Tournament51 Fiends hunting:Part11(魔神を狩ろう!その11:契約)
精霊覇王エレクラの神殿に到着したジンたち。そこでジンはエレクラから『摂理の黄昏』や一族の秘密について知らされる。
その頃、ユニコーン族の仲間サリュは、別方面に現れた魔軍討伐に出発していた。
【主な登場人物紹介】
■主人公ジン・ライムが5千年前の世界で出会った人たち
♡ウェカ・スクロルム 15歳 金髪碧眼の美少女。弓が得意なアタシっ子。5千年前の時空のカッツェガルテンというまちで出会った。貴族の娘だが弱い者に対する同情と理解が深い。ジンを運命の相手として慕っている。
♤ザコ・ガイル 22歳 茶髪碧眼のオーガの青年。大剣をぶん回す俺っち戦士。ウェカと同じくカッツェガルテンに住んでいた。鍛冶屋の息子だがウェカの同志的存在。戦術的才能があり、ウェカに乞われてスクロルム家の私兵を率いている。
♡マル・セロン 22歳 黒髪黒眼のエルフの美女。剣の腕も確かだが本職は書記で、カッツェガルテンの民政を引き受けている。性格は冷静で、ウェカを妹のように可愛がっている。ザコとは幼馴染である。
♡ネルコワ・ヨクソダッツ 13歳 茶髪で黒い瞳を持つヴェーゼシュッツェンの後継者。父の戦死と家臣団の離反で殺されそうになっていたところを、従姉の忠臣アーマ・ザッケンに救われ、カッツェガルテンにアーマの妹、アーカ・ザッケンを遣わして救援要請した。
♡ジビエ・デイナイト 17歳 赤髪灼眼の17歳。オーガ族長の長女でジンの能力に惹かれ、異世界での仲間となる。巨大な棍棒を揮って戦うアタイっ子猛将。
♤サリュ・パスカル 17歳 金髪碧眼の美男子でユニコーン族長の長子。ジンの異世界に興味を持ち、ジビエに誘われる形で仲間になった。レイピアを持つが智謀と魔力に優れた参謀役。
♡サラ・フローレンス 精霊王アクエリアスの神殿に仕えるエルフの神官で、金髪碧眼の17歳。魔物に襲われ孤立した神殿にいたところをジンたちに助けられて仲間になる。精霊王との共感能力に優れ、数々の危機を予言する。回復魔法の達人。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「あの、ジン様。精霊王アクエリアス様が、ぜひジン様と引き合わせたい方をお連れしたと訪ねておいでです」
ネルコワさんやジビエさんと他愛もないやり取りをしていた僕の前に、おずおずとサラさんが顔を出して言う。
「え、アクエリアス様が!? すぐにお会いします。今どこにいらっしゃるんです?」
僕がびっくりして訊くと、サラさんは上気した顔で、
「いえ、もうすぐこちらにおいでになります……あっ、おみえになりました」
後ろを振り返ってそう言う。僕も慌ててサラさんの視線を追った。
「あれは……」
視線の先には、一度ホルストラントの神殿でお会いした水の精霊王アクエリアス様が、深い海の色をした髪をなびかせながら僕に微笑みかけていた。
しかし、僕が言葉を途切れさせたのは、その後ろに白髪で長身の男性……黒の詰襟服の上下に白い手袋と靴を履いた男の人が続いていたからだった。あれは確か……
「……あれは、ヴィクトール・アーセルさん? ヴィクトールさんがなぜアクエリアス様と?」
その男性は、僕をこの世界に連れて来た(と思われる)ヴィクトールと名乗る人物だった。一瞬、他人の空似かとも思ったが、服や靴までまったく同じってことは意図しないとあり得ない。
やがて二人は僕の前までやって来ると、アクエリアス様がにこやかに
「ジン・ライム殿、お久しぶりね? 今日はあなたにぜひ会ってもらいたいお方をお連れしたわ」
そう言葉をかけて来る。僕はアクエリアス様の言い回しで、ヴィクトールと名乗った人物の正体を推察して緊張する。精霊王が敬語を使う人物、それは精霊覇王エレクラそのひと以外にあり得ないからだ。
僕はじっとヴィクトールさんを見つめていた。間違いない、僕をこの世界にほっぽり出した人物、カッツェガルテンで話をしたあのヴィクトールさんだった。
僕は彼から視線を外さずにあいさつする。
「お久しぶりです、ヴィクトール・アーセルさん。まさかもう僕を元の世界に連れ戻しに来られたんですか?」
すると、僕を無表情に琥珀色の瞳で見つめていたヴィクトールさんは、一瞬当惑したような表情を浮かべたが、すぐに薄く微笑みながら春風のような声で言った。
「ヴィクトール・アーセル……ふむ、まだ名乗ってもいない私の仮の名を知っているとは非常に興味深い。そなたがジン・ライムだな、そなたがこの世界にやって来た経緯を聞かせてもらえるか?」
僕はそのとき、二つのことに気付いた。
一つは、僕はこの世界の人たちから見れば『未来人』だってことだ。今目の前にいるヴィクトールさんが、僕を連れてきた未来のヴィクトールさんと同一人物だったとしても、未来のヴィクトールさんが考えたことを過去のヴィクトールさんが知れるはずもない。だから僕がここにいる経緯も知っているはずがないのだ。
それともう一つ、こちらの方が僕にとって衝撃が大きかったのだが、ヴィクトール・アーセルという人物は精霊覇王エレクラ様だったという事実だ。僕は精霊覇王自身の手によって過去の世界に飛ばされたことになる。
(エレクラ様にとって、僕と過去の自分が邂逅することも想定のうちに入っているんだろう。だとすると、僕は過去のエレクラ様と積極的に関わりを持った方がいいのかもしれないな)
そう考えた僕は、躊躇なくエレクラ様の言葉にうなずいた。
「承知しました。話をお聞きいただき、僕の今後や『摂理の黄昏』についての助言をしていただければ助かります」
僕が同意したのを聞くと、エレクラ様は
「では、私の神殿で話を聞こう。神殿までは魔物が邪魔しないよう私が守ってやるから、できるだけ早く来てくれ。アクエリアス、一緒に神殿に戻ろう」
そう言ってサッと踵を返し、アクエリアス様と共に空間の裂け目に消えて行った。
神殿に戻ったエレクラは、側にアクエリアスがいるのも構わずに何かを一生懸命考えていた。アクエリアスはエレクラの思考を邪魔しないよう、部屋の入口の前で外を静かに眺めていた。
やがてエレクラは顔を上げてアクエリアスに訊く。
「アクエリアス、お前はジン・ライムを私たちの世界に連れて来たのは誰だと思う?」
するとアクエリアスは躊躇せず答えた。
「未来にいらっしゃるエレクラ様でしょうね。同軸の空間かどうかまでは判りませんが」
アクエリアスの答えに、エレクラもうなずいて、
「彼は『ヴィクトール・アーセル』という私の仮名を知っていた。その上での『もう自分を連れ戻しに来たのか』という発言だ。信じられないが、どこかの時空にいる私がこの時空を救うために彼を送り込んでくれたのだろうな」
