Tournament60 Fiends hunting:Part20(魔神を狩ろう!その20:掃討)
北部陣地を突破し、魔神ディモスを倒したジンは、魔軍が全軍を集結しているのを知り、単身で殲滅を期して動き出す。残りの魔神ヴェルゼ、ルシフェと5万の大軍を相手に、ジンの勝算は?
【主な登場人物紹介】
■主人公ジン・ライムが5千年前の世界で出会った人たち
♡ウェカ・スクロルム 15歳 金髪碧眼の美少女。弓が得意なアタシっ子。5千年前の時空のカッツェガルテンというまちで出会った。貴族の娘だが弱い者に対する同情と理解が深い。ジンを運命の相手として慕っている。
♤ザコ・ガイル 22歳 茶髪碧眼のオーガの青年。大剣をぶん回す俺っち戦士。ウェカと同じくカッツェガルテンに住んでいた。鍛冶屋の息子だがウェカの同志的存在。戦術的才能があり、ウェカに乞われてスクロルム家の私兵を率いている。
♡マル・セロン 22歳 黒髪黒眼のエルフの美女。剣の腕も確かだが本職は書記で、カッツェガルテンの民政を引き受けている。性格は冷静で、ウェカを妹のように可愛がっている。ザコとは幼馴染である。
♡ネルコワ・ヨクソダッツ 13歳 茶髪で黒い瞳を持つヴェーゼシュッツェンの後継者。父の戦死と家臣団の離反で殺されそうになっていたところを、従姉の忠臣アーマ・ザッケンに救われ、カッツェガルテンに従妹のアーカ・ザッケンを遣わして救援要請した。
♡ジビエ・デイナイト 17歳 赤髪灼眼の17歳。オーガ族長の長女でジンの能力に惹かれ、異世界での仲間となる。巨大な棍棒を揮って戦うアタイっ子猛将。
♤サリュ・パスカル 17歳 金髪碧眼の美男子でユニコーン族長の長子。ジンの異世界に興味を持ち、ジビエに誘われる形で仲間になった。レイピアを持つが智謀と魔力に優れた参謀役。
♡サラ・フローレンス 精霊王アクエリアスの神殿に仕えるエルフの神官で、金髪碧眼の17歳。魔物に襲われ孤立した神殿にいたところをジンたちに助けられて仲間になる。精霊王との共感能力に優れ、数々の危機を予言する。回復魔法の達人。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
アルック地方の中央、後に『ベロベロウッドの森』と呼ばれるようになる森林地帯は、異様な雰囲気に包まれていた。
この場所には、遥か『暗黒大陸』からやって来た魔軍のほとんどが布陣していたので、瘴気や魔力が渦巻き、それが本来清浄であった森の気を異様なものにしていたのだ。
森の中央部に布陣しているのは、『背徳の魔神』ヴェルゼが指揮する2万5千で、彼女は左翼前方に5千を伏兵として配置していた。
ヴェルゼ部隊の前方、森の出入口には、『恐怖の魔神』ルシフェが1万5千で布陣していた。ルシフェは彼の陣地から10マイル(この世界で約18・5キロ)ほど北、アルック地方とデュクシ地方との分岐点に、別働隊5千を配置して陣地を造らせていた。
ルシフェ部隊の数がやや少ないのは、デュクシ街道でウェカ・スクロルムと水の精霊王アクエリアスを中心としたヴァルデン地方軍と激闘を交えたからである。
そして森を見下ろす岩山の上には、長い黒髪を風になびかせて、黄金の鎧に赤いマントを付けた男が、マンティコアの背中で仁王立ちになっていた。
「奴らはもうすぐルシフェの別働隊が守る陣地に到着する予定です。ロゴス様、ルシフェ様の部隊に前進命令をとのヴェルゼ様からの要請です!」
ヴェルゼの部隊から伝令が来てそう催促するが、ロゴスは翠の瞳を持つ眼を北方の空に向けたまま、
「……いや、ルシフェには別働隊を戦闘に参加させず、森の北東にある丘の麓に埋伏させろと伝えろ」
そう命令を下す。伝令は何か言いたげだったが、ロゴスが冷たい光を放つ目を向けると、何も言わずに岩山を下って行った。
「西からマーターギ集落を抜けて横合いを衝いて来るフレーメンの部隊が2万、正面からはアクエリアスの4万5千とユニコーンやオーガの2万5千、合わせて9万か……」
ポツリとつぶやいたロゴスは、何かを待っているようにひたすら北の空を見つめ続ける。
(ディモスはとうとう来なかった。それは仕方ないことだが、アルケー様が何をしておられるのかが気になるな。俺たちが全力を挙げてジン・ライムたちと雌雄を決するのは、アルケー様の指示に従ってのこと。まさか自分で下された指示を忘れておられるとは思えないが……)
「……とにかく、アルケー様の正確なお考えが分からぬ以上、ジンたちとの衝突を遅らせて時間を稼ぐしかないな」
そう独り言を言うと、ロゴスは静かに目を閉じた。
そのころ僕は、ユニコーン族のサリュ・パスカルやオーガのジビエ・デイナイトといった、この世界に来て初期に仲間となったみんなと共に、決戦時には主力となるはずのヴァルデン軍の到着を待っていた。
「ウェンディ様から聞いたよ。彼女がキミの加勢をしようと駆け付けたとき、キミはすでに『絶望の魔神』ディモスを消滅させていたそうだね? 魔力の残滓も残さずに消滅させるのは凄いって、ウェンディ様が褒めていた。キミって本当に何者なんだ?」
生え際に白くて細い角を持つサリュが、ウザったく伸びた金髪をかき上げながら訊いて来るが、
「それが、あまりはっきりとは覚えていないんだ。思い出そうとしたら頭が痛くなってね、結局何も思い出せない……」
僕はそう答えた。もちろん、大体のことは記憶にある。ただ、その『僕』は本当に自分なのかと疑いたくなるほど傲慢で嫌な奴だったから、敢えてすべてを思い出したくはなかったのだ。
そんな僕を見て、ジビエは心配そうな顔をして、
「無理して思い出すことはないさ。ジン様が魔神をやっつけたってことに変わりはないんだから。
それよりジン様、決戦を前に体調はちゃんと整えておいてくださいな。ザカリア、ディモスの二人を討ち取ったジン様を奴らが目の敵にしているのは分かっているからね。
そんな調子で前線に出られた日にゃ、アタシは心配で自分の部隊どころじゃなくなっちまうからさ」
あながち、冗談でもなさそうな口ぶりで言って来る。
「うん、今度はボクとジビエが両翼で、ジンはザコ将軍やカーン将軍とともに中央を支えてもらわなきゃいけない。ジビエが部隊指揮を放り出したら、作戦も陣形も滅茶苦茶になる。これはジンにはぜひにでも、体調万全で戦いに臨めるようにしてもらわなきゃな。
じゃ、ボクたちはカッツェガルテンの二将軍と打ち合わせしてくるから、キミは遠慮なくゆっくりしておいてくれたまえ」
そうサリュは言うと、ジビエとともに僕の天幕を出て行った。
(あれが、『魔族としての僕』なのか?)
