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夜の墓場で

翔が小学生の頃、クラスには問題児がいた。同級生の中では体も大きく、小学一年の翔達は逆らうことが出来ないでいた。その問題児は自由気ままに人を殴り、給食のデザートを取って回った。

 翔達にはどうすることも出来ないので「何もしない」ことにした。クラスの人気者が中心となって、問題児のことを認識しなくしていった。つまりクラスには問題児になんていないことにしたのだ。話しかけられても殴られても、何をされても反応しないようにした。

 クラスから問題児の居場所を奪ったのだ。最初の内は怒りに震えていた問題児だったが、誰にも相手にされなくなり、どんどん大人しくなっていた。そして誰にも認識されないまま、本当に『いなく』なった。

 それに気を良くした人気者はクラスメート達を自分の意のままに操ろうとした。自分が気に入らないクラスメートを無視しようとしたりして。だが、存在を消されたのは人気者の方だった。

 誰かが指示したのではなく、皆が示し合わせたように人気者を無視した。皆が集団生活の中にある異分子を排除するようになった。クラスメート達が友達を作らず、接客業のように良い顔をするようになった理由だった。

 集団に害ある存在だと周りに思われたら、存在を否定される。だからクラスには問題は起きないし、異分子も『存在』しない。

 翔が息を整えるため、金髪の少女の側に座っていると、昔のことを思い出していた。史紀はその過去を知らない。知らないが、翔達との集団生活で何が重要なのかを直感的に感じ取っていた。だからこそ、史紀は翔を金髪の少女と会わせないようしようとしていたのだ。こんな年上のヤンキーと付き合いがあるなんてクラスメートに知られたら、間違いなく翔は存在を否定される。それは翔も分かっているはず、と史紀は思っていた。新しい集団に属することの大変さも。

