Tournament11 Hedgehogs hunting(ハリネズミを狩ろう!)
賢者スナイプと会いにヘンジャーの町に着いたジンたち『騎士団』。
しかし先行していたワインは、みんなの全財産が入った財布を落としたという。
困ったジンたちは、町の依頼で妖魔化したハリネズミを討伐することになるが……。
(これは、ボクとしたことがマズったなぁ……)
ボクはゆっくりと起き上がると、頭上に輝く満天の星を見ながらそう思った。今は何時か知らないが、月が高い空で輝いているのを見ると、まだ真夜中というほど夜が更けているわけではないらしい。
「ふむ、身体にはどこにも異常はないな……手加減してくれたのか」
ボクはゆっくりと立ち上がり、首や肩を動かしてみる。打撲の痛みの他には大したケガもないようだ。そのことにホッとするとともに、自分の不甲斐なさに苦笑すら漏れる。
(やれやれ、手加減していただくほどボクは安く見られたわけか……しかしだから今無事なんであって、そのことは率直に言って悔しいな)
ボクは一つため息をつくと、近くに月の光を受けて鈍く輝くベンチを見つけると、そこによっこらしょと腰を掛けた。ボクの自慢のワイン・レッドで統一したシルクの洋服にはあちこちに泥がついているに違いない。けれど今は、これまでの出来事をできるだけ正確に思い出すことが先決だった。
「……うん?」
ボクは無意識に胸ポケットへと手を伸ばし、その中に何かメモのようなものが忍ばせてあるのに気が付く。急いで取り出してみると、いい匂いがする白紙だった。
「……この香りは、賢者スナイプ様の香水だ」
ボクはそのことに気が付くと、すぐに白紙を月の光にかざした。思ったとおりそこには
『手荒な真似してごめんなさいね? でもジン君のためだから私のことはしばらく放っておいてちょうだい。時が来たら必ずあなたにも知らせるから、いい子ちゃんでジン君を守ってあげてね』
そう達筆で書いてあった。
「……なるほど……」
ボクはさらに水魔法の魔力視覚で手紙を見てみた。思ったとおり、先ほどの本文とは別の魔法で
『P.S.私がこの町にいることは『賢者会議』にはナイショよ? マイティ・クロウと話をしたら、すぐに戻ってくるわ』
と書いてあったのだ。
(マイティ・クロウと話をする……ってことは、スナイプ様はマイティ・クロウの居場所をご存知ってことか……アイツが側にいるんじゃ、ボクにできることはジンたちを心配させないようにすることだけだな)
ボクは、自分をコテンパンにしてくれたペストマスクの男を思い出すと、頭を振って立ち上がり、そして最も大事なことに気が付いた。
「やべぇ、サイフがない……」
「落としたぁ⁉ アンタのサイフには『騎士団』の全財産が入っていたのよ? それを無くしてどうやって旅をしろって言うの? ドッカーノ村に戻るとしても、ここからじゃ10日はかかるわよ?」
シェリーがワインにそう言って詰め寄っている。賢者スナイプ様の安否を確認するため先行したワインと、僕たちは約束どおりヘンジャー町の郊外にあるミルクの草原でランデブーしたが、彼の第一声が
『スマン、ジン。サイフを落とした』
だったのだ。
「まあまあシェリー、善後策を考える方が先だよ……ワイン、司直の番所には届け出たのかい?」
僕は悲愴な顔をしているシェリーをなだめると、ワインに訊く。ワインはうなずいて
「もちろんだ。内容が内容だったから、司直たちも優先して探してくれるそうだし、拾得物の届け出があったらすぐに知らせてくれることになっている」
そう言う。
「ちなみにだがワイン、サイフにはいくら入っていた?」
ラムさんが訊くと、ワインは肩をすくめて
「アルクニー公からいただいたご褒美5千ゴールドに、それまでの『騎士団』収入金2千ゴールド、それにボク自身のポケットマネーで、合わせて2万5千ゴールドだよ」
そう、こともなげに言う。
「ちょっ、君はポケットマネーとして1万8千ゴールドも持ち歩いていたのか⁉」
「『騎士団』の財産の2倍以上じゃない!」
ラムさんとシェリーがびっくりして言うが、ワインは殊勝にも
「いや、アルクニー公から頂いたご褒美は、その数値以上の価値がある。それを落としてしまうなんて、ボクとしたことが一生の不覚だよ」
そうやつれた顔で言う。それはそうだろう、アルクニー公国の西側のこの町から、大陸の北西にあるユニコーン侯国まで約半年かかるが、アルクニー公のご褒美と『騎士団』の財産計7千ゴールドもあれば、優に僕たち4人分の旅費となる。ワインのお金まで含めると大陸一周してもお釣りがくるだろう。
「まあそういうこともあるさ。何にせよ今後のことを考えないと。みんないくら持っている? 僕は今12ゴールド25ソブリン(約1万2千250円)持っている」
僕が言うと、シェリーもラムさんも、サイフをひっくり返してお金をかき集める。シェリーが8ゴールド70ソブリン(8千7百円)、ラムさんは半ソブリン(5円)だった。
「うう……これじゃドッカーノ村にすら帰れないよ。ラムもなんでたった半ソブリンしか持っていないのよ?」
シェリーがラムさんに言うと、ラムさんは面目無げに答えた。
「すまない、騎士たるもの、金銭的なものにはできるだけ手を触れるなと父上からしつけられていたもので……」
「じゃ、ずっと半ソブリン持っただけで1年以上も大陸を旅していたのかい? 宿や食事はどうやっていたんだい?」
僕が訊くと、ラムさんは『何を分かり切ったことを』という目で僕を見て、
「野宿したり、野山のものを採集したりしましたよ? それと臨時に剣士を募集している所で働いたりして、小銭を稼いでいました。半ソブリンは故国を出る時に父上から渡されたものです。『伝説の英雄』との5円(ご縁)があるようにと……」
そう言ってポッと頬を染めた。
「ちょっと、ラム……あっ、ジン、何で止めるの?」
僕はシュガーがイエローカードを出そうとしているのを止め、彼女の耳元でささやいた。
「ラムさんを見てごらん」
シェリーと僕はラムさんを見た。彼女はポーッとした顔で、くすくす笑いながら幸せそうに妄想に浸っている。
「なにあれ? あんなラム初めて見た。まるでHE○TAIみたいじゃない。キモっ」
