009 婆と爺と豚
「いらっしゃい、よくきたわねえ!」
テッドと別れたグウェンとフィンチを出迎えたのは、姦しい声だった。オペラ歌手も感嘆の声を上げそうなソプラノボイスを響かせるのは、アフロパーマの女だ。五〇代だというのに活力に漲る姿は、年齢に見合わない若さを感じさせる。
「ハァイ、アビー。可愛いエプロンね」
グウェンは言い、アビーの両頬にキスの挨拶をする。
「うふふ、いいでしょこれ。教会のバザーで発掘したのよ」
アビーは玄関先で嬉しそうにくるくると回った。躍動感のあるステップにあわせて、少女趣味のエプロンがドレスのように、はためいた。彼女は可愛い系グッズを集めるのが趣味で、誰かに見せびらかしては悦に浸るのが日課だ。
グウェンの褒め言葉に上機嫌となったアビーは、突然の来客を快く迎えた。
「あなたもそのコート良く似合ってるわぁ。私のサイズ感に狂いはないんだから」
「ふふっ、重宝してる」
「そうだわ! あなたたちお腹減ってない? ちょうどチーズミートパイを焼いてたの。食べていくといいわ! うん、そうしなさい。ウィルも喜ぶわ!」
マシンガンのように次々と発せられる言葉に、グウェンは顔をほころばせた。
「ほんと? やりぃ、お腹と背中がくっつきそうだったのよ」
「さぁさ、上がって。フィン? この家は禁煙だからね」
「あいよ」
二人は遠慮なく玄関をくぐった。
ミルトンの住む家はマンチェスター南東マックルズフィールドにある、ごく一般的な造りの中古デタッチド・ハウスだ。
イギリス人のお国柄は、新築の家よりも十九世紀半ばのヴィクトリア朝時代、大英帝国時代の歴史ある家に住みたがり、そしてさらに古い年代の家があるなら、そっちを選ぶ――というのは前世期までのトレンドで、時あたかも情報先進国となった現在の主流は、徹底的に近代改修の加えられたコンパクト・ハウスだった。
外装こそ伝統あるデタッチド式だが、一歩足を踏み入れれば、表からの印象はがらりと変わるのがミルトン宅だ。
玄関から廊下、リビングにダイニング――その内装はアビーの個性がふんだんにあしらわれていた。ピンクを基調とした壁紙に、ポップな色彩のデザイナーズ家具。キャラものの電化製品が、灰汁の強い主張をそこかしこで放ち、慣れなくとも目がちかちかするレイアウトをしている。少女趣味全開のアビーズ・セレクションだった。
キッチンから炒めたひき肉の香りが漂っている。
ふらふらと匂いのもとに歩を進めるグウェンを尻目に、フィンチはテレビの前のラウンジチェアに坐る老人に声をかけた。
「元気そうじゃねぇか、ウィル」
ウィルと呼ばれた老人は老眼鏡を外すと、狙撃銃専用ケースを担いだフィンチに、サンタクロースのような赤ら顔を向けた。
「おお、アダムじゃないか。なんだ、久しいなあ」
膝上のタオルケットには携帯ゲーム機が置かれている。それを見てフィンチは眉根を上げた。
「まだ、そんなのやってんのか。関節炎になっても知らねえぞ」
「マイクがやたらと薦めてきてなぁ。痴呆予防には一番だと。優しい子だ」
マイクとはミルトンが現在名乗る偽名だ。
ウィルは目線をゲーム画面に戻すと、一時停止を解除して遊び始めた。アナクロなデジタル音が漏れ出し、BGMに合わせて必死に指を踊らす。
「それで? 今日はどうしたね。偽造パスポートでも作りに来たか?」
事もなしに危険な発言をするウィルに、フィンチはただ「いいや」とだけ答えた。
家の内装も住人も一般家庭を彷彿とさせるが、グウェンたちが関わる以上、もちろん一般人で在るはずもない。
ミルトンをはじめウィル、アビーもまた何らかの違法活動に手を染めている。従事としないのは、彼らがフリーランスの便利屋だからだ。もっともウィルとアビーは高齢を理由に、半ば隠居生活を送っているが。ちなみにウィルは偽造屋を営んでいた。
彼は金銭の額で、引き受けた仕事にかける腕の良し悪しを決める。そういった意味では、ウィルにとってフィンチたちは上客だった。
「……問題を抱えてるみたいだな。お前さんの顔に書いてあるぞ。仕事は歓迎するが、トラブルの持ち込みは遠慮してくれ」
「ポーカーフェイスは苦手でね。まぁ、迷惑は掛けんさ」
溜息交じりに頭を掻く男を見て、ウィルは目尻に皺を寄せて笑った。それから、キッチンでミートソースを味見しているグウェンを見て「あの子は相変わらずマイペースだな」と声を落とした。
「出来たミートソースをパイシートによそって……うちはクリームチーズを乗せるの。これでオーブンで焼けば完成」
「何分ぐらい?」
「えっとね、十五分くらいかしら。古いからね」