そう言うと、神殿の入口へと目を向けて
「……もうすぐ彼らがここに着くようだ。他ならぬ『伝説の英雄』、出迎えてやらねばならないだろうな」
そう微笑みながら歩き出した。
「これはエレクラ様!」
エレクラの姿を初めてまじまじと見た大神官バウム・フローレンスは、転がるようにエレクラの前に走ってきて直立する。
エレクラはそんなバウムに優しい声で言う。
「大神官、そんなに畏まる必要はない。もうすぐジン・ライムと名乗る『伝説の英雄』がこの神殿にやって来る。先に私が頼んだとおり、彼が来たらしばらく二人で話をさせてほしい。頼んだぞ?」
「はい、心得ております」
バウムは直立不動で答えた。エレクラは『畏まる必要はない』とは言ったが、他ならぬそのエレクラ自身を祀る神殿の長がそんな言葉を聞き入れるはずがないと悟ったエレクラは、付き従っているアクエリアスを振り返ると言った。
「本意ではないが、奥で待つことにしよう。ここに居たら大神官に無駄に気を遣わせるようだ」
くすくす笑いをしていたアクエリアスは、海の色をした髪をなびかせて、
「その方がよろしいようですわね。エレクラ様は、神座にお座りになっている方がとても神々しくてお似合いですもの」
そう上機嫌で言った。
「……うわ、すっげえなあ……」
僕は、エレクラ様の神殿を一目見て、その荘厳さに言葉を失った。
エレクラ様の神殿はユグドラシル山の中腹、5合目辺りにあるのだが、大理石をふんだんに使い、四隅に尖塔を持つ四角い基礎の上に建てられていた。
いったいどれほどの人間が、どれほどの労力を注ぎ込めば、これほど重厚で荘厳な建築物が出来上がるのか……空気も薄く、高所に慣れない人間なら酸欠で立ち眩みを起こしそうな場所にあることが、この神殿をさらに厳かに見せていた。
幸い、サラさんが心配していた高山病は誰一人重症化することなく、案外順調にここまで来られた。これもエレクラ様のご加護って言っていいのかもしれない。
「さすがは世界の摂理を正し、安寧を守護する精霊覇王エレクラ様の神殿ですわ。身も心も清められるみたいです」
僕の隣に立っているネルコワさんも、目を丸くしている。
「……はは、『精霊覇王』の肩書は伊達じゃないってこったね。こんな凄いもんが見られたんだから、苦労して登って来たかいがあったってもんだ」
ごつい棍棒で身体を支えながらジビエさんも言う。意外なことにジビエさんが一番調子を崩していた。今だって口調こそ普段と変わりないが、顔色は白くて明らかに具合が悪そうだ。
「大丈夫かジビエ。肩を貸そうか?」
僕が心配して訊くと、彼女はチラリとネルコワさんを見て笑って答える。
「はは、ありがたくて胸がキュンってする言葉ですが、そんなことされたらアタイは恥ずかしくって死んじまいそうになりますし、そちらのおちびちゃんにも悪い気がするから遠慮しときます。
まあ、アタイはオーガだから、身体が大きい分酸素も多く必要とするだろうし、薄い酸素の影響をもろに受けただけです。激しく動きさえしなければ問題ありません」
「あら、わたくしに気を遣わなくて結構よ? 肩を借りたくらいでドキドキするほどお淑やかには見えませんけど?」
ここぞとばかりにネルコワさんが挑発する。いつもいろいろ言われているうっぷん晴らしなのかもしれない。
けれどジビエさんも負けてはいない。ニヤリと笑って言い返したのは、さすがに『お姉さんの余裕』といったところか。
「おちびちゃん、悪いけどあんたの挑発には乗らねえぜ? アタイがジンに肩を借りたらあんただってジンに甘えやすくなるって寸法だろう? その手は桑名の焼きハマグリってもんだぜ」
「何その『当たり前田のクラッカー』みたいな言い回しは? ずいぶん古い言葉をご存知みたいですが、あなた実際お幾つなのかしら?」
「あら、ジビエ様のは江戸時代には使われていた言葉で、ネルコワ様のは昭和30年代に流行ったギャグじゃないですか? 懐かしいわあ、久しぶりに聞きました」
二人の言い合いを心配そうに聞いていたサラさんが、ぱあっと顔を輝かせて言う。それを聞いたネルコワさんもジビエさんも、キョトンとした顔でサラさんを見た。
「いやサラさん、『懐かしい』なんて君こそ幾つなんだ?」
すかさず僕が突っ込むと、今度はサラさんが不思議そうに僕に問いかける。
「えっ!? 私はまだ17歳ですが……ひょっとしてもっと年増って思っていらっしゃいました?」
「え、僕と同い年? 穏やかで落ち着いているから、てっきり二十歳は超えてるのかと思っていた」
僕が思わず本音を漏らすと、ネルコワさんもジビエさんもうなずく。
サラさんは僕たちの反応にショックを受けたのか、両手で口元を覆って、
「私ってそんなに年上に見られていたのですね? がちょーん」
と、これまた時空の彼方でお星さまになって久しいギャグを放ったそのとき、神殿の中から赤い外套をまとった精悍な男性が出てきて、ショックを受けているサラさんに呼び掛けた。
「アクエリアス様の神官長、早く『伝説の英雄』様たちを中にご案内しなさい」
「あっ、大神官様」
その声で我に返ったサラさんは、咳払いすると居住まいを正し、僕たちに
「お、おほん。皆さま、こちらへどうぞ」
そう言って神殿の中へと案内してくれた。
★ ★ ★ ★ ★
ホルストラントとは、ヒーロイ大陸北西部にある高地地帯である。この高地地帯は周囲を千メートルから2千メートルに及ぶ断崖絶壁で囲まれ、天然の要害とも言える地形をなしている。
平地も少なくはないが緯度と標高が高いので、作れる作物も限られているし収穫も多くを望めない。だから人間の手は余り入っておらず、ユニコーン族やオーガ族の本拠地としてその名を知られていた。
領域の北と西は海に面し、南は後にリンゴーク侯国となるトリューフ地方に、東はヴァルデン地方と境界を接している。
その境界近くに、2万もの軍勢が巨大な野営地を構えていた。額に角があるユニコーン族と屈強なオーガ族の軍だ。
どちらの軍も陣内は整然としており、指揮官の能力と兵の練度の高さが窺われた。
「ネルコワ殿とジビエがここを発してから10日、ジンがカッツェガルテンに転移してからは20日近くが経ったが、まだ誰からも何の連絡もない。魔物たちの動きに大きな変化がないから、南部オップヴァルデンは無事だろうが、ちょっと気にはなるな」
ユニコーン族の野営地中央に建てられた大型の帷幕の中で、少年がつぶやいている。少年ではあるが落ち着いた雰囲気を醸し出しており、うざったく伸びた金髪の下に見える碧眼は深い海の色を湛え、その奥にある頭脳が秘める深い智謀を物語っていた。
