Tournament82 The Pirates hunting:part3(海賊を狩ろう!その3)
追跡船を撒き、北方航路から離脱したジンたち。しかし、複数の船に包囲されそうになる。
果たしてジンたちは、敵味方不明の艦船を前に、どう局面を打開するのか?
【主な登場人物紹介】
■ドッカーノ村騎士団
♤ジン・ライム 17歳 ドッカーノ村騎士団の団長。典型的『鈍感系思わせぶり主人公』だったが、旅が彼を成長させている。いろんな人から好かれる『伝説の英雄』候補。
♤ワイン・レッド 17歳 ジンの幼馴染みでエルフ族。結構チャラい。水の槍使いで博学多才、智謀に長ける。お金と女性が大好きな『やるときはやる男』
♡シェリー・シュガー 17歳 ジンの幼馴染みでシルフの短剣使い。弓も使って長距離戦も受け持つ。ジン大好きっ子だが報われない『負けフラグヒロイン』
♡ラム・レーズン 18歳 ユニコーン族の娘で『伝説の英雄』を探す旅の途中、ジンのいる村に来た。魔力も強いし長剣の名手。シェリーのライバルである『正統派ヒロイン』
♡ウォーラ・ララ 謎の組織の依頼でマッドな博士が造った自律的魔人形。ジンの魔力で再起動し、彼に献身的に仕える『メイドなヒロイン』
♡チャチャ・フォーク 13歳 マーターギ村出身の凄腕狙撃手。村では髪と目の色のせいで疎外されていた。謎の組織から母を殺され、事件に関わったジンの騎士団に入団する。
♡ジンジャー・エイル 20歳 他の騎士団に所属していたが、ある事件でジンにほれ込んで移籍してきた不思議な女性。闇の魔術に優れた『ダークホースヒロイン』
♡ガイア・ララ 謎の組織の依頼でマッドな博士が造ったエランドールでウォーラの姉。『組織』に使われていたがメロンによって捕らえられ、『騎士団』に入ることとなった。
♡メロン・ソーダ 年齢不詳 元は木々の精霊王だがその地位を剥奪された。『魔族の祖』といわれるアルケー・クロウの関係者で、彼を追っている。
♡エレーナ・ライム(賢者スナイプ)27歳 四方賢者として『賢者会議』の一員だった才媛。ジンの叔母に当たり、四方賢者を辞して『騎士団』に加わった『禁断のヒロイン』
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
僕たち『騎士団』の乗船する『アノマロカリス』号は、南方航路を平穏無事に航海していた。航海長のカノン・アンカーさんの話では、明日の昼にはアロハ群島で一番賑わっているオウフ島の中心地、ライスハーバーに到着するとのことだった。
「ライスハーバーで物資を積み込んだら、ライハナ島に立ち寄って積み荷を降ろす。どちらも1日かかる予定だから、お客さんたちは陸でゆっくりしておきな」
カイ船長がニヤリと笑って言う。ライハナ島まではトオクニアール王国の領土なので問題は少ないが、それから先はマジツエー帝国の領海に入るまで、どの国の領土にも属さない公海になる。海賊たちの狩場でもあるわけだ。
「ライハナ島より先では、何が起こってもおかしくないってことですね?」
僕が訊くと、カイ船長は笑って答える。
「まあ、そう言うことだ。しかし、おたくたちは結構修羅場を潜ってきているみたいだから、おれとしてはそんなに心配しちゃいない。心配するとすれば、公海の荒れ方だ。
なにしろマジツエー帝国までの間に広がる海は、一般的な航路を除いて、ほとんどどういう所かなんて判っちゃいねえんだ。人によっちゃ煮えたぎる海や氷に閉ざされた海なんてものがあるらしいが、おれはまだお目にぶら下がっちゃいねえ」
「なるほど、世界は広い。そんな海があると聞いてはいたが、冒険者たちが話を盛っているのかと思っていた。カイ船長がそう言うなら、実在する可能性は大きいな」
いつの間にかワインが話に加わって来て、潮風に葡萄酒色の髪をなぶらせながら言う。
「煮えたぎる海とか氷の海とか、そこに棲んでいるお魚さんたちは煮付になったり氷漬けになったりしないのかしら? それとも、そんな環境に適応した化け物みたいなお魚さんたちばっかりとか?」
話に加わって来たのはワインだけじゃなかった。シェリーやチャチャちゃんも僕の隣に来て、海を見つめながらそう言う。
「うう……そんな所、見てみたい気もするけど、行ってみたいとも思わないなあ。シェリーお姉さまは行ってみたい?」
チャチャちゃんが訊くと、シェリーはぶんぶんと頭を振り、
「アタシだって行かないで済むなら、好んでそんな地獄みたいな所には行きたくないわ。ジンが行くって言うならついて行くけれど」
そう言って僕の顔を覗き込む。僕も笑いながら答えた。
「そりゃあ、行かないで済むなら行きたくもないさ。平穏な航海が一番だからね?」
僕たちの話を聞いていたカイ船長は、腰に手を当てて笑いながら
「はっはっは、おたくたちの言うとおりだぜ。おれだって冒険者じゃないしトレジャーハンターでもない。そんな剣呑なところに足を踏み入れる必要もねえ。積み荷を無事に届けることが、おれたちの使命だからな」
そう言うと、当直に立っているクーノ・イッチ主計長に
「おれはちょっと船首に行ってくる。風が変わったらすぐ呼んでくれ」
そう言うと、身軽に船橋のラッタルを駆け下りて行った。
「船長って、すごい活動的な人だな」
僕が思わずそうつぶやくと、海図台の前にいるイッチさんもうなずいて、
「うん、あたしもそう思う。船長は船が舫っていたり、陸に上がってたりする時はだらけてるけど、潮風に当たったらシャンとするんだよね。
最初はその変わりようにびっくりしちゃったんだけど、『海の男』ってみんなそんな感じなんだよね」
そう言いながら、船首楼甲板でボースン甲板長と楽しそうに何かを話し合っている船長を見る。厳ついボースン甲板長が相好を崩しているので、よほど楽しいことを話しているに違いない。二人とも、まるで少年のようだった。
「あんな仲間がいたら、どんな所にだって行けるんだろうな」
僕が思わずつぶやくと、ワインとシェリーが両側から、
「おや、キミにはボクたちがいるじゃないか? それともボクたちはキミにとって仲間じゃないとでも?」
「そうよ。ジンは『騎士団』を立ち上げた時から苦楽を共にしてきたアタシたちなんて、仲間じゃないって思ってるの? 心外だわ」
そう責めるように言う。僕は慌てて釈明した。
「ごめん、言葉が足りなかった。もちろんシェリーもワインも、僕の最高の仲間だよ。5千年前の世界に行った時も、何度君たちがいてくれたらって思ったかしれない」
僕はそう言って、シェリーの顔がサッと翳ったので『しまった』と思った。シェリーに余計なことを思い出させてしまった……僕はそう反省し、何てフォローしようかと頭を巡らすが、いい言葉が出てこない。それを救ってくれたのはワインだった。
「ふむ、ボクたちのことを夢寐にも忘れたことはないというんだね? それならボクたちとしてもさっきの失言は忘れてもいい、そうだろうシェリーちゃん?
