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元ねこ、大学へ行く  作者: 在江
第二章
11/16

元ねこ、飼い主の異変に気付く

 次の日は理加の運転で、塩原温泉へ行った。

 源三窟(げんざんくつ)という、源氏の武士が隠れ住んでいた鍾乳洞(しょうにゅうどう)や、塩原領主が返り討ちにあった小太郎ヶ淵や、ぐらぐら揺れる吊り橋を見た。


 吊り橋を渡っている間、理加は落ちないように俺の腕をしっかり掴んでいたので、俺の腕が痛くなった。普通に歩いていて落ちるような隙間はないのに、変な理加である。


 トテトテ、とラッパを鳴らして、観光馬車がやってきた。馬が俺を見て脅えていたので、俺は近寄らないように気をつけた。遊覧馬車だそうだ。理加は馬がかわいい、と馬車に近付いて写真に撮った。


 「観光ばっかりしているけど、宿題はどうするの」

 「理斗、今まで回った場所で、何か面白そうな霊でも見た?」


 俺は首を振った。面白そうな霊、というのはどんな奴を指すのだろう。聞いてみた。


 「時代劇に出てくるような、服を着ている人たち」


 理加は年齢に似合わず、時代劇が好きだ。人形佐七捕物帳から水戸黄門や暴れん坊将軍、鬼平犯科帳ももちろん、必殺シリーズまで一通り知っている。

 俺もTVで一緒に観ているうちに、何となく覚えてしまった。俺には、番組を選ぶ権利は、ない。どうせ、見えても食べられないし。


 理加に言われて、俺は乏しい記憶を手繰ったが、着物で頭を()った霊はいなかったように思ったので、そう話した。理加はがっかりした様子でもなく、


 「ふうん。那須でめぼしいものがなければ、別に東京郊外で探すから、無理しなくてもいいわよ」


 それなら、わざわざ那須まで来なくたっていいじゃん。俺の不満は、昼食の川魚定食の美味しさで帳消(ちょうけ)しとなった。丸ごと焼いた(ます)を、頭からばりばりときれいに食べると、店の人に感心された。


 その後は温泉巡りをして歩いて、結局それらしい霊は見つからなかったので、遊ぶだけ遊んで東京へ戻ることになった。

 結局理加は、渡会とは遊ばなかった。良かった。



 東京へ戻った理加は、那須高原で憑き物が落ちたみたいに明るくなった。

 出不精(でぶしょう)だったのが、繁華街へよく出掛けるようになったし、料理も俺の好物ばかり作ってくれる。


 夏休みの宿題は全然する気がない。一番変わったのは、俺を変な目付きで眺めることである。


 怖くはないが、こう、背中がぞぞっとするような感じ。

 そう。渡会が俺を見る目に似ている。うわ。

 呑気にしていた俺は、不安になった。理加はおかしくなったのじゃなかろうか。


 成瀬や絹子叔母に相談しなかったのは、普通の病気ではない、と本能的に思ったからである。

 俺は、純一郎が東京へ戻ってくる日を、指折り数えて待った。


 お盆も終わり、純一郎が帰る予定の日、俺は電話の傍を離れなかった。

 理加は絹子叔母に連れられて両親のお墓参りに行った後、疲れたと言って、近頃には珍しく寝ていた。


 電話が鳴った。純一郎だ、と俺は直感して受話器を取った。


 「おう、ねこ。久し振り。お土産買うてきたから、これからそっちへ行ってもええか」


 懐かしい純一郎の声が聞こえてきた。俺は涙が出そうなのを我慢して、口を開いた。


 「あの、俺、途中まで迎えに行く」

 「ん、珍しいな。綾部はどうした」

 「寝てる」


 純一郎は、俺の口調から何か嗅ぎ取ったようであった。大学内にある、食堂近くのバス停まで迎えに来るようにと言って、電話を切った。


 「誰から?」


 俺は飛び上がった。いつのまにか、背後に理加が立っていた。俺は嘘をついた。


 「な、成瀬から。荷物いっぱいあるから、俺、迎えに行く」

 「なんだ」


 理加の関心が薄れるのがわかった。理加も純一郎のことを気にしているのだ、と思い、俺の心臓がドキドキした。このドキドキは、これまでとは違う。理加と純一郎の仲を気にするとか、俺に興味がなくなった焦りとかじゃ、ない。


