Tournament47 Fiends hunting:Part7(魔神を狩ろう!その7:宣託)
水の精霊王から宣託を受けたジンたちは、それぞれの決意を胸にカッツェガルテンを目指す。
しかしジンは、精霊王から自らの祖先であるクロウ一族と魔物の関係を聞かされていた。
【主な登場人物紹介】
■主人公ジン・ライムが5千年前の世界で出会った人たち
♡ウェカ・スクロルム 15歳 金髪碧眼の美少女。弓が得意なアタシっ子。5千年前の時空のカッツェガルテンというまちで出会った。貴族の娘だが弱い者に対する同情と理解が深い。ジンを運命の相手として慕っている。
♤ザコ・ガイル 22歳 茶髪碧眼のオーガの青年。大剣をぶん回す俺っち戦士。ウェカと同じくカッツェガルテンに住んでいた。鍛冶屋の息子だがウェカの同志的存在。戦術的才能があり、ウェカに乞われてスクロルム家の私兵を率いている。
♡マル・セロン 22歳 黒髪黒眼のエルフの美女。剣の腕も確かだが本職は書記で、カッツェガルテンの民政を引き受けている。性格は冷静で、ウェカを妹のように可愛がっている。ザコとは幼馴染である。
♡ネルコワ・ヨクソダッツ 13歳 茶髪で黒い瞳を持つヴェーゼシュッツェンの後継者。父の戦死と家臣団の離反で殺されそうになっていたところを、従姉の忠臣アーマ・ザッケンに救われ、カッツェガルテンに従妹のアーカ・ザッケンを遣わして救援要請した。
♡ジビエ・デイナイト 17歳 赤髪灼眼の17歳。オーガ族長の長女でジンの能力に惹かれ、異世界での仲間となる。巨大な棍棒を揮って戦うアタイっ子猛将。
♤サリュ・パスカル 17歳 金髪碧眼の美男子でユニコーン族長の長子。ジンの異世界に興味を持ち、ジビエに誘われる形で仲間になった。レイピアを持つが智謀と魔力に優れた参謀役。
♡サラ・フローレンス 精霊王アクエリアスの神殿に仕えるエルフの神官で、金髪碧眼の17歳。魔物に襲われ孤立した神殿にいたところをジンたちに助けられて仲間になる。精霊王との共感能力に優れ、数々の危機を予言する。回復魔法の達人。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
水の精霊王アクエリアスの神殿は、ユニコーン族の里から北西に5マイル(この世界で約9キロ)ほど歩いた岬の付け根にあった。
そして岬の突端に、アクエリアス様の像が安置されている。ジンたちは神官であるサラ・フローレンスさんの計らいで、一人ずつアクエリアスの宣託を受けることになった。
「最初は、ネルコワ様からどうぞ」
サラは、神殿でアクエリアスにジンたちのことを告げ、どのような順番で宣託を受ければいいかを尋ねた結果、ネルコワ、ジビエ、サリュそしてジンの順番で一人ずつ神殿に入って来るように指示した。
「では、みなさんお先に失礼いたしますね?」
ネルコワはジンたちに一礼すると、どこか心配そうな顔で神殿へと入る。内壁の扉が重々しい音と共に閉まった。
緊張した面持ちで祭壇の前まで歩いてきたネルコワに、祭祀用の赤い外套を着て頭に波を象った銀の冠を頂いたサラが、何かに憑かれたような恍惚の表情で語りかける。
「ネルコワさん、あなたが一番知りたいことを包み隠さずアクエリアス様にお話しください。アクエリアス様はあなたに真実と祝福を与え給うでしょう」
ネルコワはサラの言葉を聞き、ひざまずいて首を垂れる。
(わたくしが今、最も知りたいこと……ジン様のこともあるけれど、まずは)
「……わたくしは首尾よくヴェーゼシュッツェンを魔物のくびきから解き放てるでしょうか? 今こうしている時も、民たちは魔物に虐げられているのです」
ネルコワが胸の前で手を組んでそう言うと、目を半眼にしてゆらゆらと身体を前後に揺らしていたサラがカッと目を見開き、
『それがそなたの一番の希望とは思えませんが……まあいいでしょう、先ずはそなたの願いについてですが……』
そう、普段の声とは似ても似つかぬ妖艶な声で言うと、じっとりと潤んだ眼差しをネルコワに向けて続けた。
『そなたの町はそなたの手に帰すでしょう。しかしそれは、英雄の傘下として戦い、英雄が選んだ者と協力して初めて成し遂げられること。英雄は別の世界の人間、そなたがもし、彼に興味を覚えたとしても、気持ちを通わせるだけで満足すべきです。さもないとお互いに余計な不幸を抱え込むことになるでしょう』
そう言うと、サラはがっくりと首を前に倒す。アクエリアスとの精神交感が途切れたのだろう。
ネルコワは真っ青になって唇をかみしめていた。アクエリアスのお告げは彼女にとって吉凶相半ばするものだったからだが、
(わたくしの秘めた思いまで感じ取られるとは、さすが精霊王様。ジン様への思いは叶わないみたいだけれど、わたくしの町を奪還できるのなら、そして大陸に平和をもたらせるのなら、先ずはそれでよいとしましょう)
そう思い直し、
「ありがとうございました。お告げどおり、先ずは私たちの町を奪還することに集中いたします」
そう、笑顔ではあるが沈んだ声でお礼を言う。
サラは気の毒そうな顔をして、ネルコワを慰めるように言った。
「……そのお顔の色は、必ずしもあなたが望むようなお言葉ではなかったのですね? けれど、アクエリアス様がお伝えになられることはあくまでも今現在の状況から見通されたことです。運命の変転の中で変わっていくこともあるでしょう。諦めずに、一つ一つ実現させて行ってください」
「解っています。わたくしはヴェーゼシュッツェンの執政、まずは市民を助けなければなりません。アクエリアス様のお言葉は、わたくしの気持ちの緩みをお叱りになられたものと思っております」
ネルコワは案外しっかりした声で言ったが、その顔はどことなく寂しそうだった。
ジビエさんとサリュさんが順番に宣託を受け、いよいよ僕の番となった。今までの三人は、どことなく寂しそうで、それでいて満足そうな表情をしていたことから、概ねアクエリアス様から満足できる助言をいただけたんだなと思っていたが、僕に対してはどんな宣託がなされるのだろうか?
