Tournament49 Fiends hunting:Part9(魔神を狩ろう!その9:収容)
別働隊を指揮して魔軍をかく乱するジン。魔軍の混乱に乗じて、ついにネルコワとジビエはカッツェガルテンへと部隊を動かし始める。
魔物の駆逐への第一歩が踏み出された。
【主な登場人物紹介】
■主人公ジン・ライムが5千年前の世界で出会った人たち
♡ウェカ・スクロルム 15歳 金髪碧眼の美少女。弓が得意なアタシっ子。5千年前の時空のカッツェガルテンというまちで出会った。貴族の娘だが弱い者に対する同情と理解が深い。ジンを運命の相手として慕っている。
♤ザコ・ガイル 22歳 茶髪碧眼のオーガの青年。大剣をぶん回す俺っち戦士。ウェカと同じくカッツェガルテンに住んでいた。鍛冶屋の息子だがウェカの同志的存在。戦術的才能があり、ウェカに乞われてスクロルム家の私兵を率いている。
♡マル・セロン 22歳 黒髪黒眼のエルフの美女。剣の腕も確かだが本職は書記で、カッツェガルテンの民政を引き受けている。性格は冷静で、ウェカを妹のように可愛がっている。ザコとは幼馴染である。
♡ネルコワ・ヨクソダッツ 13歳 茶髪で黒い瞳を持つヴェーゼシュッツェンの後継者。父の戦死と家臣団の離反で殺されそうになっていたところを、従姉の忠臣アーマ・ザッケンに救われ、カッツェガルテンに従妹のアーカ・ザッケンを遣わして救援要請した。
♡ジビエ・デイナイト 17歳 赤髪灼眼の17歳。オーガ族長の長女でジンの能力に惹かれ、異世界での仲間となる。巨大な棍棒を揮って戦うアタイっ子猛将。
♤サリュ・パスカル 17歳 金髪碧眼の美男子でユニコーン族長の長子。ジンの異世界に興味を持ち、ジビエに誘われる形で仲間になった。レイピアを持つが智謀と魔力に優れた参謀役。
♡サラ・フローレンス 精霊王アクエリアスの神殿に仕えるエルフの神官で、金髪碧眼の17歳。魔物に襲われ孤立した神殿にいたところをジンたちに助けられて仲間になる。精霊王との共感能力に優れ、数々の危機を予言する。回復魔法の達人。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
カッツェガルテンに戻った僕たちは、いよいよネルコワさんやジビエさんたちをカッツェガルテンに収容する作戦に取り掛かった。
「それで、どんな方策でネルコワさんたちを収容するつもりなの? ジンに何か考えがあるんでしょ?」
ウェカが何とも形容し難い微妙な表情で訊いてくる。僕は事前にマルさんから、ウェカはネルコワさんがカッツェガルテンに来るのを歓迎しているわけではないってことを聞いてはいたが、ここは『摂理の黄昏』に対応するため、ウェカに我慢してもらうしかない。
「魔物たちは僕たちが攻撃してくるとは思ってもいないはずだ。それで僕はラウシェンバッハからヴェーゼシュッツェンに向けて攻勢をかけるつもりだ」
僕が答えると、ウェカは泣きそうな顔になって
「正気なの!? 魔物が何万と群れている中にたかだか3・4百で攻め込むなんて! アタシはそんな作戦、許可できないわ」
そう叫ぶように言う。僕はウェカを安心させるために笑って説明する。
「いや、攻勢をかけるって言っても、まともに魔軍と殴り合うつもりはさらさらないさ。相手が向かって来たら退いて、退いたら攻めるつもりだよ」
「要は、魔物たちの目を釘付けにすることを目的にするんですね? それなら、わたくしもお手伝いいたしましょうか?」
マルさんが頷いて言ってくれたが、僕は首を振った。
「ありがたいですが、マルさんにはラウシェンバッハの断崖を守っておいてほしいんだ。あそこが一番魔物に占拠されたら困る場所だし、ウェカの安全のためにもお願いしたい」
すると、今まで無表情に僕たちの話を聞いていたザコさんが目を開けて、
「分かったぜ『伝説の英雄』さんよ。攻められてばかりは癪に障っていたんだ。こっちの反撃準備が整ったらキリキリ舞いさせてやろうぜ。南部の防御は心配せず、存分に暴れてきな!」
そう言ってくれた後、ウェカにも
「ウェカ様、ジン殿の言われる作戦は、小兵力で大軍を相手にするために古くから取られているやり方です。ご心配には及びません」
太鼓判を押すように胸を張ったので、ついにウェカも
「……分かったわ、アタシたちの未来のためだもんね? ジンがやりたいようにやってみて。それで、いつ出発するの?」
ため息とともにそう言った。
「部隊の準備が終わったらすぐに出るよ。ネルコワさんもジビエさんも機を見るに敏みたいだから、作戦期間は1週間もかからないと思うよ」
僕がそう答えるとウェカは、寂しそうに
「そう……ジン、ムリは絶対にしないでね?」
僕をじっと見つめて言ってくれた。
僕はウェカから3百人の部隊を預かると、カッツェガルテンのまちを出発した。ウェカはザコさんやリンさんとともに、城壁の上からいつまでも手を振ってくれた。
「……ウェカ様は、本当にジン様のことが好きでたまらないんでしょうね。ジン様がいない2週間は全然元気がありませんでしたが、ジン様の顔を見た途端、昔のように明るくなられましたから」
僕と共同作戦を取る予定のマルさんが、隣を歩きながら言う。
「それほど気に入ってもらえるのは光栄ですが、僕は違う世界から来た人間です。いつまでも一緒にいられるのならいいんですが、いつかは元の世界に戻らなきゃいけなくなる時が来るでしょう。そうしたらウェカはどうするのでしょうか?」
ウェカの顔を見るたびに、ウェカのことを考えるたびに、僕が気になるのはそのことだった。ワインによれば、失恋をいつまでも引きずるのは得てして男の方で、
『女の子の恋は上書きだから、たとえ失恋の痛手が大きくても、男よりは立ち直りが早いよ。シェリーちゃんはどうか分からないが』
そう言っていたが、こんなに気になるのはきっとウェカがシェリーに似すぎているからだろう。
「ウェカ様はもともと男性に余り興味をお持ちではありませんでした。
それに、ご自分の結婚についてのお告げを聞かれた後は『伝説の英雄』のことしか考えられないようなご様子でしたから、ジン様が元の世界に戻られたとしてもジン様のことをずっと思って過ごされるだろうと拝察します」
マルさんの言葉を聞いて、僕の気持ちはウェカが背中に覆いかぶさって来たかのように重くなった。あのウェカならそうかもしれない。けれどそれではお互いに不幸になるんじゃないか?
