説明
神谷弥月という少女はこの地域で最も浮いている存在である。新参者でもない限り、彼女の名前を知らぬ者はこの町にいないだろう。それぐらいに神谷弥月という存在は有名だ。
みんなは彼女を避ける。おそらく彼女もみんなを避けている。彼女は学校では常に一人でいる。誰も彼女には近づかない。だって気味が悪いのだから。
原因は彼女の自殺癖だ。確か、去年の夏あたりだったか。詳しくは存じないが、その辺りから彼女の奇行が目立ち始めた。自殺をして、入院と退院を繰り返している。
彼女はボクに「関わらないでね。どうなっても知らないわよ」といった。これは真理だ。頭のおかしな彼女と関われば、その噂はたちまち広がり、ボクに奇人といる変人というレッテルが貼られてしまう。
一応彼女自身も自分の立場というものを理解しているようだ。
ボクは彼女が死にたいのではないのだろうと思っている。なぜなら、彼女が生きているからだ。自殺という行為をしているのに、今日まで死ねていないのは、彼女にとっての自殺がただの趣味でしかないから。死ぬ直前が気持ちよく、そのよさを味わいたいがために奇行を起こす、変態。奇人。
彼女が自殺する本当の理由とはなんだろうか。どうしてそこまで自殺に固執するのか。自分でもおかしな行為だとは理解しているのかな?
……まあいい。ボクがこう憶測を並べ立てても無意味でしかない。真実は彼女自身にしか分からないのだから。
ボクは自分の生き方に疑問を持っていた。ボクには何も無い。最近、これを色濃く思うようになってきた。何かを果たしたいという強い願望もなければ、誰かに信頼を寄せることも無い。夢がない。好きがない。生きたいという想いが希薄だった。
ボクは自分が孤独のように感じる。周りには誰かがいるのに、遠く感じる。ボクはみんなとは違う世界に生きているという気持ちを強烈に感じていた。ボクだけしかいない孤独な世界。それが、ボクが感じている世界だ。
ボクはどうやって、そんな世界に希望を持てと言うのだ。死んだように無気力に生きていることは、生きていると言えるのか? きっと言えない。これは死んでいるに等しいのだ。未来が見えないことや今が見えないことは生きていないのと同等だ。
ボクは生きる意味が欲しかった。そして答えが欲しかった。でも、探しても見当たらない。
だが、あの時感じた想い。あの胸を締め付けられるような痛み。そして痛みの奥底に眠る心地よい快感。あれにより、ボクの世界が一変した。あの気持ちの正体はもしかして……。
「え? ハルが神谷弥月に会ったって? ハハ。そりゃ、可哀想に」
ボクは昨日の出来事をクラスメイトの藤原に話した。藤原は憐みの目をボクに向けながら同情するように言った。
藤原とは去年の入学式以降から友人関係をやっている。陽気な奴で、常に笑う。笑う時に癖があり、後頭部を触りながら口を大きく開ける。毎週ジムに通っていて、体を鍛えているため、引き締まった体躯だ。部活動には入っていない。そういった事に時間を使いたくないらしい。
ハルというのはボクのあだ名だ。ボクは吉野春という。中学二年生だ。五人家族で長男。下には双子の妹がいる。今は五月の半ばで、ボクは四月に誕生日が来るので、もう十四歳だ。
「やはり、変わり者だったよ。何を考えているのかわからない」
ボクは笑う。だが、これは笑ったフリにしかすぎない。本当は心の奥底から笑えていない。ボクは笑いの仮面をつけているだけだ。
「まあ、だろうな。どうせ、神谷弥月はリストカットを自慢するような、構ってちゃんみたいなものだろう?」
「あいつの場合、それに当てはまらない気もするが? でも、どうだか。生きたいのか、死にたいのか、よくわからないや」
ボクは笑う。
「奇人の考えは一般人の理解ではとうてい及ばないさ。それで? ハルは神谷弥月を見て惚れちゃった系?」
藤原は冗談ぽく言っていた。肘でボクの肩をつついた。ボクは手を横に振りながら、否定した。だが、若干図星だった。一目惚れとは違うが、興味をそそられたのは間違いない。それに、否定するしかない。だって、ボクが肯定したら、きっと藤原は引くだろうから。
「違うよ。ありえない。そもそもボクは特定の誰かを特別に好きになったことがないのに、どうして神谷弥月なんかに惚れなくちゃいけないんだ」
「ほう。それはまた別の意味で興味深い言葉が出てきたな。そうかそうか。恋をしたことがないのだな」
