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004 刹那の襲撃

 七〇年代に大量に押し寄せてきた移民を『保護』という名目で隔離した集合住宅の名残が、現在のケーキハウスである。正式名称は〈レイランド国立移民収容アパート〉といった。だが誰も覚えておらず、住民もそれでいいと考えている。

 フロア(ごと)に一〇部屋が連なる十二階建てアパートが八棟。上空からだと二棟すつ辺を造り、正方形をかたどっている。建物の周囲は現在も金網で囲まれている。内と外、それぞれのコミュニティが没交渉で暮らすための超えてはならない一線(レッド・ライン)というわけだ。

 アパートの壁は元々黄色で塗装されていたが、当時の住民はこれを黄色人種への差別だと反発。若者が中心となり、外壁や内壁、屋根から階段まで色とりどりの塗料を塗りたくった。その結果、八棟からなる高層構造の集合形態は、遠目から見るとさまざまな果物を詰めたフルーツタルトの外観を演出して見せた。

 もっとも見た目はポップだが、地元住民は誰もケーキハウス付近には近寄らない。外国から流入した不法移民がコミュニティを形成し、さまざまな犯罪の温床となっているからだ。ドラッグの売買から売春婦の斡旋、強盗、誘拐、果ては殺人――多様な商売ギャングが入り乱れ、暗澹(あんたん)とした地区となっている。

 そして――危険を度外視するならば、息を潜める場所としてうってつけでもあった。




 ソーセージが焼き網の上でじゅうじゅうと音をたてた。白い煙とともに香ばしい匂いが部屋中に広がっていく。肉汁が火で焙られ、油がぱちんとはじける。

 その様子を眺めるのは二人の男。

 調理はリビングで行われていた。キッチンを使用しないのは、ガスコンロのつまみが故障して使用できないからだ。調理機材は、隣室の薬物中毒者から借り受けたガス吸引用の乱交パーティーグッズ。

 リビングの中央に、小型のバーベキューコンロを置いて、遅い朝食の準備を進める。表面に焦げ目ができるのを見て、どちらともなく喉を鳴らした。

「なあ、もう食べ頃だろ。これ以上焼くと消し炭になっちまう」

 上下がラスタカラーのジャージ姿の男が、銀のトングを持つ胡麻塩頭の男に腹の虫を訴えた。胡麻塩頭の男はうんざりといった顔で首を振った。

 肉は焼き加減一つで味が変わるというのに、いちいち調理に口を出される側としたらたまったものではない。そも、このウインナーは横でぼうと眺めている男の分はない。焼き始めてすぐに匂いに鼻孔をくすぐられたのか、のそのそと隣に這い寄って来たのだ。