 「何やってるんだよ、お前は」

後から遅れてやって来た史紀は開口一番翔を非難した。

「良いんだよ」

翔は史紀に明るい表情を向けた。

「はあー。まあ、翔が良いならそれで良いけどな」

史紀も苦笑いを浮かべ諦めたように溜息を吐く。

「お前も遅いぞ!!」

腰に片手を当て、墓石の上に立ちながら史紀を指さした。

 「俺も腹を括るか」

「んん?」

金髪の少女はそのポーズのまま首を傾げる。

 「今更だけど、あなたは誰なんです?」

「お、そうか。自己紹介がまだだったな。すまんすまん」

金髪の少女は両手を腰に当て、大きな胸を張って声高々に自己紹介を始めた。

「アタシは桜。三枝桜。高校三年よ」

「姐さん高三だったんっすね。通りで大人っぽいわけだ」

呼吸も落ち着いた翔が桜のことを舎弟よろしく褒めていた。

「ふふ、ありがと。そっちは翔と史紀であってる?」

「そうですね」

「姐さん、アイツ献上品も無く、しかも生意気ですね。やっちまいやしょう」

「だからなんでだよ!」

翔の史紀批判にツッコミを入れる。

「ふふふ、ホント面白いよ、お前達」


 「桜さんは何で墓場になんているんです?」

ひとしきりコントのようなことを終えてから、史紀が本題に入る。

 「ん」

頷きながら墓石を指さす。墓石には三枝家之墓と書かれていた。

「ここって姐さんの家のお墓だったんすね」

「そうそう。お盆だからね。弟の墓参りしてんの」

「そうだったんすか……」

 桜の事情を聞き、気まずい雰囲気が流れる。中学生の二人には、こういう時に何て言っていいのか分からなかった。

 「流し素麺やりたい!!」

そんな空気をぶち壊すように桜が声を上げる。

 「な、流し素麺?」

舎弟のようになっていた翔ですら、桜の発言に戸惑いを隠せないようだった。

「そう、流し素麺。弟が素麺好きだったんだよね。だからここで流し素麺をやりたい。もちろん竹のね」

 このご時世に流し素麺といえば、机に乗る程度大きさで、プールのような機械でやるのが一般的だろう。


「竹っすか」

「しかもここでるんですか?」

桜は腕を組みながら頷いている。

「どちらの答えもイエスよ。弟に見せてあげたいからね」

そう言われてしまうと二人も文句は言えない。

「竹なら学校の裏に竹林があるか」

「それを頂けば出来るっちゃ出来るね」

「おお? ホントに出来ちゃいそう? 言ってはみたけど、やっぱり厳しいかなーって思ってたんだよね」

言いながら嬉しそうに桜は笑っていた。

 「あんまり無茶を言わないで下さいよ? 翔は多分無理してでもやりそうだし」

翔には聞こえないように史紀は小声で桜に話しかける。

「んー、どうかな。二人は叶えてくれるでしょ? なら我がまま言っちゃいそう」

ウインクをしながら史紀に応える。それを受けて史紀は苦虫を噛み潰したような表情をした。

 「おい史紀。姐さんに変なこと言ってないだろうな?」

内緒話に気づいた翔は史紀に釘を刺す。

「史紀が翔と自分をよろしくってさ」

「ちょ、そんなことは言ってませんよ!」

「おい、史紀! お前姐さんに取り入ろうとしてるな?」

「だから違うって言ってんだろ!」

「なんだ史紀、照れるなよ」

「ああ、バカが二人もいると疲れるなあ!」

「「誰がバカだ!」」

 「はあ、もういいですよ。明日の夜に流し素麺の用意して来れば良いんでしょう?」

「お、なんだ史紀。結局お前もやる気じゃねーか」

シャドーボクシングをしながら翔が言う。史紀はツッコミたい衝動に駆られるが、グッと抑える。史紀はツッコミ過ぎて疲れていたのだ。

 「翔、俺達は昼間の内に竹を取って来る必要があるんだからな。十三時に学校な?」

「おう、分かったぜ」

親指を立てながら翔は了承する。

 「じゃあ明日楽しみにしてるからね」

手を振り二人を見送る桜。桜さんは何もしないかよ、という言葉を史紀は胸に仕舞い、墓場を後にする。桜はもう少し弟と一緒にいる言い、その場に残った。二人は邪魔しないようにと思い、そのまま桜を残して帰った。

 翌日の昼。待ち合わせの時間に翔と史紀は学校にいた。流し素麺に使う竹も手に入れるためだ。もちろん無許可。バレたら怒られることは避けられないだろう。時間は掛けていられない。手早く済ませなくては。

「なあ翔。俺は何でこんなことをしているんだ?」

竹を切る翔を見ながら史紀は不満を漏らす。

「そりゃあ姐さんのためだろ?」

「俺にはそんな義理ないんだが。というか翔にもないだろ」

「義理もクソも女性が困っていたら助けるのが男の子だろ?」

「お前はいつからイタリア人みたいなことを言うようになったんだ?」

「昔から俺はジェントルマンだぞ」

会話を続けながらも翔は手を止めない。

「よし、もう少しで切れるぞ。史紀、受け止めてくれ」

「あいよ」

文句を言いながら付き合ってくれる史紀もお人好しだけどな、と翔は心の中で思い笑っていた。

 「あと、ちょっと、と。よし、行くぞー」

竹の枝が周りの竹に当たり音を立てながら倒れる。それを最小限に抑えようとして史紀は支えに入るが、思いの外大きくて結局そのまま倒してしまった。

「おいー。ちゃんと支えろよー」

「いや、無理だろ。こんなデカい竹。だからもっと小さい竹にしろって言ったのに」

「ちっぽけな流し素麺じゃ、姐さんガッカリしちゃうだろ!!」

「はあ。お前はいつから他人に干渉するようになったんだよ。もっとドライだったろ?」

「そうかあ? っていうか手を動かせ。さっさとズラかるぞ」

こんなデカい竹を持って歩いたら直ぐにバレてしまう。

節毎に切って細かくし、鞄に詰めて持って行くつもりだ。

 「ねえ、何しているの?」

竹を切っている二人に声を掛ける人間が現れた。驚いて顔を上げる二人。そこにいたのは森七海だった。

 「ねえ、何してるの?」

七海は同じトーンで同じ言葉を繰り返す。

 ヤバい人間に見つかった、そう翔は思った。翔以外の人間なら七海に見つかっても問題はない。ここに史紀だけがいたのなら七海も気を留めなかっただろう。だが翔がここにいる場合、七海は絶対に見逃さない。

 「ねえ、何してるの?」

翔が答えずに固まっていると、七海はまた同じ言葉を繰り返した。

「た、竹を切ってるぞ」

ようやく開いた口から発せられた言葉はアホのそれだった。

「うん、それは見れば分かるよ。そうだね、何をするつもりなの?」

史紀なら確実にツッコミを入れる翔の言葉も七海は丁寧に受け止め、翔が答えやすいように質問を変える。

「えっと、その。あ、夏休みの自由研究に使おうと思ってな。史紀に手伝ってもらってるんだ。な?」

「あ、ああ。そうだ」

あ、じゃねーよ、今思いついたの丸出しじゃねーか、というツッコミを史紀はグッと抑える。

「そうだったのね。じゃあ、私も手伝うよ」

 怪しさ満点の翔の言葉に何も疑いを持たず、七海は翔を手伝おうとしている。

この光景を何度か見た史紀は不思議に思っていた。なぜ七海は翔の言葉に疑いを持たないのか。というか七海は翔の言うことに何でも聞いてしまうような気配がある。それだというのに翔は七海を遠ざけている。

