかった。
考えているうちに眠くなった。
そういえば、居酒屋にいた時の理加は、少し変だった。あの時、美宇は表に出てきていたのだろうか。
だめだ。もう考えられない。眠い。