「ジン様、お入りください」
サラさんの声に引き寄せられるように、僕は開いている扉から神殿へと入った。
神殿の中に入ると、開放された北側の空間に、遠くアクエリアス様の像が見える。白く輝いてとても厳かに見えた。
「ジン様、あなたを最後にしたのは、アクエリアス様の思し召しです。この世界のお方じゃないあなたと、アクエリアス様はゆっくり話がしたいとのことでした」
サラさんは半眼にした目で僕を見つめ、身体をゆらゆらと揺らして言う。これがワインの言っていた『トランス状態』ってものなのかもしれない。
そのとき、サラさんが不意に我に返った。あり得ないことだが、いきなりトランス状態が解けてしまったらしい。
「えっ!? そんな……どうしてアクエリアス様は私から?」
驚いたサラさんが焦ったように辺りを見回しながら言う。神憑りの状態が解けてしまったら、アクエリアス様の声を聴くことも、託宣を伝えることもできないからだろう。
しかし、次の瞬間、僕たちは空中に現れた女性を見て棒立ちになる。その女性は深い海の色をした長い髪をなびかせ、白と青のグラデーションになった外套を身にまとっていた。その身体からは潮風に似た爽やかな匂いが微かに香り、仄かに光を発していた。
『英雄殿、あなたとは神官を介さず、直接話がしたかったのです。驚かせてすみませんね、サラ神官長?』
透き通った波打ち際のような声が聞こえると、サラさんは感激の余りひざまずいて大声で答えた。
「いいえ、直接お会いできて光栄です。アクエリアス様」
アクエリアス様はそんなサラさんを見て、機嫌良さそうにクスリと笑い、
『そんなに固くならなくてもいいですよ? 私は堅苦しいのが苦手なの。ただ、今回ばかりは私もちょっと四神の申し合わせ事項には従わないとね』
そう言うと、表情を改めてサラさんに申し渡した。
『そこでサラ神官長、あなたには私と英雄との話の立会人になってもらいます』
「えっ!? 四神と英雄様の大事な話に、私ごときが加わってよいのでしょうか?」
びっくりして尻込みするサラさんに、アクエリアス様は優しい声で諭すように言う。
『構いません。私たち四神が地上の者と話をするときは、立会人を付けることが精霊覇王のエレクラ様から義務付けられています。立会人には秘密を守ってもらわねばなりませんが、その点、いつも人々の悩みや不安を聴いているあなたなら安心です。そうでしょう、サラ神官長?』
そう言われて、サラさんはおずおずと、しかし少し誇らしげに頷いて立ち上がる。
『さて、私が予言した英雄殿、私は水の精霊王のアクエリアス・レナウン。まずはあなたの姓名を聞いておきましょう』
アクエリアス様はそう言いながら僕を見つめて一瞬、驚いた顔をする。
「初めまして、ジン・ライムです」
僕が名乗ると、アクエリアス様ははっきりと不審そうな表情をした。
『あなたからエレクラ様の魔力を感じます。それと『闇の魔力』も……。ジン・ライムよ、あなたは自分の血がどこから来たかを知っていますか?』
僕は正直に答えた。四神を相手に隠し事をしても無駄だからだ。
「はい、僕の父の名はバーボン・クロウ。僕の世界では20年前に起こった『魔王の降臨』を阻止し『伝説の英雄』と呼ばれていました」
「えっ!?」
サラさんが青い顔をして小さく声を上げた。クロウ一族の名は知っているらしい。
まあ、サリュさんの話では『クロウ一族=諸悪の根源』みたいな扱いらしいから、サラさんのリアクションは当然といえば当然だった。
『では、あなたはあのクロウ一族の血を引いているのですね?』
アクエリアス様が何やら難しい顔をして僕に念を押す。僕はその瞳を真っ直ぐ見つめてうなずいた。
『そうですか……それにしても分からないのは、あなたがエレクラ様の祝福を受けていることです。ですからあなたは魔族でありながら四神に認められた存在ということになります。今まで前例がありませんので、私もあなたをどう扱ったものか迷うところです』
アクエリアス様はそう言うと首をかしげ、しばらく何かを考えていたが、
『……まあ、あなたは摂理を守ろうと活動していますから、魔族であることはこの際不問にいたしましょう。あなたがこの世界に来た時のことを詳しく話してくれませんか?』
一転して明るい声で訊いて来る。僕はヴィクトールさんがこちらの世界で待っていたことから今までの出来事を包まず話した。
アクエリアス様は僕の話を興味深げに聴いていたが、聴き終わるとニコニコして
『詳細は分かりました。あなたのことは私からエレクラ様に伝えておきますので、あなたがすべきことに取り掛かる前に、エレクラ様の神殿を訪れることをお勧めします。
エレクラ様なら、あなたが今後直面するであろう困難にも、適切な助言をいただけると思いますよ? もちろん、私もできる限りの助力は惜しみませんが』
そう言うと、サラさんに目を向け、
『サラ神官長、言うまでもないことですが、この場で見聞きしたことは他言無用です。特に、ジン殿に魔族の血が流れていることは絶対に秘密にしておいてください』
そう釘を刺す。
サラさんは真剣な顔でうなずくと、僕を見てにっこりとし、
「ジン様は義しいお方です。私や神殿を守ってくださいましたし、何よりあんなに素敵な仲間がいらっしゃいます。魔族の血が流れていることは、全然問題にはなりません」
そう言ってくれた。
僕もまた、サラさんを見てうなずき、アクエリアス様に向き直って訊いた。
「アクエリアス様、一つだけ知りたいことがございます」
『何でしょう? 何なりと言ってごらんなさい』
「今、この大陸を『摂理の黄昏』が覆っていると聞いています。そして『魔王の降臨』も近いとも聞きました。『摂理の黄昏』と『魔王の降臨』、この二つには何か関係があるのでしょうか?」
僕が訊くと、アクエリアス様は哀しそうな顔をした。
『その問いに答えるためには、あなたの属するクロウ一族と魔物の歴史を語らなければなりません。あなたにとって辛い話になると思いますが、知っておくべきことでしょうね』
★ ★ ★ ★ ★
ここからは、僕がアクエリアス様からお聞きした話である。アクエリアス様は『今から2千年ほど前』とおっしゃったので、僕がもともといた世界で考えると7千年も昔のことになる。
アクエリアス様はとても僕のことを気にしてくださっていた。話が終わった後、美しき水の精霊王は僕の目をじっと見つめ、
『この話は私たちの世界に伝わっているもので、あなたがもといた世界では必ずしもすべてが同じとは限りません。あなたの世界にもしまだエレクラ様がいらっしゃるとしたら、エレクラ様にお聞きするといいですよ?』
わざわざそう言ってくださったのがその証拠だ。
一緒に話を聞いたサラさんも、僕を案じて話の途中から僕の側に寄り添っていてくれたが、正直僕はそれほどの衝撃は受けていなかった。