ジンはあっちの世界にいる間、寝ても覚めてもキミのことを考えていたそうだが?」
ワインが僕の発言を思いっきり拡大解釈してくれている。いや、確かに何かにつけてシェリーのことを思い出していたから、そういう意味では真実に近い。
シェリーは冷たい目で僕を見ながら、腕を組みそっぽを向いて言う。
「フン、どうだか? アタシに似たウェカって娘とよろしくやってたくせに」
いい加減、話がドツボにハマりそうになったその時、メインマストの見張りから大声で報告が飛んだ。
「おーい、船橋! 270度方向から所属不明の船が近づいてきまーす!」
その報告に、ブリッジは一気に色めき立った。当直のイッチ主計長はすぐにメガホンで見張りに呼びかける。
「メイン見張り! 所属不明船は1隻かー!?」
「270度方向に1隻、275度方向に数隻……靄ってるのではっきりはしませんが恐らく2隻。どちらの目標も真っ直ぐ本船目がけて直進していまーす!」
そこに、『不審船発見』の報を聞いたカイ船長が、船首楼からすっ飛んで帰って来た。
「船長、不審船です」
イッチさんの報告にうなずいた船長は、短く訊く。
「本船針路と風は?」
イッチさんはちょっと詰まった後、さっとブリッジマストの信号旗と羅針儀を見比べて、
「針路80度、風は250度です」
そう答え、
「総員配置は?」
そう訊く。
カイ船長は望遠鏡で北の方角を舐めるように見回しながら、
「まだだ」
短く答えると、メガホンを取り上げた。
「メイン見張り、不審船から目を離すな! 船種と数がはっきりしたら教えろ!
フォア見張り、前方を重点的に見張れ!」
そう命令すると、ブッシュ操帆長とボースン甲板長の顔を見て、
「針路を70度にする。ミスタ・ブッシュ、バウスプリットセイルの準備だ!」
「アイ、アイ!」
カイ船長は、操帆員と甲板員たちが所定の位置に就くのを見届けると、操舵員に命令を下した。
「取舵、針路70度!」
操舵員は船長の命令を受け、舵輪を左にゆっくりと回し始める。
「とーりかーじ」
『アノマロカリス』号は、船首をゆっくりと左に回し、風を真後ろから受ける態勢になった。白い帆は風をいっぱいに受けて、はち切れんばかりに膨らんでいる。
「さて、もっと爽快にしてやるぜ」
カイ船長が僕たちを見てそう言った途端、『アノマロカリス』号は船足を速めた。よく見ると船首の突き出した棒にも横桁が取り付けられ、そこに大きな帆が張られている。
「相手が普通の商船だったら、今の『アノマロカリス』には追い付けねえ。逆にこれで追い付いてくるようなら、海軍の艦だろう」
腕を組んで、北北東の方角を睨みつけるカイ船長に、いつの間にかブリッジに上がって来ていた賢者スナイプ様が訊く。
「海軍だったらどうするの? ドンパチかますって訳にはいかないでしょ?」
すると船長は、肩をすくめて言った。
「ま、そん時ゃそん時だ。で、ものは相談だが、見てのとおりブリッジは狭い。大の大人が十何人も立ってはいられねえんだ。できればおれが指名するお方以外は、船室でいい子にしていてもらえるとありがたいんだが?」
「確かにそうだね。船のことを知らないボクたちが甲板上をうろうろすると、玄人さんの邪魔になる。仰せに従うよ、船長さん」
ワインが言うと、全員がうなずく。
カイ船長は上機嫌で、
「ははっ、事務総長さん、あんたが一番海や船のことを解っているのに、謙遜ってもんだぜ? とにかく、ブリッジに残ってもらうのは団長さんと事務総長さん、そしてそちらの金髪のお姉さんだ。副団長さんと狙撃魔杖のお嬢ちゃんは、できればメインとフォアの見張り台にいてもらえると助かるが」
そう言って僕を見る。僕はうなずいてみんなを見て言った。
「カイ船長の指示に従ってくれ。ラムさん、君はウォーラさんと共にジンジャーさんやガイアさん、メロンさんをまとめていてくれないか?」
「分かりました。戦闘になんかならなければいいですがね」
ラムさんはそう一言言うと、ウォーラさんたちを引き連れて船室に戻って行った。
五人と入れ替わりに、カノン航海長とハンナ戦闘指揮官がブリッジに上がって来た。
「イッチ、交代だ。『総員配置に就け』がかかるまで、ゆっくりしておくことだな。現在の状況は?」
カノンさんが訊くと、イッチさんはにこりと笑って、
「現在本船の位置は大陸ベクトル035.56/0634.28。針路は70度00分、速力12.5ノット。風向250度00分、風速26ノット。ここ30分間、280度方向からおよそ3隻の追跡を受けています。その他に特記事項なし。以上です」
そう報告すると、カノンさんの
「了解、受け取ったよ」
という声を聞いて、船室へと降りて行った。
「船長、今度もうちの出番はなさそう?」
カノンさんと一緒に上がって来たハンナさんが訊くと、船長は望遠鏡を覗き込みながら、
「まだ分からんな。あいつらが海軍さんじゃねえって可能性も捨てきれないからな。一応、海兵隊員を集めて戦闘準備だけはしておいてもらおうか」
そう答える。ハンナさんは楽しそうに笑うと、
「ははっ♪ じゃ、そうするわ」
と、狙撃魔杖を肩にかけてブリッジから降りて行った。
「ジン、あの船が海軍だったら話し合いでことが済みそうだが、もし海賊だったらどうする?」
その場のやり取りを横目で見ていたワインが、小声で僕に訊く。僕は言下に
「無体なことをする輩なら、実力行使もやむを得ないだろうな」
そう答える。
「だとしたら、海賊たちも不憫ね? 私たちが乗ってる船を狙うなんて」
金髪を潮風になびかせながら賢者スナイプ様が言った時、フォア・マストの見張りが大声で報告してきた。
「おーい、ブリッジ。前方に不審な船を2隻発見!」
すぐさまカノンさんがメガホンを取って怒鳴る。
「フォア見張り、不審船の針路と速度、船種知らせ!」
「不審船は50度方向、針路220度内外。速度約10ノット。ガレオン船です!」
フォア・マストの見張りが叫ぶ。それを聞いて、間髪入れず船長はカノンさんに言った。
「ミズ・アンカー、『総員配置に就け』!」
カノンさんが海図台の横にあるレバーを引くと、メインマストの横桁に取り付けられたサイレンが鳴り響いた。
フォーン!
