思考
今日、ボクは弥月と会うことになった。例の件の話し合いをするために集まる。
ボクは駅の近くにあるケーキ屋に向かっていた。久井の行きつけというお店だ。久井の誕生日に一緒に行く予定だった場所。ボクはそこを選んだ。
店内に入ると同時にチリンチリンと鈴の音が鳴る。ボクの来店を快く迎えてくれているようだった。店内は大人の雰囲気が漂っている。人は少なかった。客は席を向かい合わせて談笑している。客のほとんどが女性で、ボクは場違いのようだった。
二十代半ばぐらいの茶髪で短髪の店員が接客をする。ネームプレートには加野と書かれていた。ボクは店内を見渡す。弥月はまだ来ていないようだ。ボクはこの店員に「後でもう一人来ます」と伝える。そして席へ案内される。
ボクはメニュー表を見て時間を潰すことにした。弥月が来るまではオーダーはせずに、お冷で間を持たす。
十分ぐらいしてから弥月がやって来た。弥月は白のシフォンブラウスにワイドパンツ。そういった格好だった。ボクは手を上げてこっちと言う。弥月はボクの向かい側の席に座る。
「春には似つかわしくない洒落たお店ね。貴方なんかがよくここを選べたわね」
「酷い言いようだな、弥月。今日のキミの格好もボクのイメージとはずいぶんと違ったよ」
「あら。どうして?」
「制服か暗い色調で統一した服を着ていそうな感じがするから」
「ま、無難でしょ?」
弥月はお冷を置きに来た店員に声をかける。さっきと同じ人である。弥月はレモンティーをオーダーする。ボクはブレンドを頼む。その後、弥月が店員に聞けばいいのに、わざわざボクに「おすすめはあるかしら?」と尋ねてくる。店員は目をぱちくりさせていた。ボクは、「知らないが、ボクはチーズケーキを頼むよ」と答えた。弥月は「じゃあ私も」といって同じものを注文する。
注文を承った店員は一礼すると去っていく。ボクはその姿を見届けてから会話に入った。
「弥月はこういうお店にはいかないの?」
「そうね。ここは五回目ね」
「結構行っているじゃないか」店員の反応が何となくわかった気がする。「初めてだと思ったよ。そうか、常連みたいなものか」
「ええ。そうよ。ここは静かでいいわ。特に、私が来たりすると」笑っていいのか困る。「よく、人目につきにくい隅の席に案内されるわ。大体、さっきの店員の人にね」
「それでよく通う気になるよな」
「どうだっていいからかしらね」
ボクは両肘をテーブルに乗せる。
「ここはね、知り合いといくつもりだったお店だよ。そいつの代わりに、って言ったら弥月は気分を悪くするだろうが、そういう事だよ」
「私はそれほど心が狭くないわ。春が言う知り合いというのは久井今日子さんね。デートするほどの仲だったわけね」
「さてね。さて。もう少し話していてもいいのだが、今日は雑談する為に集まったんじゃない。本題に入ろうか」
「せっかち。だけれども、私も時間が無駄になるようなことはしたくないわ。だから、早めに終わらせてしまいましょう」
弥月はバックから地図を取り出し、それをテーブルに投げた。「あげるわ」と低い声で言う。ボクは貰った地図をテーブルの上で広げた。
今日、ボクたちは例の連続殺人事件を解決しようと集まったのだ。中学生ごときがどんなに知恵を絞っても犯人には届かないかもしれないが、挑んでみる価値はあるかもしれない。ダメでもともと。そういう気構えで挑戦する。
「まず質問しなくてはね。春は事件の概要は覚えているかしら?」
「ある程度は」
ボクは彼女に自分への復習をかねて説明を始めた。
久井が犠牲になった連続殺人事件。女性ばかりを狙った悪質な犯罪。久井を含めて五人もの人が被害にあった。犯人の活動範囲は意外にも狭く、橋里町の近くにあるいくつかの町で犯行が行われている。殺害場所は主に人に捨てられた場所だ。要するに廃墟となった建物や人が近寄らないような場所。被害者はそこで永遠の眠りを強いられる。その寝ている傍らには菊の花が死体と添う様にして置かれている。
「死因のほとんどは失血死によるショック死。椅子に縛り付け、身動きを封じた後、ナイフで首をかき切る」
ボクは弥月の首元を眺めた。
「分からない趣味だよね。スプラッターを眺め見るのがそんなに楽しいのか」
