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元ねこ、大学へ行く  作者: 在江
第二章
12/16

元ねこ、いらないと悩む

 「うぷぷ」


 俺達を見た竹野(たかの)の爺さんの反応は、噴き出すのをこらえることだった。学生たちが夏休み中でも関係なく、学内で仕事をしていた竹野教授の研究室へ、美宇が憑いた理加と俺と純一郎が訪ねて行ったのだ。


 「本当に、君等の代は世話が焼けるというか、面白いというか。綾部くんは自分で霊能力を使えるようになったし、ニャン太は自分の人生を歩めるし、これで万々歳じゃないか」


 竹野の爺は、その時々の気分で俺の呼び名を変える。最初は記憶力がないのかと思っていたが、そのうちに爺の博覧強記ぶりを目の当たりにして、覚える気がない、ということがわかった。一応俺とわかるので、いちいち訂正はしない。


 それにしても、竹野教授があまりに呑気なので、美宇は毒気を抜かれるし、純一郎は余計に心配が募ったようであった。


 「あの、これは綾部ではなく、憑いている方の人格なのですが」

 「ああ、わかっているよ」


 竹野の爺は手をひらひらさせて応えた。


 「玉藻の前の9番目に仕えていた猫の美宇だろ。綾部くんに子どもを産ませて転生しようと考えているようだが、そんなに母体と融合していたら無理無理。久し振りに新都へ出てきたからって、遊び過ぎだよ」


 美宇が激しく身じろぎした。純一郎が美宇を見て、それから感嘆の眼差しを竹野の爺に向ける。

 俺も真似して、美宇をよく観察してみた。


 すると、いつのまにか美宇が憑いている理加の身体が、光る細い糸で縛られていた。


 美宇は正体を見破られて逃げようとしたのに、果たせなかったのだ、と俺にも理解できた。竹野の爺さんは、美宇の身じろぎが止むのを待って、言葉を継いだ。


 「それに、綾部くんは丈夫ではない。あまりお前が全面に出ていると、綾部くんの人格が壊れてしまう。母体の人格が壊れれば、身体も死ぬし、ニャン太も死ぬぞ。勿体無(もったいな)い」


 ひゅっ、と純一郎の喉が鳴る音が、聞こえた。

 自分が余命数ヶ月、と言われたみたいな表情だ。生き物は全ていつか死ぬのに、人間は自分が死ぬと想像できない動物らしい。


 俺は猫でなくなった時点で死んだようなものだから、死ぬ、と聞いても驚かない。むしろ、理加が死んだら俺も死ぬ、ということがわかってすっきりした。


 理加を残して死ぬのは心残りだし、理加が死んだら俺はどうやって生きたらいいのかわからない。しかし、勿体無い、というのはどういう意味だ。


 「では、どのようにすればいいのですか」


 美宇が丁寧な言葉つきになって尋ねた。どうやら縛られたのが効いて、竹野教授を只者ではない、と理解したのだ。

 その見解は正しい。

 竹野の爺さんは銀縁眼鏡の位置を直し、改めて美宇に焦点を合わせた。


 「こちらの都合を言わせてもらえば、綾部くんに霊能力を持たせてやりたい。それには、美宇くんとやらの人格を分離抹消してしまうのが最良だ。まあ、無理な話だな。わはは」


 分離抹消、と言われて強張(こわば)った美宇の身体から、力が抜けた。

 どうも竹野の爺さんと話していると、美宇の調子が狂うらしい。俺にもその感じは理解できる。

 美宇が大人しくなったところをみすまして、爺さんは話を再開する。


 「そこでものは相談だが、綾部くんを表に出して、美宇くんは綾部くんの心の友になってもらえれば、丸く収まる。どうせ何百年も那須の山中で暇を持て余してきたのだろ。あと百年くらい待っても大して変わらない。きっと、この百年は、これまでの数百年よりも面白い筈だ。綾部くんが寿命で逝った後は、自由だ。どこへでも行くがいい。どうかね」


