Tournament62 Fiends hunting:Part22(魔神を狩ろう!その22:帰還)
ウェカを失って悲しみにくれるジンだが、突然元の世界に呼び戻される。
しかし、ジンがいなくなった後、サリュたちは力を合わせて世界の復興に努力していることを知る。
そんな時、自分がいない間に事態が大きく動いたことをド・ヴァンから知らされたジンは……。
【主な登場人物紹介】
■主人公ジン・ライムが5千年前の世界で出会った人たち
♡ウェカ・スクロルム 16歳 金髪碧眼の美少女。弓が得意なアタシっ子。カッツェガルテンというまちの執政官だった。ジンを運命の相手として慕い、魔物を駆逐する同盟の首領として活躍したが、ドラゴンの攻撃を受け戦死した。
♤ザコ・ガイル 22歳 茶髪碧眼のオーガの青年。大剣をぶん回す俺っち戦士。ウェカと同じくカッツェガルテンに住んでいた。鍛冶屋の息子でウェカの同志的存在。魔物を駆逐する戦いでも別動隊を指揮して活躍したが、ウェカとともに戦死した。
♡マル・セロン 22歳 黒髪黒眼のエルフの美女。ウェカの書記で、カッツェガルテンの民政を引き受けていた。性格は冷静で、ウェカを妹のように可愛がっており、ザコとは幼馴染だった。魔物駆逐後にウェカやザコに先んじて戦死した。
♡ネルコワ・ヨクソダッツ 13歳 茶髪で黒い瞳を持つヴェーゼシュッツェンの後継者。父の戦死と家臣団の離反で殺されそうになっていたところを、従姉の忠臣アーマ・ザッケンに救われ、カッツェガルテンに従妹のアーカ・ザッケンを遣わして救援要請した。
♡ジビエ・デイナイト 17歳 赤髪灼眼の17歳。オーガ族長の長女でジンの能力に惹かれ、異世界での仲間となる。巨大な棍棒を揮って戦うアタイっ子猛将。
♤サリュ・パスカル 17歳 金髪碧眼の美男子でユニコーン族長の長子。ジンの異世界に興味を持ち、ジビエに誘われる形で仲間になった。レイピアを持つが智謀と魔力に優れた参謀役。
♡サラ・フローレンス 精霊王アクエリアスの神殿に仕えるエルフの神官で、金髪碧眼の17歳。魔物に襲われ孤立した神殿にいたところをジンたちに助けられて仲間になる。精霊王との共感能力に優れ、数々の危機を予言する。回復魔法の達人。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
僕はレンさんからカッツェガルテンの危機を聞いて、すぐさま部隊を引き返させた。同行していたネルコワさんも、
「ウェカさまの危機でしたら、悠長にヴェーゼシュッツェンを目指しているべきではありません」
と、一緒になって部隊を旋回させただけでなく、
「ジン様、わたくしの部隊からも馬を引き抜き、精鋭を率いて騎馬隊を編成してはいかがですか? 残りの兵たちはわたくしにお任せください」
そう献策してくれたので、僕は彼女の意見に従って騎馬隊を組織し、レンさんを含めて5百騎でカッツェガルテンへと取って返した。
僕たちがカッツェガルテンを出発したのは日の出と同時刻だ。太陽は中天に近く、4時間ほど行軍してきたわけだが、騎馬で戻ったとしても2時間以上はかかるだろう。ウェカたちがどれだけドラゴン相手に粘れるかがカギを握っていた。
「レンさん、ドラゴンが数百頭攻めてきたとして、ウェカたちはどのくらいの間攻撃を撥ね返せるだろうか?」
僕が訊くと、レンさんはいらだった様子で答えた。
「カッツェガルテンには遠距離攻撃のための武器は弓しか備えがありません。相手は空を飛びますし、矢の射程外からブレス攻撃を続けられたら、いかに戦上手のザコ将軍でも手に余るでしょう。せめてバリスタでもあれば、2・3時間は持久できるのでしょうけど。
後はマル様たちが、ウェカ様に城からの撤退を同意されられるかどうかです」
それを聞いて、僕も焦燥感を募らせた。もしドラゴンたちの狙いがウェカ一人だったなら、勝負はあっという間についてしまう恐れだってあるのだ。
「ウェカが脱出してくれればいいが……」
僕のつぶやきに、レンさんは首を振って言った。
「ウェカ様は戦う気満々でした。住民たちを残して脱出するおつもりはないでしょう」
だとしたら、一刻も早くカッツェガルテンに到着するしかウェカを救う道はない。ああ、ここにワインがいたら、いや、僕だけでもアーカさんに転移魔法陣で転送してもらうべきだった……僕は考えても仕方ないことを思いながら、馬を走らせた。
馬をつっ走らせること1時間半、僕たちはカッツェガルテンの北20マイルにまで戻って来た。ここまで来ると、僕には城を攻め立てているドラゴンたちの魔力が感じられた。
そして、そのことが僕を余計に焦らせた。理由は二つある。
一つは、ドラゴンの数がレンさんから聞いていた数倍に上っていることだった。レンさんは数百と言っていたが、僕が感じ取った魔力の数は優に1千を超えていた。
二つ目は、その魔力が独特の波動……つまり僕と同じ魔族の波動を持っていたことだ。
つまり、ドラゴンたちを差し向けたのがアルケー・クロウの可能性があることを示しているのだ。
(これは、今すぐにでも助けないと、最悪の結果になるかもしれないぞ)
そう直感した僕は、レンさんに焦った口調で訊いた。
「レンさん、ここからカッツェガルテンまであとどのくらいかかる?」
「馬がバテてきています。どんなに急いでも1時間半はかかるでしょう」
レンさんは悔しそうに言う。彼女はウェカが今もって僕たちに合流しないため、心のどこかで最悪の事態を覚悟しているようだ。もちろん姉のリンさんの戦死も想定内だろう。
だがそれでは困るのだ。僕の大事な人が生死の狭間で戦っているのなら、僕は騎士として全力でそれを救う義務がある。何とかして20マイルを飛び越えて、ウェカを助けに行けないか……。
僕がそう強く思ったとき、僕の胸に淡い翠の光が灯った。
(そうだ、僕は『風』の魔法も使えたじゃないか!)
