桜
三人だけの夏フェスも終わった翌日。歌いすぎて疲れた翔はベッドの上で寝ころんでいた。今日は何をしようか。早く夜にならないかな、と考えていた。昨日は歌い続け、気付いた時には深夜を回っていた。慌てて翔と史紀は帰ったため、何をするか決めてなかった。
「あ、姐さんにアドレス聞くの忘れてたな」
これ以上桜に踏み込むと離れて行ってしまう気がする。だけど、史紀が桜と仲良くしているところを見て、みっともなく嫉妬してしまった。原因は一つ。翔は桜に恋している。それは以前にも思ったことだった。それを自覚してしまったら、もう踏み込まずにはいられなかった。
関係が崩れてしまうなら我慢した方が良いかもしれない。そう考えることももちろんあった。 ただ、何もしないうちに終わってしまったら、それこそ一生後悔しそうだと翔は思ったのだ。
「うおっ⁉ びっくりした」
携帯を握り締めて桜のことを考えているとメールを受信したので、翔は驚いた。もしかして姐さんか? とありえないことを思うほどに翔は浮かれていた。
「まあ、どうせ史紀だろ」
ふと冷静になり、浮かれていた気持ちも治まった。昨日、急いで帰ったから今日の予定を確認するつもりだろう。そう思いながら翔はメールを確認する。
メールの差出人にはメールアドレスが表示されていた。つまり、翔の携帯に登録されていない人間から送られて来たメールである。
「なんだ、迷惑メールか?」
そう言いつつも、一応メールの内容を確認する。
『夜のことで話がある。一時間後に中央公園へ』
題名は無く、本文にはその一文のみ記載されていた。
「夜のこと?」
夜の集まりを知っているのは翔、史紀、桜の三人だけのはず。史紀のアドレスは登録されているので、差出人は史紀じゃない。となると桜か、と思うがアドレスの交換はしていない。それに桜なら本文に名前を記載するはず。つまり三人以外の第三者から送られて来たのは間違いない。
自分たちの遊びが第三者に見られていたのか。その可能性は高い。なぜなら三人とも周りを気にせず馬鹿騒ぎをしていたのだ。
通り掛かりの人間に見られていても不思議ではない。
だた、そうなるとメールを送って来た意図が分からない。若者が墓場で騒ぎを起こしているなら、その場で通報する方が手っ取り早い。そうなると差出人は絞られてくる。
三人の誰かの知り合い。
もしかしたら、と見当を付けつつ、翔は公園へ向かう支度をするのだった。
「やっぱりか」
翔は公園で待つ人物を確認し、そう口を開いた。公園で待っていた人物、すなわちメールの差出人は七海であった。 墓場で翔達を見ていた人影もまた七海だった。
流し素麺の準備をしていたあの日。七海は大人しく帰ったと思っていたが、翔の後を付けていたのだろう。
「俺のアドレスどうやって知ったんだ?」
翔の一番の疑問はそこだった。クラスメートで知っているのは史紀だけのはず。史紀が教えるとは思えない。
そうなると翔の個人情報はどこから漏れたのか……。
「えっと、西城君から教えてもらったの」
もっとも身近な人間の裏切りだった。あのクソ野郎、一瞬でも信じた俺が馬鹿だった。怒りつつ携帯の画面を見て、翔は史紀へ恨みの念を送る。
「はあ、あいつかよ」
翔は溜息を吐きつつ肩を落とす。
「ご、ごめんね。悪いとは思ったんだけど」
「ああ、いい。アイツが悪いだけだから」
手を前に出し謝罪する七海を制する。史紀は今日の夜に一発は殴ろう。回答次第によってはもう何発か殴る。
そう決めた翔は気持ちを切り替え本題に入ることにした。
「それで、墓場のことで話しってのは?」
「うん、とね。その、やめた方がいいよ。お墓で遊ぶなんてさ。クラスの子達に見つかったら翔達が無視されちゃうよ」
「ああ、そういうことか」
七海が警察に通報しなかったのは、翔のことを案じたからだ。警察に通報すれば翔は補導され、学校に連絡が行くのは間違いない。そんな大事を起こせばクラスから排除されるのは避けられない。だから自分以外に見つかる前に危ないことは止めろ、と七海は言っているのだ。
「うーん」
七海の気持ちは分かる。心配してくれるのも嬉しい。だけど桜のことを忘れ、会いに行かない、なんてこと翔には考えられなかった。
腕を組みどうやって断ろうか、どうやって誤魔化そうか考えていると七海が口を開いた。
