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キャバリア・スラップスティック  作者: シベリウスP
違う時空の昔物語編
44/153

Tournament44 Fiends hunting:Part4(魔神を狩ろう!その4:動揺)

大賢人が精霊覇王の質問状に焦りを見せる中、エレーナは賢者マーリンをジンの味方につけるために彼の研究所を訪れていた。

その頃ジンたちは、ともに『摂理の黄昏』に対応すべくオーガ族たちが住む場所に向かっていた。

【主な登場人物紹介】


■主人公ジン・ライムが5千年前の世界で出会った人たち

♡ウェカ・スクロルム 15歳 金髪碧眼の美少女。弓が得意なアタシっ子。5千年前の時空のカッツェガルテンというまちで出会った。貴族の娘だが弱い者に対する同情と理解が深い。ジンを運命の相手として慕っている。


♤ザコ・ガイル 22歳 茶髪碧眼のオーガの青年。大剣をぶん回す俺っち戦士。ウェカと同じくカッツェガルテンに住んでいた。鍛冶屋の息子だがウェカの同志的存在。戦術的才能があり、ウェカに乞われてスクロルム家の私兵を率いている。


♡マル・セロン 22歳 黒髪黒眼のエルフの美女。剣の腕も確かだが本職は書記で、カッツェガルテンの民政を引き受けている。性格は冷静で、ウェカを妹のように可愛がっている。ザコとは幼馴染である。


♡ネルコワ・ヨクソダッツ 13歳。茶髪で黒い瞳を持つヴェーゼシュッツェンの後継者。父の戦死と家臣団の離反で殺されそうになっていたところを、従姉の忠臣アーマ・ザッケンに救われ、カッツェガルテンにアーマの妹アーカ・ザッケンを遣わして救援要請した。


   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「ジン様、わたくしたちは一刻も早くオーガ族のいるホルストラントを目指す必要がございます。旅の間、アーマやアーカ同様、わたくしの側で相談に乗っていただけませんか?」


 ネルコワさんが僕を真っ直ぐ見て言う。その瞳は絶大な信頼を込めてきらめいている。


「もちろんだよ。そのために僕はここに来たんだから。この場所はもう魔物たちに知られてしまっている。すぐに準備にかかり、できるだけ早くここを離れよう」


 僕がそう答えると、見た目には不釣り合いなほど老成した少女は、年相応の可愛らしい笑みを浮かべて頷いた。


「ではすぐにアーマに命じて出発の準備を整えさせます。ジン様もご準備をお願いいたします」


 ネルコワさんはそう言うとアーマ将軍とアーカさんを招き入れ、1時間以内の行動開始を命令する。


「ここからホルストラントは山々を越えて行かねばなりませんが、兵糧だけは切らさないようにお願いするわね? わたくしを信じて困難な道をともに歩いてくれる兵士たちですもの、せめてひもじい思いだけはさせたくないの」


 ネルコワさんの言葉を聞き、アーカさんは深く頷いて答えた。


「お気持ちはよく分かりました。兵たちを飢えさせぬようできる限りの努力をいたします」


 ヴェーゼシュッツェンの部隊は1時間もしないうちにアーマ将軍の号令一下、遥か北西のホルストラントへと動き始めた。


「ホルストラントまでどのくらいかかりますか?」


 僕が隣を歩くネルコワさんに訊くと、その前を歩いているアーカさんが振り返って答えてくれる。


「ホルストラントはヒーロイ大陸の北西端に位置します。普通に考えたら、ここから強行軍でひと月というところですね」


 ひと月もかかるのであれば、何回も魔物たちと戦わなければならないだろう。僕の手に余る魔物が出現したり、捌ききれないほどの物量作戦で来られたりしたらひとたまりもない。これは何らかの工夫が必要だった。


 一瞬、


(このまま敵と戦ってジリ貧になるより、アーマ将軍の要望どおりヴェーゼシュッツェンを落としてネルコワさんたちをそこに入れ、ホルストラントには僕一人で行くべきじゃないか?)


 そう思ったが、ネルコワさんが


「大丈夫です。兵士たちも魔物と戦いながら成長しています。ジン様から魔物との戦い方についてアドバイスしていただけると助かります」


 そう言って笑うので、僕はネルコワさんをまじまじと見てしまった。


「どうしました? わたくしの顔に何かついているのですか?」


 ネルコワさんが目を丸くして訊く。僕は先ほどから危惧していたことを正直に話した。


「実は、ホルストラントまでひと月かかるんであれば、ネルコワたちをヴェーゼシュッツェンに入れてから僕一人で行こうかとも思っているんだ」


 するとネルコワさんは


「心配していただきありがたいですが、ジン様はホルストラントへの道をご存じないでしょう? 魔物たちが襲って来たならともに戦ってくれればいいのです。それにアーカは転移魔法陣が使えますし、いざとなってもご心配は要りません」


 そう言うと、僕の側に寄ってきて小声で


「それに、わたくしはジン様がどのように『摂理の黄昏』を乗り切ろうとされるのか、とっても興味があります。ですからウェカ様には悪いですが、わたくしはジン様の側を離れたくありません」


 そうささやくと、とても13歳とは思えない妖艶な笑みを見せた。



 僕たちは次の日にはヴェーゼシュッツェンを囲む山塊を抜けて、原生林に覆われた低い山脈に足を踏み入れた。アーカさんの転移魔法陣を使ったとはいえ、たった一日で2百マイル(この世界で約370キロ)は行軍距離としては常識やぶりだった。この分ではひと月どころか1週間ほどでホルストラントに行きつけそうだ。


 この山脈はオーガ族やユニコーン族が住んでいるホルストラントの台地地帯に直結している。人間をはじめ定住しているものはほとんどいないため、魔物たちも軍を進出させてはいない。すなわち、ここまで来れば発見される公算がかなり低くなったと言える。


「いいペースです。この分で行けば、ホルストラントまであと3日で到着します」


 軍を率いているアーマ将軍が頬を緩める。いかに精鋭をそろえていると言ってもわずかに2百の手勢では、群がり寄せる魔物との戦いには自信が持てなかったのだろう。ましてや彼女はネルコワさんの安全確保を最重要の目的にしているようだったから余計にプレッシャーを感じていたに違いない。


「敵に見つからないのはいいことよ。道なき道を行軍しているから、食料調達の点でアーカには苦労をかけるけど」


 ネルコワさんがすまなそうに言うと、アーカさんは


「大事な兵士が消耗することと比べれば、物資調達はそんなに苦じゃありません。幸いこの森には食べられる草や獣も多いので、3日くらいなら食料が枯渇する恐れはありません」