そのことを忘れていたのは失策だったが、思い出さないよりはいい。僕は隣で馬を駆るレンさんに、
「俺は先に行く。ドラゴンを片付けるころに追い付いてくれ」
そう言うと、『風の翼』を発動した。
「くそっ、ドラゴンの奴ら、好き勝手しやがって」
僕がカッツェガルテンを望む丘陵に着地したとき、城は城壁は崩れ、見張塔も失い無残な姿になっていた。
けれど、空を真っ黒に覆って城の周りを飛び回っているドラゴンに向かって、間欠的に矢が放たれているのを見ると、城兵は全滅したわけではないようだ。ひょっとしたらあの最後まで交戦しているのはウェカやザコ将軍、リンさんたちかもしれない。
そう思ったとき、僕の頭の中に声が響いた。
(魔族の王よ、摂理の外にいる者の非道な行いを、お前は見過ごすのか? お前の大事なものを奪った輩には『掟』に基づいてその償いをさせよ)
その声が聞こえた瞬間、僕の身体からは紫紺の魔力が噴き出した。それは誇張でもなく、まさに『噴出』と言って相応しかった。紫紺の魔力は渦を巻いて、僕の上空数百メートルまで迸ったのだ。
ドラゴンたちは僕の魔力に気付いたのだろう、次々と城の上空を離れて僕の方へとやって来る。やがて僕の頭の上は、旋回するドラゴンたちでいっぱいになった。
彼らは僕を敵と認識しているのだろう、咆哮を上げて威嚇したり、ブレスを吐きかけてきたりしたが、僕はそれらがただ煩わしかった。
僕は無造作に左手を上空に向け、無造作に魔力を開放した。
「汝ら摂理を外れしものどもよ、魔族の『掟』によってその罪を秤量し、断罪の鉄槌を下さん。『終焉の輪廻』!」
ギョエエエエ!
グワアアーッ!
僕の魔力はドラゴンの群れの真ん中で炸裂した。そしてその魔力の拡散は、千を超えるドラゴンたちを一瞬にして消し去った。短い断末魔の声が聞こえただけの、あっけない勝利だった。
僕は魔力を収めると、重い足取りでカッツェガルテンへと歩き出した。とても心がざわついていたし、酷く疲れてしまっていた。あの声が聞こえた時、僕はウェカの死を確信したのだ。声は僕に、ウェカが消え去る瞬間の言葉を知らせてくれていた。
『ジン、さよなら。愛してる』
僕が『風の翼』を使わずに、1マイルの距離をカッツェガルテンまで歩いたのは、ウェカの死を受け入れたくなかったからだろう。
カッツェガルテンの状況は酸鼻を極めた。
建造物は軒並み破壊され、瓦礫の山となっている。その瓦礫の下に、あるいは通りであったところに、黒焦げになった死体が転がっている。
それはここだけではなく、恐らく城内のいたるところに広がっている光景だろう。執政官であるウェカがいなくなった今、カッツェガルテンは滅んでしまったのだ。
『お前が闇に呑まれたら、大事なものを喪うだろう』
僕は今まで、エレクラ様のその言葉ばかりに気を取られていたが、不意にもっと直接的に僕たちの未来を予言していた言葉を思い出した。
それはユグドラシル山にあるエレクラ様の神殿での言葉だった。
『そなたら四人の事績は、長く人々に記憶されることになるし、アクエリアスの予言のとおり、国が生まれる時、乙女はそなたと結ばれるだろう』
(あの時すでにエレクラ様は、僕たちから犠牲者が出ることを予見されていたんだ)
「ジン様、これはいったい……」
いつの間にかレンさんが追い付いてきた。とすると、僕はあの丘からここまで1時間以上かけて歩いて来たのか……。
僕が取り留めのないことを考えて茫然としていると、兵士たちに
「まずはこの惨状をネルコワ様にお知らせしないと。それと、早くウェカ様やザコ将軍たちも探さないと」
と、主だった隊長たちに命令を下していた。
「ジン様、ウェカ様を探しましょう。ネルコワ様みたいに、ザコ将軍やリンが庇護して避難されているかもしれません」
レンさんがそう言ってくるが、僕は力なく首を振った。
「ウェカたちが無事でいるなら、僕が1時間前にドラゴンたちを消滅させた後、姿を現しているはずだ。そもそもウェカにその気があるなら、城を脱出して僕たちに合流しているはずだよ……」
「……それはそうですが……」
立ちすくむレンさんを残して、僕は再び歩き始める。僕の魔力視覚がウェカの魔力の残滓を捉えたからだ。現実を受け止めるのはつらいが、それを乗り越えないと明日はいつまで経ってもやって来ないことは、ドッカーノ村を出てからの旅でよく分かっているつもりだった。
「ジン様、どちらへ?」
ハッとして訊いてくるレンさんに、僕は歩みを止めずに答えた。
「ウェカはこっちにいる。ついて来てくれないか?」
僕はウェカの魔力が導くまま、重い足取りで崩れかけた城の階段を登っていった。
城の建物は、あちこちが崩れ、酷く焼け焦げていた。まともな場所はただの一か所すらない状況から、僕はウェカたちが最期まで勇敢に戦ったことを確信した。
やがて僕は、城の上部にある通路で足を止めた。そこにはシュッツガルテン北部遺跡で見た『影の庭』と同じ光景が広がっていた。
槍を持つ兵士、敵の炎を受け止めるかのように大剣を振りかざした影、そして……敵を射すくめるかのように、弓を構えて仁王立ちになった少女……。
レンさんは真っ青になって立ち尽くしていたが、やがて絞り出すような声で訊いた。
「……ジン様、これは? まさか……」
その問いに僕は無言でうなずいたが、レンさんの嗚咽を聞くと、抑えていた感情が爆発してしまった。
「5千年後の僕は、この風景を見たんだ。だから、こんな事にならないようにと努力したつもりだった!
僕が僕の世界の歴史を元に戻したのなら、ウェカは最初からこうなる運命だったっていうのか? じゃあ僕が来なければウェカは助かったのか? 答えてくれ、エレクラ!」
僕がしたことで歴史が元どおりになり、5千年後の僕たちは僕たちが知っている時空を生きるだろう。僕がいなければ、今頃この時空は僕たちの時空と違う歴史を刻み始めていたかもしれない。
けれど、たとえ違う時空として僕らの世界と別の道を歩くとしても、やはりそこにウェカがいてほしかった。だってここはウェカが生きたウェカの世界だったから。
「ジン様……」
レンさんがおろおろしている。それは分かっていたが、僕は叫び出さずにはいられなかったのだ。
「うわあああーっ!」
「ジン様!」
僕はレンさんの目をはばかることなく、大声で泣き叫んだ……運命は決定しているのか? なぜ、僕は過去にまで来て一人の少女を犠牲にせねばならなかったのか? それが摂理を守ったことになるのか?……考えれば考えるほど、頭の中がごちゃごちゃになっていく。
ドウンッ!
