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日は沈む  作者: 夏冬春秋
4/16

偶然の再会

 ボクはいつまでこの演技を続けていけばいいのだろうか。それがわからなくなった。久井にあの話を持ち掛けられたときにボクは心臓が跳ね上がるような思いだった。


 ボクの何が足らなかったのだろうか。久井が感じた違和感というものははたしてなんだったのか。ボクは自分ではわからない小さな矛盾を作り出していたのだろうか。それがいつどこでかがわからない。


 ボクは久井をどう思うか。久井は友達としてといった。じゃあ、ボクにとっての久井は? 友達なのか? 前までは友達といってもよかったかもしれないが、今は友達なんていう言葉はつかえない。ボクがいうと安っぽく感じるからだ。こんなボクみたいなやつにそういった存在がいるのはおこがましいというものだ。


 あの日あの時。やっぱり、ボクが変わってしまったのはその日その時なのだろうか。





「「春お兄ちゃん。相談ごとがあるんだけどいいかな?」」


 土曜日の昼前に妹たちが声をかけてきた。双子の妹で上の方が秋葉(あきは)で下の方が(ふゆ)()だ。妹たちは本当によく似ている。家族でも判別がつきにくい。妹たちは後ろで髪を束ねている。それに使っているヘアゴムの色で判別をつけるしかない。秋葉が赤色で、冬雪が青色だ。それとこの二人は少し変わっていて、空手の道場に通っている。だから、ボクよりも体術に優れ、ケンカになったときはボクが一方的にやられる。二人がかりでくるもというのもあるが、単体でも勝てないだろう。


 ボクがこの二人を少し変わっていると思うとこは、この二人の独特な癖だ。二人は一人の人間なのではないかと思うぐらい、意思疎通がはっきりしている。要するに言動全てが同じになるのだ。本人たちは無意識の内だが、自然と動きが重なる。


 妹たちは朝早く起きて元気に外へ遊びに行っていて、ボクはその時間に録画していた昨日のロードショーを、麦茶を飲みながら見ていた。半分を見終わった時に、妹たちが帰ってくる。やかましいなと思っていると、妹たちはボクの元へやって来る。


 ボクは録画を一時停止して、妹たちの話に耳を傾ける。妹たちは詳しく説明しなかった。ボクの腕は右腕を秋葉に、左腕を冬雪にそれぞれ引っ張られる。ボクは妹たちに引っ張られながら、厄介事か、とうなだれた。


 ボクたちは靴を履いて、外へ出る。玄関から出て、ボクは妹たちの言いたいことを理解する。言葉など使わなくても、簡単に察する事が出来てしまう。


 ニャーニャーと、大きな黒猫が横になりながら、可愛らしい声でないていた。首輪はつけていなかったから、野良猫だろう。


「飼えないぞ」


「「えー! どうして?」」


 二人は飛び跳ねて驚きを大げさに体で表現した。ボクは腰に手を当ててため息をついた。ボクの親は、猫アレルギーを持っている。ボクもその遺伝は少しだけ受け継がれている。もちろん、妹たちも。だから、猫を飼うことなど不可能なのだ。妹たちにその事を説明すると、思いだしたかのようにそろってくしゃみをする。


「「でも、この猫、お腹に赤ちゃんがいるみたいなの。無事に産ませてあげたいの」」


 妹たちは猫の首元と頭を撫でまわした。猫は朗らかな表情でそれを受け入れていた。


「赤ん坊は勝手に生まれてくるさ。この猫も一人で産むんだよ。ボクたちが手を出すべきことじゃない」


「「うーん……」」


「それならさ、この家に置くのは無理だけど、どこか安全な場所でかくまってあげればいいよ。それで、毎日様子を見に行けばいいさ」


「「安全なところって?」」


「そうだな。やはり、元のいた場所に戻すのが正解だろうが……。ああ。近くに廃工場があっただろう? そこは誰も来なさそうだし。いいんじゃないかな?」


 ボクはポンと手を叩いた。妹たちは「「あそこか」」と顔を見合わせながら言った。


 廃工場は、家から少し離れた所にある。家を出て右に曲がってまっすぐ行くと川がある。そこを川の流れに沿うように歩いていくとそれがある。


 妹たちは猫を抱きかかえ、さっそくそこへ向かうようだ。猫アレルギー持ちが、持って大丈夫なものなのかと心配になったが、ボクが注意をしようとした時にはもういなくなっていた。


