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月を喰らう夜

作者: まどろむ

  その日、キカ国は現国王戴冠五十年、及びマギノ生誕五十周年を祝う祭りを行っていた。

 

 マギノとは、限りなく人間に似せられたロボット、あるいはアンドロイドである。

 もっとも似ているのは外見だけで、運動能力や記憶能力は人間より遥かに秀でていたし、逆に創造能力や魔法力は遥かに劣っていた。

 主の命令には絶対服従だが、それ以外の時は自分で思考し行動する、人間に似た機械。

 マギノという名前は、これらのアンドロイド製造に大きく貢献した、一人の偉大な博士、マギノ博士の名前を冠したものである。



 日もすっかり沈み、天の頂にはまばゆいばかりの光を放つ月が鎮座している。

 月と共に暗い空を彩る星々は、月の恩恵を受けてより一層輝きを増しているようだった。


「我が国がマギノとの共存の道を選んでから、早五十年となった」


 キカ国王城、一階大広間。

 千人を集めてもなお余裕があるその空間で、キカ国を支える重要人物達が一堂に会していた。

 また、その中にはマギノも二割ほど含まれている。

適材適所、人間と機械。双方の長所を発揮し、短所を補い合う。彼らが手を取り合うことで、キカ国は急速な発展を遂げていた。周囲を険しい山脈に囲まれているため、近隣諸国との軋轢をそれほど考慮せず、自国の発展にまい進できることも、いい方向に働いていた。

 そんな彼らが席を分けることもなく、入り混じり隣り合い座り、談笑している。


「決して平坦な道のりではなかった。しかし人間とマギノは、互いの肩を支え合うことによって、この五十年という節目まで足並み揃えて登り詰めることができた。

 しかしこの長い山路は、まだ頂を迎えてはいない」


 キカ国の国王、ダイナル王は、横に広い階段を昇った先にある玉座を立ち、高らかに告げる。老いてなおその声には張りと逞しさ、何より威厳が感じられる。

 先王の不幸な死去により、若くして王家を継いだこの王は、マギノを国を挙げて製造することや、国民に魔法を義務教育として学ばせることを決めるなど、革命的な決断により、キカ国を豊かにした偉大なる王、と評されている。

 五十年という歳月は、彼が新たなる王となってからの月日を表すものでもあった。

 


「我が身はこれからも、この国の心臓部たる誠実な歯車であることを約束しよう!

 そして誓おう、国民全て、マギノ全てに大いなる月の祝福をもたらさんことを! 乾杯!!」


「「「「「乾杯!!!!」」」」」


 割れんばかりの歓声と共に、その場にいた者たちが一斉に祝杯を挙げた。

 軽快な音楽に合わせ踊る人々。次々と運ばれる豪勢な食事。

 マギノは食事を摂取しないが、この日のために用意された高濃度エネルギー液は彼らの冷たい体を甘美な恍惚と共に潤した。


「王様、おめでとうございます」

「王様、私もより一層この国のために尽くします!」


「うむ、ありがとう。だがこれは皆で得た成果である」

「ああ。だが、一人で成し遂げようとはせぬことだ。人間にせよマギノにせよ、群の前で個は無力なものだからな」


 口々に述べられる賛辞と崇拝の言葉ひとつひとつに、ダイナル王は貫録と慈愛を以て応えた。


「王様」


 その一つ。

 一人の美男子。

 否、美少女にも見えるが。

 答えはそのどちらでもない、美しいマギノが王に声をかけた。


「おお、エクスナ! まさか来てくれるとは思わなんだ。大精霊砲の整備に向かっていたと聞いたが」

 