「もう十分火は通っただろ? 食っちまおうぜ、なんでも程々が丁度いいのさ」

 なおしつこい横やりに、いい加減嫌気がさしていく。トングの先端をかちかちと二、三回鳴らすと強い語気で、

「黙れ、コナー。これが俺のお袋の焼き方だ。ケチつけんじゃねえ。それにこの肉は俺の朝飯だ。ゲストの分はない」

「そう言うな、ジャック。朝はいつもシリアル派だが、こう、いい匂いをぷんぷんばら撒かれちゃあ、たまには主義を変えたくなるってもんさ」

 ジャージの男――コナーはポケットに手を突っ込み、へらへらと笑った。その態度にトングを握る男――ジャックの顔は、ますます不景気なものへとなっていく。

 いい加減、怒鳴りつけそうになったその時、バスルームから薄い髭を生やしたスキンヘッドの男がリビングへと入ってきた。

 携帯端末を耳に当て、訛った言葉で通話先に何度か相槌を打ち、用件が済んだのか、端末を耳から離すと、視線をコンロを囲む二人に向けた。

 そして渋い声色で言った。

「先方と話がついたぞ。サウスポート港に停泊中の貨物船に乗せてくれるそうだ。昼過ぎにここを出て、あとはおさらばだ」

 その言葉を聞いて、コナーは口笛を吹いた。

「さすがだぜ、我らがリーダー様は。ちょいと歯車が狂ったが何の問題もねえ。あんたについてきて正解だったぜ」

「コールマンはどうする? 放っておくのか?」

 ジャックがウインナーを返しながら、スキンヘッドの男に問いかけた。赤茶色だったウインナーの表面はヴェリーウェルダンといっていいほど、こんがりと焦げている。

「爆破事件が何件も起こっているのを見るに、コールマンが俺たちを嵌めた線は高い。恐らく、セーフハウスに侵入した連中も、奴が手引きしたんだろう。あそこを用意したのは奴だからな」

 スキンヘッドの男――ショーンはチームの頭脳であった。

 この商売、一歩間違えれば命を失う。にもかかわらず今日まで生き延びることができたのは、常に感情を排して思考し、集めた情報を基に〈事故死偽造(スーサイドショップ)〉の方針を的確に下せるショーンのおかげだ。

 別にスリルを求めて、この稼業についた訳ではない。他に仕事がなかっただけだ。リーダーが誰であろうと、五体満足で食い繋げるならそれでいい。


 ショーンはほんの数週間前の過去を振り返った。

 灰色のビル群が乱立するロンドンにて、それなりに良好な付き合いをしていた仲介人から紹介されたのが、自身をコールマンと名乗る片目が義眼の男だった。

 ぴっちり整髪した頭に、細面でオフィス顔(・・・・・)をしたコールマンは、見るからに敏腕ビジネスマンといった風体だった。

 彼の仕事については企業専門のトラブルバスターと聞かされた。

 企業が事業を進める上で発生したトラブル/緊急性が高く、通常の手段では解決困難な案件に対して、迅速かつ秘密裏に処理できる技能要員(プロフェッショナル)を派遣し、手数料を得る。どの業種にも存在するブローカーというものだ。

 報酬は五万USドル。割高でもなく安く見積もられてる訳でもない……相応の適正価格というやつは安心感がある。依頼を受諾、コールマンの手引きで今回の仕事の依頼人と顔を合わせる。依頼人はとある企業の大物、依頼内容は彼らにとって不都合な人物の暗殺。やり方は任せるが、地味目をご希望とのことだった。直接依頼人と会ったのは一回だけ。あとは電話で二回連絡を取っただけだ。

 標的の行動パターンを把握するためにスリーマンセルでの尾行を行う。朝九時に自宅を出たところから車で後をつけた。

 車間距離を三台分とり、ウインカー表示の動きに神経を使う。標的の車が曲がったら、その五秒後にこちらも曲がる。ルームミラーやドアミラーとの位置取りに十分気を配り、ウェッソンマーケット付近の入り組んだ側道に標的は停車した。

 これで週に四回目だ。

 降車した標的は革製の鞄を手に持ち、そのままマーケットの中心部へと歩いて行った。ショーンは仲間に連絡を取る。すでに先回りしている彼らが尾行を引き継ぐ手筈だ。人気のない路地をくまなく見渡す。駐車違反切符を嫌ったのだろう。入り組んだ路地の奥までパトロールするほど、この国の警官は熱心ではない。四方は窓のない民家に囲まれ、露店通りの喧騒から孤立したエアポケットとなっていた。

 標的が降車した瞬間を狙って、背後から近づき、物取りの犯行に見せかけて射殺する――ショーンの脳裏に、最適解の殺し方が導き出された。

 この方法が、最も安全で最も確実だ。

 ショーンは標的が馴染みとしているウェッソンマーケット中心部にある喫茶店へと足を向けた。それにしても、と思う。ここまで面倒な駐車をしてまで足繁く通う店ならば、さぞかし美味いコーヒーが飲めるのだろう。コーヒー党の彼としては今回の仕事後にでも、一度その店を訪ねるつもりだった。

