第2話 金色の吸血鬼
やがて、金色の髪の少女はドラゴンの喉元から顔を上げた。
「……ぺッ ……不味い、げに不味いのじゃ」
苦々しく血を吐き出し、血に汚れた口元を手の甲で拭う。
拭ったその手でもう片方の腕を掴んだ。
ーーぎち、
おい。
ーーぎちぎちぎち、
おいおいおい。
やがて少女は“自分の一部”だったそれを、顔の上にぶら下げる様に掲げた。
そうしてやや顎を上げ、その断面から流れ出る鮮血を、ごくり、ごくりと飲み下す……ただただ、ひたすらに飲み下し続ける。
月明かりが少女の横顔から首筋にかけてを照らし、その輪郭を微かに蒼白く薄らげて見せている。
冒涜的に幻想的な光景。
途端に頭の奥が軋む様に痛み出し、やや遅れて不規則な耳鳴りまでも起き始める。
そして俺は更に目を疑う。
少女が喉を鳴らし続ける間、その肩口から滴る血液が数十の細い筋となってウネウネと蠢き、それが今にも物凄い速度で腕の形に編み込まれていくのだ。
……駄目だ。現実離れなんて今更だが、これは駄目だ、いくら何でもこれは拙い。
「……げぷっ、これはこれで美味いがのう。自慰行為はやはり、ちと虚しい」
やがて少女は“新品”の腕でゴシゴシと口元を拭いながら、血の出が悪くなった“それ”を適当に放り投げる。
やれやれといった風に溜息を吐き、
「で、なんじゃ貴様は。人か?何故人がこの様な場所にいる」
「……ッ」
一瞬だった。目の前の眼下、気付けば少女が俺を見上げていた。
そこでようやく、俺は少女の姿なりをしっかりと確認出来た。
「……あ、可愛い」
「は?」
思わず飛び出てしまった俺の言葉。
少女はまるで意表を突かれた風に口をポカンと開け、カクンと首を傾げた。開いた口から鋭い牙がギロリと覗く。
一瞬ヒヤリとしたが、幸い少女の様子は変わらない。
ポカンとしたまま、そのまま固まった。
少女の背丈は丁度俺の腰上辺り。
その少し癖っ毛な金色の髪は、一応顔の横にフンワリとまとまってはいるが、よく見ると所々が寝癖みたいにぴょんぴょんと跳ねている。
汚れを知らない初雪の様な純白の肌に、細く通りの良い鼻筋、淡いピンク色の薄い唇。
深い赤色のワンピースから伸びるその白い手足はあまりに細く、今にも折れてしまいそうな危うさを俺に感じさせた。
そして一番印象的なのはその瞳だ。
少女の瞳は人間の物とはまるで違っていた。言葉は悪いが、化け物のそれと言うのが一番しっくり来る。
少女の瞳には黒く澱んだ亀裂混じりの闇色だけが静かに揺蕩っていた。
殊更濃く開かれた瞳孔の中央には、弧を描く暗い赤色の線が縦に刻み込まれていて、そこだけ昼間の猫みたいだなと俺は思った。
人形の様に整った少女の造形の中、唯一異形めいたその双眼は底知れぬ不気味さを感じさせる一方、しかし俺はそこにある種の、退廃的な美しさを感じずにはいられなかった。
そんな訳で、俺は少女に見惚れてしまった。さっきまでオシッコ漏れそうになってたけど。
我ながらなんとも現金なもんだと心中呆れていると、それまでポカンとしていた少女にもようやく変化が現れた。
「……あ〜……なんじゃ、貴様はあれかの……う〜、なんといったか……」
少女は頻りに腕を組んだり、爪を噛んだり、額に手を当てたり、とんとんリズムを爪先で刻んだり。
そんな動作を交えては眉間に皺を寄せ、ウンウンと何事かを考え込み出した。
かなり人間臭いそんな姿に、僅かばかり残っていた恐怖心すらすぅっと消えていく。
不意に少女が横目でチラリとこちらを見る。全裸の俺的に、その目線の高さが非常によろしい事となっている。
ややして少女は的を得たといった表情で、ポンと手を打った。
「……あぁ、変態じゃ! な? そうであろう! 貴様変態じゃな? 始めて見たぞ! ほれ! ほれ! もっと近う寄るのじゃ!」
俺が変態だと? そんな馬鹿な。
というかなんかテンション上がってんな。
近う寄れとか言っといて自分からグイグイ近づいて来てるし。……って当たってる当たってる。
「変態じゃないよ?」
「嘘つけ! では何故服を着ていない? その手に持っている奇怪なキノコはなんなのじゃ? ……もしや武器か? そうじゃ、きっとそうじゃ! それが変態の武器なのであろう!?」
少女は目をキラキラさせながら、矢継ぎ早に質問してくる。
やれやれ何を勘違いしている事やら。
「全裸なのは最初からこうだったから仕方ないんだ。そしてこのキノコは武器じゃないぞ。松明だぞ」
「い、意味が分からん……! これが変態の変態たる所以か……変態じゃ、げに変態なのじゃ!」
むふぅ! と鼻息荒く、その場できゃっきゃと喜ぶ。
少女は一頻り喜んだ後、そして殆ど俺に抱きつく様にしながら、飛びっきりの上目遣いでこちらを見上げ、
「頼むのじゃ! どうかお主の血を飲ませてくりゃれ!」
天真爛漫な笑顔と声音でそう言った。