「その口ぶり、藤原はしたことがあるんだね」
「そりゃあそうだよ。なんせ俺はプレイボーイだからな。女どもをブイブイ言わせているぜ」
「ブイブイ言わせている。なんて死語を使用している時点で、もう藤原の底を示されたよ」
「死語という言葉自体が死語だよ」藤原はにんまりと笑った。「いやあ、実際俺には彼女がいたからな。もう別れたが」
「へえ。それは知らなかった」
「だって話してないもんな。二、三か月ぐらいまえまでいたんだが、ちょっとね、他の女の子が好きになって振っちゃった。まあ、別れの手向けにプレゼントをしてあげたけどな。まあ、お気に召さなかったようだが」
自慢するように言い、笑う。ボクはあきれてものも言えないフリをした。とりあえず「最低だな」とだけ言っておくことにした。
「だってな、アレだよ。一目惚れしちゃったんだから仕方ないだろう。ハルには分からないだろうが、電流が体中を駆け巡るような衝撃が俺を襲うんだ。それで俺はそいつのことしか考えられなくなる。心を奪われちまったのさ」
ボクはドキッとした。藤原の言葉で、まさかと思った。ボクが神谷弥月に感じた思いと似たような事を藤原が言っていたからだ。あの時のボクもそんな感じの衝撃を受けた。やはり、アレがそういう感情だったのか……。考える。
「彼女は俺の心を盗んでいきました。ってね。人は無意識のうちに他人の心を奪うんだ。で、奪われた奴は奪った奴に、欠けた自分の心を奪い返すか逆に相手の心を奪ってみせる。それが恋の駆け引きってやつだ」
腕を大きく広げ自分のセリフに酔いしれていた。ボクは腕を組みため息を漏らし、「ああ、そう。面白いね。残念だけど、ボクにはまだわからないな」と投げやりに言った。
「なんだ。つれないね。ま、参考までに取っておいてくれよ」
「うん。まあ、終わろうか。この話は。それよりも、今日の小テストについて、聞きたいことがあるんだよ」
ボクは強制的に話しを切り上げた。藤原は語り足りなさそうな顔だったが、すぐにそれにのってきた。
ボクは一人でいるといった。だからといって、他人との関係がないわけではない。こうして話す相手はいる。でも、距離を感じる。ボクが距離を取ってしまっている。誰かと会話をしてもつまらない。なにかをするにしても面白味を一切感じない。前まではこんなことはなかったのに、突然ボクの中から楽しさが失われたのだ。
ボクはボクが変わってしまった事を誰かに知られたくない。恐いのだ。今の自分を知られることが。だからボクは演技を続ける。面白いと感じないことに面白いと嘘を言う。そんな日々を続けている。
しかし、正直ボクは疲れてきている。慣れないことをしているから。だけど。やがて順応していくのだろう、と信じている。
ボクがあの展望台へ行くのは、一人になりたいから。演技をする自分を休めさせなければ気が狂いそうになる。だから、誰も来ないあそこを憩いの場所として選んだのだ。ボクは山奥に一人でポツンと存在し、誰かが来るのをひっそりと待つ。そんな場所にある種の共感を覚えた。だから、あそこへ行くのだ。
「何の話をしているの? 私も混ぜて」
ボクたちが雑談で盛り上がっている所に久井今日子が割って入って来た。彼女も同じクラスメイトであり、よく話す人の一人だ。春休みに初めて髪を茶色に染めたらしい。校則に引っかかるという理由で今は黒髪に染め直したが、人工的な黒がよく目立っていた。彼女は髪を後ろに束ねている。長身で、ボクより握り拳一個分だけ背が高い。顔立ちは整っている。陸上部に入部しているためか肌が小麦色に仕上がっている。陽気な性格のため、人付き合いは良好。誰に対してもその明るさを振りまけることが彼女の長所であろう。
「次の時間のお話だよ。テストだろ? 面倒くさいね」
「あ、忘れてた。ま、でもなんとかなるか」
彼女は歯を見せて笑った。ボクはさっと目をそらした。
「そうそう。ハルが神谷弥月に会ったんだって」
「えー。マジで? 呪われない? エンガチョする?」ボクは世間での弥月という存在が不浄なものとして扱われているのを認知した。「たしか、神谷弥月と関わったものに不幸が訪れる、とか。死を宣告する死神で、声をかけられたものは十日以内に死ぬとか。なんか呪われる、とか。そんな変な噂が流れているよね」あと、都市伝説になっている。
「馬鹿馬鹿しいな。そんなの、あるわけない。ボクはオカルト系を信じたりしない」