この二人の関係は一体なんなのか、と史紀は思っていた。

「いや、危ないからいい。気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとう」

「そう? 何か手伝えることがあったら言ってね?」

「ありがとうな。部活だったんだろ? 帰って休みな」

七海がジャージだったので翔はそう推測した。

「はーい」

そう言うと七海は素直にこの場を後にした。

「おい、前から気になってたんだが、あれは何だ?」

「あれって何だよ」

「さっきの会話だよ。お前の言うことなら森さんは何でも聞くだろ」

「そんな馬鹿な。ただ、まあ、多少はそういう一面もあるかも」

翔は歯切れ悪く答える。

「昔に七海がイジメらてた時があったんだよ。それに気づかないで俺だけが普通に話してたんだよな。それが七海には嬉しかったらしく、それからあんな感じなんだ」

バツが悪そうに頭を掻く。

「ただ気付かなかっただけで、あんなに好かれちゃ七海にも悪くてな。早く俺から離れるようにって言ってるんだけどな」

苦笑いしながら竹を切っていく。

「お前らしいっちゃお前らしいな」

「七海だったから良かったけど、他の人に見つかったら面倒だ。さっさと終わらせるぞ」

「はいはい」

 その後、二人は誰にも見つかることなく竹を回収していった。



 「お待たせしました、姐さん」

もう習慣になったのか、膝をつき騎士のごとく敬礼をする翔。

「ふふふ、ごくろう」

桜も翔のノリに付き合い上官のごとく腕を組んで偉そうにしている。

「はいはい。麺が伸びるからさっさと準備しろ」

「ちっ! 分かってるよ」

そう悪態をつきながら翔は持って来た鞄から竹を取り出す。支えとなる竹で出来た脚を交差させて縛る。その交差部分にレールとなる竹を置いて道を作っていく。

「おおーホントに流し素麺だ! しかも結構本格的じゃん!」

「へい! 姐さんのために一人で準備したんすよ。史紀なんて素麺を茹でて来ただけで偉そうにしてるんすよ?」

「おい、てめえ。俺も昼間竹を取りに行っただろ」

「知らんね、料理長」

「誰が料理長だ」

 いつものような掛け合いをしているうちに準備が整った。

「うわあー、メッチャ楽しみ」

 史紀が持って来た箸と器を持ち、今か今かと桜は待ちわびていた。

「おい料理長、姐さんを待たせるんじゃねえ。さっさと流せや」

「はいはい」

翔の言葉を皮切りに史紀が素麺をタッパーから取り出し、固まり毎に流していく。因みに流し素麺の水は墓場の水をホースで引いて流している。もちろん無断で。

「おっとっと」

桜は流れてくる素麺を器用に掴み、麺つゆの入った器に入れる。

「うーん! 普段より数倍美味しく感じる!」

桜は素麺を食べ笑顔をこぼしながら素麺を食べる。背も高く、顔も綺麗な顔立ちがキツイ印象を抱かせるが、今この時の桜は少女のようにはしゃいでいた。

 「ほら、翔も食べな! 史紀は後でアタシが変わってあげる」

「はっ、ありがたき幸せ」

そう言いながら翔も箸と器を手に持ち、素麺を待つ。

「次行くぞー」

「おっしゃ来いやー」

キリっとした表情で箸を構え素麺を待つ。

「そこだあああ」

掛け声と共に素麺をすくい、そのまま麺つゆをつけて口へ運ぶ。

「ほ、本当だ。なんかいつもより美味く感じるぞ!」

翔も普段とは全く違う食べ物ような気がしていた。

「やっぱり、皆で食べると楽しいね。きっとそれが調味料になってるんだよ」

そう言いながら桜は優しく笑う。その顔を翔はボケっと見つめていた。いや、見惚れていたというのが正しいだろう。

 「ほら変わってあげるから史紀も食べな」

「あ、ああ。ありがとうございます」

桜は史紀からタッパーを奪い流す合図を出す。

 「いっぱい流すから全部食べるのよ!」

桜の掛け声に翔は我にかえる。

「史紀、後ろは任せたぜ」

「あ、てめ、ずりぃぞ。取れなかったの俺に全部任せるつもりだな? お前取ったらダッシュで俺の後ろに来いよ」

「落としたら承知しないからねー」

桜は箸を閉じたり開いたりしながら二人を脅す。

「くっ、姐さんの命令なら仕方ない。全て取りきってやるぞ」

そう言うと翔は再びキリっとした表情で箸を構える。

「いったよー」

桜の言葉の後、素麺が流れて来るのが見えた。そう言えば姐さんが掲げていた箸って、さっき食べるのに使ったやつだよな? これって間接キスになるんじゃ? と翔が考えていると、素麺は翔の前を全て通り過ぎて行った。

「おい、ばか! 何やってんだよ」

史紀の罵声で我にかえった翔が視線を後方へ向けると四苦八苦している史紀が映った。慌てている史紀を見るのは面白かったが、桜の命令の方が大事だと慌てて史紀の後方へ走る。史紀が健闘してくれたおかげで、八割近くは回収出来たようだった。

