あなたがそうおっしゃったのです。
コンコンコン
コンコンコン
扉を叩く音。
「エーリカ、すまない。どうしてもあれで終わりにはしたくないんだ!」
そんな声に身を起こす。
どうしよう。と逡巡しつつも手元においておいたガウンを纏い扉の手前まで歩いて。
部屋の扉に鍵はかけていない。だからジークハルトがその気になれば入ってくることも可能で。
それをしないということは自分の気持ちを優先してくださっているのだろう、と、少し嬉しくなる。
扉の内側のノブを右手の手のひらで触れて。
「ジークハルト、様?」
そのまま扉を開けるのは躊躇われそう声をかける。
「ああ。エーリカ。すまなかった。俺は君の気持ちも考えもせずに、エリカと呼び続けてしまって」
「あなたが好きになったのがメイドのエリカなんですもの。しょうがないです……」
「そうじゃない、そうじゃないんだよエーリカ」
「だって、あなたがそうおっしゃったのですよ? メイドに扮したわたくしに。妻のエーリカだとは知らずに。好きだエリカ、と」
そう。そこから履き違えている。
エーリカにとってエリカとは自分が演じていただけの存在であり自分自身とは違う。
でも、ジークハルトにとってはそのエリカが好きになった対象なのだ、と。
ジークハルトが愛しているのは自分ではなくてエリカという虚像なのだと。
どうしても、その思いから抜け出すことができずにいたエーリカ。
「確かに、最初はメイドだと思っていた。君じゃないんだと、貴族じゃない女性だと。でも、違ったんだ。あの、一晩中看病してくれた時の温かい手は現実の君、エーリカだった。『旦那様、また来ますね』と言ってくれた君の、その時の笑みに、俺は恋をした。真実を知った時、それがよくわかったんだ。あの時の君はメイドのエリカではなく俺の妻のエーリカだったろう? あれが演技だとは俺には思えなかったんだ」
そう懇願するジークハルトの真剣な声に。
手にかけた扉のノブをまわし開けて、手前に開ける。
「エーリカ」
「旦那様、中にお入りになって」
そう招き入れていた。
「お飲み物、飲まれますか?」
ソファーを勧め、棚からグラスをふたつ取り出す。
(ママレードにしてあるユズがあったからお水で溶かしてユズ水でも作りましょうか。お酒があったらよかったのでしょうけど、あいにくここには置いていませんし)
返事を聞く前にママレードをスプーンでひとさしグラスに入れ、水差しからお水をそそぎいれる。
そのまま軽く混ぜてジークの待つソファーの横のチェストに一つ置いた。
そして。
自分はもう一つグラスを持ったまま、そのソファーの反対の端にちょこんと腰掛ける。
ジークと並んで腰掛ける形となったところで、パーティーでアナスターシアの隣に腰掛けた時のことを思い出していた。
あの時も。なんだか彼女をほかっておけなかったんだったっけ。
そう呟いて。
「ありがとう、美味しいよこれ。だけどどうせなら」
グラスに手をかざすジークハルト。カランと氷の塊がグラスの中に落ちた。
「こうして冷たくしたら、きっともっと美味しいよね、君のもどう?」
「氷の魔法、ですか?」
「ああ。俺は一応、全属性の加護があるからね。これくらいはできるんだ」
「じゃぁ、お願いします」
そう云ってグラスを差し出す。ジークハルがさっと手をかざすと、カランとグラスを揺らす氷。
一瞬、じっとその揺れる液面を眺め、グラスにくちづけるエーリカ。
冷たくて、ユズの香りがより際立って美味しい。
「美味しいです。ありがとうございます旦那様」
「よかった。こんな魔法を身近にできるように、今俺は魔法具の研究をしているんだ。それが俺の、こんなふうに全ての属性の加護を与えられた俺の使命のような気がして」
彼の、こんな気持ちを聞くのは初めてだった。
というか、今までジークハルトのそんな気持ちどころか彼のことを何も知ろうとしてこなかった自分に気がついて。
もうちょっとだけ、彼のことを知りたい。
もうちょっとだけ、ここに居たい。
「わたくし、まだ旦那様の妻でいても、いいのでしょうか?」
そう口に出していた。
「いいに決まってる! 愛しているんだ、エーリカ!」