なぜかは分からないが、封印されていた古い記憶が話を聞くことで意識の表面に浮かび上がってくるような、そんな不思議な感覚だったのだ。
とにかく、クロウ一族の祖、アルケー・クロウに関する話はこうだった。
『今でこそ四神と言うけれど、古い昔、精霊王と呼ばれる存在は五人いました。摂理の調律者様はこの世の成り立ちに必要なものを七つと決められたのです。
それが土、風、火、水の四基本元素と雷と磁の二自然元素、そして木の生成元素です』
魔法体系の詳しいことはからっきし分からない僕だが、四つの基本元素や二つの自然元素くらいは知っている。けれど『生成元素』は初耳だった。
『プロノイア様は、摂理の運行を円滑に行うため、自然元素の二つは自分と運命の供与者様が統括することにされ、残りの五つについて精霊王を決められました。
それが土の精霊覇王エレクラ・ラーディクス様、風の精霊王ウェンディ・ヴェント、火の精霊王フレーメン・ヴェルファイア、水の精霊王アクエリアス・レナウン、そして木の精霊王マロン・デヴァステータです。この中ではマロンが最も若い精霊王でした……』
……マロンは見た目12・3歳で身長140センチ程度。明るい緑の髪を持ち、目は髪に隠れて見えないが瞳の色は深い緑だった。
彼女は地面に生えるもののすべてに豊穣を与え、まだ狩猟や採集で生活の糧を得ていた人々に自然の恵みを与えるのが仕事だった。彼女はその役割に満足し、そして誇りを持っていた。
そんな彼女は、広いヒーロイ大陸を何日もかけて歩き、植物や動物たちの生育を見て回ることを一番の楽しみにしていた。
「ここを越えるのって、何度来ても背中がゾクゾクするわね。どうしてケワシー山脈ってデュクシ地方に向かって反り返っているのかしら?」
彼女は、人がようやっと一人通れるか通れないかという狭い峠道を越え、山肌がオーバーハングして頭にのしかかって来る道に足を踏み入れてぼやくように言う。
「気を付けないと、前回みたいに足を踏み外したら大変」
半年ほど前、彼女はケワシー山脈の削岩道から足を滑らせて落っこちてしまった。そのときは魔力を使って落下地点の草花を大きく生長させて事無きを得たが、
「あの魔法は、植物の力を無駄に消費させてしまうのよね。お花さんたちには悪いことをしたわ」
そう言いながら、彼女は山肌をしっかりとつかみながら一歩一歩慎重に歩いて行った。
ケワシー山脈は4合目まで来ると、傾斜はかなり緩くなる。マロンはホッとため息を漏らすと、覆いかぶさるようにそそり立つケワシー山脈を見上げて、
「ふう……いつかこの道がもっと通りやすくなったら、人間たちは大陸中に広がっていくんでしょうね。そのとき、どんな世界を創っているのかしら?」
そうつぶやくと、昼なお暗い森の中へと歩いて行った。
森には主にナラやブナ、シイやトチノキが生えており、頭上に広がった枝にはリスが走り回り、鳥たちもあちこちで縄張りを主張するかのようにさえずっている。
彼女はそんな光景を微笑とともに眺めながら、満足げに言う。
「ホント、デュクシ地方やアルック地方は自然が豊かだから、歩いていて楽しいわ。ユグドラシル山の北側の地域は人間が増えて来たけれど、この辺りはこれからってところね」
彼女はそうつぶやきながら歩いていたが、ふと妙なものを目にした。
「あら? 何か幹に突っ立ってる」
マロンがその場に駆けて行くと、ブナの木に一本の矢が突き立っていた。
彼女はその矢を、矢尻が幹に残らないよう注意しながら抜き、矢尻が黒曜石でも青銅でもないことにびっくりしてつぶやく。
「鉄の矢尻……この近くにはかなりの技術を持った人間がいるみたいね。まったく青銅とか鉄とか、エレクラ様はどうして人間たちが地下の資源を荒らすことを禁止されないのかしら?」
そのとき、彼女の後ろの茂みがガサガサと動いたと思うと、ひょっこりと一人の少年が顔を出した。彼は銀の髪に見え隠れする翠の瞳をした目を丸くして、マロンに話しかけてきた。
「おいおい、女の子がどうしてこんな深い森の中にいるんだ? 君は、ひょっとして森の精か何かか?」
マロンは急に話しかけられたのでびっくりして振り返る。そんな彼女が矢を手にしているのを見て、少年は人の良さそうな顔をほころばせて
「あっ、それは僕の矢だ。獲物を外したから失くしてしまったと思っていたんだ。君が拾ってくれたのかい? ありがとう、これで矢を1本得したよ」
そう言いながら少年はマロンの側に歩いて来て手を差し出した。
マロンは近づいて来る少年を観察した。少年は身長160センチ程度で、ほっそりした身体つきだった。着ているものは恐らく草の葉などで染めたのだろう、濃淡のある緑色で麻とは違う何かで織られていた。
(これは、綿? それに腰に巻いているのは革製みたいね。剣も鉄製かしら?)
マロンがそんなことを考えていると、少年は不審そうに訊く。
「君、ひょっとして言葉が通じないのかい?」
少年の言葉に、マロンはハッとして矢を差し出すと訊いた。
「ご、ごめんなさいね。あなたが着ている服や腰の剣帯、それにこの矢尻なんかに興味があったからつい。あなたはこの近くに住んでいるの?」
少年は機嫌よく矢を受け取りながら答えた。
「ああ、ヘンジャーって開拓村に住んでいるんだ。お嬢さん、山はこれから暗くなる。君さえよければ僕のうちに来ないか? 何もない家だが、部屋数だけは余ってるんだ」
「あなたは狩りで暮らしているの?」
マロンが少年の剣や肩にかけた弓を見ながら訊くと、少年は笑って答える。
「いや、僕は狩りはあんまり得意じゃないんだ。獲物を見つけても可哀そうって気持ちが先に立ってね。だから魚や木の実を取ることが多いかな。今日だって里長から言われたからしぶしぶ山に入ったんだ。さて、シイの実でも集めて帰ろうかな」
恥ずかしそうに少年が言うが、獲物が一匹もなかったことを残念そうにもしていないし、里長に対してバツの悪さを感じている様子もない。
(面白い人ね。それに悪い人じゃなさそうだわ)
そう感じたマロンは、ありがたく少年の申し出を受けることにした。
ヘンジャーの村は、ターカイ山脈の麓から2百マイル(この世界で約370キロ)ほど南に下った所に造られた開拓村である。人口は約5百人で、里長はこの地域を初めて探検したデューク・デュクシが務めていた。
後にヘンジャーはもっと北にある台地へと移ることになるが、このころは利水の便を考慮して谷底に近い傾斜地に家がひしめきあうように建てられていた。
しかし少年は村には入らず、村の下を通る細道を川へと降りて行き、川から10ヤードほどしか離れていないトチの木へと歩み寄る。
「あのう、えっと……」
「ああ、そう言えば自己紹介もまだだったね。僕はアルケー・クロウ、センターヴェルク地方のハンエルンで暮らしていたんだけど、デュクシ隊長から誘われて開拓団に加わったんだ。よろしく」
アルケーが爽やかに笑って言う。マロンは思わず顔を赤くして