 標的は天候が荒れてない限り、毎回一階にあるオープンテラスを利用する。そこから少し離れたベンチにジャックとコナーが坐っている。コナーは観光の振りをしながら、カメラのレンズに標的を収めている。その横で新聞を広げていたジャックが後ろを振り返り、自分の姿を見咎めた。

 ジャックが標的の方へと首を戻した瞬間――


 鈍い閃光が視界を走り、次いで感じる轟音。衝撃波が鼓膜を強烈に叩き、眼底が揺さぶられる。〝まさか俺は宙を舞っているのか〟衝撃の渦が全身を撥ねた時、ショーンの頭には夢想じみた考えが浮かんでいた。

 圧縮された空気が周囲に広がり、刹那、真空となった爆心から瓦礫の破片が飛翔してくる。

 呆けるコナーの襟首を掴んで、ジャックが自分ごと地面に引きずり倒す。腕で抱える頭の上で、ガラスやらなんやらがひゅんひゅん飛び交う音を聞きながら、ショーンは混乱の極致にいた。

 アスファルトから顔を上げる。衝撃は過ぎ去り、そこにはありのままの現実が残っていた。


 其処ら中から湧き出る悲鳴。祝祭的空間で酩酊したかのような人々の笑顔は、いまやすっかり恐怖に押し殺された表情へと変貌していた。破砕した建物の破片が広範囲に飛び散り、カフェの内部は、もくもくと登る灰煙で様相を確認できない。生鮮な空気はあっという間に消え去り、焦げ付いた匂いが鼻につく。

 ターゲットは文字通り消し飛んでいた。

 彼がいた場所には僅かにこびり付いた血があるのみだ。

 現実を認識したショーンの判断は早かった。呆然とする仲間を引っ張り、急いでその場を離れることに専念する。

 とにかく、事前に用意してあるセーフハウスへ――ショーンは車のステアリングを乱暴に切りながら、アクセルを吹かした。

 その道中だった。

 用心深いジャックがセーフハウスに仕掛けていた侵入検知装置(ドアベル)が作動したのは。侵入者を報せる警報メールがジャックの携帯端末へと届き、ショーンは車の進路変更を余儀なくされる。

 ダラム北郊にあるセーフハウスには、厳重なセキュリティを掛けてある。酔っ払いが間違って入れる場所じゃない。

 コソ泥にしろなんにしろ、タイミングが良すぎた。脳が危険信号を発している。手の平がじっとりと汗ばむ。ここにきて、ショーンは今回の仕事に不審を抱くことになる。

 ――俺たちはなにか、とてつもない事態に巻き込まれているのでは……?

 裏の世界は十分見てきた。何が金に繋がり、何が死に向かわせるかは心得ているつもりだ。そのあたりの塩梅をショーンはよく理解していた。彼が最初に考えたのは人目を避けること。心当たりはある。身を潜めるのにうってつけの場所を――


「お利口なファック野郎については、ホームに戻ってから改めて探りを入れよう。ふざけた真似の代償は必ず払ってもらう。俺たちは俺たちを舐めた奴を許さない。いままでも、これからもだ。そして幸いなことに警察はまだ俺たちの面を割ってない。車に乗ったら港まで一気に突っ走るぞ」

 ショーンの言葉にジャックが頷く。コナーは意味ありげな表情を浮かべ、寝室に人差し指を向けた。

「彼女にお別れは言ったのか? 国に戻ったら、当分女日照りになるぜ」

 下卑た勘繰りに、ショーンの顔がさらに不機嫌なものとなる。

「コナー、何度も言っただろう。彼女とは昔、仕事で手を組んだだけの関係だ」

「無駄だぜ、ショーン。こいつを黙らせたきゃ尻の穴に拳を突っ込むしかない」

 ジャックは諦めた口調で言った。手には齧りかけのウインナー。それを見てコナーは、食えたものじゃないと肩を落とした。


 不意に、出入り口の錆びたドアを叩く音が響いた。


 ごん、という呆けた音が一拍、室内を震わすと同時に、三者ともが腰に差した銃を握る。先程までのくつろいだムードはあっという間に消え去り、代わりに弓弦を極限まで張り詰めたかのような、緊迫した空気が場を(おお)った。