 明るい声で返事をする。


「そう、それは安心したわ……あら、何事かしら?」


 ネルコワさんが頷いたとき、隊列の先頭が大きく乱れた。


「見て参ります。アーカ、公子様を」

「はい」


 アーマ将軍が槍を取って先頭の部隊に駆け出すと、アーカさんはネルコワさんを守るように周囲を窺った。


「かなりの魔力を感じます。ジン様、よければアーマ将軍と一緒に前方に出てはいただけませんか?」


 ネルコワさんが心配顔で僕に頼んできた。もとより僕も魔力の接近には気付いていたので、二つ返事で引き受ける。


「分かりました。魔力の質から見て魔物とは違うみたいですが、何が起こるか分からないから僕も前に出ようと思っていたところです」


「お願いします。あなたが行かれれば、心配は要りませんね?」


 僕はネルコワさんの信頼の眼差しを受けながら、アーマ将軍の後を追った。



 僕が先頭部隊に追い付いてみると、そこには見たこともない一隊が道を塞いでいた。


 先頭には身長170センチほどの赤毛の女性が、灼眼を怒らしながら突っ立っている。身に付けているのは粗末な麻の上下だが、頑丈そうな革鎧といい、左手に持った重そうなこん棒といい、彼女はオーガであることは明らかだった。


「どこの国の部隊だい? この辺りはアタイたちホルストラントの住人の縄張りだよ? 勝手にシカやイノシシを狩ってもらっちゃ困るんだがね?」


 オーガ部隊の指揮官なんだろう、赤毛の女性は大声で僕らを威嚇しているようだった。


 アーマ将軍は困ったような顔でそれに答えている。


「おれたちはヴェーゼシュッツェンから来た。魔物の跳梁を何とかしたいのでそなたらオーガやユニコーン族に協力をお願いしに行く途中だ。そなたたちの猟場を荒らしたことは謝るが、おれたちをヴォルフ族長のところまで案内してもらえれば助かる」


「なに、魔物?」


 赤毛の女性はびっくりしたようだった。とすると、魔物たちはホルストラントに手出しはしていないのかもしれない。


「そうだ。昨年から魔物がヒーロイ大陸を跋扈し、ほとんどの地域で乱暴狼藉を働いているんだ。『摂理の黄昏』が始まっているとの噂もある。力を貸してほしいんだ」


 僕がそう言いながらアーマ将軍の隣に立つと、オーガの女性はさらにびっくりした様子で僕に問いかけて来た。


「アンタ、まさか人間じゃないだろうね? それに『摂理の黄昏』が始まってるかもしれないだって?」


「僕の名はジン・ライム、人間だ。『摂理の黄昏』のことを知っているなら、僕たちの話を聞いてもらえないか?」


 僕が名乗ると、彼女は居住まいを正して


「アタイはジビエ・デイナイト。なんか重大な話みたいだから、族長の所に案内するよ。ついておいで」


 そう言うと、部隊の戦闘態勢を解いた。


 僕はネルコワさんの代わりに、ジビエさんのオーガ部隊に加わった。まあ、ていのいい人質みたいなものだ。ジビエさんの立場になって考えたら、2百程度とはいえ完全武装の一軍を本国に連れて行こうと言うのだ、そのくらいの用心はあって当然だ。


 といってネルコワさんがヴェーゼシュッツェン隊の核である以上、彼女を人質になんてできない。やはりここは僕がジビエさんのもとに行くしかなかった。


 ジビエさんが率いていたのは50人ほどの小部隊だったが、全員がたくましく、戦闘慣れしているみたいだった。彼女の話ではホルストラントにいるオーガ族は3万ほどの軍を持っているらしく、側で暮らしているユニコーン族も同じくらいの軍を持っているそうだ。


「それにしても、アンタ本当に人間かい? アンタみたいな戦士がいるなんて、今までまったく知らなかったよ」


 隣を歩くジビエさんは、僕をしげしげと眺めながら感心したように言う。


 僕は彼女が竹を割ったような気性で、小細工を嫌い正々堂々とした態度を好む女性だと感じたので、何も隠さず話すことにした。


「信じてもらえないかもしれませんが、僕は違う世界からやって来ました」


 僕がそう言うと、ジビエさんは急に鋭い目で僕を見て。


「親父……いや、族長から聞いたことがあるよ。『四神の摂理が乱れる時、世界の外から英雄が現れる』ってね。アンタの魔力は飛び抜けているし、アタイが見たこともない波動を放っている。アタイは難しい理屈は知らないけど、アンタの魔力を見るだけでアンタが嘘をついていないことは分かるよ」


 そう言って笑った。



 ジビエさんの部隊とともに行軍すること二日、僕たちは広大な平野を見下ろす峠の上にいた。北西山地の山々を知悉するジビエさんの案内で、僕たちは予想よりも早く目的地であるホルストラントに足を踏み入れることができたのだ。


「峠道を下りたらアタイたちの里さ。ただし、里への出入りは簡単じゃないよ。番兵が怪しいって思ったら絶対に通さないからね。事前にアタイに出会ってよかったね?」


 ジビエさんが笑って言ったように、里はごつい城壁で堅固に守られていて、城門は強面のお兄さんたちが厳重に警戒していた。


 僕たちもかなり胡散臭い目で見られたが、


「この人たちはアタイがここまで案内してきたのさ。里にとって重大な用事があるそうだから、別に怪しまなくてもいいよ」


 ジビエさんがそう口添えしてくれたおかげで、すんなりと里の中に入れた。


 城壁の中はカッツェガルテンやヴェーゼシュッツェンのように街並みが広がっているのかと思ったらそうではなく、まず目に付いたのは豊かなブナや樫、椎などの林だった。


「アンタたちのことは事前に親父……じゃなかった族長には通知しているよ。まず、率いている部隊はこの辺りで野営してもらうことになる。食料は商人をここに寄越すから適当に調達していい。アンタと姫はアタイの家に来るといい」


 こうして僕とネルコワさんは、ジビエさんに連れられて彼女の屋敷に向かった。


「今戻ったよ、じい。このお二人はアタイの賓客さ。一番いい部屋をあてがってやっておくれ」


 ジビエさんは玄関の脇で待っていた男の人にそう声をかける。その男性は白い立派なひげを蓄えていたが、『じい』というほど老人でもなかった。


「かしこまりました。ではお客様方、どうぞこちらへ」


 僕らは彼の案内により、離れに一部屋ずつ与えられた。


 ジビエさんの屋敷は周囲に掘と櫓を併設した板塀を巡らし、その敷地自体が一個の砦になっていた。そして家屋の方はジビエさんが居住する屋敷は石造りの質実剛健なもので、華美さは少しもなかったが、通路のあちこちに白い花の一輪挿しが置いてあったのが印象的だった。


 僕は部屋にはいるとすぐ、寝台の下や机の下、果ては壁に掛けてある額縁の裏にいたるまで、変な魔力が残っていないかを確認した。以前ド・ヴァンさんから聞いた、『そこが本当に気を緩めていい場所かを確認すること』の大切さを思い出したからだ。