「わたくしはマロ……メロン・マスクです。よろしくお願いいたします」
思わず精霊王としての名を名乗ろうとして、慌てて言い直す。
「ああ、こちらこそよろしく、メロン。ところで君は、何か僕に聞きたいことでもあったのかい?」
アルケーが訊くと、マロンは思い出したように
「ええと、あなたのおうちってどこにあるのかしらと思ったから。この辺りはもう川が近いんじゃないかしら?」
そう訊きながら、少しアルケーから距離を取る。相手は少年とはいえ、身長は大人にも負けないほど大きなアルケーに対し、マロンは警戒心が芽生えたのだ。
しかしアルケーはマロンの様子に全く気が付くこともなく、笑ってトチの木の上を指差すと言った。
「ああ、僕の家ならあそこさ。木の上に作れば、不意を襲われることもないし、川が氾濫しても水浸しになる心配も少ないからね……まあ本当のところは、デュクシ隊長が僕に家を建てる土地を分けてくれなかったんだ。まずは家族をハンエルンに残してきた人たちを優先するからってね」
そう言いながらアルケーはするすると器用に木を登り、縄梯子を垂らして言った。
「女の子に木登りさせるわけには行けないからね。これを使って登っておいで」
マロンが縄梯子を登ると、そこには大きな枝と枝に木材を渡して固定し、板を打ち付けた床があった。そしてただ床を作っただけでなく、ちゃんと板やむしろで壁や屋根まで備えていて、思ったより住み心地もよさそうだった。
さらに驚いたことに、アルケーは一か所だけでなく何か所も同じようにして床をこしらえ、その間を階段や梯子でつないで、いくつもの部屋を木の上に作っていた。確かに、『部屋数だけは余っている』みたいだった。
「思った以上に素敵ね。この家はあなたが工夫したの? アルケー」
一番広い部屋……アルケーの言葉を借りれば『居間』でテーブルを挟んで向かい合って座ったマロンが訊くと、アルケーは1本のビンと、木をくりぬいたカップ二つを棚から取り出し、
「まあね。もともと僕はこういった秘密基地みたいな家に憧れていたし、デュクシ隊長の家にいつまでもご厄介になるつもりもなかったからね」
そう言いながらコップをマロンと自分の前に置き、先ず自分のコップにビンの中のものを少し注ぐとそれを飲み干し、マロンのカップになみなみと注いだ。
「山ブドウのジュースだ。熟しているものを搾ったから甘いよ。お酒の方がいいなら、醗酵したものもあるけれど?」
アルケーが笑顔で言うので、マロンは少し口に含んでみた。確かに甘く、それでいてくどくなく、いい口当たりのジュースだった。
「……美味しいわ。あなたっていろいろな生きる知恵を持っているのね。思ったより歳を取っているのかしら? 若く見えるけれど」
マロンが言うと、アルケーは苦笑して
「隊長からも言われたよ。『アルケー、お前がまだ17だとはとても思えん』ってね? でも、僕が何か問題に直面すると、いつも決まって頭の中にその解決策やいろいろな知識が浮かんでくるんだ、不思議なことにね」
そう言って自分もジュースを飲むのだった……。
……『その話をマロンから聞かされた時、私はアルケーという少年のことをとても不思議に思いました。人間が綿を作り始めて間もない時期でしたし、醗酵という概念もたくさんの試行錯誤の中で積み上がった経験がようやく体系化され始めたばかりの頃でしたから。
歳を取った老人ならともかく、まだ17・8歳の少年には相応しくないほどの知識と経験の量に、私はある疑いを持ったのです』
アクエリアス様が言うと、サラさんがぽつりとつぶやいた。
「アルケーはジン様と同じように、違う時空、あるいは未来から来たのでは?ということでしょうか?」
サラのつぶやきに、アクエリアス様はうなずいて、
『はい、その可能性もありますし、あるいは私はアルケーが『世界樹の記憶』と繋がれる能力を持った者かとも思いました』
そう言うと、慈愛あふれる目で僕を見て静かにおっしゃった。
『ジン殿、世界を救う『伝説の英雄』のことを、別の名で『繋ぐ者』といいますが、それはそこから来ています。あなたも遠からず、『世界樹の記憶』と繋がり、世界の行く道を観ることになるでしょう』
そうか、だからヴィクトールさんは、僕との別れ際に
『次に会うときは、『繋ぐ者』と呼びたいものだな』
そう言ったのか!……あれ? だとするとヴィクトールさんって……。
僕が何か大事なことに気が付く前に、アクエリアス様が言った。
『では、その続きをお話ししましょう』
★ ★ ★ ★ ★
マロンはしばしばヘンジャーの村に立ち寄り、そのたびにアルケーの家に泊まって行った。その間、マロンはアルケーの日常をつぶさに観察し、いよいよ彼が普通の人間とは違う存在だということに確信を深めて行った。
そのころ、元素神の間でマロンの行動が問題になりつつあった。
そもそも神と呼ばれる存在は、余り人間との関わりを持ってはいけないとされていた。摂理を動かすのに私情が入ると、判断に迷いや偏りが生じるためだ。
『マロンは何を考えているのかの? 近頃は一つの村に入り浸って、あまつさえ人間の男と仲良くしているそうじゃが、そなたは何も注意はせんのか、エレクラ?』
摂理の調律者や運命の供与者は、連れ立って精霊王たちが集まる会合所に顔を出し、たまたまそこにいた土の精霊覇王エレクラに問いかける。
エレクラはアンバー色の瞳をした切れ長の目をプロノイアに向けて答える。
『マロンのことはアクエリアスから聞いています。アクエリアスはマロンが気にしている少年は『繋ぐ者』ではないかと考え、もう少しその少年のことを調べてみるようにマロンに助言したとのことでした。
もし、プロノイア様やエピメイア様がご心配なら、私自身がマロンと共に調べてみますが?』
『何、『繋ぐ者』じゃと? それが本当なら、わらわたちが建てた摂理に挑戦するものが現れる兆しではないか』
プロノイアは黄金色に輝く両目を細めてそう言うと、隣にいるエピメイアに訊いた。
『エピメイア、変わりゆくことを摂理としたが、その摂理の根本は不変であるべきじゃ。そなたが行ってその者が真実、『繋ぐ者』になりうるのかを秤量してきてくれんか?』
するとエピメイアは、プロノイアと同じ白い髪をかき上げ、ラピスラズリのような瞳を姉にあててうなずく。
『分かった、行ってみるよ。エレクラ、その少年はヘンジャーの村にいるんだね? マロンも一緒にいるのかな?』
『マロンはまだ『グラス』には戻っていないようなので、十中八九そこにいるのかと』
エレクラの返事を聞いて、エピメイアはすぐさまその場から消えた。
『……節理の摩耗がこれほど早く訪れようとは思わなんだ。時にエレクラ、ウェンディ・ヴェントの後を継いだ新たなウェンディ、彼女はどうじゃ?』
プロノイアの問いに、エレクラは苦笑しながら答える。