「ジン様っ!」
レンさんの驚いた声が聞こえる。紫紺の魔力に包まれた僕を見て、危険を感じたのか後退りしていた。それはそうだろう、僕自身この魔力を制御できそうになかったんだから。
『魔族の貴公子よ、お前は『繋ぐ者』と『摂理の破壊者』、どちらにもなりえる。お前の今後は、お前が何を思い、何を求めるかだ。それを忘れないでおくことだ』
不意に僕の頭の中にあの声が聞こえた。それと同時に、僕の意識は飛んでしまった。ただ、温かくてふわりとした感覚だけが僕を包んだ。
★ ★ ★ ★ ★
僕は、いつか見たことのある風景の中にいた。
僕は寝台の上で横になっている。身体がだるく、息が苦しかった。
息苦しくて喘いでいる僕の額に、大きくてがっしりとした手が置かれる。その温かな感触は、幼い僕を安心させた。
「熱は下がってきたな。だが少し息が苦しそうだ。エレノア、ジンについていてくれ。俺は薬草をもらって来よう」
低いが優しい声とともに、僕の額から手が離れる。
「バーボン、こんな時間じゃ、まだナース伯母さんも寝ていらっしゃるわ」
柔らかくて優しい女性の声がする。忘れもしない、かあさまの声だ。
「……かあさま……」
僕がつぶやくと、母はすぐに僕の横に腰かけて、ゆっくりと髪をなでてくれながら言う。
「バーボンったら、もういなくなっちゃって。大丈夫よジン、熱が下がったから、息苦しさも少しずつなくなっていくと思うわ。
それにしても、お父様は本当にジンのことを大切にしているのね。一晩中あなたのことを看病して疲れているはずなのに、薬草を取りに行くなんて」
僕はゆっくりと目を開ける。2年ほど前にいなくなった母の優しい顔がそこにあった。
母は僕に微笑みかけると、
「ゆっくりお眠りなさい。お父様もじきに戻って来るでしょうし、私もずっとあなたの側にいるから」
そう言ってくれる。幼い僕はその言葉に安心して目を閉じた。
(これは、夢か?)
僕がそう思うと、頭の中に
『温かい思い出じゃな。そなたは魔族とはいえ、冷たくはなりきれないものと見えて安心したぞ』
そんな女の子の声がする。その声は続けて、
『目を開けよ、魔族の貴公子よ。わらわの所にくるがいい』
そう話しかけて来る。僕は言われたとおりに目を開けた。
そこは、どこまでも白い世界だった。柔らかくて温かな光に満ちた世界……見えるものと言えば足元を流れる霧と、霧でぼやけた空との境目だけだ。見渡す限り何もないが、それでも僕は寂しさや怖さといった感情を持つことはなかった。
『こちらに来るとよい。お前を待っている者もおるからのう』
僕は何の疑いも持たず、声がする方へと歩き始める。足元には霧がたゆたっているが、道は平坦でつまずくものは何一つなかった。
僕が歩いていると、不意に、まるで目の前で薄いカーテンが開かれたように、二人の人物が僕を見て立っているのが見えた。
一人は、180センチを超えているであろう長身で、白い髪をうしろでくくり、黒の詰襟を着た男性、もう一人は白い服を着たどうみても10歳くらいの女の子だった。
少女は、アンバーの瞳を僕に向けて言う。
「そなたをここに呼ぶのは2回目じゃな。こちらの人物には何度か会っておると思うが?」
「はい、そちらのお方は土の精霊覇王、エレクラ・ラーディクス様ですね?」
僕が答えると、少女はにんまりと笑い、エレクラ様の方を向いて言う。
「エレクラ、そなたの見込みは当たっていたようじゃな。魔族の貴公子の扱いについては、そなたに一任するぞ?」
ニコリともせず僕のことを見つめていたエレクラ様は、それを聞いて少女に会釈すると、僕の側にやって来て微笑んだ。
「分かりました……ジン・ライム、お前の本名は知っているが、今はその名で呼ばせてもらう」
僕も微笑んで答えた。
「構いませんよ。それも僕の名前ですから」
するとエレクラ様はうなずいて
「では、私の『ラント』に来てもらおう。詳しいことはそこで話したい」
そう言うと、黄金色の魔力を発動した。
エレクラ様の世界である『ラント』は、精霊覇王が住まうに相応しく、静かで厳然とした雰囲気に包まれた場所だった。
そこに暮らす人たちも、穏やかでありながら凛として、話す言葉も態度にも真面目さや几帳面さがよく表れていた。
僕はエレクラ様の邸宅兼執務をする家に招き入れられ、その一室でエレクラ様と向かい合って座った。
「お前に話があるというのは、お前の今後のことについてだ。アルケー・クロウについては、お前もある程度のことは知っているだろう?」
エレクラ様の言葉にうなずいた僕は、心の中に引っ掛かっていたことを訊いた。
「その前に、エレクラ様は僕の世界のエレクラ様ですか、それともウェカの世界のエレクラ様でしょうか?」
エレクラ様は薄く笑って、
「今の精霊王はウェンディ・リメン、フェン・レイ、マーレ・ノストラムと私だ。お前を5千年前に飛ばした本人でないと、元の世界に連れ帰ることはできないからな」
そう答える。考えてみれば当たり前のことだった。
「それとも、もっと5千年前の世界に居たかったか?」
エレクラ様にそう訊かれて、僕は言葉に詰まった。そりゃあシェリーやワインがいる世界に戻りたくないわけはない。けれど、ウェカや残された人たちのことを考えると、僕はもう少し体制を固めてから帰りたいとも思っていたのだ。
答えに詰まっている僕を見て、エレクラ様は静かな声で、
「お前が5千年前の世界で何を思い、どんなことをしたのかは知っている。おかげであの世界は『摂理の黄昏』を回避し、そこに住む者たちの未来を取り戻した。
お前には納得できないこともあるだろうが、お前が仲間となった者たちのその後は、お前の理想に近い方向に進んでいるはずだ」
その瞬間、僕の脳裏に浮かんだのは、ウェカやネルコワさん、サリュやジビエ、その他諸々の仲間たちの顔だった。みんな自分たちの世界の行く末を案じ、自分たちでできることを一生懸命やり抜いたのだ。
(みんながいる。サリュたちなら、僕がいなくても新たな世界を創っていけるだろう)
僕はそれでも、ウェカがたどった運命を受け入れることが出来なかった。
「エレクラ様がおっしゃりたいことは解ります。けれど僕は、やっぱりあの世界に行って余計なことをしてしまったんじゃないかって思ってしまいます」
僕が言うと、エレクラ様は黙って僕の顔をじっと見ていたが、やがてため息をついて
「……ふむ、『摂理の調律者』様から、摂理や運命について、アルケー・クロウの考えと共にお前に話をしてやってくれと言われていたが、今のお前には理解し難いかもしれない。もう少し時が経ってから話をすることとしよう」