僕がそんな気持ちでマルさんを見ると、彼女は優し気な瞳を僕に向けて頷いて言う。
「ウェカ様は聡明なお方です。ジン様とは添い遂げられないことは承知の上で、それでもジン様のことを好きになられたんだと思います。ですからジン様には、ウェカ様にできるだけ楽しく、温かな思い出を残して差し上げていただきたいのです。
ウェカ様も、ジン様がお戻りになる時は何もおっしゃらないと思いますよ? だってジン様にも待っているお方がいらっしゃるはずですから」
その言葉を聞いたとき、僕の脳裏には真っ先にシェリーの顔が浮かんで来た。シェリーもきっと、この2週間というもの寂しがっているに違いない。
「今思い浮かべられたのは、いつかお話しされた幼馴染さんでしょうか? そうだとしたら、ジン様は本当にそのお方のことが好きなのでしょうね」
僕はハッとしてマルさんを見る。マルさんはただ微笑んでうなずいた。
「待ってましたぜ、ジン様」
僕とマルさんがラウシェンバッハの村に着くと、黒髪で黒い瞳を持ち、左頬に刀傷がある精悍な男が、2百余りの部下を整列させて僕たちを出迎えた。彼はこの村の自警団長で『アサシン・シン』の異名を持つ戦士だ。
僕はさっそく彼に問いかける。
「やあ、カーン・シン。さっそくだけど君の部隊はいつ出発できる?」
「ふふ、『伝説の英雄』様を待たせちゃいけないからな。命令をもらえれば、今すぐにでも出撃可能ですぜ?」
それを聞いて、僕はマルさんを振り返って
「マルさん、僕は速やかに出撃するから、僕の隊も含めて君が指揮を執り、ラウシェンバッハの登り口をしっかりと防御してくれないか?」
そうお願いすると、マルさんは慌てて
「え? でもジン様はどうされるのですか? まさか単身で敵中に突っ込むとかおっしゃいませんよね? そんなことをさせたら、わたくしがウェカ様から怒られますが」
そう困った顔で言う。
僕は笑ってカーンに依頼した。
「カーン、君の部隊のうち半分を僕に指揮させてくれないか?」
カーンは目をぱちくりさせながら答える。
「え? そりゃ別に構いませんが。でもカッツェガルテンから連れて来たあんちゃんたちはどうするんですかい?」
僕はカーンとマルさんに目配せすると、二人はその意を悟って僕の側に寄って来る。僕はカッツェガルテンの兵士たちには聞こえないくらいの声で、
「魔物との戦いは戦闘技術や胆力でどうなるものでもないんだ。僕が見るところ、カッツェガルテンの兵士たちは確かに優秀だけど、カーンが率いる兵士たちの方が魔力が強い。ここは適材適所といきたい」
そう言うと、マルさんは納得しながらも
「皆はせっかく『伝説の英雄』と一緒に戦えると張り切って出て来たんです。当初の予定通り、わたくしとジン様の部隊で作戦を遂行させていただくわけには参りませんか?」
そう再考を促してくる。
「ジン様、確かジン様の説明では、この作戦はヴェーゼシュッツェン攻略に向けての威力偵察ってことだったよな? カッツェガルテンの兵士たちに一抹の不安があるんなら、こんなときに実戦で鍛えるって手もあるぜ?
それにジン様の部隊と俺の隊が出撃したらそれなりに暴れられる。魔物たちを引き付ける効果もでかいんじゃねえかな? 俺は多少の損害は覚悟して、兵士たちを鍛えることをお勧めするぜ」
カーンもそう勧めて来る。
(ワインやド・ヴァンさんならどうするだろう?)
二人の意見ももっともなだけに、僕は判断に迷った。
その時、あの声が僕の頭の中に聞こえてきた。
『ジン、経験は人をつくる。未熟な兵士と苦労するのはお前にとっても貴重な経験だ。まだ事態が深刻でないうちに、必要な経験はしておくべきだな』
僕はその声で決心した。今までこの不思議な声は、僕の人生の岐路で適確なアドバイスをくれていた。今回もその声に従うことにしたのだ。
(それにしても、いったい誰が僕を助けてくれているのだろう?)
僕はそう思いながら、二人を見て言った。
「そうだね、二人の意見に従おう。カーン、君に来てもらえれば心強かったんだが、当初の予定に従って君の部隊には登り口を守ってもらう。僕たちの部隊から応援として2百人を残すから、しっかりやってくれ。期待しているよ」
「承ったぜ、『伝説の英雄』さん。魔物にゃ俺たちの故郷に指一本触れさせないから安心してくれ」
カーンは爽やかに笑うと、自分の部隊へと駆けてゆく。
「では、マルさん、打ち合わせどおりにお願いしますよ?」
僕が言うと、マルさんも黒曜石のような瞳を輝かせて、
「了解いたしました。東の登り口でお待ちしております」
そう言うと、僕の隊に百人を抽出し、2百人の部隊を引き連れて東へと移動を始めた。
僕は残った4百人の顔を一人一人眺めた。みんな緊張はしているが、恨み重なる魔物に痛撃を与えたいという闘志に溢れている。僕はそんな彼らに笑いながら命令した。
「じゃ、僕たちも行こう。先に注意しておくが、敵を前にしても逸るな。常に左右を確認して、複数で戦うんだ。いいな?」
応っ!
4百の口が一斉に大声で答える。僕はその声に満足し、この世界で『摂理の黄昏』に対抗するための戦いにいよいよ踏み出した。
★ ★ ★ ★ ★
そのころ、ネルコワとジビエは4百余人の軍でオーガの里を出発し、ホルストラントの東南、オップヴァルデンとの境を目指していた。
「ポーク、ホルストラントの域内だからって油断するんじゃないよ。怪しいものを見かけたらまず戦闘態勢を取ってアタイに知らせな」
オーガ族長の娘であるジビエは、緋色の瞳を部下に当てて言う。
ポークと呼ばれた男は、銀髪碧眼で気の善さげな顔をくしゃくしゃにして笑い、
「分かりましたよお嬢。妙な輩は残らずこの大剣で真っ二つにしてやりますから、大船に乗ったつもりで俺っちに任せてくださいよ」
背中の大剣を触りながら答える。
ジビエは燃え上がるような赤い髪を揺らして、ため息とともに
「はあ、アンタはお調子者だから心配してるんだよ。ヴェーゼシュッツェンのおちびちゃんに何かあったら、アタイはジン様にどの面下げて会えるんだい?