「まだ私だったから良かったけど、他の子達に二人が見つかったら大変だよ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
「なんでお墓なの? 他の場所なら誰に見られても大丈夫なのに」
「それは姐さ、えっと桜さんがな」
いつものノリで姐さんと言おうとして慌てて言い直す。
「うん?」
七海は翔の言っていることが分からないようで首を傾げていた。
「いや、その、な。三人で遊ぶには墓場しかないっていうか」
翔は七海に何て言って良いか分からず、しどろもどろな答えを繰り返す。そんな翔を見て七海は更に不思議そうな表情を浮かべていた。
「三人? 三人って誰のこと?」
どうやら七海は墓場のことより、桜のことが気になっているようだった。
「誰ってそりゃ七海は知らないと思うよ。俺達だって桜さんと知り合ったの最近だし」
「桜さん?」
「あの、特攻服っていうのかな? 長い上着にズボンを履いた長い髪の人」
「ちょ、ちょっと待って。翔、何の話してるの?」
「なにって……」
お互いの話が噛みあっていないことに翔は気付いた。
「私が気になったのは『三人』ってこと」
「だから俺と史紀、それに桜さん」
「それ本気で言ってる?」
「何が言いたいんだよ」
七海の煮え切らない態度に翔はイライラし始めた。それになぜだか分からないが、ひどく嫌な予感がする。七海の口から発せられる言葉を聞いてはいけない。そう思いここから立ち去ろうとするが、翔の足は根を生やしたように動かなかった。
「桜って人、誰?」
「誰ってさっきから散々言ってるだろ」
「ごめんね。言い方が悪かったね。えっと、その桜さんってお墓で一緒に遊んでたの?」
「あ、ああ。七海も見てたなら知ってるだろ」
「ううん。私が見ていたのは翔と西城君の二人」
「俺達にしか気付かなかったのか。しょうがない、墓場は暗いからな」
真実から目を背けるように翔は言葉を続ける。
「分かりにくくてごめんね。二人にしか気付かなかったんじゃなくて、二人しか見えなかった。もっと正確に言えば、そこには二人しかいなかった」
自分の言い方が悪くて上手く伝わっていないと思った七海は、いつのもように丁寧言い直し、真実を口にする。
「そ、そんな馬鹿な……」
「本当だよ? 私、翔には嘘つかないもん」
伏し目がちに七海は答える。
「い、いや。七海が嘘をついてるとは思ってないよ……」
手を顔に当て、戸惑う翔。
「だ、大丈夫?」
翔の様子を心配した七海が駆け寄ろうとしたが、翔は空いた手を前に出し七海を制する。
その後七海が何かを言っていたが翔は頭に入って来なかった。七海には先に帰るように促し、公園のベンチに座って休んでいた。
桜が翔と史紀にしか見えていない? そんな馬鹿なことがありえるのか。ありえるとすれば可能性は一つしかない。
翔の頭を過った考えを振り払う。そんな訳がない。だけど、その考えが正しければ墓場でしか会えないことにも納得がいく。
「俺はいったいどうしたら……」
空を見上げ翔は悩み、携帯を取り出す史紀に相談しようかと思ったが、直ぐにその考えを改めポケットに携帯をしまう。
「なんて言えばいいんだよ」
桜さんが俺達にしか見えない、なんて言って信じてもらえるとは思えない。
「はあ……」
溜息を吐きながら視線を足元へ移す。足元には小さな子が遊んでいた落書きがあった。
それは桜が好きなネズミのキャラクターだった。ぼーっとその落書きを見ていると、桜の歌を思い出していた。それは人間なら誰しも抱える悲しみだと、聴いた時は思った。だけどそれは、誰も自分を見付けてくれない、その悲しみの歌だったように思える。
「はは、悩む必要なんてなかったな」
ベンチから勢い良く立ち上がり公園を後にする。
「踏み込むって決めたんだからな!」
※
翔は公園を後にして墓場へと向かった。昼間に墓場に行っても誰もいないだろうと思いつつも、桜との繋がりはそれしかない。ただ、そこに行けば何か分かる。そう確信めいた考えが翔を突き動かしていた。
「昼間の墓場に来るってのは不思議な感覚だな」
昼間に来ることもそうだが、一人で墓場に来ることも初めてだった。
お盆の初めに肝試しをしようなんて史紀が言いださなければ、桜とも出会わなかった。その時は史紀を散々恨んだが、今となっては史紀に感謝しないとな。そう思いつつも絶対に感謝を述べることはないが。
長いようで短い夏の出来事を思い出していると、気付けば見慣れた墓場の入り口に着いていた。入り口の前で辺りをキョロキョロと見渡す。
