第6話 少女の涎を巡る論争
第1〜4話の『龍』という言葉を『ドラゴン』に変更しました。
オンボロ荷馬車の乗り心地はその見た目に反し、思いの外悪くなかった。
なんでもスクラップ同然だった物を二束三文で買い、知り合いの腕の良い整備士に修理して貰ったらしい。
「格安で請け負ってくれましてね。その上支払いは分割で許してもらっています」
そして微笑み。
「……そいつはまた優しい知り合いだな」
「えぇ、“彼女”には世話になりっぱなしです。感謝です」
からの微笑み。
「……じゃあ馬は?」
「馬はまた別の知り合いから譲ってもらいました」
されど微笑み。
「……へぇ、どういう知り合いなんだ?」
「今向かっている街で商会を持っている家の娘さんです。馬が手に入らなくて困っていたところ、年老いた馬でよければ余っているからと。“彼女”にも頭が上がりません。いやはや、感謝です」
飛びっきりの微笑み。
さっきからずっとこの調子だった。
ピーノは多くの知り合いにとても良くしてもらっていると語り、そしてその知り合いはいずれも彼女、彼女、彼女ばかり。
恐らく知り合いとは名ばかりのイケメンハーレムなのだろう。
ここまでくるとムカつきを通り越してもはや感動を覚える。イケメンぱねーっす。
それが顔に出ていたのか、ピーノは少し恥ずかしそうに頭をかいた。
「……自覚はしていますよ。確かにあまり褒められた事ではないですね」
茶目っ気のある笑みを浮かべた後、しかしその横顔が真剣な面持ちへと静かに変わっていく。
「……でも僕は何処ぞの大商会の御曹司でもなければ、かといって商才に恵まれた天才でもない。ただただ凡庸で程度の低い商人です。唯一の取り柄といったら少しばかり優れたこの容姿だけ」
言って頬を撫でる。
「『良き商人成るは良きあろうとする商人』……利用出来る物は何でも利用するのが良き商人です。今の僕が満足に利用出来る物といえば女性の心だけですので。だから僕は女性を骨の髄まで利用し尽くす事になんの躊躇もありません。だってそれが半人前のこの僕が、唯一今に掲げられる商人らしい吟じなのですから」
そうまくし立てたピーノの目は、前を強く見据えていた。
「ふーん、ゲスいな。でも包み隠さず素直にゲスい人間って結構好きよ俺」
「ふふふ、ありがとうございます。そういうクロノさんも、あまりまともな人間ではないみたいですし、僕達は案外似た者同士なのかも知れませんね」
チラリと俺の首元を見て言った。
正確には俺のローブの中で寝息を立てるキキを見てだ。
寝る前に少しだけ血を吸ったからか、その寝顔はとても幸せそうに緩んでいた。
むにゃむにゃしながら口の端からだらだら涎を溢している。
「いや、これは荷馬車のスペース的な問題で仕方なくこうなってるだけで……」
「おやおや、では先ほどまで聞こえていたキキさんの甘い嬌声はなんだったのでしょうか。何やらモゾモゾとローブの中で行われていたみたいでしたが」
ピーノはお楽しみでしたねと言わんばかりに悪戯っぽく笑みを浮かべながら言った。これはやば過ぎる勘違いをされている。
違う、断じて違うぞ。俺は血を吸われていただけなんだ。
……いや、確かにキキの出していた声はもろにアレの時のそれであったが。
全力で否定したいが、しかし吸血鬼である事を隠している手前本当の事も言えず、かといってうまい言い訳も思いつけない俺は、ひたすらぐぬぬと押し黙るしかなかった。
そんな俺を良い事に、ピーノはここぞとばかりに舌を回す。
「ふふふ、少女趣味の方々からすれば、キキさんの可憐さは辛抱たまらないのでしょうね。それこそその手の貴族達なら嬉々として金貨の山を対価に差し出す事でしょう」
「おい、キキは物じゃないぞ」
発した自分の声が自分でも意外な程に苛立ちを帯びていて、驚いた。
これはあれだ……きっとピーノが“キキ”だけに“嬉々”としてとか言いそうだったから、多分そこに関して苛立っただけだ。そうに違いない。
「おや……これはすみませんでした。少し口が過ぎましたね」
一瞬だけ申し訳なさそうに眉根を下げたが、しかしそれは本当に一瞬の表情で、すぐさま再度に微笑を浮かべたピーノ。
「そうですね。キキさんは奴隷でもないみたいですし、力もあり、それに伴って自尊心も相当に高い様です。金でどうこう出来る相手ではまずないでしょう……だからこそですが、そんな少女からあんな風に熱く求められるクロノさんこそ、いやはや僕なんかより余程罪な男ではないでしょうか」