シェリーがそう言うが、僕は
「いや、ずっとオンナノコを封印されていた彼女があんな風になるのも微笑ましいじゃないか。だから『この作品は中世的剣と魔法のファンタジーだ』なんて細かいことは言わないでおこうよ」
そう言って微笑む。
シェリーは顔を赤くして
「も、もう、ジンがそう言ったら何も言えないじゃない。ホントにジンはズルいんだからぁ」
と、イエローカードを引っ込めてくれた。
そんな僕たちに、ハッと気づいたようにラムさんが言ってくる。
「ところで、路銀の件はどうなるのだ?」
僕たちは現実に引き戻されて頭を抱えた。一応『騎士団』と名乗ってはいるし、アルクニー公からメダルまで授与された僕たちだ、山賊や強盗まがいのことはできない。
「これは、近くの町で何かクエストを受けるしかないだろうな」
僕はそう言うと、全員でヘンジャーの町に行ってみることにした。
★ ★ ★ ★ ★
ヘンジャーの町は、キミントンやデキシントンの町には及ばないが、トナーリマーチよりははるかに大きい町だった。
「この町には交易会館はないのかな?」
ワインがそう言うと、即座にシェリーが突っ込む。
「ワイン、それ、別の作品だから」
けれどワインはくじけない。
「ああ、『翠の瞳を持つ銀髪で清楚な女槍遣い』かぁ、この作品にいらっしゃったらボクはそのおみ足にキスしてもいい」
ワインがそう言うと、ラムが緋色の瞳を持つ眼をジト目にして、
「君のその発言でコラボはナシと決まったな。『蒼炎の魔竜騎士』もそんなことされたら怖気をふるうだろう。まったく、どう育てばこんな男になるのだ?」
そう言う。そんなラムにワインはつつとすり寄って、
「でも、一度手合わせしてみたいとは思わないかい?」
そうささやくと、ラムは真剣に考え込んでしまう。
「うう、確かに私もそれほどの剣士からは一手のご指南を賜りたいし、『終末竜アンティマトル』とやらとも戦ってみたい。けれど、あのお方は本格的なファンタジーのメインヒロインで、私はファンタジーっぽいドタバタ喜劇のメインヒロイン……か、格が違うのだっ!」
「ちょっと待って、ラムがメインヒロインって誰が決めたのよ⁉」
血相を変えて突っ込むシェリーを、ラムは上から下までじろじろと眺め回し、特にそのバスト辺りに視線をさまよわせて、フッと笑った。
「何その態度⁉ 言いたいことがあったら言葉で言いなさいよ!」
エキサイトするシェリーを横目に、ラムは何か考えていたが、ふと手を叩くと、
「そうか、シェリー、すまなかった。君のロリ体型は○リコン読者向けだったんだね?」
そう言う。
「ロリ体型っていうな~! これでも17歳よ、この世界では立派なオトナなのよ!」
そう騒ぐシェリーは、自分たちの周りにいつの間にかギャラリーができて、自分とラムの掛け合いをみんなが楽しそうに聞いていることに気付いた。
「えっ⁉ なに、なんなのこれ?」
急に素に戻ったシェリーは、ギャラリーの前にワインが帽子を逆さにおいて、
「さあ、ドッカーノ村騎士団の大喜利を見て行かないかい? お代は見てからでいいよ。あっ、おひねりもこの帽子の中に入れてくれたまえ。おお、そんなにくれるとは気前がいいねぇ旦那」
などとお花を集めているではないか。
「ちょっとワイン、あんた何やってんのよ!」
シェリーが叫ぶと、ワインは慌ててお花をかき集め、
「やべっ! 皆さん、次の大喜利もお楽しみに!」
そう言うと素早く二人の前から姿を消した。
「あっ……まったく、アタシたちを利用してお金を稼ぐなんて、見つけたらただじゃ置かないから」
シェリーが言うと、ラムも憤慨して、
「……許せぬ。他の作品をダシにして私たちを乗せたうえで、醜態をさらさせるとは……あの男、いつか必ず三枚おろしにしてくれる」
そう、長剣を背中の鞘に戻しながら言った。
「ああ、面白かった」
僕がこの町のギルドクラブから出てくると、ワインが何やら重そうな袋を持ってくすくす笑っていた。
「どうしたんだいワイン? その袋……まさか強盗とかしていないだろうね?」
僕が言うと、ワインは大仰に驚いて
「酷いなジン、ボクがそんな男に見えるかい? これはね」
そう笑いながら、シェリーとラムさんの掛け合い漫才がウケて、結構な金額を稼いでくれたことを話した。
「ふふ、そこ14・5分で15ゴールド80ソブリンだ。悪くない稼ぎだろう?」
「確かに。でもあのラムさんがよく人前で漫談なんかしてくれたものだね?」
僕が訊くと、ワインは意味ありげに笑って言った。
「いや、そのことで彼女たちを怒らせちゃってね? このままじゃボクはラムさんから三枚におろされた後、シェリーちゃんからなますにされかねないんだ。キミがとりなしてくれないかい?」
僕は呆れてしまったが、ワインだって悪気があってやったわけじゃないことは長い付き合いから知っている。けれど単に取りなすだけでは、今後のことを考えるとよくない。
「ワイン、僕は君が悪気があってやったわけじゃないってことは分かっているが、ちょっと茶目っ気が過ぎたんじゃないか? 何か彼女たちをなだめるために君ができることはないかい?」
僕がそう言うと、ワインは少し考えていたが、すぐに笑って言った。
「そう言えば、いい考えがあるんだ。少しここで待っていてくれないかジン」
ワインはそう言うと、ギルドクラブへと入っていった。
「あっ、ジン。ワインを見てない?」
ワインが建物の中に消えた後すぐ、シェリーとラムさんがやってきて僕に訊く。僕はうなずいて答えた。
「また彼がお茶目をしたんだろう? 君たちにお詫びをするからってギルドクラブの中に入っていったよ。すぐ戻ってくるだろうからここで待っていると良い」
「待て待て、あいつのことだ。団長の人の良さに付け込んでカゴ抜けをやりかねん。私は裏口を見てくる」
ラムさんはそう言うと裏口へと駆けだす。
シェリーは僕が持っている紙を見て、目を丸くして訊いて来る。
「ジン、その紙きれ、なに?」
僕はそう言われて、ここに来た理由を思い出した。
「ああ、忘れるところだった。ここのギルドクラブでよそ者が飛び込みでクエスト受託できるか訊いたんだけれど、さすがは大きい町だね、どの騎士団も受けていないクエストなら自由に受けていいそうなんだ。で、こんな依頼があったからみんなに相談しようと思ってね」
