死と始まり
これはこれから起こるある出来事よりも少し後のお話である。
ある朝、妹たちが泣いていた。その声にボクは起こされる。ボクは困惑する。妹たちのその姿を見るのは初めてだったからだ。ボクがどうかしたのかと聞くと妹たちは説明を始める。
妹たちは早朝の日課であるジョギングをしていた。日が昇る前から始めて、数キロを走るようだ。いつものコースを走り終えた妹たちはあの黒猫がいる廃工場へ足を運ばせたそうだ。そこへ向かう途中で見たくないものを見てしまう。
道路にハエがたかっていた。地面に転がる何かを覆うようにして飛び回っていたようだ。その姿に興味を持った二人は、ハエが何にたかっているのかを覗き見ようとする。しかし、そこにいたモノが信じられないもので、思わず悲鳴を上げてしまったそうだ。
そう。あの黒猫が冷たくなっていたのだ。血を地に垂らして虫の餌になっている。腕と足をピンと伸ばし、固まっている。妹たちは恐る恐るその猫に触れた。まだ、温かかったそうだ。だが、動いていない。呼びかけにも答えない。沈黙をしつづけている。つまり、猫はもう……死んでしまっていたのだ。その猫は妊娠をしていた。お腹の中の子供は無事であった。否。その猫の傍に胎児と胎盤が並んで落ちていたようだ。
妹たちはその親猫と子猫を拾い上げる。心臓が鼓動していないのにも関わらず、温もりがあるそれを持ち上げる。そして、土を掘って埋めてあげたそうだ。墓標を立てて、供養をする。
「つらかったな」
ボクは妹たちにいう言葉がそれしか思いつかなかい。ボクが想像する以上のショックを彼女たちは受けているのだが、それが完全には伝わっていない。だから、こんな軽い常套句しか出せない。
「「あれが……死ぬ、ってことなんだね。死の温もりがまだ手に残っているよ」」震えるその手を凝視した。「「どうして、死ぬの?」」
「生きているものは、必ず死んでしまう。それが早かったってだけだよ。十分幸せに生きただろう」
「「じゃあ、あの赤ちゃんはどうなの? 生まれてもいないのに、死んじゃったんだよ。幸せを感じる前に、死んじゃったんだよ。あの黒猫も、自分の赤ちゃんを見ていないのに……それでどうして幸せだって言えるの? あの猫たちには朝が来なかったんだよ。子猫は朝日を一度も拝むことができなかった。朝が来るって知らずに朽ち果てた!」」
「それは……」
ボクに答える資格などなかい。今をただ生きているだけのボクにはそれを得る能力がない。
「「悲しいよ……。怖いよ」」
そう。ボクはただ、妹たちの言葉と感情をただ受け止めてあげるしかできなかったのだ。
ボクは朝に弱い人間だ。目覚まし時計をセットしたとしても意味をなさない。音を止めて、すぐにまどろみの世界へ飛び込む。だから、ボクは毎朝妹達に起こしてもらっている。あいつらの起こし方は雑で、たたき起こされるという言葉がよく似合う。ボクはそれですぐに目が覚めてしまう。
ボクは洗面所で顔を洗い、歯を磨く。そのあとに妹達が用意してくれた朝食を食べに食卓へつく。毎朝、食卓にはボクと妹達の三人しか座らない。別に親がいないわけではない。父親は朝早くから仕事に行くのでいない。母親は寝ている。多分今日もお昼時に起床するだろう。ボクが朝に弱いというのは母親からの遺伝なのかもしれない。
ボクは味噌汁を一口すすってから、テレビをつけた。朝のニュースを見るのが日課なのである。妹達から「つまらない」と批判が来るがそんなものは気にしない。
テレビではニュースキャスターが渡された原稿を淡々と読んでいた。大変だなと勝手に同情しながらそれを聞いていた。すると、信じがたいニュースがボクの下へと舞い降りる。
『今朝、四時ごろ、I町の山小屋から少女の死体が発見されました。遺留品の中から身元が判明し、橋里中学に通う久井今日子さんだと判明しました。手口の相互関係から連続殺人事件の犯行と類似している模様で、現在警察は……』
ボクは初め耳を疑った。同姓同名の別の誰かかと思った。だけど中学校の名前、なによりも顔写真から、昨日の放課後に話していたあの久井今日子に間違いなかった。
