元ねこ、二人の男と再会する
「あれ、綾部さんの親戚の……奇遇やなあ」
高原の緑をバックに、白い開襟シャツと白い綿ズボンが日焼けした肌に映える。白い歯をきらりと光らせ、ブランド物、というらしい独特のマークが入ったバッグを提げた男が、俺を見て嬉しそうに近寄ってきた。
「おい渡会、荷物下ろすの手伝えよ」
「ああ。今行くわ。ほな、またな」
渡会は素早く俺の三つ編みを撫でて、仲間の方へ去った。確か新聞部と言っていたはずだが、新聞部が合宿なんてするのか? 疑問はすぐに解けた。
渡会達がバスから下ろした荷物は、ゴルフバッグだった。確かホテルの裏手にゴルフ場がある、と理加が言っていたから、友人とゴルフをしに来たのだろう。
俺はしばらく渡会達を眺めていた。そのうちに、重大なことに気付いた。渡会は無類の猫好きだった。猫好きの第六感で、俺が元猫だというのを無意識のうちに察知したらしく、隙あれば俺に触ろうとする。
このままここにいたら、どう考えても渡会の餌食だった。何処かへ隠れねば。
とは言え、知らない土地で行く場所もない。部屋へ戻るしかない。理加の部屋は何処だったろう。俺に3桁の数字を覚えろと言う方が無茶である。
俺は泣きたくなった。しかし泣いても渡会が来るだけだ。俺は、意を決してホテルの敷地内から外へ出た。そして回れ右をして敷地内へ戻った。
変な臭いがしたのである。俺はあっさり決意を捨てて、ホテルの周りをうろうろした。ホテル前はきれいに木が植えてあって、飛んでくる鳥も雀やカラスではない、黄色と灰色のすっきりした奴や、雀より大きめのむっくりした奴や、あんまり見たことのない鳥ばかりで、ぼうっと見ているだけで面白かった。猫なら捕まえるところである。
しばらく鳥を眺めてからホテルの中へ戻ると、渡会達はいなくなっていたので、俺は座り心地のよさそうなソファに身を沈めた。鳥を見たせいか、少しお腹が空いていた。目を閉じていると、足音が近付いてきて、俺の前で止まった。薄目を開けると、理加がいた。
「勝手に出歩かない」
「お腹空いた」
俺は理加に会えた嬉しさで、渡会に会ったことを言い忘れた。
理加は呆れ顔でさっき俺が見ていた店で、牛タンの燻製を買ってくれた。早速、部屋で食べた。旨かった。
夕飯はバイキングだったので、俺は好きな物を理加に取ってもらって好きなだけ食べられた。言い忘れていた渡会の一行とも再会した。渡会は一行から離れて、わざわざ俺と理加のテーブルまで皿を持ってやってきた。
「奇遇やな。また会ったで」
理加が俺を睨んだ。俺は生ハムを噛み切るのに忙しい振りをした。
「学部の課題をこなすために来たのよ。どうせ渡会くんは、バカンスを楽しむために来たのでしょう」
「そうや。学部の友達とゴルフに温泉三昧や。牧場近うて肉旨いしな。心霊学部は何や大変そうやな。いつまでおるん?」
「今週一杯よ。渡会くんは?」
「土日は混むからな、俺らは金曜日には帰るで。もし課題が早う終わったら、一緒に何処か遊びに行かへんか」
「いいわよ。部屋番号を教えてくれれば、連絡するわ」
渡会は自分の皿が空になったので、名残惜しそうに俺を眺めて仲間の元へ戻った。俺はケイパーとかいう酸っぱいボールをスモークサーモンから苦労して取り除きながら、理加がそんな約束しなければいいのに、と思っていた。
口に出さなかったのは、俺の口がローストビーフで塞がっていたからである。
部屋へ戻ると伝言が入っていた。成瀬からである。
なんと、近くのホテルに泊まっているので、明日から一緒に出掛けるというのである。さすがに同じホテルは予約いっぱいで取れなかったらしい。
俺が呆れるうちに、理加は早速電話をして明朝迎えにきてもらう約束をしていた。やはり運転手がいた方が心強いのだろう。理加はいいとしても、弁護士の成瀬は仕事大丈夫なのだろうか。猫に心配されるようでは心もとないと思う。