『ウェンディは精霊王を引き継いでから5百年ほどしか経っていませんが、マロンより2百年ほど年長で、精霊王としての期間もマロンより長いので、そんなに心配される必要はありません。彼女は確かに自由気ままでむらっ気がありますが、根は真面目で能力も高いので、今後の取り扱い次第では大いに期待できるでしょう』
プロノイアはエレクラのウェンディ評を聞き、クスリと笑って
『そうか、他ならぬエレクラがそう言うのならウェンディ・リメンについては心配しない。
しかし、マロンの見立てが正解だった場合、少々厄介なことになる。そのときは精霊王たちにも頑張ってもらわねばならないな』
不意に真剣な顔になって言う。エレクラもまた、真剣な顔でうなずいた。
そのころマロンは、すっかりヘンジャーの村人と仲良しになっていた。見た目こそ12・3歳でまだ子どもだが、彼女は5百年近く生きて来た精霊王である。当然その知恵は人間の大人も顔負けのものを持っていた。
「メロンさん、あんたはどこでそれだけの知識を身に付けたんだ? 俺たちの村にもアルケー・クロウという少年がいるが、あんたの知識はそれ以上かもしれない」
マロンが素焼きの壺に砂や小石、木炭を敷き詰めたもので泥水を浄化する方法を村人に伝えた時、村長であり経験豊富な冒険者でもあったデューク・デュクシが感動の面持ちで彼女を褒め称えると、マロンは恥ずかしそうに頬を染め、
「別に大したことではありません。わたくしはいろいろな所を回って来ましたが、たまたまこのような工夫をしている集落にお邪魔したことがあるだけです」
そう言って逆にデュクシに訊く。
「ところでアルケーさんこそ、まだ17歳なのに大層な知識をお持ちみたいですね? 彼こそそれほどの知識をどうやって身に付けたんでしょう? ずっとデュクシ様のところで育ったって聞きましたが?」
デュクシはチラリとマロンの顔を見ると、
「おや、メロンさんは毎回アルケーの所に泊まっていくから、アルケーの奴が寝物語に話して聞かせているかと思ったが……」
そうからかうように言い、マロンが顔を赤くしながら眉を逆立てるのを見て、
「ははは、悪かった。おっさんの不粋な冗談ってことで聞き流してくれ。やっぱり似た者同士気になるところだろうな」
そう謝ると、遠くを見る目をして
「アルケーにも話しているが、あいつはハンエルンの森の中に捨てられていたんだ。俺と妻が狩りの途中で見つけてな。子どももいなかったから俺たちで育てることにしたんだ」
そう、小さな声で言った。
「森のどの辺ですか?」
「ああ、ユグドラシル山に続く尾根が落ち込んだ辺りだったな。近くには川が流れていた」
「アルケーの両親の痕跡は見つからなかったんですね?」
「そうだな、子どもを捨てるなんてただ事じゃない。親の方にも何かマズいことが起こったに違いないと感じたから、俺と妻とで辺りを探したが、何も見つからなかった」
デュクシはそう答えてため息をつく。
「……そうですか。それじゃアルケーは両親のことは知らないんですね?」
マロンが訊くと、デュクシは再びため息とともに首を横に振り、答えた。
「知らないだろうな。それに両親のことを探している様子もない。いつかは自分の本当の親と会いたいとは思っているんだろうがな」
「それで、アルケーが小さい頃はどんなお子さんでしたか?」
マロンが重ねて訊くと、デュクシは不思議そうに、
「そうだな、何かをよく考え込んでいたり、風の声を聴くと言ったり、とにかく変わった子だった。言葉を発するのは遅かったが、いきなり文章をしゃべったので、俺も妻もびっくりしたもんだ……ところでどうしてそんなことを?」
そうマロンに問い返したとき、マロンはすでにその場から消えていた。
マロンはデュクシから話を聞くと、すぐさまアルケーが捨てられていたという森に向かった。彼女はデュクシの話から、
(アルケーが『繋ぐ者』である可能性は高いわね。それにしても、彼がなぜ捨てられたのか、その理由が分からないわ)
そう結論し、アルケー出生の秘密を探ろうと思ったのだ。
(まずは、アルケーが捨てられていたという場所ね。気が遠くなるほどの昔ってわけじゃないから、運が良ければ何か判るかも)
そんな直感のようなものを感じて、彼女はハンエルン近くの森に急いだ。
森に到着すると、マロンは魔法を発動する。
「森の木々よ、わたくしの力を受け取り、わたくしが知りたいことを示せ。息吹を感じて空を目指せ、『芽生えの歌』とともに!」
翠の魔力に覆われたマロンが、手近な樫の木に触れると、その樫の木は翠色の光に包まれ、その光は枝を伝って森に生えるすべての木々を包んだ。
「わたくしが知りたいのは、17年前にこの森に捨てられていた赤子のことです。木々の記憶よ、時を超えてその経緯をわたくしに示してください」
すると森中の木々がざわめき、マロンの前に魔力の風が翠の光を伴って現れる。それはマロンを誘うように、森の奥へと流れていた。
マロンがその風に導かれて森の奥へと歩を進めると、やがて前方に籐の蔓で編まれた籠の中で眠っている赤ん坊の姿が見えた。赤ん坊も籠も翠色の光に包まれている。
「確かにこの子はアルケーですね。面影があります」
その幻影をじっと眺めていたマロンはそうつぶやくと、さらに木々に向かって言った。
「わたくしはこの赤ん坊がどこから来たのかを知りたい。木々の記憶よ、この子がたどって来た筋道を示してください」
すると赤ん坊の幻影は一つの光の玉となり、それは近くを流れていた川を遡り始めた。
「この川の上流には、人間の集落はないはずですが……行ってみれば判るでしょう」
なにげなくつぶやいたマロンだったが、その後彼女に何が待っているか、そのときの彼女には想像もできなかった。
マロンの想像どおりここまで来る間には人間の集落どころか家すら一軒もなく、光の玉は川の水源である地下水の湧出口の近くにあった洞窟へと消えた。
「何、これ?」
マロンは光の玉に照らされた洞窟の中でそうつぶやく。そこには大鍋や作業台があり、作業台の上には醜悪な形をした骸骨が所狭しと並べられていたのだ。
マロンは大鍋の中をのぞき込んだ。中には何も入っていなかったし、蜘蛛の巣が張り、チリも厚く積もっている。
「この様子では、この大鍋は10年以上ほったらかしみたいね」
マロンは、この場所で何かの錬金術が研究されていたと見破った。
「とすると、問題はこの場所の主は何を研究していたのかってことよね」
彼女は悪い予感に顔を青くしてつぶやくと、洞窟の隅に残されていた材料の入った籠や壺を一つ一つ検める。そして予感は確信に変わった。
「木炭、硫黄、辰砂、銀鉱石、サラマンダーの皮膚、人間の睾丸……これに純水と子宮と子どもの頭蓋骨なんかがあったとすると、ここで研究されていたのは人間の錬成……」
そうつぶやきながら、マロンは背筋に冷たいものを覚えていた。この洞窟の主は目的を果たしたのだろうか? それとも無理だと諦めて洞窟を後にしたのだろうか?