 一通り調べて気になるものは何もないと安心したとき、ドアが静かにノックされる。


「何かご用事ですか? 鍵はかけていませんのでどうぞ」


 僕がドアに向かって声をかけると、ネルコワさんが硬い顔をして入って来た。


「ジン様、ちょっとお話ししてもいいですか?」


 そう言いながらネルコワさんはずんずんと僕の前まで歩を進めると、寝台に勝手に腰かける。拒絶されるなどとは微塵も思っていない振る舞いだった。


「話って何だい、ネルコワ?」


 僕が訊くと、ネルコワさんはにこっと笑って


「あら、忘れちゃった? オーガ族長ヴォルフは誇り高い戦士だから、容易く他人の意見には流されないわよって話したことがあったわよね?」


 そう言いながら僕の顔を覗き込んでくる。


「その事は覚えている。そのときネルコワは、いいヒントをくれるって言っていた覚えもあるけれど?」


 僕が答えると、ネルコワさんは満足げに手を叩くと、


「よくできました。わたくしはそのことをジン様にお話ししに来たの」


 大人びた口調で言う。


「僕はこの世界の過去をよく知らないから、『摂理の黄昏』が近づいてきていると言っても客観性に欠ける。それに何より胡散臭く思われてしまうだろう。

どうやったらそんな先入観を抱かせずに話が出来るかって思案していたんだ。何かヒントがあれば本当に助かるよ」


 僕の言葉を聞いて、ネルコワさんは不思議な笑みを浮かべて首を振る。


「わたくしはジン様がこの世界の人間ではないってこと、割とすんなり受け入れられました。さっきまでのジビエ殿の様子を見ていると、彼女もあなたが別の世界から来たことをいぶかしく思っている様子はありませんでした」


 そう言うとネルコワさんは僕に微笑みかけて、


「今は誰もが不安を抱えて生きています。オーガ族やユニコーン族にしても、魔物たちが跋扈していることを族長が知らぬはずがありません。

そんな時、古くからの言い伝えにあるようにあなたが現れた。あなたに対して期待を寄せない人がいるでしょうか?」


 寝台から立ち上がると、ネルコワさんはゆっくりと僕に近づきながら、僕をかわゆく睨んだ。


「いいえ、よっぽど危機感がない人でもない限り、あなたのことを『時を超えて来た英雄』だと信じるはずです。ジビエ殿やウェカ様、そしてわたくしがそうであるように」


「ネルコワさ……」


 思わずそう言いかけた僕のくちびるは、ネルコワさんの小さくて柔らかい指で押さえられる。いい匂いがする指だった。


「ネルコワ。今度言い間違ったらペナルティね?」


 彼女は一瞬小悪魔のような笑いを浮かべたが、すぐに真顔に戻って言う。


「だからジン様は自信を持って信じるところを説けばいいわ。必要ならわたくしが補足いたします」


   ★ ★ ★ ★ ★


 ヒーロイ大陸とホッカノ大陸、この両大陸に住む魔法使いは、すべて『賢者会議』の統率下にある。


 『賢者会議』は大賢人を中心に四人の四方賢者によって構成される合議体で、摂理の保持と『魔王の降臨』の阻止を大きな目的に、魔法使いのルールの制定・施行、賢者や博士などの位階の認定やはく奪、そして国家間の周旋を行ってきた。


 それほどの権威や権力を持つ『賢者会議』である、全国の魔導士や魔戦士といった者たちはもちろん、平生は薬の調合や占いくらいしか活動していない魔法使いですら、大きな信頼と尊敬の念を寄せていた。


 しかし、土の精霊覇王エレクラが突きつけた『質問状』は、大きな動揺を『賢者会議』、正しくは大賢人マークスマンに与えた。


「まずい、『質問状』は各国の君主にも送られているという。これほどのことをこれだけ大々的に公にするからには、エレクラは余程の証拠をつかんでいるに違いない。どう回答したものか」


 マークスマンは自室からセー・セラギ川の川面を眺めて呻吟する。思えばエレクラは自分が『組織ウニタルム』と接触を始めた頃、その姿を晦ましている。


「フェーデルとの約束も果たさねばならないというのに、どうしてわしの計画にはこんなにケチがつくのだ」


 そうつぶやいたマークスマンは、激情を抑えきれずに立ち上がる。『質問状』が出て以来、賢者スラッグはアルクニー公に呼び出されてずっと留守勝ちだし、マークスマンに心酔していた賢者アサルトすら彼から距離を取り始めていた。


(あとは賢者ハンドとライフルか。彼らが早くジン・クロウを見つけ出してくれさえすれば……)


 降りかかる火の粉にすっかり意識を集中してしまったマークスマンは、もう一人、かなり厄介な相手を失念してしまっていた。



 その『厄介な相手』である金髪碧眼の美女は、マジツエー帝国の帝都シャーングリラ近くに姿を現した。歳のころは25・6歳、身長は165センチ程度で、この大陸の女性としては高い部類である。


「ヴィクトールさんの話では、ウンターシャーングリラに通じる道はこの辺りに開いているらしいけど……」


 その女性はそんなことをつぶやきながら、周囲を油断なく見回している。少し幼く見える顔の割には、何度も危ない橋を渡ってきたような雰囲気が感じられた。


 ほどなくして彼女の眼は、森の中に向かっている獣道に止まった。一見何の変哲もない細道だが、その途中にある空間の歪みを彼女は見逃さなかった。


「ふーん、前回マーリン様の所を訪れた時と違って、結構あっさりと見つけられたわね。ひょっとしてマーリン様は隠遁生活を止めたのかしら」


 彼女がそう言いながら空間の歪みを拡大しようと歩み寄ったとき、その歪みは周囲の空間をぐにゃりと歪ませながら広がった。


「何!? 私はまだ何もしていないのに?」


 彼女は思わず後ずさったが、次の瞬間、空間の歪みから現れた人物に息を飲んだ。


「久しぶりだね、エレーナ・ライム。いや、四方賢者スナイプと言うべきかな? 君が来ることは僕の古い友人から連絡を受けていたよ」


 亜麻色の髪をしたその人物は、碧眼に優しい光を込めてエレーナを見つめて言った。


 エレーナは、イタズラが見つかった子どものようにバツの悪そうな笑顔で


「いろいろあって、私はもう四方賢者じゃなくなったんです。そのことも含めて、マーリン様にお願いしたいことがあってここに来ました」


 そう言うと、マーリンは形のいいあごを指でつまんで、


「ふむ、まずは話を聞いてみないことには始まらない。僕の研究室ラボに来るといい」


 そう言うと、エレーナとともに空間の歪みに消えた。



 ウンターシャーングリラは、地図に載っていない集落である。集落とは言っても、ここに常時住んでいるのは賢者マーリン一人であることを、一度ここを訪れたことがあるエレーナは知っていた。


 そのエレーナが不思議に思ったことは、マーリンのラボから百メートルほど離れた小屋から、常人離れした魔力が感じられたことである。


 エレーナの表情を読んだのか、マーリンは静かな声で


「あの小屋には、『組織ウニタルム』から派遣されてきたバーディー・パーという女性を閉じ込めている。彼女は過去に何か辛いことがあったんだろう。彼女の希望で、心が落ち着き魔力の暴走が収まるまで一人にしてほしいとのことだ。君も興味はあるだろうが、彼女のために今はあそこには近づかないことだな」