ボクは背もたれに寄りかかった。何も言葉が出なかった。
「あいつ、か」
妹達は不思議そうにボクのほうを向いた。
天と地が逆転したような感覚がボクを襲った。世界は狂わしく、正常を歪ませていた。光は失われ、常闇の空間がそこを支配していた。在るものを全て強奪していった。希望という名の光さえも。
久井の通夜が行われたのはそれから一週間後のことだった。クラスメイト全員はそれに参加させられた。久井と交友深かった女子の数名は泣き崩れていた。半分のクラスメイトは葬儀場の空気のように冷たかった。面倒くさい、早く終われなどと、久井の死を悼むものが半数もいなかった。同じ教室で二か月過ごしてきたというのに、薄情だった。でも、これはボクが久井と親交があったからこそ湧き出る感情なのかもしれない。
ボクは心が痛かった。胸の内側から無数の針が飛び出るような鋭い痛みだ。
ボクは自分の感情は壊死したものだと思っていたが、それは錯覚のようだ。そこに安心する。ひょっとすると、神谷弥月と出会い、ボクに感情の変化が訪れたのかもしれない。それは大変よろしいこと。だけどなんでかな? ちっとも嬉しくない。痛くて苦しくて仕方がないんだ。
そういえば、藤原があることについて語っていた。放課後に一緒に下校していた時のこと。藤原はカンを蹴りながら持論を展開していた。
「俺たちは生きるという使命を受けたんだよ。だから本能的に生きようとする。そして、その使命にはもう一つ重大な役目が課せられる。それは、成長することだ。人は学び続けて成長する。必要なことを優先し勉学に励む。そして得た知識を子孫たちへ残す。俺たち人間はその情報を譲渡するために今を生き、そして学び続けるんだ。学ぶことには犠牲が必要だ。たとえばキノコに毒があるかを知るために、毒見をする奴が必要となる。そうして、その輩の犠牲によって、このキノコに毒があると認知する。世の中には犠牲の先駆者が絶対に必要なんだ」
藤原が言うところで、つまり久井今日子は犠牲になったのだ。古くから伝わる人類の運命の因果の犠牲に……。
他人が死ぬことで本当に人間は成長できるのだろうか。その疑問を今の自分にぶつけてみた。その疑問は泡となりはじけ飛んだ。掴むことさえもできずに、飛散した。
久井という人間の存在がボクにどのような影響を与えたか。彼女はボクを心配してくれていた。ボクの違和感を感じ取り、それを消し去ろうと試みようとしてくれた。失って気が付くものがある。やはり、久井はボクにとって大事な存在だったのだろうか。ボクは人に好意を求めたくなくてその救いの手を取ろうとしなかったボクを愚かだと、久井が死んでようやく知った。
死なねばわからぬこと。人は誰かが死んでからその誰かのことや自分のことを改めて認識する。
ああ。ボクは答えがほしい。失う前に答えを知りたい。自分のあるべき姿、本当の形というものを。
「久井……」
焼香を終えた者は義務を果たしたとすぐに帰って行った。ボクはみんなよりも少し遅く残っていた。日が暮れたころに、ボクは外へ出た。雨は降っていなかったが、空は曇によって覆いつくされていた。周りはどんよりとして暗かった。天を仰ぎみる。雲が輝く星空に悪戯をしてその全てを隠してしまった。
道標を奪われ、進むべき道を見いだせないボクは、ただ闇雲に歩くだけだった。
久井はあの日の図書室で、ボクと別れた後に犯人に連れ去られた可能性が高いそうだ。あの日にボクは久井からケーキを食べに行こうと誘われていた。もしかしすると、ボクが久井の誘いを断らなければ、久井は殺されずに済んだのかもしれない。
「助けて」。そう彼女は叫んでいたのかもしれない。ボクにそうやって助けを求めていたのかもしれない。ボクはやるせない気持ちで一杯だった。
ボクは間違いを犯してばかりだ。いや、間違いなのかどうか判別がついていない。ボクが久井の誘いにのったとしても、彼女は殺される運命だったかもしれない。
ボクが何かをすれば……何かをしなければ……。もう、分からなかった。
足が棒になるぐらい歩き続けたボクはほとほと嫌気がさしていた。ボクは自分の気持ちに整理がつかず、困り果てていた。まるで死んでいるかのよう。