お願いだから前だけじゃなく周囲に十分注意を払って前進しておくれよ?」
そう注意する。
ポークとしても、ジビエからそこまで真面目に言われたらおちゃらけていられるわけもなく、いつもの彼とは思えないほど精悍な顔つきをしてうなずいた。
「分かりました。お嬢に恥をかかせるわけにはいきませんからね。お達しのとおり、十分に気をつけます」
ポークの部隊を前に出したジビエは、次にネルコワの部隊を訪ねた。
「武器や装備の確認を忘れるな。オップヴァルデンの近くまで寄れば戦闘を覚悟しておかないといけないぞ。気を引き締めて行こう」
ネルコワの右腕ともいえるアーマ・ザッケン将軍が、配下の兵士たちに檄を飛ばしている。ジビエは満足そうに笑みを浮かべて、副官アーカ・ザッケンと部隊を見回っているネルコワに話しかけた。
「準備万端みたいだね、おちびちゃん」
ネルコワはため息とともにジビエを睨んで言う。
「はあ、何度言っても改めてもらえないんですね? もういいですわ。
それで、あなたの方は準備できたのですか? オーガさん」
ジビエはいつものとおり、ネルコワが不機嫌なのを気にする様子もなく、
「ああ、こっちはすぐ出発できるよ。念のため百人を先発させておいた。オップヴァルデンとの境界5マイル手前で止まれって命令しているよ」
緋色の瞳をキラキラさせながら答える。ネルコワはまたもため息をついて、
「はあ、わたくしは先行きが不安なのに、どうしてあなたはそんなに上機嫌でいられるのでしょう? うらやましいですわ」
心配顔で言う。
ジビエはそんなネルコワを横目で見て、うんと背伸びをすると答えた。
「アタイはジン様を信頼しているからね。そりゃあここ数日、何の連絡もないけれど、きっとアタイたちを迎え入れる準備で忙しいからだよ。カッツェガルテンの執政様は人間に大同団結を呼びかけてるって話だったけど、人間にもいろんな奴がいるからね」
そして勝ち誇ったように、ネルコワに笑いかける。
「ジン様が頑張っているのは、おちびちゃんのためでもあるのに、肝心のおちびちゃんがジン様を信じられなきゃダメじゃないか。アタイの親父は言ってたぜ、『信じるなら墓まで』ってね?」
「失礼ですわね、わたくしもジン様のことは心の底から信頼申し上げております。ただ、いざ魔物と正面切って戦うとなると、いささか不安がこみ上げて来るんです」
ネルコワが気分を害した顔で異議を申し立てるが、ジビエはにやりと笑ってネルコワの方へ向き直り、腰に手を当てて言う。
「ジン様は『伝説の英雄』だよ? そんなお人が付いているんだ、今から余計な心配なんてしないことだね。苦戦もあるかもしんないし、アタイも死んじまうかもしんないけれど、最後はきっとジン様の言うとおり『摂理の黄昏』を乗り切れるって思うよ。だからアタイはジン様と共に戦うって決めたんだ」
ネルコワは言葉を無くしてジビエを見つめた。ジビエは真っ赤な革鎧や革の直垂を着けた軍装だが、微塵も衒いや迷いを感じさせない自然体だった。その顔にはジンを信じ切って、自分の運命をすべて預けたような清々しささえ感じられた。
ネルコワはそんなジビエを見ていて、だんだんと心が落ち着いてくるのを感じていた。
(そうね、わたくしもジン様を信じてここまで来たんだもの。勝ち負けを心配することはないわ、わたくしたちは勝つんですもん)
ネルコワの心の中にそう言う声が聞こえたとき、彼女は思わず笑みをこぼしていた。ジビエはその笑みを見ると満足そうにうなずいて言った。
「おちびちゃんにも覚悟ってもんができたようだね? その意気だよ」
そこにアーマ将軍が駆けてきて、ネルコワに告げた。
「公子様、部隊の進撃準備が整いました。いつでも出発可能です!」
それを聞いて、ジビエは
「よし、それじゃアタイは先に出発するぜ。おちびちゃん、魔物のことは任せな」
そう言うとネルコワの頭をくるりとなでて、自分の部隊へと帰って行った。
ネルコワはジビエを見送った後、アーマとアーカを振り返り、幸せそうな顔で
「わたくしたちも出発しましょう。ひたむきに願い、一心に努力すれば、勝利はきっとこの手でつかめるはずよ」
そう、命令を下した。
「ジン様、お気をつけて」
僕は西の登り口でカーンの見送りを受けていた。こちらは東の登り口と違い、北部オップヴァルデンまで約50メートルの断崖を下りて行かねばならない。途中の道は狭く、部隊は一列で行進せざるを得ないので、下に魔物が待ち構えていた場合は厄介だ。
僕の作戦は、西の登り口から出撃してヴェーゼシュッツェンを目指して進撃し、ある程度敵の目を引き付けることに成功したら時計回りに旋回して東の登り口へと退却してマルさんの部隊と合流する……大雑把に言ってそういうものだった。
「ああ、君も気を抜くんじゃないぞ」
僕はカーンにそう答えると、4百の部下を引き連れて狭い道を下り始めた。
(それにしても、あのロゴスとかいうマンティコア、何か気になることを言っていたな……確か奴の上にはアルケーとかいう魔物がいるってことだったな)
僕はアクエリアス様の神殿で刃を交えかけたマンティコアのことを思い出した。
あいつは尋常じゃない魔力を持っていた。あの場で戦っていたら地形が変わっていただろう。それほどの強敵が、僕にアルケーという存在のことを告げて引き揚げてしまったのは何故だろう?
『ジン・ライムとか言ったな。わしはそなたが惜しい。そなたはきっと魔王様の良き協力者となれるはずだ。次に会うときまで、その命を奪うのは待っておく。そのときまでに、魔王様とともに歩むか否かを決めておくことだな』
魔物は魔力に敏感だ、きっとロゴスも僕が魔族であることを見抜いたに違いない。そして恐らくアルケー・クロウの血を引く者であることも……そうでなければ『魔王様の良き協力者となれるはず』などとは言わないはずだ。
魔王と共に歩む……それが出来れば苦労はしない。けれど魔王と共に歩むことは人間を見捨てることで、シェリーをはじめとした仲間たち、こっちの世界で言えばウェカやネルコワさんを裏切ることだ。
(そもそも何故、魔王や魔物は人間を敵視するんだ? 魔物をアルケー・クロウが創り出したと言うが、それって摂理に反することじゃなかったのか?)