そうつぶやくと、傍らにいた女性に、
「ライン、ジン・ライム殿をシュバルツハウゼンにいる仲間のもとへ送り届けて差しあげろ。私が関わっていたことを『賢者会議』や『組織』に悟られないように頼むぞ」
そう命令する。するとオーガのように立派な体格をした女性が、金髪の下の黒い瞳を僕に当てて微笑むと、
「承知いたしました、お兄さま」
そう答えて僕に微笑んだ。
ジンを送り出したエレクラは、その足で『アクアリウム』に向かった。ここは水の精霊王が住まう世界である。
「まあ、エレクラ様! 突然のお運び、いったいどうなさったのですか?」
不意の訪問を受けた精霊王の副官で筆頭精霊でもあるモーリェ・セレが、緑青色の瞳を持つ眼を丸くする。
エレクラが硬い表情のまま、
「マーレはいるか? 少しお前たち水の精霊に頼みたいことがあるのだが」
そう言うと、内容の深刻さを悟ったモーリェは、飲み込み良くうなずいて、
「マーレさまは島内を巡回中です。すぐに呼び戻しますので、とりあえずお待ちください」
そう言ってエレクラを接見の間に通すと、すぐにマーレを呼びに屋敷を出て行った。
程なくして、モーリェから事の次第を聞いたマーレが慌てて戻って来た。彼女は一息いれる間もなく、エレクラが待つ接見の間に直行し、
「これはエレクラ様。留守をしていて申し訳ございません」
エレクラに待たせてしまったことを詫びると、椅子に座って
「突然お運びいただいたうえ、何かわたしたちにご依頼があるとのこと。いったいどんなことでしょうか?」
そう単刀直入に尋ねた。
エレクラは沈痛な顔のまま、彼らしくもなく切羽詰まった様子で言った。
「これは『摂理の黄昏』や『魔王の降臨』にも関わること、ぜひともお前たち水の精霊たちにうんと言ってもらわねば困る」
「……そのご様子では、かなり緊急性が高く、困難なことと拝察いたしますが、お話をお聞きしないとわたしたちも返答に困ります。お話をお聞かせくださいませんか?」
困惑した様子でマーレが問い返すと、エレクラは苦笑して落ち着きを取り戻した。
「そうだったな。私としたことが、年甲斐もなく焦ってしまった。これから詳細を話すので、引き受けることを前提に聞いてほしい」
エレクラの言葉に、マーレは緊張の面持ちでうなずく。
「実は、ジン・ライムを5千年前の世界に送っていたのだが、そこで少し問題が起きた」
「5千年前……と言われると、前回の『摂理の黄昏』の兆候が見えた時期ですね? わたしはその頃、精霊として生まれたばかりでしたが、先々代のアクエリアス様から当時のことを伺ったことはあります。何でも人間の中から『繋ぐ者』が生まれて、危機一髪で回避できたのだとか……ではジン・ライムがその『繋ぐ者』だったと?」
驚いたマーレがそう訊くと、エレクラは苦い顔でうなずいて、
「私はそう確信して彼を5千年前の世界に送った。
見込みどおり彼のおかげで『摂理の黄昏』は回避できたが、どうやらジン・ライムに『摂理と運命』に関して若干の疑義が生じてしまった。
思えば、彼の魔力はまだ安定していなかった。かの世界で経験を積めば魔力も安定し、『繋ぐ者』としての天命も下るものと思っていたが、まだその時ではなかったらしい」
珍しく後悔の念を漏らすエレクラだったが、マーレは深い海の色をした瞳で何かを思い出すように遠くを見ていた。
「……マーレ、何を考えている?」
エレクラが訊くと、マーレはハッとしてエレクラを見つめ
「5千年前、『伝説の英雄』と呼ばれた『繋ぐ者』は、恋仲となった乙女を喪った。そのため『伝説の英雄』は姿を消した……とアクエリアス様から聞いた覚えがございます。
ではジン・ライムも、恋仲となった乙女を喪うという経験をしたのでしょうか?」
そう哀しそうな瞳をして訊く。
エレクラは緩く首を振った。その仕草は、彼でさえも抗えない『運命』に対する諦念を示していた。
「ジン・ライムには気の毒だったが、カッツェガルテンの少女にはそのような運命が与えられていたのだ。仮に私がジン・ライムを送らないという決断をしたとしたら、今の世界が存続しているかも怪しい」
「エレクラ様はいつもおっしゃっていました。『運命は観測するまでは決定事項ではない』と。でしたら、乙女を喪うことなく『摂理の黄昏』を止めることも可能だったのでは?」
マーレの問いに、エレクラは
「それこそ、『摂理の規定はどこまで及ぶか?』という問題だ。言い換えれば、『運命は個人に与えられるか、事象として与えられているか?』だな」
そう言うと、マーレの目を見て続けた。
「その問題については、『運命は個人に与えられ、観測の中で決定する』と言うのが私の持論だ。5千年前の例で言えば、カッツェガルテンの少女も、ヴェーゼシュッツェンの少女も、そしてアクエリアス神殿の神官長にも等しく『乙女』となる運命は与えられていた。
その中でカッツェガルテンの少女が『乙女』に選ばれたに過ぎない。誰が『乙女』に選ばれたとしても、『乙女』は悲恋の主人公となるシナリオだ。シナリオを規定するのが『摂理』で、キャスティングするのが『運命』。私はそう理解している」
マーレはエレクラの話を身じろぎもせず聞いていた。そして理解のうなずきとともに笑顔で言う。
「お話は解りました。でも、ジン・ライムはまだ若年。加えて『鈍感系思わせぶり主人公』だそうです。そんな彼に今その話をしても、彼の傷付いた心は癒えないでしょう。
わたしにお任せいただけないでしょうか? ジン・ライムの傷心を些かでも慰めてあげられたらと思います」
それを聞いて、エレクラの顔に『アクアリウム』を訪れて初めて笑顔が浮かんだ。
「うむ、私はそれをお前たちに頼みに来たのだ。ジン・ライムを闇落ちさせるわけにはいかないからな。お願いできるか、マーレ?」
「わたしは『繋ぐ者』には魔族こそ相応しいと思っていました。彼の精神がアルケーに取り込まれないよう、見守って差し上げます。お任せください」
マーレは頬を薄桃色に染めてエレクラに答えた。
★ ★ ★ ★ ★
その頃、ジンがいなくなった5千年前の世界では……。
「カッツェガルテンが? それは本当なの!?」
カッツェガルテンから急を知らせて来たレン・ランロンから町の壊滅とジンの失踪を聞かされたネルコワやサリュ、ジビエは驚倒した。
「はい、千を超えるドラゴンに襲われては……。ジン様が駆け付けられ、ドラゴンは退治されましたが、一足遅かったようです」
肩を震わせながらレンが報告する。彼女も、ウェカや姉であるリンの死、それに続くジンの失踪に打ちひしがれているのがはっきりと判った。
