五分後に終わる世界
目の前には、大きな惑星が迫っていた。
そして、その膨大な質量によって歪められた空間が、我々の乗って来た宇宙船を否応なく引き寄せている。
宇宙船にはもうエネルギーがほとんど残っていなかった。
脱出は不可能だろう。
完全に失敗だ。
近くの恒星にもう少し留まり、エネルギーを充分に補充してから出発するべきだった。まさか、ワープ航路の計算に失敗するとは思いも寄らなかったのだ。
ところが、その絶体絶命のピンチに、我が宇宙船の専門技師にしてコンピュータ科学の権威でもあるQOLタカハシが、「助かる方法があるかもしれない」とそう提案して来たのだった。
私はその言葉に耳を疑った。
エネルギーがないこの状態で、どうやってこのピンチを切り抜けると言うのだ?
或いは、目の前の巨大惑星に不時着する算段でもあるのかもしれないと考えたが、彼はそれを否定した。
「違う。あの惑星は質量が大き過ぎる。この宇宙船も我々も耐え切れないだろう。そうではなく、私は別の世界に脱出する方法を考えたのだ」
――別の世界?
私はその表現が妙に気にかかった。詳しく聞きたかったが、もう時間はそれほど残されてはおらず、QOLタカハシが作業に取りかかり始めてしまったので、結局は何も聞けなかった。
やがてQOLタカハシが作業を終えた。彼は緊急避難用のカプセルを人数分用意していた。どうやら、そこに入れという事らしい。まさか、これで宇宙船の外への脱出を計画しているのだろうか?
確かにカプセルにはある程度の耐久力はあるが、それだけでは例え巨大惑星の引力圏から逃れる事ができたとしても、宇宙空間を彷徨ううちに、いずれ我々は飢え死にしてしまうだろう。
当然ながら、皆も不安を覚えていたようだったが、彼はそれに「違う」と返す。
「言っただろう? 別の世界に脱出する方法を考えた、と。とにかく、時間がない。皆、早くカプセルの中に入るんだ」
そう促されて、皆はカプセルの中へと入っていった。カプセルの中にはプラグが用意されており、QOLタカハシはそれを脳に接続しろと指示を出してくる。
私は先ほどから覚えていた不安が俄かに大きくなるのを感じた。
当然ながら、プラグと接続しても外の世界に脱出できるはずがない。できる事と言えば、意識を遮断して安楽死するくらいだろう。
そして、私はそこで思い出したのだ。
QOLタカハシ、彼が熱心な宗教の信者であった事を。
科学者が宗教の信者と聞くと、違和感を持つ者もいるかもしれないが、実はそれほど珍しい話でもない。
その宗教では天国の存在を認めていて、死後はそこに至ると教えている。
別の世界。
彼の言うそれは、或いは、天国の事ではないのか?
「おい! 我々は彼に騙されているのかもしれないぞ? 彼は我々を安楽死させるつもりなのじゃないか?」
危機感を覚えた私は、通信機能で隣のカプセルの同僚にそう訴えた。しかし、同僚はこう返して来る。
「そうかもしれない。が、もう手遅れだ。後、五分ほどで、この宇宙船は惑星の重力で破壊されてしまう」
そこでQOLタカハシの声が聞こえた。
「さぁ、準備は整った。別の世界へと脱出するぞ!」
そして私の視界は真っ暗になった。
再び目を覚ました時、私はそこに広がるその光景に我が目を疑った。
青い空にエメラルドグリーンの美しい海、真っ白な砂浜の向こうには、緑の樹木が繁茂していて、美味しそうな果実がたわわに実っている。
「ここは…… 天国なのか?」
思わずそう呟いた。
見渡すと、近くには宇宙船の他の仲間達の姿があった。もちろん、QOLタカハシもいる。
「陳腐なチョイスで申し訳ない。長年、研究しかして来なかったものだから、このような世界くらいしか思いつかなった」
彼は皆に向ってそう謝罪した。
「ここは何処なんだ? 我々はあの宇宙船から脱出したのか?」
誰かがそう彼に尋ねた。彼はそれに「その通りだとも、違うとも言える」とそう応えた。
「物理的な意味では、我々の身体はまだあの宇宙船の中にいる。しかし、或いは精神的な意味でなら、我々はあの宇宙船を脱出したと言っても良いかもしれない」
そこで一呼吸の間を空けると、彼は皆に向ってこう告げた。
「ここは間違いなく、“五分後に終わる世界”だ」
そこまでを聞いて、私はおぼろげながらこの世界の正体に気が付いた。
精神に重い障害が生じる危険性がある為、禁じられているテクノロジーがある。コンピュータに精神を接続し、超高速計算を行う事で、時間の流れを凄まじく遅く人間に感じさせるという……
「まさか、ここはコンピュータの中のシミュレーション世界なのか?」
私がそう呟くように言うと、QOLタカハシはゆっくりと頷いた。
「その通りだ。
現実世界のわずか数秒を、ここでは何年にも感じる事ができる。例え、五分後に終わるとしても、ここでは百年以上の時間の流れに感じるだろう。
もちろん、コンピュータにはかなりの無理をさせているが、心配しなくて良い。五分程度なら耐えられるはずだ」
私はそれを聞いてゆっくりと大きく頷いた。だが、心境は複雑だった。
ここでは老いも飢えもないのだろう。我々は何の苦しみも感じずに暮らしていけるのかもしれない。
――しかし、果たしてこれは助かったと言えるのだろうか?
もちろん、あの状況下では、これくらいしか延命(?)の手段はなかったのだろう。
だが、もしかしたら、天国とはこんな場所なのではないか?
人工的に創造された、その美しい空と海を眺めながら、私はそう思った。