お慕い申し上げます!
「君がそこまでだとは思わなかったよ」
思わず出た言葉に目の前の彼女は笑う。
「私の愛情を舐めすぎですよ、ご主人様?」
ここは王都エスペラント。
他の場所よりも奇跡の多いパンドラ王国随一の豊かで美しい都である。
歴史を感じさせる建築物に機能的に舗装された道、そして豊かな緑と人々の笑顔が溢れている。
そんなこの場所は王が思想を伝え、臣下のたゆまぬ努力により更なる発展と現在以上の国民の幸せな生活の安定を目指している。
王都の安全を守るために日々鍛錬を積み重ねるパンドラ王国騎士団の中堅、カイは地区ごとに割り振られた警邏部隊のリリーア地区隊長だ。彼は現在手に持っている紙を焼き尽くさんばかりに睨みつけている。無論睨んだところで紙から火がでることはないし、仮にでたところでその紙に書いてあった事柄は消失しない。
「警邏部隊への女性騎士投入…。また面倒なことを…」
すっきりと短く揃えたダークブラウンの頭髪を苛立たしげにかきむしる。普段は優しげに澄んでいるブルーの瞳も今は荒れに荒れた海のような物騒さだ。極めつけにつり上がった目尻と眉間によった縦のシワ、への字で固定されている口となれば部下どころか同期の補佐役だって逃げ出すだろう。
彼の頭を痛めつける案件は現在王都の全ての地区、そして近い未来には王国全土で実施される女性騎士の騎士団入りについてだ。王の意向により行われた様々な改革は効果的な結果が多数あったが、本来家庭にいるべきと思われていた女性の社会的立場確立をと実施されるこの女性騎士雇用については今までに比べはるかにリスクを感じている。
他の部隊とて決して簡単だとは思わないが警邏部隊は特に神経質にならなければならない。
この地区近辺に住む女性を警邏部隊所属の男と同じく戦える程度まで育て上げ、王国繁栄の精神を宿す。
文字で見ればそれ程大層なことには思えないかもしれない。また、警邏部隊では強面かつ屈強な男達が殆どで、地区の幼い子ども達や若い娘などには遠巻きに見られていることを考えれば、女性騎士という存在が地域密着で交流を図り更なる治安維持への架け橋になってくれるだろう。
だが、地区を守る女性騎士だって元々は守るべきものとする国民であり、警邏部隊の男からみて傷付けることの許せないか弱い女性達。
騎士団の中には貴族階級などで特別に鍛錬を積んだ女性騎士がいない訳ではない。だが町娘と同列に扱うことなど出来ないほどの極々少数の猛者たちだ。
特にカイからすれば家庭を守ってくれる、またこれから家庭築き守る女性達が何故荒事の多い騎士団入りをするようになるのかが理解できなかった。過去に頭が堅い爺さん気質だと仲間内で笑われようとも、現在にいたるまでその考えが誤っているとは思っていない。
とはいえ既に出ている指令を無視できるわけもなく、カイは地区での女性騎士公募を呼びかけるためリリーア地区警邏部隊幹部を集め準備をするのだった。
「公募の結果、20名ほど集まりました。こちらが女性達の詳細です」
仕事を坦々とこなすと評される部下が紙の束をカイへ渡した。
自薦他薦問わず集まった女性の中から前提条件をクリアーした20名は数日後から教育期間が開始となる予定だ。
一期生とも呼べる彼女達は、女性がどの程度の期間で騎士となる基準値まで成長できるのかを試す対象でもある。初めてのことに彼女達もカイ達警邏部隊も不安が多い。
そのため事前の情報として家族や彼女達本人の思いや気にして欲しい事などを細かく集めた。
「…これ、間違っていないよな?」
「間違いなく、彼女達とご家族から集めたものです」
全てに目を通した訳ではないが、ほとんどの情報が警邏部隊への女性騎士投入を賛同し自分自身や家族がその責務を任される事に誇りや喜びを持っているというものだった。
カイも警邏部隊に誇りを持っているし、思ったよりも地区の住民から好かれている事は嬉しい。だが、彼女達やその家族は危険などを理解していないのではとも思った。