「ウェカさまは? どうしてウェカさまが一緒に逃げて来ていないの!?」
カッツェガルテンの執政で大陸連盟の『統領会議』メンバーの一人、ウェカ・スクロルムや宿将ザコ・ガイル将軍、リン・ランロン副官の戦死はすでに早馬で知らされてはいたものの、一縷の望みを捨てきれないネルコワは祈るような思いでレンに訊く。いや、取り乱したその様は、もはや詰問に近かった。
嗚咽を漏らすばかりのレンを見て、ジビエが口を挟んだ。
「おちびちゃん、気持ちは解るが少し落ち着いたらどうだい? レンだって辛い思いをしているんだ。泣き止むまで待っておあげ」
それを聞いて、腰を浮かしていたネルコワは虚脱したように椅子に座り込む。
それを横目に見ながら、サリュが形のいいあごを指でつまんでつぶやく。
「どう考えても解らないのは、ジンがレンの目の前で消えた、ということだ。ジンはカッツェガルテンの状況を見て、今後自分が何をすべきかは分かっていたはず。それを投げ出してどこかに行ってしまうようなジンじゃない」
「カッツェガルテンを襲ったドラゴンたちは、何者かの眷属だったんじゃないのかい? その黒幕を知ったジン様が、ウェカさんの敵討ちに行ったんじゃないかってアタイは思うけど、アンタの考えは違うのかい?」
耳ざとくサリュのつぶやきを聞き付けたジビエがそう言うと、サリュは首を横に振りながら、半ば諦めたような声で答えた。
「もちろんその線もある。けれどボクは、ジンは彼がいた元の世界に連れ戻されたって気がしてたまらない」
それを聞いて、ジビエは黙り込み、ネルコワはショックを受けたような顔で立ち上がりサリュを見て叫んだ。
「うそ! だってジン様は5年はこの世界にいるって言ってたのに!」
悲愴な顔をするネルコワと同様、ジビエも硬い表情でサリュに訊く。声が心なしか低く、沈んでいた。
「サリュ、アンタがそう思った理由を聞かせてくれないかい? そりゃアタイだって、いつかはジン様が元の世界に戻っちまうってことは覚悟してたさ。でもよりによってこんな大事な時に、さよならもなく帰っちまうってあんまりじゃないか。ウェカさんもいない今、アタイたちだけでどうやって大陸同盟を運営して行けって言うんだい」
ネルコワも憮然とした面持ちでサリュを見ている。サリュは一つため息をついて
「まず前提として、ジンは自らの意思でこの世界に来たんじゃない、何者かの計らいでやって来たんだ。だからジンがこの世界に存在するどうかは、その何者かの意思がカギを握っていた」
そう言う。その言葉に二人とも異議はないのか、ゆっくりとうなずく。
「では、何者かの意思とは何か? ジンが来るまで、ボクはこの世界は『摂理の黄昏』を迎え、遠からず滅びるものと覚悟していた。
ただ、アクエリアス様の予言もあり、万が一、天文学的な奇跡が起きれば、『伝説の英雄』が現れないとも限らない……そうも考えていた」
サリュがそう言うと、ジビエが小さい声で
「そしてジン様が現れた。つまりサリュ、アンタは『摂理の黄昏』を止めるためにジン様はこの世界に送られたって言うんだね?」
そう訊くと、サリュはうなずいて、二人に訊き返す。
「ああ、ボクはそう思う。君たちだってそう信じたはずだ。そうだろう、ネルコワさん?」
ネルコワのうなずきを見て、サリュは続けた。
「だとすると、彼がすべきことは『アクエリアス様の予言』で言い尽くされている。魔物を駆逐し、『摂理の黄昏』を止め、乙女と共に新たな世界の仕組みを作り、乙女は非業の死を遂げる……こうして観ると、アクエリアス様の予言は成就されている。ジンがこれ以上この世界にいる理由はないんだ」
何とも言えない沈黙が三人を包む。ネルコワもジビエも、恐らくサリュの言うことが正しいと判っていた。けれど、現れた時と同じく、突然ジンがいなくなったことを信じたくなかったのだろう。
サリュは、泣き止んでこちらを見ているレンに近寄ると、膝を折って彼女の肩に手を置き、静かに言った。
「カッツェガルテンに案内してくれないかい? ウェカさんをはじめカッツェガルテンのみんなも大切な仲間だ、野ざらしにしておくには忍びないから」
ジンがいなくなった……そのことは『摂理の黄昏』を共に乗り切った仲間たち以外にも大きな衝撃を与えた。
ネルコワやジビエは、何も手につかないほど嘆きが深かったが、その中でもサリュはいち早く立ち直り、未来を向いて歩き出した。
カッツェガルテンを捜索してウェカやザコ将軍、リン副官の遺体を探し出し、
「ウェカ・スクロルム殿は、『摂理の黄昏』を止めるためボクたちの勇気を鼓舞し、人間だけでなく種族を超えた連帯を生み出した。
そして『伝説の英雄』ジン・ライム殿と共に魔軍を蹴散らし、滅びの直前にあった大陸を救い、新たな世界への扉を開いた。
その功績を忘れぬよう、カッツェガルテンを記念と慰霊の場所として永遠に残したい」
として、瓦礫の山となった城をそのまま残すこととし、近くの丘の上にウェカはじめカッツェガルテンの人々の亡骸を埋葬した。
そしてサリュは、『統領会議』にアクエリアス神殿の神官長サラ・フローレンス、ヴェーゼシュッツェンの書記官ドウ・ブロックを新たに迎え入れ、ネルコワを代表統領として復興施策を推進しはじめた。
さらにサリュは、人間と亜人の融和を図るため、統領会議の監察機関として大神官バウム・フローレンスを中心にユニコーン族長アルフレオとオーガ族長ヴォルフからなる元老職を置き、大陸を3分割してそれぞれの地域から選出された3名のポリス執政官をそこに加えた。
そして全国のポリス執政官のうち百名を『評議会議員』として、統領会議の諮問機関とした。
「これらの組織は、まだジンがいたころ、彼と共に考えていたものさ。できるだけ多くの意見を聞きながら、効率のいいやり方はないかって、ジンは頭を抱えていたよ」
サリュは、ネルコワやジビエ、サラ、ブロックと懐かしそうに往時を語ったという。ウェカを除けばサリュが最もジンの願いを正確に理解していたに違いなく、彼が統領職にある63年の間に、ヒーロイ大陸の統治機構は洗練されていくのである。
サリュは、参謀長としてポリス間の争いの仲裁や大陸同盟の軍政・軍令面で大きな功績を上げる一方で、ネルコワやジビエを励ましてそれぞれの魅力を最大限に発揮させることにも心を砕いた。
ネルコワはわずか13歳の代表統領として、その幼さを危ぶむ声も聞かれたが、よくサリュやジビエ、サラやブロックの意見を聞き、自らの工夫というより他の統領たちの能力を存分に発揮させるように努めた。