「やれやれ、またレーヴェとエリンの知恵を借りないといけないかな」
少年が、両腕と頼む側近を呼び出そうと椅子から立ち上がったとき、帷幕の外から声がした。
「サリュ様、よろしいですか?」
「ああエリン、ちょうどキミとレーヴェを呼ぼうと思っていたところなんだ。間がいいね、入ってくれ」
サリュがそう言うと、入口の幕を分けて亜麻色の髪の女性が姿を見せ、続いて
「それじゃあ俺も間が良かったってことですね、サリュ様」
茶髪の男性もそう言いながら共に入って来た。
「なんだ、レーヴェも一緒だったのか。確かに間がいい、手間が省けたよ。二人とも座ってくれ」
サリュがニコニコして言うと、エリンもレーヴェも長椅子に座る。サリュは向かい側に腰を下ろすと、二人の目を見ながら訊いた。
「さて、どんな報告かな?」
「先ほど、ビーフ殿がみえまして」
レーヴェが言うと、サリュはうなずいて、
「ああ、ジビエのお目付け役だね? ジビエから何か連絡があったんだね?」
こともなげにそう言う。
いつものことなのか、レーヴェは驚きもせずにうなずき、
「はい。ジビエ様は今、精霊覇王エレクラ様の神殿にいらっしゃるそうです。この後エレクラ様から宣託を受けたらすぐに知らせるとのことだったそうで」
そう明るい顔で言う。
その後を受けて、エリンが石色の瞳をサリュに向け言った。
「ただ、その知らせは一昨日に届いたそうなのです。宣託の内容は今後の進退に関わることなので、今回のように遅れて知らされても困ります。連絡があったら速やかに通知してもらえるよう、ビーフ殿には申し入れておきました」
「それはビーフにあるまじき失態だね。ジビエのパシリであるポークと違って、彼はそんなにボーッとしている人物じゃないと思っていたが……」
サリュはそう言うと鋭い目で二人に命じた。
「レーヴェ、ボクはちょっとジビエの軍に所用で出かけて来る。その間の指揮は任せた。エリン、ついて来てくれ」
サリュが率いるユニコーン隊とジビエのオーガ隊との間は、2百メートルほど離れている。本当は隣接して布陣すべきなのだが、地形の関係上仕方なく今の陣取りに甘んじていたのだ。
「場合によっては1マイル(この世界で約1・85キロ)ほど陣を下げるかもしれない。あそこには2万を収容するのに十分な草原があったからね」
サリュが馬を走らせながら言うと、エリンはそのことには触れず、
「サリュ様、ヴェーゼシュッツェンの奪還について、何か策はお考えですか?」
そう訊くと、サリュは軽く首を横に振った。
「ヴェーゼシュッツェンには一般人がまだたくさんいる。魔物にとっては人質を取ってるようなもんだ。その被害を最小限にする方法がまだ思いつかない。単に陥落させるのなら簡単なんだがね?」
サリュは厳しい目を宙にさまよわせながら言うと、エリンに視線を向けて
「……だが、それもオーガ族が解決してくれるかもしれない。ビーフやマトン殿を訪ねるのは、それを確かめるためだ」
そう、謎めいたことを言うのだった。
エリンは
「? どういうことでしょう?」
当然、そんな疑問を口にしたが、
(まあ、サリュ様のことだから、ワタシが気付いていないことにお気づきなのかもしれないわね)
そう思い、その先の言葉を飲み込んだ。
やがて二人はオーガ族の陣門に着くと、門を守護している兵士に告げる。
「ワタシはユニコーン軍の副官、エリン・シャトー。サリュ・パスカル司令官殿が貴軍の司令官代行殿にお話があるそうです。すぐに司令部に伝えてください」
すると、隊長らしきオーガは敬礼して、
「お疲れ様であります。すぐに司令部に知らせますので、暫時お待ちください!」
そう大声で言うと、陣の中央へと駆けて行く。
「……ジビエがいないが、軍紀は厳正のようだ。マトン殿の管理が行き届いているんだろうな」
サリュは満足そうにそうつぶやくと、
「エリン、尊敬すべき司令官代行殿を馬上で待ち受けては失礼だ。地面に足を付けてお待ちしようじゃないか」
そう含みのある言い方と共に馬から下りる。エリンもそれに従った。
やがて陣の中央から、さっきの隊長を伴って初老のオーガが駆けて来るのが見える。髪はすっかり白髪になっているが、黒い革鎧に包まれたたくましい体躯から発散される威圧感は、並走している隊長を凌ぐものがあった。
「これはユニコーンの若君、突然何のご用事でしょうか?」
サリュの目の前に突っ立ったマトンがそう訊く。怪訝そうなその表情は、サリュの一言で驚きのそれに変わった。
「なに、キミとビーフが掴んだ情報を、ボクも知りたいと思っただけさ。他意はない」
マトンは一瞬の驚きからすぐに立ち直り、ニコリとしながら言った。
「ユニコーンの若君には隠し事が効かないとお嬢様が言っておりましたが、そのとおりですな。司令部においでくださいますか?」
サリュは笑って頷いた。
司令部となっている天幕に三人が入ると、オーガ軍の副官的立場にいるビーフが振り返って目を丸くする。彼はごつごつとした手にディバイダと定規を持っており、テーブルには大きい地図が広げられている。何かの作図を行っている途中らしい。
「これはサリュ様! 突然のお越しは何事ですか? ひょっとしてユニコーンの里にも魔物が接近して?」
ビーフが思わずそう言うのを聞いて、サリュは肩をすくめてぼやくように
「やれやれ、こんな時に限って悪い予感ってのは当たるもんだね? それでビーフ、キミが偵知した魔物の動きを教えてもらってもいいかな?」
そう訊くと、ビーフは一瞬キョトンとして訊き返す。
「えっ? ではユニコーン族からは魔物の接近の警報は出ていないのでしょうか?」
サリュは口元を歪めると、首を横に振る。
「いや、特に変わった知らせはない。父君がボクに心配かけまいとされているのなら別だが、エメやダッセンが里の主力で対応できると考えたのなら心配することもないだろう」
落ち着いた声でそう言うサリュは、地図をチラリと見て訊く。
「……それで、キミはヴァルデン地方にいるのとは別の魔軍がホルストラントを狙うと思っているんだね? キミの偵察では、そこまで切羽詰まった様子だったのかい?」
ビーフはマトンの顔を見て、マトンがうなずくのを確認すると、地図に何本かの線を書き入れて言った。
「一昨日、お嬢様から『ヘルゴートの襲撃を受けたが撃退し、無事にエレクラ様の神殿に着いた』との連絡を受けました。
ヴァルデン地方で確認されている魔物はヴォルフやワイバーンが主で、こいつらはヘルゴートとは古くから反目しています。それで、ヘルゴートを主力とする別の魔軍が展開しているのではと、トリューフ地方を偵察して来たのです」