 「教授のおっしゃる通りです。わかりました」

 「では、契約成立だな」

 意外とあっさり承諾したから、俺はびっくりした。落ち着き払う竹野と美宇を、純一郎も疑わしげに見て、ああ、と頷いた。

 その美宇の、顔付きが不意に変化した。ぼんやりしている。同じ顔なのに、急に別人になったように感じられた。


 「理加?」


 光る糸がはらはらと理加の身体から落ちた。理加は身体を捻って俺を見た。俺は嬉しくなって、理加に飛びついた。途端に、ぺちっと頭を叩かれた。

 そして、純一郎に引き剥がされる。


 「綾部に戻ったみたいやね」

 「どうだね、気分は? 美宇くんの能力を使えそうかね」

 「ええまあ、何とか。お手数かけました、教授」


 理加は、竹野の爺さんに頭を下げた。まだ少し居心地が悪そうである。


 「なに、説得しただけだからね。年の功だよ。ところで」


 竹野の爺は今回の件について、レポートを提出するように、と理加に指示した。


 「珍しい事象だから、記録に残しておくといい」


 2人が話す後ろで、まだ俺を押さえている純一郎が、囁く。


 「説得いうより、契約で縛っとるから。ひとまず安心してええよ」

 「わかった」


 あんまりよくわからんけど、竹野の爺さんと純一郎が言うなら、大丈夫なんだろう。



 理加は爺の指示通り、レポートを書いて提出した。もともとの課題であった地方伝説のレポートも仕上げた。表には出てこないが、美宇の助けをかなり借りているようだった。宿題を終えるのが、やけに早かった。


 俺は楽になって嬉しい反面、俺がいらなくなったのではないかと、ちょっと不安にもなった。


 理加が風呂に入っている間に、純一郎が夕飯の材料を持ってやってきた。俺は、最近の悩みを話してみた。


 「元に戻った、と考えたら、ええのやないか」


 純一郎は台所に立って俺に野菜を洗わせながら、手際よく鍋に湯を沸かしたりフライパンを温めたりした。


 「綾部には元々霊能力があった。お前は綾部の霊能力をもろて人間になった代わりに、綾部から霊能力がなくなった。今回美宇が憑いたことで、綾部に霊能力が戻り、お前は元の飼い猫に戻った、という訳」


 「でも俺、人間になってしまった。猫には戻れない」


 洗った野菜が鍋で茹でられ、小麦粉をまぶした白身魚がフライパンの中でじゅうじゅう音を立てた。


 「人間でも猫でもお前はお前。綾部のためになることを探せばええやん。綾部自身が霊能力を使えても、お前が助ければその分強くなれるのやから。いたほうがええに決まっとる。もし、綾部がお前をいれへんというのなら、俺のところへ()いや」

 「ありがとう」


 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。純一郎は俺に出迎えるように合図した。


 「成瀬さんも、いい加減にお前の正体を理解してくれればええのにな。あれじゃいつまで経っても、綾部と結婚できひん」


 俺は玄関へ走っていったので、純一郎の言葉を最後まで聞かなかった。チャイムを鳴らしたのは成瀬で、いつものように手土産を持ってきていた。

 一瞬俺と理加を間違えるのも、純一郎の靴に気付いてがっかりするのも、いつもの通りであった。


 そこへ風呂から上がった理加が出迎えた。たちまち成瀬の顔がほころび、まぶしそうに理加を見つめた。


 「また感じが変わりましたね。髪でも切りましたか」

 「いいえ。でも、秀章(ひであき)さんの言う事は、当っているかもしれないわ」


 ねえ理斗、と理加は、俺に意味ありげに笑いかけた。途端に、成瀬の顔が微かに曇った。俺は慌てた。


 「純一郎の手伝いをしなくちゃ」


 理加が俺を頼らなくなって負担が減ったからか、俺の頭の回転が、近頃上がってきたようだ。成瀬のくるくる変わる表情を見て、突然色々な事が頭に浮んできた。

 成瀬は理加に惚れている。理加も成瀬の気持ちを知っている。でも結婚の話が進まないのは、俺がいるせいではないか。


 理加は俺のために一生結婚しないつもりなのだろうか。だから、美宇が焦って俺と結婚しようと話をもちかけたのではなかろうか。


 俺は台所へ戻って煮物に取りかかっている純一郎に話しかけた。


 「俺、純一郎のところへ行ってもいいかな」


 純一郎は手を休めずに、白身魚のかけらを俺の口に放り込んでくれた。噛むと脂がじわあっと広がる。旨い。


 「もう、いれへんって言われたのか。早いな」

 「言われてないけど、俺いない方が、理加も幸せになれるんじゃないか、と思って」

 「阿呆。そのお浸しの上に鰹節を散らし」


 削り節の入った袋を持たされ、俺はお浸しにかけずに自分の口に入れた。ちょっと噛みにくいが、旨い。くちゃくちゃ噛むうちに、何を悩んでいたのかわからなくなってきた。


 「あのな、ねこ。お前は綾部の飼い猫なんそやし、自分で勝手に考えて行動したらあかんのや。そないなに心配なら、後でこっそり綾部に聞いてみ。ほして綾部がいれへんっていうのなら、その時はうちへ来いや」

 「うん、わかった」

 「ほんまか。なら、鰹節食うとらんと、言われた通りにしや」

 「はい」

 「お、素直やな」


 純一郎はにっこりした。俺は、理加と純一郎が結婚してくれれば悩まなくても済むのに、と思いついたが、口には出せなかった。聞いても純一郎は、うん、と言わない気がした。

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