「あ、ああ。そうだったな」
翔はいつもの癖で史紀を探してしまった。初めて一人で来るな、と思ったばかりなのに。
「はは、相変わらずヘタレだなあ」
独り言ちて頭を掻く。
人間関係を希薄にするような生き方をして来たはずなのに、気付けば友達を探していた。そんな自分がヘタレに感じた翔だったが、悪い気はしていなかった。
いつものたまり場まで歩いて行くと、墓石の前で手を合わせている少年が見えて来た。
「やっぱりそうか……」
その光景を見ただけで、自分の考えが正しかったと理解してしまった。
翔の呟きが聞こえたのか、手を合わせていた少年が立ち上がり、翔へ視線を向けた。翔が何も言えずに立ちすくんでいると、目の前の少年が声を掛けて来た。
「お姉ちゃんのお友達ですか?」
少年はそう言いながら翔に近寄って来た。
「え、あ、ああ」
「そうですか! お姉ちゃん、『生前』ずっと一人だと思ってから、お友達がいて本当に良かった」
少年が口にした『生前』という言葉が翔の頭に強く残った。
「き、君は桜さんの?」
「はい、弟の春馬です」
桜の弟は屈託なく笑い、両手を膝の上に当て丁寧にお辞儀をする。春馬の外見は綺麗に切り揃えられた黒髪に歳相応の大人しい服装で、俗に言う不良の桜とは対照的な弟だった。
春馬が言った『生前』と『弟』という言葉が示す真実。それは亡くなっているのは弟ではなく、姉の桜ということ。
翔と史紀にしか見えていない幽霊の少女。
翔は幽霊の少女に恋をしてしまったのだ。
「ははは」
その真実が現実離れし過ぎていて笑えて来た。
「えっ、と?」
そんな翔を春馬は不審そうに見る。
「ごめんごめん。なんか桜さんのことを思い出しちゃってね」
「ああ、そうでしたか」
翔の言葉を受けて、春馬は遠い目で悲しそうに笑う。春馬も桜のことを考えているようだった。
「お姉ちゃん、優しい人だったなあ」
記憶の中の桜を思い、春馬は目をつぶる。
「俺、桜さんのことあまり知らないんだよね。出会って間もなくてね。良かったら桜さんのこと話してくれないかな」
踏み込むと決めたのだ。桜には悪いと思ったが、この際、春馬に桜のことを聞いてしまおうと翔は思ったのだ。
「もちろんです。母さん達はお姉ちゃんのこと悪く言ってて、話せる人いなかったんです」
春馬は桜のことを話せることが嬉しいようで、笑顔で語りだした。
「お姉ちゃん、昔は大人しかったんです。教室の隅で本を読んでいることも多かったようです」
「え、あの桜さんが⁉」
春馬の話を聞き、翔は驚きを隠せなかった。翔の認識している桜の姿と随分かけ離れているからだ。
「えっと、お兄さん」
春馬は戸惑いながら翔のことを呼ぶ。その態度から翔は名乗っていないことを思い出した。
「ああ、ごめん。俺は翔って言うんだ」
「翔さん、ですね。翔さんはお姉ちゃんと出会ったのは最近ですか?」
「うん」
「それじゃあ、お姉ちゃんが明るくなってからのお知り合いなんですね」
明るい桜というのはヤンキー姿のことだろう。
「お姉ちゃんが変わったのは中学生になってからでした。その、はっきり言うと、お姉ちゃん、イジメにあってたんです」
「え、イジメ?」
「はい。お母さん達には心配かけないように隠していましたけど、僕は見てました。教科書に落書きとか。それでお姉ちゃん、イジメに反抗するように髪を染めて怖い格好をするようになったんです。大人しかったけど、根は負けず嫌いでしたからね」
そう言いながら春馬は苦笑いを浮かべる。
「それからですね。お姉ちゃんが他人と壁を作るようになったのは」
「そうだったのか……」
翔は神妙な面持ちで春馬の話に聞き入っている。
「それでも僕には変わらず優しいお姉ちゃんでした。でも、どこか寂しそうで、そんなお姉ちゃんが心配だったんです。そんな時に事故に遭って、お姉ちゃんはそのまま……」
春馬は下唇を噛みながら俯いていた。
どう声を掛けていいのか分からず、翔も同じように足元を見つめていた。
「お姉ちゃんを救えなかったこと、すごく後悔してました。一人で寂しそうにしている、お姉ちゃんに何もしてあげられなくて、ただ見ていることしか出来なくて。でも、翔さんに会えて良かったです。翔さんがお姉ちゃんの友達でいてくれて、お姉ちゃんは一人じゃなかったんですよね?」
「もちろん! 毎日どんちゃん騒ぎして遊んでたぜ」