成人してからも、評議会や元老をできる限り尊重する姿勢を崩さず、バランス感覚に富んだ政治家へと成長していくのである。
ジビエは大陸同盟の総司令官として実施部隊を総括し、その勇猛さは天下に鳴り響いた。サリュの作戦を一分の齟齬なく実施する手腕、カーン・シンやシロー・アコル、サーケ・アッカンなどの将軍を手足のように動かす統率力が喧伝され、彼女がその職にあった50年はヒーロイ大陸で干戈の音は絶えた。
他にも、サラは四神とのつながりや先見の明により、大事な場面でネルコワの選択を誤らせなかったし、ブロックは清廉潔白で有能な民政のエキスパートとして人々の暮らしを安定させることに尽力した。
こうして、ジンがいなくなった後も、残された仲間たちの手でヒーロイ大陸は発展していくのだった。
……ライン・ラントさんは、僕をシュバルツハウゼンに送り届けてくれる間に、僕が知る由もなかった『その後』について、詳しく教えてくれた。みんな、エレクラ様がその当時見聞したことらしい。
(みんな、しっかりやってくれたんだな。ウェカがそこにいないのだけが残念だが)
僕は、僕がいなくなってもみんなが協力して前へと歩いてくれたことに安心すると同時に、やはり一抹の寂しさは拭えなかった。
そんな僕に、ラインさんは困ったような顔をして、
「これはお耳に入れるかどうか迷ったんですが、ジン様にまだカッツェガルテンの少女に対する思いが残っているようですからお知らせします。
ヴェーゼシュッツェンの少女は、『伝説の英雄様こそわたくしの真心を捧げたお方』として、生涯独身を貫かれました。場合によってはネルコワ・ヨクソダッツが『乙女』として悲劇の最期を遂げる可能性もあったのですが、もしそうだとしてもジン様は今のように哀しみに心を奪われるでしょうか?」
そう、僕に質問して来た。
僕は思わずネルコワさんの大人びた笑顔と、柔らかなくちびるの感触、そして甘い香りを思い出して顔を赤くする。そして、確かにあのままネルコワさんを選んでいたら、ネルコワさんがウェカに敗北宣言をしなければ、無残な死を遂げるのはウェカではなくネルコワさんだったはずだと気付いた。
無言になった僕に、ラインさんは慈しみがこもった眼差しを向け、優しい声で言った。
「他人を好きになることは心を豊かにしますが、逆に心を縛られることにもなります。
ジン様は優しいし、経験に乏しいので、本気で他人に惹かれたとき、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまうのです。
縛られぬ心で他人を慈しむこと、これがジン様が解決すべき宿題ですよ? お仲間のもとに戻ったら、早速わたしが申し上げたことを考えてみてくださいね。それがきっと、ジン様を成長させるはずですから」
僕はよく解らなかったが、きっとウェカのことでいつまでもうじうじしていたらダメだと言われていると思い、
(忘れるなんてできない。でも、これからの人生の中で、ウェカみたいな運命にある子を助けることはできるはずだ。その時その時の選択を大事にして、みんなが笑顔になれる道を探し当ててみせる)
そう決意する僕だった。
「いい貌になってこられました。その意気で今後の艱難を乗り越えていってください。
それから、ジン様の戻られる時空を少し操作する関係上、しばらく眠っていただきますが、決して妙なことはいたしませんのでご安心ください」
そう言うラインさんの声を聴きながら、僕は心地よい眠りに引き込まれて行った。
次に目が覚めた時、僕の目に飛び込んで来たのは、仄かな光に照らされた天井だった。
(ここは何処だ? 僕はみんなのところに戻って来たはずだけど)
まだぼうっとしている頭で、今までのことを何とか思い出そうとするが、頭の中に霞がかかったみたいだった。
ふと僕は左手に温かさを感じて顔をそちらに向ける。5千年前の世界でも夢寐にも忘れたことがなかったシェリーが、僕の寝台に寄りかかって眠っていた。彼女は僕の左手をしっかりと握っている。月の光を反射して、シェリーの金髪が銀色に見えた。
僕が違う世界に飛ばされた後、彼女はどれほど心配してくれたのだろう。それは目の下を黒く縁取った隈を見れば容易に想像できた。考えてみれば僕はあの世界に半年以上もいたことになるのだ。
僕はシェリーの寝顔を眺める。思ったよりも長いまつ毛と小さな口、そして右の耳の後ろに小さなホクロがあることに初めて気付いた。
(ウェカにはホクロはなかったな。それもそうか、ウェカはシェリーじゃないんだから)
そんなことを思いながら、僕の顔には自然と笑みが浮かんだ。ウェカを喪って以来、久しぶりに笑った気がした。
(縛られぬ心で他人を慈しむ……か。僕は確かに、大事なものに執着するところがあるみたいだ。ワインならどんな助言をくれるだろう?)
僕はそう思いながら、引き込まれるように深い眠りに落ちた。
★ ★ ★ ★ ★
僕は目覚めて違和感に気付いた。
(あれ? 夜中に目覚めたときと部屋の雰囲気が違うな……)
僕がそう思いながら身体を起こすと、物音を聞きつけて隣の部屋からシェリーが顔をのぞかせた。彼女は僕が起き上がっているのを見ると心配そうな顔で、それでも嬉しさは隠しようもなく、僕の側に駆け寄って来た。
「ジン、どこも痛くない? 1週間も帰って来なかったから心配したのよ?」
シェリーがそう言うのを聞いて僕は混乱したが、とりあえず話を聞いてみることにした。
「心配かけて済まなかった。昨夜も君は一晩中僕の側にいてくれたんだろう?」
僕がそう言うと、シェリーは頬を染めて首を振り、
「アタシの大事なジンだもん、それくらいして当然よ。それにしてもウェンディが約束どおりジンを帰してくれてよかった」
そう、えくぼが出る可愛らしい笑顔で言うと、
「ラムやウォーラも心配していたのよ。ジンの調子がいいなら、あっちの世界で何があったか聞かせてくれる? みんなも呼んでくるから」
そう言って席を立とうとする。
「ワインはどうしている?」
僕が訊くと、シェリーはちょっと困ったような顔をして、
「えっと、ワインはド・ヴァンさんのところに行っているわ。『ドラゴン・シン』から急に呼ばれたの。『ジンはそのうち目が覚めるだろうから、その時はみんなでジンの話を聞いておいてくれ』って」
そう答えた。
僕はシェリーの鼻の頭に汗が浮かんでいるのを見て、その答えの何がしかは嘘が含まれていることを悟ったが、それには気付かないふりをしてうなずいた。
(僕があの世界で暮らした時間は、少なくとも半年だ。けれどシェリーは1週間と言っていた。この時間のずれはどういうことだろう?)
