第5話 糸目は大抵イケメン
朝日が昇り始め、やはり日には弱いらしいキキはこれ以上の飛行は厳しいと言った。
そんな訳で地上に降りた俺達は、キキ先導のもとに目的の街へと歩みを進めていた。
ほとんど野ざらしの街道。
俺の横を歩くキキの姿は、彼女の差しているその作りの凝った日傘によって完全に隠れてしまっていた。
もちろんその日傘は吸血鬼製の代物で、例のごとくの暗い赤色をしている。
「……全く、お主が妾の気概を削がなければ、夜明け前には到着していたのじゃ」
姿が見えないまま、そんな不機嫌そうな口調だけが耳に届いた。
どうやらまだいじけているらしい。
「いい加減機嫌直してよ。悪かったって」
「ふん、 別に機嫌なんか悪くないのじゃ」
「じゃあこっち見てよ」
思えば地上に降りてから、まだ一度だってキキの顔をしっかりと見れてはいなかった。
「……」
キキは歩いたまま、日傘をやや少し横に傾け、チラリと横目で見上げてくる。
日傘の影から覗くその見事に不満そうな横顔はしかし、それでもやっぱりらぶりーである。
「……あれ? 」
そこで俺はある事に気付いた。
キキの目が人っぽくなっていたのだ。
闇色は完全にかき消え、その髪と同色の碧眼へと変わっていた。
ポカンとする俺を見て、キキは一瞬だけ訝しそうに眉を顰める。
「……あぁ、これか」
しかしすぐに心当たりを見つけ、目尻から頬をすぅっと手でなぞった。
「“力”を抑えるとこうなる。日が出ている間は、こうして出来るだけ吸血鬼を止めて過ごすか、もしくは影に潜って過ごすかした方が消耗も少なくて楽なのじゃ」
ほう、そうなのか。
「へぇ、そうしてるとまるで普通の女の子だな」
「ふん、そりゃいいのじゃ。丁度これから別に行きたくもない人共の街に連れていかれるとこなのじゃ。魔族は人に嫌われておるからの。お主に迷惑をかけなくて済みそうじゃな、ふんっ」
プイっと顔を背けてしまう。
あちゃー、更に怒らせてしまった。
「あ〜、やっぱり魔族って嫌われてるのね」
「……当たり前なのじゃ。人が魔族を魔族が人を好き好む訳がなかろう」
「ふーん。俺はキキが好きだけどね。その目も前の方が綺麗だと思う……って痛」
尻を蹴られた。
まあ吸血鬼製の装備のお陰か、驚いただけで実は全然痛くなかったけど。
「……ふ、ふんっ! わ、妾だってお主の事はそこまで嫌いでは……な、ないのじゃ」
顔を反らしたまま、モニョモニョと小さい声で言った。
うん、分かってる。
だって大事な血樽ですものね。
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そんなこんなでキキの機嫌が多少は良くなり、きゃっきゃうふふと道中ようやく楽しくなってきた頃合い。
そんな俺たちの前に、ちょっと困った光景が現れた。
「ん〜〜〜!ん〜〜〜!」
見事に道の端から車輪を踏み外した荷馬車とその持ち主らしい青年。
青年は歯を食いしばり、必死に荷馬車を押し上げようとしている。
頑張る青年の姿に対して馬車馬の方はというと、動く気配すらまるで見せずに、ただただ退屈そうに大きく欠伸をこぼしていた。
「ふむ、なんともオンボロな荷馬車じゃ。馬も随分と年老いておる。大方ギルド登録で有り金をはたいてしまった口かのう。ま、典型的な知恵の足りない駆け出し商人じゃな」
特に興味もなさそうにキキは言った。
言われてみれば荷馬車も馬もキキの言うとおりだ。
青年の歳も俺とそう変わらなさそうだし、なるほど駆け出しの行商人なのか。
物珍しさから眺めていると、青年と目が合った。
すると青年はすぐに罰の悪そうな笑みを浮かべ、恥ずかしそうに頬をかく。
「ふふ、参りましたよ。この行商の始め、神に祈りを捧げるのをうっかり忘れてしまったせいでしょうか。見ての通り、どうやら僕は神に見放されたしまった様です」
「そうですか。さ、行くぞ」
「うむ」
なんか色々と面倒そうだったので、俺たちは構わず先へ進む事にした。
「ちょ、え!? ま、待って下さい!」
しかし青年は慌てた様子で追い掛けてきて、そして俺たちの前へと立ち塞がった。
青年は頬に汗を垂らしながら胸に手を当てニッコリと微笑む。
「軽薄な口をきいてしまい申し訳ありませんでした。私は行商を生業としているピノッキオという名の卑しい商人でございます。不躾なお願いで大変恐縮なのですが、どうか荷馬車を引き上げるのを手伝っては頂けないでしょうか?」
おおう、必死だ。
なるほど凄く困っている様だ。
俺もそう薄情な人間でもない、困っている“人”がいたら可哀想とも思うし、助けてあげたいとも思う。
自分に何か出来ることがあれば及ばずながら力だって貸すさ。
しかし、今回は嫌だ。
だって目の前のこいつは“人”じゃない。
サラリと透き通った薄茶の髪に、スモール過ぎるシャープなお顔。
顔立ち自体も全体的に中性的な感じに整っていて、チャームポイントのミステリアスにアンニョンな雰囲気をかもした糸目がまた最高にクールだ。