クラスでするように営業スマイルを浮かべながら答える。
本当のことを言った方が良いのかと思ったが、春馬に悲しい思いをさせたくなくて、気付けばそう答えていた。
翔も桜を救えてなんかいなかった。出会ったのだって桜が幽霊になってからだ。それでも桜ならそう答えると翔は思った。真実を伝えて傷つけるより、嘘を吐くことを選ぶ。
クラスでの仮面を思い人の弟に向けるのは躊躇われたが、それでも後悔はない。
胸を張り、無意識に視線を墓石の上に移していた。そこには親指を立てた桜が、ぼんやりと見えた気がした。桜の姿が本当なのか幻なのかは分からない。それでも翔の目に映る桜は翔を褒めていた。翔はそれを見て満足そうに頷く。
「本当に良かった。お姉ちゃん……」
安心したせいか緊張の糸が切れたようで、春馬は肩を震わせていた。
そんな春馬の肩を黙って抱き、墓石の上を見つめる。
ぼんやりと見える桜は手を後ろにやり、照れながら何かを口にしていた。その声は翔には聞こえなかったけど、口の形で何が言いたいか分かったようだった。
『ありがとう』
それを見た翔は空いている方の手を額に当て、いつのも調子で敬礼をする。そんな翔を見て桜はお腹を抱えて笑っていた。
その後、落ち着いた春馬は恥ずかしそうにお礼を言って墓場を後にした。翔はそのまま夜まで墓場で待っていようかとも思ったが、一度心を整理するために家に帰ることにした。
「そう言えば、今日は何をするか相談してなかったな。というか、墓場に行くかどうかも話してないんだよな」
頭を冷やそうとシャワーを浴びながら翔は思った。
「まあ、来ないなら来ないでいいか。桜さんに会うのはちょっと気まずいけど」
それでも桜に踏み込むと決めたのだ。気まずいってだけで立ち止まれるほど甘い決心ではない。
「――よおし!」
シャワーを止め、顔を両手で思い切り叩く。
時計を見ると、もう直ぐいつも集まる時間だった。着替えて墓場に向かう。
今日はいつもより着替えに時間がかかった。
「よ! やっぱり来たか暇人」
墓場の入り口で史紀が待っていた。
「ああ」
「ん? 翔?」
いつものように軽口を叩き、翔との掛け合いをしようとした史紀だったが肩すかしを食らい戸惑っていた。
「あー、そうかそうか」
翔の表情を見て何かを悟ったのか、史紀は腕を組みながら頷いていた。
「ふむふむ。となると、俺は今日止めとくわ」
壁に寄りかかっていた腰を上げ、片手を軽く振りその場を後にする。
「悪いな」
「気にすんな。頑張れ少年」
翔に見えるように右手を横に突き出し、親指を立てながら歩いて行った。
「ありがとう」
史紀には聞こえないように呟き、墓場へと足を踏み入れる。
少し前までの翔だったら二つの意味で夜の墓場になんて入らなかっただろう。
一つは幽霊が怖いから。もう一つは他人に踏み込むことになるから。
でも今の翔は少し前までの翔とは違う。この夏の出来事が翔を少し大人の男にしたのだ。
「よお、今日は二回目だな」
翔の姿が見えると桜は手を大きく振りながら声を出した。どうやら桜は翔のことを待っていたようだった。
「お昼ぶり? ですね」
翔も笑顔で答えつつ、胸元で小さく手を振る。
「もう来ないかなって思ってね。ちょっと心配してた」
手を振るのを止め、桜は苦笑いを浮かべた。
「その、なんだ」
歯切れ悪そうに桜はもじもじしていた。
「桜さ……姐さんが幽霊だから?」
昼間の言い方で桜を呼んでしまったので、慌てて言い直す。
「無理に姐さんなんて呼ばなくていいのに。アタシが命令したんじゃないんだし? 普通に桜でいいよ」
そんな翔の様子を見て、桜は笑みを浮かべる。
「あはは、そうですよね」
頭を掻きながら翔も笑う。
「話を戻すけど、アタシは幽霊なんだよね。今まで騙しててごめんね」
桜は両手を膝に当て頭を下げる。
「いやいやいや、そんな。全然気にしてないですし、頭を上げて下さい!」
翔は両手を思い切り振り、慌てて答える。
「そう? ありがと」
頭を下げたまま、上目使いに翔を見る。そんな仕草に翔はドキリとさせられる。
ああ、心底自分は桜さんに惚れてるな。一緒にいてこんなにドキドキさせられたら身が持たないな、と翔は恥ずかしそうに思った。
「その、桜さんはなんで幽霊の姿でここにいるんですか?」
「ん? なんでって、理由ってこと? そんなの無いよ?」
「ええ⁉ 理由も無く幽霊ってなれるんです?」