 「ふん、やるな史紀。ふん、せいや!」

そう声を上げながら素麺の残党を討ち取って行く。

 二人掛りで桜が流した五つの素麺の塊は回収された。

「おおーすごいすごい!」

桜は全部取り切れると思ってなかったので素直に二人を賞賛する。

「じゃあ、ご褒美ね」

そう言いながら桜は二人の頭を乱暴に撫でる。

「幸せじゃー」

翔はされるがまま、だらしのない顔を浮かべていた。

「ちょ、ちょっと。やめてくださいよ」

史紀は恥ずかしそうに拒んでいた。

「ふふ、二人とも可愛い奴等だな」

 ひとしきり撫でられ、今度は翔が素麺を流すことになった。

「いきますよー」

「よっしゃー、こーい」

そう言いながら桜は翔に箸を振って答える。

 しばらくそんなことを繰り返しながら素麺が尽きるまで楽しんでいた。

「翔……」

そんな三人をそっと覗いている少女の姿があった。



 「花火がしたい!」

流し素麺も終わり、墓場でくつろいでいると桜が急に立ち上がりそう叫んだ。

「流し素麺よりは普通なお願いですね」

「はは、お任せを」

史紀が感想を返していると、翔はいつの間にか膝をついて騎士の敬礼をしていた。

「お前は何でも聞くんじゃねーよ」

「うるさい史紀。姐さんの言うことは絶対だ」

翔は膝をつきながら横目で史紀を見ながら答える。

「うんうん。良い子だ」

いつものごとく桜は墓石の上に立ち腕を組んで満足そうに頷いている。

「アタシ打ち上げ花火が良いな」

「御意」

再び視線を足元へ移して翔は答える。

 「前から思ってたんだけど、どこでそんなの覚えたんだよ」

「遺伝子レベルで姐さんに仕えているだ。そんなの無意識に決まってる」

「決まってるのかよ」

親指を立て、ウインクをしながら翔は答える。

「ふふ、翔みたいな騎士がいてアタシは幸せだ」

相変わらず墓石の上に立ち腕を組んで満足そうに頷いている。

「はあ、もう何でもいいや。花火は全部任せて良いんだな?」

「おうよ!」

 明日の予定も決まったことで、お開きとなった。桜は今日も残って弟と話しをすると言う。危ないから送って行くと翔は行ったが、家は近くだからと断られた。まあ夜も遅いし、中学生とはいえ男と家に帰るのは気まずいのだろう、と翔は思い、素直に従った。



 翌日、翔は近くの大型デパートに来ていた。もちろん昨日話していた花火を買うためである。大見得を切った手前、ありがちな花火では笑われてしまう。桜は馬鹿にしないだろうが、史紀は間違いなく馬鹿にして来る。

 「ああ、そうか!」

馬鹿にされることが分かっているのであれば、反撃用の花火を買っておけばいいのだ。

「えっとー? ああ、これだこれ」

翔が手に取ったのは手持ち用くらいの八連打ち上げ花火。注意書きには手で持たない、と書いてある。

「よし、これを手に持って史紀向かって発射しよう」

八発では心許ないな。そう思った翔は八連打ち上げ花火を三つカゴに入れる。

「げ、値段見てなかったけど八百円もするのかよ」

ノリでカゴに入れたことを後悔し始めた翔だったが、これも姐さんを喜ばせるためだ、と思い腹を括ることにした。

 中学生にもなって手持ち花火で満足出来るわけがなかったが、念のため買うことにした。それと夜王と書かれた打ち上げ花火セットとカゴに入れる。総額一万五千円。中学生で月々五千円しか貰っていない翔からすると大出費である。 結婚指輪の相場は給料三カ月分と言われている。中学の小遣い三カ月も払えば、年上のお姉さんを喜ばせられるだろう。そう思い残り五千円となった財布を悲しそうにポケットへ仕舞う。

 「うーん、買いすぎたか?」

両手で抱える程の花火をノリで買ってしまった。最初に花火をカゴに入れた時に謎のスイッチが入ってしまった。翔の悪い癖である。ゲームセンターでも変なスイッチが入ると小遣いを全て使ってしまうことがある。そんな時でも預けているメダルがあるので、遊ぶことは出来るのだが、その度に後悔していた。

 「これはいかんね。少し節約しようかな」

軽くなった財布を叩き、デパートから出ようと歩き出した。

 出口付近のレストラン通りに差し掛かった時、知っている顔が目に入って来た。

「あれは……ああ、やっぱり、史紀の妹だ。確か桃子ももこだったかな?」

史紀の妹、西城桃子。ロングの黒髪が良く似合う中学生で、まだ幼さが残っている。初対面の時の印象は大人しい綺麗な子だった。背は女子の中でも小さい方で、スタイルも幼児体型に近いだろう。そんなこと口に出したら怒られることは間違いないので、胸に仕舞っていた。

 そもそも史紀と一緒にいる時に紹介されただけで、会話もしたことがない。

 桃子はパフェが美味しいと評判のカフェのショーケースを見ている。

 声を掛けようかと思ったが、向こうは自分の顔なんて覚えていないだろう、と思いそのまま通り過ぎることにした。ほぼ初対面で、しかも年上の異性に話しかけられても怖い思いをさせるだけだろう。

 桃子の横を通り過ぎた時だった。翔は服を後ろから引っ張られた。

「え?」

驚き振り向くと、服を引っ張っていたのは桃子だった。

「無視するなんて最低です」

どうやら桃子も翔のことを覚えていたようだった。

「ああ、ごめんごめん。気づかなかったよ」

花火を片手で抱え、空いた手で頭を掻き、作り笑顔を浮かべる。作り笑顔はクラスで良く浮かべるので、慣れていた。

「ほーう? 先輩、私に嘘を吐くんですね?」

服を掴んだまま桃子の目が厳しくなった。

あ、これ、気づいてたこと完全にバレてるわ。翔は笑顔を崩さないまま、脂汗が背中を流れていくのを感じていた。目の前の妹様は間違いなく怒っていらっしゃる。

 「傷つきました。先輩に傷物にされました!」

桃子の声は小さいが、声が澄んでいるため良く響く。周囲の人も桃子の声が聞こえたのか目線をこちらに向けている。

「ごめんごめん。何でもするから許してよ」

空いた片手で手刀を切る。

「へえー? 何でも聞いてくれるんですか?」

「う、うん」

桃子は引っ張っていた服を離し、腕を組みながら翔を鋭い目つきで見上げる。翔より背は低いのに、物凄い威圧感を発している。

いつもの調子で適当なことを言ってしまった。嫌な予感がする、と後悔していた。

 「……」

桃子は無言のままカフェを指さしていた。正確にはカフェのショーケースのパフェ。なんだ、雰囲気に飲まれていたが、やっぱり桃子は中学生。お願いも可愛い物だな、と翔も視線をパフェに向ける。キュートパフェ、三千円。おいおい嘘だろ? 手持ちの半分以上の金額のパフェだと?馬鹿みたいな大きさじゃなく、普通の大きさなのに? どこがキュートなんだよ、と翔は心の中で怒っていた。