そう言ってアビーはオーブンのつまみを右一杯に回した。次に芯を抜いたレタスを手で剥がし、銀のボウルに敷いていく。
「それでね? ウィルったら、庭のレモンの木に毎朝オシッコかけてるの。肥料になる、もったいない精神だって。汚いったらないわ、もう!」
「一つ聞くけど、そのレモンスライスは?」
「や~ね! ちゃんとしたスーパーで買ったやつよ。 庭のは観賞用! あの人ったら普段がおおざっぱなのよぅ、あたしがうちの男どもの靴ひもを縛ってるんだから」
サラダの調理に掛かった彼女に、グウェンが用件を伝えた。
「それでミルトンはいる? 話があるの」
アビーはその言葉に目をパチクリさせると、おかしそうに笑った。
「いるもなにもあの子は、滅多に自分の部屋から出てこないわよ~。そろそろ運動させないと19号になっちゃう!」
「19号?」
「メタボのこと」
アビーは手を軽く洗い流し、エプロンの裾で拭くと、冷蔵庫の横に設置してあるマイクロホンを取った。トークスイッチをONにすると、軽いハウリングが走る。
「マイク! お客さんよ、マイク! マイクっ!」
立て続けに名前を連呼するが返事がない。彼の部屋に繋がっている拡声アンプからは騒音にも似た呼び声が出ているはず。アビーが呼吸を整え、いざ咆哮さながらの呼び掛けをという間延びした一瞬――いつの間にやら後ろに立っていたフィンチが、彼女の肩に手を置いた。
「……いいって、押し掛けるからよ」
これ以上、耳を痛めるのは勘弁だった。
「あらそう? じゃあ、ご飯出来たら呼ぶわね」
口笛を吹きながら戻っていくアビーを見送り、二人は階段をあがる。ミルトンの部屋は、以前にも入ったことがあるので場所は分かる。二階の突き当たりの部屋だ。
「ミルトン、生きてるか?」
セキュリティ・ドアを強めにノックする。だが、返事はない。グウェンとフィンチは顔を見合わせた。
「あいつ、死んでるんじゃない。心臓発作とか」
「縁起でもないこと言うな……ありえるが」
フィンチは扉の上部に手をかざし、特脳を発動させた。
プログラムを受けた特脳者は、二つの段階を経て個人特有の能力を発現させる。
第一フェーズ[プライマリ]
特殊な環境下において、自身の周囲の電磁界および対象の特化脳力場を読み取れる。また、簡易的な干渉を可能とする段階。
第二フェーズ[セカンダリ]
局所的な複数の相互作用(被験者の性格、過ごしてきた環境、現実世界への反映度の因子)が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないような特異磁界が創発される。
創発現象の塊である生命個体が、突然変異や交差による遺伝子の組み合わせによって、思いもよらぬ力を獲得する段階。
グウェン、フィンチ、テッドはセカンダリ到達者だ。各々が、ケーキハウスの戦闘で用いた特脳が第二フェーズにあたる。そして、第一フェーズを踏破している彼らは、プライマリ段階の力場操作も当然ながらできるわけで――フィンチはかざした手の中の磁場を、扉内部のデッドボルトを中心に、強磁性へと強引に動かした。磁性体とは磁場をかけると磁力を生じる物質のことだ。
腕を右にゆっくりと動かすと、セキュリティ・ドアにびっちりと食い込んだデッドボルトが歪な金属音を鳴らした。
「器用ねぇ」
「弾でぶち抜くわけにもいかんしな」
部屋の主を守るセキュリティ・ドアは鋼鉄製で、それはおよそ、この家の外観からは似つかわしくない代物だった。子供の腕の太さはある筒状のボルト錠が壁から抜け、何日間も換気をしてないであろう、淀んだ空気が廊下に漏れる。
汗と果物とソースを織り交ぜたような臭いに、グウェンはたまらず鼻をつまんだ。
匂いに色がついてるみたい――清澄な色じゃない。どちらかと言えば黄土系の色だ。ミルトンの生息地としてはじゅうぶん納得のいく場所だ。グウェンは心底そう思った。
珍獣ミルトン。
電子世界の革命戦士。
呼び名は幾つもあれど、その実態はひとつ。過去に大国アメリカを相手取り、重要軍機密情報を上院軍事委員会から丸ごと盗み、それを敵対国家、軍需企業、違法活動監視NPOにばら撒いた凄腕のハッカー。
〝ミルトン〟とは『失楽園』の著者、ジョン・ミルトンから取ったハンドルネームだ。服従よりも自由に戦い、敗北の道を自ら選んだ豪毅の英雄ルシファーの詩に感銘を受けたらしい。
特一級の犯罪者であるミルトンであるが、彼はオッドフィッシュの工作によって死亡したことにされている。有り体に言ってガス爆発による焼死。いざ、身柄確保と張り切っていたアメリカの官憲はさぞや吃驚しただろう。玄関をノックした瞬間に建物が発火したのだから。