一般的にイメージする幽霊ってのは、『現世に未練がある』とか『死んでも許せない人がいる』とか、理由がありそうなものだが、桜はそれが無いと言う。
「んー。あっ、多分だけどお盆だからじゃん?」
手を叩き、閃いた! といった様子で桜が答えた。
「あ、ああ。確かにお盆ですけど。え、それだけで?」
桜の発言を受け、更に翔はパニックになっていた。翔は桜に未練があるなら、それを晴らしてあげたい。その為に出来ることなら何でもするつもりで来た。
それなのに当の桜はお盆だからじゃん? とおっしゃる。
「だって、それくらいしか思いつかないんだもん。何? 文句あるの?」
腕を組み、翔を睨みながら抗議の意を表する桜。
「いやいや、文句はないです。はい」
惚れている相手とはいえ、翔は本能的な恐怖で萎縮していた。
「別に未練とかないもん。まあ、ちょっとは、あるっちゃあるけど。それでも、死んでから直ぐに幽霊になったわけじゃないし」
「そうなんです?」
「うん。幽霊としてこっちに来たの最近なんだよね。あ、翔達がここに来た日だわ」
忘れてたわ、と言いながら桜は両手を腰に当てながら胸を張る。
「いや、胸を張れるところじゃないっすよ!」
史紀がいないので、必然的に翔がツッコミ役になる。
ほとんど反射的に言ってから怒られる! と身を翔は強張らせた。
「あはは、まあね」
だが、桜は怒ることなく笑っていた。
「お盆って先祖が帰って来るって言うじゃん? アタシは先祖とかじゃないけど、お盆だから遊びに来れたんじゃない?」
「まあ桜さんがそう言うならそうなのかもしれないですね」
あれこれ考えていた翔だったが、何だかどうでも良くなって来ていた。遊びに来たというのなら、精一杯遊べば良い。翔はそう思うことにした。
「それなら史紀も呼べば良かったですね」
「うん? そういえば史紀は今日来ないの?」
今頃気付いたようで、桜は史紀を探すように辺りを見渡す。
「何か気を使わせちゃったみたいで、今日は帰っちゃいました」
バツが悪そうに翔は答える。やっぱり遊ぶとなると、史紀もいた方が桜さんは嬉しいよなあ。そう思うと翔は少し胸が痛かった。
「ふーん。まあ、いいんじゃない? 翔が来てくれたし」
そう言いながら桜は親指を立てる。どうやら翔の心配は杞憂に過ぎなかったようだ。
ああ、本当敵わないなあ。笑顔の桜を見て、翔はそう思ったのだった。
「何かやりたいことってないんです?」
「やりたいことかー。うーん」
翔の言葉に、桜は頭を叩きながら唸っていた。
「さっきは流しちゃいましたけど、未練があるっちゃある、とか言ってませんでした?」
「あー、それかー」
桜は頬を人差し指で掻きながら恥ずかしそうに口ごもる。
「それです、それ」
「うーん、とねえ。まあ、もう叶ってるっちゃ叶ってるから良いかなって」
「もう叶ってる?」
「ここまで付き合わせちゃってるから、翔には言うべきだよね、うん」
一人でぶつぶつ言いながら桜は何かを決心したように頷いていた。
「あー、そのさ。昼間に聞いたと思うけど、アタシって友達いなかったんだよね。そりゃあ小さい頃はいたかもしれないけどね。だから、まー、ね? わかるでしょ?」
桜にしては珍しく頬を赤く染めながら俯いていた。
ああ、しおらしい桜も可愛いなあ、と思う翔だったが、少し意地悪もしたいという欲望に支配されていた。
「えー、なんです? ちょっと分からないですね」
なので、翔はとぼけることにした。
「くうぅ、翔の癖に生意気な!」
翔の意図に気付いた桜が悔しそうに睨む。いつもなら屈伏してしまう睨みも、今は何だか可愛らしく思えた。
「そう、そうよ! 友達が欲しかったの!」
翔の様子に諦めた桜はやけくその様に言う。口調もなんだか女の子らしかった。元々大人しい桜の地はこっちなのかもしれない。
「はい、良く出来ました」
「……」
少し調子に乗り過ぎたのか、桜は無言で墓石から降りて来て翔を蹴り飛ばした。
「ということは桜さんの願いってもう無いんですか?」
友達が欲しかったという桜の願いは叶っている。
友達で終わるっていうのは寂しい気もするが、自分の気持ちを押し付けられるほど翔は大胆にはなれなかった。
桜が満足しているなら、それで良いと翔は思うことにした。
「まあ、うん。そうだね」
だが当の桜は何だか歯切れ悪そうに答える。友達が欲しいということ以外に何か未練があるのだろうか?