「その人の心理なんか分かりたくもないわ。それに、その種類の輩の精神は私たちには到底理解など出来ぬ場所にあるのだから。別にこれは犯罪者に限った話ではないのだけれど。春だって私を理解できないでしょう? 私も同じ。だから、そこは考えるだけ無駄だと思うわ」
弥月は水を一口飲む。コップをテーブルへ静かに置く。それから弥月はネームペンを取り出し、キャップを外す。地図の上にそのまま書き込んだ。
「被害者は全員で五人。一人目は上山碧海さん。この人はS山の廃屋で発見された」
弥月は地図上に黒丸を打った。そしてその横にAとアルファベットを記す。
「二人目は、菊野泉美さん。A地点から南に三十キロぐらい離れたN町の病院の跡地」
黒丸を書き、その横にBと書く。地図の向きはボクの方が正しいので、南はボクから見て下にいくということだ。
「三人目は小中海さん。B地点から西に五十キロ離れたT町の廃屋、そこをC地点。四人目は片山涼子さん。A地点から北に三十キロ離れたU山の山小屋、そこをD地点。最後の五人目はわかっていると思うけど、久井今日子さん。D地点から西に五十キロ離れたI町にある山の小屋、そこをE地点。以上よ」
弥月はそう言うと、ボールペンに蓋をしてそこらにポツンと置く。ボクはお冷を一口頂いてから思考を巡らす。
「詳しいね」
ボクは前髪をいじる。
「調べたから」
弥月は前髪をかきあげる。
「とりあえず、思う事は、犯行はある意味計画的なのかな?」
「というと?」
「キミが標したその点は、ほぼ一定の間隔にあるということだ。シンメトリーとまではいかないが、点がほぼ綺麗に並びすぎている。D点、A点、B点、の三点とE点、C点の二点。これらがそれぞれ縦に並んでいる。ボクは偶然じゃないと思うな」
「ええ。そうね。同じ事を思ったわ。それと、私はもしかするともう一件事件が起こるような気がしてならないのよ。E点とC点の間に一つだけ点が残されている。シンメトリーを狙っているのなら、そこで次の事件が起こるのよ」
「それならば、止めないとね。弥月」
そういった所に店員がやって来た。ボクは地図を片付ける。それぞれの目の前に注文した品が置かれた。
ボクはコーヒーに砂糖とミルクを入れる。それを入れると普通とは違った味わいを堪能できるから。まあ、ただ単に強い苦みと酸味が嫌いなだけだが。
「レモンティーもケーキも美味しいわ」
本当にそう思っているか尋ねたくなる。
「貴方はここにいるのが私で残念でしょうね」
「そんなことはないよ。なんでそういう事を言うんだよ。そもそもボクは弥月に興味を持っていたんだから、まあ望む所だよ。……だけど、久井と一緒に行きたかったっていう気もあるよ」
「……そう」
ボクは地図を広げなおしながら言う。ケーキを一口頬張る。食べながら思考を巡らす。事件の事について、考えているつもりだった。だけれど、集中が出来なかった。ケーキを食べる自分と弥月の存在が、ボクの思考を妨げる。
「ねえ。弥月……」
「断るわ」
「まだ何も言っていないよ」
「貴方が言おうとしている事がなんとなく理解してしまってね。多分、貴方は、こう言うでしょう。「久井になったつもりで、ちょっと話してみてくれないか?」ってね」
「正解だね」
「嫌よ。だって、貴方が知っている久井今日子を私が完璧に演じることなど、私には不可能だから。仮に私が演じたとしても、貴方が満足することは絶対に出来ないわ。なぜなら。今の貴方は久井今日子という存在そのものを求めているから。私は彼女ではないし、彼女は私ではない」
「そりゃあ……ね」
「まあ、私は彼女の代わりになる者にはなれるかもしれないわ。でも、本物に成り変わることはたとえ神でも不可能よ」
弥月は手にしていたカップを静かに置く。砂糖を一掬いして、レモンティーの中にそれを落とした。砂糖が溶けてレモンティーと混ざり合う様子を弥月は冷たい目で眺めていた。スプーンを置き、それを啜った弥月は「甘いわ」と小さく言って、唇を舐めた。
「余人をもって代えがたい。代わりになろうとする、させようとする。それこそ愚かな行為でしかないのよ」
弥月は頬杖をつき、窓の外を眺める。陽は西へ向かっていた。