そこまで考えて、僕は思考を放棄した。今の僕じゃ考えても分からない気がしたからだったが、この疑問は元の世界に戻る鍵の一つだったことに後から気付くことになる。
ともあれ、僕がそんなことを考えているうちに、僕たちは無事に下に着いた。魔軍がひしめく北部オップヴァルデンにいよいよ足を踏み入れたのだ。
僕がいた5千年後もそうだが、オップヴァルデンは森林が多い。町と町、村と集落の間は、若干の例外はあるもののほとんどがうっそうとした森だ。
「周囲をよく見張れ。奇襲を受けてもつまらないぞ」
僕はみんなにそう注意すると、続けて
「隠形だ。みんな魔力と気配を消せ」
そう命令する。僕に付けられた兵士たちは、ウェカがリンさんに選抜させた腕利きの者ばかりだったので、全員が難なく存在を消した。
「ジン様、敵を見かけたら攻撃してよろしいでしょうか?」
僕の隊で副隊長を任せているレンさんが僕に訊いて来る。彼女はリンさんの妹で、リンさんお墨付きの優秀な魔戦士だった。
「今回の出撃は敵のかく乱が狙いだ。できるだけこちらの存在を知られたくないから、敵の数が多い場合は攻撃を控えてもらえばありがたいな」
僕が言うと、彼女は物分かりよくうなずいて
「分かりました。敵を発見したらご報告いたします」
そう答えると、2百人を率いて前進して行く。僕たちの会敵は、それから間もなくのことだった。
敵の気配を探りつつ前進すること30分、50ヤードほど前を行くレン隊から、伝令が走ってくるのを見た僕は、すぐに周囲の兵士たちに
「前衛が敵を発見したみたいだ。全員、速やかに戦闘準備を整えろ」
そう命令する。数分もしないうちに伝令は僕の前にやって来た。
「レン隊長殿からの報告です。前方2マイルにレプティリアンの部隊を偵知。兵力は約百、周囲に他の敵部隊なし。以上です」
伝令が緊張した面持ちで報告する。相手は魔力や戦闘力が強いレプティリアンだとしても、兵力的にはこちらの4分の1だ。ちょうどいい演習台といったところか。
しかし2マイルも先にいる魔物の種類と数を偵知するなんて、レンさんの索敵能力はウォーラさん並みだ。この時代、この世界には自律的魔人形は存在しないはずだから、純粋に魔法での成果だろう。出発前にリンさんとウェカが
『レンは長距離の索敵と隠密攻撃に特化した魔法をマスターしています。きっと役に立つと思いますよ』
そう太鼓判を押していたのもうなずける。
「分かった。レン副隊長に、ご苦労だが敵の風下側に回り込んで攻撃せよと伝えてくれ。僕はゆっくりと風上側に移動して敵の目を引き付ける。僕の隊を襲おうとしている敵を後ろから叩いてやれ」
僕がそう命令すると、伝令は急いでレンさんのもとに引き返す。僕はそれを見送った後、部隊のみんなに告げた。
「じゃ、敵を引っ掛けに行こう。全員、レンの部隊を信じて隊形を崩さずに戦え」
周りにいる2百人がうなずくのを見た僕は、敵を左に見るように部隊を旋回させ、ヴェーゼシュッツェンへの道を進み始める。敵が僕らを見つけたら、僕たちを格好の餌食と考えるだろう。
(ウェカの所からネルコワさんの部隊に合流するまでの経験からすると、敵はかなり周囲への見張りを厳にしている。僕らが見つかるのも時間の問題だな)
僕がそう考えながら部隊を率いていると、案の定、敵を見張っていた兵士が
「隊長殿、左後方の敵は我が隊の存在に気付いたようです。慌ただしく出撃準備を整えています!」
そう知らせてきた。
僕はにっこりと笑って、
「それでいいんだ。敵が僕たちを追撃し始めたら教えてくれ」
その兵士に言うと、彼は僕の笑顔に安心したのか、微笑んで敬礼すると敵の方へと駆けて行った。
「よし、あとはレンの活躍に期待しよう。僕らは敵に感づかれないよう、密かに迎撃準備を整えるんだ」
「人間だと!? この辺りは俺たち魔王様の手下が占領してるってのに、何をとち狂ってやがるんだ?」
ジンたちの部隊を発見した魔軍の巡回警備隊を率いていたのは、レプティリアンの隊長だった。彼は瞼のない目で部下に冷たい視線を送り、
「それで、何人くらいだ?」
そう訊く。
「はい、ざっと2百人ってところでしょうか? ゆっくりとヴェーゼシュッツェンの方に向かっているようですから、偵察のつもりでしょうね」
部下のレプティリアンがそう答えると、隊長はバカにしきったようすでうそぶく。
「はっ! たかだか2百人で何が出来るってんだ。それにヴェーゼシュッツェンはロゴス様がいらっしゃる拠点だ。そう簡単に落とせるもんか」
そして彼は、大声で部隊全員に命令を下した。
「おい、みんな! 東2マイルに人間が2百人ほどで迷子になっているそうだ。親切な俺たちが地獄への道案内をしてやろうぜ! すぐに出撃準備だ」
やがて10分ほどで準備を終えたレプティリアン隊は、触接のためにジンたちを最初に見つけた兵士を先行させ、舌なめずりをしながら出発した。
「武器を揮うのも久しぶりだな」
「ヴェーゼシュッツェンでは人狼野郎に良いとこ取りされたからな」
レプティリアンたちは、ジンたちをただの人間と甘く見て、魔力も隠さず、ワイワイと騒ぎながら距離を詰めていく。
「隊長殿、奴らはまるっきり素人ですぜ。俺たちに気付いてもいない様子でのんびりと進んでいます」
触接の兵士からそんな報告を受けた隊長は、
「ケッ! そんな奴ら相手じゃ、あっという間に終わっちまうかもしれねえな。指揮官くらいは生け捕りにして、なぶり殺しにしてやるか」
腰の剣を叩きながら、残忍な笑いを浮かべた。
「敵が動き始めたわ。ジン様の部隊を発見したみたいね」
レプティリアン隊のさらに西1マイルにいたレンは、敵が東に移動を始めたのを見てそうつぶやくと、
「みんな、レプティリアンたちを追うわよ。魔力も気配も絶対に敵に悟られないよう、十分に注意して」
配下の2百人にそう命令し、追尾を開始する。
(もっと速くジン様の隊に襲い掛かるかと思ったけど、案外ゆっくり進むわね。ひょっとしたら敵はジン様たちを、ただの人間だと思ってバカにしているのかも)
レンはそう考えると、思わずニヤリとしてつぶやいた。
「これは私たちの勝ちみたいね」
レンさんが勝利を確信するつぶやきを漏らしたころ、僕は着実に接近して来るレプティリアンたちの魔力が急速に増大するのを感じ取った。
「来るぞ。隊形は崩すな!」
僕が叫ぶと同時に、西側の林からけたたましい喚声を上げてレプティリアンたちが突撃して来た。瞼のない無機質な目、身体を覆う鱗、それらが、レプティリアンたちが人間に似た形をしているにもかかわらず、不気味さを感じさせる要因であることは間違いない。
「大地の護り!」
僕はまず、部隊全員にシールドを付与する。これがあるとないとでは、兵士たちの勇気や闘志に格段の違いがあることに気付いていたからだ。
現に、攻め寄せるレプティリアンたちの悪魔のような形相を見て明らかにひるんでいた兵士も、自分をシールドが包むのを見て勇気を取り戻し、剣を抜いて敵に向き直った。
「死ねっ、人間ども!」
レプティリアンたちは口々にそう叫んで剣を振り下ろすが、
ジャリッ! カーン!