僕は二人が出て行くと、簡易ベッドに身を投げ出しながらそう思う。僕は基本的に争いは好まないし、出来るなら話し合いなどの平和的な方法で物事を解決したいって気持ちは常にある。もちろん、そんなことを言ってはいられない状況があるってことは先刻承知だし、そこで実力行使するのをためらう程、僕の頭はお花畑じゃない。
ただ、僕が気になっていたことは、この戦いが始まる前に精霊覇王エレクラ様が僕に言った言葉だった。
『お前が闇に呑まれたら、大切なものを喪うことになるだろう。それはお前自身の命なのか、その他の大切なものなのかは分からないが……』
あの時、エレクラ様は確かにそう言った。僕がディモスとの戦いで垣間見た『傲慢な僕』が仮に僕の中に巣食う闇だと言うのなら、僕があの感情に捕らわれてしまった時、僕は何を喪うことになるのだろう?
エレクラ様の言葉を聞いた時、真っ先に僕の脳裏に浮かんだのはシェリーやワイン、そしてウェカやネルコワさんの顔だった。両親がいないに等しい僕にとって、『騎士団』の仲間たちやこの世界で出会った友人たちこそ、僕の命にも勝る『大切なもの』だったんだと知った。
「……だったら、闇に呑まれなきゃいい。僕は誰も喪わずに『摂理の黄昏』を阻止して、僕の世界でも誰も喪わずに『魔王の降臨』を阻止するんだ」
僕は改めてそう決意を固めると、サリュの言葉に従ってしばらくの間眠ることにした。
「ジン、会いたかった。前線での活躍は耳にしていたけど、連絡もないし声も聞けないからすっごく心配していたんだよ?」
僕はひと眠りすると、眠い目をこすりながらヴァルデン軍の到着をサリュやジビエと一緒に出迎えた。
ウェカは僕の姿を目ざとく見つけて駆け寄って来る。ネルコワさんほどではないが小さな身体を革鎧とマントで包み、ポニー・テールを揺らして微笑む彼女は、久しぶりに会ったせいもあってか、非常に可愛らしく、そして大人びて見えた。
ヴァルデン軍は純粋に人間による部隊だ。ウェカが執政となっているカッツェガルテンを中心としたオップヴァルデン部隊はオー・トソー将軍が指揮を執り、ネルコワ・ヨクソダッツさんが執政となっているヴェーゼシュッツェンを中心としたウンターヴァルデン部隊はアーマ・ザッケン将軍が指揮を執っている。
ヴァルデン地方の中心的ポリスだったヴェーゼシュッツェンにネルコワさんが残って後方支援を受け持ち、南部同盟を主導して最初に魔軍と戦う機運を醸成したウェカが遠征軍の主将に収まるのは、自然な成り行きだった。
頬を膨らませて言うウェカに、僕は苦笑しながら答える。
「ごめん。次から次へと戦闘が続いて気が抜けなかったんだ。心配かけてすまない」
そう言う僕の顔をウェカはしげしげと眺めていたが、ふと気が付いたように不思議そうな顔をして訊いて来た。
「ジン、ジンの瞳って翠色じゃなかったっけ? なんで左だけ赤いの?」
そう言われて、僕は
「えっ? シェリーからは『戦闘中に瞳が緋色になる』って聞いてはいたけど、今も赤いのかな?」
思わずそう訊き返してしまった。
ウェカは『シェリー』の名を聞いて一瞬顔を強張らせたが、すぐに元の表情に戻って胸元から手鏡を取り出し、僕に見せてくれた。
「う、うん。ほら。ジンが戦うときの瞳はじっくり見たことないけど、いつものジンの目の色はよく知ってるつもりだったから……何かあったの?」
僕はウェカの言葉を聞きながら鏡をのぞき込む。なるほど、僕の左目は見慣れた翠ではなく、燃えるような赤になっていた。
(魔族の貴公子、お前はなぜ、そんなところで摂理を替える邪魔をしている? お前自身が摂理であるべきことを忘れたか?)
突然、僕の頭の中にそんな声が響く。その声は、折にふれて僕に様々な助言をしてくれたあの声とはまったくの別人だった。
「あっ、ジン。いったいどうしたの!?」
僕の横でウェカが叫ぶが、僕の耳にはただ、聞いていて胸が悪くなるような騒がしい『そいつ』の声が聞こえるばかりだった。
(お前は何のために魔族として生まれた? 摂理の矛盾を白日の下に曝し、新たな摂理をこの世界に根付かせるためだ。私との誓いを忘れたか、『摂理の破壊者』よ)
その声は、僕の中に眠っている何かを呼び覚ますように、執拗に頭の中に呼び掛けて来る。それは他人の家に許可もなく闖入するような無遠慮さで、それが僕をイライラさせた。
「……僕はそんなことのために生まれて来たんじゃない…」
僕が絞り出すような声で言うと、ウェカが
「えっ!? なんて言ったのジン?」
背中をさすりながらそう訊いてくる。どうやら僕は無意識に座り込んでいるらしい。
僕はゆっくりと目を開ける。心配そうにのぞき込んでいるウェカの顔が見えた。
「ジン、すごい汗かいてる。ちょっと横になってゆっくりした方がいいわ。マル、それにアーマ将軍はいる!?」
そうマルさんたちを呼び立てるウェカの声を聞きながら、僕は不思議な衝動に駆られて立ち上がった。僕はいったい何をしたがっているんだろう?
