エピローグ
ベッドに横たわり、翔は貴重な夏休みを無下に費やしていく。お盆の終わりから数日の間、翔はずっと部屋にこもっていた。
両親も心配していたが、お金も無くなったので部屋で遊んでいるだけ、と言い誤魔化した。
恋愛ドラマを見て、失恋くらいで情けないなって思っていた翔だったが、今では自分が恋愛ドラマの登場人物のように落ち込んでいた。
あの時に馬鹿にしてごめんなさい。俺の方が情けないです。
「あー、うー」
うめき声を上げなら体を揺らし、駄々をこねていた。それでも、こんな自分を見たら桜に馬鹿にされる! と思い体を起こすが、悲しくなってまたベッドに倒れ込む。
「だあー、あー?」
幼児のようにうめき声を上げながらゴロゴロし直していると、翔の携帯が鳴りだした。
「もしかして桜さんか⁉」
と口に出してから、そんな訳ないか、と一人落ち込んだ。
「はあ、誰だよ」
ずっと携帯が鳴り続けているので、メールではなく電話のようだ。翔に電話を掛ける人物なんて家族以外では史紀と桃子しかいない。どうせ史紀だろうと画面を確認すると、もう一人の人物からの着信だった。
「う、うーん」
何かとても面倒なことになりそうだと、直観的に思った。今、桃子に構ってやれる程の元気はない。
無視することにして携帯を放り、再びベッドに倒れ込む。
「はあ」
溜息を吐き、天井をぼーっと見つめていた。
「な、長いな」
時計を見ると着信を確認してから十分は鳴っている。留守番電話にしなかったことを後悔したが、この雰囲気だと留守電になる度、掛け直し来そうだな、と翔は思った。
「これは出るまで掛けるつもりだな」
溜息を吐き、携帯を見つめる。拒否して電源を落としても良いが、それはそれで怖いことになりそうな気がした。
無視を決め込む度胸もないので、諦めて通話ボタンを押す。
「も、もしもし」
「酷いです。傷付きました」
開口一番に翔を非難する言葉が届いた。
「ご、ごめん。寝ちゃっててさ」
「ほうー? 嘘を重ねますか?」
温度の無い言葉が翔を責め立てる。
「いやいや、本当。本当だって」
目の前には誰もいないのに、翔は電話をしながら慌てて手を振る。
「分かりました。信じてあげましょう」
「良かった」
「でも待たされて酷く傷付きました。無視されてるんじゃないかって」
「あ、ああ。ごめん」
これはあれだな。何を言ってもダメなやつだな、と翔は直感した。
桃子は翔に何かをお願いするつもりだろう。一体、どんな無理難題を押し付けられるのか、と身構えた。
「じゃあ許してあげるので、今日、これからパフェを奢って下さい」
「い、今から?」
「もちろん今からです。また待たされたら……」
途中まで告げると桃子は携帯を切った。
「こわっ!」
そう言いながら翔は携帯をベッドに投げ付けた。
「行くしかないよなあ」
今日一番の大きなため息吐き、諦めたように出掛ける支度を始めた。
※
ちょっとでも待たせると後が怖いので、慌てて着替え急いでデパートのカフェまで向かった。
かなり急いだ筈なのに、カフェの前には既に桃子が待っていた。
「遅いです」
桃子は翔を見付けると非難を口にした。
「こ、これでもメッチャ急いだんだけど」
息も絶え絶えに翔は答える。
「ふふふ、嘘です。私、ここから電話掛けたんですよ」
桃子は慌てた翔を見て、思わず笑みをこぼしながら言った。
「な、なんだよ」
膝に手を付き、呼吸を整えながら翔は桃子を非難の言葉を口にする。
「電話に出なかったのは事実でしょう? 悪いのは先輩です。ほら、早く入りましょう?」
そう言うと、桃子はさっさと店内に入って行った。
「ちょ、ちょっと」
慌てて桃子の後を追い、店内へと入って行った。
「ぷはあぁ、生き返る」
出された水を一気に飲み干して、ようやく呼吸も落ち着いて来たようだった。
「ちょっとオジサン臭いですよ?」
「オジサンって君のお兄さんと同い年なんですけど?」
「そう! その兄さんですよ! 急にお祭り誘ってくれたんですよ!」
普段は落ち着き払っている桃子が鼻息を荒くしていた。
「あ、ああ。知ってるよ。史紀が電話するのを目の前で見てたからな」
「ちょ、ちょっと! そんなの聞いてないですよ!」
そりゃそうだ。言ってないもの、と翔は思ったが口に出して良い訳がないので胸にしまう。
