口に出さずにいられない
「ああ、もう!また間違っておられますわ。以前にも申し上げたではございませんか!」
「も、申し訳ございません!」
我が家で学院の友人数名を招いてお茶をしていた時のこと。ちょうど向かいの席にいる伯爵令嬢がマナー違反をしてしまっていることに気がついた。
学院に入学するまで領地で暮らしていたという伯爵令嬢は、必要最低限のマナーしか身に付けておらず、その所作で気になるところが多すぎてつい注意をしてしまう。
常日頃からあれこれ注意をしているので、学院では公爵令嬢たる私が伯爵令嬢をいじめているとの噂もあるようだけれど、誤りを指摘しているだけであり、間違ったことは何もしていないつもり。だから噂など気にしてはいない。
「ああ、そうだわ。来週、第二王子殿下とのお茶会がありますの。また貴女も同行なさいな。話はつけておきますから」
第二王子殿下は私の幼馴染で、日頃から親しくさせていただいている。私は世間では婚約者の筆頭候補と見られているらしい。
「えっ?あの…」
伯爵令嬢にビシッと扇子を向ける。
「いいこと?今の貴女に必要なのは緊張感と実践の積み重ねです。今は友人のみの気楽さで多少緩みも出てきているようですけれど、殿下の前ならば常に気を引き締めなければなりませんからね」
「は、はい!かしこまりました!」
同席していた友人達が伯爵令嬢に同情の目を向けていた。
王宮でのお茶会の日。
美しい庭が見渡せるテラス席にいるのは、私と伯爵令嬢と第二王子殿下。
今日の伯爵令嬢は緊張感からか少し表情が硬いけれど、今のところ大きなミスはしていない。でも細かいところでいくつか指摘する。
「そういえば、学院では貴女が彼女をいじめているとの噂があると聞いたけれど?」
殿下がニヤニヤしながら私に話しかけてくる。
「決してそんなことはございません!いたらない私にいろいろと教えてくださっているだけでございます」
私より先に伯爵令嬢が殿下に反論する。
「ええ、そうですわ。ただ誤りを指摘して指導しているだけですのよ。だって指摘されなければ間違っていることすらわからないではございませんか。それとも殿下の大事な御方が陰で笑われてもよいとおっしゃいますの?」
そう。
世間では私が第二王子殿下の一番の婚約者候補と思われているけれど、本当はこの伯爵令嬢が殿下と恋仲なのである。
学院の入学式の日、2人は出会ったそうだ。王都に出てきたばかりの伯爵令嬢は学院内で道に迷ってしまい、第二王子殿下と知らずに入学式の会場への行き方を尋ねてしまったらしい。そして殿下は殿下で伯爵令嬢に一目惚れしてしまったとか。
殿下から初恋を打ち明けられた幼馴染である私は、伯爵令嬢がいずれ殿下と並び立つ時のためにマナーや必要な教養などをことあるごとに教えている。公爵令嬢として幼い頃から厳しい教育を受けてきたので、指導役としては適任であると自負している。
そして2人の隠れ蓑として、明言は避けつつも第二王子殿下との親しさをさりげなくアピールするとともに、今日のお茶会のように逢瀬の機会を作ったりもしているのだ。
「いや、もちろんいじめなど噂だとわかっているんだが、貴女を悪者にしてしまっているようで申し訳なく思っているんだ」
「そうですわ、私などのために本当に申し訳ございません」
第二王子殿下と伯爵令嬢から謝られる。
「謝る必要などございませんわ。しょせんは噂ですもの。それに私がどれだけ厳しくしたところで、なぐさめて甘やかしてくださる方がちゃんとおりますでしょう?」
2人揃って顔を赤くしたのが少し面白かった。
「だが、もしかしたらその噂のせいで貴女の婚姻に差支えがあったりするのではないか?私はそこが心配なのだが」
気を取り直した殿下が真剣な表情になる。
「あら、そんな噂に振り回されるような相手など最初から対象外でございましょう?それに私の縁談ならば父がいろいろと考えてくださっているようですから、それに従うまでですわ」
「でも、本当にそれでよろしいんですの?」
伯爵令嬢も心配そうな表情で聞いてくる。
「ええ、私は公爵令嬢として幼い頃からそう教えられてきましたから」