そう言いながら、僕はシェリーに依頼票を見せる。シェリーはボクにくっつくようにして依頼票をのぞき込んだ。
「どれどれ、ヘッジホッグ退治? ハリネズミを退治すればいいんだったら、なんでこの町の自警団とか騎士団が受けないんだろう」
僕は笑って答えた。
「ただのハリネズミじゃなくて、妖魔化したものらしい。体長は約3メートルもあり、背中の針は飛ばすことができる上に毒を含んでいるそうだ」
「それは面白そうですね! ぜひやりましょう!」
そんな声に振り向くと、ラムさんがワインの耳を引っ張りながらキラキラした目でこちらを見ていた……って、ワインの奴、本当にカゴ抜けしようとしていたのか⁉
「……どうしました団長? そのクエストやらないんですか?」
不思議そうに訊くラムさんに、僕は首を振って答えた。
「いや、僕も受ける前提でみんなに相談しようと考えていたから、そう言ってもらえると助かるけれど……」
ラムさんは僕の視線を見て、ニコリと笑って言った。
「……ああ、ワインはやはり裏口からコソコソと逃げようとしたのでとっ捕まえて来たんです。さあ、ワイン、年貢の納め時だ」
「あひぃ~、耳がちぎれるよラムさん。もっと優し……」
悲鳴を上げるワインに、ラムさんは冷ややかな目を当てニヤリとして言う。
「もっと? そうか、もっときつくしてほしいのか。根性あるじゃないかワイン、見直したよ」
「あひゃ~! ちぎれるから、本当にちぎれるから! もうこんなに伸びてるだろう?」
「君はエルフだ。普段からこのくらいのサイズだよ」
「うひぃ~、ボクが悪かったから! ハンセーしてるから!」
さらに耳をきつく引っ張られて、ワインはとうとう音を上げた。
「ら、ラムさん、もうそのくらいにしといてくれ。彼だって悪気があったわけじゃないだろうし。ワイン、君はどうして裏口から逃げようとしたんだい?」
僕が言うと、ラムさんはやっとワインを解放した。
ワインは赤くなった耳を押さえていたが、僕に痛々しい笑顔を向けて
「逃げようとしたんじゃなくて、司直詰所に顔を出してみようと思っただけさ。裏口からの方が近いからね。路銀の件は父上に伝言を託したよ。2・3日すればこの町の銀行で為替を受け取れると思うよ」
そう言った。
それを聞いてラムさんは腕組みをほどき、腰に両手を当てて言う。
「なんだ、それならそうと最初に言えばいいんだ。人の顔を見るなりいきなり逃げ出したら、やましいことを考えていると思われても仕方ないだろう?」
「いや、ボクを見て突進して来るラムさんが余りにも鬼気迫る顔をしていたから、怖くてつい逃げ出したんだ」
ぼそりとつぶやくワインを、ラムさんはキッと鋭い目で見つめて言う。
「何だと⁉ 花も恥じらう18歳の乙女をつかまえてその言い草は何だ。前から思っていたが失礼な奴だな君は」
「ひいぃ~、ジン、助けちくり~」
ラムさんの圧に押されて、ワインが助けを求めてくる。その顔を見て彼が十二分に反省していると判断した僕は、
「まあまあ、ワインも反省しているし、ラムさんが可愛らしいことは誰もが認めていることだから、ここは僕に免じて許してあげてくれないか?」
今にも背中の長剣に手を伸ばそうとしているラムさんを、僕はそう言ってなだめる。するとラムさんは急に赤い顔でもじもじして、
「えっ、えっ⁉ わ、私が可愛らしい……ですか? ジ、ジン様からそう言われたら、私は恥ずかしくて死にそうになりますぅ~」
そう、ワインのことは頭から吹っ飛んだようだった。
「じゃ、みんなでハリネズミ退治のクエストをやってみようよ。みんな、いいね?」
僕がそう言うと、シェリーもラムさんも、そしてワインもうなずいた。ワインは心底から『助かった~』という顔をしていた。
★ ★ ★ ★ ★
「さっきは邪魔が入ったな……」
黒いマントに身を包みペストマスクを着けた長身の男が、くぐもった声で言うと、対面に座った金髪碧眼の美女がニコリと笑って答える。
「そうね。さっきは手加減してくれてありがとう。あの子も私の大事な協力者だから、やり過ぎはしないかって心配していたのよ」
「ああ、あの趣味の悪い色で統一していたガキか。お前がヤツに目配せしていたのは知っている。アイツが、まったく魔法を使わなかったのはお前の指示だろう?」
男が言うと、女性はイタズラが見つかった子どものように舌を出して言う。
「あらヤだ、バレてたのね? でもおかげで大事にはならないで済んだでしょ?」
男はその言葉にうなずいた。
「ヤツは優男のようだが魔力は強かった。お前がヤツにおとなしくしろと指示しなければ私も本気を出さざるを得なかったろう……ところで……」
男は急に当惑したような声で訊いた。
「……本当にここで話をするつもりか?」
すると女性はニコニコしながら、手を挙げてウエイトレスを呼ぶ。
「あら、当たり前じゃない♬ お嬢さん、オーダーお願いするわね」
「はあい、いらっしゃいませ~☆ 何のご注文でしょうか?」
女性から呼ばれたウエイトレスは、ぱあっと明るい笑顔で訊いて来る。女性はメニューをパラパラめくっていたが、
「スイーツでこの店のオススメは何かしら?」
そう訊くと、ウエイトレスは可愛らしい声で答える。
「当店のオススメは、『特大イチゴとマンゴーのフルーツパフェ』でございま~す♡」
すると女性はニコッと笑って
「そう、いいわねェ♪ じゃ、それを二つお願いするわ」
ウエイトレスはチラッとペストマスクの男を見ると、ぷぶっと噴き出しそうになりながら
「はい、『特大イチゴとマンゴーのフルーツパフェ』を二つですね♡ かしこまりました~☆」
そう注文を受けると、そそくさと厨房の方へと去って行った。
「……賢者スナイプ、私もそのぱふぇとやらを食べねばならんのか?」
ペストマスクの男は困惑した声で訊く。スナイプと呼ばれた女性はお日様のような笑顔でうなずいた。
「もちろんよぉ。せっかく話し合いをするなら、美味しいものを食べながらでないとね? この店のオススメだそうだから、あなたも病みつきになるわよ?」
そして、意地悪そうな目を男に向けて言う。
