ヴェネッサ。
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「どう? 少しはここでの生活にも慣れたかしら?」
そう云ったヴェネッサはカップを手に取りコクンと一口お茶を飲む。
豪奢な金色の髪を下ろしてまだ少女の面影を残しているヴェネッサ。
今年貴族院を卒業し社交界にデビューする予定のヴェネッサはジークハルトの妹で、エーリカとも同い年だ。
貴族院初等科では同級生だったのだけれど、正直身分が違いすぎてお互いはなしをしたこともなかった。エーリカの方は当時ヴェネッサの存在にすら気がついていなかったけれど、こうして気にかけてくれる彼女の存在をとても心強く感じていた。
「ありがとうございます。こうして毎日のようにお茶に誘っていただけて感謝しておりますわ」
お茶をいただきながら、そう無難に答え。
侯爵家の嫡男の妻、だなんていってもやることなんか何もない。
夫婦関係もないお飾りの妻だからそれこそ本当に何もすることが与えられていなかった。
お屋敷の仕事は侯爵夫人がみな取り仕切っている。優秀な執事のバトラーが彼女の指示で全てを采配していてエーリカが口を挟む隙ももちろんない。
ジークハルトはといえば、日中は王宮に詰めていた。
魔導庁においてけっこう上位の役職を賜っている彼。常に研究室に篭って魔法具の研究をしているとのこと。
「あいつは女性に興味が無いのか社交界にも顔を出さず困っているのだ」
とはフォンブラウン侯爵の談。
もう婚姻後ひと月以上経つというのに、まともな会話もできていない。
話しかけてもまともに返事が返ってこなくって、エーリカは萎えていた。
「兄様もね、もう少しだけでも社交性があると良かったのだけれど。あれでも優秀らしくてね、魔法具の研究では第一人者って言われているらしいのよ?」
あんなにお若いのに? と、そう驚くエーリカ。
「そのせいでお父様も強く言えなくってね。気立の良さそうな貴女みたいな方をあてがったんじゃないかな」
貴女みたいの、って。
まあこれがヴェネッサの本音だと、そう感じて。
「そういう事だったのですね」
「ああ、気を悪くしないでね。うちとしても侯爵位を継ぐ男子に恵まれてほしいのは事実なのだから。出来るだけ協力するから、なんでも仰ってね」
そう悪気なく云う彼女。
(悪い人じゃ、ないんだよね)
あっさりとわかったジークの事情。
ヴェネッサも、侯爵も、何も悪気はないのだと。
ジークが全く社交界に興味を見せず、女性を嫌っているのかお相手を見つけようとしないのに業を煮やしてお金で解決できそうなエーリカに目をつけただけ。
政略結婚って言っても普通だったら文句の出ようもない縁談であるのも事実。
逆に、エーリカがちゃんと妻の役目を果たして子を授かってくれたら、くらいなそんな希望で進めた縁談で……。
だとしたらこの気持ち、どこにやったらいいっていうのだろう。
これじゃまるで、ジークをその気にさせることができないエーリカが悪いみたいじゃないのか。
それに。
この先ずっと白い結婚のままの場合、侯爵は第二第三の女性をジークにあてがう可能性だってある。
それは、嫌だった。
だったらやっぱり先に離縁してもらった方がまし。
自分自身にとって。だけじゃなく、きっとジークにとっても不幸なことだと、そう思うから。