「ふむ、さすがはジビエの知恵袋だ。それでキミは、別の魔軍の支隊を発見したってわけだね。兵力は5千内外ってとこかな?」
サリュが言うと、ビーフは再び驚いた顔で、
「えっ!? た、確かにヘルゴート軍は5千ほどでしたが、なぜそんなことまで?」
そう訊く。サリュは薄く笑って、こともなげに答えた。
「それが数万の規模を持つ主力だったら、ボクたちもヴェーゼシュッツェンどころじゃない。ジビエの報告よりボクを呼び出す使者を送ったはずだからね」
そこでマトンが口をはさんだ。
「ユニコーンの若君、状況はおおむねご推察のとおりです。それで私どもは、このまま推移を見守っても問題ないか、あるいは軍を分けてでも対応すべきか、はたまた全軍でヘルゴート軍を叩いたものかを考えていたのです」
「あなたの言われる『全軍』とは『ジビエ隊挙げて』ってことかな? ビーフ、キミの見立てでは、魔物ヤギはどんな進路でどこを狙って来ると思う?」
サリュが厳しい顔で訊くと、ビーフは即座に答えた。
「今のところ、トリューフ町の横を素通りして北上中です。トリューフ町は攻撃こそ受けていませんが、全員が町に避難して戦々恐々としているみたいです。
ただ、敵は輜重の大部隊を引き連れていましたから、町を攻めなかったことも勘案すると敵軍の目的は兵糧確保だと思います。それなら、狭いトリューフ街道を登ってまでホルストラントを制圧しようとは考えないでしょう。
しかし、トリューフ地方の作物の出来が良くなかったり、敵将に功名心があったりする場合、どんなことをしでかすかは分かりません」
「ふむ、トリューフを攻めるか、それともイチかバチかホルストラントに攻め込むか、か……まあ、こちらに攻め込んでも、ヴォルフの大殿と我が父君の敵ではないが……」
サリュは形のいい指で細いあごをつまんで独り言ちていたが、やがて顔を上げると、
「うむ、トリューフが危機に陥る可能性は看過すべきではないな。ちょうど試してみたい術式もあることだし、ボクが行ってこよう。
ボクがいない間にジビエから連絡が入ったら、マトン殿、悪いがレーヴェを併せ指揮してジビエと合流してくれないか? ボクは後から追い付くから」
サリュ自らが部隊を指揮してトリューフ地域に向かうことには、オーガ部隊指揮官代行のマトンも、サリュ隊の次席指揮官であるレーヴェも反対した。サリュはジビエ・サリュ連合部隊の実質的な総帥だったからだ。
けれどサリュは、
「ボクたちは『摂理の黄昏』について何一つ分かっちゃいない。魔物についてもどのくらいの数の魔物がどこにいて、どんな奴が指揮しているのか一つも情報がない。
トリューフ近郊をうろついている魔軍を叩けば、それらの情報が手に入る可能性は高い。だからボクが行くんだ」
そう言って反対を押し切り、5千を連れて即日トリューフ地方へと軍を発した。
「サリュ様、もしレーヴェだけが先にジビエ様と合流したら、ジビエ様がどれだけ落胆されるか。ジビエ様はサリュ様の知略を頼みにされていますから」
隣で馬を駆っているエリンが言うと、サリュは笑って答える。
「心配ない、あちらにはジンがいるからね。それにヴェーゼシュッツェンの執政どのも、見た目はまだ子どもだがなかなか知識は豊富と観た。ボクはボクで試したいことがあるんだ。早めに確認しておけば、今後きっと役に立つと思うからね」
「いったい何を試されるんですか?」
エリンが興味深々といった様子で聞いて来るが、サリュはただにんまりと笑うだけだった。それまでの経験からサリュがむやみに自分の考えていることを話さないと知っているエリンは、その笑いを見て話題を変える。
「ところで、ヘルゴートの奴らは殲滅されますか? それとも捕獲を考えられているんでしょうか?」
その問いには、サリュは明確に答えた。
「もちろん捕獲する。それも一兵残らずだ。エリンもそのつもりで動いてくれ」
(同数の敵を一兵残らず捕獲するですって!? サリュ様はいったいどんな手段を取ろうと考えているのかしら?)
エリンはサリュの答えを聞いて驚きとともにそう思ったが、
(それがサリュ様が『試したい』と思っていることに違いない。ならばワタシはサリュ様の指示のもと、不測の事態に備えるようにするだけだわ)
そんな決意とともにうなずくエリンだった。
★ ★ ★ ★ ★
僕たちは大神官様に案内されてエレクラ様の神殿へと足を踏み入れた。
神殿の大きさはかなりのもので、一番外郭に当たる廊下にはたくさんの人たちがうずくまっていた。
「魔物の襲来で故郷を追われた方々です。ここは空気こそ薄いですが、エレクラ様のお力により魔物は近くに寄っても来られません。ですから皆さんには安心して今後のことを考える余裕が出来るのです。今後の生活の目途が立つまで、私たちは彼らを見捨てたりはいたしません」
大神官様が少し怒ったような声で言うと立ち止まり、僕を見て
「あなたのことはアクエリアス神官長から話を聞いていました。また、エレクラ様もあなたに期待されているようです。どうか『摂理の黄昏』を止め、魔物たちを駆逐して民の平穏な暮らしを取り戻してください」
慈愛に満ちた顔でそんな言葉をかけてくださった。
「どこまで出来るか分かりませんが、力の限り努力します」
僕がそう答えると、サラさんが
「ご謙遜なさらないでください。アクエリアス様もジン様には大きな期待を寄せられています。それに私もジン様の能力は何度も見せていただきました。ジン様こそ、アクエリアス様が予言されていた『伝説の英雄』に間違いございません!」
そうプレッシャーをかけて来る。
僕は両方の肩に重いものを載せられたように、ずっしりとしたみんなの期待を肌で感じて黙ってしまったが、大神官様やサラさんは僕のそんな気持ちにはお構いなしに、僕をエレクラ様の『玉座の間』に招き入れた。
「エレクラ様は、あなたがここに着いたら二人きりで話をしたいと希望されていました。
ですから私たちは席を外します。『エレクラの玉座』の前でお待ちになってください」
大神官様はそう言うとサラさんとともに部屋を出て、重い扉を閉めた。幸い、どんな造りかは分からないが明かりは射し込んでいたので、扉が閉まっても暗くはならなかった。
僕はゆっくりと『玉座』に歩み寄る。その椅子は少し大きめに作ってあって、華美ではなかったが頑丈でかつ上品なものだった。ひじ掛けや座面、背もたれにこの時代には珍しく革を張ってあったのも、そう感じた理由の一つだろう。
なんにせよ、そのような椅子が天井から射し込んでくる日の光に照らされると、そこはかとなく神々しさを感じるものだ。
(この世界のエレクラ様は僕のことを知らなかった。では僕の世界のエレクラ様は、なぜこの時空を選んで僕をここに連れて来たのだろう?)
