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チワワ

 付き合っている人の外見が、誰が見てもかっこいい……それを喜ぶ人ってどれくらいいるんだろう?


 私もイケメンは好きだ。

 男性アイドルグループのバラエティ番組は毎週家族で見ているし、イケメン俳優が出る恋愛ドラマや映画だって大好きだ。クラスにかっこいい男子がいれば、目の保養だなぁと友達とニマニマするくらいミーハーだ。

 でも、それはあくまでも観賞用として好きなわけで、自分の彼氏が周囲の女性の目を釘付けにするのは、精神衛生上とてもよろしくない。




 大学生になってそろそろ半年。

 最初の2ヶ月はとにかく環境になれることに必死だった。でも、最近では高校の頃からやっているバイトのシフトも元に戻せたし、講義も楽しい。付き合い始めて6年目に突入した、とても優しい彼氏もいる。誰がみても今の私は幸せな奴だろう。

 それでも、私にだって悩みはあるのだ――




 私の家は極々一般的な家庭だ。ここ数年ボーナスが減ったと嘆いているお父さんは、勤続年数30年を迎えた普通のサラリーマン。年々丸みが増していくお母さんは、平日はパン工場で働いている。3つ上のお姉ちゃんは、これ以上勉強なんて嫌っ! といって、高校を出てから駅前のレストランでウェイトレスとして働いているし、2つ下の弟は、青春の全てをサッカーに捧げ、毎日フラフラになりながら帰ってくる。

 そんな家の次女で、大学1年生なのが、私、笹原香子(ささはらかこ)18歳だ。




 日曜日の朝6時。

 携帯のアラームに起こされて、何とか頭を覚醒させようと布団の中でもぞもぞ動く。

 今日はりっちゃんとデートなのだ。約束の時間は9時。準備のことを考えたらもう起きないと間に合わない。そう自分を叱咤してようやく体を起こすと、爆発している髪の毛を直すために、何度も欠伸をしながらシャワーを浴びに向かった。


 肩先まである髪を乾かさないままキッチンに行くと、お姉ちゃんが一人で朝ごはんを頬張っていた。


「おはよ~」

「おはよう。早いね香子ちゃん。どっか行くの?」

「うん。りっちゃん家」


 私の言葉に「ああ」と頷いているお姉ちゃんを、正面の椅子に座ってジッと見つめる。そんな私を見て、2枚目の食パンに齧り付きながら、お姉ちゃんが「どうしたの?」と聞いてきた。


「ん~、私もお姉ちゃんと同じ顔に生まれたかったなぁと思って」

「香子ちゃん、お父さんが泣くよ」

「……分かってる。ごめん」

「香子ちゃんの目、私好きだよ。切れ長でかっこいいじゃない」

「……かっこいいじゃダメなんだもん……」


 若かりし頃の母に似ているお姉ちゃんは、大きな目にパッチリ二重で長いまつげの持ち主だ。ハッと目を引く美人じゃないけど、友達から「綺麗なお姉さんだね」と言われる。サッカーにしか興味のない愛しい我が弟殿も、お母さんに似ておめめがパッチリ野郎である。

 私の目はお父さんと一緒だ。どこからどう見ても一重にしか見えない。そのうえ短いし本数の少ない睫毛なのである。姉弟なのだ。三人同じように生んでくれたらいいのにと、ここ半年何度思ったか分からない。

 そんな私は、お化粧にお姉ちゃんの倍の時間がかかる。雑誌やネットで研究したメイクで、弟曰く別人へと変身するのだ。そのための早起き。

 私は小さくため息をつくと、自分用に食パンをトースターにセットした。




 この半年、毎週訪れているマンション。その最上階にある部屋のインターフォンを押すと、すぐにりっちゃんの声がした。


「おはようりっちゃん。香子だよ」

「香子ちゃんっ!」


 声が聞こえるのと同時に開いたドアから飛び出してきたのが、私の彼氏の霧生律也(きりゅうりつや)くん、19歳大学一年生だ。計算された無造作ヘアーを装った寝癖をした彼は、私の顔を見ると綺麗なおめめをホニャンと緩めた。私はりっちゃんのこの顔が一番好きだ。りっちゃんが私の事を好きなんだって、安心できるから。