私のことなど気にせず、恋を叶えて幸せになってくれていいのに。この2人は少し優しすぎるのかもしれない。まぁ、そこもお似合いではあるのだけれど。
「あの、本当はどなたかお好きな方がいらっしゃったりしませんの?」
そう尋ねてくる伯爵令嬢に、広げた扇子で口元を隠して微笑む。
「さぁ、どうでしょうかしら?もしも慕うお方がいたとしても、叶わない恋ならば誰にも知られないようにいたしますわね」
そう、きっと私だけの秘密として一生大事にするつもり。
「さて、お茶会も一区切りつきましたし、私はいつものように王宮の図書室で本を読ませていただきますわね。帰りの時刻までお2人でどうぞごゆっくりとお過ごしくださいませ」
テラスから離れて王宮内の図書室へと移動する。もはや通いなれた廊下なので1人きりで歩く。
王宮の図書室は大変貴重な書物も多く、本好きにはたまらない空間だ。
いつものように本棚から気になった本を選び、図書室の片隅にあるソファーに座って読み始める。窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりもいつしか耳に入らなくなっていた。
「何を読んでいるのかな?」
あまりに読書に集中していたので、誰かが近付いてきたことにも気づかず、突然聞こえてきた声にビクッとしてしまった。
「お、王太子殿下?」
苦笑する王太子殿下。
「すまない、驚かせてしまったようだね」
王太子殿下が私の隣に腰掛けて微笑む。
「弟からいろいろと聞いているよ。彼らのために配慮してくれていること、兄として感謝している」
「いえ、大切な幼馴染と友人のためですから、私の出来ることでしたら協力させていただきますわ」
私の答えを聞いて真剣な表情に変わる王太子殿下。
「不躾な質問で申し訳ないのだが、貴女は本当に弟のことを幼馴染としてしか見ていなかったのだろうか?」
「そうですけれど…もしかして私が第二王子殿下のことを好いていると思われていましたの?」
「いや、ほら、貴女と弟は幼い頃からとても仲がよかっただろう?だから、もしかしたらそういう感情があったのに他の女性に譲ったのではないかと心配になったのだ」
少しあわてた様子の王太子殿下がおかしくて、クスッと笑ってしまった。
「ご心配いただきありがとうございます。でも、今も昔も第二王子殿下に恋愛感情はありませんわ。友人というより弟みたいなものでしょうか。だから伯爵令嬢との仲を取り持つのも実は結構楽しんでおりますのよ」
弟みたいといっても、誕生日は私が半年早いだけなんだけれど。
ふと気になったことを聞いてみる。
「王太子殿下、それよりも本日はどうなさったのですか?確か隣国へ出かけられていると聞いておりましたが」
だいぶ前に隣国の第三王女殿下と王太子殿下との婚約が決まり、話も順調に進んで今回も王女殿下にお会いするのと今後の打ち合わせのために隣国へ出かけていたはずである。
「ああ、それね。正式な発表はこれからだからまだ黙っていて欲しいんだけれど、婚約は先方の事情により解消となったんだ」
「は?」
確か婚約の申し入れは隣国からだったはずである。
「第三王女殿下には以前から好きな男性がいたそうで、駆け落ち未遂をやらかしてしまったらしい。まぁ、すぐに見つかったのだけれど妊娠まで発覚してね。それならば婚約は解消しようという話になった。こちらに非はないから損はないし、ここだけの話だが王女殿下はあまり好みではなかったので、むしろありがたかったかな」
苦笑いする王太子殿下。
「そうなのですか?」
婚約当初から仲むつまじいとの噂だったので、王太子殿下の意外な発言に驚く。
「あちらの姫はだいぶ甘やかされて育ったようでね。あのままでは未来の王妃としてはやっていけないから、教育が大変そうだとは思っていた」
以前、我が国を訪れた際の歓迎式典で見たことはあるが、かわいらしい方だったけれどスピーチはずいぶんと頼りなく感じた記憶がある。
「父である国王陛下には婚約解消の件はすでに報告済みだ。そもそもあの婚約は父が決めたものだったので謝られた。そして次こそは私の選んだ女性にしたいと言ったら認めてくれた」
婚約解消が決まったばかりなのに、もう次を考えておられる…?