「そうだね。馬鹿なことを言おうとしていたよ」
「いいのよ。そんなことは。変化に疎いのが人ってことだから。ところで。明日は暇かしら?」
「話の変化には敏感のようだ。うん。放課後はいつでも暇だよ」
「違うわ。放課後じゃないわ。私は、貴方に、こう言いたいわ。一緒にサボらない? と」
ボクは思わずコーヒーを吹きだしそうになった。ゲホゲホと咽る。
「事故現場を回りたいの。……いえ語弊があるわね。お花を置きに行きたいのよ」
弥月は顔の前で手を組む。顔を近づける。
「加藤博一にもやっていたよね」
ボクは弥月を真似て、顔を近づける。
「どうなの?」
弥月は下がり、背もたれにもたれかかる。
「……いいよ。行こう。ボクも、興味はあるから」
「あらそう。嬉しいわ」口では嬉しいと言っているが、冷めた表情からは嬉しいという感情をうかがえなかった。
弥月は席を立つ。お手洗いに行くようだ。「犯人について、考えていて」そう言い残していった。
一人になったボクは脱力した。余計な力が肩にかかっていたようだ。身体が軽くなったような気がした。
ボクはストラップを出し、小声で「おいしいよ」と言った。
「面白い事に気がついたわ」
弥月はお手洗いから帰って来るなり、そんな事を言った。ボクは首を傾げた。
「犯行をつづった手帳でも落ちていたのかい?」
「じゃあ、犯人はこの店の主人ね」
「そしてキミは誘拐され、この上の階で監禁されるのだろうな」
「なら、安心ね」
「どこがだ」
「助かるのだから」
「うーん……」
「まあ、冗談を言っていないで私の話を聞いて」
ボクは「どうぞ」と言った。
「被害者の名前を全員言ってみなさい」
ボクは弥月が言った通りに五人の名前をあげた。一人目から順番に。上山碧海。菊野泉美。小中海。片山涼子。そして久井今日子。
この五人の名前に何か関連性でもあるというのか。ボクは言いながら法則を見つけようとする。そして、閃く。
「気がついたかしら? 全員のイニシャルに『K』の文字がつくのよ」
「本当だね。O・K。I・K。U・K。R・K。K・K。全員に『K』がついている。……あ。もしかしてそういうことか」
ボクは地図を見て逆さにする。そして指先で点と点を結んでいく。そうすると、地図上に『K』という字が浮かび上がるのだった。ボクは弥月にその事を報告した。
「ええ。ええ。確かにそうだわ。犯人の狙いはこれだったのかしら? だとしたら、最低ね。遊んでいるように思えるわ」
「同感だ。もしこれを意図的にやっているとするのならね」
ボクは感情には出さなかったが自然と拳に力が入って来た。犯人を捕まえたいという気持ちが静かに強くなっていった。
「だとすると、もう、起こらないんじゃない? さっきはもう一人の犠牲者が出る可能性について話したけど、これでもう『K』という文字は完成されている」
「どうかしら? その可能性もなくはないけど……。まだハッキリとわからないわね。まだ完成していない可能性だってある」
「犯人が何を目指しているか、それによりけり、か」
ボクは嘆息する。
「だけれど、ひょっとすると、この町で起こるかもしれないわ」
「理由は?」
「地図を見ると、A点とC点の間に、この町がある。なにか、不穏な空気を感じないかしら?」
「キミは何かに気がついてるのかい?」
「勘、よ。ただし、外れてほしいものだけど」
ボクがさらに理由を聞こうとしたが、弥月は首を振ってそれを拒否した。
「それと、もう一つだけ気になっていたのだけれど、名前の方のイニシャルにも何か関係があったりするのかしら?」
「というと……『K』以外のやつ。O・K。I・K。U・K。R・K。K・K。の、上の方。つまり、O、I、U、R、K?」弥月はその通り、と頷いた。「でも、ちゃんとした言葉になるかどうか……。このままじゃ読めないから、順番を並び替えるのが妥当だけど、うーん? ボクはこう言うのが苦手だから分からないかな」
「私も、こういうのは苦手」
「さすがに、ここまでは考えすぎじゃないかな?」
「それもそうかもしれないわね」
ボクたちはそれから何の進展もしない話し合いをする。ただ無意味と思えるような時間だった。
ボクはこのままじゃらちが明かない。そう思い、少し話題を変える事にした。