ぐぬぬぬ。
「僕の知り合いにも流石にキキさんほど幼い女性はいませんので、そこのところ是非とも後学に与かりたいものですねぇ」
そう言って、ピーノは殊更楽しそうに笑ったのだった。
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それからしばらくの時間が過ぎた。
ピーノに痛くない腹をチクチクと探られつつの長い馬車の旅もようやく終わり、俺達は街の入り口にたどり着いていた。
正確には入り口に続く長蛇の列にたどり着いていた。
街を囲って遥か高く積み上げられた城壁はまだまだ遠く、その麓に至るまでの距離は少なく見積もってもまだ400mはゆうに残っている。
城壁の麓に向かう俺達とその他の人々による行列は、まるで高速道路の大渋滞の様に停滞し、先程からは一向に動きを見せていない。
列といっても日本みたいに誘導員が統率を取っている訳ではないので、人々の並びは酷く大雑把に詰め込まれた風な、まるで犇くありさまである。
周りを見てみると商人風、冒険者風、生産者風の人々がガヤガヤガヤガヤ。
荷馬車や鎧や商売道具がガシャガシャガシャガシャ。
「……んん、騒がしいのう」
周りの喧騒に反応して、ローブの中でそれまで眠っていたキキが小さく身をよじった。
そのまま欠伸まじりに眠気まなこをくしゅくしゅと擦る。
してから寝癖を気にした風に髪を触りつつ、きょろきょろと寝惚けた風に周りを見渡した。
「ふむぅ……もー着いたのか」
「“もー”でもないけどな。少なくともお前の涎でびちゃびちゃになってた俺の服はすっかり乾いたな」
「な!? わ、妾が涎など垂らすわけあるまい!」
キキは途端にハッとした風に慌てて口元を拭い、それから怖いものでも探る様に顔を背け、いかにも恐る恐るといった手付きで俺の胸元を触ってきた。
「……な、なんじゃ。全然濡れていないではないか」
「そりゃ乾いたからな」
アホの子だ。
ふと横を見てみると、ピーノは顔を手で覆い隠してぷるぷると震えていた。
笑いを堪えている様だ。
「くくくっ……お二人は本当に仲がよろしいのですね」
声も少し上ずっている。
キキはピーノをキツく睨みつけた。
「おい、知った風な事を言うなよ糸目。妾とこやつの関係は妾達だけのものじゃ。お前如きがそれを迂闊に推し量るでない。……あと妾は涎など垂らしておらぬのじゃ。決してこやつの妄言を信じるでないぞ?」
途中まではカッコよかったのに最後で台無しだった。
そこで限界だったのか、ついにピーノは堪え切れずに笑い出す。
それを受けて一瞬だけキョトンとしたキキは、しかしすぐにその顔を赤くさせていった。
「な、何がおかしい! 笑うな! 笑うでない!」
顔を真っ赤にして文句をつけるが、しかしその甲斐虚しくピーノの笑いは一向に治らない。
やや経って、ようやく平静を取り戻したピーノは目尻に溜まった涙を指で払った。
「い、いや失礼しました。本当に申し訳ありません」
ピーノは謝るが、もはやキキは耳も貸さない。相当頭にきているのか、つーんと無視を決め込んでいた。
そんなキキの態度に、ピーノは困った風に俺を見てくる。
俺は黙って首を横に振る。
「あははは……ところでこれから街に入る訳ですが、お二人も一般口からの乗り込みで大丈夫でしたか?」
強引に話題を変えてきたな。
「ん? 入口って複数あるの?」
俺がそう聞き返すと、ピーノは一瞬不思議そうな顔をしてから、しかしちゃんと説明してくれた。
「はい。一般口と特別口というのが別々に設けられていまして、一般口の方は……まあこちらは流石に説明はいりませんね。多分ご想像の通りです。特別口というのは貴族や名のある商人や生産者、あとは高位の冒険者や魔術師みたいな社会的地位が高い人達が使う専用口です」
なるほど、分かりやすく格差だ。
「今僕達が並んでいるのが一般口です。ご覧の通り大変混雑していて街に入るまでかなりの時間が掛かってしまいます。これに対して特別口の方は混雑とはほぼ無縁ですから。能力が高い人材に時間を無駄にして欲しくないという理由からの制度ですね」
「妾達は特別口を使うのじゃ」
キキが突然声を上げた。
え? そうなの?