(けれど、わたくしの魔法ではアルケーがもといた場所はここだという。もし洞窟の主がアルケーの父か母ではないとしたら、アルケーは……)
マロンはぶるぶると頭を振り、
「わたくしでは答えが出せそうにありませんね。アクエリアス様に事の次第を報告して、精霊王の皆さんにこの事実をお伝えすることが先かもしれません」
そう独り言を言うと、暗い顔で洞窟を後にした。
しかしその頃、精霊覇王エレクラをはじめとする精霊王たちは、突然プロノイアからマロンの精霊王はく奪を告げられていた。
「プロノイア様、お待ちください。マロンはまだアルケーの調査を終えていません。それに本人がいない中で一方的に処分を決めるのも問題があります。
せめてマロンが帰館し、その報告と言い分を聞き取ってから処分をすべきでは?」
エレクラが精霊王を代表して意見を述べる。後ろに控えているフレーメンもアクエリアスも、そしてウェンディも不服そうに腕を組んでいた。
『不服かの? じゃがエピメイアの調べでは、マロンはすでに精霊王の立場を忘れ、アルケーとか言う少年とともに人間としての暮らしを望んでいるということじゃった。麦をはじめとする穀物の栽培を人間たちに伝えておるらしい。
いつも言うが、農業は土地の力を収奪する業、人間は自然の恵みに感謝し、その豊穣に頼っておればよいものじゃ。それを大地の収奪へと踏み出してしもうたのは、『繋ぐ者』の出現に勝るとも劣らぬ摂理への挑戦と言えようぞ。マロンはそれに力を貸した。それがわらわがマロンを精霊王から排除する理由じゃ』
そう強面で言うと、彼女は哀しそうな顔になり、
『とは言うても、これも人間が持つ業じゃというなら、それもまた摂理がしからしめたものじゃろう。しかし、自ら苦労の多い道を行くというのも不憫に思えるぞ』
そう漏らすと、元の能面のような顔に戻り、
『マロンの管轄は、地下資源はエレクラが、地上の作物に関してはアクエリアスとウェンディが面倒を見るとよい。マロンが戻ったらわらわのもとに出頭させよ。彼女の精霊王としての魔力を封印せねばならんからの』
そう命令すると、自らの座所へと戻って行った。
プロノイアが消えると、難しい顔をしているエレクラにフレーメンが問いかける。
「エレクラ殿、どうする?」
エレクラはアンバー色の瞳を持つ眼を据えて答えた。
「私もこれほど厳しいお沙汰が下るとは想像していなかった。だがエピメイア様が調べられたのであれば、私が反論するのも難しい。アクエリアスの報告を受けたときに、一度マロンを呼び出しておくべきだったな」
「しかし、マロンは若いと言っても精霊王の役割と禁止事項はちゃんと弁えているはずです。私たちでマロンから聞き取りをして、彼女に理があるのならプロノイア様に再考を促しては?」
これはアクエリアスの意見である。ウェンディもそれに同意のようだった。
エレクラはフレーメンを見る。彼はいかつい顔をほころばせて答えた。
「俺もアクエリアスの嬢ちゃんと同じ意見だぜ」
それを聞いて、エレクラは腕組みを解いて言った。
「分かった。マロンの言い分を聞いてみよう」
しかし、マロンがエレクラたちの前に現れることはなかった。いや、彼女は自分の『世界』である『バウム』にすら戻らなかったのだ。
それは、次のような経緯があった。
洞窟を出たマロンは、生命の錬成が行われたかもしれないという憂慮すべき事態を仲間の精霊王たちに知らせるため、いったん『バウム』に戻ろうとした。
そのとき、
『少し待ったがいいよ、マロン。お姉様は、君の魔力を封印するつもりだから』
そう言いながら、エピメイアが姿を現す。
マロンは寝耳に水のことで、一瞬エピメイアが冗談を言っているのだと思った。
「運命の供与者様、ご冗談を。それより一大事です。何者かが生命の錬成を成功させたかもしれません」
そう言うと、洞窟でのことをエピメイアに余すところなく報告した。
エピメイアはマロンの報告をニヤニヤしながら聞いていたが、マロンが話し終わると
『君の言いたいことは解った。けれど仮に誰かが生命を錬成したとして、何のために行ったんだろうね? 君はそこのところをどう考えているのかな?』
そう訊く。マロンは首を振って答えた。
「分かりません。単に好奇心なのか、それとも摂理に挑戦しようという大きな目的があるのか、あるいは別の目的があるのか。
いずれにしても、これは看過できない問題です。プロノイア様に急いで報告をお願いいたします!」
必死の形相のマロンに、エピメイアは意地悪く訊く。
『そりゃあそれほどの大事なら、お姉様にお知らせしなきゃならないけれど、そうなったらあのアルケーって子は造られた生命体ってことになるね? お姉様の建てた摂理への挑戦によって生まれた命なら、自然の摂理の循環に戻さなきゃならなくなるよ? それでもいいの、マロン?』
「それは……」
言いよどむマロンに、エピメイアは優しい顔で頷いて、
『まあ稀ではあるけれど、人間の中にもひょんなことで『世界樹の記憶』と繋がれる者が生まれる可能性は否定しないよ。彼が本当に人間なのかどうか、君が確かめてみたら? もし彼が明らかにホムンクルスだと判明したら、君だって彼を処置し易いだろう?』
そう言う。マロンは『処置』という言葉に敏感に反応した。
「え?『処置』? わたくしがですか?」
エピメイアは大げさにうなずいて、さも当然のように
『そりゃあ、君が彼を発見してずっと彼を監視していたんだ。君が最も適任じゃないかな? それともエレクラやお姉様に処置してほしいかい? 彼が人間って可能性はまだあるんだよ?』
そう言うと、ずいっとマロンに顔を寄せて、ズルそうな顔でささやいた。
『彼が人間だったら、君は彼と暮らしてもよし、今のような暮らしを続けてもよし。別に君たちに不都合はないはずだよ? そしたらお姉様には『何も問題はありませんでした』って報告ができるってものさ』
マロンは迷った末、エピメイアとアルケーの所に行くことにした。
アルケーは、ヘンジャー村の入口付近にいて、村人たちと一緒に風車小屋を作っているところだった。小屋はほぼ出来上がり、あとは風車の羽を取り付けるだけになっている。
「これが出来上がったら、ドングリやシイの実、トチの実やクルミなんかも簡単に粉に挽けますよ。子どもでも粉にできるから、その時間を採集や狩りに使うこともできると思います」
アルケーの説明を受けて、中年の男が笑いながら彼を冷やかすように言う。
「しかしアルケー、お前って本当に凄いな。風を粉挽に利用しようなんて、どうやって思いついたんだ? やっぱあの美人さんと工夫したのか?」
アルケーはそう言われてもピンときていないらしかったが、
「隠すな隠すな、お前がたびたび他所から来た美少女を家に連れ込んでいることはみんな知っていることなんだから。お前、あの子と将来を誓ったのか?」
そう言われてマロンのことと気付き、顔を赤くしながら慌てて否定する。
「じょ、冗談はよしてくださいよ。確かにメロンは頭が良くて美人だとは思うけれど、彼女ほどの女の子は僕にはもったいないですよ」
「それってお前の意見だよな? メロンちゃんの気持ちは確かめたのか?」
もう一人の若い男が混ぜっ返すと、アルケーは哀しそうに笑って答える。
「いえ、彼女にそんなこと言って、二度とここに来なくなっても嫌だし」
すると彼らの雑談を笑いながら聞いていたデュクシが、アルケーに呼び掛ける。
「アルケー、俺もお嬢さんと話をしたが、あの子は掘り出しもんだぜ。お前とあの子が所帯を持ってくれりゃあ、この村の未来も明るいってもんだ」
「はあ……でもメロンの気持ちが分からないんで……」
口ごもるアルケーに、デュクシはニコリとして
「じゃ、確かめてみることだな。おい、俺たちはちょっと席を外そうぜ」
そう言うと、その場にいた男たちを連れて村の方へぞろぞろと下りて行った。
「え?」
あっけに取られたアルケーだったが、デュクシが見ていた方に視線を向けると途端に顔を赤くする。そこにはマロンが顔を赤くしてエピメイアとともに立っていたからだ。
「メ、メロン。いつからそこに?」
慌てた様子でアルケーが言うと、マロンは薄く笑って