 そう説明する。


「何のために『組織』が? 自律的魔人形エランドールのためですか?」


 賢者マーリンはエランドール創作の基礎となる『クオリアス理論』を構築した錬金術師だ。エレーナはてっきりバーディーはその神髄を探りに来たのだと思ってそう訊いたが、マーリンは首を横に振った。


「いや、エランドールのためならアイザック・テモフモフに訊けばいいことだ。彼は恐らく僕の理論を完璧に理解しているただ一人の人物だからね。

彼女が僕を訪ねて来たのは、彼女の言葉によれば僕がまだドン・ペリーと名乗っていた時期のことを訊くためだそうだ」


「それはマジツエー帝国建国以前のことを訊きに来たってことですか? 何か特別な事情でも隠されているのでしょうか?」


 納得しがたいような顔でエレーナが訊くと、マーリンは薄く笑って答えた。


「いや、ドン・ペリーがナイフ・イクサガスキーに移民団の統率を委ねたのは、歴史にあるとおりドン・ペリーが『摂理の調律者(プロノイア)の予言書』を研究するためだったし、その後移民団がインストン・ヒューストンとベンジャミン・インターが主張する内陸派とラルフ・カッセルを味方に付けたイクサガスキーの沿岸派に別れて抗争したのも事実だ。

そこには歴史の闇に埋もれた真実など何も存在しないんだ。僕も訊かれたときには何一つ隠しはしないし、嘘もついていない」


 そして一つため息をつき、


「彼女を僕の所に差し向けたのはウェンディらしい。

5千年を超える時を生きて来て、エレクラとともに『摂理の黄昏』も乗り越えてきたウェンディだ、マジツエー帝国の建国というたかだか5百数十年前の出来事など、僕に訊かなくても先刻承知のはずだ。

そう考えた時、僕はウェンディが本当に知りたいのは『プロノイアの予言書』に書かれている世界や摂理の秘密と、それを僕がどう解き明かしたのかってことだろうと気づいた」


 そう言うと再びバーディーが閉じ籠っている小屋を眺め、


「それをバーディーに確かめたところ、彼女が受けていた命令や『組織』の現状を知っている限り話してくれた。

彼女の話から想像すると、ウェンディは『盟主様』と呼ばれる存在の考えに対し、決して手放しで賛成しているわけでもなさそうだ」


 そう難しい顔で言った。


(確かに、ウェンディはジンくんに対して何か期待するところがあるって言ってたわね。だから彼女は私たちにも概して友好的なのね)


 エレーナがそう思ったとき、マーリンは哀しそうにつぶやいた。


「摂理の秘密は人間が背負いきれるものではない。けれどそれを知りたがっている者には、常に伝えられるべきものだ。

ウェンディが心底それを知りたいのなら、バーディーを寄こすのではなく、彼女自らがここに来るべきだったんだ」


 エレーナはそれを聞いたとき、背筋に冷たいものを感じてマーリンに問いかけた。


「あの、マーリン様、ひょっとしてその秘密をバーディーに?」


 マーリンは翠色の瞳をエレーナに向けて頷いた。ひどく冷たい瞳だった。


「秘密というものは、知りたいと希求する者には常に開かれているものなんだ。そしてそれを拒むことも、止めることも僕には許されていない。

バーディーが秘密を理解し受け止められるかは、バーディー自身にかかっているんだ」


(マーリン様は時々人間じゃないみたいに冷たい目をする。世界の秘密を知ることは神の知恵を得ることと同義だから、人間としての存在を超えたところに行ってしまったのかもしれない)


 身震いするような思いでいるエレーナに、マーリンは静かに言った。


「つい話し込んでしまったね。さっさとラボに行って、君の話を聞かないとね?」



「それで、君がここに来た理由は何かな?」


 エレーナは賢者マーリンと彼のラボで差し向かいに座った。独特の薬品の匂いや実験器具が雑然と並べられた机、薬品で焦げ目がついた床など、マーリンの部屋はエレーナが知っている頃のままだった。


「まず、私が現在置かれている立場から説明させていただきます」


 エレーナが言うと、マーリンは顔の前で手を組んでうなずく。


「その方が僕が理解しやすいと言うのなら、そうしてもらって結構だよ」


「まず、ナイカトルに幽閉されていたマイティ・クロウは、ウェンディの命令で収容所から救い出されました。現在は『約束の地』に向かっています」


「マイティ・クロウが幽閉されていた?……いや、疑問点は後でまとめて訊こう。続けてくれないかい?」


 寝耳に水だったらしくマーリンは驚いたが、すぐに感情を隠してエレーナに先を促す。


「彼の息子、ジン・ライムは仲間とともに騎士団を立ち上げ、父親を探しに旅に出ました。今はトオクニアール王国にいるはずです。彼のことは『組織』も気にして、いろいろとちょっかいをかけているみたいです」


 マーリンはそれを聞いて薄く笑った。ジンのことは彼も大まかな情報を得ているようだった。


「私は彼が旅に出るのを見逃したことと、マイティ・クロウのナイカトル脱出の報告が遅れたことで『賢者会議』を罷免され、謹慎命令を破ったことでお尋ね者扱いを受けています。今はウェンディの好意で、彼女の知り合いに匿ってもらっています。私にマーリン様を訪ねてほしいと依頼したのもその方です」


 エレーナが説明を終えると、マーリンは微笑とともに質問する。


「君を匿ってくれているという奇特な人物は誰かな?」


 エレーナは一瞬ためらって、


(ヴィクトールさんは自分の名前を出して構わないって言ったわね)


 そのことを思い出すと、


「えっと、ヴィクトール・アーセルという方ですが」


 そう答えた。


 マーリンはクスリと笑うと、


「そうかい、やっぱりね。彼は僕の古い友人だが『賢者スナイプがお前を訪ねて来る。力になってほしい』とだけ聞いていたんだ。彼はいつも詳細を語らないから、正直どんな用事か見当もつかなかった」


 そう言って、


「それで、マイティ・クロウのことだ。彼は何故、ナイカトルに幽閉されたんだ?『賢者会議』は何を考えていたんだ?」


 やや怒りを眉宇に表して訊く。


「それについては、私もはっきりしたことは分かりません。私が四方賢者に任命されたとき、すでにバーボン義兄にいさまは収容されていましたから。前任の賢者マズル様からも詳しいことは聞けませんでしたし」


 エレーナはゆるく首を振ってそう答えたが、続けて


「しかし、救出されたマイティ・クロウと話をする機会がありましたが、彼は自分に流れる魔族の血が幽閉と関係があると思っているようです。だから私にジンくんを託したんでしょう」