「あの、それは、もうどなたかお好きな方がいらっしゃるということでしょうか?」
「ああ、そのとおりだ」
こみあげてくるどうしようもない感情を無理やり抑え込んでいると、王太子殿下が私が持っていた本を取り上げて傍らに置いた。
そしておもむろに立ち上がり、私の前にひざまずいた。
「貴女は弟のことが好きだとばかり思っていたから、隣国の王女との婚約を受け入れた。だが私の婚約は解消され、貴女の気持ちが弟に向けられていないこともわかった。だから、どうか私とともに歩む人生を選んではもらえないだろうか?」
突然の言葉に何も言えずに固まっていると、王太子殿下は立ち上がって私の顔に手を添える。
「どうして泣いている?」
私は自分が涙を流していることに気付いていなかった。
「も、申し訳ございません。貴族たるもの、安易に感情を表に出してはいけませんのに」
殿下の指が私の涙をそっと拭う。
「だいぶ前のことだが、貴女のお父上が私の父におっしゃっていたよ。貴女は初めての子供ということもあり、幼い頃から厳しくして教育もあれこれと詰め込んでしまった。そのために常に微笑みを作って感情を表に出さず、子供らしさをすっかりなくしてしまった。そのことをとても後悔しているとね」
「父がそんなことを…?」
言われてみれば弟や妹にはあまり厳しくなかった気がする。
「今の貴女のその涙、その理由を聞いてもよいだろうか?」
優しい声で問われ、つい白状する。
「わ、私は幼い頃からひそかに王太子殿下をお慕いしておりましたの。でも隣国の王女殿下との婚約が決まり、この想いは死ぬまで心に秘めておくつもりでした。それなのに殿下から急にあんなことを言われてしまい、どうしていいかわからなくなってしまったのです」
涙はまだ止まらない。
「そうか」
微笑みながら私の隣に座り直した王太子殿下はそっと私の肩を抱き寄せた。
「どうやら私達は少し遠回りしてしまったようだね。私の前では泣いたり笑ったりする素直な貴女を見せてほしい」
「…はい、殿下」
王太子殿下のぬくもりを感じながら泣き疲れて少し眠ってしまった私は、第二王子殿下と伯爵令嬢が呼びに来たことにも気づかず、目が覚めてからこれ以上はないというくらい赤面してしまっていた。
「ふふふ、可愛らしいところを見せていただきましたわ」
微笑む伯爵令嬢の言葉に、思わず恥ずかしさで顔を両手で覆って伏せてしまった。
そこからは怒涛の日々だった。
翌日には王太子殿下から我が公爵家へ正式に婚約の申し入れがあり、両思いであることを伝えると家族揃って祝福してくれた。
「お前は自分に対して厳しすぎる面がある。少しは王太子殿下に甘えられるようになりなさい」
そう言葉をかけてくれたお父様は、とても優しく微笑んで抱きしめてくれた。
私が王宮内の図書室で求婚されていた頃、テラスでは第二王子殿下も伯爵令嬢にプロポーズしたそうで、こちらもめでたく成立。
そして詳細が決まったところで、王太子殿下が隣国の王女との婚約を解消すると同時に私と婚約し、第二王子殿下と伯爵令嬢の婚約もあわせて発表したため、世間や学院では大騒ぎとなった。
さらに結婚式も2組同時に行うことも発表され、今はその準備に追われている。
「ん~、悪くはないのだけれど、こうした方がより優雅に見えると思うわ。いかがかしら?」
王宮のテラスで私と王太子殿下、そして第二王子殿下と伯爵令嬢の4人でお茶をする。式の準備の合間の貴重な息抜きだ。
「ああ、なるほど。確かにそうですわね」
感心した伯爵令嬢が私の所作を真似る様子を見て、第二王子殿下がニコニコしながらうなずく。
伯爵令嬢はもうささいなミスもしないようになり、今は所作に磨きをかけている。第二王子殿下の婚約者になってからは、貴族社会にもだいぶ慣れてきて余裕も出てきたようで、したたかさが見え隠れするようになってきた。
「貴重なご意見ありがとうございました、お義姉様」
伯爵令嬢に笑顔でそう言われ、ふと見れば王太子殿下と第二王子殿下も私に笑顔を向けていて、一瞬で顔が熱くなる。
「ま、まだ姉ではございませんわよ!」