 「え、なんでコイツこんなに高いの?」

「素材にこだわっているみたいですよ」

「へえー。それで妹ちゃんはコイツが食べたいの?」

「……」

桃子は無言で頷く。仕草は可愛いのだが、有無を言わさない目をしていた。

「よ、よし。お兄さんが奢ってあげようじゃないか」

ほとんどやけくそで翔はカフェに入って行く。今日は手持ち全部使ってやらあ、と腹を括った翔だったが、その翔の目は虚ろだった。


 「これで許してくれるかな?」

無表情のままパフェをつつく桃子に翔は尋ねる。

「ダメです」

両手でバツを作りながら桃子は答える。

「ええ!? 結構な出費だったんですけど!?」

翔は財布を取り出して指さし抗議する。

「私は頼んでいません」

スプーンを加えながら、いけしゃあしゃあと妹様はのたまう。

「えぇぇえ!! さっき指さしてたじゃん!」

「あれはただ指さしていただけです。食べたいなーって思ったので。そうしたら先輩が奢ってくれました」

「ぐぬぬ」

確かに間違ってはいない。とするとなんだ? 俺はただ気前良く奢ってやっただけ?

 顔をしかめて小さな抵抗をする。

「なにか不満でも?」

「いいえ、ありません」

右手を額に当て、軍人のような敬礼をする。翔の本能が逆らうなと命じる。

 「えっと、じゃあお願いってのは?」

敬礼をしたまま翔は桃子に問いかける。

「え。えっと……そのぉ」

今まで明瞭に話していた桃子が急に歯切れ悪くなった。しかも両手の人差し指をくっつけモジモジしている。綺麗な子がモジモジとしている様は、グッと来るものがある。だが見た目に騙されてはいけない。目の前の少女は小悪魔なのだ。平気で人を騙し、パフェを奢らせる小悪魔なのだ。そう思ってみたが、パフェくらいなら可愛いものか、と考えを改めた。

 「口に出して言いにくいことなら、メールとかにする?」

翔はモジモジして何も言わない桃子に助け船を出すことにした。

「え、先輩。そうやって私のアドレスを聞き出そうとしていません?」

机に置いていた携帯を両手で持ち、不信感をあらわにする。

「いやいや! 違うから!」

手を思いっきり振り、否定の意志を表す。

「むー。それはそれで失礼じゃありません?」

頬を膨らませながら桃子は抗議する。

 どうしろって言うんだよ、と翔は思ったが、口には出さないことにした。

今日がほとんど初対面で一時間程度話しただけだが、桃子は面倒な子だと分かったからである。

「……」

桃子は無言のまま右手を差し出す。握手、ではないな。となると……。

「はい」

苦悶の表情を浮かべながら桃子に財布を差し出す。やはり目の前の少女は悪魔だったのだ。

「いやいや、違いますよ。私を何だと思っているんですか? 携帯ですよ、携帯」

手招きして携帯を寄越せ、と妹様は仰っている。

「ああ、そっちでしたか」

財布を受け取り、代わりに携帯を差し出す。額の汗を拭い、溜息を吐く。

 桃子は器用に携帯を操作して、お互いの携帯にアドレスを登録した。

「はい、終わりましたよ」

そう言いながら桃子は携帯を翔に返す。

 考えてみると俺の携帯に家族以外で登録しているのは西城兄妹だけだな、と翔は思った。これって携帯を持つ意味あるのか? そう考えていると携帯がメールを受信した。目の前にいる桃子からだった。さっそく送って来たか、と思いメールを確認する。そこにはこう書かれていた。

「兄さんと仲良くしたい」

具体的に何をしたら良いかは分からなかったが、翔は協力することを約束した。それと当然のごとく、パフェ代は奢らされた翔だった。



 しこたま買い込んだ花火を抱えて墓場に向かう翔。

 デパートで史紀の妹、桃子に振り回されて精神的に疲れていた。史紀に会ったら文句の一つでも言ってやろうかと思っていると、携帯がメールを受信した。メールを送って来る人間はかなり限られている。どうせ史紀だろう、と形態を取り出すと、ディスプレイには桃子の名前が表示されていた。花火を地面に置き、メールを確認すると題名はなし。本文には「口外禁止」とだけ書かれていた。

「はあ……」

 溜息を吐きながら携帯をポケットにしまう。史紀より癖が強いぞ、あの妹。成り行き上仕方なく言うことを聞く約束をしてしまったからな。約束は守ろう。そして安易に何でも言うことを聞く、なんて言わないようにしよう。