 そう言うと、マーリンは信じられないといった表情で首を振り、


「もしそうなら、『賢者会議』は大きな間違いを犯している。魔族の血が貴賤を決定することは断じてない。それは亜人と人間との間に生命としての優劣がないのと同じだ」


 そう強い口調で言い、


「それでマイティ・クロウは、『約束の地』に向かっているということだったね。彼がそこに着き次第、前の大賢人スリングは『風の魔障壁』を解いて魔王と戦うことになるだろうが、スリングが『風の宝玉』を持たない今、彼らに勝算はあるんだろうか?」


 そうエレーナに問いかける。


「マイティ・クロウは勝敗を度外視しています。ただエウルア姉様やエレノア姉さまとの約束を果たすために、魔王のもとに旅立ちました。『払暁の神剣』をジンくんに残して」


 エレーナの言葉を聞いて、マーリンは辛そうに


「魔を生んだ一族として、魔がもたらす災厄を自らの存在で清算しようということか……けれどそれでは根本的な解決にはならない」


 そうつぶやくと、エレーナに


「ジン・クロウのことをもっと詳しく聞きたい。彼は水の精霊王アクア・ラングを討ち破ったと聞く。『組織』も彼を今以上につけ狙うだろう。機が動く前に、できる準備は済ませておくべきだ」


 そう真剣な顔で言った。



 霧に包まれた世界がある。


 そこは白く厚い霧がヴェールのように地上の一切のものを隠し、音すら奪い去る。


 目に見えるものは古い映写機で映し出された映像のように、ぼやけて、細切れに網膜を刺激する。よほど近寄らなければ色の見分けもつかず、声すらくぐもって遠くには響かない。平板で、単調で、それでいて不穏な世界だ。


 その霧の中、四人の人影がゆっくりと動いている。


 四人は全員がフードで顔を隠し、地面に引きずるほど長いマントで身を包んでいた。


 ごく近くまで寄れば、四人が全員女性で、着ているマントも先頭の人物から順に蒼、朱、白、玄であることが判別できるだろう。また、彼女たちは闇雲に歩いているのではなく、明確な目的地があることも見て取れたかもしれない。


 やがて彼女たちの目の前に、ねじくれた幹を持つ巨木が現れる。深い霧の中、視程はわずかに10ヤード(約9・3メートル)もなかったため、唐突と言っていい現れ方だった。


 彼女たちは幹を巡り、大きなうろを見つけると一人ずつその中に入って行く。どうやらこの巨木は別の世界への結節点となっているらしい。


 実際、うろの先は幹の中ではなく、どこまでも続く砂漠だった。ただ、日差しは明るいが暑さは微塵も感じられず、目の前の砂丘は風を受けて砂を飛ばしているが風は感じられず、どことなく存在感を欠いた世界だった。『原寸大の箱庭』と言ったら、感覚的に近いだろうか。


『カトル枢機卿、今日はキミたちに訊きたいことがあるの』


 箱庭の空から声が響く。この世界をのぞき込んでいる誰かが上から声をかけて来たように思えたが、空にはガラスのような太陽が輝いているだけで、もちろん誰もいない。


「はい、何なりと」


 3番目に並んだひときわ背の高い、白いマントの女性が答える。落ち着きのある成熟した女性の声だった。


 空からの声は、じれったさと共に若干の棘を含んで四人の耳朶に届いた。


『ウソつかれるの、キライ。カトル枢機卿、みんな顔を見せて』


 四人はフードを取った。白いマントの女性は、蒼く長い髪を細い指でかき上げると、


「わたしたちは『盟主様』の下僕です。どうしてわたしたちが『盟主様』に嘘をつくことができるでしょうか?」


 まるで駄々っ子に言い聞かせるような優しい声で言った。


『じゃあ訊くね? どうしてエレクラは『組織』の悪口を言ってるの?』


「……エレクラは数万年を生きた老人。考えが旧いエレクラは『盟主様』の願いを理解できないのです」


『じゃあエレクラを仲間外れにして、ウェンディやマーレと仲良くすればいい。エレクラと仲良しはみんないなくなっちゃえばいい』


 それを聞いて、4番目に並んだ一番背が低い少女が、白い髪の下の黒曜石のような瞳を一瞬光らせて訊く。見た目の割に低い声だった。


「それはあたしたちに、エレクラや土の眷属を滅ぼせとのご命令でしょうか?」


 すると2番目に並んでいる赤毛の乙女が、緋色の瞳を持つ眼を真ん丸にして慌てて言う。


「ちょっ、ヴィンテル。それはマズいで? 土の眷属言うたらこの世界の骨組みを支えてるんやで? せめてエレクラ個人を狙うか、エレクラの側に立っとる奴らを狙うことにせな、世界がのうなってもうたら元も子もあらへんやん」


「そうだね、それはゾンメルの言うとおりだとぼくも思うよ? ヴィンテル、『盟主様』が降臨する世界をぼくたちで壊しちゃいけないんじゃないかな?」


 先頭に立っている翠の髪の乙女が、ショートカットにした頭の後ろで手を組んで言う。


『ヘルプスト、キミはどうなの? ヴィンテルの意見に賛成? それともゾンメルやフェーデルの意見が正しいと思う?』


 『盟主様』から聞かれた蒼い髪のヘルプストは、薄く笑うと答えた。


「正しいとか間違いとかではなく、エレクラの果たしてきた役割を考えてみてください。

彼は土の眷属を統率し、大地を踏み固め、さまざまな恵みを生み出し、そして四神の筆頭として摂理を守ってきました。

わたしたちにとって不都合なのは最後の『摂理の守護者』としてのエレクラの存在だけで、その他の役割は『盟主様』が新たな摂理を規定された後も役に立つものです。

ですからエレクラとはできる限り協力を働きかけ、どうしても協力を得られないとなったとき、エレクラ個人を排除すればよいでしょう。これがわたしの考えです」


 ヘルプストが意見を述べる間、空からは何も聞こえなかったが、ややしばらくして


『……分かった、キミたちに任せるね。ヘルプスト、久しぶりにウェンディに会いたくなっちゃった。ウェンディとマーレをここに呼んでよね』


   ★ ★ ★ ★ ★


 ホルストラントのオーガの里に滞在すること五日、僕とネルコワさんは、いよいよオーガ族のヴォルフ族長と会見することになった。


「族長はあなた方とお会いするのは極力避けたいという意向でしたが、ジビエお嬢様が強く働きかけられたから実現したものです。どうかお嬢様の努力を無駄になさらないよう、お願い申し上げますよ」


 この五日間ですっかり仲良くなったお嬢様付き執事兼参謀のマトンさんからそんな話を聞いたのは、待ちに待った『会見を許す』との使者が戻った後だった。


「そうなんですか!? ジビエさんには里への案内からこの方、お世話になりっぱなしです。なんてお礼を言ったらいいか」


 僕がジビエさんにそう言うと、彼女はもさもさした赤毛を忙しなくいじりながら、照れたように言う。


「いや、アタイは『摂理の黄昏』がマジもんで近づいてるんなら、オーガ族だって相当の被害を出すって覚悟したんだが、アンタは『伝説の英雄』なんだろう? だったらアタイたちも『伝説の英雄』と一緒に戦うべきなんじゃないかって思っただけさ。別にお礼なんていらないよ」