 全員が一斉に息をつめると、居間に生まれた静寂を圧し潰すように、隣近所の生活音が薄い壁を乗り越えてきた。

 左隣りのワンルーム・マンションの一室からヒスパニック系不良音楽の耳障りな騒音ががなりたて、五人家族が住む右隣りからは、昼夜問わずつけっぱなしになっているスペイン語チャンネルのBGMが流れ込んでくる。

 それら雑多な喧騒に混じって、再び、ドアを叩く音。

 もしや警察か、それともセーフハウスに入り込んだ鼠か――次々と脳裏をよぎる考えをショーンは勘案しつつ、警戒も露わにドアを注視した。

 だが予想に反して、閉ざされたドアの向こう側から発せられたのは甲走った女の声だった。

「お宅の部屋の真下のモンだけど、ちょっといい?」

 ジャックとコナーは安堵の息を漏らした。記憶を巡らせれば、確かにこの部屋の真下の部屋には若い娼婦が住んでいたからだ。

 しかし、ショーンは油断せずに鷹のような視線を扉に注ぐ。警察が内部の人間を油断させるために、民間人をこうした呼び掛けに利用するのはよくあることだ。

 ショーンは大きめの声で女に問う。

「何か用か?」

「あんたんところから水が漏れてんのよ! 早くなんとかしてちょうだい、シャワーサービスを頼んだ覚えはないよ!」

 この建物は築三〇年であちこちに老朽化の弊害がでている。キッチンのコンロにしてもそうだ。

「ちょっと聞いてんの? いいからこのドア開けなさいよ!」

 こうした手合いはちょっとしたことで癇癪を起こす。ただでさえこちらは世間の目から隠れ潜む身だ。今日の昼には退去するとはいえ、まだ時間はある。近隣住民との揉め事は避けるべきだろう。そう判断し、ジャックに様子を見に行かせる。

 コナーは窓から外の様子を窺った。窓は建物の外壁側に設置されており、ケーキハウスから外界を一望できる造りだ。人気のない街道を挟んだ真向かいには、廃墟となった工場がある。

 元々は住民の働く場として用意されていたものだったが、一九八〇年代に時の首相マーガレット・サッチャーが実施した経済再建のための急進的な規制緩和の煽りを受けて、業績は不振に陥り閉鎖。以降はケーキハウスに隣接していることがネックとなり、他企業に目を付けられずに放置されたままだ。

 カーテンを僅かに開き、金網周りの通りを確認するが警察車輌らしきものは見当たらなかった。空は灰色で、雨がぽつぽつ降っている。所々ほころんだ廃工場の姿が、心理的な圧迫感をコナーに覚えさせた。


「ジャック、用心しろよ」コナーは汗ばんだ手で銃把を強く握りしめ、緊張を孕んだ声で「なんか妙だぜ」と、呟く。

 居間を抜けたジャックはドアに顔を向けたまま、ちいさく頷いた。グリップセーフティを省いたカスタム銃、コルト・ガバメントの引鉄に指をかけ、閉所恐怖症になりそうな廊下をすり足で静かに歩く。

 戸口の向こうに人の気配。

 ジャックがドアスコープに目を当てた――直後、くぐもった銃声が鳴り響くと同時に、レンズを覗き込んでいた頭が大きく仰け反った。胡麻塩頭の後頭部から真っ赤な花が咲き、血と脳漿を撒き散らしながら、ジャックはシューズクロークの床上へとくずおれた。