僕が頭の中を整理していると、
「団長、お目覚めになりましたか」
「あんな所でフラフラされていたから心配いたしました。お加減はいかがですかご主人様?」
「団長さんがいない間、シェリーお姉さまやウォーラさんたち、元気がなくて大変でしたよ~。無事に戻って来られて安心しました」
ラムさんやウォーラさん、チャチャちゃんがそう言いながら入って来た。
「僕がいない間、心配かけたね。何か変わったことが起きているんじゃないか?」
僕が明るくそう訊くと、チャチャちゃんとウォーラさんは一瞬固まったが、すぐに笑顔を作って言う。
「い、いえ。特に変わったことは起こっておりません。ご主人様は体調回復にご専念ください。ね、チャチャさん?」
「う、うん。大変なことなんてな~んにも起こってないよ?」
二人ともあたふたしている。明らかに怪しさ満点だった。
僕は少し怒った顔でラムさんを見る。僕の顔を見てラムさんは隠し通すことはできないと悟ったのか、ため息をついて僕に訊いた。
「はあ……団長、いつ気付かれました?」
「最初シェリーと話した時だよ。シェリーの鼻の頭に汗が浮いていた。これはシェリーが何か隠し事をしているか、嘘をついている時の癖なんだ」
僕が答えると、ラムさんは肩をすくめてシェリーたちを見て、
「参ったな、そういうことなら隠していても仕方ない。シェリー、君から団長に説明してくれ」
そうシェリーを促した。
シェリーはバツが悪そうな顔で僕の横に座ると、
「ゴメン、ジン。ワインが帰って来たらド・ヴァンさんたちとの協議結果も含めて報告しようと思っていたんだけど……。
実はジンがいない間に、精霊覇王エレクラ様が『賢者会議』に質問状を出されたの。これなんだけど……」
そう言いながら、シェリーは一枚の文書を手渡して来る。
僕はそれを受け取ると、ざっと内容に目を通した。『賢者会議』と『組織』の関わりについては以前話を聞いたことがあるので、そんなに大きな衝撃は受けなかったが、問題はこれがよりにもよってエレクラ様の名で満天下に公表されていることだ。
「シェリー、これは質問状なんて生易しいもんじゃない、詰問状だよ。それで『賢者会議』はこれになんて回答しているんだい?」
「それについては、ボクが答えるよ」
僕が質問したとき、折よくワインが転移魔法陣から姿を現して言う。
「やあ、ジン。目が覚めたかい? 起き抜けにこんな話を聞かせて済まないんだが、ド・ヴァンがキミと話したがっている。一緒にシュッツガルテンまで来てもらっていいかな?」
「行こう。僕も君やド・ヴァンさんに訊きたいことがあったんだ」
僕らはすぐに宿を引き払うと、ワインの転移魔法陣でシュッツガルテンまで移動した。
シュッツガルテンはドッペルン山の麓に位置し、懐かしいヴェーゼシュッツェンは今は簡素な集落としてこの町の西に所在していた。
ド・ヴァンさんが投宿していたのは、(いつものとおり)この町で一番の高級な宿舎で、しかもその最上階だった。ここからはヴェーゼシュッツェンの村が良く見える。
(ネルコワさんはしっかりとあのポリスを守り抜いたんだな。彼女らしい上品な村だ)
僕は亜空間酔いを醒ましながら、そんな思いで窓の外を見ていた。
「ジン、どうしたの? さっきからずっと黙ったまんまで。まだ気分が悪いの?」
シェリーは僕の体調を気にして、何くれとなく世話を焼いてくれる。けれど、そんなシェリーの顔にウェカの顔がちらついて、それが僕を無口にさせる一因だった。
「いや、僕はもう大丈夫だよ。みんなの調子が戻ったのなら、ド・ヴァンさんの話を聞きに行こう」
そう言うと僕は立ち上がる。シェリーは不安そうな顔で僕を見て、何か言いたそうな顔で口をつぐんだ。
「やあ、団長くん、久しぶりだね。本当は君から5千年前の話をいろいろと聞きたいんだが、それと同じくらい興味深い出来事が起こってね? まずはワインと話をさせてもらったんだ」
僕たちが部屋に通されると、正面の立派な長椅子に腰かけたド・ヴァンさんが、愛想良く声をかけて来た。その後ろには金髪の少年のようなマディラさん、黒髪がエキゾチックなソルティさん、見上げるような巨体のウォッカさん、そして珍しくペストマスクを付けたテキーラさんまで控えている。
僕はド・ヴァンさんの正面に座り、左右にはワインとシェリーが腰掛ける。僕の後ろにはウォーラさんが控え、シェリーの後ろにはチャチャちゃんが、ワインの後ろにはラムさんがそれぞれ位置を占めた。
「ワイン、団長くんにはどのくらい話をしている?」
僕たちが席に着くと、ド・ヴァンさんがワインに訊く。ワインは肩をすくめて、
「エレクラ様が『賢者会議』に対して詰問状を出された、そのことだけ伝えているよ。何しろジンには目覚めてすぐ、ここに来てもらったんだから」
そう答える。
「そうか、それは済まなかったね団長くん。では最初からマディラに説明してもらおう。
マディラ、お願いするよ」
ド・ヴァンさんがそう言うと、マディラさんは分厚い手帳を取り出し僕を見て訊いた。
「ジン団長は詰問状を読まれましたか?」
僕がうなずくと、マディラさんはページをめくり、驚くべきことを言った。
「実は、『賢者会議』の動きがおかしいことにド・ヴァン様は早くから気付かれていて、ワタシやソルティに調査するよう命令されていました。
ワタシは『賢者会議』と『組織』の繋がりを調べていたのですが、その最中、急に『賢者会議』の本部を土の眷属が監視し始めました。大賢人様は本部を動いていませんが、四方賢者の皆さんはあちこち動き回っているようで、そんな四方賢者たちにも土の眷属はぴったりと張り付き、その行動を常時監視しています。
ただ、賢者アサルト様は1週間前にマジツエー帝国へ出かけたきり本部には顔を出していませんし、賢者ハンド様もリンゴーク公国から戻ってきていません。
新任の賢者ライフルも、時々巧妙に姿を晦ますことがありますので、『賢者会議』は内部分裂を起こしているのかもしれません」
続いて、ソルティさんが報告を始める。
「私は各国の中枢に『組織』がどれだけ入り込んでいるかを調べていましたが、最も『組織』と昵懇なのはアルクニー公でした。公はポトフ銀行総裁のミート様も含めて、月に1回は秘密裡に会合を持っているようです。
トオクニアール国王陛下は『組織』に対してつかず離れずという対応をされていますが、リンゴーク公は『組織』といざこざがあった関係で、『組織』には否定的のようです……」
リンゴーク公は『組織』と結託した重臣によって一揆を仕組まれ、危うく廃位に追い込まれるところだったのだ、それはそうだろうなというのが僕の感想だった。
しかし、ソルティさんの次の報告に僕はとても驚いた。
「……そしてマジツエー帝国ですが、フェン・レイという『組織』の幹部がマチェット陛下に対し、領土の割譲を強硬に申し入れているようです。ここ2か月ほど交渉を続けているようですが、帝国側では水面下で軍備も整えているようです。帝国は『組織』との一戦も辞さない覚悟でしょうね」
僕は高慢ちきな中二病女の顔を思い出した。あの女なら相手がマジツエー帝国だろうが何だろうが、そんなことも言いかねない。
二人の報告が終わった後、ド・ヴァンさんが再び口を開いた。
「これらの状況をある程度つかんだところで、今回の詰問状がエレクラから出されたわけだ。『賢者会議』はまだ回答していないが、答え如何によっては大陸は蜂の巣をつついたような状況になるだろう。そうなると『組織』がどう動くか、さすがのボクでも分からない。ただ、最悪の場合、混乱に乗じて『浄化作戦』を実施する可能性もある。
そんなとき、国主が『組織』とどのくらいの距離で付き合っているかで、ボクたち『ドラゴン・シン』も身の振り方を考えないといけない。それは君たちも同様だよ?