「信じた方が絶対面白いぞ。幽霊とか、UFOとか。夢が広がるじゃないか」
藤原が後頭部を触りながら笑った。ボクは頬杖をついて、呆れた顔をしていた。その様子を、久井が頬を緩ませて見ていた。久井はにやけると、それを隠す癖があり、上下の唇を口の中にしまい込む。今がその時だ。
「だけどさ。神谷弥月が引っ越してから事件が多くなった気がしないか?」
「あれ? 弥月って引っ越してきたのか?」ボクは呆けた顔で言った。知らなかった。
「そうだよ」と藤原は肯定した。「いつだったかな。二、三年ぐらい前か」
「ふーん。でもさ、さすがにあてつけじゃないか? 二、三年もあれば、事件は何件でも起こるよ」
「それでも、この狭い町で起こる事件としては大層なものだろ。たとえば、女性の惨殺事件とか、商店街での男性が刺殺された事件とかも。……まあ、この町じゃないが、連続殺人もあるし。あいつが負を持ち運んでいるに違いないよ」
「そういえば……あったわね。勘ぐってしまうわね。神谷弥月が犯罪者を呼ぶのかな?」
「どうだかね」藤原が悪戯を考える子供のようににやりと笑った。
「……偶然だって。年に何人殺されていると思っているんだ? それが重なっても不思議なことではないよ」
「まあ、一理あるが、つまらないやつ」
藤原は呆れたように言った。ボクは薄く笑った。
「だけど、興味がないわけではないよ。関係性があるのかどうか調査してみたいね。それで、無いというのを立証したいかもね」
この言葉が本心かどうかといわれると、虚心である。会話をつなぐために適当に言った。
ボクは髪をいじった。ボクは頭の中を考えで埋め尽くして、少しだけ気を紛らわせたくなった。
やがて、鐘がなる。授業が始まる。鐘の音と共に教員が教室に入って来た。お腹が肥えた教員だ。丸眼鏡をかけている。その教員が入ってくると生徒たちは会話を中断し、悪態をつきながら自分の席に戻っていく。ボクと話していた二人も自分の席に帰る。久井が帰り際にある情報をボクに耳打ちしてくれた。真意は分からない。
「そういえば、保健室に来ているらしいね。『弥月ちゃん』」
ボクは「ふーん」と相槌をうつだけだった。ボクは頬杖をついて、後ろ髪を指先で遊ばせた。久井のこの情報は役に立つ情報だ。ボクは昼に少しだけ保健室を覗いておこうと考えた。どうせなら、あの時の続きのお話がしたい。そして、ボクが抱いた気持ちの正体を確かめに行く。
ボクは筆記用具を取り出し、配られたプリントに自分の名前を書いた。
神谷弥月はたまにしか学校に来ない。仮に来たとしても、保健室で惰眠をむさぼる。弥月が学校に来たというだけで、学校がざわつく。噂はたちまち広がり、保健室を利用する者は現れなくなる。保健室という一部の生徒にとっての楽園が地獄に変わるからだ。
彼女はここまで嫌われているのに、よく平気でいられる。ボクは彼女の強靭な精神力に脱帽せざるを得ない。
「やあ。昨日ぶりだね。ボクの事は覚えているかい?」
ボクは閉められたカーテンを勝手に開けた。
昼休みが半分終わったころにボクは彼女に会いに保健室へ向かった。保健室の先生はいなかった。保健室に目を配ると、カーテンでしきられていた箇所があった。きっとそこに弥月が眠っている。ボクはそう推測し、無断で開けた。
彼女は眠っているわけではなく本を読んでいた。仰向けに寝転がり、腕をあげて、読書に熱中していた。彼女がボクの存在に気づくと、しおりを本にはさみ、それを閉じた。一つためいきをこぼし、上体を起き上らせる。
「憶えているわ。展望台であったあなたね。だけど勝手に開けるなんて非常識にも程があるわよ」
淡々と言った。相変わらず素人臭さを感じる喋り方だった。死人の口から出ている言葉なのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
「キミにそれは言われたくないな」
「だからといってあなたがとった非常識な行動が無くなることにはならないわ。それに、私はあなたに、関わらないように、と忠告したはずよ? あなたの学校の立場がどうなっても知らないわよ」
彼女は窓の外を眺めた。校庭にはサッカーなどをして和気藹々と遊ぶ学生たちの姿があった。楽しそうな声は校庭に響いていた。
「それは知っている。だけど、ボクはこうしてキミと二人っきりで話がしてみたくてね」