その音を聞いて、中甲板や下甲板にいた乗組員たちが我先に最上甲板までやって来て、それぞれの配置に就く。各部署からの報告が終わるまで3分と掛からなかった。
「船長、海賊やったんか?」
ハンナ戦闘指揮官が船橋に上がってきて訊く。船長はうなずいて言う。
「ああ、海軍はガレオン船なんて時代遅れの船は持っていない。そしてガレオン船に乗った海賊と言えば……」
「なんや、シロッコのおっさんやん。おっさん、前にトラック諸島でうちらにコテンパンにされたこと忘れたんかな?」
ハンナさんがせせら笑って言うと、船長は厳しい口調でハンナさんをたしなめた。
「あの時は『ハダカデバネズミ』号1隻だった。今度は3隻程度の帆船も連れてきている。どんな罠を仕掛けているか判らないぞ。気を抜くな」
「はい、すんません」
ハンナさんが謝った時、メインの見張りが思ってもいなかった報告をしてきた。
「おーい、ブリッジ。後方の不審船は並走に移りました。どうも3隻ともスループ艦のようです!」
「……つまり、後ろから来ているのは海軍さんの可能性が高いってことか……」
報告を聞いてそうつぶやいたカイ船長の目がキラリと光るのを、僕やワインは見逃さなかった。
「団長さんたち、ちょっと面白いものを見せて差し上げられるかもしれねえ。楽しみにしておいてくれ」
カイ船長はそう言って、豪快に笑った。
★ ★ ★ ★ ★
一面の霧が視界を遮り、音さえ奪う。光は拡散して、影は形を失う……そんな世界が広がっていた。霧は一方向に流れていく。まるで何かに誘われているようだが、その霧の流れが突然乱れた。
「どうしたんだいゾンメル、急に呼び出したりして? キミはフェンの所に『盟主様』のお言葉を届けに行ってたんじゃないのかい?」
霧を割って現れた、フード付きの蒼いマントを着た少女が、そこに立っていた赤いマントの娘に訊く。ゾンメルと呼ばれた赤いマントの娘は、焦ったような声でまくし立てた。
「フェーデル、悠長なこと言うとる場合やない。ヘルプストもヴィンテルもどこ行ったんや? 彼女たちの世界に行っても誰もおらへんなんて変やないか?」
フェーデルと言われた少女は、心配を顔いっぱいに張り付けているゾンメルに、落ち着いた声で言い返す。
「心配しなくても大丈夫だよ。ヴィンテルとヘルプストは、エレクラの件でウェンディに話を聞きに行っただけだ。ウェンディと打ち合わせした後は、水の精霊王のところにも回るって言ってたから、もしまだ二人が帰っていないのなら、『アクアリウム』にいるんじゃないかな?」
「でも、うちはなんや妙な胸騒ぎがするねん。ここんところ、うちらがやることなすこと、全部ジン・ライムやアルケー・クロウに邪魔されてるやんか?」
ゾンメルが眉をひそめて言うと、フェーデルも不安になったのか、
「そこまで言うなら、一緒に『アクアリウム』に行ってみるかい?……って、君たち、どうしたのさ!?」
そう言っている最中に、空間の歪みに気付き、そこから出て来た人影を見て驚いて走り寄る。ゾンメルもそれに続いた。
「いったい何事なんだい!? 君たちがそんな風になるなんて、とても信じられない!」
フェーデルが叫ぶ。彼女の目の前には、血だらけでボロボロになったヘルプストと、それを肩で支えるヴィンテルの姿があった。
二人とも、トレードマークのマントは脱ぎ捨て、体のあちこちに血が滲んでいる。ヴィンテルの方はまだ傷は浅いようで、剣も腰に吊っていたが、ヘルプストの方は左腕を肘から失い、右手で大剣を杖にして、ヴィンテルに支えられながらやっと立っているようなありさまだった。
「……ウェンディが裏切った。奴の罠にはめられた」
ヴィンテルが言うと、フェーデルもゾンメルも言葉を無くす。これで四神のうち3柱の支持を失い、残りは火の精霊王フェン・レイだけが味方となってしまったが、この状況ではフェンもいつ寝返るか判らない……そんな思いが、二人から言葉を奪ったのだ。
しかし、ヘルプストは首を振ると案外しっかりした声で、
「そう決めつけるのは早計よ、ヴィンテル。ウェンディも『自分の間違いに気づいたら神殿に来い。1週間待つ』と言っていたじゃない?
そもそも、あなたはどうしてウェンディが裏切っていると決めつけて、勝手に彼女の喚問に出かけたのかしら? それも最初からケンカ腰で」
そうヴィンテルを詰問する。
ヴィンテルはヘルプストを地面に座らせると、
「ウェンディは勝手に配下を全員マジツエー帝国に送った。それもさしたる理由もなく。配下の中にはあのウェルム・ラクリマエもいる。奴らは何を考えているのか判らない」
そう、彼女がウェンディに不信を覚えた理由を言った。
(確かに、ウェンディとフェンはあまり仲が良くない。それにウェンディもジン・ライムの存在に気付いてからはその行動に謎が目立つ。かと言って、今までウェンディが私たちに面と向かって魔力を使ったことも、反論したこともない。何かお互いに勘違いしている可能性も捨てきれない……)
貧血気味のぼうっとした頭でヘルプストはそう考えたが、今はヴィンテルと言い争う気力もなかった彼女は、ただこれだけを言った。
「ウェンディはこの『組織』をここまで大きくした存在、彼女の反論も聞かないままに判断を下すべきではないでしょう。やはり『盟主様』に報告して、指示を仰いだ方がいいわ。フェーデル、ゾンメル、頼んだわよ」
二人の会話を息をのんで聞いていたフェーデルとゾンメルは、ヘルプストからそう言われて慌ててうなずいた。
「分かった。とにかくヘルプストはゆっくり傷を癒しなよ。ぼくたちで『盟主様』にお伺いを立ててみるから。ヴィンテル、悪いけれど案内してもらえないかな?」