過去に『摂理の黄昏』と言う大事件が起こったのは、どの時空でも同じみたいだ。でないと、現にこの世界が『摂理の黄昏』に襲われつつあることを説明できない。
もちろん、『摂理の黄昏』が起こらなかった時空もあるのだろう。けれどそんな時空には僕はお呼びではないということだろう。
とすると、『摂理の黄昏』が起こった時点で世界は二つに分岐する。『摂理の黄昏』を乗り切った世界とそうではない世界だ……。
「アクエリアスの考えでは、そなたがいなければこの世界は『乗り切れなかった世界』になるはずだったようだ。摂理の調律者様から世界の安寧守護を仰せつかっている私たち四神としては、信じたくない考えだが……」
僕が考えにふけっていると、『玉座』の後ろに白く長い髪を揺らしながらエレクラ様が姿を現した。やっぱりどこから見ても、僕をこの世界に連れて来たヴィクトールさんにそっくりだ。まあ、時空が違うだけで同じ土の精霊覇王であるから、当然って言えば当然だけど。
そんなことを考えている僕に、エレクラ様は静かに問いを投げかけて来た。
「ジン・ライム、そなたがいた世界では、誰が四神を務めている?」
僕は慌ててエレクラ様に答える。
「はい、精霊覇王はエレクラ様ですが、風の精霊王はウェンディ・リメン、火の精霊王はフェン・レイ、水の精霊王はアクア・ラングでしたが今は交替しているはずです」
エレクラ様は僕の答えを興味をそそられた顔で聞いていたが、
「そなたの世界は5千年の未来だと言っていたな?」
そう訊き、僕がうなずくのを見て重ねて訊いてきた。
「そなたの世界でも、『摂理の黄昏』は起こっているのか?」
「僕は『摂理の黄昏』という言葉はこの世界に来て初めて聞きました。僕の世界では、むしろ『魔王の降臨』の方が世界の存亡に関わる出来事として恐れられています。『伝説の英雄』とは、魔王降臨を阻止した勇者のことをそう呼んでいます」
僕が答えると、エレクラ様は眉を寄せて何かを考えていたが、
「ふむ、『魔王の降臨』……私の世界でその言葉が言われるようになったのは、ほんの5百年ほど前のことだ。アルケー・クロウが自らの血をもって魔族や魔神を創り上げた後、彼は今はの際に『いつか我は魔王となって降臨し、世界を滅ぼす』と誓った。それ以降、数十年おきに魔物の跳梁が激しくなるという事象が起こっている」
そう独り言のように言う。とすると、『摂理の黄昏』と『魔王の降臨』には直接の関係はないといえる。
僕は思い切ってエレクラ様に訊いてみた。
「エレクラ様は、『摂理の黄昏』を惹き起こす原因は何だとお考えですか?」
するとエレクラ様は言下に答えた。
「それは人間の言動だ。怒り、憎しみ、羨望、嫉妬、傲慢、強欲、淫蕩……それらは本能に根差すものとも言えるが、それが摂理を乱すほどになると問題を生じる。それを規制し自らを律するのが、倫理であり契約だ。
しかし、どれだけ悪因が溜まっても、それを発現させる悪縁がなければ『摂理の黄昏』は起こりようがない。その悪縁となるのが『運命の背反者』だ」
「エピメイア?」
初めて聞く名前に僕が首を傾げると、エレクラ様は秀麗な顔に翳を落として、低い声で説明してくれた。
「機密の事柄だが、そなたになら話してもよいだろう。
エピメイアはプロノイア様の双子の妹で、元はプロノイア様と共に摂理に仕える乙女だった。さまざまなものに摂理に基づいた運命を授けることを仕事とされていたが、ある時、『摂理は不完全だ』としてプロノイア様と仲違いをした。それ以降、悪因を集めては摂理に挑戦していると聞く。
確証こそないが、我々四神はエピメイアこそ『摂理の黄昏』の元凶と目している。エピメイアも、もとは『運命の供与者』と言われた存在だ、惜しいことをした」
「摂理が……不完全?」
僕はその言葉が妙に心に引っ掛かった。今まで摂理について深く考えたことはなかったが、なぜか『摂理の不完全さ』については、すんなりと納得してしまいそうな自分がいたのだ。
エレクラ様はそんな僕を見て、鋭い目で僕を見据えながら、
「ふむ、クロウ一族たるそなたのことだ。エピメイアが信じていることも、アルケー・クロウの思いも、きっと深いところで理解できるだろうな。だからこそ5千年先の私は、そなたをこの世界に送ってくれたのだろう」
そう言うと、黄金色の魔力でその身を覆った。
ジンとエレクラが話をしている間、ネルコワやジビエはサラとともに大神官バウムと情報を交換していた。バウムはヒーロイ大陸全土に所在する四神の神殿を管轄している。それらの神官たちの報告が、そのまま魔物たちの勢力や目的を知らせてくれるのだ。
「報告書から考えると、モント地方とエーリンギー周辺が辛うじて魔物の侵攻を撥ね退けているみたいだね。それ以外の地方はポリスに籠城しているのかもしれない」
ジビエが難しい顔で言うと、ネルコワも緊張した面持ちでうなずく。
「南オップヴァルデンはまだ幸運な方なのですね。それにしても魔物はどれくらいいるのでしょう?」
「……アタイはホルストラントから余り外に出ないから、正直これほどの状況になっていたなんて想像もしていなかったぜ。この分じゃ大陸にのさばってる魔物は10万じゃきかないだろうね」
ジビエが腕を組んで言うと、報告書を丹念に読んでいたサラが話に加わってきた。
「シンシア首席神官長やレード次席神官長からの報告によると、各地の主だった遥拝所や詰所にも避難されている方々がいます。そういった所では神官同士が協力して、近くにある施設が連携して魔物を防いでいるようです。
しかし、もともと守護神官をそう多くは配置していない所がほとんどなので、早急に救援が必要だとのことです。ジビエ様、ネルコワ様、何とかなりませんか?」
