第9話 ポニーテールと無限ループ
程なくワクワク気分で冒険者ギルドにたどり着いた俺は、しかしその中に入ってから一瞬で顔を顰めた。
酒、タバコ、汗、泥、血。
ギルド内にはそんな様々な臭いが混然一体となったこの世の物とは思えない、まるで目にも染みる程の悪臭が立ち込めていた。
広いホールを埋め尽くす屈強な男達は、全員が鎧やそれを軽量化した風な装備を着込んでいる。
そして彼らの大抵が傷顏の強面だ。
当たり前だが剣や槍や斧や長槌といった物騒な代物も携えている。
ちょー怖ぇ。でもちょーかっけー。
ホールの両端には上り階段があり、吹き抜けの二階からは怒声や下品な笑い声が引っ切り無しに響いて聞こえる。
どうやら二階は酒場になっている様だ。酒とタバコの臭いはそのせいらしい。
それにしても本当に酷い臭いだ。
俺は耐え切れず、その場で結局キキの頭に鼻を埋めて事無きを得る。
あー本当にいい匂いだ。
「……お主は妾の頭を何かにつけて良く嗅ぐのう」
「フガフガ……え、気付いてたの?」
「そりゃ頭の上でその様にフガフガされれば誰だって気付くのじゃ……」
そう言ってキキは少しだけ非難がましい顔で俺を見上げてくる。
そんな……春の麗のそよ風がごとくにさり気なくやっていた筈なのに。
恐ろしや、これが吸血鬼の察知能力の為せる技か。
「ごめん、嫌だった?」
「ん……別に嗅がれるのは嫌ではないのじゃが……あまり激しくされると……髪が……」
キキはぴょんぴょん跳ねた自分の髪を軽く触りながら、複雑そうに目をキョロキョロと落とした。
「その、妾の髪は……まとまりが……ほら、少し……な?」
「……癖っ毛?もしかして気にしてんの?」
キキの体がびくりと跳ねる。
みるみるその顔が赤くなっていき、それを隠すようにプイと顔を背けた。
「ふ、ふんっ! 別に気にしてなどおらんのじゃ! ただ妾は髪が乱れるのが嫌だと言っているだけじゃ!」
「俺は好きだけどな。キキの髪、色も綺麗だしいい匂いだしフワフワしてて可愛いと思う……て痛い痛い!」
がぶーと首元に噛み付かれた。
冗談抜きで痛い、牙、牙が思いっきり刺さってるから!!
キキはそのまま二度三度じゅるじゅると血を吸い出してからぷはっと顔を上げ、キッと俺を睨みつけた。
その顔はさっきよりも遥かに赤くなっている。
「そ、その様な事を簡単に囁くな! お主は迂闊なのじゃ!」
「そうかな」
「そうなのじゃ! ……ふん、顔も言う事も本当にあやつに似ておる……」
あやつ? そういえば初めて会った時も俺が誰かに似てるとか言ってたっけ。
「なぁ、あやつって誰「おいこらッ! てめぇら出口の前でじゃれつきやがって! 邪魔だ退けッ!!」
おうぅ、怒られた。
方頬に大きな火傷の痕を残す、背が俺より頭一つ分高い男だ。
年は俺より少し上か同じくらい。
しかし腕とか俺の倍は太い。
俺も別にそこまでチビでもヒョロくもない訳で、つまり目の前のこの男がとても強そうで怖いという話である。
「あ、あははは。これはどうもすみませんでした。本当にすみません」
俺は平謝りで道を開けた。
普通に俺達が悪いしな。
別にビビってしまった訳ではない、決してない。
全然ビビってねーし。余裕だし。
「なんじゃ貴様は。妾達が邪魔だと? 小童がほざきよるのじゃ」
嘘ですビビってましたすいませんだからそういうのやめて下さい。
……どうしてこの吸血鬼はこう無駄に好戦的なのか。
「……なんだ? まだガキじゃねぇか」
キキを見て一瞬驚いた風に目を見開いた男は、すぐさま俺に侮蔑の表情を向け出した。
「……変態野郎が。お前みたいなのを見ると俺は虫酸が走るんだよ。悪りぃな、一発殴るぞ」
「あ」
っという間はなんとかあったが、目を瞑る暇はなかった。
眼前に迫る男の拳。
漫画とかでよくある、極限状態で時間が引き伸ばされてゆっくりに感じるあれ。
当たり前だがそんなのなかったわ。
漫画じゃないんだから。
では俺がどうしてこうも平常心でいられるのかと言うと、結局男の拳は俺の顔へは届かなかったからだ。
寸前、キキの小さな手のひらが、男の拳を微動だにせず受け止めたのだ。
「んな!?」
男の顔が驚愕に歪む。
「……おい、貴様は今やってはならん事をしようとしたな。妾の前でこやつを傷付けようとしたな」
淡々とした口調と冷たい声。
キキの体からぞわりと何か得体の知れぬ物が滲み出すのを感じた。