「ついさっきです。デュクシさんがわたくしとあなたが所帯を持てば、と言われた時からですね」
そう答えて、アルケーが狼狽して何かを言い出さないうちに、マロンは真面目な顔になって言う。
「あの、それでアルケーさんにちょっとお話があるんですが」
アルケーはマロンの雰囲気があまりにもシリアスなので、恥ずかしさも忘れて
「何だろう? それにメロン、そちらの女性は?」
そう、エピメイアを見て訊く。
するとエピメイアは幼い顔に不気味な笑みを浮かべて、いきなり魔力を発動する。
「うっ!?」
エピメイアの紫色した瘴気のような魔力がアルケーを包み、彼は気を失ってしまう。
いや、エピメイアの魔力に捕らわれたのは彼だけではなかった。マロンもまた、エピメイアの魔力で自由を奪われていたのだ。
「! エピメイア様、一体何をなさるのですか?」
紫の魔力に締め付けられながらマロンが苦し気に問うと、エピメイアはラピスラズリのような瞳を持つ眼を細め、マロンに笑いかける。それはマロンが今まで見たことがないほど凶悪で不吉な笑いだった。
『何って、君が余計なことを調べ回るからだよ。せっかくお姉様の摂理を書き換えるための準備が出来上がりそうなのに、今君にしゃしゃり出て来られたら邪魔なんだ』
マロンはエピメイアが言った意味をとっさには理解できなかった。しかしエピメイアが気を失っているアルケーに向かって、
『アルケー・クロウ、君はこの世の真理を知り、その真理を今の時代に合わせて変革しないといけない。さあ、目覚めて君が為すべきことを為すんだ』
そう命令するのを聞き、顔を引きつらせた。
「エピメイア様、まさかアルケーは……」
マロンの絶望がこもった問い掛けに、エピメイアは笑って
『マロン、君はフォルニカとテンプターティオの神話は知っているよね? 世界には表裏があり、人間には善悪がある……そのことを教えてくれるのがあの神話だ。
そしてそこに登場するアルケーは、善悪どちらのこともよく知っている存在として書かれている。つまり善だけではこの世は成り立たない、善を語るためにはまず悪を知らねばならないんだ』
そう言うと、
『今の世界を見てごらん。せっかくお姉様と一緒に人間という存在を創り、世界の監督を任せたのに、余りにも停滞していない? 摂理とは同じような風景を繰り返すためのものじゃない、成長し発展し、やがては衰亡する、その流れを規定するものだと思うけど?』
空を見上げてうそぶくエピメイアだった。
「……だから、人々に鉄や銅、錫の使い方を教え、綿や小麦など大地を収奪する業を伝えたんですね?」
マロンは今こそ悟った。アルケーがあれほどの知識を持っていたのは、すべてエピメイアが彼をそうなるように造ったからだと。
マロンの言葉を受け止めたエピメイアは、勝ち誇ったような顔で言う。
『そうだよ。おかげで人間は山脈を越え、新たな住処を勝ち得ることができたじゃない。
最初のアルケーは人間に善悪を教え、君のアルケーは人間に発展を教えるだろう。どうだい、誇らしいだろう?』
「だからアルケーを創ったんですか? 摂理を守るべきお方が、摂理を書き換えるためだけに命を玩んだって言うんですか!?」
激高して叫ぶマロンに、エピメイアは冷たい眼差しを注ぎ、
『君のアルケーだってこの世界に必要だから生まれてきたんだよ? ただ、まだアルケーには足りないものがある。それは『摂理の力』だ。彼が『摂理の力』を手に入れたとき、彼は神話の中のアルケーとなる』
そう言いながら、エピメイアはマロンの胸元に手を伸ばす。その手は紫の魔力を噴き出していた。
「まさか!?」
マロンの顔色が青ざめる。マロンの引きつった顔を心地良さげに見下ろしながら、エピメイアは薄く笑って言った。
『察しが良いね? 君の『摂理の力』をアルケーに移すのさ。大丈夫、君とアルケーの記憶は少し改変して、二人が幸せに暮らせるようにしてあげるから』
そう言いながら、エピメイアはマロンの胸に手を差し込んだ。
★ ★ ★ ★ ★
「ジン様、落ち着いてください!」
僕はサラさんの大声で我に返った。目の前にはアクエリアス様が沈痛な面持ちで僕を見ているし、サラさんは心配そうな、そしてどことなく脅えた表情で僕を見ていた。
「……ジン様、魔力を鎮めてください。アクエリアス様の御前ですよ?」
サラさんから言われて初めて、僕は身体中から紫紺の魔力を噴き出しているのに気付き、
「あ……すみません」
そう言って魔力を鎮めた。
『やはり、あなたの魔力はとてつもなく大きいですね。あなたが魔王側に付いてしまったら、私たち四神もかなりの苦戦を強いられることでしょう』
ため息をつくアクエリアス様に、僕は静かに訊いた。
「神の意思に拠らずして造られた存在アルケー・クロウと、力と記憶を奪われた精霊王マロン・デヴァステータ、二人から始まったのがクロウ一族ということですね。そして二人は魔物と呼ばれるものたちを生み出していったのか……それで、エピメイアはどうなったのです?」
アクエリアス様はチラリとサラさんを見て、
『サラ神官長、これはあなたも、そしてバウム大神官も知らないことだと思います。時が来るまで、私が話すことは他言無用です』
そう念を押し、僕とサラさんがうなずくのを見て、衝撃的なことを告げた。
『エピメイアは、アルケーとマロンによって封印されました。二人でかかってもエピメイアを打ち倒すことは困難だったようです。二人とも魔力と生命力を使い果たすほどの壮絶な戦いでした。エピメイアが封印された場所は『約束の地』と呼ばれています』
サラさんは、
「それでエピメイアには『運命の供与者』と『偽への背反者』という二つの名があったんですね。どうしてエピメイアにまったく反対の意味を示す二つの名が与えられたのか、プロノイア様と双子と伝わるのに敬称をもって呼ばれないのは何故かって不思議に思っておりました」
納得顔でそう言う。
僕は
「それで、『約束の地』とは具体的にどこのことを指しているのでしょうか? 僕の記憶では、『伝説の英雄』が魔王と戦った地のことをそう呼んでいたと思いますが」
そう訊いてみた。
するとアクエリアス様はその質問には直接答えずに、
『さて、今までの話を整理しましょう。アルケー・クロウとは神話と歴史上の二人いて、そのうち2千年前にエピメイアによって造られたアルケーは、木の精霊王マロンの力を得て魔族を生み出しましたが、やがて自らの産みの親とも言えるエピメイアに反抗し、それを『約束の地』に封印しました。ここまではいいですね?』
そう言って僕を見る。僕はうなずいた。
『では、『約束の地』とはどこか? そもそも何を『約束』した地なのか?……それはアルケーとマロンが力尽きる際、お互いに『次に出会った時、エピメイアが蘇ることがあれば、今度こそ止めを刺そう』と誓ったからだと伝わっています』
そう言った後、アクエリアス様は
『ジン・ライム殿、聡いあなたならもう判っているでしょうが、本来『約束の地』とは『偽の反逆者』であるエピメイアを封印した場所。そして魔王とはアルケーがエピメイアと戦ったとき、エピメイアに協力した魔物たちの首魁のこと。両者はまったく別個の存在です。
『摂理の黄昏』とはエピメイアがプロノイア様の摂理に挑戦しようとした事象を指す言葉でしたが、転じて『摂理の根本を揺るがす事件』を指すようになりました。ですから、エピメイアの残留思念が『摂理の黄昏』を引き起こすことはあっても、それは『魔王の降臨』とは直接の関係はありません。連動することは大いに考えられますが』
そう言った後、驚くべきことを教えてくださった。
『ジン・ライム殿、実はこの世界にいる『魔王』は、魔物の首魁や最も強い魔物を指す言葉で、摂理への挑戦を目論めるほどの魔物は存在しえません。
さっきも言いましたが、『摂理の黄昏』と『魔王の降臨』は根本が同じでも事象としては個別のものです。恐らく、『摂理の黄昏』の時に魔物が増え、魔王が現れるので『魔王の降臨』と呼ばれているのだと思いますが、私たちが最も恐れるべきなのは、『摂理の黄昏』を引き起こす何者かであり、それはまだ判明していないのです』
(もしそうなら、ワインが読ませてくれた『魔王と勇者の書』に書かれていた『魔王の心臓』とは何を表しているんだ?)