 すると、彼女の副将でもあり、仲間でもあるビーフさんとポークさんが


「おいジン、お嬢の顔を見てみろ。お前に首ったけって顔してるだろう? 戦場往来で男になんてこれっぽっちも興味を示さなかったお嬢だが、お前と話しているときは人が変わったみたいに大人しやかで楽しそうだったんだぜ?」


「そうそう、族長には従順なお嬢が、これほど熱っぽくアンタと話し合いをしろって勧めるのを見て、単なる使命感ってもの以上のアンタに対する好意を感じたぜ。ガキのころから一緒に遊んできた俺っちとしても、お嬢はアンタに惚れてるってビビッと来たぜ!」


 そう混ぜっ返す。


 僕がどう反応したものか迷っていると、ジビエさんが豪快に笑って


「あーっはっはっは、二人とも混ぜっ返すのは止めなよ。見てごらん、『伝説の英雄』様が困ってらっしゃるじゃないか」


 そう、ビーフさんとポークさんを押し留め、にこにこ顔で僕を見て言った。


「まあ、アタイらオーガは自分の気持ちをはっきり言葉にするのが特徴さ。それは他人の好き嫌いに関してもそう」


 そして急に熱っぽい瞳をして


「だからアタイもはっきり言うが、アタイは確かにアンタのこと気になってるよ。『伝説の英雄』ってのはどれほど強いのかって興味ももちろんあるが、アタイのカンは、アンタがアタイの旦那に相応しいって言ってるんだ」


 そんなことを言いだした。


 そこに、今までのやり取りを面白くなさそうな顔で聞いていたネルコワさんが、笑顔で話に割り込んでくる。


「ジン様に期待しているのはあなた方ばかりじゃありません。わたくしたちも『伝説の英雄』には非常に期待を寄せているのです。

ですからわたくしは、自分も含めて持てるすべてのものを捧げて、ジン様にご協力することを誓っています。あなた方オーガはどれほどのお力を貸していただけるのかしら?」


 ネルコワさんの顔は笑っているが、その横顔には怒りに似た感情が浮かび上がっているように思えた。ひょっとしたらこれが『嫉妬』ってものかもしれない。


 僕がそう思いながら見ていると、ジビエさんはニヤリと鼻にしわを寄せて笑い、


「へーえ、『伝説の英雄』さん、アンタもけっこうモテるんだね?」


 僕を見てそう言うと、今度はネルコワさんに向き直り話しかける。


「おちびちゃん」


「ネルコワ・ヨクソダッツです。そんな呼び掛け方は失礼じゃありませんこと?」


「アタイは親しみを込めて呼び掛けたつもりなんだけどな」


「気にしていることを面と向かって言われたら、誰だって不愉快になります」


 ムッとして頬を膨らませているネルコワさんを見て、ジビエさんはクスリと笑って言い直した。


「悪かったよ、ネルコワさん。それで、アタイたちは『伝説の英雄』様にどう協力するか、だったね?」


 ネルコワさんがうなずくのを見て、ジビエさんは豊かな胸を張って言った。


「親父の説得には最大限協力するし、最悪アタイの部隊だけでも行動を共にするよ。この世界が危機に瀕していて、それを救う方法があるのなら、手を拱いているのはオーガの風上にも置けない卑怯な振る舞いだからね」


 そう言うと、今度は再び僕をはにかんだように見て、


「そしてさ、これは『伝説の英雄』様、アンタの気持ち次第じゃあるけれど、無事に危機を乗り切ったら、アタイの初めてをアンタに捧げるよ。もちろん無理にとは言わないし、末永く可愛がってくれるってんならそれに越したことはないけどさ」


 そんなことを衆人環視の中で言う。え? これってプロポーズってやつ?


 僕がハッとしてネルコワさんを見ると、彼女は物凄い顔でジビエさんを睨みつけていたが、僕の視線に気付くと引きつった笑顔を作って


「ジ、ジン様、ジビエさんのご協力が得られるようで良かったですわね? さ、早くヴォルフ様のお力を借りに参りましょう!」


 僕の袖を引っ張るようにして言うネルコワさんだった。



 オーガ族長のヴォルフ・デイナイトは、ジンたちに会う前に主だった臣下たちと協力の是非について話し合っていた。


「そのジンとかいう若者の言葉どおり『摂理の黄昏』が近いのなら由々しき事態だが、『摂理の黄昏』は魔王が引き起こすものと聞く。我らがどれだけ力を尽くしても勝てる相手ではない。攻め込まれたならともかく、みすみす負ける戦に一族同胞を出撃させるわけにはいかん」


 これが一族の長老、ロースの意見だった。臣下のうち、武闘派ともいえるガルムやグライフも、どちらかというと反対のようだった。


 一方、


「ジンという若者はカッツェガルテンに突如として現れ、ゾンビの群れ2千を一瞬にして消滅させたという噂です。噂とは言いながら、その出所はカッツェガルテンの執政ウェカ・スクロルム殿ですし、その後カッツェガルテンでは『摂理の黄昏』に対応するため近隣のポリスに大同団結を呼びかけています。

我らより弱いことは明白な人間たちがそこまでするのは、確たる勝算があるからでしょう。我らも地上最強の亜人として、見過ごしにはできません」


 そうジンへの協力を主張したのは、愛娘ジビエのほか、知略に定評があるレーヴェ、そして慎重派のマトンだった。


 ヴォルフは一族をまとめる立場として、長老の反対意見を採用したかった。しかし彼をためらわせたのは、最も信頼するレーヴェが協力に積極的だったことである。


(マトンは慎重な男だがジビエの執事でもある。彼なりに検討を加えた結果であるかもしれないが、ジビエへの忠誠心で判断が偏っている可能性もあろう。

しかしレーヴェはジビエと普段の接点は何もない。それに彼は、大きな問題をいつも適確に解決してきた。そのレーヴェの判断も軽視できない)


 迷ったヴォルフは、


「とにかく、まずはそのジンとやらの話を聞いてみよう。勝算がどの程度か、我らが力を貸すべきか、ジンに会ってみれば答えは出るだろう」


 そう重臣会議で言い、決断をいったん保留した。


 ジンがジビエに連れられて会見に臨んだのは、そんな雰囲気の中だったのである。


(ほう、おおきいな。人間でこれほどの体躯を持つ者は見たことがない。案外『時を超えて現れた伝説の英雄』との噂は本当かもしれん)


 ジンが会見の間に足を踏み入れたとき、ヴォルフも居並ぶ重臣たちもまずそう思った。この世界に人間でオーガと拮抗する体格を持つ者など、存在するはずがなかったからだ。


 まずジンの押し出しに目を奪われたヴォルフたちだったが、さらにジンの優しくも烈々たる気概と、ジビエの熱い説得、そしてネルコワの理路整然とした今後の見通しを聞いて、ヴォルフの心はだんだんと協力へと傾いていった。


