第1話 勇者
殺しはいけないこと。
命とは、たった一つしかない大切なもの。
姉さんが教えてくれた。
僕が蚊を殺そうとした時、僕の手を止めて涙ながらに。
それなのに、僕はこれから魔王を殺そうとしている。
この次には、勇者のことも。
二人目の勇者であり、伝説の聖剣を手にした暗殺者として。
僕は、カケル。
前の四月二日まで、家族四人と一緒に町で暮らしていた。
「ハッピーバースデー!」
「十二歳の誕生日、おめでとう、カケル!」
「お兄ちゃん、早く、早く。ケーキ、ケーキ!」
僕の両親は、町の看護師だ。
姉さんは、二人の手伝いをしている。
毎日、戦場からたくさんの人が運ばれて来るから、もう夜なのに父さんはまだ帰ってこない。母さんと姉さんは、僕と妹のために明るく振る舞ってくれた。
「カケルも、もう十二歳か。来年は中学生だね……。これからどうするの?」
食堂で母さんと妹のミナがケーキを美味しそうに食べている中、僕と姉さんは居間の窓辺にあるソファに隣同士で座って話をしていた。
「これからって……姉さんは?」
「私? 私はもちろん冒険者! カケルは?」
「うーん……」
やりたいことはたくさんあった。
だけど、何をすればいいのか決められない。
「カケルも冒険者? 男なら有名にならないと!」
「……嫌だよ、有名人なんて。みんなにあーだこーだ言われるだけだもん」
「そっか……」
「これからのことなんて、よくわからないよ」
「それじゃあ何でもいいから、一週間だけでも試してみない? これからどうなるかなんて、わからないんだから」
姉さんが口にしたその言葉を、
「みんな、いるか!?」
僕は、すぐに思い知らされることになる。
「父さん?」
父さんがものすごい勢いで家の中に帰ってきた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「荷物をまとめてすぐに逃げろ! 魔王軍がそこまで迫ってきている!」
僕たちがいる世界では、誰もが恐れている。
「浄化せよ、浄化せよ。人類を浄化せよ」
魔王を。
「「人類浄化! 人類浄化!」」
黒眼と黒い唇、白肌の顔面、双角の黒冠、純白の長髪、焼け爛れた白ローブ。
怒りを微笑みで表し、幾千幾万の魔物たちを束ねるその姿を。
細い指先に灯った、不滅の白炎を。
「浄化せよ、浄化せよ、人類を浄化せよ! 世界最悪の種族である人間どもを世界から一人残らず浄化し、我等が黒天に捧げるのだ!!」
「「人類浄化! 人類浄化! かしこまりました、魔王様!!」」
「「世界のため! 黒天のため! 我等が魔王ディアギガス様のために!!」」
人類浄化を謳う魔王ディアギガスが、いつ人間たちを滅ぼすためにやって来るのかわからないから。
僕たち家族五人は大慌てで、ずっと住んでいた家を出る。
町の中は、既に逃げ惑う町の人たちで大騒ぎになっていた。
「勇者と王国軍はまだ来ないの!?」
「わからない……。もう来てもおかしくないはずだ!」
「父さん、待って。どこ行くの!?」
「状況を聞きに行ってくる。なあにすぐに戻ってくるさ。カケル、十二歳の誕生日おめでとう! 母さんたちを頼んだぞ!」
町を出ても、魔王軍は追ってきた。
僕たちは命からがら逃げ続け、遠く離れた母さんの生まれた村を目指す。
あの後、勇者と王国軍がやって来て魔王軍は撃退されたけど、僕たちが住んでいた町は跡形もなく焼き払われた。
僕たちは、逃げた先の教会のある村に移り住む。
贅沢は言えないけど、前と比べて、何だか寂しい場所。
父さんは……いつまで待っても帰ってこない。
そして十二歳になった僕に、「王国軍の兵士になれ」という徴兵令が下った。
「私、カケルの代わりに行ってくる……」
皆が悲しむ中、姉さんは決意する。
「王国軍の兵士になって、父さんを探してくる!」
村を出る時、僕を固く抱きしめてくれた。
「カケル……母さんとミナのこと頼んだわよ」
姉さんは、王国軍の前線の医療部隊で看護兵になった。
情報も集めやすいし、倒れた王国軍の人たちを放っておけなくなったんだ。
そのわずか一ヶ月後。
深夜、小さな家の中で眠っている僕は夢を見る。
一生忘れることができない悪夢を。
僕の夢の中に、魔王ディアギガスが出てきたんだ。
「見ているか、カケル。人間の小娘の弟よ?」
恐ろしい魔術を使って、僕に見せている。
「あれが見えるか……見えているか……その目で、よおく見てみろ!!」
夢の中の魔王が指差した方向に、姉さんがいた。
王国軍や町の人たちと一緒に、丸太に磔にされて――怯えている。
「……やめて」
足下には薪が積まれ、そばに立つ魔族たちが白炎の松明をかざしていた。
「喜べ! これからお前に見せてやるものは、生贄だ!」
魔王の合図で、後ろにいる人たちの足元の薪へ一斉に白い炎がつけられる。
「さあ、夢の中で何もできないまま見ているがいい! 大事な姉が浄化の炎に焼かれて、黒天に捧げられていく、哀れで、愚かで、無様な最期をなああーー!!」
「いや、いや……いやあああああああああーー!!」
僕は途中で目覚めることも、助けに行くことも、許されない。
