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ゴールデンレトリバー

 りっちゃんはとてもマメな彼氏だ。毎日電話を欠かさずかけてきてくれるし、夏休みや冬休みは必ずこっちに帰ってきてくれた。高校生になって、私が携帯を買って貰ってからは、毎日メールも欠かさず送ってきてくれる。


 最初の頃は、付き合うってどうするの? 何をすればいいの? とテンパっていた。けど、付き合い始めても、りっちゃんとの関係は今までとあまり変わらないものだった。そのことに私はとても安堵した。だって付き合い始めても、私にとってりっちゃんは、チワワのように可愛い大好きな幼馴染兼彼氏だったから。

 私より少し下の目線から上目遣いで言われる「香子ちゃん大好き」は、いつだって私を簡単に幸せな気持ちにしてくれる。

 私はりっちゃんのためならなんだってするよと、本気で思っていた。弟もとっても可愛いけど、それとは違う愛しさをりっちゃんに感じていたのだ。

 それが少しずつ変わっていったきっかけは、高校一年の夏休みに会ったことだろう。

 その前の年の冬休みは、お互い受験勉強が忙しくて会えなかった。だから一年ぶりに会うりっちゃんに、私はいっぱい話したいことがあった。

 いくら毎日電話していても、メールしていても、りっちゃんに話したいことはいっぱいある。そんな訳でりっちゃんがこっちに来る日は、朝からずっとそわそわしていて、家族みんなに笑われてしまった。

 こっちにいる間はおじさんの方のお祖父ちゃん家に泊まるりっちゃんを、私は結局待ちきれずに駅まで迎えに行った。

 早く、早く会いたい。

 そう思って改札口でキョロキョロしていると、手を大きく振って私の名前を呼ぶ人がいた。


「香子ちゃんっ!」


 大きなスポーツバッグを肩から斜めにかけて、私に向かって駆けてくる人が誰なのか……すぐに分かった。分かったけど、何故か分かりたくなかった。

 最後に会ったとき、私達の背は同じ位になっていた。でもこの一年で、頭一つ以上の差をつけられているようだ。いつもうるうるさせていたおっきな目は、今は嬉しそうに細められているせいなのか……特別大きいという印象はなく、バランスよく顔の中に配置されている。すっと通った鼻筋と薄めの唇。唯一変わらなかったのは、ふわふわの髪の毛だけの……りっちゃん。

 りっちゃんは、チワワから血統書つきのゴールデンレトリバーに変身してしまっていた。

 半年ほど前から、少しずつ気付いていたりっちゃんの変化。綺麗なアルトの声が、電話では聞き取れないほど擦れてしまった後、時々私の心臓が騒ぐような声になった。

 その時から頭の片隅に浮かんでいた、少しの不安。可愛い可愛い私の幼馴染のりっちゃんの変化を、私はこのとき初めて目にした。


「香子ちゃん、迎えに来てくれてありがとう。お祖父ちゃん達には夕方帰るって言ってあるから、このままデートしようよ」

「…………」

「前に来た時に出来ていた洋食屋さんが気になってるんだ。お昼はそこに行かない?」

「…………」

「そうだっ、香子ちゃんがバイトを始めたって言っていたファミレスも行ってみたいんだっ。いいかな?」

「…………」

「香子ちゃん? どうかした? あっ、暑かったのかな。あっこのコンビニで何か冷たいのを買おうよ」


 そう言って私の手を引いて歩くりっちゃんの背中の大きさが、なんだか少し悲しかった。




「りっちゃん……おっきくなったね」

「そうだね。去年の冬くらいから一気に伸びたよ。夜中に体がミシミシいう日もあって、すっげー怖かった」


 お昼にりっちゃんの行きたがっていた洋食屋さんに行って、適当に街をブラブラして……最後にいつも遊んでいた公園に行った。手を繋いだままゆっくり歩いているとき、思わず「知らない人みたいだね」と小さく呟いてしまう。その私の声が聞こえたんだろう。りっちゃんは「俺は変わっていないよ」と返してきた。