 「そうだ、姐さんにアドレス聞いてみようかな」

そんなことを考えながら、翔は墓場へと再び歩みを進めた。

 墓場の入り口で史紀が待っていた。

 「お前、買い過ぎ」

翔の抱える花火を見て、史紀が呆れたように口を開く。

「なんだよ、文句言ってると史紀にはあげないぞ」

「……おお、やるな、翔。センスあるじゃん」

手の平を返し、史紀は翔を褒める。なんだかんだ言いつつ、史紀の花火を楽しみしているようだった。

 「気持ちわるっ! お前に褒められても気持ちが悪いです」

「丁寧に言うな。俺も言ってて気持ち悪かったからな」

くそ、史紀やつ、後で覚えていろよ。こっちには準備があるんだからな。そう思いつつ翔は不敵に笑った。

 「そう言えば史紀。今日、デパートでお前の妹に会ったぞ?」

「桃子に?」

「なんか一人で寂しそうにカフェのショーケース見てたぞ?」

一緒にパフェを食べて奢らされたことは内緒にする。何か面倒なことになりそうだから。

 「桃子が一人で、か」

「たまには構ってやれよ、お兄ちゃん」

「やめろよ、気持ち悪いな」

お兄ちゃんと言った翔を史紀は気味悪そうに見る。だが翔から聞いた話を受け、史紀は口元に手を当てて何か考えている。桃子の様子に何か思うことがあったのだろう。

 「置いていくぞ」

そんな史紀を気にすることなく、翔は墓場へと歩き出した。

「あ、ああ」

翔に続くように慌てて史紀も墓場へと入って行った。


 「おおー、翔!! 凄いじゃん!」

いつものように墓石に座っていた桜は、ぴょんと飛び降り翔に駆け寄る。

「めっちゃいっぱいだ!」

袋を覗き込みながら桜ははしゃいでいた。

「姐さんを喜ばせようと奮発しました!」

胸を張り誇らしげに答える。

「花火って高いでしょ? 大丈夫?」

中学生に大金を払わせたことに気付き、桜は心配そうに翔を見つめる。

「え、ええ! 大丈夫っす! お年玉っていう隠し財宝を召喚しました!」

顔を近くに寄せられ、耳まで赤くしながら答える。

 綺麗な顔の異性とこんなに近づいたことがなかったので、目線を合わせられず視線を上へと向ける。

「なーに、照れてんだよ」

そう言いながら史紀は翔の尻を軽く蹴る。じろりと視線を史紀に向け、処刑を決意した翔だった。

 「さて、姐さん。何からやります?」

翔は花火を露天商よろしく広げ、桜に聞いていた。キラキラした目で花火を見つめながら、どれにしようか迷っていた。

 「では前座でもやりますか」

「前座?」

桜は首を傾げ、八連花火を持った翔を不思議そうに見つめる。

「慈悲だ、史紀。十秒待ってやる」

「は?」

「十、九、八」

翔のカウントダウンを聞き、状況を理解した史紀も八連花火を手に全力で離れる。

「てめえ、やる気だな?」

「ここがてめえの死に場所だ! 史紀!」

お互いに距離を取ったところで、二人は着火男を使い八連打ち上げ花火に点火する。

 「なるほど、そういうことか!」

二人の様子を見ていた桜は二人がやろうとしていることを理解したらしく、同じように八連打ち上げ花火を手に取る。

「姐さんは俺の味方を!」

「ということだ。史紀、悪く思うなよ?」

 翔は同線に火が点いたところで着火男を桜に手渡す。

「ずるいぞ!!」

「はっはっは。問答無用!!」

 掛け合いをしていると、お互いの一発目が発射された。

お互いに距離感を見誤り、上方へ花火は過ぎて行く。

二人は一発目の軌道から調整をして二発目を待つ。

 「よし、点いた」

二発目を待っていると、桜も準備出来たようで、同線に火が点いていた。

「同時攻撃しましょう、姐さん!」

「おう、任せとけ!」

ウィンクをしながら桜は答える。そんな桜に見惚れていると、翔と史紀の二発目が発射された。

「あぶねっ!」

史紀の花火はまだ誤差を修正出来ていないようで、翔達の上方へと飛んで行った。だが、翔は桜に見惚れていたせいで花火を持つ手が下がり、絶妙な高さで発射され、あわや直撃だった。

「くらえー」

そんな二人を尻目に、桜は史紀に向かって花火を発射する。

「あっちぃいいい!」

桜の花火は史紀の手元を掠め、後方へと飛んで行った。その際、史紀は花火を落としてしまい、足元に転がる。転って発射された花火は翔達の足元に広がる花火に引火し、放出型の花火を点火させた。

