第7話 魔導伯爵
ややしてようやく城壁の麓に到着した俺は、その壁の高さに舌を巻いた。
城壁の高さは軽く20mは超えていた。
燻んだ灰色のブロックが一つ一つ丁寧に積み上げられたいかにも盤石そうな形をした見事な城壁だ。
向かって街の入り口があり、その周りには衛兵っぽい人達が数人立っていて、ふむふむと一人一人の入場者の顔やその荷物を時間をかけ真剣に調べている。
これは混雑するわ。
俺は呆れ笑いを浮かべながら、教えてもらった特別口の方へと向かった。
ところ変わって特別口とやらは確かに空いていた。ざっと見積もって20人程度の列。なるほど向こうとは雲泥の差である。
そして並んでいる人間達のオーラが凄い。
強そう、頭良さそう、偉そうである。
なんか高級マンションの駐車場を眺めている気分だな。
「おい、というか大丈夫なのか? こっちは勝ち組様専用の入り口だぞ」
俺はひしひしと場違いな空気を感じながら、自然と小声でキキに語りかけた。
「大丈夫じゃ。問題ないのじゃ」
しかしきっぱりとそう断言するキキ。
むぅ、じゃあ並んじゃうよ? どうなっても知らんからな。
俺はおずおずと列の最後尾へとつけた。……落ち着かない、非常に落ち着かない。不安過ぎる。
「あまりキョロキョロするでない。見っともないのじゃ」
そうは言ったって。本当に大丈夫なのかこれ。
すると前に並んでた人がジロりと睨みつけてきた。
恐ろしく脂ぎったイボイボ顔のギトギトべっとりとしたおっさんだ。
着ている物にはゴテゴテと派手な装飾が施されていて、その出で立ちはまさに金持ちの権化であった。
「あははは……えっと、どうかしましたか?」
こんなのでもこの街では有力者なのだろう。俺は努めてヘラヘラと当たり障のない笑顔を心掛ける。
おっさんは馬鹿にする様に鼻を慣らして、それから俺の全身をねちっこく観察してきた。
その視線が俺の首元から顔を出したキキのところでピタリと止まる。
「お、おいお前。それはお前の奴隷か?」
「……はい?」
「首輪が付いていないな。これから奴隷商に持ち込むのか? な、ならその前に俺様が言い値で買ってやる。いくらだ? 言え」
ローブの中のキキの体がぞわりと何かを発した。
ヤバイと思った俺はがばっとキキを抱え込み、そのまま一旦おっさんに背を向ける。
「むぐぅ!? な、何をするのじゃお主よ!」
「ばか……! お前今おもくそ殺る気まんまんだっただろ……!」
小声で怒鳴る。
見ると、やはりキキの目はすっかり吸血鬼色に染まっていた。
「当たり前なのじゃ! 妾が奴隷だと? 言い値で買ってやるじゃと!? あのオークの様に醜悪な顔をすり潰してそれこそオーク共の餌にしてくれるわ!」
「声がデカいッ……! そんな事してみろ、あっという間に俺達お尋ね者になっちゃうだろうがッ……! あんなクソ野郎でも多分この街じゃお偉いさんなんだぞッ……!」
「ぐぅぅ……! し、しかし!!」
「しかしも何もありませんッ……! いいか? ここは俺が何とか取りなすからお前は絶対に手を出すなよ? もし手を出したら金輪際血は飲ませてやらないからなッ……!!」
「ふ、ふぬぅー!!」
「おい! 何を陰でごにょごにょ言っておる! さっさと望みの値を言え! 金貨100枚か? 200枚か?」
かなり苛立った口調。
苦々しい表情で吸血鬼を隠すキキを確認してから、俺はクルリとおっさんに向き直る。
「あはは……すいませんがこの子は売り物ではないのです。知人の娘でしてね、今から家まで送り届けるところなんですよ」