 そのままりっちゃんに手を引かれて、たくさんの木で作られた散歩道のほうへ行くと、りっちゃんが私を振り返る。そして向かい合うと、両手をそれぞれりっちゃんの両手に握られた。私はなんだか上手くりっちゃんの顔が見られなくて、目の前にあるりっちゃんの首元をジッと見つめた。


「香子ちゃん、俺は変わらないよ。

 昔からずっと香子ちゃんが好きで、これからもずっと香子ちゃんが好きだ。

 今はまだ細いけど、もっと腕も太くなって、身長ももう少し欲しい。

 楽しみにしていて、香子ちゃんが余所見も出来ないくらいかっこいい男になるから」

「なんで? そんなに頑張らなくていいよ。私だって昔からりっちゃんが好きだもん」

「香子ちゃん。俺が欲しいのは友達の好き、じゃないんだ」

「え?」


 りっちゃんの言っている事がよく分からなくて、つい顔を上げた。その瞬間。私はまた背筋に電流が走るような衝撃を受けた。

 あの時と同じりっちゃんの瞳。燃えるような熱い何かを込めた視線に射抜かれて、私は思わず震える足で後退していく。

 私が一歩下がると、りっちゃんが一歩詰めてくる。それを何度か繰り返した後……私は背中に当たる感触で、一本の木に行く手を遮られたことが分かった。

 逃げたい。何でもいいからりっちゃんから逃げたい。

 そう思うのに、足はいうことを聞いてくれずにガタガタ震えているし、りっちゃんは手を離してくれない。


「り、りっちゃんっ。手、離して……っ」

「嫌だ」

「私も嫌だぁ~」


 心臓が口から出そうなほど激しく動く。


 痛い。痛いよりっちゃん。心臓が痛いの。手が熱いの。

 ……りっちゃんが怖いのっ。


 ブワッと一気に涙が溢れてしまうのと同時に、とうとう足に力が入らなくて地面にへたり込んでしまった。


「どうして泣くの?」

「だってっ、だってりっちゃんがっ」

「俺が?」

「何で俺って言うの~っ!? りっちゃんはいつも僕って言って、いつもにこにこしていてっ、こんなっ、こんなに怖くないのーっ!!」


 泣きながら手を離せと引っ張っていたら、急に両手を離され、背にしていた木に軽く後頭部をぶつけてしまった。


「何で急に離すのーっ!?」


 もはや八つ当たりでしかない私の言葉を聞いたりっちゃんが、私に覆いかぶさるように頭の上に腕を付く。鼻が触れ合うほどの距離にあるりっちゃんの顔は、何でかとっても嬉しそうで……


「香子ちゃん」

「…………」

「香子ちゃん」

「…………」

「香子ちゃん、返事をしないとちゅうするよ」

「な、にっ」

「香子ちゃん、もう俺が男だって分かったよね?」

「……りっちゃんは昔から男の子でしょ。ちゃんと知っているよ」

「違うよ。そうじゃなくて……ここで、ちゃんと分かったか聞いているんだ」


 ここ、と言いながら自分の胸を人差し指で叩くりっちゃん。それに小さく頷くと、りっちゃんが私のおでこに軽い音を立てながらキスをした。


 私はそれまで、りっちゃんを彼氏だと思っていたけど、りっちゃんを異性として好きではなかった。きっとどこかで、幼馴染の親友という感覚が抜けていなかった。他に好きな男子がいたわけじゃない。だけどそれまで、りっちゃんも含めて、誰にもそういう感情を持っていなかったのだ。そのことが、このときようやく分かった。


 りっちゃんに心臓をこれでもかと揺さぶられ、恋の温度を目に見えて魅せられて初めて……自分が女で、りっちゃんは男。私達は恋人同士なんだと、頭じゃなく心で理解したのだった――


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