 今日もそんなりっちゃんの顔を数秒堪能していたら、りっちゃんが私の腕を取って部屋の中へ促した。


「香子ちゃん、今日はどうしよっか。外に遊びに行く? お部屋でまったりする?」

「お部屋でまったりがいい」

「そっか。じゃあそうしよう」


 本当は観たい映画があるし、買い物だって行きたい。駅前に出来たイタリアンレストランでランチが食べたいし、大学の近くにあるカフェの新作ケーキも一緒に食べたい。でも、それをりっちゃんと出かける勇気がもてないのだ。




 私とりっちゃんの出会いは、言葉も話せない頃。私のお父さんとりっちゃんのお父さんが親友で、昔から家族ぐるみの付き合いだったという……早い話が幼馴染だ。

 私にとってりっちゃんは家族の一員のようなもので、お姉ちゃんも弟も、きっとそう思っている。保育園も小学校も中学校も。中学二年生の半分までは、私とりっちゃんはいつも同じクラスで学んだ。

 私たちはいつも一緒にいたから、クラスでからかわれることもあったけど、だからってりっちゃんと離れようと思ったことはない。勉強も遊びも、りっちゃんがいないとつまらないもの。私にとってりっちゃんは、男とか女とかではなく、りっちゃんという唯一無二の親友だった。


 私達の関係が変わったきっかけは、りっちゃん家族の引越しだろう。

 りっちゃんの両親は、いわゆる駆け落ち結婚をした人たち。りっちゃんのお母さんの実家が、隣の県でとても有名なおうちなのだ。世界的にも名前が知られている電子機器メーカーの創始者一族で、地元に大きな工場を造っていて、雇用などで地域に貢献している。

 私のお父さんとりっちゃんのお父さんは、大学進学でその町に住んだ。そして同じ大学に通っていたりっちゃんのお母さんと出会い、二人は恋に落ちた。それでまあいろいろあったらしいんだけど、大学の卒業間近に二人の関係がおばさんの家族にばれて、大反対を受けてしまったんだって。で、無理やりお見合いをさせられそうなおばさんを、おじさんが奪い去り、こっちに戻ってきた。そんな漫画の世界のような恋愛をしたりっちゃんの両親は、今でもラブラブ。

 でも、やっぱりおばさんはいつか家族と和解したいってずっと思っていて、おじさんもおばさんを家族から引き離してしまったっていう罪悪感があった。だから、おばさんたちは季節毎に実家に挨拶に行っていた。最初は門前払いだったけど、りっちゃんが生まれてから向こうの態度が段々緩和されてきて、とうとう私達が中学二年生になった頃に完全に仲直りをしたのだ。

 もともと、おばさんたちの反対をしていたのはおばさんのお父さん……りっちゃんのお祖父ちゃんだけで、お祖母ちゃんや伯父さんはずっとおばさんたちの味方だった。お祖父さんは誰よりもおばさんを可愛がっていたらしいから、もしかしたらおばさんに裏切られたような気持ちだったのかな? 飼い犬に手を噛まれるって言葉もあるし。そんな感じだったのかな?