 ボクは「うーん」とうねる。前髪をいじり、これでよかったのか、と考える。でも、良い答えがうまれなかった。だから、録画の続きを見ようと、家の中へ戻るのだった。





 妹たちが帰って来たのは一時間ほど経ってからだった。無邪気に笑い合いながら、リビングへ入って来る。猫と触れ合ったのが利いてきたのか、くしゃみばかりをしていた。でも、そんなことは何ともなしに無心な笑みのようなものを浮かべる。二人は手を繋いで、頬をよせあわせている。


 ボクは椅子にもたれ掛りながら、鋼よりも固い二人の絆を見守っていた。それを見ているとなんだか不安な気持ちになる。


「「どうしたの? 春お兄ちゃん」」


 ボクは妹たちに言われてハッとする。どうやら自分でも気がつかぬうちに、誰にも見せないような険しい表情をしてしまっていたらしい。妹たちはその雰囲気に不穏を感じたのか身を構えていた。


 ボクは頬を軽く緩ませ、「なんでもないよ」と優しく言う。妹たちは口をとがらせてなにかを言いたそうだったが、結局何も言わなかった。妹たちは洗面所へ逃げるようにして出ていく。


 ボクは妹たちがいなくなったのを確認してから、深いため息をついて天井を見上げる。白い景色が広がる。自分の頭の中のようだった。ボクは奥歯を噛みしめた。そして軽く舌打ちした。


 ボクは妹たちが嫌いではない。それは今までもそうであった。だけど最近は、二人を見ると醜悪な気持ちに犯されていくようになった。何がボクをこの気持ちにさせるのかは分からないが、そんな自分を許せないことには違いない。少なくとも、家族であり兄妹であるあいつらにこんな気持ちを抱きたくない。これが本音。


「もう、よそうか」とボクは独り言を呟いた。言葉は投げられただけで誰の手にも届かずに地面へと落ちていった。


 ボクは立ち上がり、気分を落ち着かせるために水を飲みに台所へ向かう。「ふう」と気持ちを落ち着かせたボクに今度は空腹がやって来た。そういえば昼はまだだ。


 今日は親がいない。なので、昼食は兄妹三人で取ることになる。週末はこうなることが多い。当番も決めている。今日は妹たちがその当番だ。妹たちの料理は美味い。しかし、妹たちの味覚に少し困った所があり、激辛料理が好きなのだ。ボクはそういった料理は好まない。そういった味覚の幸福感の相違が喧嘩につながる。


 人の好みはそれぞれあるが、理解できないものはとことん理解できないものだ。その溝は一生埋まることはないような気がする。


 やがて妹たちが戻って来る。腕まくりをして「「やるぞ」」と張り切っていた。ボクは「よろしくね」とだけ言って椅子に座る。テレビをつけて、昼のニュースを妹たちの陽気な会話と同時に聞いていた。


 ニュースは、この橋里町の近くの町で起きた事件を取り上げていた。女性を狙った連続殺人事件で、今までに四人もの女性がその犯人の餌食になっている。死体の横に菊の花が献花されているようで、それが同一犯による犯行であると断定されている。断定はされているが、捜査は難航しているようで、犯人逮捕にはまだまだ時間がかかるようだ。次の犠牲者を出させないためにも、早く犯人の逮捕を急いでもらいたい。


 ボクは頬杖をついて、画面をぼんやりと眺める。軽く目をつむり、もの思いにふけった。





 ボクは外出することにした。行き先は決めていない。決めてはいないが、足は自然に商店街に向かっていた。


 商店街は家から出て左にまっすぐ行ったところにある。昼間の商店街は活気にあふれ、人で混み合っていた。人混みを避けながら歩くのが億劫になりながらも、そこを突き進んでいく。


 真ん中あたりまで行くと、ボクは足元にあるものを見た。お店との間に空いた隙間に花束が置かれていた。ボクは花が指し示す方向をなぞるようにして見た。そこに一本の道が伸びている。奥のほうは薄暗い。


 ここで男性が刺殺されたと藤原が言っていたのを思い出した。この花束はその人に手向けられた花なのだろうな。


 ボクは少し考え込んだ。その時に無意識のうちに独り言が出てしまった。「助けて、ね」という呟きだ。


 人は殺されるときに何を思うのだろうか。誰かに助けを求めるのだろうか。溺れて藁をつかむようなのと同じで、たとえ見知らぬ誰かにでもすがるのだろう。


 ボクは周りを見渡す。この花束にだれも興味を持っていない。他人の死には誰も、興味はないのだな、そう感じた。


 ボクは歩きだす。ボクも他の人と同じように興味がないように振る舞う。そうすることにした。


 ボクは歩きながら別の事を考える。自分の行き先を思案する。適当に歩いているだけでもいいのだが、何か目的地が欲しくなった。ボクは前髪をいじりながら頭を働かせる。すると、あの廃工場の事を思いだす。ボクは猫の顔でも見に行ってみるか、とそこへ向かう事にした。