 「あぶない!」

そう言いながら翔は花火を放り投げ、桜の手を引く。引かれた衝撃で桜も花火を落とす。

 三人一目散にその場から離れた。その後、夜王の名に相応しい業火が墓場に立ち上る。そんな光景を三人は笑いながら見ていた。


 「あーあ。一万五千円が一瞬のうちに燃え上がったぞ。どうしてくれる」

座りながら翔は史紀を責める。

「元はと言えば前座とか言って俺を攻撃しようとしたお前が悪いだろ」

「お前が俺を馬鹿にするのが悪いんですー」

 「いやあ、でも楽しかったぞ。ありがとうな、二人とも」

いつものように二人がケンカを始めると、桜は笑っていた。

「お、まだこれは残ってるみたいだぞ」

そう言いながら鎮火したばかりの残骸から線香花火を取り出した。

 「花火のシメはやっぱりこれでしょ」

桜は束ねられた線香花火を解き、二人に渡す。

 「また花火やりましょうね」

しみじみと線香花火を見ながら翔は桜に話しかける。

「そう、だな」

桜は笑いながら答える。その笑顔に悲しみが見えた気がするのは線香花火のせいだろうか。翔は桜の表情が頭から離れなかった。

 「翔……」

今日もまた、そんな三人の姿を陰から見つめる少女の姿があったのだった。


 花火の片づけを史紀に任せ、翔と桜はくつろいでいた。金は出した、お前出してない、という翔の言葉に逆らえなかったからだ。

 「いやーメッチャ楽しかった! ちょっと危なかったけどね」

桜は体育座りをしながら膝を抱え、翔をちらりと横目で見て微笑む。年上の女の子、しかも可愛い。そんな女の子の仕草に胸が高鳴ってしまうのは不可抗力だろう。翔は焦って視線を逸らす。

 俺って年上好きだったのか? だから同級生に目がいかなかったのか。なんてことを考えながら翔はのぼせた頭で空を見ていた。

 雲一つない空に、星々が眩しい程輝いている。こんな風に星を見たことなかったな、と翔は思っていた。

 「おいー! 無視すんなよー」

言いながら桜は翔の背中をたたく。

「おへえっ!」

不意打ちとなった桜の攻撃は思ったより強く、翔は咳き込んでいた。

「翔はよわっちいなあ」

咳き込む翔を見て、桜はお腹を抱えて笑っていた。

「姐さん、流石に不意打ちを食らったら、百戦錬磨の俺と言えど、咳き込んでしまいやすぜ」

ようやく落ち着いた翔はウィンクをしながら答える。ふざけているうちは照れずに話せる。ああ、俺ってヘタレだなあ、と少し落ち込みそうになる翔だったが、腹を抱えて転がりまわる桜を見たら、どうでも良くなった。こういう周りを明るくするところも桜の魅力なのだろう。

 ああ、どんどん姐さんに惹かれてるな、俺。考えてみれば姐さんのことで知っていることって名前と墓場に来ている理由だけだ。それでも、今より踏み込んでしまうと、もう姐さんには会えなくなる。翔はそんな気がしていた。