「ねえ、弥月。何故人を殺すんだと思う?」
シリアスな質問だ。弥月は普通に答えた。
「……。感情に駆られて、が正しいのかもしれないわね。誰しもに殺意というものが存在し、心からそれは湧くわ。でも、殺意を公にしないのは、理性などによる抑制があるからなのよ」
「うん」
「罪を犯せば社会の地位を地の底に落としたりや、社会集団の関係に悪影響を及ぼしたりするのが、これまでの人生経験の中で十分に学んでいる。そのことから、殺意の衝動を封じ込める。だけど、様々な葛藤の中で犯行の条件がそろってしまった時、人は半ば衝動的に行動に移すのよ」
「一時の感情に身を任せて……か。後先を考えない阿呆、というよりかは、今一時を大事に、もしくはその刹那を生きる事で手いっぱいの人がそうしたことをしてしまうのか」
「でも、迷惑よね。見知らぬ誰かに感情をぶつけられるんですもの。その人にいかなる理由があろうとも、巻き込まれる人にはたまったものじゃない」
「弥月は犯罪者をどうしたい?」
弥月は両肘をつき顔の前で指を組んだ。そして睨み付けるほど真剣な目つきでこう言った。
「私は死刑制度に賛成よ」煤のように暗いものを目つきに漂わす。ボクは圧倒されそうだった。「特に人殺しはね」
弥月の目は次第に底知れぬ闇の世界が広がっていった。空気がキンキンに冷えていく。
「もし仮にこの事件の犯人を突き止める事ができたら弥月はその犯人に何をしてもらいたい?」
「愚問ね。贖わせるほかあるかしら?」
「罪を罪と思っていない人に償わせるのは無理だと思うよ」
「だから、言ったじゃない。制度に賛成だと。まあ、もっとも……それだけでは足らないのだけどね。死は平等に訪れるものだけど、言葉の捉え方を違えれば死もまた不平等になる。ま、死に方ね。私の中では……」
弥月は言葉を止めた。ボクは不思議に思った。
「まあ、死刑なんかが正しいんじゃない? 望まぬ死を強いる。それが罪を滅ぼすのにつながるのではないかしら?」
――ブーブー……。
この時、ボクの携帯が鳴った。弥月は「切っときなさいよ」とため息を漏らす。ボクは「ごめんね」と言い、その電話に出る。相手は妹たちだ。
『春お兄ちゃんはいまどこにいるの? 今日、なんか食べに行くことになったから、早めに帰って来て。というか今すぐ。強制だよ』
電話越しなのに、声が重なって聞こえた。相変わらずだな。
「最初から拒否権を奪われるとはね。うん。わかったよ。じゃあ」
ボクは通話を切った。
「ごめんね。弥月。どうも帰らなくてはならない用事が出来てしまった。この話はまた明日にでもしないかい?」
「残念ね。まあ、いいわ。ちなみに、電話の相手はご家族?」
「うん。妹からだよ。双子の。弥月は兄妹はいるのかい?」
「へえ。いたの。私は……姉がね。今は遠い所にいるけど」
「ふーん……。弥月にとてもよく似た双子のお姉さんか。会ってみたいね」
「残念。十コ以上離れているわよ。それに、会えないと思うわ。というか、会わせたくない」
弥月は立ち上がり、財布をバックから取り出した。ボクは「ここはボクが奢るよ」と男風を吹かせた。弥月は「断るわ」とあっさりないがしろにする。ボクは「心理的報酬を得られず損したな」とみみっちい事を呟く。
お会計を済ましたボクたちはそのまま別れる事になった。明日は弥月とサボり。青春のようで喜ばしいことなのかもしれないが、残念ながら今のボクは浮かれる気分にはどうしてもなれなかった。
弥月から詳しい連絡が来たのは夜の八時ぐらいだった。ボクは風呂上りだった。自分の部屋へ戻ったときに携帯が光っていたのに気がついた。メールの内容は簡潔で、『明日、朝八時頃に家へ来て』だった。ボクも『了解』と弥月より短い文を打った。
ボクはベッドに寝転がる。天井を見上げ、一人物思いにふけっていた。
ボクは弥月が分からない。
弥月との関係はたった半月という希薄なものではあるが、ボクにとてつもない影響を及ぼしている。弥月と関わってから、ボクの人生は転換期を迎えたのだろう。はたしてそれは凶なのか吉なのか。
ボクはゆっくりと目を閉じた。
特にひねりはない。
紙とペンで、適当にやってみたらどうですか? まあ、意味はないですが。多分