その剣はシールドに阻まれている。ただ、
「何をっ!」
「お前たちこそ、くたばりやがれ!」
ガッ! ジャンッ!
僕たちの剣も、硬い鱗を持つレプティリアンたちに目立った傷を与えられない。奴らの身体には剣も槍も通らないと聞いていたが、確かにそのとおりだった。
(マズいな、自分たちの攻撃に効果がないと思い込んだら、戦意なんてあっという間に無くなるぞ)
僕が眉をひそめたとき、高笑いが聞こえて来た。
「がははっ! そんな鈍らで俺たちに傷一つ付けられるものか!」
そいつは身体が一回り大きく、鎧も袖付きのやや立派なものだった。
(あいつが指揮官か)
僕はそう思うと同時に、そのレプティリアンに向かって突進した。
「お前がこの部隊の指揮官か!? 僕はジン・ライム、魔物討滅を誓った騎士だ」
そいつは僕が目の前に立って名乗りかけると、人を小馬鹿にした態度でそっくり返って答えた。
「おう、我こそはレプティリアンでもその名を知られたガラガラ様だ。小僧、命が惜しければ俺様に跪け!」
その態度を見て、ジンの瞳は緋色に染まった。
「貴様こそ、俺に跪いて命乞いすべきだな」
バシュンっ!
「うぐわっ!?」
ジンが無造作にふり抜いた『払暁の神剣』は、ガラガラの両膝を切断する。ガラガラは苦痛の叫びを漏らし、仰向けにひっくり返った。
「くそっ! これしきの傷……うっ?」
ガラガラは呪詛の声とともに身体を起こしたが、その喉元に『払暁の神剣』の切っ先がぴたりと押し当てられた。
「貴様ら魔物はどこからこの大陸にやって来た?」
ジンが冷え冷えとした声で訊くと、ガラガラは唇を歪めて
「へっ、俺様程度に勝っていい気になるなよ? ヴェーゼシュッツェンにはロゴス様子飼いの魔戦士隊がいるんだからな」
そう言うと、
ドシュッ!
「ぐ……」
自らの剣を胸に突き立てた。
「ジン様、敵将は?」
そこに、2百人の手勢とともにレプティリアンたちの後ろから奇襲をかけたレンが、供回り数人を連れてジンのもとにやって来た。
「俺の質問には何も答えず、自ら果てた。敵ながら見上げた奴だった」
ジンはそう言って『払暁の神剣』を鞘に戻すと辺りを見回す。レプティリアンたちは隊長を失い、前後から攻撃を受けて総崩れになっていた。
「敵の捕虜はどうしましょう? 連れて歩くわけにも参りませんが?」
レンが訊くと、ジンは薄く笑って答えた。
「伝説の英雄が率いる軍と戦って、命を粗末にするなと言い聞かせて釈放するといい。異世界からの存在がいることを敵が知れば、総力を挙げて俺を狙ってくるはずだからな。そうすれば公子殿への圧力は減る」
★ ★ ★ ★ ★
ヒーロイ大陸の北東端には、一面に鍾乳洞が口を開けている土地がある。
後にジンがいる世界では『アルトルツェルン』と呼ばれるまちが出来る場所だが、今は単に海風が吹き付ける荒野にすぎない。
その場所にある特に大きな鍾乳洞の中で、白髪に緋色の瞳をした青年と黒髪に翠の瞳をした男が、真剣な顔で何かを話していた。
「お前の観測では、そのジン・ライムという少年は魔族で、しかもこの世界の存在ではない。そう言うんだな、ロゴス?」
白髪の青年が訊くと、ロゴスと呼ばれた男は畏まった。
「はい、かなりの魔力を持っていましたし、その魔力の質もエレクラに似ていました。ひょっとしたら、四神が『摂理の黄昏』に対抗するため、いずこかの時空から連れてきた存在かもしれません」
それを聞いて、白髪の青年は何かを考える顔になる。
「魔族や魔神、魔物……『魔』と言う存在は『神』が存在する限り摂理に反した存在ではないはず。それに『生まれ、流転し、壊れてはまた生まれる』という循環を摂理が規定しているのなら、摂理そのものもその循環からは逃れられぬ。
『摂理の黄昏』は摂理そのものの循環、それを四神ともあろうものが他の時空の存在を転移させてまで阻止しようとしているのなら、少し解せぬな」
青年はそうつぶやくと、緩く首を振ってロゴスに言った。
「……まあいい。ロゴス、ジン・ライムについてもっと詳しく知りたい。もし彼が魔族なら、それは紛れもなく俺の一族ってことだからな。ジンが現れた状況や、四神がどう動いているか、分かる限りでいいので急いで調べてくれないか?」
ロゴスは、そう言って踵を返す青年に
「承知いたしました。それでアルケー様はどちらに?」
そう尋ねると、アルケーと呼ばれた青年は立ち止まり、
「もう一つの大陸に行く。『約束の地』はあそこにあるからな。ロゴス、ジンの正体が分かるまで彼に本気でかかるのは禁止する。たとえヴェーゼシュッツェンを奪回されようと、とりあえずルツェルン地域だけでも保持しておけばいい。魔族なら、魔王に傅くほかに術はないんだからな」
そう指令を出すと、空間の歪みに消えて行った。
「……それでは、ジンのことを調査すると同時に、彼の目を南に向けさせねばならないかな。魔神たちにどう言い聞かせたものだろう。少なくともザカリアは、目の前の敵を見逃せる女じゃないが……」