 命を奪ったのは、ドアスコープ内の僅かな隙間を圧搾し、レンズ越しに突き抜けた銃弾だった。ほんの爪一枚分の大きさの鉛玉が、ジャックの右目を穿ち、即死せしめたのだ。

「ジャック!」色を失った顔で叫ぶのはコナー。

 予想だにしなかった強襲に、彼は完全に色めき立っていた。

「コナー! 敵だ!」

 ショーンは突発的な事態にも(かか)わらず、素早く思考を立て直すとコナーに向かって声を荒げた。

 この場所はまずい! 目まぐるしく回転する頭で敵との位置関係をはじき出したショーンは、ドアとの対角線上にある壁へと走る。僅かに開いたカーテンの前を横切ると同時に、窓ガラスから小さな音が鳴った。

 それはショーンが全く予期していない一発だった。

 廃工場側から放たれた7・62mm弾が秒速861メートルの速度で窓ガラスを突き破り、ショーンの右腕を貫いたのだ。上腕骨を砕いた弾丸は勢いを落とさずにそのまま胸部へ。皮膚を裂き、肉を削る。弾丸は肋骨に掠ると弾道を下へと歪ませ、横隔膜沿いの肝臓を抉りながら、最終的に腹部を貫いた。

 ショーンは命中した衝撃のままに体を曲げて、地面に転がった。

 ほんの一瞬の出来事だった。

「……ごぶっ」

 内臓をずたずたに裂かれた彼は真っ黒な血反吐を吐いた。

 床に敷かれた幾何学文様のペルシア絨毯が、流れ出た血の蝸牛(かぎゅう)に染まっていく。瞬く間に仲間二人をやられたコナーはパニックに陥り、狂乱じみた奇声を上げながらレストルームへと踊り込んだ。


        ◇


「――突入する」

 首元のタートルネックを鼻まで上げて、顔半分を覆い隠した黒髪の女がしのび声で呟いた。硝煙を上げる銃口をドアのシリンダー錠に向けて、五発連続で撃ち込む。外筒内部のデッドボルトを破壊すると、鋭く勢い付けた脚でドアを蹴破った。

 背面にいるテッドがポイントマンとして、愛銃であるブローニング・ハイパワーを油断なく構え、突入する。

 その後ろから互いをカバーする位置取りで黒髪の女――グウェンが続いた。

 玄関前の死体を跨いでリビングに入ると、フィンチに狙撃されたショーンが痙攣しながら寝そべっていた。手足を上下にばたつかせて、ベリーダンスを踊っているみたいに――テッドは前後に震える頭部に照準を合わせると、躊躇いなく引鉄を絞った。

 ばすん、と圧縮した空気を散りばめた銃声が消音器越しに響く。

 胴体の上で揺れていた二の腕が、力なく真紅の絨毯(レッドカーペット)へと落ちた。

 あと一人――姿が見えないターゲットを捜して二人は照準を彷徨わす。ふとテッドは物音一つしない扉の前に立つと、おもむろに銃を数発、発砲した。木製の扉を9mmパラベラム弾が貫通していく。

 蝶番(ちょうばん)が軋んだ音を立てた。

 銃弾が貫いた際の反動で扉がゆっくり開いていき、その内部を完全に曝け出した。中で息を潜めていたのは暗殺予定者の三人目であるコナーで、便座にだらしなく坐り込んだ彼は、全身穴だらけのラスタ・チーズになっていた。輝く太陽(イエロー)豊かな大地(グリーン)故郷アフリカ(ブラック)の豊潤な色彩バランスは、ところどころで噴き上げた戦士の流血(レッド)が不吉な版図を広げたことで、まさしく〝血の大地〟としての西アフリカが色濃く浮かびあがっていた。