ボクはベッドの上に座った。彼女は陰気な影がさしこむ小さな瞳をボクに向ける。両の眼は冷たいほどの美しさをそれぞれにたたえている。
「私は何もないわ。出ていってくれるかしら?」
抑揚がなく、個性というのを感じさせない声で言った。
「話ぐらいだけでもいいだろう? 一つ聞きたかったんだ。何故、自殺をするんだい?」
「それを知ってあなたはどうするの?」
「興味本位だよ。ボクさ、キミを知りたくなってしまったんだ。キミを見た時から。ずっと胸が高まり続けているんだ。鼓動が鳴りやまないんだ。こんな気持ちは初めてだ。だから、キミを知れば、これの正体も分かるし。なによりも、自分の事を知るきっかけになるかもしれないんだ」
彼女はボクを蔑視した。ボクは彼女のその目を見てボクがおかしなことをいっていたことに気がついた。
「自分を見つけたいのなら貴方一人で旅に出るといいわ。何かは見つかるはずよ。だから、私を使わないで」
「そういわずに」
「死ぬわよ」
ぴしゃりといった。ボクは冗談を言っているのかと思った。だが、彼女の黒く濁った目でねめつけられたボクはその考えを改めた。
「恐いね。だけど、それでも構わないかもしれない」彼女は神妙な顔つきになった。ボクは続けた。「生きているのがつまらないんだ。生きたいと強く思える何かがボクには欠けてしまっているんだ。多分、このまま心が満たされずに生きていくんだろう? そう思うと、死にたくなる」
「なら死ねばいいわ。いくらでもそのチャンスはあるわ。もしかして、恐いのかしら? 死ぬことが。貴方が言うそれは、死ぬ気がないから出てくる言葉よ。漠然とした生に執着している。さらに言っておくと、貴方はただ甘えているだけでは? 与えられているモノにただ文句を言い続けて、逃げているだけのように思えるわ」
「そうかもしれないね。でも、自分の死を自らで下す方が、ボクにとって逃げだと思うね。与えられているモノに文句を言って放棄する。そっちの方が、よっぽど卑怯だよ」
「別に文句などは言ってはいないし、卑怯でもなんでもないわ。自然の理に背いている事ではあるけど。これも自分なりに考えた結果よ。死は恐怖よ。人は恐怖に怯え、後ろを向き、業火の炎に背中を焼かれ続ける。でも、私は違うわ。どうせ焼かれるなら、前を向いて胸を堂々と張って、焼かれたい。前を見据えて、恐れに立ち向かう。そう。私の……。死は、自殺は、未来へ繋ぐための希望なのよ」
「矛盾していないかい? 自殺をしたら未来も何もないよ? まさか、死後の世界を信じ、輪廻の輪を廻りつづけようとしているというのではないよね? ありもしない来世の自分へ思いを託そうとしているのかい?」
「馬鹿馬鹿しいわ。人は死んだ時点で先がなくなってしまうのよ。円の軌跡を描く車輪は壊されているのよ。言うなれば、私たちはその破片の中で生きているのよ」
「キミという存在が靄の中だ。キミのシルエットは微かに見えるが掴むのは空気ばかりだ」
「ええ。それで結構なのよ。私を掴まえる事は誰にも出来ないの。貴方はただ時間を喪失するだけで得られるものはなにもない。だから、私と関わることはやめなさい。それが互いにとっての得なのよ」
「そうかな? ボクはキミと会いキミを知れば、全てが分かるような気がする」
「それは気の所為よ」
「いいや。違うな。根拠はないけど」
「それぐらいハッキリと示してほしいわね。ま、分かることは時間の無駄だという事だわ。さあ。私はもう眠いの。寝かせて。貴方も、次の授業があるでしょ? 遅刻する前に行きなさい」
彼女は横になり、布団を頭までかぶった。
「なんか、優しいね」ボクは冗談半分で言った。彼女は何も答えなかった。ボクは立ち上がった。「そうだね。ひとまず退散するとしよう。キミと話す機会はまたあるからね」
「ないわよ。そんなの」布団の中から声が漏れた。
それからのボクたちに会話はなかった。沈黙が続いていた。ボクはその沈黙を打ち破り、「また会いたいね」という。無言が返ってくるだけだった。
ボクがその言葉を残して退室しようとした時だった。彼女が言葉を発した。
「私は、貴方のことをどこかでみたことがあるような気がしたけど、思い出したわ」
ボクは「どこで?」と聞く。だが、返答はなかった。それ以降彼女がしゃべることなどなかった。ボクはもやもやした気持ちを抱きながら、退室した。
こんな感じです。
次回は、ちょっと、読みづらいです