「どうしたんです? いつものようにアレがしたい! って言って下さいよ。俺、必要であれば史紀も呼んで叶えますぜ」
翔は拳を作り、胸の前に掲げ敬礼をする。
「そうね。うん、そうだね」
頭を左右に振り、恥ずかしさを振り払っているようだった。自分の内面を吐露するというのは思ったより恥ずかしいようだった。桜のように外面を作っている人間なら特にそうだろう。
同じタイプである翔は桜の気持ちが分かった。だから昨日までと同じようなやりとりをわざとらしくてもする。
「夏祭りに行きたい!」
それを察した桜も翔に答えるように、いつものようにわがままを言うのだった。
※
「明日一緒にお祭り行きましょうよ」
お盆の最終日には翔の町で行われる小さなお祭りがある。翔は桜とそれに行こうと考えていた。
「うーん、それは無理かな」
だが、お祭りに行きたいと言った桜自身が翔の提案を断った。
「え? なんでですか?」
まさか桜に断られると思わなかった翔は戸惑っていた。自分と二人でお祭りに行くなんてデートみたいで嫌なのか……とネガティブな考えに支配されそうになっていた。
「あー、そっか。まだ言ってなかったか。なんかアタシ、ここから出られないんだよね」
両手を広げて困ったように桜は言った。
「ここから出られない? 墓場からってことです?」
「そう。だから弟に見せたいからって嘘吐いてたんだよね」
「ああ、そうか。弟さん、生きてますもんね。」
初めて桜に会った時、弟に楽しい所を見せたいからと言って墓場で遊んでいた。だが実際は弟に見せたいからではなく、桜がここから出られないからだったのだ。
「だから、ここから花火を見れればいいよ」
そう言いながら桜は笑った。
「そう、ですか」
翔には桜の笑顔に少しの寂しさが見えたような気がした。
※
お祭り当日の夕方。桜と会う時間より一時間ほど早い頃、翔は出店走り巡っていた。この数日で散財してしまい、軽くなった財布を更に軽くしていた。お祭りの会場に来られないなら、せめて雰囲気だけでも味わって欲しいと思い、翔は出店の品を買って回っていた。
ゲームセンターで浪費するより、自分の好きな女の子の為に使う方が有意義だ。そう思う翔は財布が軽くなればなるほど、気分は良くなっていた。
「俺ってホント舎弟向きだよな」
桜に貢いで気持ち良くなっていく自分を見て翔は思った。まあ、一生舎弟でも良いかな、なんて思いつつ大量の戦利品を持って墓場へと急ぐ。
夕方だというのに会場は人に溢れていて、買い出しが遅くなってしまった。桜を一人で待たせる訳にはいかない、と息も絶え絶えに走る。
墓場に到着すると、いつものように史紀が墓場の前で待っていた。
「相変わらず、お前は加減を知らないな」
両手を広げて史紀は呆れていた。
「恋ってのは全力なんだよ」
呆れる史紀に親指を立て、真っ直ぐ答える。
「ははっ、いいねえ。若いねえ。青春だねえ」
一瞬呆気に取られていた史紀だったが、我に返ると不敵に笑っていた。
「何が翔を変えたのか、って桜さんしかねえか。教室でつまらなそうにしてる翔より数倍良い顔してるぜ」
史紀はお腹を抱えて笑い、翔に親指を立て答える。
「それなら俺は邪魔者だな。気合入れろよ、親友」
そう言いながら史紀は翔の背中を力いっぱい叩いた。
「いってえぇ。お前こそ加減を覚えろよ」
翔は背中を擦りながら涙目で史紀に文句を言う。
「気合だよ気合。弱くちゃ意味ないだろ?」
悪びれた様子もなく史紀は答える。
「はいはい。じゃあ、史紀は妹とお祭りデートな」
「はあっ⁉ なんでそうなるんだよ⁉」
唐突な翔の発言に驚いていた。
「いやー史紀が一人で可哀想だなって思ってね。まあ、俺に気を使わせない為と思って、な?」
「いやいや、なんでそうなるんだよ」
溜息を吐き、史紀は呆れていた。流石に無理矢理過ぎたか? と翔は思った。桜に夢中になっていて忘れていたが、桃子からの頼みを史紀の顔を見てふと思い出していた。なのでとりあえず言ってみよう、とハイテンションの翔は思ったのだった。流石に唐突過ぎて断られるかと思ったが、顎に手を当て何かを考えているようだった。
少しの沈黙の後、史紀は口を開いた。
「まあいっか」
そう言うと史紀は携帯を取り出し、どこかに電話を掛け始めた。
「おう、今ちょっと良いか? うわっ、うるさいな」
電話の相手が大きな声を出したようで史紀は顔をしかめて携帯を耳から遠ざけていた。
「そうだよ、お前の兄だよ。今暇か? 暇なら祭り行こうぜ」
史紀の『兄』という発言から電話の相手は史紀の妹、桃子だろう。翔の発言を真に受けて、目の前で桃子をお祭りに誘っているようだ。