 とにかく嘘はばれなかったみたいなので、俺は理加の気が変わらないうちに出掛ける事にした。

 玄関の戸を閉めるまで、俺は理加に呼び止められるのではないか、とはらはらしていた。


 戸を閉めた途端、脱兎の勢いで、自転車に轢かれそうになりながら大学の北門をくぐり、散歩していた三毛の一族を驚かし、バス停まで走り抜けた。


 バスが来て純一郎の姿を見るまでの時間が、ものすごく長く感じられた。

 純一郎がバスから降りた途端、俺は思わず抱きついてしまった。心細かった。

 両手に荷物を持っていた純一郎は、振り払う事もできず、目を白黒させた。


 「どうしたんや。ねこ、しっかりしい」


 俺は、純一郎に導かれてベンチに座り、課題をこなすために那須高原へ行ったことから始めて、理加がおかしな目で見ることまで記憶にあることを全部喋った。

 俺の話を聞いていた純一郎は、途中から眉根に皺を寄せ、難しい顔付きになっていった。


 「ねこはその時、綾部から、お守りを全部渡されたんか? 綾部は1個も持たんかったんやな?」

 「だって、怖いし。理加は見えないから全然平気で」


 純一郎はため息をついて、立ち上がった。


 「とにかく綾部に会うてみる。これみんなお土産やし、お前持ちいや」


 袋の一つからは俺の好物である干物の匂いが立ち上っていたが、俺は覗く気にもなれず、しおしおと純一郎の後について家へ戻った。



 理加は起きて着替えていた。純一郎が玄関の戸を開けると、上がりかまちに立って待ち構えていたのだ。俺は理加に睨まれて、尻尾の毛が逆立つ思いだった。


 「うわ、こらこら猫屋敷やな。ねこが手を出せへんのも無理はない」


 純一郎の第一声は俺には意味不明だったが、理加の第一声も負けず劣らず意味不明だった。


 「お前が日置純一郎か。私を落とそうとしても無駄だ」

 「最初から落とそうなんて思っておらん。それより、喉が乾いた。茶でも入れてくれ」


 理加は、純一郎が苦笑したきりで泰然としているので、戸惑ったようだった。しばらく突っ立った後、俺達を茶の間に通し、お土産の干菓子に合わせて緑茶を淹れてきた。

 以前だったら、これも純一郎にさせていたことである。


 「ほう、お茶の淹れ方、上手いのやねえ」

 「当たり前だ。何年生きていると思っている」

 「で、あんた誰なん」

 「言わない」


 俺は(ようや)く理解した。


 「この人、理加じゃないんだ」


 今更何を言っているんだ、という顔で、理加と純一郎が俺を見た。

 純一郎が、ちらりと理加の顔をした誰かを見てから、説明してくれた。


 「綾部に誰かが寄生しとるのや。綾部には違わんが、今、話しとるのはちゃう誰か。名乗れへんから、2号とでもしておこうか」

 「失礼な。私には美宇(みう)という、立派な名前がある」


 寄生中の誰かは美宇と名乗ってから、渋い顔をした。

 純一郎は、名前を知られたぐらいで困るような雑魚(ざこ)ではあるまい、と真面目腐った顔で応じた。


 「猫の鳴き声みたいな名前だね」


 思ったことを口に出すと、美宇は更に嫌な顔をした。純一郎までも眉を上げて俺を見たので、もう黙っておこう、と決めた。


 純一郎と美宇はお茶を啜り、菓子をぽりぽり(かじ)りつつ、互いの様子を窺っている。

 手持ち無沙汰なので、俺も菓子を口に入れてみた。あんまり甘くなくて、口の中でさらっと溶けてしまった。不思議な感じである。


 「綾部はどうしとる」

 「生きている。もともと、生きる気力に乏しい人間だったようだな。私が入ってきても、逆らわずに明け渡したぞ」


 それは俺のせいだろうか。俺は不安になって純一郎を見た。

 純一郎は厳しい目付きで美宇を見ていたが、俺の視線に気付いて少し表情を和らげ、大丈夫、とでも言うように、首を振ってみせた。

 俺と純一郎のやりとりを眺めていた美宇が、突然俺に話しかけた。


 「お前、理加と結婚したくないのか」


 理加と結婚するというのは、俺と理加の子どもを作ること、だろう。

 俺は猫で長生きした。人間になる前、既に子孫を作る欲求が失せてしまっている。俺にとって、理加は娘と同じである。子孫を作る気はない。多分、作れないのではないかと思う。理加を嫁に出す気はないけれど。


 「私と結婚すれば、子孫が作れるぞ」


 びっくりした。俺の考えを読み取られたようだ。勝手に言葉が飛び出す。


 「だってあんた、理加じゃないじゃん」


 当たり前のことを言っただけなのに、美宇は言葉に詰まった。子孫を残したいのは俺ではなくて、美宇なのかもしれない。


 「そのまま理加に憑いていれば、俺じゃなくても、誰かと結婚できるよ」


 慰めるつもりで俺は言った。純一郎が目を剥いた。


 「ねこは、綾部と話ができなくなってもええんか」

 「それは、いやだ」


 よく考えれば、純一郎の言うとおりであった。このままでは理加と話ができない。嫌だ。美宇は理加ではない。

 しばらく誰も喋らなかった。やがて、純一郎が口を開いた。


 「竹野(たかの)教授に相談した方がええと思う」

 「そうだ。爺さんなら、何か知っているかもしれない」


 美宇が黙っているので、純一郎は同意と取って、電話を掛けに部屋を出た。

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