「あっ、ジン、どこに行くの?」
立ち上がった僕にウェカが縋り付くようにして訊くが、僕にはたった一言しか答えられなかった。
「分からない」
そして、ざわつく胸の奥にある感情に導かれるまま、僕は歩き出す。
「待って! そんな状態でどこに行くの? 決戦はこれからなのに妄動しないで、お願いジン!」
ウェカが必死で僕を止めようとしている……そのことは知覚できたが、なぜだか僕は、
「行かないと……『掟』の何たるかを身に染みてもらわないと……」
そんな言葉をつぶやき続けていたらしい。
「ジン、ダメ! マル、アーマ将軍、早くジンを止めて!」
僕はウェカの悲痛な叫びを背中で聞きながら、転移魔法を発動した。
★ ★ ★ ★ ★
アルケー・クロウ。彼は遠い昔に存在し、そしていつまでも存在し続けることを運命付けられていた。
彼は、人跡稀なヒーロイ大陸の南東、後にアルクニー公国の版図となる地域の開拓に力を入れていた。まだ精霊王の一柱だったマロンと出会ったのもそのころである。
……マロンはすぐにアルケーの異質さに気付いた。年齢に不相応な知識、不安定過ぎる精神構造、そして何より人間であるためには不要のほどの魔力のゆらめきが、マロンの興味と警戒心を刺激したのだ。
折から、世界は平穏を失いつつあった。マロンはエレクラが言った、
「摂理の黄昏が近づいているかもしれない」
その言葉を思い出し、エレクラの許可を受けてアルケー・クロウに近づいたのだ。
「彼は、『繋ぐ者』かしら。それとも『摂理の破壊者』?」
アルケーと話す度に、マロンは自分の心と対話し続けた。精霊王として摂理を乱す存在は看過できない。しかし、アルケーがどのような意図を持っているのか、いや、そもそも摂理に対してどんな受け止め方をしているのかさえ、マロンは見通すことができなかった。
「近ごろ、『運命の供与者』様がよくアルケーのところにいらっしゃっているようだけど、何のご用事かしら?」
マロンは木々の間で木漏れ日に包まれながら独り言ちる。エピメイアには『摂理の調律者』との間に意見の食い違いがあり、緊張感が生まれているという噂を聞き知っていたマロンは、アルケーとエピメイアという二人の出会いが、将来大きな混乱を惹起するのではないかと恐れていた。
(エピメイア様のことはいったん置いておこう。まずはアルケーのことをしっかりと調べ直さなきゃ)
マロンは首を振って精神を集中させると、ざわめく木々たちに問いかける。
「木々の精霊たちよ、わたくしの芽生えの歌を聞き、『息吹を感じて空を目指せ』。そしてわたくしにたどるべき道を指し示せ」
すると木々のざわめきは一瞬収まり、木々たちは淡く光を放つ。その光の中に、風が吹くように新緑の色をした光の筋が現れた。
「ありがとう。あなた方はアルケーがたどった道を、まだ覚えていてくれたのね」
マロンは光の筋をたどり、小川の上流にある山腹の洞を見つけた。おそらくアルケーは、ここで生を享けたものと思われた。
マロンが緊張しながら油断なく洞に入ると、そこには様々な実験器具が散乱していた。
かまどには鉄製の大鍋が架けてあったが、すっかり蜘蛛の巣が張ってしまっている。もうこの研究室はうち捨てられて長い時が経っているようだった。
(魔女か錬金術師がここで研究していたんだわ。その研究が実って、彼または彼女はここから離れた。その研究していたものって……)
マロンは、洞窟の中に散らばっていた様々なものから、衝撃的な結論を導き出して憮然とした。精霊王という立場にも関わらず、彼女は一瞬思考が停止したのだ。
(……この場所に残されたものから推測すると、ここで研究されていたのは人間の練成、つまりはホムンクルスだわ。これは摂理への挑戦と言っていい。すぐにエレクラ様に報告しなくては)
マロンは我に返ると、めったに使わない転移魔法陣を発動した……。
……マロンは精霊王たちが詰める『神の宮殿』ではなく、エレクラの『異界』である『ラント』に姿を現した。マロンは不思議そうな顔でエレクラの政務棟に顔を出す。顔なじみのラントスがごつい顔をほころばせて話しかけて来た。
「おや、誰かと思ったら木々の精霊王じゃないか。わざわざ『ラント』にやって来るとは珍しいな。元気にしていたか?」
ラントスは火山の活動に関する権能をエレクラから依託されている。エレクラの右腕と言っていい男だが、木々が生い茂る場所での火山活動を極力控えてくれるような面もあって、マロンは好印象を抱いていた。
「ええ、おかげさまで今年も大きな被害もなく過ごしているわ。あなたのおかげよ、ラントス」
幼い姿をしたマロンがお礼を言うと、ラントスは笑顔で
「まあ、俺もいつから始終見張っているわけでもないから、たまには迷惑をかけることもあるかもしれんが……ところで今日は何の用だ?」
マロンをドアから建物の中に招き入れて訊く。
「大事な話があるって言ったら、ここを指定されたの」
マロンがそう短く答えると、彼女の真剣な表情を見て取ったのだろう、ラントスも笑いを収めて足を速めながら言った。
「エレクラ様が指定されるんだ、緊急かつ重大な話だろう。急いであなたをご案内した方がいいだろうな」
ラントスはマロンを執務室まで案内すると、彼女を部屋に入れてドアを閉めた。分厚くて頑丈で、重たそうなドアだった。
「よく来てくれたマロン。まずは座りたまえ」
どっしりとしたデスクの向こうに立っていたエレクラは、マロンが入室すると振り返ってそう言う。優しい声だったが目には鋭い光が宿っていた。
「わたくしは、精霊王の皆さんの前で話をした方がいいと思ったのですが」
マロンがデスクの前に置かれた椅子に座りながら言うと、エレクラもまた向かい側に着席して、不審そうにしているマロンに答えた。
「『神の宮殿』にはプロノイア様やエピメイア様もいる。私は君から話を聞いたとき、特にエピメイア様には聞かせられない内容だと直感した。だからわざわざこちらに来てもらったんだ。
今日の話は、アルケーという男のことだったな? 彼の正体が分かったということだったが?」
エレクラの問いに、マロンは今まで自分が調べて来たことを包まず話した。長い話だったが、エレクラは腕を組み目を閉じたまま、身じろぎもせずマロンの話を聞いていた。
「ホムンクルスか。いったい何者が、摂理に干渉するようなことを」
マロンが口を閉じると、エレクラは目を開け開口一番そう言った。
「……わたくしたち精霊王には、目の前にある事象に手を加えるだけの権能しか与えられておりません。それが出来るのは、摂理に近い位置にいる方か、偶然にも摂理の秘密に近づけた者だけでしょう」
歯切れの悪いマロンに、エレクラはズバリと言い放った。
「あくまで私個人の推測に過ぎないが、ホムンクルスといった摂理の業を現実にできるのは、エピメイア様ではないかと思う。彼女はプロノイア様と違い、摂理が不完全だというのが持論だった。彼女の言う『不完全さ』を利用して摂理にどれだけ干渉できるのかを調べたに違いない」
エレクラは立ち上がると、慌てて席から立ったマロンに厳しい顔で命じた。