「何でって、翔に断られたんだよ。デートだってよ。だから悔しいから俺もデートしようって思ってって、うるさいな」
どうやら桃子は史紀にお祭りに誘われて騒いでいるようだった。
「うん、大丈夫か? じゃあ会場に着いたら連絡してくれ。じゃあな」
そう言うと史紀は電話を切った。
「ってことで俺も妹とデートだ。じゃあ、お前も頑張れよ」
史紀は携帯を仕舞い、片手を振りながらその場を後にした。
「アイツ、カッコつけやがって」
去って行く史紀の背中を見て翔は笑った。
「さて、俺もカッコつけなくちゃな!」
背中の痛みを感じながら墓場へと足を踏み入れた。
「おそーい!」
元々出店の買い出しで少し遅くなっていたのに、入り口で史紀と話し過ぎていた。翔が桜の前に顔を出すと、桜を墓石の上で仁王立ちしていた。
「すみません、すみません」
頭をペコペコと下げて翔は謝っていた。
「アタシを待たせるなんて良い度胸ねって、うん?」
仁王立ちしながら翔を睨み付けていた桜だったが、史紀の手に提げられている袋を見付けたようだった。
「何それ?」
「桜さんへの献上物です!」
頭を下げながら両手の袋を前に差し出す。桜は墓石から降り、不機嫌な顔のまま差し出された袋を受け取り、中を確認する。
「うわあぁ!」
中身を見た桜は嬉しそうに感嘆の声を上げた。
「こんなにたくさん!」
リンゴ飴や綿あめを取り出して少女のようにはしゃいでいた。
翔の前ではヤンキーという外面から素の自分を出す機会が増えて来た。心を開いてくれているのかな? と翔は嬉しく桜の様子を見ていた。
「大丈夫なの? 前にも花火いっぱい買わせちゃったし」
はしゃいだ後、我に返った桜が心配そうにしていた。中学生に貢がせるようなことをさせてしまい、桜の良心が傷んでいるようだった。
「全然大丈夫っすよ! 普段ゲーセンで無駄にしちゃってるだけなんで」
親指を立てながら翔は笑顔で答える。好きな人の為なら、と言えないのは翔がヘタレだからだろう。
「そう? ごめんね。でもメッチャ嬉しいよ。ありがとう」
申し訳なさそうにしつつも桜は笑った。その笑顔が見られただけで翔は満足だった。
この時間を壊さないように、と思い翔は自分の思いを告げないことにした。自分のわがままで桜との思い出を台無しにしたくなかったから。
「ああーまだかな、花火」
桜は墓石の上に座り、焼きそばを食べながら花火を待っていた。
「今更ですけど、幽霊も物を食べたり出来るんですね」
「うん、なんか食べれる! 姿が見えるか見えないか、ってだけで実態はあるみたい。別に食べなくても死なないけどね。ってもう死んでたか」
桜は自分で言って自分で桜は笑っていた。
「いくら食べてもお腹いっぱいにならないのは不思議な感覚だけどね」
そう言いながらたこ焼きを取り出していた。
「うーん、美味しい! なんかお祭りって感じするよね」
たこ焼きを頬張り、嬉しそうに声を上げる。お祭り感を少しでも味わって欲しいという翔の作戦は成功したようだった。
嬉しそうに食べる桜を見られて頑張った甲斐があったな、と翔は満足そうに頷いていた。
「何一人で納得してんの。ほら、翔も食べなよ」
そう言うと桜は加えていた楊枝をたこ焼きに刺し、墓石の上から翔の前に差し出した。
「え、良いんです?」
「当たり前じゃん。ほら、落ちちゃうから早く」
「あっ、はい」
差し出されたたこ焼きを慌てて咥える。
「あっちっち」
「ははは、一気に食べるから」
時間が経っているので油断していたが、たこ焼きは熱々だった。
たこ焼きに悶絶している翔を見て笑いながら桜も次のたこ焼きに手を付ける。
たこ焼きと必死で格闘しながらも、『あ、間接キスだ』と翔は考えていた。
「うっしっし、間接キスしちまったぜ」
「うっへぇ⁉」
自分の思っていることを桜が口にしたので翔は咳き込んでしまった。
「何だか照れるな」
そう言いながら桜は恥ずかしそうに頬を掻いていた。
そんなことを桜から言われたら翔の抑えていた気持ちが溢れてしまいそうだった。
ええい、ままよ! と思いつつ、気持ちの高ぶりに合わせて思いをぶちまけてしまうことにした。
「――っ!」
桜への気持ちを口にしたはずなのに、その声は別の音にかき消された。
翔が視線を上げると大きな花火が打ち上げられていた。
「おおー!」
桜は翔の言葉には気付いていないようで、花火を見て簡単の声を漏らしていた。
「たまやー! ほら、翔も一緒に!」
花火から視線を翔に移し、桜は一緒に叫ぶように促す。
「りょ、了解っす!」
右手を額に当て、敬礼をする。
一度タイミングを逸してしまい、やけくそで声を上げる。
「たまやー!」