すがるような目で見つめられたジビエは、気の毒そうに目を逸らしながら答える。
「そりゃアタイも何とかしてやりたいが、アタイたちの最初の目的は、このおちびちゃんのためにヴェーゼシュッツェンを取り戻すことなんだ。それすらもやってみなくちゃ分からないところがあるんだぜ? オップヴァルデン以外に援軍を出せるようになるのはそれからのことだよ」
「わたくしもサラさんの話を聞いて、放っては置けないと感じています。ヴェーゼシュッツェンを取り戻したら、必ず援軍を送りましょう。それまで待っていただけませんか?」
ネルコワも悔しそうな顔でサラを慰める。人一倍誇り高いネルコワは、何の力にもなれない現状に屈辱を感じているのだろう。
ネルコワもジビエもこの場に兵を連れては来ている。ただし数はそれぞれ2百で、しかもネルコワの2百は現状彼女が指揮可能な全力だ。大陸南方にひしめく魔軍の中に投入するには余りに寡兵だったし、泥沼のような戦いに引きずり込まれたらその後の行動にも大きな支障が出る。ジビエとネルコワの意見ももっともだった。
気まずい雰囲気の中で、ネルコワ部隊を指揮しているアーマ・ザッケン将軍が三人に凛とした声で話しかけた。
「寡兵で大軍に当たるには兵力の分散を避けねばなりません。サラ様、戦術の常道から言って、現状では南方の仲間を救うために兵を割くわけには参りません。しかし……」
「しかし? しかし何ですかアーマ将軍?」
途中で言葉を切ったアーマに、ネルコワが先を促す。アーマ将軍は三人の顔を等分に見回すと、続きを話し始めた。
「……しかし、我々がヴェーゼシュッツェンを奪還し、オップヴァルデンで作戦を展開し始めれば、南部にいる魔物たちも我々を狙ってくることでしょう。何しろこちらには『伝説の英雄』ジン・ライム殿が居りますから」
「なるほど、ジンが暴れ始めたら、魔物は地域の制圧どころじゃなくなるってか。確かに魔物にとっちゃアタイの旦那は『目の上のたんこぶ』なんてもんじゃねえだろうからな」
ジビエが顔をパッと明るくしてそう言うと、
「ちょっと! ジンさまを勝手に旦那様認定しないでいただけます? 確か前にも言いましたよね?『伝説の英雄』はみんなのものっていう淑女協定はどうなったのかしら?」
ムッとした顔でネルコワが突っ込みを入れる。
けれどジビエはいつものとおり、そんなネルコワをまったく気にもせず笑っている。
「悪い悪い、揶揄っちまってさ。でも『みんなのもの』ってことは『アタイのもの』ってことでもあるだろう?」
「『みんなのもの』は『みんなのもの』です! あなたはジャ○アンですかっ!?」
言い争いというじゃれ合いをしているネルコワとジビエを横目に、アーマはサラを元気づけるように言った。
「南部の仲間を助ける方法は、直接援軍を差し向けるだけとは限りません。魔物を他の地域に移動させ、圧力を減らすことも一つの方法なのです。ご理解ください」
エレクラ様は、黄金色の魔力でその身を覆うと、僕に鋭く問いかける。
「ジン・クロウ、そなたのクロウ一族としての血を呼び起こしてみよ」
僕の身体からは、その声に誘われるように紫紺の瘴気のような魔力が立ち上がる。その噴出は、今まで僕が感じたこともないような激しさだった。
エレクラ様の瞳は、僕の心の中まで見透かすような光を放っていた。
(摂理が不完全?……ではこの世界も不完全なのか?……そもそも『完全』って何なんだ?……魔族の血……『血を流させるものは自らの血で償え』……掟……『命を軽く見る者は、自らの命も手のひらからすり抜ける』……掟、いったい誰が?……)
僕の頭の中では、取り留めもない思考が激流のように流れていく。これもエレクラ様の魔力の影響だろうか?
エレクラ様はにこりと笑うと魔力を収めた。それと共に僕の魔力の噴出も止まる。途端に僕はひどい疲れに襲われ、思わずその場にしゃがみ込んだ。
「疲れたか? その魔力はそなたの魔力ではなく生命力から発している。土の魔法を使った時の疲れとは別物だ。
しかし私は、そなたの精神がクロウ一族の血に負けてしまってはいないことを知って安心した。クロウ一族は闇の秘密に魅入られた血を持つ一族だが、そなたならあるいは闇の秘密を理解し、一族を闇の呪いから解き放つことが出来るかもしれないな」
エレクラ様は元の優しい顔に戻ってそう言った。
「闇の秘密?」
僕のつぶやくような問いに、エレクラ様は厳かに答える。
「うむ、闇の秘密は世界の成り立ちや生命の誕生にも関係する。いわば摂理に通じる秘密だ。アルケー・クロウはある精霊王の助けによりその秘密に迫ったが、道半ばで深淵に心を奪われた。そなたなら、深淵に引きずり込まれた血脈を光の下に戻せるだろう」
僕は改めて僕がなぜ魔物たちから『魔族の貴公子』と呼ばれているのかが分かった。
僕の遠い遠いご先祖であるアルケー・クロウは、単に魔族や魔王を生み出したのではない。彼は何らかの信念のもと、摂理に通じる道を探るために闇の秘密を追いかけていたのだ。魔族や魔物の誕生はアルケーにとっても計算外のことであったに違いない。だからこそ彼は、魔族に対して『掟』を作ったんだろう。
僕がそんなことを考えていると、エレクラ様が
「……しかし、差し当たっての問題は『摂理の黄昏』を止めることだ。我々四神もプロノイア様のみ名のもと全力で阻止に動くが、そなたの協力があるとないとでは恐らく結果が違ってくるだろう。そこで私はそなたと契約を結びたい」
そんなことを言いだした。え? 四神との契約ってどんなことをすればいいんだろう? そもそも人間が四神と対等な立場で契約なんて結べるのか?