「私は秘密裏にプロノイア様と話をして来る。君は『バウム』に戻っておいてくれ。フレーメンたちには君を訪ねるように命令しておくから、今回のことを全員に話しておいてくれないか? その後の対応は、私がプロノイア様の所から戻ったら皆で協議しよう」
しかしそれきり、マロンはエレクラたちの前から姿を消すことになる……。
(わたくしはあれから、エピメイア様の口車に乗せられて一緒にアルケーを訪ねた。アルケーとわたくしはエピメイア様の話に共感したため、わたくしは精霊王から解任されアルケーは魔族をこの世に生み出すこととなってしまった。その結果が今の魔族による大陸侵攻となって現れたといえなくもない。
このままでは、もっと酷い事態が起こってしまうでしょう。エピメイア様は封印されたとはいえ、すでに目覚めて外の世界にも影響を与えつつあります。アルケーが封印を解く前に、彼の暴走を止めるか、エピメイア様を消去しなければ……)
アルケーにジンの命を取らないことを約束させたマロンは、エピメイアの魔力を追いかけていた。その魔力は異質で強大なはずなのに、エピメイアの居場所はここ何百年もの間まったくつかめなかったのだ。まるで全然別の世界に身を潜めたかのようだった。
「……こんなに探しても、魔力の端っこすら引っ掛けることができないなんて、エピメイア様はよほど周到に身を隠しているに違いない。ひょっとしたら、この時空にいないのかもしれない。こうなったら、ジン・ライムという少年にわたくしたちのことをすべて話して、彼にエピメイア様の処遇を委ねた方がいいのかもしれないわ」
マロンは、最後にアルケーと話した時の彼の顔を思い出した。アルケーはずっとわたくしのことを大事にしてくれたし、わたくしと共に日の当たらない道を歩まざるを得なかった。彼ほどの能力を持った人間なら、ポリスの一つや二つ建設していてもおかしくはないし、人間たちから賞賛と崇敬の眼差しを受けて幸せな人生を送れたことだろう。
(アルケーがこの世界に存在してはいけなかったとは言わないけれど、彼がホムンクルスでなかったら、魔族は生まれることもなく、エピメイア様もプロノイア様と協力して世界を律しておられたことでしょうね)
そう思うと、エピメイアがなぜアルケーという存在を生み出そうとしたのか分からないマロンだった。
しかし、マロンは首をふるふると振り、当面の問題に頭を切り替える。
(わたくしがしなきゃいけないことは、できればエピメイア様を消滅させること。少なくともしっかりと封印すること。それができなければ、アルケーを説いてヒーロイ大陸から侵攻軍を新大陸へと引き返させること。少なくとも、ジン・ライムとの正面切った戦闘を起こさせないことですね。いずれにしても難しいことではありますが……)
そう思って翠の瞳で遠くデキシントンにあるウェンディの神殿を見つめた。
その時、マロンの顔に緊張が走る。彼女はハッとしたように周囲を見回した。
(何、この嫌な感じは? 心がささくれ立って行くみたいだわ……まさか!)
マロンは何かに思い当たったように、青くなりながら西の空を見つめて転移魔法陣を描き出した。
一方で、ディモスの北方陣地を落としたユニコーン・オーガ連合軍と、ルシフェの東方陣地を落とした水の眷属とヴァルデン軍は、ウェカや水の精霊王アクエリアスの指揮のもと、デュクシ地方とアルック地方の結節点に作られていた魔軍前進陣地に到達していた。
「魔軍の全力が布陣していると思われるベロベロウッドの森まであと50マイル(この世界で約93キロ)。魔軍にとってはその気になれば半日で進出して来れる距離です。
ジン・ライム殿なしで魔軍と戦端を開くのは避けた方がいいでしょう。幸い、魔軍は陣地を大して破壊もせず後退しましたから、ここで戦機を図りながらジン殿を捜索することをお勧めいたします」
陣地に入ったアクエリアスは、すぐさま主だった将軍や参謀を集めて今後の方針を協議する。その時、参謀兼従軍神官として帷幕に加わっていたアクエリアス神殿の神官長サラ・フローレンスがそう提案した。
この場にいるのは、水の精霊王アクエリアス・レナウン、総大将のウェカ・スクロルム、ユニコーン軍の総帥サリュ・パスカルとオーガ軍を統率するジビエ・デイナイト、オップヴァルデン軍を任されているオー・トソー将軍と副将マル・セロン、ウンターヴァルデン軍を率いるアーマ・ザッケン将軍、遊撃軍のザコ・ガイルとカーン・シンの2将軍、そしてサラの10名であった。
彼ら、彼女らは、一様にサラの言葉にうなずく。ここに集った軍は総勢9万を数え、その中には地上で最強の名も高いオーガやユニコーン族の軍もいる。
しかし、魔軍はおよそ5万程度だと見積もられていたが、『伝説の英雄』ジン・ライム不在の状況では確実に勝てるとの保証はない……そのことは参会者全員が認識していた。
「サラさんの言うことは十分に理解できるけどさあ……」
ジビエがサラを見つめて訊く。
「探すって簡単に言うけれど、アタイたちもここに来るまで必死にジン様を探したが、影も形もなかったんだよ? サラさんにはジン様を探し当てる自信はあるのかい? 魔軍の主力は手が届く所にいる。余り長い間、便々と日を過ごすわけにはいかないんだよ?」
同じことを訊きたかったのだろう、ウェカも碧眼をサラに当ててうなずく。
サラは黙って下を向いている。その様子を見て、サリュもやや困ったように笑うと、
「作戦を管理している立場から言わせてもらえば、今回の決戦は南西のマーターギ集落方面から突き上げてくるフレーメン様の部隊との連携も考えなきゃいけない。だからここに留まることが許されるのは二日間程度だ。それ以上ここに居ることになったら、フレーメン様の部隊をみすみす危地に飛び込ませることになってしまう。それは避けたいんだ」
そうサラに言う。
サラは困った顔でアクエリアスを見る。アクエリアスは無言でうなずいた。
サラはそれを見て、意を決したように眉を上げて答える。
「私はアクエリアス様にお仕えする神官長として、その職務と責任において皆さんに告げます。ジン・ライム様は大きな天譴を下しにこの部隊を離れられました。その裁きが済んだら、私たちが以前のような暮らしを取り戻すのは指呼の間にあります」
サラの言葉に、その場にいた全員がどよめく。
「それは、魔軍が壊滅するという意味に捉えてもいいのですか? サラ神官長」
ウェカが期待に目を輝かせながら問うと、サラは一瞬、痛ましそうな顔をしたが、すぐに笑顔でうなずいた。
「私にはジン様の魔力が観えています。そして、ここ数日の間に起こるであろう大きな変化も。それは大いなる喜びであり、この大陸の社会を進化させる流れでもあります」
サラが自信に満ちた顔で言うと、ジビエはニヤリと笑って
「ジン様が無事ならそれでいいさ。どっちにしても魔軍の奴らにゃ未来はないんだからね。
それでサラ神官長、アタイたちの出番はありそうかい?」
そう訊くと、サラも微笑を返して答えた。