「そんなマスクなんて外しChinaさいよ。顔が見えないとあなたの本心を見誤るわ。そうなると疑心暗鬼にもなるし、手を結べるものもできなくなっちゃうわよ? テキーラ・トゥモロウさん?」
「……お前は『四方賢者』だが、私たちと手を結ぶという選択肢もあると本気で考えているのか?」
テキーラが低い声で訊くと、スナイプは急に真面目な顔になってうなずいた。
「もちろんよ。手を結ぶのも敵対するのも、あなたたち次第。私はいつも、自分の意思決定にはニュートラルな心で臨んでいるわ」
男はしばらくスナイプを見つめながら考えていたが、
「……お前の言うことも一理ある」
そう言うと、マントから手を出してペストマスクを外した。マスクの下からは金髪碧眼で細面の、苦み走った顔が現れる。
「あら、私が想像していたよりずっと男前じゃない。そんないいオトコなのに、マスクで顔を隠すなんてもったいないわぁ~」
スナイプが言うと、テキーラはため息をついて
「はあ、お前の言葉にいいように乗せられた感じはするが、さっそく本題に入ろ……」
そう言いかけているところに、ウエイトレスがパフェを運んできた。
「お待たせいたしましたぁ~☆ 『特大イチゴとマンゴーのフルーツパフェ』でございま~す♡」
そして二人の前にパフェを置くと、
「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか?」
そう訊きながら、テキーラをチラリと見てちょっとびっくりした顔をする。
「ありがとう、用事があればまたお呼びするわ」
スナイプが言うと、ウエイトレスはまたもやそそくさと厨房へと引っ込む。
スナイプは目の前のパフェをうっとりと眺めると、テキーラを見て
「じゃ、話し合いを始めましょうか?」
そう言って、碧眼を細める。途端に二人がいるボックス席は白い空間に包まれ、他の客はおろか店そのものもかき消すように見えなくなった。
「……『鏡面結界』か、なるほどな」
テキーラがそうつぶやくと、スナイプはパフェをつつきながら言った。
「美味しいスイーツを食べながらだと、きっと話は弾むわよ?」
★ ★ ★ ★ ★
僕たち『騎士団』は、ヘンジャー町の郊外に巣食っているという妖魔化したハリネズミ退治を引き受けた。
ギルドクラブの担当者の話では、そのハリネズミが出始めたのはここ4・5日前からということで、今まで自警団やいくつかの騎士団が討伐に向かったが、
『何しろ奴はデカくて硬くてずる賢いんだ。毒針に当たったらその部分が壊死するし、爪や歯も鋭い。完全武装の騎士団の連中ですら手が出なくて困っているんだ』
とのことだった。
僕たちがそのクエストを受けたいと言うと、担当者は僕たちの装備を見てびっくりし、
『そんな装備で大丈夫かい? まあ、受けたいというなら止めはしないが……依頼をキャンセルするのは早めにしてくれよ』
そう、気が進まない様子で受諾の手続きをしてくれた。
「な~んか、あの担当者ってばムカつく対応だったわね」
ギルドクラブを出ると、シェリーが開口一番そう言って、クラブに向けてあかんべーをする。ラムさんも普通の顔をしているが内心面白くなかったのだろう、
「……確かにな。私たちをかなり過小評価しているようではあったな」
そう、指を鳴らしながら言う。
「……でもまあ、完全武装の騎士が敵わなかったというなら、彼らがボクたちの装備を見て期待しないのも分かるよ。なんたってボクらは平服だし、ラムさんだって胸当しか装備らしい装備はしていないからね」
ワインは一応、当たり前のことを言うと
「だから作戦が大事になる。作戦を立てるには相手を知らないとダメだ。ということで、ボクたちは二段構えで行こう」
そう、ウザったく伸びた葡萄酒色の前髪に形のいい指を絡ませながら言う。
「二段構え?」
シェリーが言うと、ラムさんがうなずいて
「つまり、最初は威力偵察ということで、相手を倒すことを主眼にしないと言うんだな」
そう言うと、ワインはニコリと笑ってうなずいた。
「さすがは『ユニコーン侯国の獅子戦士』だ。まずはジンにシールドを張ってもらって、相手がどの程度硬いか、どんな技を持っているかを知るために戦うんだ。倒す必要はないから適当にあしらえばいい。それが第一段だ」
「それじゃワインは、このままハリネズミのところに押しかけようってわけだね?」
僕が訊くと、ワインは槍を片手に片方の眉を上げる独特のしぐさでそれを肯定する。
「まだ日は高いし、善は急げというだろう? 相手のことを知るには時間はあればあるだけいい」
妖魔ハリネズミは、ヘンジャーの北側の街道沿いに巣食っているとの情報をもとに、僕たちは街道沿いをゆっくりと歩いていた。
「この街道はアルクニー公国北の玄関口に続いている。この道を真っ直ぐ行けば、トオクニアール王国のハンエルンという都市に着くはずだ。それはそのまま王都フォーゲルベルクに続いている。こうしてみると、遠くに来たもんだと思うね」
大陸の地理については他の追随を許さないワインが、いつものように僕たちに知識を披露してくれる。
故郷のドッカーノ村西側に通っていた街道と比べると、道幅は倍以上あるし、雑草一つ生えていない。馬車などもかなり通るはずなのにわだちの跡もないということは、路面がしっかりと突き固められていることを意味する。何にせよ、田舎の道とはその雰囲気から違っていて、ワインが言うように
(世界は広い。そして僕も遠くまで来たなぁ)
そんな感想が浮かんでくる。
「この道を通ったのは三月ほど前だ。その時には確かに妖魔ハリネズミの噂は聞かなかったし、この時間帯の通行量はもっと多かったはすだ」
ラムさんが緋色の瞳を持つ眼を半眼にして、まっすぐ前を見たままつぶやく。
「やっぱりハリネズミとはいえ、妖魔化した獣がいると旅の危険度が上がるのよね。馬車での移動ならまだマシだろうけれど」
シェリーも、肩から弓を外しながらそう言った。二人も明らかに人間が放つ魔力とは違う波動を感じているらしい。
僕も、さっきから首筋がぞわぞわして落ち着かない。何というか、冷たい芋虫が首筋を這いまわっているような感じがしているのだ。
そんな僕の背中が急に氷を押し付けられたように冷たくなった。
「来たぞ、『大地の護り』!」
「むっ⁉」
カカカン!