ボクはいつの間にか商店街へ足を運ばせていた。昼のにぎやかさは失われ、黙さんとしていた。
その中でボクは久井から貰ったあの『K』のストラップを眺めていた。指の腹で何度もさする。このストラップは自分の姿を形成していた。だけれども、何かが足りていない。形があったとしても、意味はない。それを理解した。
「ボクは……」心が痛む。何故こんなにも苦しいのだろうか。
ボクはストラップをポケットにしまった。
やがてボクは商店街を抜ける。商店街を抜けてしばらく歩くと、例の黒猫がボクの前を横切った。猫はボクにニャーとかわいい声で鳴く。ボクはその猫に触ろうとする。けど猫は逃げ出し、ボクと距離をとる。ボクは嫌われたな、と少し悲しくなった。ため息をついて、歩を進めるが、猫は先回りし、ボクの行く道を防ぐ。
猫の考えはわからない。ボクが行こうとすると呼び止めて、ボクが近づこうとすると離れていく。
猫は数メートル歩くとボクを振り返りながら鳴いた。ボクが止まっているままだと、来た道を戻り、鳴く。ボクは訝しく猫を睨み付けるようにしてみた。すると、猫は久井から貰ったストラップを口にくわえていた。ボクはポケットをまさぐる。やはり無かった。しまう時に落としてしまったのだろう。ボクは猫にそれを返してもらおうと手を伸ばす。だが、猫は逃げてしまう。ボクはその後を追いかける。
猫はトコトコと早足で歩く。その速さはボクが歩くだけでも簡単に追い付ける速さだ。ボクがストラップを取りかえそうとすると猫は威嚇し爪でボクの手をひっかこうとする。
困ったものだ。ボクは前髪をいじりながら途方に暮れていた。
「貴方は……」
人の声がした。感情の有無が一切なく、今日の空模様のような一辺倒の声調。この声の主をボクは知っていた。
「神谷……弥月……?」
ボクの瞳孔が開いていく。死んでいたボクの調子が蘇りつつあった。
彼女はいつもの制服を着用している。何故か供花を携えていた。花は白い菊の花である。ボクはその花を恨めしく思う。久井の死体のそばにその花が供えられていたのだから。花に罪がないのは理解している。それでも、疎ましく思わずにはいられなかった。
「また……会ってしまったわね」彼女はめをつぶった。「まさか、またこの猫によって……最悪ね」
「……」
彼女は猫に触れようとする。猫はそれを受け入れる。猫はくわえていたストラップを足元に置いて、どこかへ行ってしまう。彼女はそれを拾い上げる。
「それは……ボクのだ」
ボクは返してという。彼女は首を傾げながらそれを渡した。
「……元気がないわね。死にそうな顔をしているわ。私は貴方の喜ぶ顔を見させられると思ったのだけど」
ボクは説明をしようと思った。でも、言葉が出てこない。のどの途中で言葉が引っかかっていた。
「……そうだったわ。私たちの学校に通う久井今日子さん……? が亡くなったのよね。その人と同じクラスだったのね。心中をお察しするわ」彼女は間を一つ置いた。「酷いことをするわね。……。仲が良かったのね。とても悲しい顔をしているわ。それだけで貴方の彼女への想いが伝わるわ。ここで泣いてもいいわよ」
いったいどうして、彼女は優しい言葉をボクにかけるのだった。そして、彼女は一輪の花をボクに手渡しする。ボクはそれを受け取る。彼女の見ぬ一面のせいでボクは気持ちが落ち着いてしまった。強張った喉がほぐれた。
「どうしたんだよ。キミらしくないじゃないか……」薄い笑みがこぼれる。
「……。別に、ただの暇つぶしよ。それに、いくら嫌いな貴方でも目の前でそんな顔をされたら、気分が悪くなるわ」
「そうだね。ごめんね」
ボクは彼女の目を見る。輝きがないように思っていた瞳の奥に光を感じた。だけど、それは見間違いか、やはり何もなかった。
「ねえ、どうして人は死ぬんだろうね」
「……重たい質問ね。申し訳ないけど、私には貴方が望むような回答はできないわ。だって、そういう理なのもの。そこに理由なんてものはありなどしない」
「キミはそれで納得がいくのかい?」
「……」
「誰かの死って哀しいよね。どうしてそんな事を今まで感じる事が出来なかったのかな?
