第2話 褐返廉太郎 月白日茉莉、依頼を受ける
。ちょっとぉー ねえねえー おきてるー? あけるよぉー。
ドシドシ扉をたたきながら 月白日茉莉がよびかける 彼女は 返事もきかずに鍵穴に鍵をさしこみあけてしまうと 扉をあけてなかにはいった
六畳間のせまい部屋に 紙が散らばり 書籍がつみかさなっている 琥珀のなかのように 動かない空気中に埃がもわもわうかんでいた
。うっ。
彼女は顔ををしかめると 紙を足ではらいのけて窓のほうに そして錠をはずして 卵の殻を割るように窓をいきおいよくあけた 洞窟から脱け出た気分がする
。いつまで寝てるの。
そう言うと彼女は へやをでて 廊下においていた昼食のトレイをもってまたはいってきた
。もう何日も何も食べてないんでしょ どうせ どうしようもない人 大学を辞めて こんなに自堕落になって 家賃も払わないし 母さんがあんたに絆されてなきゃ とっくに追いだされてるわよ うまくやったもんね 今日はそれを言いにきたの。
彼女は喋りながら 椅子をベッドのよこに移動させ そこにトレイをおいた トレイのうえには パンと 塩胡椒をふっただけの目玉焼きと 豆腐と玉ねぎとわかめのみそ汁と リンゴ三切れ が あった
。……いま何時?。
寝ぼけまなこに答えた 彼は褐返廉太郎 日茉莉の母のもつこのアパートを借りて暮らしている
。もう十二時 昼の 真っ昼間 いつまで寝てるつもり。
。昨日は遅くまで勉強していたんだ 依頼がきた時のためにね。
。いつまで夢見心地なのよ 探偵なんて 小説のなかだけ 依頼なんてこないのよ。
。しかしなんでこんな昼間に君がいるんだ 学校はどうした。
。今日はテストの日だから それ終えて帰ってきたの はいこれ 昼ごはん。
。ありがとう 最近たいしたもの食べてなかったんだ。
。やっぱり。
腰に手をあてて胸をはる日茉莉 天窓からさしこむ日光のもとに移動した彼女は 紺のニットベストをきた制服がキラキラ反射して 神々しくみえた そのとき
。すみません。
と ひらきっぱなしのドアのところから 男の声がした さして特徴のないスーツ姿だ
。なんですか。
うすい掛布団を床におとして ベットから半身おきあがった廉太郎がきいた 上下の茶色のパジャマはよれよれである 彼はつづけて大きくあくびをした
。ここが働き屋だときいたんだが あってるかな。
。ええ そうですよ。
男は 胡散臭そうに部屋をながめまわすと
。入っても いいかな。
ときいた 廉太郎がうなずくと 日茉莉は彼のもとへ近寄って 口を手でかくしながら
。ねえ もしかして 依頼人じゃない?。
とささやいた
。そうかなぁ。 廉太郎はきょうみなげに相槌をうつと 。あの 依頼ですか。
ときいた
。ええ 探してほしいものがあるんです。
はぁっ と日茉莉がいきをのむ 彼女はトレイを椅子のうえからのけてそれを床におくと 椅子を依頼人の男のもとへはこびそこに坐るよう指示した そしてすぐに 廉太郎のもとへもどり しゃんと坐るようけしかける
。なんですか。
。ちゃんと働く気があるのかね。
依頼人は廉太郎の態度にすこし不満げである
。ええ 話してください。
依頼人は諦めたように話しはじめた 男が話している最中に 廉太郎はへやをあさり 衣服をかきあつめて きかえていった
冷蔵庫からミネラルウォーターをだして コップについで 依頼人にわたした そのあいだも日茉莉は廉太郎のほうをみたり 依頼人のほうをみたり そわそわして 話をきいてるようすのない廉太郎のぶんまでしっかりきかなきゃ と おおげさに頷いたり相槌をうったりしたのだった
。これは三日前の話だ 私はとあるところに出張をして そこではとある旅館に泊まったのだ しかしとなりの部屋に赤子連れの女性がいるようで 寝ようとしても 赤子の泣き声と それをなだめる母親の声が絶えずきこえてきてな 眠れずにいらだった私は 旅館をでて少した散歩にでることにした 近くに森と 大きな湖があるというのを知ってたので せっかくならその湖まで歩くことにした その時にだ 私は鞄のなかから資料をとりだした つまり 二週間後に控えるプレゼンについてだな そこで歩きながら思いついたことをメモして 二週間後のプレゼンに活かそうというわけだ それで歩きはじめたわけだが 森のなかを歩いているあいだも 資料を見ていると 面白いようにたくさんのことを思いつくんだ 脳が冴えてな それで満足したころに ようやく湖にたどりついた 満足感と森のざわざわした静けさと湖の細やかな波にみとれて心を鎮めていた時のことだった 不意に風がやんだかと思うと 湖の中心あたりがごぽごぽと泡立ちはじめ 目を凝らしていると そこから怪獣の頭がにょきっとあらわれでたんだ ながい首のドラゴンのような奴だ それはこちらに近づいてきた 私はあまりの恐怖に身を固めていた するとそいつは鱗におおわれた大きな鼻をこちらに寄せて 私のほんの十数センチさきでひくひくにおいを嗅いだ そしてぶゎああと湿った息を吐きだした その時に私はようやく足が動き 慌ててその場を去った そして旅館の部屋に戻ったのだが さっきはただうるさく感じていた赤子の泣き声だったが その時ばかりは その泣き声に何やら 安心感をおぼえて へやに着くなり眠気が襲ってきたものだった 湖のふちの私が立っていたところに 怪獣から慌てて逃げる際に 資料を落としてきてしまったであろうことに気がつくのは つぎの日の朝だった 私はすぐに旅館をでて帰らなくてはならないし ふたたび湖に近寄るのは気が引けるしで にっちもさっちもいかないところなんだ どうか代わりに行って拾ってきてくれ プレゼンは十日後にある 一週間以内に取り返してきてもらいたい たのんだ。
男が話し終えたとき 廉太郎は灰色のパーカーとジーンズにきかえおえ リュックサックに 財布やら水筒やら小説を一冊 用意を終えていた 日茉莉はきき終えると大きくうなずき 廉太郎のほうをみた
。なるほど だって どうする。
。今すぐ行くよ。
廉太郎の言葉に 依頼人は驚いたようだった
。い いますぐにか。
。ええ 連絡先を教えてください 見つけたら連絡しますから 連絡がなくても一週間後にもう一度ここへ来てください 料金ですが 依頼料は五万円 成功報酬はそちらに任せます では もう今から話の湖にむかいますから 紀園湖ですよね ええ この紙に 名前と住所と連絡先をお願いします では。
矢継ぎ早にそう言うと廉太郎は部屋をでた
。まって。
いそいでおっかけた日茉莉は 部屋をでるまえ くるりと依頼人のほうをむくと お辞儀をして また駆けていった