僕は間髪を入れず全員にシールドを付与する。先頭にいたラムさんのシールドに、何か硬いものが当たって弾かれた音がした。その時にはラムさんは長剣を抜いて、右手の林へと突進していた。
「シェリー、何か見えたら遠慮せずに狙撃しろ! ワイン、行くぞ!」
「了解!」「分かっているさ」
僕は、シールドが弾いたものが長さ30センチ、太さは1センチもあり、金属感のある鋭い円錐形をしているのを見て、妖魔化したハリネズミが放った針だと知った。
(あんなにデカい針を何本も同時に放つとは、手強い相手だぞ。しかも毒を持っているというし、シールドを切らさないようにしないと……)
僕は剣を抜いてラムさんの後を追いかけながら、そう考えていた。
「旅人を脅かす妖魔め、『ユニコーン侯国の獅子戦士』ラム・レーズン推参!」
ラムさんは早くも妖魔ハリネズミに長剣を振り上げ挑みかかる。デカい、話では体長3メートルということだったが、僕が見るに5メートルはあった。尻尾を含めれば7メートルはあるだろう。
「でやああっ!」
カイーン!
ラムさんの長剣は正確にハリネズミの首筋を捉えたが、その硬い毛で弾かれる。
「くそっ、毛皮というより鎧だ」
ラムさんは痺れた右手を振りながら、剣を左手に持ち替えた。その時である、
ヒュンッ! パーン!
「ぐっ!」
ハリネズミの弾力がある尻尾がラムさんをひっぱたくようにして弾き飛ばした。幸い、シールドがあったので身体への直撃は避けられたが、それでもかなりのダメージがあったらしい。あの戦闘慣れしたラムさんが地面に叩きつけられるのを初めて見た。
「ラムさん、大丈夫か?」
僕はラムさんにそう呼びかけながら、彼女の横をすり抜けて妖魔ハリネズミに突進する。斬るのが通用しないのなら、突くのはどうだ!
「やあーっ!」
ガイン!
僕の剣は、妖魔ハリネズミの横っ腹を直撃した。けれど剣先はその硬い毛に阻まれ、ただ重い衝撃だけが右手に伝わってくる。
「くっ!」
僕はさらに剣を回して、妖魔ハリネズミの脚を狙った。ここなら毛はそんなに硬くないと踏んだのだ。
だが、ハリネズミはひょいと脚を上げて僕の斬撃をかわすと、上げた脚で僕の胸を蹴り飛ばした。
ドカッ!
「がはっ!」
その衝撃は物凄かった。シールドがなければ胸骨は完全に持っていかれていただろう。以前妖魔イノシシの突進を受けた時の何倍もの衝撃だった。
「ぐっ!」
僕は無様にも地面に叩きつけられ、何メートルかを転がった。そしてやっと立ち上がった僕に、妖魔ハリネズミは燃えるような瞳を向けてはっきりとこうしゃべった。
『魔族である貴様が、なぜ人間なぞの肩を持つのだ?』
「……魔族? 僕は人間だ。君こそなぜ、罪もない旅人たちを襲うんだ?」
僕が剣を構えて訊くと、ハリネズミは毛を逆立てて叫んだ。
『我が同胞の恨みだ。邪魔すると魔族といえど容赦はせんぞ!』
そして、その鋭い針を僕に向けて放ってきた。
ドシュシュシュ!
それはまるで雨のようだった。一本の針の太さは1センチくらいだが、それが何百本も襲って来ると、空も陰った。横殴りの、鉄の雨だ。
ガンガンガンガンガン!
僕のシールドは何とか持ちこたえていたが、このままではいずれは割られてしまう。撤退するのが正解であることは分かっていたが、何しろ打撃が凄すぎて身動きすらままならない。下手に動けばバランスを崩してしまいそうな連続した打撃だった。
ピキン!
(ヤバい、シールドにひびが入った。この分じゃあと数十秒も持たないぞ)
その音が聞こえたのだろう、ラムさんやワインが得物を揮って妖魔ハリネズミに挑みかかるが、彼らもまた鉄の嵐に巻き込まれて動きを止められた。
「ジン、早く逃げて!」
シェリーが次々と矢を放って、妖魔の気を逸らそうとしている。僕はイチかバチか、妖魔の視線がシェリーに向いた瞬間をとらえて駆けだした。
「団長、早く!」
「ジン、もう少しだ!」
僕はいつの間にか突出しすぎていたらしい。何とか先に後退できていたラムさんやワインが、大きな岩の向こうから声をかけてくる。僕は必死になってその岩目がけて走り続ける。
「ジン、振り向いちゃダメ!」
シェリーがわき目もふらずに矢を放って援護してくれている。僕はその声に励まされて走り続ける。
『魔族のガキよ、貴様は逃がさんぞ!』
妖魔はシェリーの矢を無視して、再び僕にその針の集中砲火を浴びせてきた。
シュババババ! パーン!
何かが割れる音が響き、僕の背中一面が燃え上がった。
「団長!」
「ジン!」
「嫌ああっ、ジーンっ!」
僕は三人の絶叫を聞きながら、地面にうつぶせに叩きつけられた。
『……いい気味だ。ユニコーン、エルフ、そしてシルフのバカ者ども、その魔族をどこかに埋めろ。すぐに腐ってしまうから目障りだ』
妖魔ハリネズミは、そうワインたちに言うと、林の向こう側へと消えていく。
(胸が熱い……息ができない……僕は死ぬのか?……)
僕は、自分の身体が恐ろしいほどの早さで腐敗し、黒ずんでいくのを感じながらそう思っていた……と言うより、それしか考えられなかった。
「ぶふぁっ!」
僕は我慢できずに血を吐く。肺も、胃も、腐敗が始まって機能を停止しようとしていたのだ。後は死ぬのを待つしかない……けれど、それは僕が思うより素早くやってくるに違いない。
ワインやシェリー、ラムさんが駆け寄ってくる。その顔には等しく恐怖の色が張り付いていた。何か言っているみたいだが、もう何も聞こえず、何も見えなかった。
(……血の匂いがする……)
僕がそう思った時、何かが僕の中で外れた気がした。
ワインたちは、目の前で急速に腐敗して黒ずんでいくジンの身体を見ながら、何もできないでいた。
戦いに慣れたラムも、ジンのことが好きで好きでたまらないシェリーすら、今や背骨がむき出しになるほど崩れ果てたジンを正視することができなかった。
けれど、ジンがけいれんと共に血を吐いた時、シェリーはハッとして
「ジン、苦しいの? 待ってて、アタシが……」
そう言ってジンの背中をさすろうとした。
「止めるんだシェリー、キミも死にたいのか⁉」
間一髪、ワインがそう言って彼女を羽交い絞めにしなければ、シェリーも毒に冒されていたに違いない。
「放してワイン、ジンが苦しがっているのよ⁉」
そう言って暴れるシェリーの目の前にラムがぬっと突っ立ち、
バンッ!