 最後まで強硬に反対していたのは長老のロースだったが、結局ヴォルフは


「まずジビエとマトンに1万を与えてジン殿に協力させよう。状況が有利に進展すれば残りの部隊挙げて協力し、状況が至極不利に傾けばジビエ隊を引き揚げさせる」


 と、長老の顔を立てて折衷案を採択した。


 ジビエやネルコワは不満そうだったが、ジンは満面の笑みを浮かべてヴォルフにお礼を言った。


「ありがとうございます。これでユニコーン族からも協力を得られれば鬼に金棒です。ジビエさんをしばらくお借りいたします」


 屈託のないその言葉と、ジンの言葉を聞いて顔を赤くした愛嬢を見て、


(そうか、ジビエはジン殿のことを……。それにしてもジン殿の堂々たる態度と潔さよ。彼なら『摂理の黄昏』を乗り切って見せるかもしれんな)


 ジンへの期待を膨らませたヴォルフだった。



「すまなかった、『伝説の英雄』様。アタイの力不足で長老たちを完全に説得できなかったことは許してくれ」


 宿舎に戻って今後のことをネルコワさんと話し合っていると、ジビエさんが遅れてやって来ていきなりそう謝る。


 僕はジビエさんに椅子を勧めながら、


「謝る必要なんてありませんよ。ジビエさんは十分に力を尽くしてくれましたし、何よりオーガ族が協力してくれたという事実には変わりありませんし」


 そう慰めると、ネルコワさんも棘のある笑顔で言った。


「そうです。わたくしたちだけでユニコーン族に協力を乞いに行くのと、ジビエさんが一緒に来てくださるのとでは、相手方の印象は全然違うと思いますよ? あなたにはいろいろ思うところもございますが、その点に関しては感謝するに吝かではございません」


 ジビエさんはそんな棘を気にすることもなく、闊達に笑うと僕に訊く。


「はっははは、そう言ってもらったらアタイも気が楽だよ。それで『伝説の英雄』様、いつユニコーン族の所に出発する?」


 僕はネルコワさんをチラリと見て答えた。


「僕たちはいつでも出発可能です。ジビエさんの出発準備が整い次第ってことでいいですか?」


 するとジビエさんは顔中を口にして笑い、


「了解したよ。じゃあアタイはじいや野郎どもに、明日早朝には出発できるよう準備させるよ。こっからユニコーン族の里までは半日とはかからないし、魔物なんて入っちゃ来れないから、のんびりしたピクニックを楽しもうじゃないか」


 そう言って僕に手を振ると部屋を出て行った。



 次の日の早朝、まだお日様が東の山から顔を出す前に、僕らはオーガの里を出発した。僕とネルコワさんは、アーカさんと共にジビエさん率いるオーガ隊5百に加わった。


 護衛が最小限の人数になったのは、マトンさんとネルコワさんの意見によるものだ。


 彼女たちは、


『隣に所在するユニコーン族の里へ行くのに、1万もの軍勢を引き連れて行くのは余りに仰々しい。それにこの里を出れば補給の当てもない敵地を行軍することになるため、軍団の補給線を確保しておくべきだ』


 そう主張したため、僕やジビエさんはその意見を容れ、オーガ部隊にはマトンさんとポークさんを、ヴェーゼシュッツェン隊にはアーマ将軍を残し、後方支援組織を作ってもらうことにしたのだ。


「ところで『伝説の英雄』様、ちょっと相談があるんだけど」


 出発して間もなく、ジビエさんが僕を見て話しかけてくる。


「何でしょう?」


 僕が訊くと、彼女はあからさまに顔を赤くして、


「いや、『伝説の英雄』様って、まどろっこしくてさ。『伝説の英雄』様はネルコワ殿と互いに名前で呼び合っているじゃないか? だからアタイたちもそんな風に呼び合いたいって思ってるんだ。ダメかな? 失礼かな?」


 彼女にしては可愛らしい表情で訊いた。


 僕はネルコワさんを見た。今までネルコワさんと一緒に旅をしていて、彼女は結構思い込みが激しくて嫉妬深い女の子って感じがしたからだ。まあ、僕とネルコワさんは付き合っているわけじゃないから、僕の思い過ごしかもしれないが。


 ネルコワさんは僕の視線に気付いて、


「何故わたくしの顔色を窺うの? まるでわたくしがジン様に圧力をかけているみたいじゃない。わたくしに気兼ねなんてしなくてもいいわ」


 そうツンツンした声で言う。


 それを聞いてジビエさんはにこやかに僕に促す。


「ほら、おちびちゃんだってこう言っているんだし、良いか悪いか決めてくださいよ。『伝説の英雄』様」


「わたくしが不愉快になる呼び方をしないでって言いましたよね? 忘れちゃったのかしら、無神経ひとの気持ち逆なでオンナ?」


 ネルコワさんが柳眉を逆立てて抗議するのを、ジビエさんは鷹揚に受け流し、


「ああ、悪かったよネルコワちゃん。可愛らしいからアタイの妹みたいに思えちゃってついね? それで『伝説の英雄』様、早く答えをくださいよ」


 そうせっついて来る。


「ま、まあ、僕も『伝説の英雄』なんて呼ばれるのは気恥ずかしいから、そこはジビエさんの言うとおり名前で呼んでもらって構わないよ」


 僕がそう答えると、ジビエさんはガッツポーズをして、喜びを表現した。


「おっしゃあ! これで正々堂々とジン様って呼べるぜ!」



 やがてお昼になり、僕らは大休止して昼食の準備にかかった。


「順調です。この分じゃお日様が傾く前にユニコーン族の里に着けますよ、ジン様」


 ジビエさんはそう言って、こんがり焼けたシカの肉に手を伸ばす。それにかぶりつこうとしたとき、ジビエさんはハッとした顔で肉を睨むと、


「ビーフ! ビーフはいるかい!?」


 そう、食材を準備した先鋒隊長のビーフさんを呼び付けた。


「どうしたんですかいお嬢。何か問題がありましたか?」


 ジビエさんの大声を聞きつけたビーフさんがすっ飛んで来て訊くと、ジビエさんは真剣な顔で問い質した。


「ビーフ、これだけの食材を準備してもらって何だが、このシカはどこで狩った? この肉からへんな魔力を感じるんだ」


「えっ? それならあの森で調達しましたが」


 と、東の森を指さす。ジビエさんはサッとその方向に視線を向け、緊張した声で言った。


「まさか、こんな所まで……ビーフ、すぐに先鋒隊に戦闘態勢を取らせな。それとジン様、静かに戦闘準備をお願いします」


 僕はそれだけ聞けば十分だった。彼女はあの森に敵がいることを察知したのだ。つまり魔物があの森にいるってことだ。


 僕は魔力視覚で東の森を視た。おどろおどろしい瘴気のようなものが森に覆いかぶさるように広がっている。どうして今まで気が付かなかったんだろう。


「魔物ですね? ネルコワ、アーカさん、相手はワームみたいです。地面の下に注意しておいてください」


 僕の言葉を聞いて、ビーフさんは慌てて先鋒隊へ駆け出す。


 僕たちの動きを感じ取ったのか、魔力でざわめいていた森が急に静かになった。奴らは地面に潜ったに違いない。


「奴らは潜った! 足元に気を付けろ!」


 僕は『払暁の神剣』を抜き放ちながら大声でみんなに注意すると、


大地の護り(ラントケッセル)!」


 ネルコワさんはじめ全員にシールドを付与した。


「おっ? こりゃあ心強いや。さすがはジン様、『伝説の英雄』様だね」


 ジビエさんたちは突然自分たちを包み込んだシールドにびっくりしながらも、それが僕の魔力によるものだと知った瞬間、オーガ全員はにやりと笑って魔力を全開にした。


「みんな! 防御や回避なんて気にせず、アタイたちの聖域を冒しやがった魔物を徹底的に叩いてやんな!」


 応っ!