 まあとにかく、りっちゃんの家族を長年悩ませていたことが、全て解決した。

 ……ら。次は何とお祖父さんは、りっちゃんたち家族にこっちで暮らせと言ってきたのだ。おじさんに自分の会社で働けばいいと迫り、おばさんたちの情を揺さぶる攻撃をしてきた。

 結局、せっかく仲直りしたのにまた険悪になるのは……っということで、りっちゃんたちは隣の県へと引っ越していった。それが中学二年生の夏休みの出来事。


 りっちゃんが遠くに行っちゃう。そのことが私は当然悲しかった。お姉ちゃんと弟と一緒に泣いた。でも、私達以上に泣き喚いたのはりっちゃんだった。


「嫌だっ! 僕は絶対に行かないっ! 父さん達だけで行けばいいんだっ!!」


 そう言って私の手を握り締めて泣いた。私は最初はその事が嬉しかった。りっちゃんも私と同じ気持ちなんだって思って。でも、りっちゃんが反対するためにハンストを始めたとき、私はりっちゃんを説得しなくちゃいけないと決意した。


 りっちゃんたちが夏休みに引っ越す。その話をお父さんから聞いて一週間が経った時。学校で朝の集会の最中、りっちゃんが倒れた。クラスの先頭に立っていたりっちゃんの様子は、後ろにいた私には見えなくて……。必死に背伸びして見えたのは、先生に運ばれる真っ白い顔をしたりっちゃん。そのまま早退したりっちゃんが心配で心配で、私は授業が終わると部活をサボってりっちゃんの家に走った。

 ゼイゼイいいながらインターフォンを押すと、おばさんの声がする。カメラ越しに私を確認すると、すぐに玄関を開けてくれたおばさんは……私の顔を見るなりその場で泣き崩れてしまった。


「か、香子ちゃん……っ、律也がっ」

「そんなっ、おばさん、りっちゃんがどうしたの!?」


 その姿を見て、私はりっちゃんがどんな病気になってしまったのかと泣きそうになりながらおばさんに聞いた。なのに両手で顔を覆ったおばさんから言われたのは……


「律也がご飯を食べないのっ!」

「……はあ?」


 おばさんは、間抜けな返事をした私を、涙で濡れた目で見上げながら説明してきた。金曜の夜から月曜の夕方である今まで、りっちゃんが一切食事をしていないのだと。


 最初、引越しをやめるまでご飯を食べないとりっちゃんが宣言をしたときは、おばさんたちも一日経って空腹に我慢できなくなったら食事をするだろうと放っておいた。それがまさか倒れるまで続けるなんて思わなかったのだ。しかも、りっちゃんは学校で倒れて早退してきたのに、今も何も食べずに部屋に篭っているらしい。部屋に鍵をかけ、おばさんが持っていく食事を拒否し続けている。

 それを聞いた私は、りっちゃんの部屋へと行くと、扉を思い切り蹴っ飛ばした。私の足の痛み分響いた音に、おばさんが背後でおろおろしていたが、私は扉を見つめたままりっちゃんに向かって叫んだ。


「りっちゃんっ! 律也!! 今すぐ出てこいっ!」


 部屋の中から何かが床に落ちる音や、何かがぶつかる音がした後。勢いよく開いた扉の先には、真っ白な顔をしたりっちゃんが立っていた。


「香子ちゃん!? どうして……」

「りっちゃんが心配でお見舞いに来た。まさかハンストしているだなんて思わなかったからね」

「香子ちゃん、ごめんね。僕は大丈夫だから」

「りっちゃん。なんでこんなことをしてまで嫌がるの? 私だって寂しいけど、家族をこんなに心配させてまで我儘を通したって、何もいいことないよ? 何より……りっちゃんが心配だよ」


 じわっと目に浮かんだ涙をそのままに睨むと、りっちゃんは私以上に涙を流しながら私の手を両手で握り締めた。


「ごめん。ごめんね、香子ちゃん。心配かけて」

「私以上におばさんが心配しているんだよ」

「母さんなんか知らないよ、自分達の都合で勝手なことばかり言っているんだから」

「律也……」


 りっちゃんの言葉を聞いたおばさんは、青ざめた表情のままりっちゃんを見つめている。それなのに、りっちゃんはおばさんを見ようとしなかった。

 このままりっちゃんがハンストを続けるのは、りっちゃんにもおばさん達にもよくない。そう思った私は、本当に言いたいことを心の奥にしまって、りっちゃんに話をした。

 確かに私達は親の都合に振り回されることがいっぱいある。でもしょうがないじゃない、私達はまだ子供なんだから。親は私達を振り回すけど、私達を守って育ててくれているんだ。そうりっちゃんに言うと、りっちゃんは暫く考えた後「……ごめん、母さん」と小さな声でつぶやいた。でも、おばさんにはしっかり聞こえていたようで、誰よりも涙を流しながら首を縦に振っていた。