そんなカイの不安もよそに、騎士教育は着々と進む。
カイ自身も指導の立場で彼女達と顔を会わせるが、彼女達の顔は常に真剣で瞳は力強く輝いていた。
覚悟が無かったのは自分だけかと振り返る中、カイを新たに悩ませるものができた。
「カイ隊長ー!大好きです!私のご主人様になってください!」
騎士教育も中盤になり、志や学問的な座学から戦闘対応などの実践へ指導する事が変わった。すると座学よりも距離が近くなり、指導層の男達と彼女達はお互い気を許せる程度まで仲良くなった。それはいい。
1人、カイに熱烈な告白を毎日してくる強者が現れなければ心穏やかにいれたのだ。
「ええい!毎回毎回騒ぐな、アイナ!」
アイナと呼ばれ嬉しそうに破顔する彼女は騎士教育を受ける女性達の中で1番優秀だ。
だが、最初からずっと優秀だった訳ではない。始めは泣きそうになりながら必死で教育についていった、嫌な言い方だが落ちこぼれの劣等生だった。
弱音も吐かず涙を堪えながら座学を修め、筋肉痛に転がりながら基礎体力作りを乗り越えた。指導層の男達は勿論、同期の女性達からも可愛がられマスコットと化していたのに。カイが実践指導に立った日から彼女は頭角を現し始めた。
カイの指導を素直に全て受け止め、無駄なことは考えない思い切りの良さで徐々に強くなっていった。そして誰も勝てなかった戦闘対応での実践で最初に指導層の男に勝ったのだ。
自信がついたのか笑顔が増え、周囲に更に可愛がられ、何故かカイに好きだと言い始めた。
だが浮かれて教育内容が疎かになることもなく、むしろそれまでどれだけ不調だったのかと疑うほど、座学も戦闘対応の実践も優等生になった。
「だから、オレはそんな気持ちを返せないと言っているだろ?」
ほとほと困りはてたカイだが、改善の傾向は全く見られない。むしろ日に日に愛情表現が過激になっている気がする。
挨拶しては照れていたのが、タックルのごとく助走つきで飛びつかれているのだ、熱烈な告白とともに。
「まるで犬のようじゃない?可愛い愛犬ね」
見守る者達も慣れたように軽口を叩くようになった。最早日常なのだ。
「カイ隊長が私を好きになってくださるなら、犬でもいいです!わん!」
アイナの宣言に周囲は笑いに包まれる。
勘弁してくれ、と深いため息を吐きながらカイはぽつりと零した。
「犬ならオレは猫の方がいい…」
そんな独り言を呟き、過去に思いをはせる。
犬を飼ったことがあり、溺愛といっても過言でないほど大切に育てた少年の頃。家族として慈しんだ犬は散歩の途中でリードが外れカイを置いて去ってしまった。自分に特に懐いていた犬が止めるのも聞かず走り去り、帰ってこなくなってから動物は飼っていない。どれほど探しても見つからず生きていればいいと諦めてから、従順で自分に寄り添う外で生きていけるか不安になる犬より、気ままに生き目の前から忽然と消えてもどこかで自由に生きている気がする猫の方が安心できていいと思うようになったのだ。
どちらにしても動物も人間もそばにいて欲しいと願うことはしなくなった。
自由気ままに、お互いを尊重しながら近すぎない距離を選んできたカイにはアイナと共にある未来は想像できない。
「…カイ隊長に戦闘対応で勝てたら、私をそばに置いてくれませんか?」
先程までの元気さから一変し真剣な眼差しでカイを見つめるアイナに、カイは一瞬戸惑った。
そんな表情を見たことがなかった。真剣さの中に切なさや愛おしいという感情を込めて自分に懇願しているように見えたから。
「手加減しないオレに勝てるつもりなのか?」
現役騎士、騎士団の中で中堅どころ、地区警邏部隊隊長、その肩書きは教育期間中の、ましてや女性に負けるものではない。それを分かっているのかと言外に問えば、真剣な面もちのまま頷かれた。
「私が勝ったら、私のご主人様としてずーっとおそばに置いてください」
悪乗りしたのか、アイナの真剣さに同情したのか。