 廃工場はここから真逆の方角にある。ボクはもと来た道を辿らず、別のルートでそこへ向かう。十分か二十分か、そのぐらいの時間で廃工場に着いた。


 廃工場の周りは誰も手入れをしていないのか雑草が生え放題であった。ボクは草を踏んでいく。そして、中に入る。


 中は汚く、荒れていた。使われなくなった作業台や椅子などが乱雑に置かれていた。そしてどれもがほこりをかぶっていた。上へとつながる鉄骨階段は錆びていた。見るからにぼろぼろで上る最中に足場が崩れてしまいそうな不安がある。手すりに触ってみると、手に鉄の錆びが付着した。


 見上げると、鋼鉄製メッシュの床があった。ボクは二階に行ってみた。真下がのぞいて見える構造は中々のスリルをかんじるものだったがすぐに飽きた。


 一階でしばらく探索していると、猫がいた。ボクは安堵したが、猫の間近に人がいる。その人は、ほこりをかぶっていて皮が裂けて中のスポンジが飛び出ている椅子に平気で座っていた。猫はその人の足元をウロウロとしていた。


 ポチャンと水がしたたり落ちる音が建物内に響き渡る。ボクは音のする方をまじまじと見る。また一つ水が落ちた時、ボクはその正体がわかった。


 血だった。真っ赤な鮮血がタラタラとその人の腕をつたって、下に落ちていく。そして、水たまりを作っていた。


 ボクは駆け寄る。近くには刃渡り十五センチ以上のナイフが落ちていた。


 ボクはその人を見る。見知った人だった。ボクの驚きはいくつも出来事が重なり合い、やがて驚愕へと変わっていく。


「神谷……弥月……!」


 ボクはそいつの名前を口にした。神谷弥月。彼女だ。


 彼女は椅子の上でぐったりとした。小さな目を閉じ、死に身を任せていた。日焼けなど一切していない青白い肌はその白さに似つかわしくない赤色で汚されている。制服姿の彼女は死と一致している。彼女と話しているときに感じたあの違和感はすっかり解消されていた。


 ボクは救急車を呼ぼうと思うのだが、それを中々しなかい。何故なら、彼女のその死に姿に見とれてしまっていたからだ。そう。彼女のその姿は全ての人を魅了する美しさだった。


 その姿は太陽の光が反射する清く美しい清流のようで、川のせせらぎの音までもが聞こえてきそうだった。彼女は木々が生い茂る山の奥深くの潜むようにして流れるその川に、反射して映り込む昼の月のようだった。誰もが気にも留めないその月を、彼女自身が魅力的に仕立てあげてしまう。


 ボクはハッとする。見とれている場合じゃない。ボクは救急車を呼ぶ。


 十数分後に救急車がやってきた。救急隊員はもう見知った顔なのか、「またこいつか」と愚痴っていた。ボクは彼女を運ぶ救急車に同乗する。彼女は病院で処置が行われる。ボクはそれが終わるまでずっと病院にいた。


 その間のボクは「生きているだろうか」「大丈夫だろうか」と心配で居ても立っても居られなかった。


 やがて彼女が意識を取り戻したのを知る。ボクは駆け足で彼女の病室へ向かう。


 彼女は窓際に居て、静かに窓の外を眺めている。普段表情が死んでいる彼女だがなんだか物悲しげに見えた。


「やあ。無事で何よりだ」


 ボクは彼女に声をかける。彼女はこの声にびくっとした。そして恐る恐る声の方へ向いていく。彼女はその存在がボクであるということに気が付くと「あ」と間抜けな声を出した。普段の彼女ならそんなことは絶対に言わない。驚きの声に感情がこもっており、ボクが彼女に人間味を感じたのはこれが初めてだった。