「律也、スープを作ってあるから、ね、食べましょう?」

「……うん」

「すぐ、すぐ温めるからっ! そうだ、香子ちゃんも夕飯を食べていって? 美登里さんには電話しておくから、ねっ」

「うん」


 キッチンへと急ぐおばさんの背中を見送っていると、私の手を握ったままのりっちゃんが、急にその力を強めた。


「イタッ、りっちゃん痛いよ」

「香子ちゃん、僕、お祖父さんの所に行くよ」

「うん。私、お小遣い貯めて遊びに行くから」

「僕も帰ってくる。電話もする。だから……僕を忘れないで」

「りっちゃんを忘れるわけないよ。親友なんだから」


 私にとって当たり前のことを言われて、笑いながら答えた。けどその途端、りっちゃんの顔が強張る。


「親友? 僕は香子ちゃんの親友なの?」

「勿論っ! りっちゃんは私にとって昔から一番の友達」

「僕は……男だよ」

「知ってるよ?」

「そうだね、香子ちゃんはちゃんと知っている。ただ、分かっていないんだ」

「りっちゃん?」


 一度私から視線をそらし下を向いた彼は、私の手を握っていた手を解くと、次は指を絡めるようにして握りなおした。そのまま繋いだ手を口元に持っていき、私を見上げてくる。頭半分ほど下からのその視線に、何故か私の足が震えた。

 まずい。何がなんて分からない。ただ、この空気は危険だ。何か言わなきゃと思うのに、今声を出すのは何かを壊してしまいそうで……。りっちゃんに見つめられたまま、自然と後退していった私は、背中に廊下の壁が当たった所で足を止めた。

 目を逸らしたいのに逸らせないままりっちゃんと見つめ合っていると、りっちゃんが繋いでいないもう一方の腕で、私の顔の横に勢いよく手を着く。その音に、その勢いに、その為に近づいたりっちゃんとの距離に……体が震えて心臓が煩い。耳鳴りがしているのかというほど煩い鼓動。その中でもりっちゃんの綺麗なアルトの声は聞こえてきた。


「香子ちゃん。僕、早く大きくなるから。

 大きな手で、香子ちゃんの手を引けるように。

 大きな体で香子ちゃんを包めるように。守れるように。

 だから僕と付き合って……僕の彼女になって?

 ずっと、小さい頃からずっと。僕は香子ちゃんが好きなんだ」

「……いや、あの、その、りっちゃんは……」

「香子ちゃんは、誰か好きなやつがいるの?」

「そんなっ、い、いないよっ」

「なら僕と付き合って」

「でもっ」

「…………香子ちゃんは、僕が嫌い……?」

「まさかっ!! 大好きだよっ!」


 今までの様子を一変して、いつものように目をうるうるさせて見つめられた途端。私は体の震えも忘れて、思い切り叫んでいた。ふわふわの髪の毛と大きな目をうるうるさせているりっちゃんは、まるでチワワのように愛らしいのだ。いや、チワワよりずっとずっと可愛いのだ!!

 大好きだと私が叫ぶと、りっちゃんはとっても嬉しそうに「ならOKだよね」と私に抱きついた。あれ? と思ったけど、何となく拒否する言葉が言えないまま……


 笹原香子13歳、中学二年生の初夏。初めての彼氏が出来た瞬間だった。


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