アルケーがいなくなった洞窟の中で、ロゴスは首をかしげていた。
そのころ、大陸北方を平定する拠点となるヴェーゼシュッツェンには、ロゴスから一時的に指揮を委ねられた魔神ザカリアがいた。
「ふん、あとはホルストラントと南オップヴァルデンを制圧するだけとタカをくくっていたけど、まだレプティリアンたちを退けるほどの戦士がいたとはね」
北オップヴァルデンを警備していたレプティリアン部隊の壊滅を知らされたザカリアは、豊かな茶色い髪の毛をいじりながら碧眼を細める。彼女は進撃距離が最も短い北方軍を割り当てられていたため、戦いらしい戦いをせぬまま今回の戦役が終わってしまうことを何より恐れていた。
「それに自ら『伝説の英雄』って名乗っているなんて面白いじゃない。手下にも面白い魔法を使うオンナノコが居たっていうし、これはいい退屈しのぎができそうね」
そう、薄い唇を歪めて言ったザカリアは、すぐさま命令を下した。
「ヴェーゼシュッツェンの南に変な子たちが紛れ込んでいるわ。ジン・ライムという名で、自ら『伝説の英雄』って名乗っているらしいの。たった2・3百ほどの軍でワタシたちに挑むなんて面白い男の子だから、彼を捕まえて来て。生け捕りにしたら、たーんとご褒美を出すわよ」
それを聞いて、ヴェーゼシュッツェン攻略戦以降は戦闘らしい戦闘に飢えていた魔軍の諸部隊は奮い立った。
「レプティリアンのガラガラが討ち取られたらしいぞ」
「ほう、そいつは歯ごたえある戦いが楽しめそうだな」
「何でも自ら『伝説の英雄』と名乗っているらしい。人間たちはそいつに大きな期待をかけているみたいだぜ」
「ということは、そいつを捕まえればご褒美ももらえ、人間たちも抵抗を諦めるって寸法か。今度の戦役第一の功績ってことになりゃしないか?」
人狼、レプティリアン、吸血鬼、木偶使い……さまざまな魔物や魔族たちは、よるとさわるとジンのことを噂し、準備が整った者たちから三々五々、ジンを捕獲するために出撃して行った。
そんな魔軍の動きを、レンは逐一掴んでいた。
「ジン様、ジン様の読みどおり、魔軍が続々とヴェーゼシュッツェンから出撃しているようです。確認できただけでも七つの部隊が、三つの街道を使って南下してきています」
レンが手に入れた情報をジンに報告する。
ジンは慌てもせず、
「一番近い敵と、一番機動力がある敵はどれかな?」
簡易的なテーブルに広げられた地図を見ながらジンが問うと、レンは躊躇なく
「一番近いのは北5マイルにいるオーク隊ですね。兵力は約5百。このままいけば3時間後にはここにやって来ます。
一番機動力があるのは人狼隊でしょう。北西2百マイルにいますが、4時間と少しあればここに到着するだけの機動力を持っているはずです」
地図に印を置きながら説明する。
「他にはどんな魔物が出張ってきているのかな?」
ジンが訊くと、レンは
「もっとも東にレプティリアン隊5百がいます。距離は百マイルってところでしょうか。5時間あればここに到着します。
次が吸血鬼隊5百です。距離は2百マイルありますから、この部隊がここにやってくるのは10時間以上かかるでしょう。
その次がオーク隊です。北5マイルにいるのが最も近く、その後ろに1マイルずつ距離を開けて合計3隊がこちらに向かっています。現状ではオーク隊だけがこちらの位置を正確につかんでいるようです」
そう言うと、ジンは地図を見ながらその後を続けるように言う。
「そして人狼隊5百に木偶使いの5百か。魔族隊はどのくらい離れているんだい?」
「約250マイルです。魔族とはいえ機動力は普通の人間とさして変わりはしませんから、木偶使いに『転移魔法陣』を使える者がいないのなら会敵は明日ってことになりますね」
それを聞いて、ジンは緋色の瞳で北の空を眺め、すぐにレンに視線を戻して言った。
「じゃ、先ずはオークをやっつけて、次は人狼だね。その後は急いで南東に下がろう」
ジンたちの行動は狡猾だった。
「へっ、敵地にいるくせに見張りも立てずに寝るとは、大胆なのか抜けているのか。よし、音を立てずに侵入して、ジンとかいう坊ちゃんの首をねじ切ってやれ」
すっかり寝静まった陣地を見て、ジンたちが油断し切っていると思ったオークの部隊は舌なめずりしながら陣地に突入したが、余りに静かな陣内の様子にいぶかしいものを感じていると、突然周囲で松明が灯された。
「げっ! 罠だ!」
周囲を完全に包囲されていることを知ったオークの隊長が、驚きの叫びを上げると同時に、
「やあ、オークのみんな。わざわざ俺に血のはなむけに来てくれたのか?」
そう言いながら、ジンが緋色の瞳を光らせ、『払暁の神剣』を抜き放って突進してきた。
「前にも言ったが、命が惜しければ求めて伝説の英雄とは戦わない方がいいな。レプティリアンの生き残りから聞かなかったか?」
バシュンッ!