何も言わずにシェリーに平手打ちを食わせ、
「団長は助かりません。あなたは団長の仇も討たずに犬死するつもりですか? それでもあなたは団長の幼馴染ですか?」
そう緋色の瞳に涙を浮かべながら言うと、シェリーの身体からがっくりと力が抜けた。うつむいた顔の下の地面に、ぽつりぽつりとシミができていく。
「……ボクが間違っていた。ヤツの実力を測るためなら、ラムさんとボクの攻撃が弾かれた段階で退くべきだった」
ワインが悔しそうに言う。余りにもかみしめていたせいで、彼の下唇からは血が流れていた。
その時、シェリーはジンが何かつぶやくのを聞いた。
「ジン! ワイン、いまジンが何か言ったよね⁉」
ハッと顔を上げたシェリーがワインに訊くが、ワインは首を振って
「いや、何も聞こえない。キミの空耳じゃ……」
「しっ! ほら、ジンが何か言ってる!」
シェリーはワインの言葉をさえぎるように言うと、また耳を澄ませた。
「……血の……匂いが……する……」
今度は、ワインやラムにも聞こえた。何と言っているかは分からなかったが、確かにジンはまだ生きていて、そして何かをしゃべっている。背中の皮は完全に腐敗し、背骨や肋骨が見えている。肺すら黒く腐敗が進み、それは身体中に及ぼうとしているのに、まだ息があるのだ。恐るべき生命力……いや、奇跡というべきだった。
「……血の匂いが、する……」
今度は三人にもはっきりと聞き取れた。そして彼らはさらに驚愕の光景を目にすることになる。
「……血の匂いがする……」
ずずっ……
ジンが、身体中が腐敗して崩れ落ちそうになっているジンが、そうつぶやきながら腕を動かし、立ち上がろうとする気配を見せたのだ。それと同時に、ジンの身体からはどす黒い瘴気に似た魔力の渦が巻き上がり、それはあっという間にジンを包み込んでしまう。
「いかん、離れろ!」
ジンの魔力の危うさに最初に気付いたのはワインだった。彼はシェリーとラムの腕をつかむと、強引にその場から20ヤードほども後退させた。
ラムもシェリーも、目の前の出来事に呆然として、ワインのなすがままになっていたのは幸いだった。なぜなら、その『異質な魔力』は直径10ヤードほどにも膨張し、その近くにある生命力を吸いつくし始めたからだ。その球体の中でジンの身体は見る見るうちに元に戻りつつあった。
やがて、球体はだんだんとしぼみ、生命力を吸いつくす瘴気に似た『異質な魔力』も消えた時、緋色の瞳で凍えたように前を見つめるジンが立っていた。
ジンは、ゆっくりと自分の手を持ち上げて掌を見つめると、
「……血の匂いがする。俺はまた許されざる罪を犯すのか……」
そうつぶやくと、ゆっくりと妖魔ハリネズミが消えた方へと歩き出した。
「ジン、どこに行くの⁉」
「しっ、よせシェリー!」
思わず呼び掛けたシェリーの口を塞ごうとするワインだったが、ジンにその言葉が届いたらしく、ジンはぴたりと立ち止まると、ゆっくりと振り返り、シェリーやワイン、そしてラムを一人一人見つめてつぶやいた。
「俺は、必要以外の罪を背負いたくない」
そう言うと、サッと身を翻して駆け出す。その速さはさしものラムですら
(迅い! 今のジン様には私すら追いつけない)
そう直感するほどの速さだった。
「何しているの? ジンを追わないの?」
シェリーが必死の形相で言うが、ワインはラムをチラリと見た。そしてラムが首を横に振るのを確認して、
「ダメだ、あいつはボクたちが知っているジンじゃない。そしてなぜああなったかは、おそらく賢者スナイプ様しか分からないだろう。ジンを救うためには、まずスナイプ様と連絡を取らないとダメだ」
そう、キッパリというと、まだジンを追いかけようとしているシェリーの肩を両手でつかんで、
「分かってくれシェリー、ジンは普通じゃないんだ。真の魔力の覚醒か、死後に何者かに身体を乗っ取られたのか、それとも彼自身の魔力が変容したのか、何が正解かは分からない。分かっているのは、今ジンに近づくと誰であろうと命の保証はできないってことだけだ。あの魔力はとても異質で、そして凶悪だった。キミも見ただろう⁉」
そう、揺すぶりながら言う。
シェリーはポロポロと涙をこぼしながら、
「そんなこと判ってる。でもアタシはジンの力になりたいの」
そう言うと、ラムも同じく瞳を涙でぬらしながら言った。
「……みんな同じ気持ちです。でも、あの魔力は私も初めて見ました。私たちだけでジン様を追うのは危険すぎます」
「でも、ジンが……まだジン、バーボンおじさまに会ってもいないのに……」
しゃくり上げるシェリーの背中を優しくなでながらラムが慰めるように言った。
「さっきワインがいろいろと観測を言っていましたが、ジン様は死んでいないということだけははっきりと言えます。死後に誰かに乗っ取られたのではありません」
ワインはハッとしたような顔でラムに訊いた。
「ラムさん、どうしてそう思う? それが本当ならまだ望みはある」
ラムは、シェリーの顔をのぞき込みながら訊いた。
「シェリー、いつかジン様が自分は卑怯者だって言って、私たちでそれを否定したことがあったよね?」
するとシェリーは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、こくんとうなずく。ラムはその涙を優しく拭きながら、
「あの時、私は団長の本当の力は誰かが制約をかけたんじゃないかって話したけれど、さっきのジン様を見てはっきり確信したわ。今のジン様は制約が外れ、真の力が覚醒していると。何が制約を外すきっかけになったかは分からないけれど……」
そう話している三人の前に、神の計らいかの如く、
「あらぁ、どうしちゃったのシェリーちゃん、泣いちゃったりして。ジン君はどこにいっちゃったのかしら?」
そう、にこやかに笑いながら賢者スナイプが姿を現した。
「賢者スナイプ様! どうしてここに?」
ワインが訊くと、スナイプは三人の顔をぐるりと見回して、
「そりゃあ、あなたたちの居場所はいつだって把握しているつもりだけれど……その様子ではジン君に何かあったみたいね? 何があったか詳しく話してくれないかしら?」
そう、碧眼に鋭い光を込めてワインを見つめた。
★ ★ ★ ★ ★
ジンは、緋色の瞳を細めて妖魔ハリネズミを追跡していた。
(俺に血の匂いを思い出させたヤツは、その罪を自身の血によって償ってもらう)
なぜかジンは、心の中でそう叫んでいた。
やがて、目の前にさっきの妖魔ハリネズミが見えてきた。ハリネズミは自身に恐るべき魔力の持ち主が急接近していることに気付き、こちらを向いて待ち構えていた。
『貴様か⁉ わが毒針を受けてよく生きていたな!』
驚愕したように言うハリネズミの正面、20ヤードほどの距離を取ってジンが立ち止まると、
『だがこれであの世に逝け!』
ドバババババッ!