火災現場からは薪炭と化した死体がひとつ。
偽造された死体に偽装された事故――特殊工作はグウェンらの専売特許でもある――により、彼の身柄は機構が確保しており、ミルトンはその頭脳を〈特殊実験群:戦闘適応班〉に提供し、その見返りとしてこの国での安全な暮らしを保障されているわけだ。
「げふっ、こ、こりゃひでえ匂いだ。おい、ミルトン! 生きてんのか!」
室内は真っ暗だった。
いや、奥の方からうっすらと照明が漏れていることを見るに、ミルトンはそこだろう。部屋の隅には、ガラス戸で仕切られた箱の中に巨大なサーバーがある。密閉されてるというのに冷却ファンの音がやけに騒がしい。壁にはアニメやら映画やらのポスターが所狭しと貼ってある。部屋の中央には二つの棚が並んでおり、数多のフィギュアがみっしりと飾ってある。
その間に置かれたティーテーブルの上には、数冊のポルノ雑誌と食いかけのピザきれ、炭酸ジュースの缶がのっている。カウチには、かつては白かったであろう生地に、黄ばんだシミがいくつも斑点となっている枕がかかっている。
「おえっ」グウェンがえずいた。
床に転がるコーラの空き缶を踏みつけながら奥へ進む。
天井一体型のエアコンが、冷気を満遍なく送り込み、室内は腐りかけの食材を放置した冷蔵庫のようだった。
「野生の豚でも、もうちょいマシな生活してる」
鼻をつまみながらグウェンが言った。
その時だった。
馬の一声高い、いななきが二人の耳を掠めた。
それに合わせて微かに聞こえる椅子の軋み。
果たして、そこにいたのは、予想通りミルトンであり――ある意味では、二人の思考を停止させる奇天烈な光景が眼前に広がっていた。
こちらに背を向けたミルトンの前には液晶ディスプレイ。耳にはヘッドホンを装着しており、文字通り、アビーの叫びもフィンチの呼び掛けも全く気付いてないのだろう。
画面に流れる映像にグウェンは思わず噴き出した。
それは獣姦ムービーだった。馬と中年男の絡み合い。
横ではフィンチが肩をすくめている。
そうだ、こいつはこういう馬鹿だった――フィンチは先程まで、ほんのナノ単位程抱いた杞憂をかなぐり捨てた。
机に手を掛け、汚い尻を突き出した中年男に、黒光りする馬の巨根が狙いを定める。ミルトンはそれを、はらはらしながら見守り、唾をごくりと飲み込む。
『アオォオッ!』
ずぶりと、ぬめったイチモツが男の尻に沈んだ。
「おい、変態豚」
フィンチが椅子の背もたれを蹴りあげた。
「あおぉおっ!」
余程、驚いたのか奇声を発しながら、椅子から転げ落ちた。ヘッドホンのコードが伸び、画面に繋がれていたプラグが外れる。
聞きたくもない中年男の嬌声。荒ぶる馬の鳴き声。人と馬が折り重なったハーモニーが部屋に広がる。
「おっ、お前いつの間に入ってきた!」
「その前にズボン履け」
慌てふためくミルトンにフィンチがジャージを放った。見れば、彼の下半身は白いブリーフ一丁姿だ。二人に気付かなければ、そのままナニをしていただろう。
渋々、ジャージに手を伸ばす男――ミルトンは一〇〇キロを軽く超える肥満体をしており、油でべたついた茶髪を後ろで束ね、荒い呼吸を繰り返す様はまるで豚のよう。アビーに何から何まで世話になっている養殖豚だ。天然ものでも、もっとマシな生活をしてるものだ。
そして、一際目立つ特徴がその顔だ。不細工では決してない。むしろその逆、ぱんぱんに膨れてはいるが、痩せたらモデルも目指せる端整な目鼻立ちをしたイケメン風なのだ――二重顎ならぬ三重顎がすべてを台無しにしているが。
「ぶふっ」
耐えようにも耐えきれずといった風に、グウェンは息を溢す。
「ひぃ~、ぶっひゃははは! ば、馬鹿だコイツ、せ、性癖がミラクルブッ飛んでる! あは、あははっ、もうだめ、お腹痛い、死んじゃう~!」
壁に寄り掛かったグウェンの何をくすぐったのか、彼女は肩を震わせて笑っている。ミルトンは彼女のお気に入りだ。彼の痛快な生き方は、見る分には最高だからだ。
「横隔膜が! 横隔膜が、やばいっ」
「……やぁ、グウェンじゃないか。久しぶりに君の顔を見れて嬉しいよ」
「あっははは! なにカッコつけてんの、この子! ブリーフ丸出しで! ぷっははっ、まっ、マイリトルポニーでもイケんじゃない? ぎゃははっ!」
グウェンを視界の端に見咎め、急いで体裁を縫うが後の祭り。そもそも、産毛が逆立つ太ももを女性に晒している時点で色々と終わっている。
「……」
グウェンの指摘に顔を紅潮させながら、ミルトンは黙ってジャージを履いた。そして、震える指先でマウスを動かし、未だハッスルする映像をそっと閉じた。