俺も驚いたのだから、ピーノだって驚いた。しかしピーノはすぐになるほどやはりとしたり顔で頷いてみせる。
「……そうでしたか。やはりお二人は高位の冒険者か何かなのですか? ……いやそういえばお二人の衣服やその日傘は一見して高級そうな代物ですね、名のある豪商の血縁者か……まさか貴族様の」
「黙れ。いらぬ詮索をするな。さっさとその特別口とやらがある場所を妾達に教えろ」
相当にぶっきら棒な口調だ。
涎を巡る論争を大笑いされた事を随分と根に持っている……にしても、それでも少し語気がきつ過ぎる気がした。
ピーノはキキのそんな態度に少しおっかなびっくりしながらも、特別口は一般口のすぐ隣にある事を教えてくれた。
俺とキキは荷馬車から降りる。
「おい、流石にローブの中から出て自分で歩けよ」
「……煩い。妾は今機嫌が悪いのじゃ。早く日傘をさすのじゃ」
そう言ってぐりぐりと俺の首元に顔を押し付けてくる。
機嫌は関係ないだろ……なんて突っ込んだらそれこそまた機嫌が悪くなるんだろうな。
まぁいいさ、可愛いからな。
俺は黙って片手でキキを抱え、片手で日傘をさす。
そのままピーノの方へと向き直った。
「じゃあ世話になったな。もう二度と会わないと思うが達者でな」
「えぇ!? 」
冗談どんぶりぃ。
「なんてな。俺達はしばらくはこの街にいると思うから、今度飯でも一緒に食おうぜ。なんなら今日の夜にでもどうよ?」
飯といえば腹減ったな。
そういえば俺ってこの世界に来てから飲まず食わずじゃないか。
元々食が細い方とはいえ、流石にそろそろ何か摂取しなきゃな。
血も大量に失ってるし。
そんな事を考えている俺を他所に、ピーノは大袈裟に胸を撫で下ろしている。
「もう! やめて下さいよ全く……ふふふ。……んー、今日はですね、行商終わりの手続きが色々と立て込んでいまして……明日の夜という事でどうでしょうか?もう一つのお礼に是非お二人にご馳走したい店があるんですよ」
「そりゃいいね。明日でいいよ、楽しみだ」
「ええ、酒も料理も中々の店でしてね。きっとご期待に添えると思いますよ。では明日、日没の鐘が鳴る頃に商人ギルド前で待ち合わせという事でどうでしょうか?」
日没の鐘? ……あぁ、時計がないのか。待ち合わせも一苦労だなこの世界。
「おっけー。じゃあそういう事で、もう行くわ。明日はしこたま飲んでやるから覚悟しとけ」
「おやおやそれは怖いですね。えぇ、楽しみです」
ピーノはにっこりと笑った。
その微笑みは明日を心の底から楽しみにした風な、なんとも今日一番の微笑みであった。
そうして俺達は一旦別れた。
俺とキキは人と物の間をなんとか縫うようにして特別口を目指す。
「……妾が眠っている間に随分と気心が知れたものじゃの」
ポツリとキキが溢した。
「ん? あぁ、まぁね。ちょっと鼻持ちならない奴ではあるけど、そう悪い奴では……あるかもだけど。うん、でも歳も近いし話しやすいといえば話しやすいよ」
「ふんっ! 妾は気に食わんな。あの糸目め、あんなに笑いおって!」
俺の首元に顔を埋めたまま、許すまじとばかりに鼻を鳴らした。
「まぁまぁ」
その頭をポンポンと撫でた。
しかしその手がぺしりと払われる。
これされるの二回目だけど、良いよななんか良いよなこれ好きだわぁ。
「触るな! 何より腹を立てぬお主に腹が立つのじゃ! 妾とお主の間柄をあの様に嘲笑されて……お主は何とも思わないのかと妾は……妾は……」
後半の声は分かりやすくシュンとしていた。
えっ、何それは。
「いや、ピーノが笑ったのはその件に関してじゃなくて、お前の涎の件についてだからな多分」
「な!? そ、そうじゃったのか……いや、でもどちらにしても気に食わん事に変わりはないのじゃ!」
そんな風に意味もなく誤解が解け、ややして俺とキキは特別口にたどり着いたのだった。
総合PV1000、ブクマ二桁達成しました!
さらに精進していきますのでこれからもどうかよろしくお願い致します。