ハリネズミは空も暗くなるほどの毒針を背中から発射する。
「同じ手は効かん」
ジンは唇を歪めてそう言うと、身体の周りにパッと紫紺の魔力を沸き立たせた。毒針はその魔力に突き刺さったように止められ、
「お返しするぞ」
ジンがそう言って左手を伸ばすと、すべての毒針がものすごい勢いでハリネズミの方に飛んでいく。
カンカンカンカン……ドムッ!
『ぐおっ⁉ き、貴様っ!』
妖魔ハリネズミは苦しげな悲鳴を上げた。ほとんどの毒針は、ハリネズミの身体から弾き返されたが、そのうちの数本が両目に突き立ったのだ。
『ガアアッ! 熱い、目や頭が熱いっ! き、貴様は魔族のくせに、なぜ人間の味方をして我をこんな目にッ!?』
自分の毒に当てられて顔面から腐食していくハリネズミを、緋色の冷え冷えとした瞳で見つめながら、ジンは感情のこもらぬ声で言った。
「血の償いは血で行わねばならぬ……それが俺の定めた『掟』だ」
『掟……おきて……オキテ……ま、まさかあなた様は……』
ジンの言葉に何かを思い出したように、ハリネズミはハッとしてつぶやく。そして何かを言おうとしたハリネズミに、ジンは
「まだ時は来ていない、何も言わずに静粛に死ね」
そう言うと再び左手を伸ばし、開いていた掌をぎゅっと握り込んだ。
ゴガッ!
『……まお……あがッ!』
何かが砕ける音がしたと思うと、妖魔ハリネズミは一声挙げて絶息した。
するとハリネズミは魔力が散じて、30センチほどの大きさに戻ってしまった。
「……ふん、『魔法石』か……誰が何のためにこんな小細工をして、俺に血の匂いを思い出させたのか……」
妖魔の側に落ちていた魔法石を拾い上げ、そうつぶやいたジンは、緋色の瞳に光を込めると、
「……俺に罪を犯させるからには、自らも共に地獄に堕ちる覚悟はできているんだろうな……エントシュルディゲン・ズィー・ビッテ……」
そう言うと、手に持った魔法石を粉々につかみつぶした。
「えっ⁉……」
そのころ、ジンの追跡を始めていたワインたちだったが、急に賢者スナイプは碧眼を見開いて立ち止まった。
「どうされましたか? 賢者スナイプ様」
先頭を歩いていたワインが、いぶかしげな声を上げて振り向く。彼は賢者スナイプが見せた一瞬の驚愕の表情を見逃さなかった。
けれどそれも一瞬のことで、スナイプはすぐに常の表情に戻り、
「何でもないわ。私は『賢者会議』に戻るわね? ジン君のことなら、あなたたちだけでも心配要らないわ……たぶん……」
そう、哀しいような、嬉しいような、怒ったような、なんとも言えない不思議な笑いを浮かべて言った。
「……賢者スナイプ様がそうおっしゃるのであれば間違いないでしょうが……」
ワインは、同じく立ち止まったシェリーとラムを見て続けた。
「彼女たちは不安でしょう。それにスナイプ様もジンを一目見たいのではないですか?」
スナイプはシェリーとワインを優しく見つめた。二人とも脅えたような、期待と心配が入り混じったような顔をしてスナイプを見ていた。
「私が行かなくても、ジン君は大丈夫よ。彼の魔力が感じられないかしら?」
優しくスナイプが訊くと、誰よりも早くシェリーがパッと顔を輝かせて叫んだ。
「……ジンだわ! これは確かにいつものジンの魔力よ!」
「うむ、確かに。とすると団長はあの妖魔を退治されたに違いない。急ごうみんな!」
ラムもそううなずくと、林の奥へと足を速める。シェリーもその後を追った。
「……あなたは行かないの? ジン君を頼んだわよって言ったわよね?」
スナイプが言うと、ワインは葡萄酒色の瞳をひたとスナイプに当てて、
「……ジンの『本当の能力』を封印したのはどなたですか?」
そう訊いた。
スナイプはニコリと笑って、
「……さあね? 少なくとも私や『賢者会議』の皆さんではないわ。このことは誓っていいわよ?」
そう答えて踵を返す。その後ろ姿に、ワインは静かに問いかけた。
「もう一つだけ……ジンの覚醒と『魔王の降臨』には関係がありますか?」
スナイプは後姿のまま答えた。
「……少なくともマイティ・クロウの未来とは関係があるわ。だから早くジン君をアルクニー公国から連れ出すことね」
そして、つぶやくように付け加えた。
「……私はジン君を封印したくはないから……」
ワインは、その言葉で後の質問を飲み込んだ。そしてスナイプが林の木々に紛れて見えなくなるまで、その姿を見送っていた。
「ジン、無事だったのね!」
僕は、シェリーの声でハッとする。辺りを見回すと、僕が妖魔ハリネズミに毒を食らった場所とは違う風景が目に入る。
(どうやら、また記憶が飛んでいるらしい。けれど変だ、今度はあの『声』はちっとも聞こえていなかったんだけれど……)
僕がそんなことを考えていると、シェリーが僕の手を取って、喜色満面で言う。
「よかった、ジンが無事で。アタシ、てっきりあのままジンは死んじゃうんじゃないかって心配したのよ?」
そこに、ラムさんも息せき切って駆けてくると、僕の顔を見て一つ大きな安どのため息をつき、
「ジン様、よくあの毒を中和されましたね? あっ、これがさっきの妖魔ハリネズミですね?」
そう、僕の足元に転がっているハリネズミの死体を見て言う。
「ジン様、『魔法石』はどこに? それともあいつは正真正銘の妖魔化したバケモノだったのですか?」
そう訊いてきたラムさんは、僕の手に握られた『魔法石』のかけらを見て、ひどく驚いて叫ぶ。
「それって、『魔法石』ですよね? 早く手を放してください。壊れた『魔法石』は封じられていた魔力を拡散させますから」
そう言われてはじめて、僕はしっかりと握っていた右手を開く。キラキラとする『魔法石』のかけらと共に、どす黒い魔力が噴き出て、消えた。ラムさんは僕の右手を念入りに改めると、不思議そうにつぶやいた。