 「夏フェスに行きたい!」

史紀が片づけを終え翔達の元へ来た時、桜はいつものように墓石へ上り腰に手を当てて高らかに宣言する。

「な、夏フェス? それ、もう終わってません?」

史紀が言う通り、富士のフェスやロックインニッポンは既に終わっている。

「えっと、来年に行きたいってことです?」

桜の思惑が分からず、史紀は探るように聞く。

「ちがーう! アタシは今、やりたい!」

「や、やる⁉」

基本的には忠実な下僕である翔も、桜の発言に戸惑いを隠せないようだった。

「そう、ヤル」

「桜さんがやるって言うと殺めるって漢字が浮かびますね」

「確かに」

史紀の言葉に翔もつい頷いてしまう。

「あァん?」

「ひいぃぃ、ごめんなさい、ごめんなさい」

そう言いながら翔はペコペコと頭を下げる。

 会ったばかりの時も似たようなやりとりをしたと、三人とも思ったのか、自然と笑っていた。


 「どこかでライブ的なことやります?」

落ち着いた頃、翔は桜に聞いた。

「ダメ。会場はここ」

桜は相変わらず墓石の上に立ち地面を指さす。

「ええ!? ここっすか⁉」

またも翔は驚きの声を上げる。

「そりゃそうよ。アタシ達はただ遊んでるんじゃないよ」

そう言いながら桜は足を踏み鳴らす。身内とはいえ、墓石を踏むってのはどうなんだ、と今更ながら翔は思った。でも姐さんが楽しそうならそれでいいか、と思い直した。

 「弟さんのため、でしたよね。それは分かりますけど、ここでライブなんて無茶じゃないです?」

「まあ流石にライブは無理か。じゃあアタシの歌を聴かせてあげる」

桜は腕を組みながら胸を張る。

「姐さんが?」

「ふふん、実はアタシ、ギター弾けるんだよね」

「おお、マジっすか⁉」

桜の歌が聴けると翔ははしゃいでいた。

 「ということは今回、俺達は何もしなくていいんですか?」

「うーん……」

史紀の発言に桜は唸りながら悩んでいた。翔と史紀は桜の様子を不思議そうに見ていた。

 「いやあ、悪いんだけどギターが無いんだよね」

「ギターが無い?」

史紀は不審そうに桜を見る。

「うーん、アタシってこんなんじゃん? 親と仲悪いんだよね。それでギターとか捨てられちった」

桜はバツが悪そうに頭を掻き苦笑いを浮かべる。

「おい、史紀!! 姐さんを責めるなよ!!」

「いや。ああ、そうだな。桜さん、すいません」

「やはは、気にすんな。これに関してはアタシが悪いしな」

桜は苦笑いを浮かべたまま史紀に答える。

 「うーん、やっぱり無理か」

桜なりに二人にお礼のつもりで歌を送ろうと思っていたのだろう。桜は残念そうに肩を落とす。

 「……うちにアコギならありますよ」

そう口を開いたのは史紀だった。

「おお!? マジ?」

桜は嬉しそうに史紀を見る。

「うちの親父のですけどね」

さっき責めるような形になってしまったので、史紀は少し気まずそうだった。そんなことは気にしていないようで、桜は墓石から飛び降り史紀の手を握り強く上下に振る。

「いやあ、ホントありがとね」

「い、いえ」

普段クールぶっている史紀も桜の笑顔に照れていた。

 桜が喜んでいるのに、なぜだか少し胸が痛かった。ホント、俺はヘタレだな、と翔は思った。


 翌日の夜、史紀はアコースティックギターを持って墓場に前で待っていた。

 「なんでここで待ってたんだ?」

思い返せば、昨日も史紀は墓場の入り口で翔を待っていた。

 「いや、あの人と二人きりってのも気まずいだろ。そもそも俺は仕方なくお前について来てるだけだからな」

片手を前に出し、史紀は興味なそうに答える。

 史紀の態度に、翔は昨日の自分が恥ずかしくなった。史紀は桜に会いたいというより、友達の翔が心配なのだろう。それなのに何だか史紀と桜が良い雰囲気に見えて嫉妬してしまった。

 自分の存在が小さいものに感じ、自己嫌悪を陥りそうになったが、今は自分のことより桜を待たせてはいけない。そう思った翔は雑念を振り払い、桜の待つ墓場へと向かった。

史紀も翔を追うように墓場へと足を踏み入れる。

 そんな二人を見つめる少女の影が今日もあった。二人が墓場に入ることを確認すると、少女は駆け出し、その場を後にした。


 「おお、待ってたぞ」

今日も墓石の上に座っていた桜は二人に気が付くと笑顔を浮かべ、その場に立ち上がった。

「ちゃんと持って来たか。偉いぞ史紀」

親指を立てて桜は史紀を褒める。

 さっき、嫉妬する自分を恥じたばかりの翔だったが、それでもまた嫉妬している自分に気付く。こんな気持ちでいたら、心が持たない。両手で顔を叩き、気合を入れるようにして心に沸いた醜い感情を打ち消す。

 桜が歌を聴かせてくれるというのだ。雑念でこの時間を台無しにしたくなかった。

 「いやあ、自分で言っておいてなんだけど、歌うなんて久しぶりなんだ。下手でも笑うなよ?」

桜は史紀からギターを受け取り、チューニングをしながら恥ずかしそうに言う。

「笑うなんてとんでもない! そんなやつがいたら俺がぶっ飛ばしますよ!」

翔は力こぶを作りながら答える。

「やはは、頼もしい」

そんな翔の言葉を受け、桜は嬉しそうに笑う。

 チューニングも終わり桜は深呼吸をした。二人は桜の様子を見て、歌が始まると気付き意識を桜に集中する。

 桜のギターは悲しげなメロディを奏で始める。明るく元気な桜はからは少し想像出来ない曲だった。

 イントロも終わり、桜が歌い始める。それは二人とも聴いたこともない曲。

「私がここにいなくても世界は回る。私が消えても誰も気付かない。悲しい。誰か私を見て」

 その歌詞は自分の存在の薄さ、小ささを嘆く。それでも自分はここにいると、叫んでいる。

 二人はしみじみと桜の歌を聴いた。人間関係が希薄な翔と史紀には胸が痛い歌だった。誰かと関わらなくても生きていけると強がっても、本心は寂しいと言っている。強がっても心の叫びは消えない。

 そんな人間なら当たり前のように持っている悲しみを真っ直ぐに奏でている。桜が歌った曲はそんな曲だった。

 「いやあ、自作の歌を聴いてもらうってのは、やっぱり恥ずかしいね」

後ろ髪ぐしゃぐしゃと掻き、恥ずかしそうに笑っていた。二人は桜の歌が終わっても、放心状態のまま座っていた。

 「えっと、どうだった?」

普段の自信満々の桜とは打って変わって、恥ずかしげに二人を見る。

 「すっごい良かったっす! なんか聴き入っちゃって固まってたっす」

桜の言葉を聞き、我に返った翔は興奮した様子で桜を褒めた。

「あ、ああ。良かったです」

翔に続き、史紀も桜を褒める。

「気に入ってもらえて良かった。一曲目からバラードだったから、しんみりしちゃったね」

二人に褒められて、桜は照れながらも得意気な顔を浮かべる。

「次は何を歌おうかな。そうだ! 二人が知ってる曲を弾くから一緒に歌おうよ。何が良い?」

「俺、あんまり音楽聴かないんですよね」

「俺も翔と同じですね」

二人はバツが悪そうに答える。

「あらら、二人とも現代っ子って感じだね。ならこういう系ならどうかな?」

そう言いながら桜が弾き始めた曲は誰もが知っている童謡だった。

 「おお、それなら歌えますぜ!」

翔は桜に合わせて歌い始めた。史紀は恥ずかしいのか、苦笑いを浮かべながら口を閉ざしていた。そんな史紀を見た翔は、歌いながら史紀を尻を蹴り、お前も歌えと表情で言っている。史紀は溜息を吐き、やけくそで歌い始めた。

 一緒に歌う二人を見て、桜は満足そうに笑い、楽しそうに歌い続けた。夜の墓場は夏フェスと呼ぶには幼すぎる曲が響く。それでも三人にとって、これは間違いなく夏フェスだった。


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