フェーデルがそう言ってヴィンテルを見ると、彼女はヘルプストをじっと見ていたが、フェーデルの視線に気付き、
「あ、ああ。承知した。ついて来るといい」
そう短く答え、三人に背を向けて歩き出した。
その頃、ウェンディは精霊覇王エレクラを連れて、ユグドラシル山中腹にある神殿に戻っていた。ここは元々エレクラの神殿だったのだが、人々の信仰が薄れるにつれて放置されていたのを、ウェンディが『組織』のアジトとして使っていたものだ。
「……なるほど、私の神殿で好き勝手していたみたいだな、ウェンディ?」
身長180センチを超え、長く伸ばした白髪を首の後ろで縛った青年が、隣に立つどう見ても13・4歳の少女に言う。
少女は悪びれた様子もなく、長い黒髪を左手でいじりながら、
「ヤだなあ、ボクの神殿はちょっと大陸でも南東に寄り過ぎているから、ちょうど真ん中にあるじいさんの神殿を使わせてもらってただけだよ。いいじゃん、昔みたいに神官たちが常時詰めているわけでもないんだから」
そう言い訳をする。
エレクラはウェンディの言葉を無視して、琥珀色の瞳を彼女に向けて訊く。
「それで、ここで何があった?」
ウェンディはちらりとエレクラを見ると、大仰にため息をついて言う。
「ああ、じいさんってば相変わらず意地が悪いなあ。この場所にたゆたう魔力や、その瓦礫の下の血痕を見たら、大方予想がつきそうなもんだろう?」
「……以前お前が言っていた『組織』の者たちか?」
エレクラは琥珀色の瞳を光らせて周囲を見ていたが、
「ウェンディ、お前の言うカトル枢機卿だったか? そいつらはかなり剣呑な魔力を持っていたはずだ。そんな奴を二人も相手にしてよく無事だったな?」
そう、真剣な顔をしてウェンディに言う。
ウェンディはあっけらかんとした表情で、
「まあね♪ ただ、ボクは結構『組織』の奴らとは長い付き合いなんだよ? 彼らの魔力が魔族のそれを根底にしているってことを見抜くのは、そんなに難しいことじゃなかった。まあ、それを確信したのは、マイティ・クロウに会ってからだけどね?」
そう言うと、エレクラの顔を見て続けて、
「じいさんは知らないかもしれないけれど、団長くんはアルケーの魔法と対峙して、魔族の力が増大しているよ。エレーナが側にいるから、彼の魔力についてアドバイスをしているみたいだけれど、バランス的には余り面白くない状況だと思う」
そう、表情を曇らせる。エレクラはそれを聞いて、腕を組んで考えていたが、ゆっくりと首を振って答えた。
「四神の力は魔族の力と違い、与えられたものだ。元から持っている力によって増幅するが、それは魔族の力も同様だ。
ジン・ライムの魔族としてのステージが上がるにつれて、私が許可する力もより強力なものへと変わり、今ではステージ5が扱えるようになっている。その力が魔族の血と共鳴しているのだろう。
今さら、彼から私の力を奪うわけにもいかないだろう。エレーナ嬢がどれだけジン・ライムのことをコントロールできるかだが……」
「エレーナなら大丈夫だよ、きっと。彼女は団長くんのことが好きだし、何より大賢人スリングやエレノアとの約束を忘れちゃいないだろうからね」
笑顔で言うウェンディに、エレクラは
「……エレーナ嬢が自らの秘密に気付いた時どうなるかは、まさに『神のみぞ知る』か……『摂理の調律者』様がその時、どう判断されるかだな……」
そうつぶやいた。
「? じいさん、何か言った?」
不思議そうな顔を向けるウェンディに、エレクラは厳しい顔つきのまま
「何でもない。それよりウェンディ、この荒れ果てた私の神殿をちゃんときれいにしてもらわねば、ここへの立ち入りはおろか、私のワインを一滴たりとも口にできなくなると思うんだな」
そう言うと、ウェンディは焦った声でエレクラに
「えっ!? そりゃあ困っちゃうよ。ボクはじいさんのワインがこの世で最も気に入っているんだから」
そう言うと、右手を挙げて目を光らせる。崩れてうず高く重なっていた瓦礫が宙に浮き、それぞれの破片は元どおりの場所にはめ込まれていく。
「……相変わらず時の操作についての腕前は一級品だな。それを悪巧みに使わないのはお前のいいところだ。お前から見て、『盟主様』とかいう奴は何者だと思う?」
エレクラの問いに、ウェンディは
「ふう、『風の調律』をこんなことに使ったのも久しぶりだよ。それで、『盟主様』が何者かってことだよね?」
そう訊き返す。エレクラは黙ってうなずいた。
その表情から、ウェンディはエレクラがある程度の推測をしていることを確信した。
「まあ、まだ確証はつかんでいないけれど、じいさんが想像しているとおり『盟主様』ってのは『運命の背反者』だと思うよ?
カトル枢機卿たちが正体を知っているのかまでは判らないけれど、恐らく彼女たちはすべてを知ったうえで『盟主様』に仕えているんだと思う」
「なぜそう思う?」
「今までの『組織』を見ていると、世界の平穏を乱すことを企図しているのは確実だよ。ボクは『組織』に関わっている間、どんなグレーな作戦でも、世界の根本を変えることだけは避けて来たけれど、その根本のところに手を付けようとしているからね」
「お前が進めるはずだった『浄化作戦』も、その『根本のところに手を付ける』作戦だったんじゃないのか?」
エレクラが目を開けてウェンディを咎めるように訊くと、ウェンディはうなずいて、
「そうだろうと思う。彼らが言っていた『魔力を持つ者の選別』は、方向を変えれば『普通の人間の隔離』でもあるからね?