「ぐあっ!」
ジンの突進も、斬撃も速かった。オークの隊長は『払暁の神剣』が曳いた銀色の軌跡をかわすことが出来ず、ただ一太刀でその首を大地に委ねた。
「よし、敵の首領は討ち取った。我らの同胞を苦しめる魔物に情けは無用よ! かかれ!」
ジンの雄姿を見たレンがすかさず号令をかける。4百のカッツェガルテン隊は周囲から喚声を上げてオークたちに襲い掛かった。
「大人しくしなさい!『天使の手招き』!」
レンの碧眼が妖しく光り、亜麻色の髪は噴き上がる風を捉えて膨らむ。
「おおっ!」
「なんだこれは!?」
迎撃のために剣や槍を構えたオークたちは、地面から生えてきた何百本もの手に、ある者は足を掴まれ、ある者は得物を奪われるなどして、まともに動くことも戦うことも、ましてや逃げることすらままならなくなってしまった。
そんなオークたちに、カッツェガルテン隊は容赦ない攻撃を畳みかける。
「やっ!」
ズバンっ!「ぐわっ!」
「たっ!」
バシュン!「うげっ!」
兵士たちはオークを次々と血祭に挙げ、30分もしないうちに動くものは人間だけになった。それを見たレンは、ジンのうなずきを確認すると大声で言った。
「よし、次は北からやって来るオークの第2陣よ! 引き続き落ち着いて戦うのよ!」
こうしてオークの3部隊、1千5百をほぼ全滅させたジンたちは、
「人狼相手にまともに戦うべきじゃない。後は鬼ごっことかくれんぼだ」
とばかり、人狼や他の魔軍をガン無視して南東へと進路を変えた。
「くそっ! バカにしやがって!」
レプティリアン隊の仇を討つつもりで突進してきた人狼部隊は、累々と重なるオークたちの亡骸を見てさらに復仇の念を沸き立たせたが、北上していたジンたちの足取りがぷっつりと途切れたことに、業を煮やして叫んだ。
「探せ、奴らはラウシェンバッハに向けて後退したに違いない。韋駄天人狼の名にかけて逃がすんじゃないぞ!」
ほぼカンだけで追跡を始めた人狼部隊の突出を見て、
「いけない、敵に何か策があったら人狼たちも全滅だ」
後ろを進むレプティリアン部隊は焦って前進速度を速め、
「いい読みだが、俺たちの目標を単なる威力偵察と勘違いしているらしいな」
と、ジンは部隊を再び北上させ、レプティリアン隊の後方から奇襲をしかけた。
「やあ、捜索ご苦労。あんまり見当違いの所を探しているから、心配になって様子を見に来たよ」
明け方、ジンたちはレプティリアンの部隊に北方から突入した。
レプティリアンたちも、人狼たちが追いかけている敵がまさか自分たちの後ろにいるとは思わず、まったく警戒していなかったのである。
そのため、ジンは敵陣を軽く引っ掻き回すに止め、レプティリアンたちが態勢を立て直すころにはサッと部隊を引き揚げさせていた。
「くそっ! バカにしやがって! 人狼のバレットや他の部隊に、あのクソガキは中央の沼沢地に逃げたと教えてやれ。全部隊で取り囲んで、一人残らずバラバラにしてやる!」
こうして、魔軍の目は等しくジンの部隊に注がれることになった。
★ ★ ★ ★ ★
オーガの里を出発して5日、ホルストラントとオップヴァルデンとの境近くまで到達したジビエとネルコワは、連日のように斥候をヴェーゼシュッツェン周辺に放っていた。
「相変わらず、ヴェーゼシュッツェンには魔軍の出入りが激しいです。ヒーロイ大陸北方の拠点にしているんでしょうね」
茶髪に黒い瞳をした美女が、淹れたての紅茶をカップに注ぎながら言う。その言葉に、長机の前に座った軍装の美女がうなずく。
「……どうも魔軍は四つの幹に分かれてヒーロイ大陸を攻略しているらしい。とすると、魔物たちが現れる場所はとうてい一か所ではないだろうな。ところでアーカ、公子様はどうされているんだ?」
アーカと呼ばれた女性は、紅茶が入ったカップを軍装の女性の前に置いて答えた。
「ネルコワ様はずっと読書にふけっておいでです。いろいろな心配が紛れるのなら、その方がいいかと思って好きなようにしていただいてるわ。
ところでアーマお姉さま、ジン様からのお知らせはまだ届きませんか?」
アーマと呼ばれた軍装の女性は、紅茶のカップを持ち上げながら首を振った。
「いや、ジン殿がカッツェガルテンに転移して1週間になろうとしているが、何一つ連絡はない。おれはもうそろそろ魔軍に顕著な動きが出そうなものだと思ってはいるが」
そう言うと、紅茶を一口すするアーマだった。
そのころ、ネルコワは幕舎で本を広げてため息をついていた。
(ジン様がウェカさまの所に行かれて、もう1週間近く経ったわ。それなのにまだ状況に大きな進展がないのは何故かしら? まさかウェカさまがジン様の活動を邪魔しているなんてことはないでしょうね?)
そこまで考えて、ネルコワはウェカの天真爛漫な笑顔を思い出す。二人とも町執政職の娘であり、まだ平和だったときには月に1・2度程度、顔を会わせる機会はあったのだ。
(ううん、ウェカさまはそんな人じゃない。わたくしの救援要請を受け入れてくれたたった一か所のポリス、その執政だし、それに何よりわたくしたちは……)
「ともだち……って言ってもいいのかしら?」
そうつぶやくと、ネルコワは途端に不安になる。家宰も、財務主担も、おとうさまに忠誠を誓い、わたくしを大事にしてくれていた臣下たちは、おとうさまが戦死した瞬間に手のひらを返したようにわたくしを魔物たちに売ろうとした。
同じ境遇にあるとはいえ、ジンを巡って恋敵になったとき、それでもウェカは自分の友達でいてくれるかと考えたら、
(わたくしはムリですわね。ジン様がウェカさまを選んだと分かった瞬間、協力するのを拒否しそう。執政職としては未熟かもしれませんが、まだわたくしはそこまで大人になれません)
そういう結論に達する。
(はっ、そうでした。わたくしはこんなことを考えている場合じゃありませんでしたね)
ネルコワはハッとすると、頭をぶるぶると振り、しっかり目を閉じて両手で頬をぴしゃぴしゃ叩く。本当はカッツェガルテンに首尾よく入ることができたなら、ジンやウェカと今後のことを相談するつもりであり、そのときどんな話をしたものかと一人で考えていたのだ。
「余計なことは考えちゃダメね。アクエリアス様もおっしゃっていたじゃない、まずは自分がすべきことを為すべきだって……」
ネルコワがそうつぶやいたとき、幕舎の外からアーカの声がした。
「ネルコワ様、ジビエ様がおいでです」
ネルコワはそれに救われたように、表情を引き締めるとアーカに返事をした。
「分かったわ。すぐ行くからジビエさんには少し待ってもらってちょうだい」
ネルコワが指揮所に顔を出すと、ジビエが満面の笑みで話しかけてきた。