「そうですね、残敵掃討……といったところでしょうか?」
★ ★ ★ ★ ★
(どうしたんだろう、この落ち着かない気持ちは? 早くアルケーを探し出さないと、何もかもが手遅れになる気がしてならないなんて……)
マロンは震える手で転移魔法陣を描き、空間がつながるのももどかしく、その中に飛び込む。そして転移した先で彼女が見たものは、信じられない光景だった。
いや、彼女は、そんなことが起こるだろうと心のどこかで危惧していたようだ。その証拠に、彼女がその光景を見て立ちすくんだのはほんの一瞬で、すぐさま彼女はそこに知った顔を見つけると、慌てて彼に駆け寄ったからだ。
「アルケー、これはいったいどういうことです!?」
マロンが、茫然としている白髪の青年に声をかけると、目の前に折り重なった魔物たちの亡骸を見つめていたアルケーは、緋色の瞳を彼女に向けることもなく、
「……ジン・ライムがやったことらしい。ロゴスから緊急の連絡が入ったのでここに来た時には、もう我が軍団は壊滅していた」
そうつぶやく。5万もの大軍を一気に失っただけでなく、ルシフェやヴェルゼ、そして腹心中の腹心であるロゴスまで居なくなってしまったことで、さすがのアルケーも意気消沈している様子だった。
「あなたは、わたくしとの約束を破ってジン・ライムを襲わせたのですか? どうしてそんなことを。彼の詳細が判明するまで手を出さない方がいいと、あれだけわたくしが注意したではないですか?」
血相を変えて詰め寄るマロンに、アルケーは抑えていた感情が爆発したのであろう、険しい顔でマロンに答える。
「俺はロゴスたちには『人間どもを叩け』と命令していた。ジン・ライムの奴が急にロゴスたちに襲いかかったんだ。俺がその場にいたら、ジンは俺が相手をするつもりだった。
マロン、これはジンが自ら俺たちとの交渉を拒否して来たってことだ。俺は君との約束はできる限り守れるよう努力はするが、あまり期待はしないでほしいな」
(アルケーの魔力が冷え切っている。これは何を言っても無駄ですね)
厳然として言うアルケーに、不退転の決意を感じ取ったマロンは、強張った顔のままうなずくと、それでも一縷の望みをかけて訊いた。
「……どこかで何かが掛け違ったのか、それともこうなる運命だったのかは分かりませんが、ことここに至ってはいったん新大陸へ戻り、情勢の変化を待ってはどうですか? わたくしは、エピメイアを倒すためには、あなたとジン・ライムが力を合わせることが必要ではないかと思っているのですが」
しかし、アルケーの返事はマロンの予想に近いものだった。
「いや、俺は魔族の始祖としてジンに問い質したいことと、糾問すべきものがある。
俺はプロノイア様の摂理についての考え方に疑問を持っているが、さりとてエピメイア様の考えで納得しているわけではない。現在のところ、エピメイア様の考えの方が虚空の本質に近いのだろうと感じているだけだ。
もし、ジンが摂理について俺たちが知らない知見を持っていて、それを俺と議論する気があれば、じっくりと話をしてみたいと思っている。まあ、ロゴスたちへの呵責なさを思えば、それが出来るとはお世辞にも期待してはいないがね」
唇を歪めて薄く笑ったアルケーは、続けて、
「君は一足先に新大陸へ戻るといい。ジンと話し合って納得するか、ジンを元の世界に戻すかしたら、俺もすぐに君の所へ戻ろう」
そう言うと、マロンの返事も聞かずに転移魔法陣でどこかに消えた。
時間はアルケーとマロンが話し合った時から少し遡る。
ベロベロウッドの森に布陣した魔軍たちは、ロゴスの指揮の下、『恐怖の魔神』ルシフェと『背徳の魔神』ヴェルゼの軍、それぞれに出撃準備を進めていた。
「ロゴス様、出撃準備が整いました」
背徳の魔神ヴェルゼと恐怖の魔神ルシフェは、二人して岩山の上にいる黒髪翠眼の男、ロゴスの前にやって来て報告する。
ロゴスは二人に薄く笑いかけると、中天に差し掛かろうとしている太陽をチラリと見て
「……もうすぐ正午だ。アルケー様からの特別な指示がない限り、我々は正午を期して人間どもと決戦を行う」
そう言うと、ヴェルゼはバカにし切ったように
「問題のジン・ライムって奴はアルケー様が対応されるんでしょ? わざわざアルケー様が出られなくても、わたしたちが相手をしてあげるのに。人間相手ってちょっと拍子抜けよね」
そう弓の弦をかけながら言う。
「人間だけでなく、ユニコーン族やオーガも仲間に加わっている。ジン・ライムがいなくても油断していい相手じゃないぞ」
ルシフェが大剣を改めながら忠告すると、ロゴスもそれにうなずいた。
「かの者とは一度しか会ったことはないが、恐るべき魔力を秘めていた。今まで俺が見たこともない魔力だった。違う時空から来たという噂も、もしかしたら本当のことかもしれない。どんな能力を持っているか分からない奴だから、アルケー様にお任せした方が正解かもしれんな」
「あら、それなら余計のことわたしたちが相手した方が良かったんじゃなくて? そしたらアルケー様もジン・ライムのことを研究する時間もあるってことだし」
ヴェルゼがそう言ったまさにその時、
「そうか。ならお望みどおり、貴様から相手してやる」
そう言う声と共に、ヴェルゼ目がけて『風の刃』が襲い掛かって来た。
「な!?」
シャリーン!
まったくの不意討ちに対応できず、ヴェルゼは自慢の弓で『風の刃』を打ち払ったが、その代償として彼女の弓は二つになってしまう。
「誰っ!?」
腰の剣を抜きながらヴェルゼが叫ぶと、ルシフェとロゴスも大剣と剣、それぞれの得物を構えて突然の闖入者に視線を向けた。三人の視線の先には、黄金と紫紺の魔力に身を包み、『払暁の神剣』を携えて彼らを見下ろす魔戦士がいた。
「誰だと? 貴様たち、特にその女は俺と剣を交えたがってたんじゃないのか?」
銀髪を風になぶらせ、緋色の瞳で睥睨しながら魔戦士が言うと、ロゴスは唸るような声で
「そなた、ジン・ライムか? あの時とは別人のようだな……」
そうジンに言う。ジンは笑って答えた。
「あの時のワイバーンか。貴様の予言どおり俺たちはまた会えたな。ザカリアやディモスと同じように、貴様たちも摂理の下へ送ってやる」
そう言い放ちながら、剣を右手に持ち替えたジンは、左手をヴェルゼに向けると魔力を開放した。
「俺に勝てるつもりでいるなら、まずはここから脱出してみろ!『逃走不可能』!」
「くっ! これは!?」
ヴェルゼは、動く間もなく紫紺の輝きを放つ空間に閉じ込められて喚く。
「上等よ! こんな空間、すぐに解除してみせる。『業火の幻影』!」
ヴェルゼが発動した魔法は、空間の温度を極端に上げて時空を振動させ、その振動に合わせて自らの占位している空間を任意の場所に移動させるというものだったが、
「うそ! どうして『壁』を超えられないの!? こんなに薄っぺらい魔力なのに?」
驚き焦ったようなヴェルゼの声が、紫紺の空間から聞こえてきた。
しかし、その時すでにジンは、『払暁の神剣』でルシフェに斬りかかっていた。
「やっ!」「うむっ!?」
カイーン!