ゆっくりと、極限まで見開かれた男の瞳。
俺はそこに映った“吸血鬼”を見た。
「とりゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
そんな間の抜けた掛け声と共に、突如として横から飛来してきた何者かが男の頭を蹴り飛ばす。
男の体は見事にぶっ飛んでぶっ飛んで、周りの奴らを巻き込みながら、それでもまだまだぶっ飛んで。
遂にはずいぶん離れた壁に轟音とともに激突してから、男の体はようやく床へと倒れ込む。
そのままピクリとも動かない。
呆けた。
俺も、そしてキキも。
キキの目も吸血鬼色では既になくなっていた。
「ダメだよゼッ君よく見なきゃ! この子首輪してないじゃん! 奴隷じゃないよ! もうっ! 確認大事!」
少女だった。
少女は腰に手を当てぷんすかぷんすか、ぷりぷりっと怒っている。
その頭上にいっぱい“=3”とか出て見える。
こんな漫画みたいな怒り方をする人を俺は生まれて初めて見た。
「そこの君! 君のそこ!」
ビシッと指をさされた。
俺のどこだよ。
妙に卑猥な響きになっちゃってるじゃないか。
「ごめんね? ゼッ君て子供の奴隷とか見ると憤っちゃう系男子なの! うんうん優しいよね〜お人好しだね〜馬鹿だ〜ね〜? そう、彼は学のない愚か者なのです! だから今回はちょっち早とちっちまったんだ! でも根は良い奴なんだぜ? 根は良いやーつなんだぜ!? だからそんなゼッ君をどうか……どうか……許してくれなくても別にいいや! そんな事より私の名前はクルルだよ! あなたは一体なになにさん?」
少女はいつの間にやら俺の前まで詰め寄ってきて、そのままぐぐいと気安く身まで寄せてくる。
「く、黒野」
勢いに飲まれ、焦ってどもってしまった。
なんか色々と凄まじい少女だ。
歳は16歳くらいだろうか。
背は低めで、深い藍色をした長い髪をポニーテールに結っている。
髪と同色の深い藍色な大きな瞳と、左目尻の涙ボクロが印象的な少女だ。
その目をいかにも人懐っこくクリクリと動かしながら、にこ〜っと音が聞こえそうな最大級の笑みを浮かべてみせた。
「ククロノ君? うっわ〜変な名前だね〜! 君はきっと親に親の仇みたいに思われてたんだね! え!? 君自分のお爺ちゃん殺しちゃったの!? 」
「いや、殺してねーし」
「え!? あっ! お婆ちゃんの方ね! よっ! この女殺しっ!」
「お婆ちゃんも別に殺してないから! 祖父母共に在命してるから!」
「えぇ!? いよいよ意味がわかんないよ! だって君が俺の親は俺を親の仇だって言ったって言ったのに!」
「お前が勝手に言ってるだけじゃねーか! あとお前もさっきは俺の親が俺を親の仇だって言ったとは言ってないからな!? 俺が親に親の仇みたいに思われてるって言っただけだから! じゃあ誰が俺の親が俺を親の仇だって実際に言ったと言い出した!? って結局それ言ったのもお前じゃねーか!!」
「ぶふ、君は何を言ってるの? 頭だいじょーぶ?」
「なんっだこの女! なんなんだよこの女!!」
「……こいつと真剣に向き合うな。心が病んじまうぞ」
気付けばぶっ飛ばされた男ことゼッ君が傍に立っていた。
「あ〜! ゼッ君だ〜!」
クルルとかいう少女はゼッ君に指をさしながら、その場でぴょんぴょん何が楽しいやら忙しく跳ね出した。
「もう起きたんだ〜? ゼッ君はやっぱり娼婦だね〜」
丈夫だ丈夫。
こんなガチムチ娼婦を誰が買うんだよ。変態しか買わねーよ。
ゼッ君は慣れているのか完全に無視。
そのスルースキル、羨ましい。
「たく……お前に蹴られたせいで直前の記憶がどっかいっちまったじゃねーか。クソッ……なんか腹が立ってた様な……」
ゼッ君は片手で頭を抱えながら、チラリと俺を見る。
それからキキを見た。
キキを見て一瞬驚いた風に目を見開いたゼッ君は、すぐさま俺に侮蔑の表情を向け出した。
「……変態野郎が。お前みたいなのを見ると俺は虫酸が走るんだよ。悪りぃな、一発殴るぞ」
「ちょっと待ってぇぇぇ!? 無限ループ! これ無限ループ入っちゃうから!!」
初評価が付きました!
嬉しすぎます!付けてくださった方まじイケメン (結婚しよ)
他の皆様も日頃からご愛読いただき本当にありがとうございます!
これからもどうか末長くお付き合いして下されば感激です!