「ああ、おちびちゃん。せっかくお勉強しているところを呼び出して済まないね?」
「……わたくしの呼び名はすっかりそれで定着してしまったみたいですわね? 呼び出しの件は別に構いません。ちょうど気分を変えたいところでしたから。それで、話というのは何でしょうか?」
ネルコワはツンケンした声で訊くが、ジビエは全く頓着せず
「いい知らせと悪い知らせを持って来たよ。どっちから聞きたい?」
そう、真剣な顔でネルコワに訊く。ジビエの様子を見て、ネルコワも黒曜石のような瞳を持つ眼を細めて答えた。
「……じゃあ、悪い知らせから聞きましょうか」
「食料が少なくなっているよ。後方支援部隊も努力はしているけれど、北部山地を縦走する5日分の食料を含めても、ここにはあと2日しか留まれない。明日にはいったんアタイの里に引き返すかどうかを決断しなくちゃいけないよ」
ジビエが鋭い瞳でネルコワを見て言う。容赦ない言い方だったが、4百を超える兵士たちを無謀な行動で失うわけにはいかない。補給の責任を負っているジビエとしては当然の注意喚起だった。
ネルコワもその辺の事情は十分分かっている。彼女は少し残念そうではあったが、うなずいて言った。
「そうですか、それは仕方ありませんね。ジン様もきっとわたくしたちを収容するため力を尽くしてくださったのでしょうが、何事も運というものがありますからね?」
そして一つため息をつくと、アーカを振り返って言う。
「アーカ、すみませんが、もしここから引き返すことになったら、あなたにジン様への連絡をお願いしたいの。いいかしら?」
ネルコワ隊とジビエ隊の中で、転移魔法陣が使えるのはアーカだけだ。彼女はその命令が下ることを予期していたのか、すぐにうなずいた。
「承知いたしました。しかしネルコワ様、まだ一日猶予がございます。お気を落とされませんよう」
「ありがとう、わたくしもまだ望みは捨てていないわ。それで、いい知らせとは何でしょう? さっきの話を聞く限り、いい知らせがあるなんて信じられませんが」
ネルコワが訊くと、ジビエはさっきとは打って変わって明るい表情で言った。
「おちびちゃんの挫けない心が通じたのかもな。実は昨日の夕方から魔物たちの動きがおかしいんだ。
ヴェーゼシュッツェンから3千を超える部隊が出撃して、一散に南を目指した。そいつらはまだ戻っていないし、追加でいくつかの魔軍が町を出ている。
そいつらの所在を確認させているけれど、もし魔軍の配置に穴が開いていたら、すぐにあっちの尾根筋へ移動するよ。準備をしておいておくれ」
それを聞いて、アーカは目をキラキラさせながらネルコワに言った。
「まあ、きっとジン様が魔軍を引き付けてくださってるんですわ。ネルコワ様、よかったですね?」
ネルコワは緩みそうになる頬を軽く両手で叩くと、いつもと変わらぬ声でアーカとアーマに命令する。
「まだはっきりとはしていないみたいだけれど、もしそうだったらすぐに出発できるように準備をお願いするわ。アーカとアーマ将軍、魔物が南オップヴァルデンに侵攻を開始したのだったら、兵士たちの士気が下がらないように注意してちょうだい」
「分かりました」「お任せください」
アーマ将軍とアーカが帷幕を出て行くのを見送ったジビエは、目をつぶって両手をぎゅっと握りしめているネルコワに静かに話しかける。
「おちびちゃん、あんた今いくつだい?」
「……じゅ、12歳よ。あと五日で13歳になるわ」
ネルコワの声が震え、肩が小刻みに動くのを見たジビエは、ゆっくりと立ち上がるとネルコワの側まで歩み寄り、そっと肩に手を置いて言った。
「そうかい、まだちっちゃいのに苦労をしているんだな。不安があるのなら我慢することはないよ、アタイでいいなら話してみなよ。誰かに心の内をぶちまければ、多少なりとも不安は軽くなるもんさ」
「わたくしは怖いんです……戦いも、人も。あれだけおとうさまに忠誠を誓った臣下たちも簡単にわたくしを裏切ったし、わたくしがしっかりしていないとアーマやアーカから愛想を尽かされそうだし……」
そう言うとひときわ小さな声で、
「……それに、ジン様はウェカさまのものだし……わたくしには頼れる人っていないのでしょうか?」
そう絞り出すように言うと、机に突っ伏した。
ジビエは深いため息をつくと、ネルコワの背中を優しくなでながら言った。
「おちびちゃん、あんたには頼れる人がいないんじゃない、頼ろうとしていないんだ。
あんたは心に傷を受け、生きて行くためにはしっかりしないとって背伸びをしてきた。
その心がけは立派だと思うけど、誰だって一人じゃ生きて行けないんだ。あんただって、そのことには気付いている、そうだろう?」
ネルコワは突っ伏したまま、こくりと頭を動かした。
「だったらさ、あんたを救い出したアーマ将軍や、いつも側であんたの心配をしているアーマさん、それにジン様のことを信じてあげなよ。それにアタイだって、おちびちゃんのことは妹みたいに思ってるんだからさ」
いつの間にか、ネルコワの震えは止まっていた。ネルコワが顔を上げて、ジビエに何か言おうとしたとき、帷幕の外から声がした。
「すみません、私はジビエ様の部隊の者ですが、ジビエ様はまだこちらにおいででしょうか?」
ジビエが
「確かに聞いたことがある声だね。アタイはここにいるよ、何の用だい?」
そう問いかけると、オーガの若者は答えた。
「ポーク様からの伝言です。『ヴァルデン川の出口に敵影なし。魔軍はジン・ライム殿の捕捉に全力を挙げている模様』とのことです」
「分かった、それじゃすぐに出発準備にかかってくれないかい? アタイはネルコワ殿と今後のことを協議したら、すぐ戻るから」
「承知いたしました!」
オーガの若者が駆け去って行く音を聞きながら、ジビエは顔を上げたネルコワに笑顔で言った。
「さあ、おちびちゃん。いよいよあんたの悲願成就に踏み出すよ。不安に圧し潰されている暇なんてないんだからね?」
(魔神を狩ろう その10へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ジンの存在が、異世界の住人であるネルコワやジビエ、そしてウェカにとって大きくなっていますね。
時代も、そしておそらく世界線も違うジンが、これだけの干渉を許される状況ってどんなものなのだろう? と自問自答しています。きっとジンの行動がウェカたちの世界にとって軌道修正のために必要なのだろうな、と。
その辺りの疑問は、ジンも感じているはずですので、追々明らかになって行くことでしょう。
では、次回もお楽しみに。