 王はエクスナを見るなり破顔し、旧知の友人にするように親しげに肩を叩いた。


「神聖なるこの日に、私が参上しない理由がありません、王様。そちらはマギノ博士に任せて参りました」


 エクスナは王の前に跪き、頭を垂れた。

 それは決して卑しくなく、エクスナの王に対する深い敬意が現れた、優雅な仕草だった。


「よい、よい、表を上げよ」

「では、失礼致します」


 エクスナはすっと立ち上がる。

 この切り替えの早さはマギノならではだな、と王は内心苦笑した。



 エクスナは五十年前、王に初めて謁見を許されたマギノである。

 当時二十五歳、若輩者のマギノ博士が初めて完成させたアンドロイド。

 その性能や、何より安全性を危惧し、王に直に会わせることは多くの臣下が反対した。

 しかし王の強い意向により、謁見が許されたのだった。


「あの頃は、我も若かった。緩やかに衰退していくこの国を変える、劇薬を欲していた」

「マギノ博士が我らの母ならば、王はまさしく我らの父。王の勇敢なる決断は、必ずや後世に語り継ぎましょう」

「ふ、ふ。あの日と変わらぬそなたの美貌を眺めていると、人の身である自分が些か憐れに思える」

 年老いた王は、エクスナの美術品と見紛うほどの美貌、その皺ひとつない肌を、慈しむように指でなぞる。

 エクスナは瞬きをひとつしただけで、されるがままになっている。

「ご冗談を。国民に聞かれては、マギノが恨まれてしまいます」

「……我も老いた。最早この城を出ることすら叶わぬほどに」


 キカ国王城は、四辺に巨大な四つの球体を掲げていた。

 それらは月が夜ごと発する膨大なマナを蓄積し、城内に行き渡らせる効果を持っていた。

 これにより城内にいる人間は心身共に健やかに過ごすことができる。人間は食事や自然に触れることによってマナを循環させて生きる生き物だからだ。

 また、代々王が所持する「神月の指輪」は、月がこの世にある限り、指輪を持つ者を致命傷や毒から守る。キカ国が月を聖なるものとして崇める所以である。

 しかしだからと言って、老化までは防ぐことができない。

 パーツを取り換え続ければ永劫に生き続けるマギノとは異なり、人間は、老いて死ぬ。

 それだけはダイナル王とて例外ではなかった。


「ですが、人間は新たな生を創造することができます」


 マギノはすっと、大広間で踊る王子と王女を指差した。


「あれは我々マギノには成し得ぬ、崇高な『生産』かと」

「ふ、ふ。であるなら、人の王としては、もう少し『生産』しておくべきだったかの」


 二人はそれからしばらく、他愛ない会話を交わした。

 時刻はもうすぐ一日の終わり。

 そこでふと、エクスナは縦に大きな窓から空を見上げた。


「王様。今日という日を祝して、私から――いえ、我々マギノから、贈り物がございます」

「ほう。マギノが不意打ちで贈り物とは珍しい。明日は月が昇らぬかな」

「さて、いかがでしょうか。……空を、いえ、月をご覧下さい」

「皆で分け合っても行き渡る贈り物か?」

「ええ、充分に」


「皆の物、我らが偉大なる月を見よ!」


 王は一際声を張り上げて宣言した。

 皆が一斉に窓辺に寄り、月を見上げる。


「王よ、我らはこちらに」


 王の玉座、その後ろの窓を開けると、それなりに広さのあるバルコニーに繋がっていた。

 二人は並んで外に出る。風はないものの肌寒さを感じる、静かな夜だった。


「ふ。小さい頃は、よくここに隠れたものだ」


 王は立派な宝石のついた杖を頼りに、ゆっくりとバルコニーの端に立った。それから真っ白な手すりに身を預け、濃紺の空に浮かぶ真円を描く月を見上げる。


「おお、我らが偉大なる月の光よ」


 大広間の時計の長針が、かちりと動いた。

 もう一つ動けば、夜の頂だ。


「王様」

「どうした、エクスナ。お前もこちらに来ぬか」


 王はエクスナに手を差し伸べる。

 しかしエクスナは、王から三歩ほど離れた位置から、動こうとしなかった。

 やがてエクスナは、静かに首を振る。


「いえ、それは許されませぬ」

「何?」

 