ボクはあの作戦の目標を『魔力を持つ者の世界とそうじゃない者の世界を分けること』だと思っていたけれど、本当は『魔力による洗礼と選別』だったんじゃないかって思うようになったんだ」
そう言って遠い目をする。後悔の念が籠った顔だった。
「それを確かめる方法はあるか?」
エレクラの問いに、ウェンディは即座に答えた。
「テモフモフが造ったPTD11は団長くんのところにいる。彼女にインストールされた作戦計画を解凍すれば、カトル枢機卿たちが何を狙っているかは判るはずだよ」
「分かった。お前は引き続き『盟主様』の正体を追ってくれ。ただし、無茶だけはするな。お前の後任はまだブリーズでは心もとないということを忘れるんじゃないぞ?」
そう言うとエレクラは姿を消す。
ウェンディは一つため息をつくと、思いつめたような眼で虚空を睨み、
「フン、もしエピメイアがまた何か企んでいるのなら、このボクがその計画を木っ端みじんにしてやるさ。ヴェント様の遺恨を晴らしてやる」
そう言うと、彼女もまたどこかに姿を消した。
★ ★ ★ ★ ★
マジツエー帝国は、ホッカノ大陸に所在する強国である。
その歴史は、6百年ほど前、伝説の冒険者ドン・ペリーが仲間たちと共に、『太陽が生まれる大陸』を目指した時から始まる。
ペリーは数か月に及ぶ艱難辛苦の末、漂着に近い形で東の大陸にたどり着いた。
航海技術がある程度発達した現在だから判ることだが、彼らはたまたまホッカノ大陸南岸に向かう海流に乗っており、もしもう少し北の海流に乗った場合は氷の海へと運ばれていただろう。運が良かったのだ。
そのドン・ペリーは新大陸開拓を仲間の一人、ナイフ・イクサガスキーに引き継ぎ、彼自身は『生命と始まりの研究』のため、マーリン・アマルガムと名乗って錬金術師になったことは前述した。
ナイフ・イクサガスキーは、仲間との抗争を乗り越えて植民地を広げていったが、最後まで『冒険団長』の立場を崩さなかった。当時はまだヒーロイ大陸を統一していたケルナグール王国から睨まれるのを避ける気持ちがあったのと、人口もまだ1万に満たず、魔物の討伐に忙しかったこともある。
しかし、ナイフの子ソード・イクサガスキーが冒険団長を引き継いだころ、ヒーロイ大陸ではド・クサイの余りの独裁ぶりに反乱が相次ぎ、戦乱を避けるためにホッカノ大陸に逃げ込む者たちもぐっと増えた。
そんな状況の中、ソードは名参謀のレザー・ヘイワガスキー、有能な民政家であるアンコロ・モチツキー、常勝将軍ナンディモ・ミツケールを配下に加え、マジツエー皇帝として即位、ヒーロイ大陸からの独立を宣言した。
以来、両大陸が離れていることにも助けられ、マジツエー帝国はヒーロイ大陸からの干渉を跳ねのけながら開拓を進め、今では並びなき強国としてその名を知られている。
「……そんな歴史を聞けば、マチェットの坊やがあくまで領土の割譲を拒むのは解るわ。
けれど、ワタクシと約束したのは先代のダガーよ。ダガーは帝国の歴史を踏まえたうえで『盟主様』の助けを乞うた。助けを乞うに当たり、『盟主様』から見返りを求められたため、自ら領土の半分を割譲すると申し出たのよ?
ワタクシがマチェット側の事情を考慮してあげる理由なんて、これっぽっちもないと思うけど、あなたは違う考えを持っているみたいね、ペテンシー?」
マジツエー帝国の帝都シャーングリラの北のはずれにある森の中、ひっそりとたたずむ古城には、赤い髪を持つ15・6歳の少女が、何人かの執事たちと共に住んでいた。
その少女は、豪勢なひじ掛け付きの長椅子に座って紅茶を飲みながら、目の前に座った亜麻色の髪を持つ男に訊いた。
「俺の名はディー・ゴーフレットだ。ペテンシーの名は捨てたといっただろう?」
男がそう凄むが、少女は左手で髪をかき上げ、どこ吹く風とばかりに笑って言う。その左目には、バラを象った黒いアイパッチが当てられている。
「そんなに怒ることないじゃない? ペテンシーの方が言いやすいし、あなたのイメージにも合ってるんだもん。それとも、単にDと言った方がいいかしら?」
男はぶすっとしたまま、
「まったく、ヴォルフの旦那がいい人じゃなかったら、俺はとっくにトオクニアール王国に戻っているところだぜ」
そうぼやくが、執事の名を出したところで自分がすべきことを思い出したのか、真顔に戻って言う。
「フェンの嬢ちゃん、何度も言っているが、確たる証拠を提示したところで、相手にも言い分ってもんがある。ましてやお嬢ちゃんが言う証拠には、肝心の相手がはっきりと同意したってわかるもんがねえ。そりゃ相手だって言いがかりだと思ってもしょうがないな」
それを聞いて、フェンと呼ばれた少女は冷たい目をDに当てて、威丈高に言った。
「それを何とかするのがあなたの仕事でしょ!? いつもの手口でチャチャっと証拠を作りなさいよ! お手の物でしょう?」
しかし、Dは少女の高慢な姿勢に辟易した様子で、
「……いいかいお嬢ちゃん。『騙す』ってのは『誠実さを感じさせる』ことと同義だ。うさん臭い奴の話になんか誰が乗ると思う?
今度の交渉も同じさ。こちらは確かに3年前の蟲の被害を終わらせた、それは間違いねえし、そのことについては相手さんだって認めている。要はその仕事に対する対価が、双方で食い違っているんだ」
そう言い聞かせるように言う。
「だ・か・ら、『盟主様』の働きに対して、ダガーは国の半分をやると言ったわけなの!
だからワタクシも『盟主様』に取り次いだのよ!? バックレられるって知ってたら、どれだけダガーが土下座しても、ワタクシは見て見ぬふりをしていたわよ。
まったく、誠意がない、誠実さに欠けているのはどっちだっていう話よ!」
フェンはそう吐き捨てると、全身に紅蓮の炎をまとわせてDに言った。
「とにかく『領土の割譲』は譲れない、さもないと実力行使あるのみ……シールドのおっさんがガチャガチャ言ったら、そう言っても構わないわ。
ワタクシもいろんな仕事を抱えて忙しい身なの。早いところマチェットの坊やに約束を履行させなさい!」
そう切り口上で言うと、テーブルの上にある銀の鈴を手に取る。
チリリン……
鈴が軽やかな音を立てると、ドアが静かに開き、黒い髪をした長身の執事が音もなく入って来た。
「お嬢様、ディー・ゴーフレット様との会談は終わられましたか?」
男が静かな声で訊くと、フェンはプイっと横を向き、
「話にならないわ。ヴォルフガング・ガイウス・フォン・ローゼンバッハ・ヨハン・ダヴィデ・フォン・ヘーゼルブルクのオリジナル、あなたがしっかり監督して。Dには譲歩の余地はないってはっきり伝えといたから」
そう言うと長椅子から立ち上がり、