「ということは兄さんに私とお祭りに行くように言ってくれたのは先輩ってことですか?」
少し落ち着きを取り戻した桃子は丁寧に状況を確認していた。
「まあ、そうなるね。ああ、もちろん桃子ちゃんから頼まれたってことは言ってないよ?」
「それは分かってます」
意外に信頼があるんだなあ、と翔は思った。
「そんな事したら、ねえ?」
ああ、違う。これは報復が怖いから、そんなことする訳がないよね? という脅しだ。
「う、うん。分かってます、分かってます」
両手を上げて降参の意志を提示する。その様子を見て満足そうに頷き、桃子は足を組んでいた。
桜さんより桃子の方が怖いな、と翔は思っていた。桜の怖さは表面的なもので、内面は優しいと知っている。だが桃子の場合、表面は大人しが、内面に鋭い刃物を隠している。
いや、チラチラと刃物を見せて脅して来るので更にタチが悪い。そんなことは言えないので黙って桃子の言葉を待つ。
つくづく気の強い女の子に弱いなあ、と自分が情けなくなった。
「な、なんだ。ちゃんと守ってくれてたんだ」
桃子はぶつぶつと呟いていた。
何を言っているかは聞こえていた翔だったが、何が地雷となるのか分からないので大人しく待っていた。
「お、おほん」
桃子はわざとらしく咳をした。これから何かを言うつもりなのだろう。これが本題なのだろう、と翔は無意識に身構えていた。
「あ、ありがとうございました」
身構えていた翔は肩すかしを食らった。まさかお礼を言われるとは思わなかったからだ。
「お祭り、すっごい楽しかったです」
そう言いながら桃子は笑顔を浮かべたその笑顔が何故か桜と重なって、翔の表情を曇らせた。
「むう。ちょっと先輩。なんで私がお礼を言うと渋い顔をするんですか?」
頬を膨らませながら桃子は抗議していた。
桃子は大人しいと思っていたが、結構感情豊かなんだな、と翔は思った。
桜ならこういう時、思い切り睨みつけるだろう。そう思った翔は桃子に被って見えた桜の影は、もう見えなくなっていた。
「ごめんごめん。ちょっと、悲しいことを思い出しちゃってね」
苦笑いを浮かべながら桃子に謝罪する。
「悲しいこと、ですか?」
桃子は心配そうに尋ねていた。あまり親しくない友達の友人に話すのはどうなんだ、と翔は思った。だけど、親しい人には弱みを見せたくない。でも自分一人で抱えるには辛すぎるとも翔は思った。
あまり親しくない桃子になら気楽に話せるかな、と思い翔は口を開いた。
「恥ずかしいことなんだけど、最近、その、なんだ。失恋したんだよね」
翔は苦笑いを浮かべながら頭を掻く。
「失恋ですか?」
「まあ正確には失恋も出来てないんだけどね。俺が気持ちを伝える前に遠くに行っちゃってね」
そう言いながら翔は遠い目をした。
「そんなの会いに行けばいいじゃないですか」
「どこに行ったかも分からないんだ。お盆の間だけ、こっちに遊びに来てたらしくてさ」
桜のことを思い出すと、涙が溢れそうになる。ああ、やっぱり言わなければ良かったな、と翔は思った。
もう今日は家に帰ろう。そう思った翔は席を立とうとした。
「それなら待ちましょうよ。来年まで」
「来年?」
翔は腰を浮かせたまま、桃子の言葉を繰り返す。
「来年になったらまた遊びに来るかもしれないじゃないですか。それまでに男を磨いておきましょうよ」
そう言いながら桃子は力こぶを作った。筋肉が少ないから、こぶは全く出来ていなかったが。
そりゃあ人間ならまた遊びに来るかもしれないが、桜は幽霊だ。また遊びに来るなんて……。
そう考えた時、翔はハッとした。
桜は言っていたじゃないか。お盆の間だけ遊びに来ている、と。それなら来年のお盆になれば、また桜に会えるかもしれない。
「そうか、来年か!」
桃子に合わせて翔も力こぶを作る。
「そうです、来年です!」
二人は来年、来年と繰り返し盛り上がっていた。
会える保証は無い。それでも会える可能性がある。それだけで翔は前向きになれた。
夏も終われば秋が来る。秋も終われば冬、冬から春。そして夏が来る。
今から来年の夏が待ち遠しい。
デパートから出るとまだ夏の日差しは強かった。それでも翔は夏に対して文句を言う気にはならなかった。
「お前も良いとこあるじゃん」
空に向かって親指を突き立て翔は歩き出す。
夏ももう直ぐ終わる。秋の気配を感じられるようになった頃、翔は夏を少し好きになっていた。