「おおーいいね! たまやー!」
翔につられるようにして、桜も声を上げる。
これで良かったのかもしれないな、と翔は思った。
「ああ、喉痛い」
「声出し過ぎなんだよ。翔ってそんなにテンション高いキャラだった?」
指を口元に当て、桜は翔を馬鹿にするように言う。
「なんか大声出したい気分だったんすよ」
苦笑いを浮かべながら翔は答える。
思い通りにいかないもどかしさを大声に変換していた。
「ふーん、そっかそっか」
含みのある顔をして翔をチラリと見た後、花火の無い空を見つめていた。
花火が終わった後、しばらくダラダラと話していたので、気付けばもう直ぐ日付をまたぎそうだった。
「あーあ、もう終わっちゃうね」
墓石に座り、足をぶらつかせながら桜は言った。
「お祭りですか? もう終わっちゃってると思いますよ」
「ううん、そうじゃなくてさ」
翔は桜の様子が変な気がして、視線を桜に移した。お祭りの余韻を楽しむように空を見つめる桜の顔は笑顔だった。だが、その笑顔が悲しみを帯びている気がした。
「桜さん?」
胸騒ぎがした翔は思わず桜に声を掛けた。
「んー?」
空返事だけした桜は変わらず空を見つめていた。
もう終わってしまう。翔は何か大事なことを見落としている気がした。今日も残すところ十分。今日が終わるというのは間違いない。だが、そんなことをわざわざ口にするとは思えない。
「桜さん!」
さっきよりも少し強めに声を掛ける。
「なにー?」
それでも変わらず桜は空返事を返すだけだった。今日はお盆最終日のお祭り。お祭り事態はもう終わっている。そのことではないと桜も否定している。ということはお祭りではなく、お盆が終わる……。
そのことに気付いた翔はハッとした。
桜は言っていた。
『お盆だから遊びに来れたんじゃない?』
お盆が終わるということは桜が遊びに来られる時間も終わってしまうのではないか?
「さ、桜さん、どっか行かないですよね?」
翔は桜に笑いながら『どこにも行くわけがないじゃん』と否定して欲しかった。だが桜口を開かず空を見ていた。
「桜さんっ!」
我慢出来なくなった翔は桜の手を引き、自分の方を向かせる。
「分かんないけど、多分帰らないといけないと思う」
諦めたように、そして悲しげに力なく桜は笑った。
「幽霊なった時から覚悟はしてたんだけどね。今が特別で、きっと期間限定だろうなって。でも、翔達と遊んでいるうちに、もっと生きていたかったなあ、とか思うようになっちゃたよね。生きてる時より、今の方が楽しいもん。死んでても良いから翔達と一緒にいたいって思っちゃう」
肩を落とし桜は続ける。
「死んでから未練が出来るなんて思わなかった。でも仕方ないよね」
「さ、桜さん」
「なんて顔してんの。男の子は泣いちゃダメでしょ」
優しく微笑みながら翔の頭を撫でる。
「俺、桜さんのこと……」
翔は言葉を続けようとしたが、桜に人差し指で唇を押さえられた。
そして、空いた手で時計を指さす。
もう残り一分を切っていた。
「そ、そんな。俺、桜さんに言いたいこといっぱいあるのに」
「良くないことを思っちゃいそうだから、これ以上はダメ」
桜は頭を撫でながら翔を諭す。
桜にそう言われてしまったら、言うことを聞くしかない。
こんな時でも自分の意志を貫けないなんて、救えないヘタレだな、と翔は落ち込んだ。
手を繋ぎ並んで立ちながら最後の時を待っていた。もしかしたら、お盆の間だけなんて自分達が思っているだけなんじゃ、と淡い期待にすがりたかった。だが、秒針が刻一刻と二人の時間を削っていくに従って、翔の胸を締め付けた。
桜に泣くなと言われたが、涙が溢れてしまいそうになるのを必死に我慢していた。最後くらい桜にカッコつけたい。史紀とも約束したんだから、と翔は踏ん張っていた。
「翔の言葉、ホントは聞こえてたよ」
涙を堪えていると桜がそんなことを言い出した。驚き桜に方へ視線を向けるとそこには何もなかった。慌てて右手に力を入れるが、自分の爪が手の平強く刺すだけだった。
「まったく、ずるいよなあ」
そう呟くと緊張の糸が切れたようで、翔はその場にへたり込んだ。
「嬉しかったよ」
頭上から続けて桜の声が聞こえた気がした。
びっくりして視線を上げるが、桜と見ていた空があるだけだった。
「ははは、最後まで自分勝手な人なんだから」
なんだか桜らしくて笑えて来た。
ひとしきり笑った後、翔の頬に一粒の涙が伝う。
「初恋は甘酸っぱいってか」
そう独り言ちて、手に残る桜の感触を確かめるように何度も手を開いては閉じていた。
風が墓場に吹き抜ける。少し寒い風は秋を感じさせ、夏の終わりを予感させた。