「ワタクシはエレクラ様の所に顔を出してくるわ。でないとウェンディからまた小言を言われるから。ヴォルフガング・ガイウス・フォン・ローゼンバッハ・ヨハン・ダヴィデ・フォン・ヘーゼルブルクのオリジナル、後は頼んだわよ?」
そう言って転移魔法陣の中に消えた。
その様子を見たディー・ゴーフレットは、ため息と共にヴォルフガング・ガイウス……
「ああ、私のことはヴォルフでいい。お嬢様の真似をして姑息な手段でページ数を稼がなくてもいい」
ヴォルフはそう言うと、ため息と共に彼を見上げたディーに同情の眼差しを向け、
「お嬢様は少し頑固なところはございますが、物事の道理は解っておいでです。あなたの好きなように交渉を進めていただいても結構ですよ?」
そう優しい瞳で言う。ディーは難しい顔でヴォルフに訊いた。
「あんたのお仕えしているお嬢様って何者だ? 俺も少しは魔力ってもんが判る体質だが、尋常な魔力じゃなかったぞ? それに、俺の好きなとおりにすれば、必ずこの話をまとめてみせる自信はあるが、そうなった時あんたがお嬢様から怒られねえか?」
「そのことでしたら心配は要りません。お嬢様はお優しい方ですから」
ヴォルフは静かに笑ってそう言うと、音もなく部屋を出て行った。
ディー・ゴーフレットがフェンの代理人としてマジツエー帝国の『お偉いさん』と協議を始めて、もう2週間が経とうとしている。
交渉相手の大司空シールド・ヘイワガスキーや内務令クアトロ・アルペンスキー、参事官マリア・アルペンスキーの雰囲気からは、最初うさん臭さと警戒心がありありと感じられたが、ディーはもともと凄腕の詐欺師として名を売っていた男である、相手の信頼を取り付けることは彼にとって容易かった。
最初の会談で、ディーはマジツエー帝国の立場に理解を示し、
「私の依頼人は先帝陛下からの『蟲害解決の依頼文書』を所持しておりますが、この件に関しての反証はお持ちでしょうか?」
そう静かに問いかけた。
大司空は面食らって内務令を見る。内務令クアトロは首を振って、
「いえ、その点は確かに先帝陛下がフェン殿を通じて『盟主様』に依頼したことを認めます。こちらの文書録にも私文書として記載がございましたので」
そう正直に答えた。
ディーは微笑んでうなずくと、
「そうでしょうね。ご親筆の末尾に割印がございましたので、そちらでも把握はされていると思っておりました」
そう言うと、慌てたようにシールド大司空が口を挟む。
「しかし、その文書は領土割譲を認めたものではないはず。ましてや半分など、口約束でおいそれと認められるものではないぞ?」
ディーはそんなシールドにも理解のうなずきをして、
「おっしゃるとおりです。しかし、契約は本来、双方の合意ができた時点で成立いたします。今回の件では、先帝陛下は蟲駆除を『盟主様』に依頼し、『盟主様』はそれを受け入れた……契約そのものは成立していると私たちは理解しております。
また、文書にも『領土割譲については、詳細を打ち合わせたうえで検討させてくれ』との文言がございますので、先帝陛下は領土割譲についてまったくその気がなかったとは思えません。これが私たちの見解です」
そう告げると、シールドは苦り切った顔をして黙り込んだ。その顔を見たディーは、助け船を出すように続けて言う。
「何にせよ、契約が成立していることについては双方に異論がないものと理解します。
問題はその報酬について、私たちと陛下はじめ皆さんとの認識が異なっていることでしょう。このことについては、『領土の半分を割譲する』という部分は口約束ですので、双方の協議が必要だと依頼人も認めています」
「では、フェン殿は『領土の半分を割譲せよ』との要求を引っ込めると言われるか?」
シールド大司空が驚いて訊く。しかし、ディーは
「いえ、あくまで依頼人の要求は今までどおりです。ただ、私個人としては若干話し合いの余地はあるものと考えています」
そう言った。
この一言で、シールド大司空は
(フェンの全権委任を受けている男が言うのなら、交渉を続ける価値はあるだろう)
そう考え、以降の協議はクワトロ内務令を中心に進めることとして、1回目の会談は終わった。
ディーとしては、せっかく苦労して協議の場をつなぎとめたのに、フェンの意固地さでぶち壊されては堪らないという思いがある。
(まったく、大司空も頑固だが、お嬢さんも頑固で困る。かと言って、あれだけの魔力を持ち、得体の知れない配下を抱えたお嬢だ。本気で暴れたらマジツエー帝国の人たちにどれだけの迷惑がかかるか分かったもんじゃない)
幸いにして、クワトロ内務令も同じ危惧を抱いているようで、
「フェン殿が言われるように『盟主様』とやらには陛下も感謝されている。その感謝の意を金員で算定することは叶わないのか?」
そう言いながらも、領土の割譲そのものに絶対反対というわけでもなさそうだった。
(まあ、どんな経緯があろうとも、いきなり『領土を半分よこせ』と言われたら、ほとんどの者は激怒するか呆れるだろうな。だが、ダガー陛下は『盟主様』に遠慮したのか、領土の割譲について明確に拒否の意思表示をしていない。そこが帝国側としても痛いところだろうな)
一方でクワトロの方も、
(ふむ、フェンの代理人という割には、領土を大幅に切り取ろうなどの野心は少ないようだ。これは腹を割って話した方が問題は早く解決しそうだ)
そう言う思いを抱くのに、さして時間はかからなかった。
2回目の交渉では、フェン側は金員での報酬について具体的な金額を算定することとし、マジツエー帝国側は都市や町、集落を中心とした地域で『盟主様』に租借できる可能性を皇帝と協議することにして3回目の協議に臨むことを決めた。
そして3回目の協議で、次のようなことを決め、双方が覚書を交わした。
1.マジツエー帝国皇帝マチェット・イクサガスキーは、往年の蟲害に際し『組織』の果たした役割に感謝の意を表す。
2.その具体的な褒賞として、『組織』に対し8億ゴールドの謝金を給付し、併せてジークハイン町を中心とするヴェストオルター地域の99年租借に応じる。
そのことを聞いたマチェットは、シールド大司空に
「よくやってくれた。大きな損失もなしに協定を結べたのはそなたたちの頑張りのおかげだ。なんにせよ、『組織』やフェンについては今後も監視と調査は継続してくれ」
そう言って慰労すると共に、さらに警戒を強めた。
そしてフェン側だが、最初フェンはディーから報告を受けた時、柳眉を逆立てて、
「ワタクシは帝国の半分をもぎ取って来いと命じたはずよ!? それなのにたかが8億ゴールドと小さな町一つ、そして不毛の大地を受け取って来るなんて、あなたはワタクシをバカにしているのかしら?」
そう喚き散らした。フェンはいつもの背中の開いた赤いイブニングドレスに、首元には赤いチョーカーといういで立ちだったが、その赤がくすむ程の紅蓮の光に包まれている。