ルシフェは、ジンが比較的近くにいたロゴスではなく、自分に襲い掛かってきたことに虚を突かれたが、何とかジンの斬撃を弾き返す。
(魔力の共振は、同じ魔力の波動では時として発生しないこともある。奴は魔力の位相をずらしてヴェルゼの共振を邪魔したのか)
ルシフェとジンが切り結んでいるのを眺めながら、ロゴスはそう気づいた。そうだとするとジン・ライムは、アルケー様の命にも手が届くだろう。ここで仕留めておきたいロゴスだったが、
(……それにしても、奴にはまったく隙がない。まさかこれほどの奴だとは!)
ロゴスは何度もジンに飛び掛かろうと身構えた。しかしその度にジンは鋭い一瞥をロゴスに向け、ロゴスの動きを牽制する。
それでいて、ルシフェとの戦いに手を抜いてはいない。ルシフェが苦戦しているのがその証拠だ。
(これは、麓にいる部隊を呼んで押し包むしかない)
ロゴスがそう考え、命令を出そうとした時、その思いを読んだのか、ジンは麓の魔軍に左手を向けて叫んだ。
「無駄なあがきはよせ!『終焉の輪廻』!」
「おおっ!」「うむ!?」
ジンの魔力開放に、ロゴスもルシフェも大声を上げる。魔力の迸りもなく、いきなり魔軍の上に現れた紫紺の魔力は、何の前触れもなく魔軍を包み込み、そのまま渦を巻いて消えたのだ。文字どおりの雲散霧消だった。
ジンは冷え冷えとした視線をロゴスに向け、
「俺は雑魚に手を出すつもりはなかった。貴様たちを倒せば雑魚は暗黒大陸に戻るか、ここで俺たちに討たれるかしか道はないからな。
だが、俺たちの戦いに介入して来るんなら話は別だ。邪魔者は消させてもらった」
そう冷酷に言い放つと、
「むんっ!」「無駄だ!」
チィーン! ドブシュッ!
ジンがロゴスの方を向いて話しているのを好機と見たか、ルシフェが躍りかかって来るのを軽くいなすと、ジンの『払暁の神剣』はルシフェの首を刎ねていた。
だが、今度はジンが驚く番だった。
「……なるほど、アンデッドか」
ジンが目を細めてつぶやく。ルシフェの頭は胴体を生じ、首のない胴体には頭が生えたのだ。
「ふふふ、私の奥義『水は形を変え巡る』だ。私に刃は効かぬぞ?」
ジンにそう言って笑いながらルシフェが攻撃態勢を取る。ジンはその刹那の隙に、気配を消して忍び寄って来ていたロゴスへ『風の刃』を叩き付ける。
「はっ!」「くっ!」
ジャンッ!
ロゴスの戦闘テンポが崩れたところで、ジンは
「『大地の護り』!」
自身にシールドを付与し、左から斬りかかって来るルシフェに対しては
「刃は効かなくても魔力は通じるだろう。『崩壊不可避』!」
と魔法で対応し、右から突っ込んでくるルシフェには『払暁の神剣』の切っ先を向け、弾幕を張った。
「ステージ1・セクト2b『大地の弾幕』!」
ズドドドド!
「ぐああああっ!」
弾幕に曝されたルシフェの動きが止まった一瞬を狙い、ジンは
「貴様も仲良く摂理に還れ!『デスキューブ』!」
もう一人のルシフェも紫紺の空間に捉えた。
「……戦闘開始からまだ5分も経っていない。この短時間でルシフェとヴェルゼを戦闘不能にし、我が魔軍を全滅させるとは、さすがはアルケー様の血につながる者だな」
ロゴスがゆっくりと長剣を構えながら言う。その刃には紫色の光が宿り、空電を放っている。彼は頭から空に向けて一条の稲光を奔らせた。
「眷属たるワイバーンを呼んだのか。『雷』のエレメントを持っているのは希少だな」
ジンはそう答えると、剣尖をロゴスに向けたまま左腕を真っ直ぐ横に伸ばす。その腕には紫紺の魔力が渦を巻いて巻き付いている。
「己を誇り、種族を誇れ……ロゴス、貴様もアルケーの腹心ならば聞いたことがあるだろう。魔族の『掟』の第一条を」
ジンが静かに訊く。ロゴスにはジンの声が遠雷のように思えた。
「知らぬはずはない。摂理を超越した存在であるアルケー様は、誇り高き魔族を率いて新たな摂理を建てることを目指されている。エピメイア様とも誓約し、いよいよその時が訪れた。『己を誇り、種族を誇れ』という掟を知っているのなら、なぜお前こそ俺たちの邪魔をするのだ!?」
ロゴスはいつもの彼らしくなく、怒号をもって答えた。心のどこかでジンへの畏怖の思いが芽生えたことを、無意識に分かっていたのかもしれない。
ジンはため息とともに訊いた。
「アルケーは『掟』を授かったとき、マロン・デヴァステータに相談せず自分に都合のいい解釈をしたのだろうか?『己を誇り、種族を誇れ』……この後の字句を知っているか?」
突然の問いに、ロゴスの顔に当惑の色が浮かぶ。それを見たジンは、うなずいて
「……やはり知らないようだな。では教えてやる。『己を誇り、種族を誇れ。それは神と人とをつなぐ種族であるが故』だ」
それを聞いたロゴスの頭の中に、
(そうか、だから第二条は『繋ぐ種族は血を嫌う。血は血で償い、他の命は自らの命で贖うべし』とあったのか。『繋ぐ種族』とはどういう意味かと思っていたが……)
そんな考えが電流のように閃いた。
しかし同時に、
(『掟』を授かった? 魔族の始祖たるアルケー様が魔族を創ったとき、同時に『掟』も決められたのではないのか? そしてそもそもどうしてそのことを、ジン・ライムは知っているのだ?)
そうも思い、ジンに対して感じ始めていた畏怖の念が、ぽっかりと意識の水面に浮かび上がって来た。
(俺やアルケー様は、争ってはいけない人物を敵に回したのかもしれない)
そんな後悔の念が兆したロゴスだったが、折悪しく先ほど彼が呼び寄せたワイバーンたちが続々とこの場に到着し始めた。
「首領、そいつが今度の獲物ですか?」
「何だか生っ白いやつですね」
「ワイらにかかればあっという間にお陀仏ですよ」
ワイバーンたちは口々にそう言いながら、ロゴスが止めるのも聞かずにジンへと突っかかっていく。
「ロゴス、退かせられなかった自分を恨め。ステージ4・セクト1『大地磔刑』!」
ズバババン!
「ぐわっ!」「ぐへっ!」「ぎょばっ!」
ジンの叫びと共に、ワイバーンたちは地面から突き出した『岩の槍』で串刺しになった。危うくそれを避けたワイバーンたちに、ジンの追撃が入る。
「摂理の前に平伏すといい。『風の螺旋刃』!」
ビュゴウウッ! ザシュッ!