僕はそんな疑問が浮かんだが、その時は頭の中がまだゴチャゴチャしていたので何となく聞き流してしまった。もしもワインがこの場にいたら、『摂理という包括的な概念に対し、その概念を否定するような意思は存在しえるのか?』という根源的な問題に気付いていただろう。
けれど、アクエリアス様が僕とサラさんに、
『ジン・ライム殿、あなたと仲間たちの武運を祈ります。最初に言ったとおり、エレクラ様を訪ねてみるのがいいでしょう。
サラ神官長、この神殿も安全ではなくなったのなら、あなたはジン殿を助けてエレクラ様の神殿まで彼を案内して差し上げなさい。私はいつも、あなた方と共にあります。私の言葉を無駄にしてはいけませんよ?』
そう笑って促したので、サラさんと共にアクエリアス様のもとを辞した。
「ジン様、随分時間がかかりましたね? アクエリアス様のお告げはいかがでしたか?」
僕の姿を見て真っ先に駆け寄ってきたのはネルコワさんだった。
「うん、先ずはエレクラ様の神殿に行ってみるといいってお告げだった。サラさんの話ではエレクラ様の神殿はカッツェガルテンの南東にあるそうだから、ヴェーゼシュッツェンを先に取り戻した方がいいかもしれないな」
僕がそう言うと、黙って僕を見ていたサリュさんが、
「いや、アクエリアス様が先にエレクラ様の話を聞いた方がいいと仰ったのなら、言われたとおりにした方がいい。ボクはいったん里に帰り、ヴェーゼシュッツェン攻略について作戦と準備を巡らせておこう。ジビエ、キミはどうする?」
そう訊くと、ジビエさんは僕を見ながら、
「そ、そうか。それじゃアタイもって言いたいけれど、ジン様とおちびちゃんたちだけじゃ心配だから、アタイはジン様について行くよ。ビーフ、いいだろう?」
そうビーフさんに訊くと、ビーフさんは溜息をつきながら
「まあ、お嬢の性格じゃそう言うと思っていましたよ。分かりました、マトンさんやポークにはちゃんと伝えておきますが、くれぐれも無茶だけはご勘弁願いますよ?」
そう答える。
ネルコワさんはムッとした様子で、ジビエさんに食って掛かった。
「ちょっと! 何度言ったら分かるんです? 私の名はネルコワ・ヨクソダッツです。
それにわたくしが役立たずみたいな言い方は心外ですわ。前言を撤回していただけませんこと?」
「おちびちゃん、アタイはアンタが役に立たないって言ってんじゃないんだ。アンタはヴェーゼシュッツェンの正式な後継者なんだろう? つまりアタイたちがヴェーゼシュッツェンを攻める大義はアンタがいてこそなんだよ。そんなアンタを危険な目に遭わせるわけにはいかないだろうし、いかにジン様が強くても、アンタのお供が有能でも、ここは一人でも仲間が多い方がいいだろうって思ったんだ」
ジビエさんはニコニコしながら言う。なんていうか、ジビエさんってあっけらかんとして気持ちがいい女の子だなって思った。
僕はネルコワさんが不服そうな顔をしながら、なんて言い返そうか考えているところに
「ジビエさん、ありがとう。でも本当に君がいなくてオーガ族の方は大丈夫かい? 君の力を借りる場面はこれからもきっと多いはずだから、無理だけはしてほしくないんだけれど?」
そう言うと、ジビエさんは
「ああ、そこは気にしなくてもいいよ。親父……じゃなかった族長からは好きにしていいって言って貰ってるし、アタイの部隊についてはマトンやビーフがいるからね。アタイたちがエレクラ様の神殿を出るころには、出撃準備は終わっていると思うよ?」
そう言って笑った後、
「ところでジン様、こっからエレクラ様の神殿までは結構な距離があります。その間、どこにも立ち寄らないってことは不可能でしょう。アタイはいったんカッツェガルテンに立ち寄りたいですね」
そう、マジメな顔をして言ってくる。
「それがいいね。エレクラ様の神殿までは2週間はかかるだろうからね。ボクもそれをお勧めするよ、ジン」
サリュさんもジビエさんの言葉に賛成する。
(カッツェガルテンか。ウェカも僕がどうしているか心配しているだろうし、それが一番いいかもしれない。でも、ネルコワさんがそれを受け入れてくれるかどうかだな。結構ネルコワさんって負けず嫌いみたいだし)
僕がそう思ってネルコワさんの顔を見ると、彼女はフンッと言った感じで顔をそむけて言った。
「だから、どうしてわたくしの顔色を窺うようなことをされるんですか? わたくしも救援要請を受けてくれたカッツェガルテンには恩義も感じていますし、その執政官であるウェカ様にも、一言お礼を言いたいと考えていたところですわ」
僕はホッとして、
「ネルコワさん……ネルコワがそう言ってくれるんなら、ウェカに頼んでいた各ポリスへの呼びかけの進捗も気になるから、カッツェガルテンに向かうことにしよう。それでいいね?」
ネルコワさんがギロッと僕を睨んだので、慌てて言い直して提案すると、彼女はなぜだかにんまりと笑ってご機嫌でうなずいた。
「ええ、いいわよ」
そして彼女は、僕に聞こえないくらいの小声でつぶやいたのだった。
「……ウェカさんとわたくし、どちらがジン様に相応しいか、この目で確かめられる絶好の機会ですものね」
(魔神を狩ろう その8へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
クロウ一族の秘密の一端が開かされましたが、それが更なる謎を呼ぶことになりました。
ジンは5千年前の世界で何を知り、何を成し遂げるのか?それが彼の運命を暗示しているような気がします。
では、次回もお楽しみに。