しかし、ヴォルフは立腹しているフェンに対し、あくまで穏やかに話しかける。
「お嬢様、8億ゴールドと言えば、以前お嬢様が手に入れられた『ド・クサイの秘宝』に次ぐ金額。しかもジークハインは銀鉱石が眠っているとの話もある場所です。そんな宝箱のような土地を99年間も租借できるのですから、『盟主様』もさぞ喜ばれるでしょう。
お嬢様の念願である『並行宇宙の管理者』という肩書が公式に認められるのも、そう遠いことではないでしょう。ディー・ゴーフレット殿の尽力に感謝なさるべきでは?」
驚いたことに、フェンはヴォルフの言葉を聞いているうちに激情を鎮め、しまいには笑顔になってディーに、
「お、おほん……そう言うことなら、確かにDはよくやってくれたと認めるわ。感謝するわね、ディー。ヴォルフガング・ガイウス・フォン・ローゼンバッハ・ヨハン・ダヴィデ・フォン・ヘーゼルブルクのオリジナル、ディーに褒美を使わしてちょうだい。ワタクシはこの戦果を『盟主様』のお耳に入れて来るから」
そう言うと、上機嫌に自室に戻って行った。
「……お力を貸していただき、ありがとうございました。報酬として1億ゴールドをお受け取りください」
茫然としているディーに、ヴォルフは温かい声でそう告げると、我に返ったディーは、
「……口先だけの働きに1億ゴールドももらうわけにはいかない。そんな大金を目にしたら人生が狂いそうだ。1万ゴールドだけもらっておくよ」
慌ててそう言うが、ヴォルフは笑顔で首を振り、
「そんなことはありませんよ。あなたはマジツエー帝国に住む人たちの暮らしを戦乱から、そして恐らくは魔物からも守ったんです。それを考えたら、もらう資格は十分にあると思いますよ?」
そう言って、ディーの肩を優しくたたいた。
★ ★ ★ ★ ★
僕は『アノマロカリス』号の船橋で、じっと左舷側を見つめていた。確かに、水平線に近い所に、3隻ほどの帆船がこの船と並走しているのが見える。
前からは海賊が操る2隻のガレオン船、風上側の真横には恐らく『アノマロカリス』号を追ってきた海軍の艦船……まさに進退窮まったような状況だが、この状況でもカイ船長は悠然として笑みを浮かべて僕たちに言った。
「団長さんたち、ちょっと面白いものを見せてやれるかもしれねえ。で、訊きたいことがあるんだが、団長さんは海の上で戦ったことはあるかい?」
「いえ、残念ですが、水上も含めて未経験です」
僕が正直に答えると、カイ船長は笑って僕の肩をたたき、
「そうかい。じゃ、おれたち『運び屋』の戦い方をしっかり見ておくんだな。きっと『暗黒領域』に足を踏み入れた時に役に立つだろうからよ」
そう言うと、左目のアイパッチを確認しているハンナさんに、
「戦闘指揮官。『アノマロカリス』は取り舵を取って海賊船と帆船の間に割って入る。取りあえず相手にするのはシロッコのおっさんだ。弩弓をあるだけぶちかましてやんな」
そう指示すると、ハンナさんはうなずいた後、心配そうに言った。
「左舷の帆船が仲間だったら?」
「その心配があるから、奴らの風上に出るんだ。奴らが海軍なら、『アノマロカリス』より海賊退治を優先するだろうし、シロッコの仲間なら帆柱を打ち倒してやるんだ」
厳しい顔で言うカイ船長の気迫に押されてうなずいたハンナさんに、船長はニコッと笑って白い歯を見せ、
「奴らが破れかぶれになって、接舷戦闘を仕掛けてきたら、前回同様、痛い目にあわせてやろうじゃねえか。しっかり頼んだぜ!?」
そう言うと、海図台の前にいたカノンさんに命令した。
「航海長、針路を並走する帆船の前程に出られるよう持って行ってくれ」
するとカノンさんは、この命令があるのを知っていたように、
「針路45度。取り舵!」
「アイ、アイ。とーりかーじ!」
鋭く号令をかけると、操舵員は景気よく舵輪を左に回す。『アノマロカリス』号はゆっくりと針路を左に振った。
船体の動きに合わせて、ブッシュ操帆長は部下の水夫たちを督励して帆を風を逃がさぬ位置へと回しつつ、
「フォア、メインのトガンスルを準備だ!」
そう叫ぶ。何人もの水夫たちが固定策を敏捷によじ登り、トップセイルの上に帆柱を継ぎ足してさらに帆を展開した。
「これで、左のヤツの前を横切って風上に出られるはずだ」
満足そうに言った船長は、今度はイッチさんに、
「ミズ・イッチ、左舷の船に信号だ。『われアノマロカリス。右舷方向に海賊あり』。急げ! その答えによっては今後の行動を変えるからな」
そう命令する。イッチさんはうなずいて、
「はい、『われアノマロカリス。右舷方向に海賊あり』。発信します」
そう言って左舷側のハリヤード下にいる信号員を見てうなずく。信号員は間髪入れずに数枚の信号旗をするすると掲揚した。
「……何人かの信号員がこちらの旗を確認しています」
望遠鏡で帆船の様子を確認しているイッチさんがそう言ったと思うと、隣で同じように望遠鏡を覗いていた信号員が、
「……応答旗を掲げました。『われトオクニアール王国海軍スループ艦シリウス。了解、海賊を撃滅する。北方に退避されたし』です!」
喜びの声を上げる。僕もホッとした。敵かと思っていたら、思わぬ味方だったのだ。
しかし、カイ船長は目を細めて、
「ふむ、スループ艦シリウス……ということは、『ハチの巣ジャック』の乗艦か」
そうつぶやき、肩をすくめてカノンさんに言った。
「航海長、シリウス号の北方2マイルまで行ったら、そのままトオクニアール王国の戦隊と並走だ」
「アイ、アイ、サー」
「えっ!? せっかく珍しくも海軍がシロッコをやっつけてくれるって言うんですから、そのまま南方航路に復帰して航海を続けた方がいいんじゃないですか?」
話を聞いていたイッチさんが驚いて言うと、カイ船長は首を振って、
「あの戦隊を率いているのは、王国海軍でも勇猛・勇敢で名を馳せているジャック・ジャージー艦長だ。『ハチの巣ジャック』の話は聞いたことがあるだろう?」
逆にそう訊き返す。イッチさんは首を横に振った。
「確か、コルベット艦長の時に『ヒヤシンス』号でパトロール中、領海侵犯してきたマジツエー帝国フリゲート艦『アインシュタット』号と交戦して、自らもハチの巣になりながら相手を拿捕して名を挙げた艦長だよ。勇敢だが筋を通す男で知られている。スループ艦部隊の司令代理になっていたんだね」
カノンさんがイッチさんに説明する。それを聞いていたカイ船長は、大きくうなずいて、
「そんな男が当てもなくこんなところをパトロールしていると思うか? きっとおれたちの姿が北方航路から消えたので、捜索に差し向けられていたんだろう。
だったら、ここで逃げるのは下策だ。臨検を受け入れてでも、おれたちがなぜ航路を偽装したかを打ち明けた方がいい」