「なんだと? 俺様を誰だと思っている貴様! 俺様が買うと言っているんだ! 貴様は黙ってそいつを差し出せば良いんだ! 300枚だ! 金貨300枚出すぞ!」
「いやぁはっはっは……そう言われましてもね……困ったなぁ」
「ええい! なら金貨500枚だ! それなら文句ないだろう!?」
なんだなんだよこいつキチガイかよ。
「とっとと売れ! 売るのだ! 売りなさい!」
「う〜ん」
この。死ねばいいのに。
あ、俺もだんだんムカついて来たぞ。
死ね、醤油で溺れて死ね。
「……愚民共が。我輩の前で騒ぐな鬱陶しい」
そんな折に、突然後ろから響いた重低音ボイス。
振り返ってみると、男が立っていた。今さっき来た様だが、まるで気配がなかった。
ぼさぼさに伸ばした黒髪に、伸ばし放題の無精髭。目だけが妙にギラついた、少しボロが目立つ黒いローブを着た中年の男だ。
全く見た目に頓着していない風であるのに不思議とそれが様になっていて、ぶっちゃけかなりカッコ良い。
自分の事を我輩とか言っちゃうだけあって渋みが凄まじいわ。我輩野郎まじダンディ。
ギトギトしてる方のおっさんは、男の身なりを確認してから、またすぐその声を荒げ始めた。
「愚民だと!? なんだ貴様は! 俺様はベトン商会のイボール・ベトン様だぞ!? く、口を慎め!!」
「……あぁ、お前があの有名なベトン商会の穀潰しか。ジョルジュの奴から聞き及んでいる通り、なるほど違わぬボンクラの様だな」
男の言葉を聞いて、イボールと名乗ったおっさんは途端に顔を青くする。
「ジョ、ジョルジュ子爵様のお知り合いのお方で……?」
そんなイボールの問いは、だが男にまるで届いていないのか、男はその無精髭を触りながらただ遠く目を細めた。
「しかしこのデルムント・トワイライトに対して口を慎めとは……ふむ、王都では味わった事のないなんとも新鮮な気分であるな」
「デ、デルムっ、デルムント・トワイライト!? 」
「ほう! そしてその名を呼び捨てるか。田舎街の小商人風情はやはり口の利き方も知らんか? ん?」
「ひ、ひぃぃぃ!! しつ、失礼いたしましたぁ!」
イボールは俺を押しのけ、男の靴を舐める勢いでその足元にひれ伏せた。
「デ、デルムント魔導伯爵様のご高名は王都より遥か離れたこのアーカスの街にもかねがね伝わっております! どうか! どうかお許し下さい!お許し下さいぃ!」
魔導伯爵? なんか素敵な響き。まあ土下座りたくなるくらいには実際えろい人なんだろう。
ははっ、ばっかでー。人を見た目で判断するからだ。死んじまえ。
「かかか、頭を上げろ小商人よ。我輩の事をどう聞き及んでいるかは知らんが、噂は所詮噂だ」
「へ、へへへ……ご温情に感」
ぱんっ。
上がったその頭が弾け飛んだ。血飛沫が俺のローブの下まで届く。
頭部を失ったイボールのずんぐりとした体はふらりふらりと不気味に揺れては、やがてばたりとその場に倒れた。
まじか。本当に死んじまっただ。
「どうだ? 苦しみはなかったであろう? 我輩は慈悲深いからな。かかかかかかかか」
怖っ。なにこの人怖っ。
「おぉ! お主よ見るのじゃ! 首が吹き飛んだぞ! ざまあないのじゃ!」
こらこらお前も首なし死体を指をさして喜ぶな。軽く引くわ。
つーかくせぇ。凄い鉄くせぇ。
俺はキキの頭に鼻を押し付け、その甘い匂いでもってなんとか吐き気を誤魔化す。
はー癒される。