「うぐわああ~っ!」
残りのワイバーンたちは鋭い刃の旋風に巻き込まれ、ズタズタに引き裂かれて果てた。
「うおお~っ!」
「むっ!?」
ロゴスの絶叫に、ジンが振り返る。ロゴスは悲愴な顔で長剣を振り上げ、ジンへ向かって突進して来ていた。
「……そうか、分かった」
ジンは目を細めてそうつぶやくと、『払暁の神剣』を引っ提げてロゴスに正対する。
そしてジンとロゴスがすれ違う時、ロゴスは長剣を振り下ろし、ジンは『払暁の神剣』を無造作に振り抜いた。
ドムッ!
金属音はせず、ただ肉を断つ籠った鈍い音が響いた。
二人は背中を向けてしばらく突っ立っていたが、やがてロゴスが振り向いて言う。
「あなたのことを見損なっていたのが、俺の生涯最大の失策だった」
そう言うと、長剣がロゴスの手から転げ落ちる。甲高いが短い音がした。
「そなたは俺と話をしたがっていたようだが、ワイバーンたちを呼んだのが裏目に出たな。なぜ、わざと斬られた?」
ジンも振り向いて『払暁の神剣』を鞘に戻す。そのとき、ロゴスの鎧が弾け、そこから血が噴出した。
「ぐっ! アルケー様から預かった兵を全滅させ、仲間であるルシフェとヴェルゼを助けられず、眷属まで失った。しかも魔族の『掟』を誤解していたばかりにだ。どの面下げて仲間や部下やアルケー様と会えると思う? 摂理の下で勉強し直して来よう」
ロゴスは薄い笑いを浮かべ、自嘲気味にそう言う。その最中も血は流れ続け、ロゴスの顔は青から白くなっていった。
「間違いは正されなければならん。俺の間違いも自らの命で償う。それが『掟』だからな」
そう、やっとのことで言ったロゴスは、不意にじっとジンを見つめ、
「俺の雷はアルケー様にも届いているはずだ。おっつけここに来られるだろう。勝負するも、見逃すもあなた次第だ、魔族の王よ」
そう言い終えると、微笑みを浮かべたまま仰向けに斃れた。
ジンは、ロゴスの手を胸の上で組ませ、その手に長剣を握らせると、立ち上がって剣を顔の前に立てて言った。
「さらば、魔族の勇士よ。願わくばアルケーがそなたのような心性を持っていることを」
ジンはそうロゴスに別れを告げると、転移魔法陣を描いてどこかに消えた。
★ ★ ★ ★ ★
「魔軍は壊滅しました」
アルック地方とデュクシ地方の境界に造られた陣地の中で、一心に水盤を見つめていたサラが嬉しそうに声を上げた。周囲で彼女の占いに固唾を飲んで見入っていた者たちも、ホッとした表情になる。
「サラさん、ジンの様子は分からない?」
振り向いて笑顔を見せたサラに、金髪をポニー・テールにした少女が、その碧眼をサラに当てて訊いた。
「大丈夫だと思いますが、念のため観てみましょう。ウェカ様、少しお待ちを」
サラはそう言うと、再び水盤に視線を落とす。そしてすぐに顔を上げると、
「ジン様はご無事のようです。こちらに向かっているみたいです」
ただそれだけ言うと、水盤を片付け始める。
ウェカはサラの言葉を聞いて、胸をなでおろすと、
「魔軍を壊滅させたなんて、さすがは『伝説の英雄』だわ。みんなで英雄の凱旋を出迎えてあげましょう。それに、一人で向かったことはとっちめてやんなくちゃ」
そう言うと、リンやザコ、カーンなどの将軍を連れてサラの天幕を出ていく。
「さすがはネルコワ様が見込んだお方だけあるな。諸将よ、おれたちもジン様をお迎えしよう。魔軍の残存部隊掃討戦についても考えないといけないしな」
ヴェーゼシュッツェン部隊を率いていたアーマ将軍も、部将たちを従えてそれに続いた。
サラは、その場に残ったサリュやジビエなどを見て、不思議そうでもなく訊く。
「あなた方はジン様をお迎えには行かないのですか?」
すると、サリュがやれやれと言った表情で肩をすくめて答える。
「イヤだな、キミにはボクたちが居残っている理由なんてお見通しのはずだろう? 水盤には他にどんな結果が出たんだい? 恐らく、今後のジンやボクたちのことだろうとは思うが……」
ジビエも緋色の瞳を真っ直ぐサラに向けている。サラは驚きもせずにうなずくと、
「……今後の大陸の動向に関わる問題です。あなたとジビエさんだけにお話ししたいのですが?」
そう言う。サリュは真剣な顔でうなずくと、ジビエを振り返る。ジビエも真剣な顔で一つうなずき、後にいたマトンやビーフ、ポークに言った。
「マトン、みんなを連れてちょっと外に出てくれないか? それと、誰もこの天幕に近づけないでいておくれ」
その言葉に続いて、サリュも
「聞いてのとおりだ。エリン、レーヴェ、そしてセノ。悪いがマトン殿たちと行動を共にしてくれ」
そう命令する。部将たちは黙って二人の指示に従った。
みんなが出て行くと、サリュが目を細めて小さな声でサラに訊いた。
「この『魔族の侵攻』の黒幕は、まだジンを狙っているんだね?」
するとサラはにっこりとして首を横に振った。
「いえ、ジン様と勝負する気は満々のようでしたが、気が変わったようです。理由は分かりませんが、だからこそまだ警戒を緩めるべきではない、とアクエリアス様もおっしゃっています」
「そもそも、この災厄の黒幕って誰さ? 魔神とか結構強い奴らを何人もあごで使っていたんだ、よほどの奴なんだろう?」
ジビエが訊くと、サラは真剣な顔に戻って答えた。
「黒幕はアルケー・クロウ、魔族の始祖と呼ばれている者です」
「ちょっ、アルケー・クロウの名は聞いたことあるけど、そいつって何百年も前の奴だろう? まだ生きてんの!?」
素っ頓狂な声でジビエが叫ぶと、サリュが静かにたしなめる。
「ジビエ、こういうことは余り大きな声で言うもんじゃない。アルケー・クロウは摂理を逸脱した存在だ。どんなことをやらかしても不思議じゃない」
そしてサラに重ねて質問した。
「アルケーは魔族を根っこで統率していると聞く。実を言うとボクにも少しだけではあるが魔族の血が混じっている。しかしボクには奴の統率が効かなかった。どうしてだろう?」
サリュの告白にジビエはびっくりした顔をしたが、サラの答えを聞いて言葉を飲み込む。
「それは、あなたがジン様と一緒にいたからではないでしょうか? ジン様には、その昔アルケーが立てたという『魔族の掟』を無効にする力があるようですし」
「そうだと思っていたよ。この戦役中、いつもなら顔を出してくるボクの中の冷酷な部分が出て来なかったからね。ボクも大人になったのかって少し嬉しかったんだが、そうじゃなかったってことか」
苦笑しながらうなずくサリュだった。
しかし、サラは笑っているサリュや、驚いて固まっているジビエに、衝撃的なことを告げる。