 逸れた弾丸が掠めたのだろう、壁から伸びた給水管からちょろちょろと水が漏れている。グウェンはトイレ内に一瞥をくれると、左手を耳に装着したインカムへとやった。

「フィン、終わった」

 暫しの空電音ののち、返答が来る。

『了解、ちゃっちゃと撤収な』

 分かった、と返そうとしてテッドの視線が寝室を注視していることに気づく。彼はその特脳ゆえか、鋭利な直観を備えている。訝しむグウェンに、テッドが目で合図を送った。――ターゲット以外の第三者が寝室に隠れていると。

「ちょっと待って」

 グウェンは短くインカムに告げると、手に持つベレッタの銃身をを寝室の扉へ傾けた。

 寝室の扉に錠前はついてない。テッドがハンドシグナルを素早く出した。手の甲を向けて人差し指・中指・薬指を同時に立て、次いでそれらを折り畳むと、今度は人差し指と中指をくっつけて前に倒した。3カウント後に突入という意味だ。

 グウェンはテッドの右後方に付いた。彼が扉を蹴破ると同時にグウェンが室内に進み、場を制圧する。過去に幾度となく繰り返してきたコンビネーションだ。二人はまさに阿吽の呼吸で動きを合わせることができる。――否、そうしなければ生き残れない修羅場を彼らは潜ってきた。体に染みついた動きには微塵の油断もなく、隠れ潜む人間を仕留めるのに数秒もかからないだろう。

 テッドが指を立てカウント開始すると同時に、グウェンは肺の腑に溜まった空気を吐き出した。

 ――三

 極限まで脱力した全身は、不測の事態にも対応できるように。

 ――二

 消音器にぽっかり空いた虚ろな空洞が冷たい殺意を帯びていく。

 ――一

 テッドの身体が勢いよく半回転/全身のバネで後ろ足を扉に叩きつけた。その時だった。

「撃たないで!」

 上ずった女の声が響いた。

 勢い良く蹴破られた扉の先にいたのは若いラティーナだった。

「お願い、敵じゃないわ! 殺さないで!」

 上に白いシャツを一枚羽織っただけの寝巻姿で、女が叫ぶ。ソバージュのかかった長い金髪を半狂乱したように振り回す様を見て、気勢を削がれたのはグウェンで、女の起伏がはっきりしている豊かな体つきを見て、顔半分を隠したバンダナの下でつい口笛を吹いたのはテッドだった。

「……なにコイツ。こいつらの仲間?」

 グウェンは眉を顰めた。ベレッタの銃口は依然、破廉恥な姿の女に向いたままだ。

「あー、おっさん。ちょっとトラブった」

 呆れた声でテッドがフィンチに告げた。

 そういや、ここって娼婦のデリバリーもやってるって言ってたっけ――ケーキハウスに向かう道すがら、やたらと雑事に明るい四〇男が、下らない蘊蓄をグウェンがブチ切れるまでひけらかしていたのをテッドは思い出した。

 若干ずり落ちたサングラスを指で押し上げ、手元の銃を下げる。

「こんな朝っぱらからお楽しみとはいい御身分だぜ」

 羨望を含んだ声色でテッドが呟く。

「ん? ……ああ、そういうことね」

 テッドの言葉に合点がいったのか、グウェンは不穏な眼差しで女を見据えた。


 対する女の視線は眼前に突き付けられた銃口に向いており、その表情は照明を付けていない暗がりでも分かるほどに蒼白だ。

 彼女の生殺与奪を握っているのは、眼前の黒い女だ。

 彼女は生き残るために混乱した頭で知恵を振り絞る。

 不意に視線が銃口から外れ、その向こう、グウェンを通り越した奥へと動いた。

 その先には――

 チェック柄のシャツを血で染め、額に穴が開いたショーンがいた。

 小さな悲鳴が漏れる。

 仕事で何回か手を組んだ中にすぎないが、それでも彼の紳士的な振る舞いは彼女の心を揺らめかせたものだ。ひょっとしたら惚れていたのかもしれない。それが無意識下によるものだったとしても、彼女はショーンのことを好意的に思っていた。