「また……あったね」


 自然と頬が緩む。自分の幸運に感謝した。表現の難しい感情が次々と湧いて出てくる。


「最悪。そして不幸だわ。また、貴方に会ってしまうなんて……」


 ボクとは対照的に彼女は目元を抑えて舌打ちをした。


「調子はどうだい?」


「最低よ。ホラ、腕の傷が三本になってしまったわ」彼女は白い腕をボクに見せる。彼女の細い手首には三本の筋が刻まれている。「どうして私を助けたの?」


 彼女はおかしなことを言う。いや、彼女にとっては普通なのだろう。


「決まっているよ」ボクは椅子に座る。「死なせたくないからだよ」


「それは私だから?」


「……うん」


「……」彼女はゴミを見るような冷たい目でボクを見る。


 ボクはこのままでは空気が重くなる、ということで、逃げるようにして話題を変える。


「猫がいてね。キミの元へ導いてくれたんだ。だけど、不幸だとは思ってはいけないよ。死ぬなんて、バカらしいよ」


「あの猫ね。黒猫。不浄の象徴になる黒を纏い、理不尽に厭悪されるかわいそうな猫。私は、その黒猫が好きだったのだけど……貴方を呼び込むようじゃ、嫌よね」彼女は間をあける。「私にとっては、意味もなくただ生きている方がくだらないわよ」


 ボクは反論して言うことは特になかったので黙っていた。


「まったく。貴方がストーカーだと思ったわ」


「ボクはそんなんじゃないよ」


「どうでしょうね。しかし、最近よく会うわね」


「三回目かな。少し運命でも感じるね」


「似合わない。運命なんて……。もしあるとしたら悪戯が大好きなのね」


「これを運命のいたずらというのか。確かに、そうかもね」


 沈黙が訪れた。互いに何も言わなくなった。ボクは窓を開ける。新鮮な風が病室に流れ込む。


「キミはなぜ自殺をするんだ?」


 ボクは背中越しからその問いを彼女にした。彼女はぶっきらぼうに言った。


「前に言ったわ。それ以上の理由は無い」


 ボクは振り返り、壁に寄り掛かった。


「でも、死ねていないよね? 本当に死ぬ気はあるのかい?」


「煽るわね。死ぬ気は本当にあるわ。その証拠はわかるでしょ? 死にたくて死にたくてたまらない。一分一秒でも早く死にたい。だけど、どういうわけか、助けが入ってしまうのよ。そして運よく命拾いしてしまう。貴方に会ってしまうことのようにね。これはまるで(あやかし)の悪戯のようね。妖に憑りつかれ、厄を背負わされた。幸運を吸い取り上げられたのよ」


「キミはそう言ってしまうんだね。ボクはキミに幸運があると思うな。普通はそんな偶然に何度も立ち会わない。こうポジティブに考えてみたらどうだい? キミは、天によって生かされていると。天にまだこっちへ来るなと突き返される。つまり、キミはこの世で生きなければいけない理由があるんだ。ある大事な責務を任されているんだ。そう、考えたらいいんじゃないか?」


「それは……」彼女は顔をそむけ、前髪をかき分ける。「嫌味かしら?」冷たく鋭く突き刺さるナイフのような声色で言う。


 ボクはどうして彼女がそんなことを言ったのか理解できなかった。


「気分が悪くなったわ。ねえ、帰ってくれるかしら? 一人にさせて」


「やれやれ。助けてあげたのに恩はないのかい?」


「あら。そういうのを押し付けるの? 迷惑というやつよ。私は一ミリも貴方に恩を感じていない。感じているのは嫌悪感よ」


「ま、ボクは恩を着せるようなことはしないさ。キミに死なれたらボクが困るというだけだ。だから、助けただけだしね」


「ホラ。エゴイズムが働いた。貴方の悪いところだと思うわ。だから嫌い」


「キミはボクのことを嫌いなのか。だけど、嫌よ嫌よも好きの内というだろう? そのうち好きになるかもしれないね」


「ありえないわね」一蹴する。「だけどまあ、嫌いからどうでもいいという感情に変わるかもしれないわね」


「要するに、無関心か。そっちの方が辛いね。だったら、嫌いでもいいかも。少しでも関心があるならそれでいいさ」


「変わり者ね」


「キミの方こそ」


 また、会話が途切れた。


「キミさ、そろそろボクと深いかかわりを持ってもいいんじゃないかな?」


「言い方が邪な考えを持つ人のようよ。私はそういった人とは関わり合いになりたくないのよ。それに、私と貴方に対等な利害関係はありえない。人間関係というのは、結局は損得でしか測れない。得になる人間とは付き合うし、損になる人間とは付き合わない。私にとっての貴方は損に位置する人間なのよ。だから付き合いたくもない」


「うーん……どうしたらボクはキミにとって得になる人間になれるのかな? ヒントだけでも教えてほしい」


「そうねぇ……。私を一人にしてくれればそれでいいかな。そして、自殺の邪魔をしない」


「無理な話かな」


 彼女は呆れたように肩を落とした。ボクは彼女に触れようと手を伸ばすのだが、はたかれた。ジンジンと痛むその手を指の腹で撫でまわす。その時にボクは彼女にある提案をしてみようと思いつく。