やがて魔導伯爵はケラケラ笑うキキにはたと気付き、きょとんとその目を丸くさせた。
「死人を見て歓喜するとは妙な小娘だな」
「ぬ、小娘呼ばわりはさきの見事な空魔弾に免じて一度だけ許すぞ。妾はキキじゃ魔導伯爵とやら」
キキの言葉に一瞬驚いた風な顔する魔導伯爵。
それから不敵にほくそ笑んでみせた。
「……ほう。人の首を吹き飛ばす威力を目の当たりにして、それをただの空魔弾と吹くかキキとやら」
「くふふ、違ったか?」
「かかか、いや違わんよ。しかし我輩の空魔弾を空魔弾と呼んでくれる者は少なくてな」
魔導伯爵の手の上、野球ボール程度の大きさの透明な謎球体が、にゅんと出現した。
すげー! とても魔法っぽい! 流石魔導伯爵! 略してさすマド。
「子供同士の遊びにさえ使われるこんな技でも、我輩が使えばそれなりにはなる。……が、王都の鼻垂れ魔術師共はそれを認めたくないらしく、未だに我輩がもっと複雑な術式を用いてるのではないかと疑っている様だ」
「ふん、馬鹿な連中じゃ。無属性の魔力を圧縮して打ち出す。確かに極めて単純な技じゃがーー」
ぱんっ。
先程と同じ音を立てて、魔導伯爵の手の上の謎球体が弾け飛ぶ。
キキが魔導伯爵に向かい手をかざしていた。どうやら空魔弾とやらに空魔弾をぶつけてやったらしい。
キキの空魔弾は魔導伯爵の空魔弾を打ち消すだけに止まらず、その遥か向こうの大木に直撃しては、その幹を大きく抉り取ってみせた。
「ま、こんなもんなのじゃ。術者の技量次第ではそれなりに使える技にもなるのう」
絶対ドヤってる。抱っこしてて顔は見えないけど確実に今ドヤってるよこの子。
背筋が凍りついたが、幸いにも魔導伯爵に怒った様子はない。
むしろかなり愉快そうに笑っていた。
「かかか、なかなかやるなキキとやら。しかし連中にはその技量がないのだ。だからそれを誤魔化す為にせこせこと研究ばかりにかまけ、研究成果こそが魔術師の格を決めるのだと必死にほざく。そうして技量を磨く魔術師に後ろ指を立てては鼻で笑うのだ。『あいつは知的ではない』とな」
「くふふ、机上でのみ魔術を語るとは、馬鹿な上になんとも愚かな連中じゃ」
「かかか、その通りだ。どうにも救い難い」
互いに笑い合う二人、なんとも和やかなムードである。
いやいや、首なし死体を間に挟んで和むなよ君達。
やがて街の中から駆け付けてきた衛兵っぽい人達によって首なし死体は綺麗に片された。
案の定に魔導伯爵様はお咎めなし。
始めはかなり威圧的な態度での調書であったが、魔導伯爵の素性が分かった途端に事態は怖いくらいトントン拍子に収束していった。
魔導伯爵いわく、
「我輩にあの様な口を聞いたのだ。殺されて当たり前だ」
……との事である。
魔導伯爵ちょー怖えー。
実際それがまかり通ってるのが怖えーよ。
あのギトギトだってそれなりにお偉いさんだったんだろ?
その後、衛兵は俺とキキを魔導伯爵の連れだと勝手に判断してくれて、検問も普通にパス。
検問ザルだな。
まぁキキと魔導伯爵があんだけ親しげにしてたらしゃーないか。
二人は今もやいやいと、何やら魔術的な話で花を咲かせている。
そこへ水を差そうものなら、誰かみたいに首ブッパされちゃうかもだからね。しょうがないね。
というかキキは当初どうやって検問をパスするつもりだったのか。
まぁいいや。
何はともあれ街に着いたのだ。異世界の街だ。ちょー楽しみである。
俺はまだ見ぬファンタジーらしい街並みに胸を高鳴らせながら、らんらんと街に踏み込んで行くのだった。