そう言いながら、右に転針して増速した『シリウス』号ら3隻を見つめて言った。
「ちぇっ、今度は敵船の土手っ腹に飽きるほどぶち込んでやれると思ったんだけどな」
ハンナさんが至極残念そうに、狙撃魔杖を撫でながら言うと、
「まあそんなにがっかりするな。お前さんの出番はないに越したことはないんだからな」
別段慰めるようでもなくカイ船長が言う。
「そうそう、大体あんたの『戦闘指揮官』ってのはあんたの自称で、本来は工作長なんだからね。たまたま狙撃魔杖を手に入れて、船に搭載されていた弩弓を魔弩弓に改造した時はビビったけどな」
「おかげでシロッコのおっさんの船を全焼させられたじゃないか。せっかくの魔法武器だ、役に立つような使い方をしないと」
カノンさんの揶揄に、ハンナさんはムキになって反論している。いやはや、この船のクルーはどこまでも陽気でマイペースだった。
「司令代理、『アノマロカリス』を逃がしてしまうのですか?」
こちらはスループ艦『シリウス』の艦橋である。真ん中の海図台の前には航海長が立っており、右舷の羅針儀の前に立つ黒髪の男に問いかける。
男は風に音を立てる帽子のつばを気にする様子もなく、双眼鏡で海賊船を見つめながら、
「大丈夫だ、『アノマロカリス』のカイ・ゾック船長は道理が分かっている。我がスループ隊に追従しているところを見ると、逃げて疑われるより臨検を受けて容疑を晴らした方が得だと判断しているようだ。
そんなことより、あの海賊を叩き潰すことに全力を挙げろ。あいつらは我が国王陛下の民をいたぶり、その富を不当に奪取する輩だ。密輸容疑をかけられている『アノマロカリス』よりも明白な脅威だからな」
そう、強い口調で言う。
「分かりました」
航海長が答えると、彼は左舷にいる部下に声をかける。
「ミスタ・ヘブンズ、俺はこれから『アンタレス』と『アルタイル』も指揮しなきゃならないから、直接の攻撃行動に関しては貴官に指揮を委ねる」
「アイ、アイ、サー!」
ヘブンズと呼ばれた男は、しゃっちょこばって敬礼する。
「副長、俺は敵の旗艦を2隻に任せ、本艦で後ろの敵艦を攻撃する。その際、ずっと敵の風上かつ頭を抑えるように本艦を指揮してくれ。よろしいか?」
ジャックがそう自らの考えを述べると、ヘブンズ副長はにこりと笑い、
「分かりました。お任せください」
そう答える。ジャックはすぐさま、
「ミスタ・エリック!『アルタイル』と『アンタレス』に信号!『両艦でシロッコをハチの巣にせよ』。急げ」
そう命令を下す。
ジャックの命を受けた『アルタイル』と『アンタレス』は、すぐさまスピードを上げて先頭のガレオン船に襲い掛かっていく。
ガレオン船の海賊たちは、獲物とする『アノマロカリス』号の突然の変針に対し、その頭を押さえるように針路を変えていた。
そのため、真向いから風を受けて使えなくなった帆を畳み、オールで船を動かしている。その様は遠くから見ると、まるでずんぐりとしたフナムシに似ていた。
「ミスタ・ジョンソン、通常より早めに射撃を開始して、敵のオールをへし折ってやれ」
ジャックはそう命令を下すと、ジョンソン砲術長は目を輝かせて敬礼し、
「アイ、アイ、サー!」
そう言って艦橋から駆け下りてゆく。弩弓の一つ一つに直接号令をかけようという腹積もりなのだろう。
「ミスタ・エンジェル、敵には衝角がある。うっかり土手っ腹に一撃を食わないよう、オールをぶち折るまではある程度の距離を取るんだ」
その注意を聞いて、航海長はサッと敵艦の針路を確認する。
こちらは風任せ、相手は人力。針路選定は相手の方が格段に有利だが、その代わり相手は図体の大きい船を百何十人からの漕ぎ手で動かすのだから、速力は出ないしとっさの加減速も難しい。
そしてさらに大きい欠点は……
「撃てーッ!」
バシュン、バシュン、バシュン!
相手までまだ1ケーブル(この世界で約370メートル)はあろうかという距離で、ジョンソンは射撃開始の号令を下した。と同時に、『シリウス』のメインマストトップに赤い戦闘旗が翻る。
ジャックは『アノマロカリス』号の信号を受け取り、シロッコの撃滅に動くと決断した時点で戦隊に戦闘準備命令を下していた。司令として戦闘命令を下したからには、各指揮官には任意のタイミングでの攻撃開始命令下達を許している。これがジャックのやり方だった。
「ほっほう、さすがは『ハチの巣ジャック』だな、すげえ弩弓の命中率だ。あの分じゃ、シロッコの『ハダカデバネズミ』号のオールはほとんど叩き折られているんじゃないかな」
船橋からスループ艦とガレオン船の海上決戦を双眼鏡で眺めながら、カイ船長は子どもみたいにはしゃいでいる。まあ、高みの見物なら自分に火の粉は降りかからないから、僕も初めて見る『海の戦い』を割と冷静に見学することができた。
「ガレオン船は帆とオールで動く。普段は帆を張るが、戦いの時はオールに切り替える。その方が風を気にせず行動できるからだ。だが……」
カイ船長はそこまで言うと双眼鏡から目を離し、僕に双眼鏡を渡しながら目顔で『戦場を見てみろ』と指示する。僕は双眼鏡を覗いてみた。
2隻のスループ艦が1隻のガレオン船を挟み撃ちにして、周囲から弩の雨を降らせている。オールのほとんどは折られてしまい、満足に海面をかいているのは数本しかない。
船上では帆を上げようと努力している船員の姿も見受けられたが、肝心の横桁が弩を受けて船上に落下した。
ドオオオンッ!
数秒遅れて僕たちの耳に、横桁が甲板をたたき割る大きな音が届いた。
「……あれであの船はジ・エンドだな。シロッコの『ハダカデバネズミ』号もおっつけ同じ運命をたどるだろうぜ」
そうこう言っているうちに、僕の双眼鏡の中ではスループ艦が容赦なく火矢をたたき込んでいる。やがて海賊船はパッと燃え上がり、数分もすると耐えきれなくなったように横倒しになった。その周りにはかなりの数の人間が浮いている。最後の瞬間に海に飛び込んだ海賊たちだろう。
「あいつらは、全員が埋め立て工事の現場行きだな」
望遠鏡で一部始終を眺めていたカイ船長は、望遠鏡を畳みながらそう言うと、
「ミズ・カノン、もうすぐ『シリウス』がやって来るだろう。そん時ゃ、『ハチの巣ジャック』の指示どおりにして、いちゃもんをつける隙を与えないようにするんだ」
カノンさんや僕を見て笑った。
(海賊を狩ろう! その4に続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
さて、『アノマロカリス』号は無事に海賊の襲撃を逃れられたようですが、何やら一難去ってまた一難という感じのようです。
まだアロハ群島にも着いていないのに、前途多難な船旅になりそうです。
次回もお楽しみに。