だからワインに来てもらって、お互いの考えをすり合わせていたってわけさ」
「……お二人の話を聞く限り、アルクニー公国にいるのはマズいでしょうね。
それでワイン、君とド・ヴァンさんはどう結論を出したんだ?」
僕がワインに訊くと、ワインはド・ヴァンさんをちらりと見る。ド・ヴァンさんはうなずくと僕に答えた。
「まずは前提として、ボクたち『ドラゴン・シン』と団長くんの『ドッカーノ村騎士団』は共闘体制を取るってことだ。これは団長くんの考えを聞かないうちは決定できなかった。
もし団長くんにその気がなければ、この話はここでお終いだ。なんたってこの後協議する予定の対策案の前提だからね?」
それを聞いて、僕は即座にド・ヴァンさんたちとの共闘を決めた。
「共闘の件は了解しました。対策について協議しましょう」
僕がそう言うと、ド・ヴァンさんは明らかにホッとした顔で、
「良かった。団長くんのことだから拒否することはないだろうと信じていたが、『摂理の黄昏』を経験して変わってしまったかもしれないと心配だったんだ」
そう言い、
「ボクとワインで考えた策は二つだ。一つはマジツエー帝国に行き、皇帝マチェット・イクサガスキーとともに『組織』と戦うこと。もう一つはトオクニアール国王ロネット・マペット陛下に、現状を知っていただくことだ」
そう彼の考えを述べた。
それをワインが補足する。
「一つ目の案は帝国と『組織』の現状を考えれば、皇帝がボクたちを受け入れてくれる可能性は高い。しかし、皇帝が『賢者会議』に対してどういった感情を持っているかは分かっていない。
二つ目は、ロネット陛下が『組織』だけでなく『賢者会議』に対しても是々非々の態度を取っておられることから、アルクニー公を牽制してもらえる可能性は高い。しかし、『賢者会議』との距離が近いため、水面下での行動に制約を受けるだろう」
「今ワインがまとめてくれたように、どちらの案も一長一短がある。それで、団長くんの意見を聞きたいんだ。ボクたち『ドラゴン・シン』では議論を尽くしている」
ド・ヴァンさんが笑って言う。事が事だけに真剣な議論を重ね、それでも結論が出ないのだろう。どことなく疲れた笑いだった。
「……大事なことなので、みんなの意見を聴いていいですか?」
僕が訊くと、ド・ヴァンさんは大きくうなずく。
「もちろんだ。ちなみにボクの騎士団ではマジツエー帝国との共闘はマディラとウォッカが、ロネット陛下との協力はソルティとテキーラが推している」
それを聞いて、僕はまずチャチャちゃんに
「チャチャちゃん、君はどうしたい? さっきの2案以外でも、何か考えがあれば言ってくれ」
そう訊くと、チャチャちゃんはしばらく考えた後、
「あたしは、仲間になってくれそうなマジツエー帝国に行った方がいいと思います」
そう言う。
「分かった。シェリーの考えは?」
「えっ!? アタシ?……アタシもマジツエー帝国に行った方がいいと思う。確か『伝説の英雄』が魔王と戦った『約束の地』ってホッカノ大陸にあるんじゃなかったっけ? バーボンおじさまに会えるチャンスも高くなると思うわ」
僕はうなずくと、ウォーラさんを見た。ウォーラさんはにこっと笑って、
「私はトオクニアール国王との謁見をお勧めいたします。マペット陛下はヒーロイ大陸をまとめるお方。現在中立な立場を取っておられるのなら、私たちの味方になっていただける可能性がありますし、私たちの話を聞いて敵になることは考えられません。
ヒーロイ大陸を最悪でも中立状態にしておかないと、大きな戦乱が起こる可能性がございます。それを防ぐためにも、マペット陛下に私たちが行うことの意義を理解しておいていただく必要はございませんか?」
この意見は、ド・ヴァンさんも目を瞑って聞き入っていた。僕は続けてラムさんを見る。
「事がここまで大きくなったのは、『魔王の降臨』が近い徴かもしれません。私はジン様が『伝説の英雄』であると確信していますので、故郷に帰って父に『右鳳軍団』の編成をお願いしてみます。ジン様はマペット陛下と謁見し、憂うべき現状を説いてみてください。
もし、マペット陛下が敵に回ったり、『賢者会議』や『組織』の連中が手を出してきたりした場合、わがユニコーン侯国にお入りください。私がジン様をお守りします!」
ラムさんは紅蓮の炎を映したような瞳で僕を見て、そうはっきりと言い切った。その言葉に、ウォッカさんがハッとするのが見えた。
僕はワインを見る。ワインは葡萄酒色の髪を形のいい手でかき上げると、薄く笑ってド・ヴァンさんに言った。
「ふふ、ド・ヴァンくん。なかなか傾聴に値する意見が聴けたんじゃないか? ボクたちの運命を左右する決断だ。ここから先はジンとキミとで決めたまえ。ボクたちはそれに従うよ」
目を閉じてワインの言うことを聞いていたド・ヴァンさんは、ゆっくりと目を開け、僕を見ると言った。
「ワインの言うとおりだな。団長くん、ボクと君、そしてマディラとワインを入れて、この難題にけりをつけよう」
(魔神を狩ろう! 完)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
長かった『違う時空の昔物語編』も今回で終了です。
5千年前の世界を救いながらも心に傷を負ったジンは、『摂理と運命』について今後も何度も迷い、躓くことになります。
そんな彼を待ち受けているのは、いったいどんな運命でしょうか?
次回から『トオクニアール王国編』になります。お楽しみに。