戸惑っている僕に、エレクラ様は静かな声でうなずいて、
「この世界に生まれ出でた命はみんな平等だ。だから四神と人間の間にも対等な関係で契約は成立する。
私はそなたに、私の代行として私のすべての魔法を使うことを許可する。そなたはその代わりに、私の手が届かぬところで摂理を守護せねばならない。
そして私はプロノイア様のみ名において、そなたを四神と同格の存在であることを認める。しかし、もしそなたが闇に心を呑まれたとき、そなたは最も大切なものを失うことになるだろう。
土の精霊覇王エレクラ・ラーディクスは、以上のことをプロノイア様のみ名においてジン・クロウと契約する。ジン・クロウ、この契約に納得し、締結するのなら私の手にそなたの右手を重ねるといい」
僕はあまりのことに舞い上がってしまいそうになったが、一つだけ気になることがあったので、それをエレクラ様に尋ねてみた。
「僕の一番大切なものを失うのですか?」
「……そなたが闇に心を奪われたらな。失うのは命かもしれないし、別の何かかもしれないが、それは私にも分からない」
だったら、闇に負けなければいいんだ……僕は心に強くそう思いながら、エレクラ様の手に僕の右手を重ねた。
★ ★ ★ ★ ★
「さてさて、勢い込んでトリューフ地方に来てみたはいいが、なかなかヘルゴートたちは見つからないね。ひょっとしてトリューフを攻めているのか、それとも海岸の方へと向かったか、はたまた南部に戻ったか?」
魔軍が近くに居座っているトリューフの町を救うため、ホルストラントの陣地から5千の兵を引き連れて出陣したサリュは、いったん周囲を偵察してヘルゴートの影も形もないことを知ると、副将のエリンを振り向いて肩をすくめた。
「周辺の畑は作物がすっかり刈り取られていました。今年は作柄がいいようですので、さらに穀物を求めて海岸地帯に向かったものと思われます。トリューフにも2千からの兵がいるはずなので、5千内外で攻めるような無謀はしないでしょう」
エリンがそう言うと、サリュは片方の眉だけを器用に上げて見せて、
「エリンもそう思うかい? 海岸地方の穀物も刈り取れば、東西からトリューフに圧力を加えることもできるしね」
エリンの意見を肯定すると、
「では、海岸地方を重点に偵察隊を放とう。偵察隊には、敵を発見したら決して攻撃せずに触接を維持せよと伝えてくれ」
そう命令した。
「サリュ様は敵を捕獲するとおっしゃいましたが、5千もの敵を捕虜にしても食料が続きません。この周辺でも目ぼしい作物はみんな敵が収奪してしまっていますから」
エリンが心配して言うと、サリュは事も無げに
「エリン、確かビーフは『敵は輜重隊を連れている』と言っていたよね? 輜重隊とその食料ごと鹵獲してしまえばいいのさ」
そう言って笑った。
サリュ隊が鵜の目鷹の目で探しているヘルゴートの魔軍5千は、エリンの読みどおりトリューフ地方の海岸地帯へと軍を進めていた。
「よーし、これだけあればエノーキーを攻囲している主力部隊も、しばらくは飢える恐れが無くなるな。ヴェルゼ様も枕を高くして寝られるってものだ」
高く積まれた俵や箱を眺めて満足そうな声を上げたのは、巻き上がった太い角を持つヘルゴートだった。彼は付き従う兵や部将より明らかに二回りは大きな体躯を持ち、袖の付いた立派な革鎧を着用している。
「思い切って北上して正解でしたね、ヒュンフ将軍」
後ろを歩く部将がそう話しかけると、ヒュンフは苦々しげに、
「ああ、エノーキーのやつらめ、籠城に当たって周囲の作物を全部刈り取りやがって。急遽『兵糧を調達せよ』と命令されたときは焦ったが、これだけ集めれば俺もヴェルゼ様の覚えがめでたくなるというものさ」
途中で機嫌を直して笑うのだった。
「後は、エノーキー東部にいる本部と合流するだけだな。運送の手配は済んだか?」
ヒュンフが訊くと、部将は困り顔で
「それが、輜重連隊長の話では、物資が余りに多いので、積み込みには明日いっぱいかかるとのことです。出発は明後日の昼以降にしてもらいたいとのことでした」
そう報告する。
ヒュンフは舌打ちしながらも、
「チッ、仕方ないな。俺たちだけで帰還しても意味がないしな。分かった、出発は明後日正午にするが、1刻でも遅れたら承知しないぞと輜重連隊長に伝えておけ!」
そう部将に命令する。
「了解しました」
部将がそう言って集積所の奥へと駆けて行くのを見送りながら、ヒュンフは陣内をぐるりと見回してつぶやいた。
「確かに、これだけのものを運ぶのも一苦労だろうな」
ホルストラントから出撃して3日目、サリュのユニコーン隊は前方50マイル(この世界で約92キロ)にヘルゴートの集積所を発見した。
「サリュ様、偵察隊から報告です。『前方50マイルに敵の集積所を発見』」
勢い込んで飛び込んできたエリンに、サリュは落ち着いて問いかけた。
「集積されている物資の量や、集積所の警備状況は分かるかい?」
エリンはハッとして、
「す、すみません、つい興奮して。いえ、先ずは発見報告だけです」
そう、冷静さを取り戻して言う。サリュは薄く笑うとうなずき、
「キミにはいつも冷静でいてもらわなきゃいけない。戦闘が始まっても今の調子で頼むよ? では、次の報告が来るまでに部隊の出発準備を整えてくれ。ボクたちも動こう」
そう言うとおもむろに立ち上がった。
「サリュ様、捕虜はどちらに収容いたしましょうか?」
エリンが訊くと、サリュは少し考えていたが、
「捕虜の処遇は彼らを実際に見てから決定する。最悪、全員処刑もありえるから、頑丈な檻車を10台ほど、急いでこしらえてくれないか?」
冷たい声で言うサリュだった。
(捕虜を処刑すると、今後投降してくる敵がいなくなるかもしれない……いや、サリュ様のことだ、そのくらいのことは分かった上でのご命令に違いない)
エリンは一瞬返答を躊躇したが、日常のサリュを知る彼女はそう思い直して訊いた。
「了解いたしました。いつまでに準備すればよろしいでしょうか?」
「……そうだね、20人ほど詰め込めるのを、明日の朝までに準備してくれ」
ヘルゴートの集積所は、東西1キロ、南北5百メートルもあり、周囲は頑丈な柵と堀で囲まれていた。さらにその内側に、東西6百メートル、南北3百メートルを物資保管場所として、これまた頑丈な塀と堀で仕切っていた。
「急げ、エーリンギーでは仲間たちが腹を空かせて待ってるんだぞ」