 王は月から目を離し、エクスナを真っ直ぐ見据える。

 エクスナの瞳は、宝石のように透き通っている。

 ただその声音が、マギノらしからぬ僅かな震えを讃えていた。


「王様。マギノは、嘘偽りを申し上げることができます。人間と同じように」

「無論。人間がそれを糾す権利はない」

「ですがこれだけは、信じて頂きたい。私は――王様を心より、慕っております」


 それは、絞り出すような告白だった。

 痛みを伴うかのように、エクスナの顔が僅かに歪む。


「今更……今更何を言うか。我がいつ疑った」


 エクスナの不審な態度に、王は戸惑いを隠せなかった。

 それこそこの五十年、見たことのない表情だった。


 そしてエクスナは、


「王の心を疑う無礼をお許し下さい。――いえ、どうかお許しなさらぬよう。


 王様。



 この国に住まう二つの神は、今を以て闇に還ります」


 決別の言葉を、告げた。



 時計の針が、動いた。

 エクスナが首を少し上に向けたことで、王も反射的に頭上を見上げた。

 そこには月がある。

 どこかで巨大な、山が崩れるような轟音が響いた。

 びゅおおおおと、空間を切り裂くこの上なく不吉な音。

 闇だ。

 底のない漆黒色の弾丸が、濃紺の空を切り裂き、星々を踏み潰しながら、月に向かっている。

 それは月ほどの大きさ。

 地上から見上げてそう見えるなら、実際の大きさはどれほどのものか。

 月とその光は、マナの象徴。

 ならばその真逆である暗黒は。

 マナと対になるもの、マナと相容れぬもの、その象徴。


「あれは――なんだ!」


 さしもの賢王も、一目にはその正体を掴めなかった。


「大精霊砲より打ち上げられた、巨大なマギノ。『月を喰うもの』でございます」


「な――いや確かに、しかしそんなことをすれば――!」


 月が、闇と重なる。

 すっと線を引くように。

 白い点を黒い筆で塗り消すように容易く。

 月が、その姿を消した。


「が――ぐっ!!?」


 その事実を、脳が咀嚼する前に。

 王の体に、致命的な変化が訪れた。

 王はその老体を、月の加護によって守られていた。

 ならば月が亡くなれば。

 万が一億が一、ありえぬことが起きたなら。


「……王よ。せめて、王を苦しめずに闇に還す大罪を、私に頂けますよう」


 がくりとその場に膝をつく王を、変わらぬ透き通った瞳で見下ろすエクスナ。

 王は、自身を守っていたあらゆる月の加護が失われたことを体感した。

 それはたった今、天上で起きたことがまやかしではない、厳然たる証だった。

 エクスナの腕が、音もなく刀に変わる。

 三日月のように細長く弧を描く、皮肉めいた純白さを持つ刀だった。


「王!!!」


 月の異変を目撃した近衛兵や腕に覚えのある者たちが、こぞってバルコニーに突入してきた。

 その雪崩のような進軍を、


「下がれ無礼者共。神聖なる儀式の最中である」


 エクスナは振り返りもせず、冷徹な一言で一瞬、停止させた。


「何を言うか、この反逆者が――!」


 しかし我に返った五・六人が一斉に、自慢の剣や槍を振るいエクスナを背後から襲う。

 しゃおん、と月を滑るような、澄み切った音が響いた。

 分断と、鮮血。

 魔法装甲を付与した分厚い鎧さえバターのように切り裂いて、エクスナの刀は綻び一つない。

 不可侵の月の美しさに似ていた。


「人間は、我々に勝つために魔法を学んだ。

 王よ。あなたは誰より先に、この事態を予見していたのですね」


 エクスナは返り血を浴びてなお、否、浴びて更に人間離れした美を体現していた。


「ふ……ふ。

 さすがの我も、月を喰われるとは思わなんだが……な!」


 王の持つ杖から、獣の姿をした炎が現れ、空中を疾駆しエクスナを襲う。

 直撃。

 煙がゆっくりと晴れる。


「……見事です、王よ。月のマナを得ずにそれだけの魔法を咄嗟に行える者は、あなた以外に何人いるか」


 焼き爛れた左手をだらんとぶら下げて、エクスナは言った。綻んだ疑似繊維の隙間で、ショートした回路が小さな火花を散らしている。左手で庇った顔には傷一つない。

 エクスナはその傷口を、愛おしむように一瞥した。


「この傷を我が生涯の宝物とすることを、お許しください。