「あの魔力は確かに『磁』だった。けれどジン様の手には魔力の痕跡すら残っていない……ジン様、一体どうやってあの妖魔を倒したんですか?」
「……分からない。シェリーの声で僕は我に返ったんだ」
僕が疲れたように言うと、ラムさんは少し何かを考えるふうにハリネズミの死体と砕けた『魔法石』を見つめていた。
「もう、そんなことは今はどうでもいいでしょ? 妖魔ハリネズミは倒したし、クエストクリアしたんだから。今はジンをゆっくり休ませてあげるべきよ!」
シェリーが怒ったように言うと、ラムさんもニコリとしてそれに同意した。
「そうだな。早く団長に休んでいただこう。団長、お疲れさまでした」
僕は、ヘンジャー町のギルドクラブでゆっくりと身体を休めていた。僕たちがクエストクリアしたことを担当者に伝えたら、担当者は
『まさか!……いえ失礼、それはありがとうございます。何とお礼言ったらいいか……』
そう言って僕たちに個室を貸してくれたのだ。
ワインとラムさんは、クラブの担当者と共に現場を確認しに出かけた。その後、報奨金は支払われるらしい。
「やっぱり何だか釈然としないわ。あの担当者、アタシたちの報告を信用していないみたいでシツレイだわ」
シェリーは少しお冠である。僕はいつものようにシェリーをなだめた。
「まあ、最初は5百ゴールドだった報奨金も、この町のバリバリ現役騎士が何度も敗れて2千ゴールドまで吊り上がっているからね。お金を出す方としては念には念を入れたいんだろう」
「それだって度が過ぎているわよ。ジンがあれだけ苦戦して倒したのに、それを信じてくれていないようなやり方って、アタシは我慢ならないわ」
そうぷりぷりしながら言うと、僕をじっと見つめて
「でも、ジンが無事でよかった。アイツの毒で身体中が黒くなって崩れていくジンを見ていて、アタシは泣くことしかできなかった……」
そう言うと、ポロポロと涙をこぼす。僕もその時の苦しさや身体の熱さ、そして絶望感を思い出した。
そして、
(僕はどうやってあの毒から生還できたんだろう。僕に何が起こったんだろう)
改めてそう考え、何も思い浮かばなかったのですぐに考えるのを止めた。経緯や理由はどうあれ、少なくとも今僕は生きている。だったら、僕は僕のすべきことをやるだけだ。
「……シェリー、心配かけてごめん。でも僕はこうして生きているんだ。僕らの進む先に何が待っているか分からないけれど、『騎士団』がある限り僕は止まるつもりはないよ」
僕がそう言うと、シェリーは涙を拭きつつ笑顔で言ってくれた。
「うん、そうだね。アタシもジンについて行くよ」
そこに、ドアを開けてワインが満面の笑顔で帰って来た。
「ジン、シェリーちゃん、この町の町長が特別ボーナスを出してくれた。報酬と合わせて3千ゴールドだ」
その後、ラムさんがひょっこり顔を出して、
「それに、ワインの財布も見つかりました。これで私の故国までの旅費は十分です、ジン様、せっかくですからユニコーン侯国までおいでください」
そう、にこやかに報告してくれる。
「それは良かった。しかしよく見つかったね?」
僕が言うと、ワインは機嫌がいい時に見せる片眉を上に挙げて肩をすくめるしぐさをして見せると、
「どうやら犯人はキミの『妖魔ハリネズミ退治』の噂を聞きつけたらしい。この町で一番の騎士が倒せなかった妖魔を倒したキミの力に脅えたんだろうね。司直詰所にサイフを投げ込んで一目散に逃げたらしい。まあ、財布の中身に1ソブリンたりとも手を付けていなかったから、犯人探しについてはどうでもいいけれどね?」
そう言う。そして僕を優しく見つめて言った。
「ジン、ボクはラムさんが言うようにユニコーン侯国に行ってみることをお勧めする。キミがあの妖魔と戦ってくれている時に、偶然賢者スナイプ様が見えられた。キミの今後のことを相談すると、ユニコーン侯国戦士長シール・レーズン殿とキミの父上について話してみることを勧められた。ついでにオーガ侯国戦士長スピリタス・イエスタデイ殿にもいろいろと訊いてみるといいとおっしゃった。行こう、ジン。路銀は十分にある」
僕はそれを聞いて、ゆっくりとうなずいた。僕がドッカーノ村に戻りたかったのは、まさに賢者スナイプ様と話がしたかったからだ。そのスナイプ様がそう勧めてくださったのであれば、僕にはドッカーノ村に戻る理由が無くなった。
「……行こうか、ユニコーン侯国まで。今までの旅とは比べ物にならないものにはなりそうだけれど」
僕が言うと、シェリーが笑って言ってくれた。
「いつかはおじさまの件を調べに行くつもりだったんでしょ? 『騎士団』を立ち上げた時に約束したとおり、アタシはジンについていくわ」
ワインも、葡萄酒色の前髪をサッとかき上げて笑ってくれた。
「ボクは最初からキミとこうした旅がしたかった。旅は見聞を広めてくれるし、いろいろな出会いがあるからね」
そしてラムさんは、とうとう念願がかなったという清々しい笑顔で言った。
「ありがとうございます。ユニコーン侯国はあなたを歓迎いたします、ジン・ライム様」
(Tournament11 ハリネズミを狩ろう! 完)
ジンって一体何者なんでしょうか?(2回目)
今作は全くの行き当りばったりで書いていますから、書き上げてみて初めて「へえ〜そうなんだ〜」ってことも多いのですが、ジンの変容には作者でありながら驚き桃の木です。
いよいよユニコーン侯国に向かうことになったジンたち『騎士団』、どんな旅になるのでしょうか?
話は全然違いますが、賢者スナイプみたいなおねえさんっていいですよね?
次回もお楽しみに。