毎日ニュースとかで誰かが死ぬのを聞いても別にどうも思わないのに」
「大切な人以外の死ほどどうでもいいものはないからよ」
風が吹き、下りきったシャッターがうるさく鳴る。彼女は花に顔を近づけてその匂いを嗅ぐ。
「ねえ。どうしてボクはこんなにも胸が苦しくてたまらないのかな? ボクはある日から唐突に心が満ちなくなった。乾いたままで、潤されることがなくなった。だけど、心が痛む。喜ぶべきことなのに素直に喜べない。ボクは、もうボクが分からないんだ」
「心が痛むのは、人が人を悼むからよ。貴方にはそれが残っている。つまりは、貴方は生きている人である。悼む心がその証拠なのよ。そう。私が……捨てた心……」
彼女は空を仰ぎ見る。遠い過去に思いをはせているようだ。ボクはその事を尋ねてみるが、無視だった。ボクは自分の言葉を彼女に投げかけることにする。
「ボクは……生きているのかい? この痛みが、生きているという事なのか? だったら、ボクは……いらないよ」
「新鮮で良いじゃない。多分だけど、物事の本質は全て痛みからきているのよ。人は次第にそれに慣れ、忘れていく。そしてそれを繰り返す。進化か退化かはしりえないけど。でも、穢れ無き純粋なものだと思うわ」
「純粋?」
「ええ。初心を忘れたものに次は来ない。ただ、錯覚を起こすだけ。幻を見続けている。夢だけを見ていたら、何も成長はしない。幻を解くためには痛みを思いだす。そうやって、成長していくのよ」
「なんか、久井の言葉を思い出したよ。……どうしてボクは久井の……」
頭を抱える。
「いくら後悔しても、過去には戻れないのよ。それなのに過去に思いを馳せる理由は幻想の中で生きていたいから。それだけなのよ」
「幻想を抱く……つまりは現実を見ない……。それは生きてもいなければ死んでもいない。中途半端な存在……」
まるで……神谷弥月だ。最初に感じた印象のようだった。
「私は、全てを殺してきた。後は、この魂のみ。それでようやく自由になれる」
「キミは……」
「私からしたら貴方はちゃんと生きているわ。気づいていないだけで心もちゃんとある。でも、それが正しいかどうかは、あやふやなままなのよ」
彼女はボクに花束を渡す。
「あとは考えなさい」
「この花束は?」
「確か二か月前にこの商店街で人が亡くなったそうね。その人に手向けようと思って」
「……。なぜ、そんなことを? キミの大切な人だったのか?」
「いいえ。全く知らない人よ。そうね、無意味なことよ。気まぐれにしか過ぎない。たまにそういうことをしたくならない?」
「ちょっとわからないや。今からそれを?」
「ええ。貴方もついてくる? いいえ、ついてきてくれるとうれしいかな」
「それも、気まぐれかい?」
「もちろんよ」
彼女は歩き出す。ボクは横に並び彼女についていく。
彼女が言うようにこの商店街で人が死んだ。男性が胸を刺されて倒れているところを女性が通報した。その男性は搬送中に静かに息を引き取ったそうだ。通報がもう少し早ければ助かっていたかもしれない。そんな事件。犯人は未だに捕まっていない。
「ここのようね」
ボクたちは現場につく。ここは光が当たらない場所である。暗くうす気味悪い。その場の雰囲気と、黒い服装を身にまとう彼女が妙にマッチして、その場の空気に違和感なく溶け込んでいた。町では普通の格好であるボクが、異端者のような扱いを受け、のけ者にされているようだった。