「荷崩れしないように、荷物は荷車にしっかり緊縛するんだ。ちょっとでも緩んだらダメだぞ」
「こら、俵は俵でまとめて同じ荷車に載せるんだ。バラバラに載せると物資の分別がしにくくなる」
「重量があるんだ。急ぐのも大切だが、兵がケガをしないよう隊長は気を付けておけ」
保管場所では、翌日の出発に向けて、輜重兵たちが大わらわで物資の仕分けと積込み作業を行っていた。
「ふうん、魔物たちは補給や後方支援に余り重きを置いていない印象があったが、その認識は改めないといけないようだね」
サリュは高台から、火事場のような集積所を眼下に望んでそう言う。
「そうですね。あれだけの物資が敵の本隊に渡ったら、大陸の南部は確実に魔物の手に落ちてしまうでしょうね」
隣ではエリンが、同じように集積所に視線を向けてうなずく。
「輜重隊が2万ってところかな? それに戦闘部隊として5千か」
サリュはそうつぶやくと、エリンに顔を向けて笑って言った。
「……まあ、恰好の演習になるだろう。エリン、そろそろ作戦にかかろうか」
「分かりました。では、打ち合わせどおりに」
エリンはサリュに敬礼すると、5千の兵を指揮するため丘を駆け下り始める。それを見送ったサリュは、自分の部隊がゆっくりと動き始めるのを確認すると、再び集積所へと向き直った。
「さて、上手くいくかな?」
サリュはそう言いながら首にかけたひもを引っ張り、襟元から翠色の淡い光を放つものを取り出した。『風』の魔力が込められた『魔法石』である。
「これが上手くいけば、『摂理の黄昏』を止めることに役立つかもしれない。頼む、魔法石よ、途中で魔力切れなんて起こしてくれるなよ?」
サリュはそう言うと、鋭い目でヘルゴートの軍を見据えながら、魔法石を両手で包むように持って呪文を唱え始めた。
「どうだ連隊長、準備ははかどっているか?」
ヘルゴート部隊の将軍であるヒュンフが保管場所を訪れて輜重連隊長に問い掛ける。そこでは兵士たちが積込み作業にてんてこ舞いしているところだった。
「あっ、ヒュンフ将軍!」
連隊長はヒュンフの姿を見ると、急いで側へ駆け寄って来て直立した。作業が山場に差しかかろうとしているときのヒュンフの出現は、連隊長にとっては迷惑千万だったに違いないが、部下たちの必死な姿を見てもらうのも意義あることだと思ったようだった。
「ご覧のとおり、みなできる限り努力しております。現在の進捗状況だったら、明日の正午には間違いなく出発できます」
連隊長が報告すると、ヒュンフは機嫌良くうなずき、
「うむ、よくやってくれているようだな。ところで連隊長、本隊の方では少々兵糧がひっ迫しているようなのだ。それでわが隊に可及的速やかに物資を送り届けよとのお達しがあった。そこで正午出発を8時出発に早めたい」
と、4時間もの時間短縮を告げた。
「えっ!? 明日8時出発ですか?」
連隊長は驚いて思わず空を見た。太陽はもうすぐ中天にかかろうとしている。
「本隊では仲間が食うや食わずで戦っているのだ。みな努力しているのは認めるが、いま一層の努力を引き出してくれ」
ヒュンフがそう厳しい顔で言ったとき、
ゴウウッ!
突然、集積所を巨大な風の壁が覆った。
「何だ!?」
「何が起こった?」
戦闘部隊の部将や兵が騒いでいると、
ビュゴウっ!
「おっ!?」
「うわあっ!」
今度は保管場所を覆うように風の壁がそそり立ち、何人かの兵が突風に舞った。
「むっ!?」
「ヒュンフ将軍、これはいったい?」
当惑したように連隊長が問いかけるが、もちろんヒュンフにしてもなぜ風の壁が出現したのかは分からない。分かっているのは、このままではせっかくの物資を運び出せないということだけだった。
「連隊長、このままでは物資が飛ばされてしまうぞ。何とか物資を運び出せ!」
ヒュンフは焦って怒鳴り散らすが、連隊長の方はうなり声を上げる旋風に足がすくんで動けない。そこに、
「ああ、物資のことなら心配は要らない。芋一つ、麦一粒たりとも吹っ飛ばしはしないからね。ボクたちが有意義に使ってあげるよ」
そう言いながら、金髪碧眼で額に金属質の角を持つ若者が姿を現した。
「な、貴様は何者だ!?」
ヒュンフが剣の鞘に左手をかけながら叫ぶと、その若者は肩をすくめて
「イヤだな、ボクはわっざわざ平和的な話し合いにやって来たっていうのに、無粋なものに手をかけるんじゃない」
そう言って左手に持ったものをヒュンフにかざした。
ビュオオウ!
「くおっ!?」
ヒュンフは旋風に囚われ、身動きすら取れなくなる。
「将軍!」
連隊長は剣を抜いたが、サリュは皮肉な笑みを浮かべて彼を見て、
「おや、キミはボクと戦うつもりかい? 周りをよく見てごらんよ」
そう揶揄するように言う。
連隊長は慌てて周囲を見回す。なんと、集積所はすでにユニコーン族の軍に占拠されてしまっていたのだ。戦闘部隊も、彼の部下である輜重兵たちも、ことごとく縄を打たれて地面に座っていた。
「い……いつの間に?」
連隊長は信じられない思いでその光景を見ていたが、もはやどうすることもできないと悟ったのか、静かに剣を地面に突き刺すと
「……分かった、降伏する」
そう言って地面に座り込んだ。
サリュは捕虜たちを武装解除してそのまま集積所に閉じ込め、
「キミたちは別命あるまでここでおとなしくしていてもらう。逃げ出そうとしても無駄だよ? ここから出た途端にキミたちの身体は爆散するように魔法をかけているからね。
収容部隊には魔法の解き方を教えておくから、それまで辛抱していたまえ」
そう言うと、ユニコーン族の里に
「魔物の一隊2万5千人を捕虜にしました。至急、捕虜たちを収容してしかるべき処分をお下しください」
父であるアルフレオあてに伝令を出すとともに、捕虜たちの1週間分の食料を除くすべての物資を運び出させた。
「サリュ様、この物資はいかがされますか?」
エリンが訊くと、サリュはただ一言、
「元の持ち主に返すだけさ」
そう言い、続いて
「さて、思わぬ時間を取ってしまった。早くホルストラントの陣地に戻ろう。ひょっとしたらジビエかジンから連絡が入っているかもしれないからね」
そう笑った。
(魔神を狩ろう その12へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
過去の世界のエレクラと会い、自らの血の秘密の一端にふれたジン。決意も新たに、いよいよ町の奪回と魔物の駆逐に取り掛かります。
次回もお楽しみに。