他の指導層の男達によって、教育期間終了時に彼女と勝負をすることになった。
勝負をすることが決まった次の日から、アイナはカイに飛びついたり抱きついたりしなくなった。挨拶や熱烈な告白はするのに、その顔はいつもの明るく元気という表情ではない。
どこか違和感を感じながら、勝負に勝てばこれが当たり前になると無理やり自分を納得させた。
そんなカイの状況を知らぬように、どんどん強くなっていくアイナ。
長いような短い時が過ぎ気付けば女性達全員が、指導層の本気の男達相手に勝てないまでも長時間応戦することが出来るようになり、教育期間終了を迎えた。
アイナと対面し勝負のルールを確認する。さすがに同じ条件では勝負にならないと、アイナが負けとなるのは本人のギブアップと審判の続行不可能と判断した時のみとなった。一方カイは首、胸、腹、頭と致命傷になる部位に攻撃を受けたら負けとなる。
「怪我をさせたくないから早めにギブアップしてくれよ」
「絶対カイ隊長のおそばに置いていただくんです。ギブアップなんてしませんから!」
模擬剣を持ち、互いに剣を交わらせた状態で試合辞退を進めるもアイナは歯牙にもかけない。
仕方がない、早々に意識を失わせようとカイが決めた時、審判の声によって開始が宣言された。
後ろに回り込み手刀で首を叩き気を失わせようとしたカイは、目の前に迫るアイナの剣に驚いた。
自分と同期の補佐役並みの速さで繰り出される剣は、カイが想像していたものをはるかに上回る。
自身の剣で受け止め弾き返すも、力も女性と侮れないほど強い。
手加減をしたつもりはないが、油断をしていたら本当に負けるだろうと思い直し、剣を構えた。
数えられないほどの打ち合いで息が上がってきたアイナは、少なからず体に剣を受けている。普通の女性であれば痛みに泣き出し、剣を持つこともできないはずだ。それでもカイとの勝負から降りることはないし、審判もいまだに続行不可能との判断はしていない。
なにがアイナを奮い立たせるのだろうと思った瞬間、カイに隙が出来ていた。いや、相手の様子を見ながら勝負をしていた時点で既にいつものカイではなかったのかもしれない。
隙を逃さず腹をねらったアイナの剣は、しかし空を切り体力の限界らしかった身体は剣を振り抜いた勢いのまま地面に倒れた。
這い上がろうともがいても立ち上がれず、悔しそうにくちびるを噛み締めながらそれでも剣を握るアイナに、カイは背を向け審判の方を見た。
「既に立ち上がることの出来ないアイナは続行不可能だろう?」
審判が口を開いた瞬間、カイは目を見開きながら振り返り顔の前に剣を構えた。
ヒュンと風を聞る音とともに剣に伝わる衝撃。
弾いてからアイナが剣を投げてカイを攻撃したのだと分かった。
なんという執念。警邏部隊や騎士団全てを含めてもここまで食らいついてくる者はそうそういない。
感心しきりのカイは、コツンと頭部に当たった何かに再び目を見開いた。
カラン、カツンと別々の音をたて地面に落ちたのは弾いたはずのアイナの模擬剣と小さな短剣型の模擬剣。いつの間に投げたのか分からない短剣が頭上から降ってきてカイの頭に当たったのだと気付いた時、周囲がどっと歓声と拍手に包まれた。
「勝者、アイナ!」
「すごい!カイ隊長に攻撃を通した!」
今まで警邏部隊の誰も一撃を入れることが出来なかったカイにアイナは攻撃を通した。
長時間粘りカイの集中力が切れるタイミングで、隠していた短剣を試合最初から持っていた剣とわずかにタイミングをズラして投げたのだ。
負けたんだなと素直に受け入れたカイはいまだに立てないアイナを抱き起こした。
「君がそこまでだとは思わなかったよ」
掛け値なしの本音を伝えるとアイラは汚れたままの顔も気にせず久しぶりの笑顔で抱きついてきた。
「私の愛情を舐めすぎですよ、ご主人様?」
それがリリーア地区警邏部隊名物、おしどり夫婦騎士のお付き合いの始まりだった。