彼女はしゃがみ込み、昔はそこに血だまりが浮かんであろう場所に、花束を静かに置く。黒を纏う人間がそこへ純白な花を添える。彼女は手を合わせる。ここで死んだ見知らぬ男性に対して黙とうをささげていた。ボクはその様子を見守るように立つ。彼女はしばらくそのままでいた。
まるで水を打ったような静かだった。
「報われたかしら?」
彼女は静かに言う。
「誰にだい?」
ボクは意味のないことを尋ねた。
「この人よ」
「……そうか」
「行きましょう」
彼女はもう満足したようだった。死人には決して伝わらない言葉をただ一方的に渡して、去ろうというのだった。彼女はボクの横を通り過ぎる。ボクは男性の居たであろう場所を見下ろしていた。
動かないボクを不思議に思ったのか、彼女は「行かないの?」と透き通るような声で質問した。ボクはその状態のまま、背中で彼女に話しかける。
「キミはここで殺された人のことを知っているのかい?」
「いいえ。全然。貴方はしっているの?」
「……加藤博一。四十代後半で、妻子持ち。商店街の近くのマンションに住む奴だ」
「そうなのね。詳しいわね。どうしてそんなことを知っているの? この人は、貴方にとって誰だったの? 大切な人? それとも……」
「DVだ。それで近所で有名な奴だった。奥さんと娘に暴力をふるい、生き地獄を味あわせた畜生だ。言ってはいけないけど、殺されて当然な奴だった。だから、天罰が下ったんだろうね。ねえ、神谷弥月。キミは、そんな人に対しても同じ気持ちで弔うのかい?」
「……」彼女は押し黙る。ボクは彼女の顔が嫌悪に満ちた表情で埋まるものかと思っていた。だが、相も変わらず無表情だった。
「どうなんだい?」
「知らなかったわ。そう……そんな人だったのね。ちゃんと、調べておくべきだったわ」弥月は目をつぶった。そして深いため息をつく。「……ねえ、貴方は、DVを知っていたのなら何故止めなかったの? 近所の人たちもよね? 知っていて、ずっと見て見ぬふりをしてきたの? どうして救いの手を望んでいた人に、一切手を差し伸べなかったの?」
返す言葉などあるわけなかった。ボクが何を言っても言い訳でしかならない。
――じゃあ、キミがボクの立場だったら何かしてあげられたのか? そう聞きたかった。だけど、愚問というか、口だけの意味のない言い争いが続くだけだ。
「もういいわよ」何も答えないボクにしびれをきらす。「それで、今、奥さんと娘さんは元気にしているわけ?」
「たぶんね」
「そう。もし本当に大丈夫なのだとしたら安心だわ。よかったわ」
「キミは、どう思う? こいつに何を感じた?」
「私も、貴方と同じ思いのはずよ。人を無意味に傷つける奴は死ぬべきよ。私は、人は協力し合って生きていくものだと考えているわ。その輪が回り続けて、時間を動かしていくのよ。だからこそ、その輪を壊し回転を滞らせる輩は、排除すべき。そうしなければ輪が回らず、その輪に携わる人々が前へ進めなくなってしまう」
「キミは、その輪を乱すモノの犠牲に厭うことはしないのかい? 同じ命ではないのか? そこはどうなんだ?」
「違うわ。確かに、人の命は平等よ。でも、同族である人間の命を殺めるものは、同じではないのよ。種というものはその種をつなげるために躍起になる。それが種の生きる理由。だから、その種を殺そうとする者はその種にとって害悪でしかない。種の命令にそぐわないものは生かしておけないのよ。世の中は損得でできているの。損しかない人間は淘汰されるべきなのよ」