「熱い……あつい! あつい!! 父さん! 母さん! ミナ……カケル! カケル! カケルウウウ!! カケルウウウウウウ――――――!!!」
泣き叫ぶ姉さんの足下から、熱い、熱い炎がどんどん燃え広がって――。
「お願い…………助けて……」
母さんと妹も、同じ夢を見る。
姉さんが魔王軍に捕らえられ、魔王に生きたまま火炙りにされたという報せが届いたのは、数日後のことだった。
傷心の母さんは、魔王がばらまいた瘴気に侵される。
教会で寝たきりとなり、僕と妹は外の壁越しからしか話すことができない。
僕と突然泣き出すようになった妹は、神に祈った。
神様、お願いします。
どうか母さんを治してください。
それから僕は、別のことも願った。
神様、どうかお願いします。
勇者様に魔王を殺させてください。できるだけ残酷に。
三日後、僕は自分の身体に異変を感じる。
捜し物がどこにあるのか正確にわかるぐらい勘がよくなって、内から凄い力が湧き出ているような気分になったんだ。
その二日後、僕のところに本当に勇者が来た。
「神託が下ったんだ、カケル。君は、世界から選ばれたんだ。俺と同じ勇者に!」
そう告げたのは、この国の第一王子。
金髪碧眼の美青年。
蒼い高級服を身にまとい、両腕の袖を肩までまくっていた。
左手には、鞘に収まった黄金の聖剣を持っている。
右腕をカッコ良く振り回し、僕みたいな子供に愛想よく接してくれた。
勇者シリウス。
世界中の人たちにとって、いつか魔王を倒してくれる希望の星。
偉大なる勇者、黄金の勇者と呼ばれ、人望と称賛を集める一人目の勇者だ。
若干二十歳で、勇者パーティーと王国軍を率いる世界最強の冒険者。
そんなにすごい人が、僕のことを自分と同じ”二人目の勇者”だと呼んでいる。
初めは信じられなかったけど、勇者にしか使えないという呪文が僕にも使えて、ようやく実感が持てた。
「カケル、俺と一緒に行こう。俺と君で魔王を倒して、君の家族の仇を討とう。二人で力をあわせて、共に世界を救おうじゃないか!」
僕はどうすればいいのかわからず、母さんに相談しに行く。
「わたしは……行って欲しくないわ」
母さんは寝たきりのまま、壁の外にいる僕に答えてくれた。
「魔王だって生きてる……。あなただって、どうなるかわからないのよ?」
「わかってる。けど……ミナも瘴気に侵され始めたんだ」
僕は、教会の壁に頭をつける。
「いってらっしゃい。わたしとミナのことは大丈夫だから……。カケル、あなたは、わたしたちの誇りよ」
僕は『勇者になって、姉さんの仇を取ってやる!』と決意して、泣きながら村を出た。
「いってらっしゃい、お兄ちゃん……。ぜったいに帰ってきてねー!」
妹と母さんを残して――。
「カケル。君が勇者であることは、俺と君だけの秘密にしよう」
シリウスは、僕を誘った時と変わらない笑顔でそう説いた。
「俺が表舞台で敵の注意を引く。その裏で君は影の立役者となって、世界のみんなのために戦う」
勇者パーティーの中で、僕はただの雑用。
僕が世界に選ばれた二人目の勇者だと知っているのは、一人目の勇者だけ。
「いいかい。俺と君、二人の勇者のこの形こそが、魔王を倒すため、みんなのために必要なこと。世界のために正しいことなんだ」
勇者のその言葉に、まだ子供だった僕は、コロッとだまされた。
勇者と魔王を、僕は――、
「――殺したいんだね」
僕が眠っていたある日の夜、夢の世界から誰かが話しかけてくる。
誰もいない街の中で、雪が降り続け、積もっていた。
道に突っ立っている僕の前に、とんがり帽子をかぶった黒ローブの男の人が、民家の扉を背にして座っている。
「『殺したい』のは悪いことではない。その想いは人間として当たり前のものだ」
杖を右手で立て、右肩に黒い鴉を乗せた魔術師。
「だが『殺す』となると話は違ってくる。命とは、誰にとってもかけがえのないもの。いかなる理由があろうとも、許されることではないのだから。君のお姉さんは、本当に大切なことを教えてくれた」
とんがり帽子の下から両眼を覗かせ、僕を見つめていた。
魔術師の右側にもう一人、中東風の男が立っている。
腰のベルトに湾曲したナイフをかけ、目元をターバンと前髪で隠していた。
――僕の勘が正しければ、きっと暗殺者だ。
僕は恐る恐る最初に話しかけた男に聞き返す。
「……だれ?」
「私は、魔法使い。彼は、東のアサシン。知識を広げるため、異世界から君に会いに来た」
「異世界?」
「この世界とは違う世界のことさ」
何とも偉そうで、怪しい男が、
「カケル、二人目の勇者である君に頼みたい。勇者と魔王を倒してくれ。この世界が滅ぼされる前に」
僕のことを何もかも知っていて、
「もしこの依頼を引き受けてくれるなら私の魔法を使って――君が、勇者と魔王を殺せるようにしてあげよう」
僕を誘惑してくる。
「シリウスとディアギガスを?」
「そうだとも。君は勇者と魔王を殺したいんだろう。だったらなってみないかい」
そして悪魔のように微笑み、僕にささやいた。
「闇の中、神をも殺し、たった一人であろうとも世界を救う――暗殺勇者に?」
”魔法使い”というより、”死神”に見える。
「……誰か殺したことある?」
「あるとも。世界を滅ぼしたこともある」