そう、つまりこいつは人でなしなんだ。
イケメンは人でなし。
ちくしょーこの野郎。
「はは。大丈夫大丈夫。君はイケメンなのだから」
言って、ポンとイケメンの肩に手を乗せた。
これがイケメンの肩か。流石イケメンの肩である、見事な肩だ、これぞ肩よ。
「え、えぇ……?」
「大丈夫。イケメンは決して困らない。それが神の定めし世界の理なのだから」
「イケメンは何者ですか!? というかたった今その神に見放されて困ってるんですけど!」
ちっ、こいつナチュラルに自分がイケメンだと認めやがった。
「は? イケメンの癖に困るとか舐めてんのかお前」
「凄まじいまでの難癖だ!? ただただ純粋に困ってるだけです! 別に舐めてるとかじゃないです!」
「ちぃぃぃい!!」
「舌打ちエゲツな! ちょっとそれ憎しみ込め過ぎてません!?」
「あ〜はいはい分かった分かった手伝う手伝う手伝いますよ。手伝えばいいんでしょ? 死ね」
「死ね!? あ、いやでもありがとうございます! 助かります!」
そう言って、イケメンクソ野郎ことピノッキオは大袈裟に頭を下げた。
ふん、その突っ込みスキルに免じて今回だけは手を貸してやろう。
「なんじゃ、結局助けるのか?」
そこまで俺とピノッキオの攻防を黙って眺めていたキキは、やれやれとため息を吐いた。
「まあな。ここは人として助けない訳にいかないだろ」
「いや、さっきまで思いっきり渋ってたじゃろお主……まぁ良い、やるならちゃちゃっと済ますのじゃ」
そう言ってキキは荷馬車に近付くと、片手でそれをひょいと持ち上げ、いとも容易く道の上に戻してみせた。
わー俺の出番なーい。
「おぉ、びっくりしたか。どうどう、なのじゃ」
少しだけ暴れた馬を、キキは背伸びでぽんぽんと軽くあしらってから、こっちに戻ってきた。
「……いや、これは驚きました。てっきり人間のお嬢さんだとばかり思っていましたが……」
ピノッキオは口に手を当てながら、しげしげとキキを眺めている。
「それ程までに力が強い種族となると……その白い肌はドワーフではないですよね? 獣人でもなさそうですし……まさか竜人……なら鱗がなきゃおかしいか……むむむ」
そのまま考え込む。
ドワーフって……やっぱりとことんファンタジーっぽい世界らしい。
「おい、妾をそんな下等な連中と一緒にするな。妾は吸血鬼なのじゃ」
キキは不愉快だったのか、むすっと機嫌の悪そうな顔をしながら言った。
おい、それ言っちゃあかんやつじゃないか?
「え? あはははは、それは凄い。吸血鬼ですか。くっくっく……これはこれはドワーフや獣人などと大変ご無礼な事を言ってしまいました。どうかお許しを」
ピノッキオはさも戯けた風に笑ってみせた。どうも本気で受け取ってはいないみたいだ。
良かった良かった。
「うむ。分かれば良いのじゃ」
うわ、満足そうに頷いてるし。
信じてもらえていない事に欠片も気付いていない様だ。
案外抜けてるよなこの吸血鬼。
「ふふ……いや失礼しました。救って頂いた身でありながら詮索紛いの行いはいけませんでしたね」
言葉の割にさして悪びれもしていないピノッキオ。
「あー俺たちはちょっと訳ありでね。俺の名前は黒野でこっちはキキ。深くは探らないでくれると助かる」
俺の言葉にピノッキオは大きく微笑みを浮かべてみせる。
その微笑みは、もし俺が女だったら問答無用でころっと惚れてしまいそうな、さもさも見事な微笑みだった。
「恩人の名前を知れるだけで僕は充分に幸せ者です。クロノさんとキキさんですか。お二人もこの先の街に向かっているのですよね? お礼の一環として是非僕の馬車で送らせて下さい」
「だってさ、どうする?」
「妾はどっちでも構わないのじゃ。お主の好きにするが良い」
キキは本当にどうでも良さそうに言った。
見るとピノッキオには一瞥もくれぬまま、髪の毛先をクルクル弄る事にご執拗である。
イケメンスマイルも吸血鬼には効果がいまひとつの様だ。
じゃあ送ってもらおうか。
出来るだけ楽な方が良いし。馬車にもちょっと乗ってみたいし。
「じゃあお願いするよピノッキオ」
「かしこまりました。それと僕の事は気軽にピーノとでもお呼びください」
「分かった。よろしく頼むよピーノ」
言って、俺は手を差し出した。
しかしその手を見て、ピーノは不思議そうな顔をする。
「……? えっと、それはどういう意味なのですか?」
「え? 握手知らないの? 挨拶だよ挨拶。お互いの手を軽く握り合うんだ」
「ほう、そうなのですか。聞いたことがない挨拶ですね。では……」
ピーノは感心したような顔をしながら、おずおずと俺の手を握る。
「……ふふふ、これは良き挨拶です。不思議とクロノさんとより親密になれた気がします」
おい、恥ずかしそうに頬を染めるな気色悪いぞ。
しかし駆け出しとはいえ商人が知らないとなると、この世界には握手がないのかもしれないな。
そうして俺たちはピーノの馬車に乗り、街へと向かっていった。