「アルケーがかかって来なければ、一時的に大陸は平和を取り戻すでしょう。ジン様はアクエリアス様の予言どおり、この世界の乙女と結婚し、新たな世界の仕組みを創っていかれることになります」
「その『乙女』って、誰のことだか分かってるのかい? 良かったら教えてほしいんだけどな、心の準備ってもんもあるし」
我に返ったジビエが急かすように訊くと、サラは気の毒そうな顔をして首を振った。
「私がお伝えできるのは、『ジン様が誰を選ぶかで今後の歴史が変わる』ということだけです。アクエリアス様は様々な分岐をお示しになられていますが、結局のところ、これはジン様しか決められないことですから」
「じゃあさ、もしアタイが選ばれたらどうなるか。それだけでも教えて欲しいんだけど」
なおも食らいつくジビエを、サリュが止めた。
「ジビエ、予言ってのは知らない方が振り回されなくて済むんじゃないか? それに事前に内容を知ってしまうと、キミ自身の行動を制約することになりかねない。それは予言の主旨に反するんじゃないかな?」
「そうですね、それはサリュ様のおっしゃるとおりでしょう。それに、予言にはいつだって『成就させる者』の存在が付きものなのです。ですから、この件に関しては流れに身を任せてくださいませんか?」
サラも優しい顔でジビエにそう言った時、天幕の外からウェカの弾んだ声が聞こえて来た。
「サリュさん、ジビエ、サラさん、ジンが帰って来たわ!」
その声に三人は顔を見合わせて笑うと、
「ジンが戻ったようだ。アルケー・クロウのことは別として、先ずは戦果の拡大と今後のことについて、みんなで考えねばならない。ボクたちの望む未来のためにね」
サリュの言葉にうなずいて、ジビエやサラも天幕を出た。
僕の意識ははっきりしていた。ロゴスたちと交わした話も、そして戦闘の経過もすべて記憶の中に焼き付いている。そして僕は自分が何者かも解っていた。
あの声が僕に語りかけて来て、僕が自分では信じられないような魔法を使って戦ったことは幾度もあるが、そのたびに僕の記憶は飛んでいた。
近頃は、おぼろげながら戦闘の経過やその時感じたことを思い出せるようになってきていたが、それでも自分の意志とはどこかかけ離れたところでの出来事のようで、困惑することが多かった。
しかし、今は違う。僕は自分の意志で魔法を使い、相手を挑発し、そしてそんな自分、殺戮を続ける自分に快感を覚えていた。こんなことは初めてだった。
ベロベロウッドの森からアルケーを探して移動したときも、僕は戦いを求めていた。心の中で煮えたぎる思いが、アルケーの命を欲している……そんな気持ちだったのだ。
しかし、僕が我に返ったのは、途中で精霊覇王のエレクラ様に出会ったからだ。
「ジン・ライム、アルケー・クロウは我々に任せるといい。お前は一刻も早く仲間たちと合流し、今後のことを考えるべきだ」
エレクラ様は琥珀色の瞳を僕に当てて、強い調子でそう言った。それは命令に近い言い方で、有無を言わせぬ迫力に満ちていた。
「今後のこと? アルケー・クロウの摂理や魔族に対する理解は、明らかに誤謬を含んでいる。それを正さないと、同じことを繰り返すのではないか?」
僕が言うと、エレクラ様はじっと僕を見つめていたが、やがてその眉宇にはっきりと憂いをにじませて答えた。
「お前はまだ完全に覚醒しているわけではない。今お前がアルケーと戦ったら、勝ってもその精神は闇に呑まれるだろう。未来の私から預かったお前を、闇に呑まれた形で戻すわけにはいかない。
今、人間たちは復興に向けて新たな制度を必要としている。残敵掃討や首魁の追跡も大事だが、自らの立場への理解を深めることが、今のお前にとっては最重要な課題だ。仲間と共に世界の秩序を取り戻すことを優先すべきだ」
エレクラ様はそう言うと、僕を強制的にウェカたちのいる陣地の前まで移動させた。その時は、僕はいつもの自分を取り戻していた。
「ジン、ジンなの? よかったぁ、無事に戻ってくれて」
エレクラ様の言葉の意味するところを呆然とした頭で考えていた僕は、突然のウェカの声で完全にこちら側に戻って来た。ウェカはポニー・テールにした金髪を揺らしながら僕の側まで駆け寄ってくると、頬を膨らませて睨む。
「もう、ジンったら。勝手に単身で攻撃なんかするから、アタシは心配でいてもたってもいられなかったんだよ?『伝説の英雄』であるジンがいなくなったら、アタシたちはどうやってこの世界を建て直すのか途方に暮れるところだったじゃない」
そう早口でまくしたてると、僕が謝罪の言葉を口にするより早く、
「でも、無事に帰って来てくれたから大目に見てあげる。
アリガト、ジン、魔物たちの軍団を殲滅してくれて。こんなに早くこの日がやって来るなんて、正直アタシは想像もしていなかった。お父さんとお母さんの仇を討ってくれて、ううん、アタシを助けてくれてアリガト」
そうお日様のような笑顔で言うと、僕の胸に顔をうずめてきた。肩が小刻みに震えている。ひょっとしてウェカは泣いているのだろうか。
ウェカはまだ15歳だ。普通ならカッツェガルテンという町の執政である父君や母君のもとで、深窓のご令嬢として楽しい日々を過ごしていたはずだ。
それがアルケーたちのために戦乱に巻き込まれ、父母を失い、悲しみも癒えぬまま執政官として生きて来たのだ。同じ境遇であるヴェーゼシュッツェンのネルコワもそうだが、その過酷さを想像すると彼女たちには通り一遍の慰めなんて空々しいだけだろう。
僕はそう思って、ウェカが落ち着くまで彼女の髪を優しくなでていた。それしか僕にはウェカにしてあげられることが思いつかなかったからだ。
やがて彼女は落ち着いたのか、ゆっくりと顔を上げる。目に涙をためながらも頬を染めて微笑む彼女に、僕はこの世界に来て初めて、ウェカを女の子として意識している自分に気付いた。
「ジンって本当に優しいね? とりあえず、これからアタシたちはどうすべきかを決めなきゃいけないから、早くアクエリアス様のところへ行こう?」
そう幸せそうに言うウェカにうなずくと、僕は彼女の手を取って陣門をくぐった。
(魔神を狩ろう その21へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
5千年前の世界での戦いも、終盤を迎えつつあります。この世界でジンは自らの宿命を知ることになりますが、それが今後の『キャバスラ』の展開にどう影響するのか、それは書いてみないと何とも言えないところです(何せ、『行き当たりばったり』ですので)。
けれど、最初に僕が意図した『軽いノリでのギャグ風ファンタジー』からは遠く離れてしまいましたね(汗)。次回もお楽しみに。