「キミのことがよく分かった気がするよ。……もしかしてキミが自殺する理由って……」
「ねえ? 貴方の質問ばかりでずるいわ。私も貴方に聞く権利はあるはずよ。貴方は見て見ぬふりをしてしまったことに対してなんの罪悪感もないの? そこを教えて」
「ボクは……」
ボクはなんといえばいいのだろうか。自分の思ったことを素直に打ち明けるべきだろうか。ボクは、また嘘をつけばいいのだろうか。
「そりゃあ、罪悪感はあるよ。だけど……しょうがないじゃないか。どうせボクたちは人を救うことはできないんだよ」
嘘だといいたい。これを本当にしてはいけない。
「だけど! ……希望はあるかもしれないよ」
自分の中で何かが沈んでいくような気がした。
「……ん、そうね。廃工場で貴方が言ったことを憶えていて? 貴方は「天秤のおもい差で傾きが変わる」といったわ。私たちは賭けをしていた。その賭けに貴方は勝った。あなたの言うおもいの差でね。なら、もう一度賭けてみないかしら? 希望はあるか、ないかを。貴方は確か満たされないのだったわね? もしかすると、そこに答えがあるのかもしれないわ。……ええ、いいわ。私が協力してあげるわ」
信じられない言葉が出り。彼女は人とかかわるのを避けていた。ボクのことも邪険に扱い、何度も突き放そうとしていた。そんな彼女がボクに協力をするといったのだ。夢でも見ているかのようだった。
「キミはそれでいいのかい?」
「望んでいたことでしょうに。……まあ、面白いわ。これが私に与えられた最後のチャンスだと思うことにするわ。私は運命とやらをのぞいて、それに賭けてみましょう」
彼女は歩き出す。彼女の背丈はボクと同じぐらいで、目線が同じ高さで合う。互いに黒い瞳を交わらせる。彼女はボクの胸元に手を伸ばし、それを押し当てる。小さく柔らかい手だ。彼女はボクの鼓動を手で聞く。ボクが彼女にも手を差し出そうとしたとき、彼女はボクを押し出す。
「やってみたいことはあるかしら?」
「キミは、死人も助けられると思うかい? ボクは久井を……久井今日子の無念を晴らしてあげたい。久井だけではなく、殺された人たちの分まで」
「まずは死人から始めると。救ってあげられるかしら? 結局は自己満足でしかないわよ?」
「いいんだ、それで。死人に口なしという。要するに生きているものだけがモノを言える権利を持つんだ。その人の思想も語ることができる。ボクの中の久井はボクに自分の無念を晴らしてくれと言っているような気がするんだ」
「なるほど。では、尋ねるわ。覚悟は出来ているかしら? どうなってもいい、そんな覚悟が貴方に出来て?」
ボクは迷わずに行った。
「ああ」
「ふーん。面白いわね。……いいわ。やってみましょう」
彼女の声は不思議とはずんでいた。だんだんと彼女が人間らしくなっていったような気がする。
「そういえば、名前を聞いていなかったわね。自己紹介でもしましょうか。私は、神谷弥月。弥月と呼んで頂戴」
「ボクは吉野春。春と呼んでくれ」
「ええ。そうね。よろしく頼むわ。春」彼女は手を差し出す。ボクはその手を取るのを躊躇した。「どうしたの?」
「いや……なんでもないよ。ありがとう。よろしくね。弥月」
ボクは弥月の手を握りしめた。ほつれていた運命の糸が固く結ばれた。
三分の一ぐらいかな。