部屋についているユニットバスで理加に身体を洗ってもらい、ドライヤーで髪を乾かしてもらって先に寝た。理加は、ホテル自慢の露天風呂へ出掛けて行った。
「やあ理加さん、さすが那須高原の空気はさわやかですね」
成瀬ははりきって理加を迎えに来た。東京で仕事の算段をつけてから自分の自動車を運転してきたそうで、どうりでどことなく生活感の漂う車種である。
俺の顔をじろじろ見て、どうやって判断したか理加と男女の関係ではなさそうだ、と自分なりに納得したようであった。だから猫と飼い主なんだってば。
成瀬の車で出掛けることになった。行き先は、『賽の河原』である。嫌な名前だ。
「殺生石ですか」
「そう。大陸から渡ってきて人間を誑かしていた九尾の狐が殺されたときの怨念が篭っているのですって。九つも魂があるから何度も生まれ変わって、退治するのも大変だったのよ。猫にも九つ魂があるって言うわね」
理加が後ろの席にいる俺を見ながら言う。俺は返事の仕様がないので黙っていた。自分の魂のことはよくわからない。
「殺生石は、亜硫酸ガスが噴出して近付く生物を死なせたところから名付けられたみたいですよ」
成瀬が何処で調べたのか、豆知識を披露する。ふとみると、座席のポケットに、ガイドブックが入っていた。大方ここから取ったのだろう。
車はゆるゆると坂を登っていく。窓の外では、古い旅館や土産屋が立ち並んで、観光客らしき人々が散歩している。
前方にはバスも走っていた。賑やかな通りを抜けて、山道をくねくね進むと、変な臭いが漂ってきた。昨日ホテルの前で嗅いだ臭いだ。
「着きましたよ」
ここに降りるのかあ。車の中で縮こまっていると、理加に引っ張り出された。成瀬が俺の脅えに勘付いて優越感に浸る。
こんな山の中に突然荒涼とした風景が飛び込んできた。草木の生えない乾燥した地面に、黒っぽい岩がごろごろしている。観光客向けに、通路が整備されているのがご愛嬌だった。
「何かいる?」
優越感の延長で張り切って先頭を行く成瀬から少し遅れて、理加が俺に囁く。純一郎の馬鹿野郎、忠告は俺じゃなくて理加にしてくれ。いるかいないかというレベルの問題ではない。俺は半泣きになりながら囁き返した。
「いっぱいいるよ。俺の手に負えないよ。帰ろうよ」
「だめよ。折角来たのだから、殺生石見なくちゃ。あのね、見えない振りをしてれば多分大丈夫。ほら、今朝お守りあげたでしょう」
今朝、理加は俺の首に守り袋を下げてくれていた。道理で通路の上にいる奴が移動するわけだ。俺はちょっと安心した。
「じゃ、やっつけなくていいの」
「そこまで期待していないわ。今は観光観光」
「なんだ」
俺は泣き止んだ。成瀬が言った通り、今でも有毒ガスが出ているというので、殺生石には触れなかった。意外にも殺生石自体には霊など憑いていなかった。早速理加に報告する。
「ふうん。存在自体が強烈過ぎて、毒で毒を打ち消しているような状態なのかもしれないわね。面白いわ」
賽の河原の後は、成瀬に運転させて、いかにも別荘地のような高級で洒落たレストランで昼食を取り、美術館巡りをした。那須には立派なコレクションから安直なものまで、本当に美術館や博物館がたくさんある。
道路の両側の木立が切れたかと思うと、ふいっと建物が現れる。木々に溶け込んでいる建物もあれば、度肝を抜かれるような建物もある。
理加はアンティークジュエリーとかいうキラキラした小物を展示している美術館がお気に召したようであった。金銀で囲まれた宝石の小物の中には、一緒に霊がついているのもいくつかあったが、俺は見えないふりをして理加にも言わなかった。理加は売店で、銀製のブローチを成瀬に買ってもらっていた。
1日理加と一緒に行動した成瀬は気持ちが落ち着いたらしく、明日の朝には帰京する、と言い出した。理加は引き止めず、成瀬に丁重に礼を述べた。