 ジビエさんの咆哮にオーガたちが大声で応えたとき、地面からワームが湧いて出た。白くてブヨブヨした土管のような見た目をしている。大きさは3メートルほどだった。


 キシャアアッ! ジャリンッ!


 ワームの鋭い歯は、シールドに阻まれて金属を削るような甲高い音を立てる。その金属音はあちらからもこちらからも聞こえて来た。


「バーカめ! アタイたちオーガを舐めるんじゃないよ?」

 ぶうんっ、バギャッ!


 ジビエさんの棍棒は、一振りでワームの頭を叩き潰す。ワームは声も立てず、緑色の体液をぶちまけながら地面に地響きを立てて転がった。


「それっ!」ドカッ!


 先鋒隊ではビーフさんが先頭に立ってワームを串刺しにしているし、他の兵士たちも気色悪い魔物相手に一歩も退かず戦っている。さすがは『地上最強の戦闘種族』だけのことはあった。


 しかしワームは諦めが悪い。数匹のワームは地面の下に潜ると、周囲から一斉に僕に向かって突進して来た。


「ジン様!」「ジン様っ!」


 それを見ていたネルコワさんとジビエさんが同時に悲鳴を上げたが、僕は慌てもせず、ワーム野郎を十分に引き付けて魔力を叩きつける。


「無駄だ! 大地の花弁(ラントボイメ)!」

 ズバアアン!

 ギョエーッ!


 ワームたちは、ボクを中心に花開いた土の刃で斬り裂かれ、地面をのたうち回る。


 そのワームたちに止めを刺そうと兵士たちが駆け寄ったとき、


 ドスッ!

 ギエエーッ!


 ドムッ!

 ギュワーン!


 周囲の丘からワームたちに矢が降り注いだ。


「へっ、やっぱりこいつらの魔力を見逃すようなトンマじゃなかったようだね」


 降り注いだ矢でワームたちが残らず動かなくなったのを見て、ジビエさんはこん棒を肩に担ぎながら言い放つ。


 するとその声に応えるように、丘の上に5百ほどの軍勢が現れる。みんな額に1本の角が生えているから、きっとユニコーン族に違いない。


「なんだ、誰かと思ったらジビエじゃないか。変な魔力を感知して出て来たんだが、キミがいたんなら心配要らなかったね。

ところでもう午後3時、良い子はおやつの時間だが、どうしてキミがここに? あの土管討伐にしてはボクたちユニコーン族の領分に入り込み過ぎちゃいないかい?」


 そう、一人の青年が現れて言った。長い金髪は煩げに額を隠し、その下には碧眼が見え隠れしている。裾を斜めに裁断した白いワンピースの下に白いズボンを穿き、腰には金で装飾された太い革のベルトを巻いている。見た目や雰囲気はどことなくワインに似ていた。


 その青年の問いに、ジビエさんは緋色の瞳を当てて答える。


「別にアンタたちの領分を侵そうってわけじゃないさ。サリュ、頭が良いアンタだったら気が付いているだろうが、ホルストラントの外では魔物がお祭り騒ぎしてるらしいよ?

どうもそれが『摂理の黄昏』の前兆らしいってんで、アタイはアンタたちの力を借りるためにここに来たんだ。『伝説の英雄』様と一緒にね?」


 それを聞いて、サリュと呼ばれた青年は僕に目を当てて訊いてきた。


「信じられないが、キミは人間だね? ボクはユニコーン族の族長アルフレオの嫡男でサリュ・パスカル。『摂理の黄昏』についての話を持ち込んで来たのもキミだろうね。詳しい話を聞かせてもらってもいいかな?」


 ワインに似ているのは見た目や雰囲気だけじゃなかった。サリュという彼も恐ろしく頭が切れるらしい。僕は前に出るとうなずいて自己紹介した。


「初めまして、僕はジン・ライム。お察しのとおり『摂理の黄昏』の件でユニコーン族の協力を乞いに来ました。少し長くなりますが、お話しする時間をいただけますか?」


 僕が言うと、サリュさんは右手を優雅に挙げて僕に問いかける。


「待ちたまえ。重大なことは父君に話をしなければ、ボクたちユニコーン族の協力を得るというキミの目的は達成できないんじゃないか? どうしてバカ正直にこの場で説明しようとするんだい?」


 僕は彼の瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。


「君なら、アルフレオ殿と僕が話をするとき、公平な立場で判断してくれるだろうと思ったんだ」


 するとサリュさんは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐにクスクスと笑いだし、


「ははは、面白い人間だね。それに思ったより頭もいいし思い切りもいい。

ジン・ライムとか言ったね? ボクはキミを気に入ったよ。さっそく詳細を話してくれないかい? 話を聞いたうえで族長の所に案内するよ。

ジビエ、キミに確認することがあるかもしれない。彼と一緒に来てくれないかい?」


 そう言うと、傍にいた茶髪黒眼の若者と亜麻色の髪と石色の瞳をした女の子に


「レーヴェ、キミは部隊と共に一足先に戻って、ボクが賓客を連れて来ると父君に伝えておいてくれ。

エリン、キミはボクと一緒に彼の話を聞いてくれ」


 そう命令し、僕に向き直って笑った。


「実はボクも以前から『摂理の黄昏』のことは気になっていた。それに水の精霊王アクエリアス様の予言も耳にしている。ボクの観測に間違いがなければ、ジン、キミはこの世界の外から来た存在だ、そうだろう? 歴史の転換点に立ち会えるのは心が躍る出来事だ。じっくり話を聞かせてもらうよ」


(魔神を狩ろう その5へ続く)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

精霊王たち、『組織』、賢者マーリンと、様々な立場の者たちの動きが活発になってきました。

ジンが5千年前の時代で経験する出来事と、現代での動きがどう関係してくるかは未知数ですが、とても興味深く、大きな伏線がいくつも存在するみたいなので、細心の注意を払って言葉をチョイスしていきたいと思います。次回もお楽しみに。

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