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短編

オルゴール

作者:


 なんか全体的に、以前の作品と似たようなものになってしまった気がする。


 テーマ:オルゴール


 この世界に生を受けたばかりの頃は、見えるものは少なかった。ふかふかで雪のように白い毛布の上で寝、ふと目を覚まし、木製ベッドの柵よりも母に抱かれたくて泣く。電灯を付け眠い目をこすりながらも、慈しんだ笑顔を浮かべて持ち上げ、背中を叩いてくれる。どれだけ時間が経ってもくっついたままで、離れまいとしていた。大好きだったのだ。

 その傍らにいつも、無愛想な顔をしてたっているあの人は――父は、わたしの頭を、壊れ物に触るように、震える手で撫でるのだ。そっくりだなって、すこし悲しそうに見るのだ。心の中では、どこからか立ち込める黒い霧がその度に濃くなるようで、わたしは父が苦手だった。



 ぜんまいが巻かれる、ぜんまいが――。



 母に触れると安心する。香りがすると落ち着く。声を聞くと眠くなる。わたしはいつも母についてまわった。掃除をするとき、料理をするとき、買い物に行く時……全部だ。となりをちょこちょこ歩いていると近所のおばさんたちに囲まれて、ママに似て綺麗ね、って言われる。嬉しかった。大好きな母にそっくりだって、言ってもらえたから。見上げると、母も嬉しそうにしていた。見ているわたしに気づくと、綻んだ笑顔で頭を丁寧に撫でた。くすぐったくて笑うと、母は一層幸せそうな顔をした。

 母を挟んでわたしの反対側に、いつも父はいた。まるで母を守る騎士ナイトのように、頑として母の右にいた。父はわたしを見るといつも何か言いたげに口を開くけれど、途中でやめてしまうから、わたしはいつも其の言葉を読み取ることができなかった。



 ゆっくりと巻かれる。だんだん重くなる――。



 学校に通うようになり、わたしは毎晩のように学校のことを話した。母は最初は近くの学校に通うことが不安に思っているらしかった。わたしは、唇を見ればわかるから、と無理を言って最後まで通わせてもらった。たくさんの人がいて練習になる、それに先生もいるし大丈夫だ、と。その甲斐あってか、高学年になってようやく、父の言葉を拾うことが出来るようになった。

 父はときどき、つらくないか、不便じゃないか、とわたしに言うようになった。わたしは、遅々と意思疎通は出来ても、未だ取り巻くこの空気が苦手で、いつも指が震えていた。



 やがて手を離す。でもわたしには……おれにはなにも――。



 高校生になり、周りに釣られて一人称が変わった。幼い頃は世話焼いたり母性で寄る女の子が多かったせいか、その影響も強かった。でも流石に十代半ばになると、男ならではの悩みも出てくる。誰にでもあることだ。雑誌やポップカルチャー、好きな女優やモデル。友人たちによって早口で語られていく文化は、おれが飲み込むスピードをはるかに上回る。指も追いつかない。視線もだ。常に周囲に気を配っていなければならない。いくら空気の振動が人より感じられるといっても、大人数がいるところではその微細な動きもわからない。だけどなんとかついていけた。それも話を聞いてくれた母のおかげだ。

 父はというと、昔から変わらず口数が少なかった。次第に自分から話しかけることが少なくなった。



 空気が振動をやめる。それきりだ。もう触りたくない、見たくない。おれはそれを暗い部屋の隅へなげ、膝を抱える。

 聞こえない、何も、自分の声も――。



 大学、そして院を経て、ついに職を手にした。就職先は大手製薬会社だった。しょっているリスクは大きかったけれど、それをカバーできる以上の技術と才が認められた。おれは自分の求めていた未来に向かって、小さくも大きな一歩を踏み出すことができた。でも、それから間もなくして、母が死んだ。事故だった。車に撥ねられたんだ。

 父とよく話すようになったのは、皮肉にもそれからだった。母の右耳には聴力がほとんどないことも、その時知った。事故は車がすぐそばまで来ていたのに気付かなかったからだ、と。当然、どうして言わなかったのか問い詰めた。父は震える唇を開いた。おれは持つすべての神経と視線をそこに集中させて、その言葉を拾い上げた。


『言って、お前に何が出来た? 全聾のお前に』


 そこから先は、視界がゆがんでしまってわからなかった。でも、何か言いたげな顔をしているのはわかった。おれは乱暴に目元を拭い、リビングから飛び出した。途中柱にぶつかりながら、自分の部屋に逃げ込んだ。遠い昔に母のくれたオルゴールを手に取り、ぜんまいを巻く。神経を耳にとがらせて、小さな箱を顔の横へ持ち上げる。でも何も聞こえない。聞こえなかった。鼻水としおからい涙でまみれた顔を、お気に入りのTシャツで拭いた。ぐしょぐしょになったそれを抱きしめ、振動しなくなったそれを部屋の隅へ投げた。すぐそばにあったクッションに顔を押し付け、ドアに持たれるようにして膝を抱えた。


 背中越しに、ドアがノックされたのがわかった。でも出れない。こんな姿を晒す勇気がなかった。しばらくすると父が去った。おれはクッションからわずかに顔を上げ、目のなれた暗い室内を見渡した。立ちあがろうと手を付くと、指先に紙のようなものが触れた。拾い上げて、伏せられたそれを裏返す。


『オルゴール。母さんがお前にいつか聴かせるんだって言ってた』


 やけにきれいな楷書で紙に書かれていて、その端にはソースみたいな物が散っていた。

 膝をついたまま、何処かへ行ったオルゴールを探した。積んであった本を崩し、放ってあった服を退け、やっとの思いで見つけた。焦る気持ちを抑えきれず、溺れた視界でぜんまいをまわす。かすかな振動がどうしようもなく心地よくて、おれはそれを頬に当てたまま目を瞑った。

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