「じゃあ、賭けをしてみないかい?」


 ボクは人差し指を突き立てた。彼女は首を傾げる。


「キミは運命というのは信じているかい? もしも、その運命というものがあるのなら、ボクたちはもう一度出会う事になるだろう。恐らく、また偶然にね。賭けの内容はそれだ。またボクとキミが今日のように偶然に出会った時、キミはボクと関わる事を決めるんだ」


「強引ね。……はあ。そうはならないわよ。これは絶対にね。貴方は私に振り惑わされ、無意味に終わるだけなのよ。天秤は貴方へ傾かないのだから」


「なるほどね。一つ聞くよ。ボクが言ったことわざとキミが言ったことわざとで、何が違うと思う?」弥月は、さあ? と言った。ボクは言葉を紡ぐ。「希望があるかないかだよ。やめるか否かってね。天秤は、希望のおもい差で傾きが変わるんだよ」


 ボクは少し顔が火照っていた。やはり慣れない事は言うものではないな。


「私はその賭けに乗らないわよ」


「いいや。乗ってくれると信じているよ」


「どうして?」


「キミはそういう性格ではないと思っているから」


「……馬鹿馬鹿しい。貴方に私の何が分かるのよ。くだらない。どうせ、会えやしない。だって運命の賽は出ないと言っているから」


 ボクは薄く笑う。


 ボクは彼女の「早く帰れ」というオーラを察した。だけど、気づいていないふりをして、このまま居座る。ボクは彼女に色々と話すのだが、彼女はウンザリそうに聞いていた。ボクは彼女に少しだけ感情がついてきたな、と思ってうれしくなる。


 話しが進み時間が経ったころだった。ボクの見知らぬ男性が病室に入ってくる。その男性が彼女に声をかける。彼女はサッと顔をそむけた。ボクは誰だろうとその男性を見る。


 その男性はスーツを着ている。シャツにしわが目立っている。見た感じだと三十かそこらの男性であり、服の様子から独身であるというのがわかる。


「また、やりやがって。何回目だよ。弥月ちゃん」


「知り合い?」


「お? 君は誰だ? 弥月ちゃんの彼氏か?」


「違うわよ。(ゆたか)さん。彼が彼氏なんて吐き気を催すわ」


「酷い言い方だな。あ、ボクは彼女の……同級生の吉野春です。春とかいてシュンといいます。彼女とはどういった?」


「春君な。俺は江藤寛。刑事だ」胸ポケットから警察手帳を取り出し見せた。本物だった。「弥月ちゃんとは、昔からの知り合いでな。自殺をしたって聞いたから叱りに来たんだよ。まったく。いつになったらやめるのやら」


「私はやめる気はないわ。寛さん? だから私に何を言っても無駄よ」


「……」江藤さんは深く肩を落とした。「いい加減にしろ」と言って彼女の頭を小突いた。彼女はその個所を抑える。反省はしていなかった。


「えっと、春君か。弥月ちゃんを死なせないように見守ってくれよ」


「言われなくてもそうしますよ」


「私は嫌だって」


 江藤さんはギロッと彼女をにらみつけた。彼女は素知らぬ顔で窓の外を見た。


「兎にも角にも。金輪際やらないことだ。弥月ちゃんは生きるんだ。それがみんな(・・・)の為だろう」


「……」


 彼女は押し黙った。空気が凍り、殺伐とした雰囲気になる。


「そういうことだよ。じゃあ、俺は仕事に戻るから。安静にしてな。春君も、おかしなことをしないか見張っててくれよ。あ、ついでに俺の電話番号を書いとくよ。困ったら連絡してくれ」


「わかりました」


 ボクはメモを渡される。江藤さんは病室を去っていく。


「へえ。刑事の知り合いがいたんだ」彼女は何も答えない。「それよりも気になるんだけど、みんなって誰のこと?」


「詮索はしない方が身のためよ。冗談だけど。でもね。人には知られたくないことがたくさんあるのよ。だから、これ以上立ち入らないようにね」


 釘をさしたつもりだろう。ボクは「わかったよ」と言った。


「もう、陽が落ちそうだ」ボクは窓の外を見ていった。「そろそろ帰るよ」


 彼女は「ようやくね」と言った。ボクは「またね」といった。彼女は何も言わない。ボクが退室する直前に彼女は言った。


「運命というのは本当にあるのかしら?」


 弥月は子供のような純粋な瞳をボクに見せた。


「あるさ。絶対に。いつかわかる時が来るよ」


「無い、と、思えたらどれほど楽でしょうけどね」




うん。あまりなし

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