 だからこそ、今回の助けを求める声に応じたのかもしれない。

 その彼が――冷たい(むくろ)へと為り変り、もはや一切の感情も籠ってない目が彼女の視線と交錯した。

 ――あぁ……なんでこんな……

「どうする? 顔を見られた」

「うーん、どうすっか。普通なら()っちゃうところだけど……とりあえず、あんたこっち来て」

 グウェンの問いにひとしきり唸ったあと、テッドは銃を振って、リビングに来るように女を催促する。女は黙って従った。

「あんた名前は?」

「ア、アンナ」

「ここの娼婦か?」

「……そうよ、上のヤックのところから派遣されたの。ねえ、もういいでしょ? あなたたちのことは見なかったことにするわ。こいつらといたのは偶々よ、仲間なんかじゃない」


 アンナは嘘をついた。

 どうやらこの二人の殺し屋は自分のことを娼婦だと勘違いしているらしい。あられもない姿を晒しているのだから、その誤解ももっともだ。

 彼らの口ぶりから察するにターゲットはショーンたち三人。彼女は視線を室内に彷徨わせると、トイレ内で大の字になっているコナーと床に伏すジャックが見て取れた。助かるかもしれない――アンナは急に降って湧いた希望を確かに感じた。

 だがしかし、

「――ここ女の部屋よ」

 室内を隅から隅まで見て回っていた黒髪の女――グウェンの一声がアンナの恐怖心を抑える淡い希望を粉々に砕いた。グウェンのきりりとしたアーモンド形の瞳は、さも愉快そうに細められている。

 ――楽しんでいるのだ。この憐れな子羊の醜態を。さながら自身をユダヤだと(うそぶ)く悪魔礼拝者のごとく媚びる様を。


〝仮にこの部屋をスルミナの教会だとするなら、私たちは悪魔の使い〟

 グウェンはナイトテーブルに放置したままの、読みかけのペーパーバックを思い出していた。書店員のお勧めだか何だかで、レジ前に積まれていた異世界を舞台にしたファンタジーものだ。

 うすぼんやりとだが、確か、ヨハネの黙示録を作者の妄想になぞらえた内容だったはずだ。

 ――悪魔になぞらえた殺し屋が、生と死の挟間で女の信義を試している。もしも、女が死に至るまで忠実であるならば、現状に介入し得る「何か」によって命の冠が与えられよう。だが、ひとたび嘘がばれたのなら……。後には凄惨な結末がサタンの会衆によりもたらされるのみ。

 きっと、似通った状況だから記憶が刺激されたのだろう。

 目の前の娼婦がどう言い繕うのかで、彼女の命運が決まる。

 グウェンはそもそも室内装飾品に拘るタイプではない。寧ろ、シンプルこそ王道を地で行く性格であるが、それでも決して俗世に疎いわけではない。

 床一面に敷き詰められた絨毯のセンス。壁に掛けられたブランド物の時計や本棚に並べられた書物の種類、目立たないように置かれているアクセサリー用のハンガートレイ、淡いレースの入ったカーテン……その全てから女性特有の拘りをグウェンは感じ取っていた。少なくとも男の趣味ではないのは確かだった。


 グウェンの指摘に、テッドがサングラスを指で押し上げた。

「と、うちのねーちゃんは言ってんだけど。あんた、オレに嘘ついたね?」

 ゆるりと、テッドの発した殺気が憐れなほら吹きを撫でた。「ひっ」アンナの唇が何か言おうとして震えるが、言葉は出ない。自分の命を握る男を前にして、安易な嘘を述べてしまったことをいまさらながらに後悔する。恐怖で歯がうまく噛み合わない。

「この部屋はこいつらのじゃない」

 テッドは床に沈むショーンを顎でしゃくり、

「調度品は女のもの。つまり、ここはあんたの部屋だ。つーことはあれだ。お前、三人を匿ってたな?」

 核心をつく言葉が、もはや絶体絶命だとアンナに告げた。

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