 例えそれが原因で、機能を停止することなっても」


 エクスナが右腕を、刀を振り上げた。


「動くな!!!!」


 同時に王が叫ぶ。

 無論、それは魔法ではない。王にはすでに、いかなる魔法を行うマナも残されていなかった。残っているのは、今にも掻き消えそうなか細い命の灯だ。

 しかし、エクスナは動きを止める。


「……王よ。その賢明は、しかし無意味です。

 どちらにせよ我々は、全てを破壊する命を受けております」


 王が叫んだのは、エクスナにではなく、その背後からエクスナに襲い掛からんとしていた、王と王女、並びにキカ国に欠かせぬ忠臣たち。


「命、とな。

 ふ、ふ。やはりマギノの奴め、腹に一物持った男であったか」


 そもそも王に攻撃を行えぬよう、マギノには何重もの思考・動作プロテクトがかけられている。

 それを破ることができるのは、マギノ博士しかいなかった。

 マギノは命令に絶対服従。

 エクスナが王をどれだけ慕っていようと、造物主の命令には逆らえない。

「……」

 エクスナは答えない。

 しかしその沈黙は、ほとんど返答に等しいものだった。

 もっともどちらにせよ、犯人がマギノ博士であることはある意味で明らかであり、エクスナが口を滑らせた、というよりは、懺悔に近いものだった。

 

 王は、深く息を吸い込んでから、言った。


「エクスナよ。キカ国の王として、最後の取引を行う」


「……ご随意に」


「我の命と引き換えに、今生き残っている者らを生かせ」


 これまでと意味合いの異なる沈黙があった。

 エクスナは、王の意図を探るべく素早く思考を走らせる。


「……王よ、最後に狂われたか。あるいは、私の情を期待しているのですか。冷たい心臓で動く、私の」

「無論、交渉材料はある。

 ……我が魂、お前の命と引き換えにするだけの価値はあろう?」

「……! 命そのものを、マナとして使うおつもりか」

 

 人間はマナで動いている。

 ならば生きている限り、命を動かすだけのマナは所有していることになる。

 しかしそれを使うということは、すなわち紛れもなく、命を落とすことを意味する。


「お前が剣を振り下ろすより早く、マナを爆発させる自信はあるぞ。

 知らぬ仲ではない、お前が決意を固めれば、我はその意を察する」


 それは、王とエクスナの、あるいはマギノの五十年の重みを乗せた駆け引きだった。

 エクスナは、王の威風に、王に敵対しているという事実に、初めて王に謁見した際に感じた畏怖を、改めて感じていた。


「……王ならばそれは可能でしょう。しかし同時に、あなたにそれは不可能だ。

 ここで爆発させれば、他の人間もただでは済まない。無論、王子、王女もです」


「命を燃やしながら、威力を抑えればいいのだろう?

 さすがの我も試したことはないがな。

 我が最期の王の務め、成るや否や、身を以て試すか?」


「…………」


 エクスナは微動だにしない。

 静寂はバルコニーだけでなく、先程まで賑やかだった大広間にも波及していた。

 それはつまり、反旗を翻したマギノたちによる制圧が、完了した証だった。


 音と月の失われた世界。

 それでも、城内の人工的な明りに照らされ、ダイナル王の力強い双眸は爛々と輝いている。

 対照的に、エクスナは感情を感じさせない二つの真円でそれを見返したまま。



 長い沈黙の後。

 エクスナは口を開き、変わらぬ敬慕を以て、告げた。



「王よ。あなたの国に生まれたことを、誇りに思います」

「許す」


 王は、迷いなく返答した。

 永遠、あるいは刹那の間。

 エクスナの刀が、厳かに王の心臓を貫いた。

 王が魂の魔法を発動しなかったのは、失敗したからではなく。

 エクスナの意を、正確に汲み取ったが故だった。


「全マギノ、即座に撤退せよ!! 二つの神は死んだ! これよりこの地は、闇が支配する!!」


 エクスナはそう叫び、バルコニーから飛び出して闇夜に消えた。


 見上げる空に導きの光はすでにない。

 キカ国の絶望とそれに立ち向かう新たなる月光の物語は、ここから始まった。






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